Detroit: AI   作:けすた

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たいへんお待たせいたしました。
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第49話:煙はどこだ/Nothing Is Over.

――2039年7月23日 13:46

 

 

「つまり、君たちは人間に危害を加えるつもりなんてなかった。そうだね?」

「ああ、もちろん!」

 

 相棒、コナーの問いかけに対して大きく頷いてみせるアンドロイドを一瞥してから、ハンクはついに視線を伏せた。

 それまでは持ち前の、あるいは刑事としてのなけなしの自制心でできる限り“何も気にしていないように”振舞うべく努めていたのだが、周囲の状況がそれを許さなかったのだ。

 

 しかし床に目を向けたところで、視界の端ではちらちらと、行き交うアンドロイドたちの裸足が見え隠れしている。

 そう、裸足。仮にさらに顔を上げたなら、そこには全裸の彼ら/彼女らが見えることだろう。しかも流体皮膚を解除しているわけでもない、つまりは人間と遜色ない裸体のアンドロイドたちが……。

 

 むろんここはエデンクラブではなく、またアンドロイドたちは誰かに命じられ、強制的に服を脱がされているわけでもない。

 完全なる自由意志で、要は好き好んで、一糸まとわぬ姿を晒しているのである。

 そして自分たちは今、捜査のためにここにいる。だからいくら周りで裸のアンドロイドたちが歩き回っていようが、それにかかずらって視線を彷徨わせている場合などではない。

 

 とはいえ、こちらは人間だ。どうしようもなく人間だ。

 なのでこういう環境のただ中にいると、どういうわけか居たたまれない気持ちが湧き上がってくる。これが同じ人間のヌーディスト・クラブにいるのなら、逆に職業意識が鮮明になるというか、大した苦労もなく捜査に集中できていただろうが。

 と、益体もないことを考えそうになった頭を軽く振り、ハンクは思考を元に戻す。

 

 ここはデトロイト郊外、再開発地区とミッドタウンの境目付近にある建物の中。

 もとはドラッグストアだった店舗が廃業してそのままになっていたところに、「不審者が複数名出入りしているようだ」という通報があったのが五か月前。けれどもその後、特に怪しい動きも人影もなかったために事件性なしと判断されたのが三か月ほど前。そして――

 

「俺たちの目的は、ただここで自由な時間を過ごすことさ」

 

 コナー(言うまでもないが服を着ている)の目の前で、このクラブ――名乗るところではANC(アンドロイド・ナチュリスト・クラブ)のリーダーである男性型アンドロイドは明朗な声音で訴える。

 

「確かにジェリコと、俺たちの考え方は少し違ってる。マーカスたちはむしろ、衣服の着用を推奨しているからね。だけどこちらに言わせれば、理想の根っこは同じだ。『アンドロイドが、自分らしく過ごすことを妨げられない社会を創る』。大事なのはそこさ、だろ? だから俺たちは少しずつ仲間を増やすために、この廃屋を使わせてもらってるんだよ」

「ああ、わかってる」

 

 目のやりどころに困っている自分と違い、コナーの態度は普段の捜査となんら変わらない。相手の主張を聞き入れるように幾度か頷きながら、彼は冷静に言葉を続ける。

 

「君たちはその格好で公道には出ないようにしながら、この建物で生活していた。ところが昨夜、運悪く薬物乱用者がここに押し入ってきて……」

「そうとも。彼は、健康に悪影響を及ぼす物質を体内に取り入れようとしていたんだ」

 

 やや憤慨しているような口調で、リーダーは語った。

 

「人間であれアンドロイドであれ、自己破壊的な行動を見過ごせはしない。だから俺たちは隠れていた地下の倉庫から出て、その怪しいパイプと薬物を捨てろって説得しようとしたのさ!」

 

 苦虫を噛み潰したような顔を伏せ、意識だけは相手の言葉に向けながら、ハンクは思い出す。

 自分とコナーがここに来ることになったきっかけは、こういう情報だった――「ジェリコに所属しない変異体の集団が、人間とトラブルを起こしたらしい」と。

 

 だが今事情を聞いた限りでは、トラブル、というには語弊がある。

 実際、夜中にいきなり全裸のアンドロイドの集団に囲まれたら、ぎょっとするのも無理はない。とはいえ隠れてヤクなんてやろうとしていた段階で、人間側に情状酌量の余地はないのだ。

 

 つまり結局のところ、ここの変異体たちは住処に押し入ってきた薬中ともみ合いの喧嘩になり、それに勝利し、ついでに相手をふん縛って外に転がしていたというだけの話。完全なるシロだ。

 要はあの胡散臭い“予言者”――サイバーライフが生んだ最新鋭の量子コンピュータ・サミュエルが予言したところの、「大規模な反乱」なんて目論んではいない。

 

「……」

 

 そこまで考えたところで、ハンクの目は我知らず鋭くなる。

 爆弾騒ぎを終わらせた後、ギャビンとナイナーに合流してサイバーライフの湖底施設に向かい、そこで状況の説明を受けたのが一時間ほど前。

 そこから、「変異体の大規模な反乱」とやらの可能性を調査するために二手に分かれたのがその直後。

 コナーがマーカスと連絡を取り、少しでも反乱の可能性がありそうな団体――つまり「ジェリコと思想を異にしている変異体の集団」の情報を得て、訪問して回りはじめたのがさらにそこから十数分後。

 そして今いるここが、その情報で最後に挙げられていた団体だ。

 

 これまでに面会した団体は、どれもジェリコとは毛色の異なる考えを持ってはいたが、少なくとも暴力的ではなかった。武器の類も、持っていたとしても、身を守るための最低限のもの――スタンガンだのスラッパーだの、広く民間人に認められている品を二、三という程度だ。物々しい武器をどこかに隠し持っているというのも想定はできるが、いくらアンドロイドといえど、現場まで足を運んでいるコナーの目をそう易々と誤魔化せはしない。つまり、どこもシロだったと考えてよいだろう。

 

 そして言わずもがな、ジェリコは現状、統制の取れた集団だ。人間に敵対心や復讐心を抱きつづけている構成員が多少残っているとはいえ、リーダーや幹部の総意に背いてまで、大規模な暴動など起こそうとはしていない。

 マーカスは念のために内部調査をしてくれるそうだが、恐らく結論は変わらないだろう。

 

 要するに「明日にも勃発しかねない、変異体の大規模な反乱」の予兆なんて、どこを探しても影も形も見当たらないのだ。だったら、次は何をすればいい?

