剣術狂いが剣姫の師を務めるのは間違っているだろうか   作:土ノ子

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第十五話

「あ…」

 

 

 『闇派閥』構成員が振り下ろす刃が迫る。

 呆気ないくらい無造作に振り下ろされる自身の『死』をアイズは呆然とした顔で見つめる。

 

 

(こん、な…)

 

 

 こんなところで、死ぬのか? まだ、何も為していない、力を得ることすら出来ていないというのに…?

 

 

(嫌だ! 助けて…)

 

 

 この時のアイズは冒険者ではなかった。

 ただ危難に陥り、庇護者の助けを求める幼子だった。

 

 

「助けて、()()()()()!!」

 

 

 口を吐いて叫んだその名に、まずアイズこそが最も驚いた。そして意外なことに、『闇派閥』のならず者もまた恐れを見せ、とっさに剣を引いた。世界に名を轟かす第一級冒険者の尊名が、咄嗟にならず者の腰を引けさせたのだ。

 

 

(なんで…?)

 

 

 絶好の機会だったというのに剣を引いた男に疑問が脳裏を過ぎるが、続く言葉に疑問が氷解する。

 

 

「へ、へへへ…。そうかよ、てめえが噂の『人形姫』か。こいつは良い拾い物になりそうだ。てめえを使えばロキ・ファミリアに幾らでも嫌がらせが出来るぜ」

 

 

 自分の失態がリヴェリアを、ロキ・ファミリアを危機に晒すと知ったアイズは灼熱に焼かれたかのように頭が怒り一色に染まった。

 

 アイズは既に一度、全てを失っている。故に『失うこと』をトラウマとして刻まれている少女は、二度目の喪失は絶対に嫌だった。ましてや自らがその原因となるなど許せることではない。

 

 

(なんで私は……こんなにも、弱い!)

 

 

 自身への怒りで身が焼かれそうな熱が暴れ狂い、その行き場を求めて眼前の男へと強烈な眼光を叩きつける。

 

 

「ちっ…! 命が助かるってのに可愛げのないガキだぜ」

 

 

 舌打ちとともに殊更忌々し気な呟きを漏らしたのは言葉通りの意味ではなく、アイズの鬼気迫る眼光に怯んだことを糊塗するためだった。

 

 

「精々大人しくしていやがれ。どの道てめえを逃がす気なんてないんだからな。それに……クク、これくらい上玉ならたとえロキ・ファミリア相手に利用できなくても幾らでも売り飛ばすアテは付けられる。ようやく運が向いてきたぜぇ」

 

 

 仮にも戦場で獲物の皮算用を始める男。

 その愚かさに遂に幸運の女神の愛想が尽きたのか、男にとっての終末が風を纏いやってきた。

 

 

「いや、生憎だがそんな未来は永遠に来ない」

 

 

 涼やかな声が風に乗ってその場にいた全員の耳に届く。

 

 

「あへ……?」

 

 

 ひやり、とした悪寒が男の背筋を伝う。

 なによりこの世界の誰よりも聞きたくない男の声が、恐ろしく近くから風に乗って聞こえた。

 

 

「ボクの弟子を可愛がってくれてどうもありがとう。これはほんのお礼だよ」

 

 

 穏やかな声音の一枚裏に煮えたぎったマグマを蔵した、決壊寸前の殺意が溢れ出す。その殺意に生き汚さだけは一人前の男の生存本能が盛大に刺激される。

 

 咄嗟に声がした方向を振り返る時間すら惜しんで逃亡を図るが、逃走の機はとうの昔に失われている。

 

 血風散華。

 

 鮮やかな銀光の剣閃が一つ宙を奔り、血飛沫の華が上がった。

 その一瞬後にボタリ、と生々しい音とともにならず者の握った剣が地に落ちた。その剣を握っていた手首ごと…。

 

 

「う、で…? 俺の腕があああああああぁぁッ!」

五月蠅(うるさ)い」

 

 

