十二月末のある放課後、伊井野ミコはたった一人で生徒会室にいた。
ミコ「試験一週間前で生徒会は休み…。いつも騒がしいここも私一人だと殺風景ね…」
ミコ「でも誰もいないここなら思う存分リラックスして勉強ができるわね」ペラッ
ミコは勉強をするとき、いつも『ヒーリングミュージック』を聞きながらペンを走らせている。しかし彼女は先日、とある人生最大級の大失敗をして以来、このヒーリングミュージックを聴くときはプレイヤーの状態や周囲の状況を非常に気にしていた。
イヤホン「ああ…君は偉いよ」
ミコ「…」カキカキ
イヤホン「君はいつも正しい…」
ミコ「……フフッ」カキカキカキカキ
イヤホン「君の正しさはいつか誰かの助けになる」
イヤホン「君はそのままでいいんだよ」
ミコ「ムフフフフフゥ…」カキカキカキカキカキカキカキカキカキカキ
伊井野ミコは完全に追い詰められていたッ!
ミコ「ソウ…ソウヨ…ワタシハタダシイ…ワタシコソガセイギ…」カキカキカキカキカキカキ
シャーペンを動かしながらそんな独り言をこぼしていると、初冬の乾燥した空気が彼女の喉を乾かした。
イヤホン「君はかわい」ピッ
ミコ「喉乾いた…。紅茶でも淹れよ」ガタッ
ペンを置いて部屋の端に置いてあるティーセットで紅茶を淹れるミコ。
ミコ「…どうしたら四宮先輩みたいに美味しく淹れられるのかしら? 今度教えてもらおうかな」コポコポ
ポットにお湯を注いで茶葉をジャンピングさせている間にテーブルに運ぶ。そして再びソファに座ろうとした時、彼女は少し離れた別の机が気になった。
ミコ「…生徒会長の執務机」
ミコ「そして執務椅子」
ミコ「わたしも来年には純金飾緒を胸につけてきっと…」
ミコ「…」ジィ…
ミコ「……」
ミコ「いいえ、ダメよわたし。あの椅子に座るのは生徒会長になってから…。総統の軍帽をかぶった第二次世界大戦中のエースパイロットみたいなことはできないわ」
ミコ「……でも」
少しだけなら…。
ほんの少しだけなら…。
ミコ「…あ、あー。やっぱりソファの机で勉強するのは体勢的にきついわねー…」ウーンポキポキ
ミコ「背骨まで鳴っちゃったわー」
ミコ「これは一度、腰に優しい椅子に座り座って癒さないと…」ガラッ
ミコはしれっとした足取りで執務椅子の背もたれに手をつくと、それを引いた。
ミコ「…」ジー
ミコ「…」ゴクッ
ミコ「…」
ミコ「…」ポスッ
ミコ「…」
ミコ「…ふえ~」
ミコ、破顔ッ!
彼女にとってこの椅子はまさに、夢にまで見た桃源郷の極楽温泉ッ!
その顔はまさに温泉につかるニホンザルのようであったッ!
ミコ「大仏、今度の文化祭の予算案だけど…」
ミコ「…なーんちゃって」
ミコ「石上、紅茶の茶葉切れたから今すぐ買ってきなさい、ダッシュで。一秒でも遅れたら殴る」
ミコ「なーんちゃって!なーんちゃって!」キャー‼
小学生のころから児童、生徒会長に憧れていた彼女。実物を用いたイメトレは勉強を忘れさせるほどに彼女の胸を高鳴らせていたッ!