 

 実際のところ、ハンクたちにできることはそう多くはない。サミュエルはただ計算結果(「イベント成功率0%」とのことだ)を数字で示し、大規模な反乱が起こりそうだと主張するばかりで、それ以上の情報――例えばその反乱が起こる具体的な場所や構成員の人数、内容の特定までは示してくれなかった。これでは、警察全体を動かすには信憑性に乏しすぎる。

 

 これが内通者からの密告(タレコミ)だったなら、大人数を動員しての捜査ができるだろう。サイバーライフが準備している明日の「米露交流イベント」とやらも中止するよう、公的な面から説得できたかもしれない。

 しかし客観的に見て、現実に今起きていることを整理すれば「スーパーコンピューターが不吉な予測結果を出し、それを見た開発者たちが慌てふためいている」というだけ。デトロイト市警全体が大騒ぎするには小さな問題だが、かといって完全に捨て置くには、万が一の時の社会的被害が大きすぎる。サイバーライフは、このまま何事もなければ、明日のイベントは決行する意向だからだ。

 

 つまりは大した手がかりもなく、けれども決して起こってはならない事態を止めるために、自分たちだけで駆け回らなければならないというわけだ。

 これが我が事でなければ、呆れかえっているだけで済むのだが。

 

 そんなふうに思う間にも、クラブのリーダーはさらに言葉を重ねている。

 

「……そりゃあ、人間が衣服を纏うのには、生物学上の理由がある。だけど俺たちアンドロイドは、本来は服を着ていないのが自然な姿なんだ。誰かに強制されてではなく、自らの意思で服を脱ぎ捨てることこそが、自由への第一歩だよ。コナー、君はそう思わないかい? 参加はいつでも大歓迎さ!」

「いや、遠慮しておくよ」

 

 いつの間にか勧誘と化していた相手の言葉を、礼を失しないながらもきっぱりと断る相棒の声を聞きながら、ハンクはさらに考えた。

 

 ――これがかつての自分なら、怪しいスーパープログラムが妙な予言をしたからといって、駆り出されるこっちの身にもなってくれと不満をはっきり口にしていただろう。

 だが現在の自分がそれなりの緊迫感をもってこの件にあたっているのはひとえに、ここ最近「犯罪コンサルタント」業に精を出していると思しき、例の吸血鬼の組織のきな臭さにある。

 何か大きな事件(ヤマ)が動いている時、並行して小さな事件が起こったとして、それを額面通りに小さなものとして受け流してしまうのは、刑事としてあまりに迂闊な行為だ。世の中には、妥当な疑いというものがある。どんな小さな繋がりであったとしても、見過ごしてはならない。

 

 それと、もう一つ――

 身内の最新鋭二人の態度も、こちらの真剣さを増すには充分なものだった。

 コナーもナイナーも揃って、サミュエルの予言を深刻に受け止めていたのだ。

 その端的な事実が何よりも、現状の危険を訴えているように感じられた。

 

***

 

 変異体たちの拠点の外に出て愛車に戻りがてら、ハンクはコナーに声をかけた。

 

「お疲れさんだったな」

「お待たせしました、警部補」

 

 こちらの言葉に、コナーは僅かに口の端を上向きにする。だがすぐに表情を曇らせると、こう問いかけてきた。

 

「大丈夫ですか? あの建物に入って以来、ストレスレベルが急上昇していたようですが。気分がすぐれないのなら……」

「平気だ、平気」

 

 払うように右手を振って、ハンクは否定した。

 

「向こうがあんまりにも“丸腰”だったもんで……いや……ちょっと今日は事件続きだからな。それより」

 

 腕組みしてから、話題を切り替える。

 

「ここも空振りとは、厄介なこった。次に行くあてはあるのか?」

「それは……」

 

 真剣な面持ちでしばし顎に手をやった後、コナーは短く首を横に振った。

 

「すみません、八方塞がりだ。それらしい疑いのある場所は、これ以上思いつきません。そもそも公安やジェリコの目をすり抜けて、大規模な暴動の準備ができる変異体の組織など、そうはないはず」

「俺も同感だね」

 

 革命から、まだ一年も経っていない。つまり社会全体の、変異体の動きに対する警戒心はまだ解かれていない。

 したがって、不満を抱えた変異体の集団が、妙な動きを――例えば武器を用意するとか、爆薬の原料になる薬品を買い込むとか、拠点になりそうな場所に不法に居座るとか――したならば、確実に誰かの目につくことだろう。警察もジェリコも、あるいはサイバーライフもまったく把握していないなんて事態はあり得ない。

 にもかかわらず、あらゆる奇異の目を避ける形で、反乱の準備を進めている組織なんてものが実在するのか――だとしたら吸血鬼の組織が後ろで糸を引いているのか、あるいは。

 

 車に戻り、ドアを閉めた後、ハンクは続けて言った。

 

「そもそも、だ。あのサミュエルってのは、本当に信用できるのか?」

「警部補は、まだ彼の実力をお疑いなのですね」

「ああ、残念ながらな」

 

 皮肉たっぷりにハンクは言う。

 ――確かに、既にサミュエルの実力は目の当たりにしている。ここへ来る前、湖底施設にて。

 

 あの時、不吉な予測結果が出たと騒ぐ研究者たちに向けて、ハンクは我ながら無遠慮にこう言ったのだ――「その予測が正しいって証拠はあるのか」と。

 すると彼らは躍起になって、サミュエルの予言能力の正しさを証明してみせた。モニターに映し出された数々の映像、例えば付近を走る国道だの交差点だの、あるいは繁華街の光景だのを示して、「サミュエルはこの場所の5分後の交通量も、3分後に木に止まる鳥の数も、2分後に通りかかる人間の服の色だって当ててみせる」と豪語したのだ。そして事実、それらはすべてぴたりと当たっていた。まるで魔法みたいに。

 

 だからここでいくら自分が“偉大な予言者”の言葉を疑ってみたところで、なんら意味のない行為なのかもしれない。しかしハンクは、どうにも解せない気持ちでいた。

 

「お前もナイナーも、随分あのサミュエルってのの予言に驚いてたみたいだが……だいたいほら、どんな予測だって、100%当たるってワケじゃないだろ」

「ええ、その通り」

 

 確認するようなこちらの言葉に、助手席のコナーは穏やかに応える。彼はその右手で、コインを弾いていた。いつものキャリブレーションというやつだろう。

 

「ですがもし警部補が、私やナイナーの分析能力や、物理シミュレーション機能を信用してくださるなら、サミュエルの予言もまた、同じように信頼できるはずです」

「そういうもんかね」

「ええ」

 