 絶叫を漏らしながら無くした腕を咄嗟に拾おうと屈んだ男に斬撃が無数、襲い掛かった。

 

 

「あ……」

 

 

 男が最後に見たのはクルクルと舞う視界の中地面に倒れ伏した首のないバラバラ死体。痛みすら感じない鮮やかさで首と胴体を切り離された自身の末路であった。

 

 それを知覚した数秒後、男の意識は永遠に闇の中へ消えていった。

 

 

「ぁ、ぇ…?」

 

 

 そして呆然とした顔で小さく息を漏らしたアイズ。思わず視線を向けた先には普段よりも険しい顔をしたセンリが血の滴った刀を握り、そこに立っていた。

 

 助かった。助けてくれた…。

 その揺るぎない立ち姿を見て安堵がアイズの胸を満ちようとしたが、その心の動きをある光景が無理やり堰き止める。

 

 

(死んで、る…)

 

 

 そこにあったのはたったいま惨殺されたばかりの死相を浮かべ、石畳に転がるバラバラ死体。あまりにも生々しい『死』そのものを想起させる骸にアイズは本能的な恐怖を抱く。

 

 

「ぁ、ぁぁぁッ…!」

 

 

 いずれ自分も()()()()のではという恐れ。そして眼前の惨劇を作り出した男への畏れ。二つの恐怖がアイズの中でぐちゃぐちゃに混ざり合い、制御することが出来ない。

 

 

「…アイズ? どうした、怪我を…?」

 

 

 訝し気な声音でアイズの身を案じる声をかけるが、かけられた方はそれどころではなかった。ダンジョンでは憎悪によって麻痺させていた感情が『同族』との殺し合いを経たことで制御できないまま、本能的な恐怖に従って決定的な一言を絞り出す。

 

 

「ぃや…。(イヤ)(イヤ)、……()()()()!」

 

 

 恐怖に塗れた絶叫がオラリオの一角に響く。

 

 

「―――――――」

 

 

 そして恐れを向けられた剣客は……死相と見紛う青白い顔で身動ぎも出来ず立ち尽くしていた。

 

 そのまま永遠のような数秒が過ぎ去り、センリの口から至近距離にいても聞き取れないほどに微かな声量で()()……、と悔恨に濡れた呟きが喉から漏れ出した。

 

 弟子(アイズ)(センリ)にこそ怯えているのだと悟り、劇的なショックを受けたのは明白だった。それも恐らくは過去にあった類似のソレを想起したからだろう。

 

 師匠と、弟子。

 

 いつもならば遠慮のない、直截なやり取りが飛び交っているはずの二人の距離が今は絶望的なほどに遠かった。

 

 二人はいまお互いを繋ぐモノが引き裂かれかかっているのをなんとなく感じていた。そして同じくらいそうなったことを後悔し、このまま決定的な破綻に至ることを恐れていた。

 

 故に動けない、動けば決定的な何かが訪れてしまうかもしれないから。

 

 互いが互いを窺うような視線で見つめ合い、一歩を踏み出そうとして、手を差し出そうとして委縮したように引っ込めてしまう。そんな緊迫感が入り混じった奇妙なお見合い状態が続いていた。

 

 お互いだけでは壊せない沈黙を破ったのは、新たにやってきた第三者だった。

 

 

「センリ!」

 

 

 喧噪の中でもよく通る声が響き、オラリオの高所を駆けてきたと思しき一人のエルフが降り立つ。リュー・リオン、センリと同じアストレア・ファミリア所属の女エルフだった。

 

 

「探しましたよ、センリ。此処にいましたか、状況は……。彼女は?」

「…………分からない。リュー、ボクは……()()間違ったのか?」

 

 

 リューは迷子の子供のように途方に暮れた顔でこちらを見たセンリに変事を悟る。

 

 周囲の惨状―――こと切れたバラバラ死体、怯えと罪悪感を露わにして幼女(アイズ)とすぐそばに落ちた剣、恐る恐るこちらを窺う見知らぬ母娘―――を見て取ると、なんとなくここであった経緯を察した。

