第FⅦ特異点 片翼の天使   作:陽朧

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1-12 カルデアにて⑨

――とある男は、星の導きに従い厄災ジェノバ(侵略者)に抗い続けた。

多くの仲間と共に、守るために刀を振るった。

多くの犠牲と共に、守るための魔法を編み出した。

いつしかその男を、英雄と呼ぶものが現れた。

いつしかその男は、守るべき星を背負っていた。

いつしかその男は、侵略者に永き封印(ねむり)を与えることに成功した。

 

全ては遠い昔。遥か古代の話だ。

男は朧な記憶を辿っていく内に、とあることを思い出していた。

男は寿命で死んだのではない。

侵略者を封じる人柱として、共に眠りについたのである。

自分の魂を以て、侵略者を封じ続けたのだ。

それは決して安らかな眠りではなかった。

 

 

――とある男は、星の英雄として数多の兵士を導いた。

多くの兵士が、男の背中に続いた。

多くの人間が、男の剣に守られた。

いつしかその男を、英雄と呼ぶものが現れた。

いつしかその男は、人間を憎悪するようになった。

いつしかその男は、侵略者に蝕まれていった。

 

侵略者の一部を埋め込まれた男は、人外の力と知能を以て英雄となった。

それは確かに、恩恵であった。それ故に、男は壊れていった。

蝕まれていく中で、大いなる自我により侵略者すら取り込んだ男は、とあることに気が付く。

己に埋め込まれたものが、『それ』だけではなかったということに。

 

 

 

 

 

「……」

 

 

傾いた太陽が、世界を黄昏に染め上げる。

魔の時刻とも呼ばれるその刻に、セフィロスは会議室にいた。

 

 

「この花は、星の命(ライフストリーム)を糧に育つもの。

微量なものでも、この部屋を修復するぐらいの力は持つ」

 

 

首を垂れた白い花は、力を果たしたのだろう。

枯れ果てたその姿に、リツカは目を伏せた。

 

 

星の命(ライフストリーム)は、本来壊れた星を修復する生命エネルギーだ。

生まれ還る命が集まり作り出すエネルギーは、それほどに莫大なもの」

 

「……セフィロス、腕は……大丈夫なの?」

 

「問題ないさ。この肉体にとっては、己の血と同じ。

俺に投与しても、意味はない」

 

 

アルビノの透き通る肌に銀の髪を、夕映えが染める。

真っ直ぐな瞳を向けるリツカは、何よりもその身を案じていた。

己を庇って目の前で、あの緑の液体を打たれたのだ。

あの液体がどのようなものであるかは知らない。

しかし、害をなすものであることは、想像が付いていた。

 

心配を滲ませた言葉にセフィロスがそう返すと、リツカの傍に控える英霊が声を上げた。

 

 

「ほう、それは……君が、あの宝条という科学者。いや失敬。狂人の方が似合いかな。

狂人の偉大なる作品の一つであり、その中でも極めて完成度の高いもの、という認識で間違えはなさそうだ」

 

「……真実を解き明かしてしまう者(シャーロック・ホームズ)か」

 

「いかにも!私がシャーロック・ホームズ。

世界最高の探偵にして唯一の顧問探偵さ。

謎多き男(セフィロス)よ、私はずっと君のベールを剥したくて堪らなかった。

おかげで薬の効きもイマイチでね」

 

 

宝条が起こした一連の事件は、重大事件としてカルデアに伝わった。

それは宝条が所属する科学部門、ひいては魔術協会に対して抗議……いや、殴り込みに値する、極めて悪質なものである。マスターリツカを狙っているとあっては、英霊たちも他人事ではいられないのだ。

 

仕掛けてきたのならば、報復は当然のこと。と息を荒げた血の気の多い英霊たちを抑え、頭脳派の英霊が中心となって、セフィロスのもとを訪れた。

そのうちの一人、知らぬものがいないであろう探偵の名を名乗った英霊は、やっと出番が来たといわんばかりに、セフィロスの前に立つ。

 

白いシャツに、落ち着いた色のネクタイとベストを上品に着こなしたホームズは、好奇心と思惑を浮かべた瞳をセフィロスに向ける。

交わう瞳は、セフィロスを見ているようで見ていない。

どこか虚ろで、どこか明瞭なそれは、違う次元を見るものの目であった。

此岸と彼岸を結ぶ橋のような神秘と人知を繋ぐ瞳は、確かに心に謎を抱えるほとんどのものが屈するのも頷ける。

 

 

「……お得意の推理を聞こう。その方が早いだろう」

 

「賢明な判断だ。よろしい。私の推理をお聞かせしよう」

 

 