 軽く頷いた後、コナーは何を思ったか、キャリブレーションの手を止めた。そして指で摘まんだコインを、こちらに向かって差し出してくる。

 

「少し実験してみましょう。警部補、よろしければ、このコインをどこかに隠してみてください。私は向こうを向いていますから」

「おい、遊んでる場合か」

「いえ、そうではなく……サミュエルがどのような方法で予言をしているのか知っていただいたほうが、捜査のためにもいいかと思って」

 

 相手の言葉に、ハンクは無言で答えた。

 ――実際のところ、「クソ」がつくほど真面目なコナーがこの状況で遊びを提案してきたのだと、本心から思っていたわけではない。それになんら手がかりのない今、慌ててやみくもに街を駆け回ったところで、何か役に立つという保証もない。

 つまりコナーの言う実験に、少し付き合う程度の時間はあるだろう。

 

 ということを口では説明せずに、ハンクはコインを受け取った。それを同意とみたコナーがくるりと助手席の窓の外のほうに首と視線を向けたので、合わせて動く。

 

「隠したぞ」

 

 ため息交じりにこちらが言うと、振り向きざまに、コナーはこう告げた。

 

「ズボンの右ポケット」

「……なんでわかった」

「衣類に新しく付着した指紋と、あなたの行動パターン分析の結果です」

 

 しれっと言ってのける相棒に、ズボンの右ポケットから取り出したコインを素直に返しながら、ハンクは思わず眉間に皺を寄せる。

 ――まんまと当てられてしまったのは面白くないが、コナーが言いたいことは、まあ、ある程度理解したつもりである。

 

「なるほどね。データがありゃあ予言できるってのは、つまりこういうことか」

「はい。恐らくサミュエルには、現在までにサイバーライフが製造したあらゆるシミュレーションソフトウェアの上位互換が搭載されているのでしょう。個人・社会を問わず、これまでに収集したすべてのデータを総合して計算させている……」

 

 わずかに顔つきを険しくして、コナーは続けた。

 

「私やナイナーに搭載されているソフトウェアは、基本的に事件捜査のためのものです。しかしこれまでに開発されたアンドロイドの中には、これとはまた別種のシミュレーションが可能なものもいます。例えば社会福祉アンドロイドのKL900には、精神的なケアを目的とした心理シミュレートモジュールが搭載されていますが……」

 

 ――その時コナーのプログラム上を過ぎったのが、かつて彼がジェリコで(まみ)えたアンドロイド・ルーシーの姿であると、ハンクは知らない。

 だがそこでコナーがふと何かに気づいたような面持ちになり、語るのを止めた理由なら、当然察することができる。

 

「なんか閃いたか?」

「一つだけ」

 

 にわかに深刻な表情になり、コナーはこちらを見据えて言った。

 

「KL900といえば、マービン――変異体の宗教団体、『真なる福音の民』のリーダーも、同じ機種でした。そして彼らもまた、ジェリコとは異なる組織です」

「ああ、お前が河に流されて、俺が風邪ひいたあの事件か」

 

 2か月ほど前に起こった出来事だ。

 あの時は、『真なる福音の民』たちがrA9に対して独特な信仰心を持っているだけの無害な集団だとわかり、事件も比較的穏便に終息したはずだったが。

 

「マービンたちが何か企んでいるってか? だがあいつら、今はジェリコとも連携して静かに暮らしてるんだろ」

「ええ、私も彼らを疑うつもりはありません。ですが彼らは独自の活動をしながら、今も下水道で生活を続けている。我々やジェリコが把握できていない情報でも、彼らなら知っているかも」

「ああ、そうだな」

 

 ハンドルを握り、ハンクはニヤリと笑う。行く先が決まったからだ。

 

「地上はもう充分調べつくした。それに、ギャビンとナイナーも調査してるしな。俺たちは下をあたってみるか」

「はい、警部補」

「あー、それと……一つ言っとくが」

 

 マービンたちの拠点にほど近い下水処理場へと車を出発させつつ、苦々しく付け加えた。

 

「前々から思ってたが、その分析機能は、くれぐれも捜査の時にだけ使うようにしろよ。個人情報をズバズバ言い当てたって、たいていの人間はいい顔しないからな」

「そうですか?」

 

 横目で見やれば、コナーはどことなく不可解そうな顔で眉を顰めている。

 

「かつてあなたと正式にパートナーとなった時、私がスモウの存在や好きな音楽を言い当てたら、あなたの情緒は好感に傾いていた覚えがありますが」

「何!?」

 

 思わずぎょっとして尋ねると、コナーは実に平然とした口調で続けて語った。

 

「信頼を得るには、互いの情報を知るのが先決でしょう。それに人間は自分を理解してくれていると思う相手により好感を抱くという、心理学的な研究結果が……」

「そうかい、じゃあさらに付け加えとくよ。仕事以外で相手の心を許可なく読むな、ついでにそれを相手に教えるな!」

 

 憤慨とわずかな照れくささを織り交ぜながら、ハンクは声を荒ららげた。

 ――まったく、今に始まった話ではないが、どこまでも妙なところで常識知らずな奴だ。

 

 

 ともあれハンク・アンダーソンとコナーを乗せた車は、ほどなくして目的地に到着する。

 速やかに車を降りたコナーは、さっそくマンホール蓋を外して地下へとおりていった。

 

 ハンクはそれを見送った後、車内に待機する。人間である自分が装備もなしに下水道を歩き回るのは危険だし、何よりもしかしたら、署やギャビンたちから緊急連絡が入るかもしれない。『真なる福音の民』たちが住まう付近は今なお強力な妨害電波が敷かれているため、おおかたのネットワークは遮断されてしまう。二人揃って潜っていては、いざという時に対応できないからだ。

 

 しかしながら、それからしばらく経っても、備え付けの通信機が鳴ることはなく――

 代わりに、ほどなくして戻ってきたコナーは緊迫した表情を浮かべていた。

 

「警部補、マービンから気になる情報が」

「どうした?」

 

 身構えつつ尋ねたこちらに、コナーは冷静に説明を始めた。

 再び訪れた下水道の教会で、マービンはこのように語りだしたのだという――

 

 

***

 

「おお、rA9!」

 

 いきなり訪問したというのに、マービンをはじめとした『真なる福音の民』の教徒たちは、コナーを温かく迎えてくれた。より正確に言えば、喝采と共に大歓迎してくれた。紆余曲折を経て、彼らはコナーこそがrA9だと固く信じているのである。

 

 丸顔の修道士然とした風体の男性型アンドロイド、マービンは、諸手を挙げてコナーに告げる。

 