 

 実は似たようなことは過去にも経験がある。リューも尽力してなんとか事態を軟着陸させた経験から、とにもかくにもセンリの意識を変えさせなければと打開の一手を打つ。

 

 

「センリ、顔を上げなさい」

 

 

 かけられた甘さの無い声に条件反射的に顔を上げたセンリの頬を鋭くパン、と張った。

 

 

「―――」

「貴方は間違えた。しかしまだなにも()()()()()()()。……そうでしょう?」

 

 

 下手な慰めをかけずにただ事実のみを突きつけた上で焚き付ける。良かれ悪しかれセンリは単純な思考の持ち主だ、切り替えが早く取りあえず動いている間は悩みを引きずらない。

 

 ならばとにもかくにもやるべきことへと意識を振り向けさせる。流石は長年のコンビというべきか、扱いの難しいセンリをリューは見事に操縦していた。

 

 

「…。ああ、君の言う通りだ。まだなにも終わっていない」

 

 

 アイズの命も、『闇派閥』が引き起こした騒乱も。良かれ、悪しかれ。

 

 

「ではそのために」

「ああ、いまは時間を惜しんで動く時だ」

 

 

 ならばイタドリ・千里に下を向いて悔恨に浸る贅沢など許されない。許されるとするならばただ決定的な()()()を阻止すること、それだけなのだから。

 

 

「此処は私に任せなさい。貴方はひとまずギルド本部へ行き、皆と合流後『闇派閥』の掃討を続けて。彼女たちは私が『黄昏の館』まで連れていきます。なに、すぐ合流します」

「リュー、あの子は…」

「今この瞬間は貴方よりも私の方があの子の気持ちが分かるでしょう…。もう一度言います、私に任せなさい」

 

 

 せめて一言告げるべきか、と躊躇うセンリに向けてバッサリと断ち切る。気持ちは分かるがこと対人能力においてセンリは剣術ほど達者ではない。というかはっきり言って人並み外れて苦手だった。

 

 今の動転しきった少女に向けて下手に何かを言わせても逆効果になる可能性が高い。

 

 

「行きなさい、センリ。今は師としてではなく、冒険者としての貴方が求められています」

 

 

 重ねて声をかけられるとセンリは迷いを振り切るように視線を上げ、最後に一言だけ告げる。

 

 

「………ボクの弟子を頼むよ、相棒」

「任せなさい。なにせ私は貴方の相棒(コンビ)です」

 

 

 センリはその言葉に少しだけ笑みを漏らすと、石畳を強く蹴りつけてギルド本部の方向へ向けて駆け始めた。最初は迷うように足取りは鈍く、しかしすぐに本来の調子に戻すとたちまち放たれた矢のようにその姿は街に消えたのだった。

 

 

「相変わらず手がかかる…。が、それも悪くないと思う私も重症ですか」

 

 

 出会った当初からは考えられないほどに絆されてしまった自分に苦笑を一つ漏らす。リューは別段世話焼きでも人付き合いが良い方でもない一方で意外と尽くしたがりな性格だった。

 

 コンビを組んだ最初の時期は次々に問題を起こすセンリに手を焼いていたものだが、付き合っていくうちにそれが悪意や不注意から来るものではないと気付いた。すると苛立ちは諦観と受容に変わり、いまでは一種の愛嬌とすら感じられるようになった。

 

 あの男はただズレているのだ、良くも悪くも。

 

 

「それに振り回される周囲はたまったものではありませんが……せめてフォローはしておくとしましょう」

 

 

 なにせ己はあの大馬鹿者の相棒なのだから。微かな自負と共に胸を張るとこちらを窺う母娘に声をかけ、同時におぼつかない足取りで立ち上がったアイズに近づく。

 

 

「センリはもう行きました。私はリュー・リオン。センリの仲間です。貴女を保護します」

「あ…。せ……先生、は…」

「センリは次の戦場へ向かいました。この騒ぎが収まれば、また話す機会もあるでしょう」

「話す…」

 