ミコ「ムフッ、ムフフッ」ルンルン
つまるところ彼女は調子に乗っていた。
調子に乗った人間は態度や行動を横柄なものにする。
彼女はやがて、机の上にある一本十万円以上はする高級ペンでペン回しをしてみたり、背もたれに体を深く預けてみたり、意味もなく机の引き出しを開けたりし始めた。
そして彼女は見つけてしまったのである。
ミコ「あら…? なにこの書類」
ミコ「生徒会㊙レポート…?」
――――――――
かぐや「わたしとしたことが忘れ物をしてしまうなんて」
かぐや「財布や生徒手帳だったらわざわざ車を引き返してもらってまで放課後に取りに来なかったんだけど…」
彼女が忘れたのは携帯電話だった。
幼いころから使っている、型落ちもいいとこのガラケーに彼女は愛着を持っていたが、それだけでは彼女はわがままを言って車をUターンさせてはいない。彼女がここまでするのは、そのガラケーの中に入っている画像データが、彼女にとってはかけがえのないものだったからだ。
かぐや「最後に携帯に触ったのは生徒会室だから、あるとしたらあそこね」カツッカツッ
かぐやは夕暮れ時の日差しの厳しい渡り廊下を歩いて生徒会室の扉の前にたどり着いた。
かぐや「鍵を開けて…って、あら? 開いているわ」
もしかして会長!? かぐやはささやかな期待にすこしだけ胸を高鳴らせた。
かぐや(って、なに期待しているのよわたし! もし中にいるのが会長で、今ここでわたしが入ったら…)
ホワンホワンホワン...
白銀『どうしたんだ四宮、今日は生徒会は休みにすると言ったはずだが…』
白銀『もしかして、俺がいるかもしれないというわずかな可能性に賭けて様子をうかがいに来たのか?』
白銀『…フッ』
白銀『…お可愛い奴め』ドッヤァアアアアアアアアアアアッ!!!!!!
…ホワンホワンホワン
かぐや(ってなるに決まってる!)カァアアア///
かぐや(い、いえ。まだ中にいるのが会長と決まったわけではないのだし、そもそも昨日鍵をかけ忘れただけなのかもしれない)
かぐや(とにかく中に入らないことにはどうしようもないわ)ガチャ
部屋の中の執務机に人影があった。
だがそれは白銀御行ではなかった。
そこにいたのは…。
かぐや「伊井野さん…?」
ミコ「四宮…先輩…」
ある男子生徒の過去の真相が書かれたレポートを手に、憤怒に体を震わせている伊井野ミコだった。
―――――――
かぐや「ひとまず、紅茶でも飲んで落ち着いて」
ミコ「…はい」
かぐや「…」
ミコ「…」
時計の音がやけに大きく聞こえた。
かぐやはソファにミコを座らせて、自分はその向かい側に腰かけた。
かぐや(…生徒会㊙レポート。まだ処分していなかったのね)
かぐや「このレポート…。中を見てしまったんですね?」
ミコ「勝手に執務椅子に座ったり、机を漁ったりしまったことは謝ります。もう二度としません」
ミコ「でも…、四宮先輩」
かぐや「…」
ミコ「このレポートに書かれていることは真実ですか?」
かぐや「…」
ミコ「石上のあの事件の裏側ではこんなことが起こっていたのですか…?」
かぐや「……ええ、そうよ」
ミコ「そんな…」グッ…
ミコは絶望的に暗い顔で俯き、下唇を噛んだ。血の出そうなほど固く握りしめられた拳をより固くした。
かぐや「…」スゥ…
かぐや「…それであなたは、それを知ってそう思うの?」
ミコ「わたし…わたしは…」
ミコ「わたしは許せませんっ! 確かにわたしは石上のことが嫌いです! あいつと比べたら下水道に巣食う蛆虫のほうがまだ可愛げがあると思ってます!
