ある一人の青年の物語。
ある大きな物語の隅っこに。
あったかもしれない。
なかったかもしれない。
そんな儚い物語。



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これはなんて事はない物語。
大きなロマンスの片隅に、或いはあったかもしれない物語。


或いはあったかもしれない物語

生まれて初めて恋をした。

宵闇に浮かぶ繊月を見上げながらその姿を頭に浮かべる。

想像の中の朧げな輪郭が背景さえもまばらに色付けながら自分に背を向け歩き去っていく。

 

とても、とても愛しいお人。

 

 

 

 

自分は何の変哲も取り柄もない馬引きである。

有能であるわけでもないし、容姿が優れているとも言えない。

ただほかの馬引きより格別幸運であったことは間違いがないだろう。

“なよ竹の輝夜姫”様の御屋敷に仕えることができているからだ。

 

教養も学も才もない自分には月並みな表現しかできないけれども、輝夜姫様はこの世のものとは思えないほどお美しいと感じる。

深く妖艶な瞳、艶やかな黒髪に白磁の肌、整った顔立ちに鈴のような声色、そして完璧なまでの所作と性格。

そのどれもが他人を魅了して止まない。

都では早くも噂になっているらしく、屋敷は連日垣間見をする貴族達でいっぱいである。

それに輝夜姫様は少し気をやつしているようであった。

少し男達には苛つくがあまり人のことも言えない。

 

もちろん、自分も惹かれてしまっているから。

 

 

 

 

昼間と言えども暗い畜舎で馬の世話をする。

丁寧に体を綺麗にしてやり、餌を与えて掃除もしておく。

体に悪いところがないかもしっかりと確認し、機嫌が良くなるようゆっくりたてがみを撫でてやる。

すると甘えるように鳴くもので少し嬉しくなる。

 

「まったく、青毛で体格もいい厳つい奴だってのに。」

 

もう年を二つばかり数えて大人に近づいてるというのにまだまだ甘えたでしょうがない奴だ。

呆れながらも優しく撫でていてやると不意に畜舎が明るくなった。

光の入ってきた方を見やると畜舎の出入り口の扉が開いており、黒い影が浮かんでいる。

その影の形から誰か判断できた自分はすぐさま頭を垂れる。

 

“《アオ》はいる?少し遊びたいのだけれど…”

「はい、ただ今連れて参ります。」

 

数多くの男を魅了し、自分も目を奪われている輝夜姫様その人であった。

天上の楽器のように美しい声に胸が昂る。

冷静に、丁寧に言葉を返して仕事を遂行する。

 

“アオ”と呼ばれた今撫でていた馬は輝夜姫様が入ってきた途端に興奮しだしたため、それを注意深く宥めながら連れて行く。

畜舎の外に出ると日差しがアオを照らし、畜舎では見られなかった威厳のある深い青毛が姿をあらわす。

屋敷の外をアオに乗って歩き回り、気分転換をするのがここ数日の輝夜姫様の日課となっていた。

 

輝夜姫様の所までアオを連れて行き、手綱を持たせる。

輝夜姫様はアオにまたがり、優しくその背筋を撫でる。

アオは最愛のご主人様に撫でられて嬉しいのかさらに興奮を深めているようであった。

正直危険だが、輝夜姫様は自分よりもアオの扱いが上手いので傍観するほかない。

 

“いつもアオの世話ご苦労様。アオはまた後で畜舎に戻しておくわね。”

「ありがとうございます。輝夜姫様。」

 

そう言うと輝夜姫様はアオに乗って散歩に出かける。

揺れる黒髪の波間に暖かな微笑みが見えた。

その後ろ姿から目が離せなかった。

輝夜姫様が見えなくなるとため息を一つついてその場に座り込む。

緊張が一気にほぐれて感情が流れ込む。

 

「ま、そうだよなぁ。」

 

期待なんて初めからしてなかった。

だのに自分の心の中は落胆でいっぱいだった。

輝夜姫様が従者を気にかけるのはいつものことだ。

だから度々輝夜姫様は従者のところを訪れて労いの言葉をかけていく。

別にそれ自体に不満はない、それどころか胸が飛び上がるくらいに嬉しいことである。

ただ…挨拶された、ただそれだけなのだ。

 

「切ないなぁ。」

 

傾き始めたお天道様を見て呟く。

他の人たちと対応が変わらない。

ただそれだけのことで、当たり前のことなのにこんなにも切なくて苦しい。

実際今の立場などアオの下である。

自分が輝夜姫様にとって特別なんでもない相手であるのが歯がゆく辛い。

自分の身勝手な懸想から生まれる愚かな傲慢さだ。

自分など輝夜姫様には相応しくないと思いつつも、諦めつつも、どうしても好きな人の特別でありたいと思ってしまう。

 

