剣術狂いが剣姫の師を務めるのは間違っているだろうか   作:土ノ子

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第九話

 朝靄がけぶる路地裏の一角に風を切る音が響く。

 それも一つだけではなく途切れる間もなく連続し、時折弾けるように甲高い音も鳴り渡る。

 

 その薄暗い空間には二つの影がせわしなく動き回り、特に一際小柄な影の素早さは(ましら)の如し。

 

 

「ッ…」

 

 

 一拍、小柄な影が動作の合間に呼気を挟む。

 

 刹那、せわしなく足運びを続ける影と影が足を止め、先端が霞むほどの速度で得物(エモノ)を振るう。

 振るう長物がぶつかり合い、火薬が弾けるような音を連続して響かせた。

 

 二つの影が振るう得物は教え子の能力値(ステイタス)の成長に合わせ、より重く頑丈に作り直した超重量の竹刀。芯の部分には細い鉄棒を仕込み、十分人間を撲殺可能な代物だが二人は特に重さを苦にするでもなく使いこなしている。

 

 

「―――!」

 

 

 交差した竹刀が運動エネルギーをぶつけ合い、互いに互いを弾き飛ばそうとする。

 

 小柄な影…アイズは敢えてそのベクトルに逆らわず、むしろ軽い体重を活かすように跳躍し、勢いよく間合いから離脱した。

 コンマ一秒滞空し、着地。猫のような身ごなしで体勢を立て直して再度剣を構える。

 

 思い切りの良い動作は振るう剣技の鋭さも相まって易々と敵の追撃を許す無様は晒さないだろう。

 

 

()し、()し」

 

 

 体重(ウェイト)の差もあって悠々と打ち合った場に留まって満足気に頷く師――センリから見ても今のやりとりは及第点だった。

 

 このひと月で鋭さを増した斬撃のキレもさることながら、退くべき時は思い切りよく退く見切りの早さこそが教え子に必要な立ち回りであった。

 

 少女がほんのひと月前まで命知らずに繰り返していた、身の危険を顧みず敵の懐に飛び込んで斬撃を繰り出し続ける攻撃偏重気味な戦闘スタイル。

 

 攻勢の苛烈さはそのままに、機動力を活かして安全マージンを確保する―――機を伺って高速で間合いを()()()し、必殺の一刀を繰り出す―――一撃離脱戦法(ヒット&アウェイ)へと変化しつつあった。

 

 討伐戦果(キルスコア)を落とさず、かつアイズの安全も確保する。そんな無茶な要望に対し、師であるセンリが示した回答がコレだ。

 

 掛かり稽古の際に幾度となく格上相手に自暴自棄な攻勢は通用しないと、身体に直接叩き込んだ成果であった。

 

 自身の施した教育の成果を目にし、ふわりと満足げに笑う青年。尤も彼はいつも笑みを浮かべているので、対面の少女にもその感情の揺らぎを悟られることはなかったが。

 

 

「じゃ、続けようか」

「———」

 

 

 打ち合いを促す言葉に返されるのはただ(まなじり)を鋭くし、無言で振りかぶられる竹刀のみ。そしてそれこそセンリが好む剣士の在り方であった。

 

 間を置かず超重量の竹刀と竹刀が打ち合わされる音が鳴り響き、路地裏の静寂を引き裂く。その甲高い調べはしばらくの間、路地裏に木霊し続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……相談が、ある…。聞いて…ほしい」

 

 

 それは稽古がひと段落し、アイズがぜえぜえと乱れる息を整えている時のことだった。

 少女が青年へ相談を持ち掛けてきたのである。

 

 ちょっとした小休止、本来休息に当てるべき時間だが咎めることはしない。もちろん小休止の後の稽古内容に手心を加えるつもりもない。

 

 

「おや、なんだい?」

 

 

 珍しいな、とセンリは率直に思った。

 

 二人の間で交わされる会話はもっぱら稽古に関する事務的なものがほとんどである。

 アレをしろ、コレをしろ。ここはこう、そこはそうじゃない。

 

 そうした端的な指示が多い。

 

 勿論弟子のアイズは疑問を覚えれば質問するし、師であるセンリはそれに真摯に回答する。

 だがやはり習うより慣れろ、頭を動かすよりも身体を動かしている方が性に合っているので交わされる口数は少ない方だろう。

 