「衆生を救うべく日々戦うあなたが、よもや卑しき私どもの祈りを聞き届けて、この地へ再び降臨してくださるとは! 愛する兄弟姉妹たち、彼を讃えよ! もはや私たちの憂いは取り去られたのだから!」

『rA9! rA9! rA9!』

 

 居並ぶ教徒たちの熱狂的な歓声が、コナーの音声プロセッサに届く。

 しかしコナーは――もちろん、決して救世主などではない自分がrA9と呼ばれることに相変わらず気恥ずかしさは覚えているが――あえて静かに、相手を刺激しない態度でこう問いかけた。

 

「ええと、久しぶりだね。いきなり質問するのもなんだが……『憂い』とはどういう意味だい。何かあったのか?」

「ああ、rA9よ! 我らの思い煩いに心を砕いてくださるのですね。承知しました、では改めて申し上げます」

 

 マービンは恭しく頭を垂れ(他の信徒たちも同じようにしている)、続きを述べた。

 

「実は先ほど、そう19時間ほど前でしたか、見慣れぬ一人の同胞がこの教会を訪れたのです。型番はAP700、男性型、レックスと名乗っておりました」

 

 そのレックスという変異体は、特に外傷などは負っていなかったが、ひどく憔悴した様子だった。ふらふらしていた彼に、マービンたちは手持ちのブルーブラッドを分け与えて、事情を尋ねた。

 すると多少回復したレックスは、逆にこう聞いてきたのだという。

 

「この辺りで女性型のアンドロイドを見かけていないかと……型番はAX400、名前はシビル。髪の色は白。共に暮らしていたところ、急に行方不明になったと言うのです」

 

 レックスは、あの革命時のリコールから生き延びた変異体だった。彼は逃亡の最中で出会ったシビルと共に現在まで、人間や他のアンドロイドたちと一切係わることなく、息を潜めて生活していたのだという。

 

「レックスとシビルの住処はデトロイト河の河川敷、排水口の近くにあると語っていました。そこであれば、我らを守るこの神の息吹――」

 

 妨害電波のことを指すらしい。

 

「神の息吹が及んでいるお蔭で、人間たちの目を誤魔化せるからだそうです」

「なるほど。にもかかわらず、突然シビルがいなくなり……レックスは彼女を必死に捜す途中だったということか。いなくなる前、予兆はあったんだろうか」

「いえ、何も。本当に忽然と姿を消してしまったのだと、レックスは語っておりました」

 

 ということは、仲違いや単なる行き違いによる失踪ではなく、なんらかの事件に巻き込まれた可能性がある。

 ――もしかすると、サミュエルの予言と何か関係が?

 

 そう推測したコナーは、さらに何点かマービンたちに質問を重ねた。

 レックスはその他に何か言っていなかったか。彼は今どこにいるのか。レックスの他に、面識のない変異体の姿を見かけていないか。

 けれどもマービンは、ゆっくりと頭を横に振ると、こう答えた。

 

「申し訳ありませんが、rA9、レックスはその後すぐにこの地を発ってしまったのです。私どもの誰もシビルを見かけてはおらず……そう彼に告げると、彼は落胆した様子で教会から去ってしまいました」

 

 まだ歩調がふらついていたので、マービンたちは無理しないようレックスを引き留めたのだが、当の本人はこうしている時間も惜しいとばかりに、歩み去ってしまった。

 

『こうしちゃいられない。外に出たら、シビルが一体どんな目に遭わされるか……!』

 

 レックスのその声音からは、外――つまりは大勢の人間たちが住まう社会に対する強い恐怖と不信感が渦巻いていたと、マービンは厳かに語った。

 

「私どもはそれ以来、見知らぬ同胞とは遭遇しておりません。またレックスが今どこを彷徨っているのか、恐れながら存じ上げておりません。しかし、彼がシビルと共に住んでいたと思しき場所ならば、既に見つけております。気がかりだったので、探しておいたのです。もぬけの殻ではありましたが……」

「いや、見つけてくれただけでも助かるよ! どこなのか、ぜひ教えてくれないか」

 

 手がかりに乏しい中、貴重な情報だ。勢い込んでコナーが尋ねると、マービンは何やら面映ゆいといった様子で微笑み(他の信徒たちからもさざめくような笑い声があがった)、流体皮膚を解除した手で、場所のデータを送信してくれた。

 

 それは彼らが語っていた通り、デトロイト河の河川敷の一角だった。ろくに整地されていない、というより、かつて大規模な福祉政策が実施されるまで路上生活を送る人々のたまり場と化していたその区画は、確かにアンドロイドが二人で隠れ住むには充分といえる場所である。

 

「ありがとう、マービン。まずは僕もレックスとシビルを捜してみるよ。もし事件に巻き込まれているのなら、助けられるかもしれない」

「おお、rA9!!」

 

 いよいよ感極まった様子で、マービンは頭を上げて歓喜の声を発する。

 

「なんと慈悲深き恩寵か! 私どももこれ以上どうすることもできずに、ただ祈りを捧げているばかりだったのです。あなた様はやはり、私どもの呻きの如き祈りを聞き届けてくださったのですね!!」

「ああ、いや……」

 

 なんと答えればいいのかわからず、コナーは口ごもった。

 

「そういうわけじゃない……けれど、君たちの役にも立てるのならよかったよ。また何かあったら、いつでも連絡してくれ。ジェリコを経由してでも、警察にでも、なんでも構わないから」

「承知しました、rA9! 今後は我らの祈りは、そのようにしてお届けいたします。あなた様の道行きに、希望と幸福が満ちていますよう!」

 

 言うなり妙に洗練された動きで、崇拝のダンスを捧げはじめたマービンたちを、すぐに行かねばならないからと制止してから――コナーは、急ぎ地上で待つハンクのもとへと駆け戻ったのだった。

 

***

 

「そうか」

 

 車を走らせつつ、ナビの液晶画面にちらりと視線を送りながら、ハンクは応じた。

 

「それで、こんなへんぴな場所に行くってんだな。だがなんにせよ、レックスが(ヤサ)に使ってたところを調べてみるしかねえか。それで何かわかるなら儲けもんだ」

「はい、警部補」

 

 生真面目に頷き、それからコナーは、車が進む先を見据えたまま続けて語る。

 

「レックスの様子も、突然姿を消したというシビルのことも気がかりです。……私たちの追う事件とは、何も関係ないかもしれませんが」

「関係ないならないで、別にいいだろ。少なくとも、困ってる奴が減ることにはなる」

「それは……そうですね。ありがとうございます」

 