「なんて歌えばいいんだろうな…」

 

あぁ、自分にこの葛藤を巧く表現できる詩の才があったなら。

あの方は自分をもう少し気にかけてくださるんだろうか。

あぁ、もし自分がアオだったなら。

あの方は自分に優しく微笑みかけてくれるのだろうか。

儚い妄想だけは捗ることにまた虚しさを覚えるばかりだ。

 

 

 

 

 

 

 

時期が経つにつれだんだんと求婚者の数も減ってきた。

最初は何十人といたものの今では五人だけである。

五人が五人ともやんごとなき御身分の立派な方々で自分など敵いっこない人々だ。

それに精神が強い人でもある。

幾度もの求婚になびく様子のかけらほども見せない輝夜姫様を前に未だに諦めずに続けている。

今も牛を田に連れて行く途中に、門を通る五人のお方を見る機会があったが誰も彼も諦めた様子はなく、その涼やかな整った横顔を凛とした決意に染めていた。

 

「…いいなぁ。」

 

羨望を自嘲がかき消しては綯い交ぜにした薄青色の感情が胸を包む。

自分だって…求婚できる立場があれば良かったのに。

そんなことを考えてもその数瞬後にはすぐそれも消える。

好きだったなら勇気を出せば良かったのだ。

自分は諦めた。

資格がないからと。

絶対に無理だからと。

どうせだったら後悔のないよう当たって砕ければ良かったのに。

今のこの、機会が少なくとも輝夜姫と会える“従者”という立場に満足して、失うことに怯えて、立ち止まってるのは自分じゃないか。

その時点で俺がこの羨望を持つべきではない。

あぁ…でも…それでも…

 

「すっぽんが天に至る筈がないよなぁ。」

 

月がすっぽんに同じという道理がなければ、すっぽんが天に至る道理も無し。

所詮は自分は《下賤な》恋い焦がれた男。

彼らは《高貴な》恋い焦がれた男。

この差はもはやどうしようもない。

自分が月のようなあの人のもとへ行けよう筈もない。

 

 

 

 

 

 

五人の求婚者達はそれぞれ難題を輝夜姫様から出された。

絶世の美女と結婚するための条件とはいえ重すぎると思う。

正直な話、求婚者達に密かながら同情した。

難題のそのどれもが輝夜姫様が結婚する気は無いと突きつけたと言っていいほどの難しさなのだ。

それを当てられて絶望せずにいられる求婚者達はまことにすごい人であると尊敬するばかりだ。

自分は立ち直れないと思う。

 

そんな中ある考えがふと頭に去来する。

やはり彼らのような人こそ輝夜姫様のお相手に相応しいのだろうと。

つまりは輝夜姫様の難題は突き放すためでなく“選別する”為であったのだという考えが生まれた。

そうなると自分も力を見せればあるいは…

 

「烏滸がましいにも程があるな。」

 

自分はそもそも選別の“台”にすら立てていないだろう。

自分には牛馬の毛を撫ぜて一生を終えるのがお似合いなのだ。

だからもういいだろう。

そんな自虐で諦められないことも、どうしようもないことも知っているだろうに。

 

 

 

 

 

五人の求婚者達はことごとく難題をこなせなかった。

…ちょっとほっとしたところがある。

求婚者達はみんながみんな不幸な目に遭ってしまっているので同情しないこともなかったが、気持ちとして安堵の方が大きかったのは誤魔化せない。

 

それと…もう一つ、求婚者達のうちの一人にお金を大量に使ってしまった者がいて、その子供と仲良くなったんだが…その…捻くれてしまった。

優しく、淑やかな女の子だったんだが父が変わったのは輝夜姫様のせいだと恨みを抱えてしまった。

それこそもはやそれなしではいられないほど。

これはだめだと思い、一所懸命に対策を打ったつもりだったが、自分にはどうすることもできなかったどころか悪化させてしまったかもしれない。

 

「お兄ちゃんなんて大嫌い!」

 

そう、言われてしまったからな。

大好きとちょっと前までには言われていたのだがこれにはかなり落ち込んだ。

仲良くなった兄貴分が自分の大嫌いな相手に首ったけだったのが耐えられなかったのだろう。

 

いまも、その少女が垣間見を、憎悪の目をしているのを見て自分は後悔する。

もっとよく動けた筈だ。

もっといい結果を呼べた筈だ。

あぁ、全ては後の祭り。

もうどうしようもない、全ては俺のせい。

そんな自責と無力感が心を苛む。

そこでふと求婚者の一人が言っていたこの詩を思い出し、ぽつりとこぼす。

 

「なかなかに黙もあらまし何すとか相見そめけむ遂げざらまくに」

 

あぁだめだ。

この詩を詠むのを許されるのは努力して得られなかった人だけ。

何もせず、できず、台無しにしてしまった自分が使っていいものじゃない。

俺には相応しくない。

 

でも…自分の手には何もかもが遠くて重いんだ…

 

 

 

 

 

輝夜姫様が最近、夜に一人で縁側に佇まれるようになった。

牛馬の世話で夜遅くまで起きている自分が見かけるのでたいそうな筈だ。

しかもそのときは諦めともなんともいえない微妙な表情を取るのだ。

近頃、輝夜姫様が精神を病みなされたことは屋敷中の噂でそのことは知っていたが、あれはやはりその影響なのだろうか。

それならば声をかけて慰めるべきなのでは…?