 しかし少なくとも悪い傾向ではない、と思う。

 僅かずつでも少女が己に心を開いてくれている証左であると考え、相変わらずのふわりとした笑顔で向き合う。

 

 

「―――強い剣が欲しい」

「ふむ。続けて」

「ダンジョンに行ってもすぐに折れる。だから今使っているモノよりももっと強い剣が欲しい」

 

 

 そう主張するアイズの瞳にはこの青年ならばもしかしたらという希望が宿っていた。

 その光からなんとなく彼女の境遇と心情に理解が及びつつ、窘めるように口を開く。

 

 

「それは相談する順番が違うね。ボクじゃなくて君の先生たちに言うべきだよ」

「もう言った」

「それで?」

「……ダメだって。私にはまだ早いって」

 

 

 見るからに納得していませんという顔色のアイズにまあそうだろうなあと思いつつ口には出さない。

 何と言うか、どちらの気持ちも分かる。

 

 フィン達は少女の無茶無謀に拍車をかけることを恐れたのだろうし、アイズはアイズで力の渇望とは別に子ども特有の“自分だけの特別”を欲しがっているのが丸分かりだった。

 

 いや懐かしい自分もそうであったなあと幼かった頃に思いを馳せながら、少女に語り掛ける。

 

 

「気持ちは分かるよ。自分はもっと戦いたいのに、武器が付いてきてくれないんだろう?」

「そう。全然、足りない。もっともっと殺さないと…」

 

 

 肯定的な反応が返ってきたことに目を輝かせながら、溜め込んでいた愚痴をぶちまける。

 

 

「私はまだやれるのに。もっと戦えるのに、もっと強い剣があれば…」

 

 

 しばらくの間うんうんと頷き、アイズの愚痴にひたすら反応するだけの時間が続く。

 青年自身にもなまじ似たような経験があるだけに合間に挟まれる相槌には実感が籠っていた。

 

 

「話は分かったよ」

 

 

 理解を示す師匠にキラキラと期待に目を輝かせる少女だったが、生憎とその期待は無残に裏切られる。

 

 

「その上で言うが、ボクも君が強い剣を持つことに反対だ」

「なんで!?」

 

 

 本気で激昂する7歳児。

 見た目は子どもの癇癪だが行動力は人の十倍以上だ。

 上手く気を和らげなければ鬱憤晴らしにダンジョンに突撃しかねない。

 

 

「だって君、剣の扱いが下手くそだし」

 

 

 アイズの危うげな気配を理解したうえで、噛み付くような問いかけを容赦なくバッサリと切り捨てた。

 

 

「…………」

 

 

 危うい沈黙を挟んで理不尽に反発する目をした少女をどう宥めたものか、頭を捻りつつやはり表面上は笑顔を崩さない。

 

 師というのはいつも自信満々に指図するものだ。たとえ内心がどうであれ。

 

 

「納得が出来ない、という感じだね。うん、最初に言っておくけれど魔物を殺す腕だけなら文句はないよ。年齢も考えるなら十二分だ。この意味が分かるかい?」

「……分からない」

 

 

 不貞腐れた風で、それでもなんとか返事が返され、思ったよりも悪くない反応に笑みを零す。

 反発しながらも聞く耳を持っている分この少女は幼い頃の自分よりもよっぽど素直だ。

 

 

「剣の扱いはただ振り回して戦うだけじゃない、ということさ。君の剣は最短時間で魔物を殺すことに特化し過ぎていて、剣への負担をまるで考慮していない。加えて剣を労わると言う発想が見受けられない」

「剣を……労わる?」

 

 

 何を言っているのだと言う顔の少女に思わず内心で頭を抱える。

 剣技の成長は著しい一方で剣士としての精神性を手に入れるにはまだまだ時間が必要だった。

 

 

「君、剣の手入れをしたことはあるかい」

「……ない、けど」

「だろうねえ。その扱い方じゃあ手入れをする前に剣がへし折れる」

 

 

 知った風な口を利く師匠を睨みつけると、不意にお互いの目と目が合う。

 そこにあったのは恐ろしく透明な色をしているくせにどこまでも深すぎて底を見落とせない海、そんな矛盾した光景を幻視させる目だった。

 

 普段は人畜無害を絵に描いたような笑顔を浮かべて万事鷹揚な態度をとる青年だが、こと『剣』に関わる事柄であるとどこか『神』にも似た超然とした光をその双眸に宿すことがある。

 