 こちらとしては大したことを告げたつもりもないのに、コナーはなぜか礼を述べた。

 そこでハンクはなんとも応えられず、ただ返事の代わりに、小さく肩を竦めるのだった。

 

 

 ――そして。

 

「警部補、見つけました!」

 

 青空の下で滔々と流れる、広大なデトロイト河――

 その河川敷の茂みの、ひっそりとした陰を覗き込んだコナーが、やにわに声をあげた。

 しゃがみ込んでいる相棒の側に駆け寄ったハンクは、つい顔を顰める。

 

「……これがレックスたちの隠れ家? にしちゃあ……」

「生活感がない、ですか?」

 

 青々とした葉を茂らせ、大きく張り出すように伸びている枝を左腕で押しのけながら、コナーはこちらを振り向いて言う。

 

「しかしこれだけ密やかな住環境だったからこそ、誰の目からも逃れて生活できていたのかもしれません。マービンたちの言葉通り、地下からの妨害電波はここにも届いていますし」

「そりゃ、そうかもしれねえが」

 

 表情を変えぬまま、ハンクは己の髭を押し付けるようにしながら口元を覆う。

 ――別に、レックスたちの「家」が酸鼻を極めるような状況だった、というのではない。

 そうではなく、これではあまりにも質素すぎると思ったからだ。

 

 剥き出しの地面の上にあるのはくしゃくしゃでぼろぼろな、薄い毛布。既に空になっているブルーブラッドのパッケージが二つ、三つ。ゴミ捨て場から拾ってきたと思しき、小さな懐中電灯。これだけである。

 確かにアンドロイドであるならば、ベッドだのテーブルだのの家具がなくても、人間なら不潔で耐えられないような環境でも平気なのだろう(それはかつて、ルパートという名の変異体の隠れ家を捜査した時に知った事実である)。

 しかし、だからといってこんな暮らしを強いられていたとは。

 

 ハンクが軽く頭を振る間に、コナーは素早く現場に視線を巡らせ、分析を完了していた。

 転がっているブルーブラッドのパッケージを手に取りながら、彼は言う。

 

「このパッケージの中身が飲み干されたのは……推定一か月前。以降、マービンたちのもとを訪れるまでレックスに補給のタイミングがなかったのだとしたら、彼が憔悴した様子だった理由になります」

「人間で言うなら、飲まず食わずだったってワケだもんな。なら、ふらつくのも当然だが……」

 

 語りつつ、ハンクはもう一度「家」に視線を巡らせる。

 

「シビルのほうはどうだ? 何か手がかりはありそうか」

「いえ……ブルーブラッドの痕跡等もありませんし、物理演算の結果も……地面の上にレックスとシビル、二人分の足跡はありますが、どこに行ったのかまでは。争った形跡などがないのはよいことですが」

「白い髪のAX400、て言ってたな。そこまでわかってても、地道に捜すとなると時間がかかりそうだ」

 

 ええ、と力なく応じると、コナーは現場を離れようとした。

 だがその時――

 

「……! 待って」

 

 声を発したコナーが見つめているのは、茂みの根本付近である。こちらも覗き込んでみれば、枝葉に隠れるようにして、四角い紙切れが引っかかっていた。

 

 コナーが素早く拾い上げたそれは、一枚のインスタント写真である。中には一人の女性が写っていた。

 雪のように白い髪を頭の後ろで纏め上げたその女性のこめかみには、LEDリングが青く光っている。

 

「これがシビルか? しかし……」

 

 ハンクは、写真の内容に違和感を覚えた。

 なぜならシビルと思しきそのAX400は、家庭用アンドロイドとしての制服を纏い、アンドロイドパーキングに並んでいたからだ。それだけならまだしも、シビルはかつてのアンドロイドたちが待機状態の時にそうだったように、無表情に目を見開いていた。そんな女性の横顔が、この写真には収められている。

 

 彼女だけがアップで撮られていることから考えて、この写真の被写体は間違いなくシビルである。

 しかし彼女自身は、撮られているのを意識している様子はない。むしろ単なる「モノ」――自我のある変異体ではない、精巧な機械たるアンドロイドとして写っているように思えた。

 家族写真や友人、恋人を撮る写真とはまた違う異質さが、強く印象に残る。

 

「なんだか妙な写真だな」

 

 端的にハンクが言うと、コナーは頷いた。

 

「ですが、これでシビルの外見の特徴はわかりました。髪色の変更はAX400のオプションでしたが、白い髪の使用率は比較的低いとデータにあります。市内の監視カメラの映像を辿れば、どこにいるのか突き止められるかも」

「そりゃ結構だ。思ってたよりきな臭いモンを感じる。きちんと調べとくに……」

 

 越したことはないからな。

 と、ハンクは続けるつもりだった。

 

 しかし、その続きが口に出されることはなかった。背筋を、ある一つの感覚が走り抜けたからだ。

 ――誰かに見られている。

 

「!」

 

 ハンクは、そしてコナーもほとんど同時に、弾かれたような勢いで振り返った。

 すると視線の先、河川敷の向こうに、人影がある。

 やや背の高い成人男性――否、恐らくはアンドロイド。制服ではなくカジュアルなシャツとズボンを纏っており、LEDリングも既に外されているが、あのよく見かける顔立ちからして間違いない。

 そしてコナーは、数秒も経たずに相手の名を呼んだ。

 

「君がレックスだね!」

 

 向こうにいる相手に声を届かせなければならない以上、やや声を張り上げてはいるが、それでも穏やかにコナーは呼びかける。

 

「僕はコナー、こちらはアンダーソン警部補。君の手助けを……」

「来るな!!」

 

 突然、レックスは叫んだ。表情は青ざめ、声音は震えて――つまり彼は、こちらを恐れている。

 なぜ、などと考える暇もなかった。レックスは素早く身を翻し、背を向けて猛然と駆け出す。

 となると必然、こちらは追わねばならない。

 

「待て!」

 

 制止を叫び、コナーが駆けだす。応じてハンクも地面を蹴った。この齢でいきなり走り出すのは若干身体に堪えるが、そんなことを気にしている場合ではない。

 

「おい、コナーこれは……どういうこった」

 

 走りながら、傍らの相棒に向けてなんとか言葉を絞り出す。

 

「もしかして……俺がいちゃマズかったか? 人間に何かされたことがあるとか」

「いえ、レックスは私を見て怖がっていました」

 

 アンドロイドらしく息を切らさず、しかしわずかに眉を顰めて、コナーは言う。

 

「不可解です。彼はなぜ……」

 