何処か芝居がかった動きで一礼をしてみせたホームズは、滔々と語り出す。

それは、持ち得る人の域を超えた観察力と洞察力、それに倫理的な思考を重ね合わせて、更に思考を重ね、磨き上げられたもの。

物静かさや慎重にも見える外見とは裏腹な、隠しきれない大胆であり行動的でもある、まさに探偵という概念を具体化した男は、興味深い観察対象としていたセフィロスについて述べた。

 

 

「まず、あの狂人が言った言葉からいくつかの推測が立てた。

感情に素直な人間ほど、激情に駆られたとき本音を発しやすいものだ。

常に感情的な人間ほど、粗を出しやすい。ということだね。

……逆に、感情とは縁のなさそうな君のような男は、実に厄介だ。

今だって、視線一つ動かないのだから」

 

「……」

 

「ふふ……。それでこそ、謎多き者(私が暴く価値のある者)だ。

あの男の言ったことで不可解な点がいくつかある」

 

 

宝条のあの目と異なるようで同じ目が、セフィロスを見据える。

瞬き一つ逃がさない、刃を想わせる瞳であった。

犯人を暴き出す時のように、適度な間を置きながら話すホームズは、まるであの場にいたような口振りで、宝条の言葉を再現し始めた。

 

 

――【この世界】に呼ばれるとは、クククッ。運命とは、悪戯なものよ――

――【この世】にも……星の命(ライフストリーム)を見つけてなあ――

 

「まず一つ。私はこの言葉から……君と宝条が、この世界に名の無いそして存在しない人間であったことを推察した」

 

 

英霊を英霊とするもの、英霊となる条件は信仰にある。

神話や伝説、実在などその種類は問わないが、確かな知名度と信仰心がなくては成立しないのだ。

逆に言うと、その条件さえ満たしてしまえば、物語の人物であろうが概念であろうが、現象であろうが、英霊に成り得るといえよう。

多くの英霊は、そのバックグラウンドを持つ。つまり根底に、英霊たる証拠を持つのだ。

語り継がれる神話であり、伝説であり、実在の証明に値するものである。

きっとこの探偵は、数多の歴史書を引っくり返して、セフィロスの名を探したに違いない。

 

そして、ホームズの言葉の裏には、仮にこの世界以外の世界が存在するとしても、別世界の英雄が、何故このカルデアに英霊として召喚されたのか。その疑問が隠されているのだ。

 

 

「……」

 

「相変わらず、回りくどいねえ……探偵サンよ」

 

 

椅子に座り足を組んだキャスターは、机に頬杖をついた。

固唾を呑んで二人を見ていたリツカは、大きく欠伸をしたキャスターに視線を移した。

そんなキャスターの声など聞こえないホームズは、ゆっくりとした足取りで窓際へと向かう。

 

 

「君は、英霊ではない。そうだね?」

 

 

傾ぐ陽が、整った顔に陰影を落とす。

確信を持って突き付けられたその言葉を、誰が問いかけだと思うのだろう。

 

 

「だが……人間でも、ない」

 

「英霊でもない、人間でもない。

それならば……君を、君たらしめるものは、なんだ?」

 

「……未練だ」

 

「ほう、ならば君は……亡霊とでも?」

 

 

流石、というべきだろう。

ホームズは、セフィロスが抱えるものの中で一番深い部分を的確に掴み上げてみせた。

己からは逃げられない、と敢えて言外で示すためか、それとも余程その部分に興味を持ったのか。

セフィロスは、投げられたその言葉には何も返さなかった。

 

 

「ふむ、理解した。それでは次にいこう。

宝条の目的は、カルデアのマスターの捕獲並びに、君を連れ戻すことだろう。

宝条は、魔術協会の科学部門に君臨する男だ。

そこで配属された魔術師の卵と、助手たちを実験体として、研究を行っていた」

 

「……あの男に、倫理はない。

目的のためならば、異生物同士の配合も、未知なるウィルスの注入も簡単にやってのけるさ」

 

「宝条の目的は、君のような作品の完成にあるのか?」

 

「そうであり、そうではない。

アレはコンプレックスの塊にしか過ぎない。

しかし、自尊心を満たすためならば何だってやる男だ」

 

「……欲しいのは、天才の名か」

 

「自らの理論が受け入れられ、それを糧に『宇宙(そら)に飛び立ち生命を導く』存在となること……だったか。愚かなことだ」

 

 

星を滅ぼせる力を持つこと、それは誰にも膝を折ることの出来ない圧倒的な力を以て、新たな星を確立することと同義である。

それを成すのは、厄災ジェノバでももう一つの力であるカオスでも、それ以外でも構わない。

要は『宝条が確立したもの』がこの星を滅ぼすに至れば、彼の本願成就といえよう。

 

 

「宝条は、こうも言っていた」

 

 

――この世界には【聖杯】と呼ばれる、魔法の杯がある。

これに願えば、この星を支配することなど容易いだろう――

――もちろん、ただの【聖杯】ではないさ。

この私が……直々に、分析して改良したものがあるんだ――

 

 

「……聖杯については、俺は知らない」

 

「そういうと思ったよ。

しかし、どうやら君も関わっているようだ。

この言葉を聞いただろう?」

 

 

――私はなあ、セフィロス……。

聖杯というものをつかって、お前をつくってみたのだよ――

――しかし、失敗だ……っ!!