 その目にふと底なしの崖を覗き込んだような恐れを覚え、思わず目を逸らす。

 

 

「大事なことだ。少し時間をとろうか」

 

 

 そんな教え子を見遣ると、青年は内心で静かにハラを決めた。

 予定外であるが、向こうから踏み込んできた今が好機でもある。

 

 こちらからも一歩踏み込み、少女の心に巣食う黒炎(ほのお)に手を加えるにはいい機会だろう、と。

 どっこらせ、と立ったまま息を整えていた青年が地べたに座り込むと少女にも対面に座るように手で促した。

 

 

「最初に言っておこう。これは明確な答えのない問いかけだ」

 

 

 そう前置きした上で青年は語り始める。

 

 

「君にとって(ツルギ)とは何だい?」

「……」

 

 

 アイズは言葉に窮した。

 幼い彼女には武器は武器だろう、としか思えないがきっとそれだけでは足りないと感じ取ったからだ。

 

 

「この問いかけには色々な人がその数だけの答えを持つ。自分の半身だと言う冒険者もいるし、窮地に在っても唯一裏切らない相棒という者もいる。鍛冶師にとっては我が子も同然だし、あるいは所詮()()()だと言い切った合理主義者もいた」

 

 

 軽々に言葉を発さなかったアイズを優しい目で見たセンリは、自論をゆっくりと語り始める。

 

 

「どれも間違いではないと思う。確かに武器は己の半身であり相棒だが、普通剣は使えば欠けるし、曲がる。きちんと手入れしていても研げば痩せるし、いずれは折れる。君が武器を使い潰す勢いで消費しているのもある面では仕方がない」

 

 

 少女を擁護しつつも、寧ろ窘める風な語調であった。

 

 

「けれどね、武器と言うのは自分を映す鏡でもある。粗末に扱えば覿面にそれが返ってくるんだ。折れても替えが利く。そうした思いで振るわれる剣は一番肝心な時に使い手に反抗し、命を奪うだろう」

 

 

 一拍の間を置き。

 

 

「特に相棒の悲鳴に耳を傾けず、ただ自分の中の声にしか耳を貸さない者はね」

 

 

 ジッ…、と静かにアイズを見つめる目がまるで「心当たりがあるだろう?」と語り掛けてくるような気がして、アイズは何となく後ろめたさを覚えてしまった。

 

 目の前の青年はあるいはアイズ以上に『剣』に執着している。そんな彼から柔らかな語調とは言え、非難を向けられたからだろうか。

 

 少女の先達たるセンリは己の真意は伝わっているだろうかという不安を胸中に押し隠しながらも、ゆっくりとした調子で話を続ける。

 

 

「剣士は剣が折れることを恐れてはいけない。だからといって剣を後生大事にしまっておくのは剣士がやることじゃない」

 

 

 難しい話じゃないよ、と。

 

 

()()使()()()()()使()()()()()。折れた剣に胸を張って別れを告げられるようになったなら、もう一人前の剣士だ」

 

 

 静かに見つめる青年の瞳が、君はどうかなと問いかけているようで、顔向けできずに視線を逸らす。

 

 センリもまた語り続ける内に興が乗ったのか滑らかに舌を滑らせ、かくあれかしと自身が信じる剣士像についても言及する。

 

 

「ボクは剣士だ。そして剣士とは剣を身体の一部とし、自分の手足かそれ以上にうまく扱わなければならない。だから剣を握っている間、剣は剣士の一部だ」

 

 

 いいかい、と人差し指を立てて諭すように言葉を紡いだ。

 

 

「逆説的に言えば()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

と、迷いのなく笑顔で言い切られたアイズは意味が飲み込めず混乱した。

 

 

「? ……??」

「ふむ。まだ君には難しかったかな」

 

 

 首を傾げられ、センリは困ったように口元に手を当てて言葉を探す。

 幼気な少女に対し、躊躇なく、至極当然とばかりに極まった剣術狂い(キチガイ)の論理を説いていく。

 

 恐らくここにロキがいればこう突っ込んだろう。

 いや難しいとかそういう問題じゃなくてお前の結論がぶっ飛んでるだけやないの? と。

 

 忘れてはいけない。

 イタドリ・千里(センリ)は基本的に善良で、一流の冒険者だ。

 

 だが大体の場合において彼の頭の中に在る常識と言う名のネジは外れているのだということを。

 

 