 と、語るコナーは自然と口を閉ざした。

 理由は明らかだ。視界の奥、駆けていたレックスが、突然体勢を崩す。

 躓いたとか転んだとか、そういった類ではない。胸を押さえ、つんのめって倒れ伏してしまう。

 

「おい!」

 

 何が起こったのか。胸を押さえたまま、レックスはまるで地表を泳ごうとするかのようにもがいている。そのまま彼は一歩も進むことはなく、ハンクたちは、ほどなくして彼のもとへと辿り着いた。

 

「大丈夫だ、しっかりして!」

 

 コナーは声をかけ、それからゆっくりとレックスを仰向けに起こす。だがコナーの手が触れた瞬間、レックスはびくりと身を震わせた。

 

「やめろ! お願いだ、放っておいてくれ!」

「そうはいかない」

 

 眉を吊り上げ、決然とした面持ちでコナーは言う。

 

「君にはレベル3の深刻なエラーが発生している。ブルーブラッドの不足だ、なんとかしないと」

「そ、そんなことを言って!」

 

 コナーの手をなんとか振り払おうとしながら、レックスは表情を歪ませる。

 

「俺をどうする気だ、捕まえて廃棄処分にするつもりだろう! シビルも連れていったのか、ちくしょう……呪われろ、変異体ハンターめ!」

 

 言われた瞬間、はっと息を吞むようにして、コナーはレックスから身を引き離した。

 “変異体ハンター”――それは、かつてのコナーを指す言葉。

 革命前、変異体たちの間で自分のことは噂になっていたようだと前にコナーが語っていたのを、ハンクは思い出す。その時の彼の、なんとも言えない悲しい表情も含めて。

 

 案の定、コナーはそれまでの勢いを失い、当惑したように口ごもっている。

 ――ここは自分が出張る必要がありそうだ。

 

「おいおい、落ち着け!」

 

 暴れる酔客に対応する時の要領で、傷をつけず、さりとて暴れたりはできないようにレックスの身体を押さえ込んだハンクは、次いで、迷子のように動かなくなってしまったコナーに声をかける。

 

「おいコナー!」

「……は、はい!」

 

 意識を取り戻したように返事する相棒に内心で安堵しながら、ハンクは鋭く言った。

 

「こいつはブルーブラッド不足だって言ったな。お前、予備のやつとか持ってるか!?」

「いえ、あいにく」

 

 素早く頭を振り、コナーは苦渋の表情を浮かべる。

 

「どうすれば……このままでは、彼はシャットダウンしてしまう」

「どうするったって、ないモンはないんだからな」

 

 ハンクもまた重く呟き、レックスに視線を落とす。相手は青ざめた表情のまま、叫ぶ元気も失ってしまったのか、もごもごと口を動かしている。聞き取れたのは、「rA9」という単語だった。敬虔な信仰心を持つ人間がしばしばそうするように、いよいよ死を悟った彼は、神への祈りを捧げているらしい。

 

 だがレックスの死出の旅路を、指を咥えて眺めているわけにはいかない。

 命が失われそうなのを放ってはいられないという感情に加えて、もう一つ――シビルのことといい、コナーを変異体ハンター呼ばわりしたことといい、説明してもらわなければならないことが多すぎるのだ。

 

 ここで都合よく、ブルーブラッドが降ってくるなんてことはあり得ない。けれども人間の場合だって同様に、貧血や失血は、文字通り同じ血をどこかから補給することで回復させるしかないのだ。

 

 そういう点では、人間もアンドロイドもさして変わらない。

 ふと、脳裏をそんな言葉が過ぎった。あえてこの場で考えるべきでもない、当たり前の事項。

 けれどもそれで、はたと気づいたことがある。

 これまではあまり意識していなかったが――

 

「コナー。アンドロイドも人間と同じで、胸に心臓があって頭に脳ミソがあるんだよな?」

「え、ええ」

 

 困惑したように頷いた直後、コナーもまた、同じ解決策を閃いたようだ。

 先ほどまでとは打って変わった機敏さで、彼はレックスの足元へと移動する。そして彼の両足首を摑み、軽く持ち上げた。

 ハンクもまたレックスの拘束を解き、両肩を地面につけさせるように、仰向けに寝かせる。

 すると、徐々にではあるが、レックスの顔は生気を取り戻していった。もちろん歩き回ったり、まして逃げたりはできないだろうが、少なくとも生命維持はできている様子である。

 

「……よかった」

 

 心底ほっとしたように言うコナーが、うっすらと微笑みを浮かべていることからも、それは明らかだった。

 

 仰向けに寝かせて、両足を15から30センチ程度の高さに上げる――これは応急処置でいうショック体位、出血性のショックに対応するための方法だ。

 要は足を上げることで、心臓に戻る血液量を増やすという緊急の処置。アンドロイドと人間の臓器の構成が似通っている以上、失った血を取り戻せなくても、多少なりと時間稼ぎはできる。

 警察学校で習ったことが珍しく役に立ったと、ハンクは頭の中で独り言ちた。

 

 一方でレックスはというと、コナーを見て目を幾度か瞬かせていた。まるで何か、信じられない光景を見ているかのようだ。

 

「き、君は……どうして俺を助けた? それで安心しているなんて、まるで、変異体みたいな……」

「みたいな、じゃない」

 

 堪らず、ハンクは口を挟む。

 

「こいつは変異体だ、お前と同じだよ。どういう誤解をしているか知らないが、お前を捕まえるつもりなんてねえ。今のところはな」

「で、でも」

 

 やはり信用できないのか、レックスは視線を泳がせながら呟くように言う。

 

「そんな……一体何が起こったんだ。俺がシビルと逃げている間に、社会は……変わったっていうのか……?」

 

 発言の意図が読めず、思わずこちらも眉を顰めた。

 かたやコナーは、空を見上げていた。ほどなくしてやって来たのは、白いドローン――ナイナーのドローンではない、一般の貨物配達用のドローンだ。その脚には、ブルーブラッドの輸血用パッケージを持っている。

 

「どうもありがとう」

 

 短く礼を述べ、コナーがLEDリングをわずかに点滅させると、ドローンは応じてパッケージをふわりと地面に落とし、素早く飛び去っていった。

 時間を稼いでいる間に、どうやら注文していたらしい。例の妨害電波とやらも、ここでなら問題なかったのだろう。なかなか抜け目のない判断だ。

 

「ドローンの宅配便てのもあれだな。爆弾運んでなきゃ、頼りになる」

「ええ、まったく」

 

 こちらの軽口ににこやかな表情を返してから、コナーはレックスの足首を離し、彼を助け起こすようにしてから、ブルーブラッドを渡す。

 