ミコ「でも!」
ミコ「でもわたしは石上以上に正しくないことが嫌い! 間違ったことが大嫌い!」
ミコ「こんな…こんな冤罪のせいであいつは大切な青春を失ったっていうんですかっ! それでもあいつはただ沈黙して、あの地獄を過ごしたっていうんですかっ!」
ミコ「そんな…そんなの…」ホロッ
かぐや「…」
ミコ「わたしは絶対に許すことなんて出来ません…」ポロポロ
かぐや「…」
かぐや「…伊井野さん。あなたは本当に優しい子。誰かのために憤り、誰かのために泣くことができる、とてもやさしい子。あなたはきっと立派な大人になれるわ」
かぐや「でもね」
かぐや「これはもう終わった話なの」
ミコ「…」
かぐや「荻野コウはまともな人生を送れなくなるような報いを受けたし、大友京子は今も別の学校で楽しくやっている。石上くんの守ろうとした笑顔のままでね。だから、これはもう終わった事件なの」
ミコ「…終わってなんかいません」
ミコ「石上は今でも傷つけられているんです」
ミコ「荻野に騙され続けている馬鹿な私たちが、あいつに石を投げ続けているんです」
かぐや「…そうね、人間って本当に…馬鹿な生き物」
ミコ「…」
ミコ「…わたし達一年生と大友京子はすべての真実を知り、石上に謝罪するべきです」
ミコ「でもそれをしたら、あいつが守ろうとしたものが崩れてしまう…」
かぐや「そうね、だからこれ以上出来ることは何もないわ」
ミコ「…それでもわたしは、石上の現状を看過できません。これを見逃してしまったら、わたしはお父さんやお母さんに顔向けできません」
かぐや「あなたがやろうとしていることは、余計なおせっかいなのよ。誰も望んでいない。当の石上くんでさえね」
ミコ「…」
ミコ「すみません。今日はもう帰ります。四宮先輩、ありがとうございました。それと、大きな声を出してしまってすみませんでした」ペコ
ミコは手早く部屋を片付けて荷物をまとめると、俯いて目元が見えないままで部屋の扉を開けた。
かぐや「伊井野さん。最後によく聞いて」
ミコ「…はい、なんですか」
かぐや「もし石上くんを傷つけるようなことをしたら。……わたしはあなたを絶対に許さない」
ミコ「……」ペコ ガチャ タッタッタッタッタッタッタ…
かぐや(…大丈夫かしら)
――――――――――
翌日 朝 石上の教室
ヒソヒソ ヒソヒソ
石上「……」
ウワッアサカライシガミミチャッタ…モーサイアク…
石上「……」
イッソマタテイガクニナレバイイノニ…
石上「……」
ハヤクシナナイカナ…
バンッ!
石上「!?」
ミコ「うるせぇえ!」
ミコ「いまグチグチとくだらないことを言っていたのは誰!?」
ミコ「…」ツカツカ
ミコ「あんた達ね」
生徒1、2「ひっ」
ミコ「あんた達いつまでもこんなことを続けて恥ずかしくないの!? あんた達のご立派な親たちに胸を張れるの?」
ウワア…メンドクサイノガキタゾ
ミコ「めんどくさくて結構! わたしが正しくて、間違っているのはあなたたちなんだから、わたしは何を言われても平気だもの」
石上「お…おい伊井野…」
ミコ「あんたは黙ってなさい石上! わたしの耳が汚れるでしょ!」
石上「えぇ…」
ミコ「でも石上以上にあんた達のやっていることは汚いわ。わたしは間違ったことを続けるあなたたちを絶対に許さない。もう終わった事件をいつまでも引きずって一人の人間を叩き続けるなら、わたしがそれを止める。誰かが石上に石を投げ続ける限り、わたしは何度も何度も何度も何度だってあなた達を糾弾する!」
伊井野の右腕には風紀委員の腕章が輝いている。
彼女の宣言は、廊下の向こうにまで響き渡り、その場じゅうが静まり返っていた。
石上「……」
ミコ「くれぐれも勘違いしないでよね、石上。わたしはあなたのことが嫌いだし、軽蔑している」
ミコ「これはわたしの戦いなの。間違っているのはあいつらだって示し続ける。わたしの戦い」
ミコ「わたしはわたしの正義を貫くのよ」