「……話を戻そう。剣も、剣士も本質的にはそう変わらない。力任せに振り回せば剣は傷むし、その悲鳴を無視してまだ折れていないからと振り続けていればすぐに限界が来る。けれど一方で傷んだ刀身をきちんと整備すれば剣は失った切れ味を取り戻して使い手に応えてくれる。たとえ折れてしまっても刀身に火を入れて鎚で打ち直せば再び蘇るんだ。

 そしてそれは剣士(ツルギ)も同じだ。今君と言う剣ははたして然るべき手入れを受けているのかな?」

 

 

 御覧、と指さされた己の身体……手足はやせ細り、美しかった金髪は見る影もなく荒れている。

 それはダンジョンに潜っては使い潰していく剣たちの無残な残骸を思わせた。

 

 

「…………ぁ……」

 

 

 アイズは思わず折れていく剣と自分を重ね合わせ、己に降りかかる暗澹たる未来を幻視した。

 一番肝心な点は理解できたようだ、と見取ったセンリは続く語調を和らげる。

 

 

「剣士にとって“休む”ことは無為に時間を過ごすことを意味しない。言うなれば剣の刀身を研ぎあげて緩んだ拵えを締め直すために必要な準備期間なんだ。

 だから剣士(きみ)が心がけるべきは、悲鳴を上げる身体を無視して剣を振り続けることじゃない。()()()()()()()効率よく休息を取り、短い時間で自分の体調を万全にする方法を身に付けることだ」

 

 

 結論から言ってしまうとこの時青年が説いた教えはアイズの過剰すぎる鍛錬密度を緩めることに成功する。一方でその行動の根底にはあくまで『効率よく強くなるため』という楔を深く打ち込んだのもまた確かであった。

 

 ロキ・ファミリア首脳陣が少女に向ける願いとは微妙にすれ違いつつ、もたらす結果そのものは望み通りという絶妙に痒いところに手が届かない成果であった。

 

 

「君の焦りはよく分かる。けれどだからこそ焦りは禁物だ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。言うなれば幾重にも薄紙を張り重ねて城壁を建てることに等しい」

 

 

 師である青年は静かに先達として言葉を重ね、諭していく。

 そして少女も語る言葉を教訓と受け止め、無意識の内に心に刻む。

 

 

「この(セカイ)において個体としての人類種は決して強くない。それをなんとか恩恵(ファルナ)で、武器で、技術で涙ぐましく戦力増強することでようやく魔物と戦えるようになるんだ。

 だからこそ焦ってはいけない、無理をしてはいけない。強くなるためには長い時間がかかるが、命を失い培った強さが崩れるのは一瞬だ。君にとって重要なのはただ強くなることかな? それとも強くなった己がその胸に在る悲願(ネガイ)を果たすことか?」

 

 

どっちだい、と問いかけられたアイズの答えは決まっている。

アイズの全ては、その胸を焦がす悲願(ネガイ)のためにあるのだから。

 

 

「私は…私は、()()()()()―――」

 

 

 それ以上は言葉にならない。

 センリも促したりはしなかった。

 

 しばしの沈黙を挟み、センリが再び口火を切った。

 

 

「君が誰よりも強くなるために大切なことを教えよう」

 

 

 あくまで強くなるために…しかし、確かに少女のことを思って言葉を紡ぐ。

 

 

悲願(ネガイ)を捨てるな。それは君が歩むために必要な意志(チカラ)を与えてくれる。これから長い永い道のりを踏破しなければならない君に必要なものだ」

 

 

 けれど、と続ける。

 

 

悲願(ネガイ)に飲み込まれるな。()()()()悲願(それ)だけに縛られる必要はない。回り道に思えるものが巡り巡って剣の糧になることだってある」

 

 

 これは実体験だけどね、と付け加える。

 意外な言葉に思わず少女が青年を見上げると、そこには思わず見惚れるほどに優し気な笑みがあった。

 

 

悲願(それ)しかない、なんてことは絶対にない。その胸の黒炎(ほのお)が暴れそうな時は、息を吐いてから周りを見てその手の中にあるものを思い出せ」

 

 

 アイズはその言葉に促され、握りしめた手のひらを開く。その手で剣を握りしめた時間を、手を取ってくれた"誰か"のことを思い出すように。

 

 

「君は(ツルギ)であると同時に剣士(ヒト)なのだから」

 

 

 何を忘れてもそれだけは忘れるな、と青年は締めた。

 

 


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