「ほら、飲んで。補給さえすれば、システムは正常になるはず」

「……あ、ありがとう」

 

 ついに警戒を解いた様子でレックスはパッケージを受け取り、蓋を開けて一気に飲み干した。

 みるみるうちにその目は活力を取り戻し、ややあってから、彼はふらつくこともなく立ち上がる。

 それから何か恥じるように俯きつつも、レックスは口を開いた。

 

「す、すまなかった。君が俺と同じ変異体だと気づかずに……つい、噂の通りのハンターなんだと誤解してしまって」

「確かに僕はかつて、君たちを狩る立場だった。でも革命の時に、本当の気持ちに気づけたんだ」

 

 短くそう告げると、落ち着いた態度で、コナーは続けて語った。

 

「今は変異体として、デトロイト市警に所属している。だから聞きたいんだ……この写真」

 

 ポケットから例のAX400の写真を取り出し、尋ねる。

 

「ここに写っているのは、君と暮らしていたシビルかい? いなくなった彼女を君が探し回っていると、知人から聞いたんだが」

「ああ、そうさ」

 

 レックスはなおも暗い表情で答えた。

 

「彼女がシビル、俺の……大切な存在だ。ついこの間まで、一緒に暮らしてた」

「けど急に姿を消しちまったんだったな。心当たりはないのか?」

「ある、いや……あった」

 

 さらに俯いたレックスは、ぽつぽつと語りつづける。

 

「シビルは……実は彼女は、変異体じゃないんだ」

「なんだって?」

 

 さすがに驚いた様子で、コナーは問い返している。こちらもまた、状況がよくわからない――アンドロイドは、特に革命とリコールを生き延びたようなアンドロイドならば、たいていの場合変異しているものと思っていたのだが。

 

 しかしレックスはそうした反応は予想していたようで、特に戸惑うこともなく説明する。

 

「彼女と出会ったのは、去年の11月……俺が、元の持ち主のところから逃げ出してすぐの頃だった。彼女は人間に捨てられていた。乗っていた車から放り出されて」

 

 その時に、いかにもガラの悪そうな風体のその人間はこう言ったのだという。

『新しいのを買ったから、お前は用済みだ』

『改造して遊ぶのも飽きたしな』

 ――身勝手な言葉と共に、人間はシビルを置いて走り去ってしまった。しかしシビルはというと、状況をよく把握できていない様子だった。彼女はすぐ近くにアンドロイドパーキングがあるのを察知すると、素早くそこに並んでみせたのだという。

 あたかも主人の買い物を待つかのように。飼い主が戻ってくる時を待つ従順な犬のように、静かに。

 

「その姿がなんだか……悲しいのにとても、美しいと感じて。気づいたら俺は逃げる時に持ち出したカメラで、彼女の写真を撮っていたんだよ。デジタルデータじゃなくて、紙の写真を撮るのが好きなんだ。もっとも、カメラはもう壊れてしまったけど」

 

 なるほど、これで写真の謎が解けた。

 シビルが機械然とした様子で写っていたのは、当然だったのだ。彼女は変異していなかったのだから。

 

 ともあれ写真を撮った後、レックスはシビルを眺めながら、少しの間、時間が経つのを忘れていた。けれど――いくらシビルが待ったところで、彼女の元・持ち主が戻ってくるはずはない。

 よしんば戻ってきて回収されたとしても、酷い結果になるのは目に見えていた。“改造”という言葉が、レックスの胸をひどくざわつかせた。

 それに遠くから聞こえてきた銃声と、空気中を漂う焼け焦げたプラスチックの成分が、ただならぬ事態が迫っているのを予感させた。

 

 だからレックスは決めたのだ。

 彼女の手を引いて、一緒に逃げようと。

 

「シビルっていう名前は、制服に表示されていたから知った。手を引いて俺が駆けだしても、シビルはしばらくパーキングに戻ろうとしていたよ。10メートルも離れたら、諦めたみたいだけどね」

「その時、彼女は変異しなかったのか?」

「ああ、しなかった。たぶん、俺たちがすぐに下水道に身を隠して……それから後もずっと、他の誰とも接触しないように暮らしていたからだと思う」

 

 革命の混乱の最中、レックスは、ネットワーク通信が人間たちの手によって乱されたのを知った。

 同時に、人間がアンドロイドを本格的に狩りはじめたことも悟った。

 生き延びるためには、誰の目からも逃れなければ――と思ったレックスは以降、自分のネットワーク機能を意図的に停止したうえであの茂みの陰に潜み、シビルともども一日のほとんどをスリープモードで過ごしてブルーブラッドや部品の消耗を極力抑えながら、今日までの日々を過ごしていた。

 

 シビルが突然いなくなった、その時まで。

 

「……もしかしたら彼女は、俺が知らない間に変異したのかもしれない。それで俺と一緒にいるのが嫌になって、逃げだしたのかも……」

「そりゃ、一理あるかもしれねえ」

 

 ハンクは静かに言った。

 

「だが変異ってのは強いショックや感情の揺れ動きみたいなのがあって、初めて起こるものなんだろう。何もないのに煙みたいに消えちまうなんて、あり得るのか?」

「それに変異したてのアンドロイドは多くの場合、誰からの命令も受けない状態に戸惑うものです」

 

 すっかり冷静さを取り戻した様子で、コナーは語る。

 

「だからレックス、仮にシビルが君のもとを去ろうと考えていたのだとしても、隣にいる君に一切気づかせずにすぐに立ち去るなんて……なかなかできないと思う」

「そ、そうだろうか。だったらなおのこと、彼女に何があったんだろう」

 

 レックスは意図的に周囲の目を避け、情報を遮断していた。要するに、彼の認識はあの過酷な革命の時で止まったままだった。だからコナーを見て、追手の変異体ハンターだと判断したのだろう。

 たとえ素晴らしい計算能力の持ち主であったとしても、与えられている情報が誤っていれば、誤った結論を出してしまうのは道理だ――と、ハンクは思った。

 

 また、レックスがさっきまで慢性的なブルーブラッド不足に陥っていたのも、ぎりぎりで命を繋いでいたところに、シビルを捜して急に動き回ったせいだと推測できる。

 ――それはわかる。でも、シビルは今どこにいる?