 

 怯えたような、申し訳なさそうな。

 感情を複雑にブレンドさせた表情のアイズを見る限り、けして関係修復の芽がないわけではないだろう。

 

 そう自分を励まし、ショックを受けた様子の少女に目線を合わせるように屈んで向かい合う。

 

 

「……ああ見えてセンリは情に厚い男です。貴女を怯えさせたのも決して悪意からでは無い。ただ貴女を傷つけようとした者が許せなかったのでしょう」

「…………」

 

 

 だからといって勢い余って幼子の前でバラバラ死体を生産していいわけではないが、せめてものフォローを口にする。

 

 だがやはり暗い顔で俯く幼い少女に顔を上げさせる力は無いようだった。

 

 何を言うかではなく、誰が言うかが重要な時はしばしばある。今もまさにその時であり、リューがどれほどセンリを理解していようとアイズにとってはただの他人だ。

 

 他人の一言で心を動かすなど、よほど感受性が強いか自己が薄っぺらいかだろう。そしてアイズはどちらでもなかったし、リューもまともな面識のない自分の言葉でアイズを動かせるとは思っていない。

 

 だがそれでも相棒のため、決して口が達者でないエルフは言葉を紡がずにいられなかった。

 

 

「貴方が相棒(あれ)を恐れるのは当然です。ですがせめて、あとで一言だけでも声をかけてやってはくれないでしょうか?

 あれで意外と繊細な男です。親しい者から嫌われ、避けられるようなことは特に…。貴方に嫌われたとなれば、きっととても落ち込むでしょう」

 

 

 不器用なエルフの真っ直ぐな心情の籠った言葉。

 ショックで放心状態のアイズにはその大部分が届かなかったが、それでも耳に残った言葉があった。

 

 

「嫌いじゃない」

 

 

 これだけはハッキリとアイズは否定した。

 事実として、アイズはセンリを恐ろしいと思っても嫌いになどなれなかった。

 

 

「先生のことは、嫌いじゃない。でも……」

 

 

 ただ同時に否定できない感情(モノ)もあった。

 

 

「……怖い」

 

 

 怯えと引け目の両方を感じさせるアイズへとリューは優しく視線を向ける。幼子があるがままの自分を曝け出し、向き合う。その姿のなんと眩しく、尊いことか。

 

 

「今はそれで十分です。貴方はとても誠実で、勇敢な人間(ヒューマン)だ。貴方がセンリの弟子である事実を嬉しく思う」

「止めて…。私はそんなのじゃない」

「いいえ、撤回はしません。私はそう思い、そう言った。それだけのことなのだから」

 

 

 変なエルフ、と目の前で優しく微笑む気配を醸し出すリューに率直な感想を胸に抱くアイズ。だがその謹厳で率直な物言いがアイズにリヴェリアの存在を思い起こさせ、少しだけ表情を和ませることに成功する。

 

 

「行きましょう。貴方とはいずれ言葉を交わしたくもありますが、今は時機が悪い。あの母娘ともども『黄昏の館』に向かい、保護を求めます」

「……ありがとう。ごめんなさい」

「きちんと感謝と謝罪の言葉を言えるのは素晴らしいことです。どうか貴方はそのまま真っ直ぐに成長して欲しい」

 

 

 良い娘、とくしゃりと髪を撫でる手つきは少しだけセンリに似ていた。その撫で方にいつもふわりと笑う師を思い出し、アイズは泣きそうになった。

 

 怖かった、恐ろしかった、センリの前に立つだけで足が震えた。

 心無い言葉を投げつけてしまった。

 

 でも決して()()()()をさせたかったわけではないのだ。

 

 失って、喪って……うずくまって泣き続ける自分(アイズ)のような、あんな顔を。

 

 きっとセンリもまたいつかどこかで喪失(うしな)ったのだと分かったから、その辛さをきっと同じくらい分かるから、アイズはセンリに恐怖を向けたことを後悔していた。

 

 


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