いや、それは失礼なのかもしれない…。

物憂げに月を見る姿も美しいがそれを見るとなんとも気が引けてしまう。

結局その日はそのまま家路についてしまった。

 

そんな葛藤を幾日か、今日は満月の少し前の夜だった。

風の強い夜だった。

輝夜姫様はその日も変わらず縁側で物憂げに月を見ていた。

なんとも風流で美しいその光景に目を奪われていた。

しかし、流石に危険であるので声をかけねば、と勇気を振り絞って輝夜姫様の方へ歩み寄って行く。

足取りがどんどん重くなる。

地面が少しずつぬかるんで足が埋まるようだった。

 

「良い夜でございますね、輝夜姫様。しかしお戯れとはいえ今宵はいささか不吉でございます。どうかご就寝なさいますよう…」

 

極限まで丁寧に、かつすこし話をしたいという自分の欲を交えたような言葉かけをすると輝夜姫様の顔がこちらを向く。

その目は…無関心の塊だった。

お前は何者だと言わんばかりの、冷たい目だった。

薄氷のごとき美しくも鋭い視線に身体を刺され、動けなくなる。

その無表情にはらわたを鷲掴みにされ、揺さぶりをかけられていて気持ちが悪い。

身体中から汗が出てきて、異様に身体が熱い。

動けず、言葉を発せずにいることしかできなくなり、輝夜姫様の言葉を待っているとしばらくこちらを見つめた後に、一言。

 

“そうね”

 

そうして、輝夜姫様はお部屋の中へ戻っていった。

 

 

自分は泣きながら走った。

家まで走った。

もう何もかも分からなかった。

月が照らす薄闇の中をもがき、突き抜けていると気づけばそこは我が家だった。

貧相な自分の布団に潜り込み、声を上げて慟哭しようとした。

何も出なかった。

世界はやっぱり優しくなかった。

それとも自分が愚かすぎただけだったのか。

どっちだっていい、もはやどっちだって構わない。

一番大切なのは可能性が無くなったこと。

今まで深く踏み込むことを避けて、自覚を避けていた一つの可能性が無くなったこと。

自分に、万が一でも、億が一でも、輝夜姫様に好かれる可能性。

そんなもの、最初からまやかしだったんだと。

そう理解したこと。

絶望が身体を重くし、内に巣喰い蝕む。

だがなんだろう、この気持ちは。

どこか清々しくもあるこの軽さは。

 

 

あぁそういえば…

 

 

輝夜姫様は一度も自分に声をかけてはくださらなかったな。

 

 

 

 

 

 

 




「で?結局その後はどうなったんだい?」
「その後か…確か月の人が来るってなってね、屋敷が大騒ぎでさ。しかも輝夜姫様を連れてくってもんだから“さぬきのみやつこ”様がもう屋敷中の男手集めて迎撃しようとしたよ。だけどまぁ…月人は圧巻の強さでね。俺も気がつくことなくいつの間にか死んでたよ。」

ここは彼岸。
周りに赤い彼岸花、そして目の前には三途の川と白い此岸。
俺は死んだ。
月人にやられてあっけなく死んだ。
まるで恋の終わりのようにあっけなくて突然だった。

「ふーん、なんだい、どんなものかと期待したけどありきたりな悲恋さね。まぁ、でも暇つぶしになるくらいには面白かったよ。」
「そうかい、それなら良かったよ。こちらまで送ってくれてありがとう。」

赤い髪の死神にそう言う。
赤い死神はもう背を向けてまた次の仕事へ行こうとしているらしい。
船頭として三途の川を渡らせてくれたのだ。
感謝しなければいけない。
自分は特に悪行もしていなく、ただただ世話をして生きていた淡白な人生をしてただけなので割と安全に渡れて良かった。
さぁ、閻魔様の所に行こうかな。
そう思って振り返って歩こうとすると突然赤い死神に声をかけられた。

「なぁ、あんた。あんた…お姫さんを恨んでるかい?」

なんだ、そんなことか。
ちょっと肩透かしな気がした。
もっと重い質問が来るかと思ったからだ。
だけどこれならば簡単だ。
ずっと楽だ。

「もちろんーーーーーー」

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