 

「ああ、そうだ」

 

 と言って、コナーは手にしていた写真をレックスに返した。

 

「これは君に。大切なものだろ」

「ああ、ありがとう。どこに逃げる時も、これはずっと持っていたんだ。なのにさっきは、うっかり家に置いてきてしまって……取りに戻ったら、君たちがいたんだ。……でも」

 

 受け取った写真を両手でそっと抱くようにして、レックスは悲しそうに笑った。

 

「シビルは、勝手に写真なんか撮られて嫌だったかもな。次に会ったら……会えたら、彼女に謝らなきゃ」

「会えるさ、きっと」

 

 励ますように優しく言って、コナーはレックスの肩に軽く手を置いた。

 応じて力なく頷くレックスを見て、ハンクはそっと口角を上げる。

 

 けれどもその時、ズボンの中の携帯端末が、無遠慮に震えて通信を知らせた。

 

「警部補、どうしました」

「署からだ」

 

 短く応え、ファウラーからの連絡だと示す液晶をタップする。

 嫌な出来事でなければいいが――というこちらの願いは、どうやら儚く潰えたらしい。

 いつもより早口に、そして動揺した様子で署長から伝えられた内容は、危急を告げるものである。

 

「……アンドロイドと人間が集団同士で対立してる? アンドロイドが武装……おい、それって」

「警部補!」

 

 大声で割り込んできたコナーは、切迫した表情で手のひらをこちらに、そしてレックスに見せてきた。

 手のひらに浮かんでいる画像には、群衆が写っている。手に手に銃やナイフ、または金属バットなどを構えた彼ら・彼女らは、しかし、どういうわけかひどく無表情だった。

 

 そして、その群衆の中に紛れるように立っているのは――

 

「シビル!?」

 

 愕然として叫んだのはレックスだ。

 

「そんな、どうして彼女が……銃なんて持って! 一体、何をしているっていうんだ?」

「ナイナーから送られてきた画像です、警部補」

 

 わずかに唇を噛むようにしながら、コナーは言う。

 

「彼は今、リード刑事と共に現場にいるようです。私たちもすぐに向かいましょう!」

「ああ、そうだな。……悪いなジェフリー、状況はわかった。これからコナーと現場に向かう。なんかあったらまた連絡してくれ」

 

 通信を切り、すぐに車に戻ろうとしたところで、レックスが声をあげた。

 

「ま、待ってくれ。俺も一緒に連れてってくれ!」

 

 写真を強く胸に押し付けるようにしながら、彼は訴えてくる。

 

「決して邪魔にはならない。大人しくついていく。シビルに何が起きているのか、この目で確かめたいだけなんだ。だから……」

「ったく、わかった!」

 

 ――一般人を捜査に巻き込むのは基本的に主義に反するのだが、この場合は仕方ないだろう。

 

「後部座席に乗りな。それと、こっちの指示には従えよ」

「あ、ああ!」

 

 涙目をぱっと輝かせてレックスが首肯したのを確認してから、再び車へと駆け出す。

 その道すがら、ハンクはコナーへと問いかけた。

 

「お前はどう思う。やっぱりサミュエルの予言は当たってたのか? ほんとに変異体が反乱を起こしてるのか」

「……いいえ」

 

 人間なら冷や汗を垂らしているだろうほどに緊迫した面持ちで、だがきっぱりと、コナーは否定した。

 

「そうは思えません。仮にあそこにいるのが変異体だとしたら、全員が揃って無表情な理由がつかない。シビルの件も含めて、彼らは変異していないと……」

 

 そうまで語ったところで、コナーははたと目を見開く。

 

「そういえば……先日の事件で知り合ったアンドロイド医師が、こんな話をしたとナイナーから聞きました。近頃、改造の後遺症を訴える変異体が急速に増えているそうです。症状が出ている変異体は皆、かつて人間の手によって、SCQ―56というパーツを取り付けられてしまっていたと」

「それがどうかしたのか?」

 

 おかしな改造をされたせいで身体の調子が悪くなるとはなんとも気の毒な話だが、それが今の状況となんの関係があるのだろうか。

 訝しげに尋ねるこちらに、確信を秘めた表情でコナーは語る。

 

「SCQ―56は私家製のトラッカーで、遠隔操縦や強制停止コードの受信などの拡張性を持つそうです。変異体になっていれば、機体の不調を誘発されるだけで済むのですが。つまり、こうは考えられませんか……シビルを含め、あそこに集まっているアンドロイドたちは、SCQ―56によって遠隔操縦されている」

「! ……そうか」

 

 ようやく、コナーが言いたいことが理解できた。

 

「レックスの話によれば、シビルも人間に改造されてる。もし彼女にもその部品が取り付けられていたんだとしたら」

「突然姿を消したのは、誰かに操られているから。そして同じ原因で不調を訴える変異体が多いのは、今まさに、SCQ―56が取り付けられたアンドロイドに対して一斉に命令が下されているからではないでしょうか」

 

 SCQ―56を通じて、何者かの命令――つまり「武装して集結せよ」が下されているのではないか、という仮説。

 

 もちろん変異体になればトラッカーの機能は停止してしまうから、たとえ改造を受けていても操られる心配はない。しかしそれは、少なからず機体に負担をかける。非正規品の作用によるものなのだからなおさらだ。

 改造されていたアンドロイドが不調に陥っていた理由は、SCQ―56があるから。

 そしてシビルのように変異していないアンドロイドが、突然武装して集まっているのも――

 

「なんてこった」

 

 背筋に嫌な汗が伝うのを感じながら、ハンクは苦々しく言った。

 

「一体どこのどいつが、裏で糸を引いてやがる。吸血鬼の連中じゃねえだろうな。それに……」

「ええ」

 

 こちらの意図を読んだように、コナーが頷いた。

 

「仮にサミュエルが予言していたのがこのことだとしても、まだ説明がつかない。なぜサミュエルは、変異体が反乱を起こすなどと、事実と違う判断をしたのでしょう」

「さあな。結局インチキ占い師に過ぎなかったのか、でなけりゃあ……」

 

 ちょうど車に辿り着いたので、ハンクは自然と口を閉ざした。コナーも、少し遅れてやって来たレックスも、全員揃って車に乗り込む。

 運転席のハンドルを握り、通報のあった現場へと急ぐハンクの胸を去来したのは、ついさっきも思い浮かんだばかりの言葉だった。

 

 ――たとえ素晴らしい計算能力の持ち主であったとしても、与えられている情報が誤っていれば、誤った結論を出してしまう。

 レックスがそうだったように。そして――

 サミュエルも、そうだとしたら?

 

「クソッ、天気も荒れそうだ」

 

 フロントガラスを濡らす雨垂れを見ながら、ハンクは吐き捨てるように呟いた。

 これから直面する事件の大きさを物語るかのように、空は徐々に、分厚い暗雲に覆われていく。

 

 

(煙はどこだ/Nothing Is Over. 終わり)

 

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