所詮玩具に過ぎぬもの。ジェノバには到底及ばぬ。

お前ほどの、力を持つ……作品は、出来ぬのだ――

 

 

「……」

 

「それで、君はこう思っている筈だ。

あの宝条の研究所に行って、確かめてみるべきだと」

 

「……」

 

「私もそれに賛成するよ。

ほぼ間違えなく、答えはそこにある。

さて、次に相見える時こそ……明かされる時(クライマックス)だ、カルデアの亡霊よ」

 

 

その言葉が示すのは、宝条か、それともホームズ自身か。

答えは得たり。と弧を描く唇に、セフィロスは溜息を吐いた。

 

この探偵が知りたかったことは、会話として交わしたことではない。

それ以外の、何か。この複雑怪奇な英霊が、興味を持つことが他にある。

一通りの会話を終えても尚、探るような視線がセフィロスに向けられているのがその証拠であろう。

 

 

「セフィロス。……最初から、説明して欲しいんだ。

宝条博士の言っていた星の命(ライフストリーム)って、なんのことなんだい?」

 

 

ホームズが口を閉ざすと、今まで会話を聞き入っていたドクターが恐る恐る声を上げた。

セフィロスは求められるままに、星の命(ライフストリーム)や厄災ジェノバについて、一から説明をする。

 

 

「……カルデアのマスターに危害を成したんだ。

こっちも黙っていられなくてね。

セフィロス、……君の協力が必要だ」

 

 

深刻な顔をした彼らは、セフィロスからの説明に何やら深く考え込む。

やがて顔を上げると、ゆっくりと口を開いた。

そこに普段のドクターロマニの顔はない。

紛れもない、カルデア施設のトップを務めるものの顔であった。

 

 

 

***

 

 

 

主に探偵との会話は、言葉と言外の両面で行われるため、駆け引きでもしているような錯覚に陥る。

その心理的及び身体的な会話を巧みに繰り、時に誘導し、時にブラフを張る。

そうして相手の隙を誘い容赦なく突き詰める話術(テクニック)は、まさに『明らかにする者(シャーロック・ホームズ)』なのだろう。本当にえげつない英霊である。

 

一瞬も気が抜けないやり取りを満喫して満足したホームズは、何かを含んだように笑い去っていった。

セフィロスはこの会話において、彼がまさに気に入る行動(大きなミス)をしてしまったのだ。

 

そもそもセフィロスの持つ、精神力は並大抵のものではない。

精神的にも肉体的にも人外の域まで鍛え抜かれており、ジェノバさえもその心を折ることは出来なかった程である。

そんな安定した精神力が、ちょっとやそっとの揺さぶりで崩れることはないのだ。

ぼろを出すことは無いに等しい。

 

そして、ホームズをはじめとする頭脳派の英霊たちは、難攻不落を好む。

一言でいうと、難しければ難しいほど燃える性質なのである。

 

 

「……」

 

 

会議室を出た頃には、すっかり夜の帳が落とされていた。

昨日に引き続き、今宵も空の機嫌が良いらしい。

 

膨大な敷地に建つカルデアでは、あまり使われない部屋が集まるエリアは早く消灯してしまう。

その代わり、研究エリアは24時間365日ほぼ点灯のままであるが。

人工的な明かりに満たされた場所から移動するために階段を降りると、そこからは足元すら見えぬ闇が広がっていた。

 

滑らかな廊下を歩く。かつりかつり、と響くのはセフィロスのそれだけだ。

大きく繰り抜かれた窓から見える、星々は昨夜と同じくらい明るい。

人間の目には不十分であろうが、セフィロスには充分であった。

 

廊下の突き当りの、広く造られた窓辺に腰を下ろす。

そうして、壁に凭れると夜空を仰いだ。

 

久々の静寂のように思えるのは、自室にいても何処にいても英霊やらリツカやドクターやらが、絶えず傍に寄ってきたからであろうか。

誰かと肩を並べるのも、対等に言葉を交わすのも、随分久しい気がする。

そして、形はどうであれ対等に剣を振るうのも、共に戦うのも……。

 

頭に過る記憶たちは、もはや肉体のものか精神のものか、わからない。

このまま同化してしまうのだろうか?

それでも構わないと、感じているのは誰なのだろう。

 

一つ一つ浮かぶ思考に、目を閉じて、ただ耽る。

しんと静まり返った暗い廊下は、闇を具現化したようにセフィロスを包み込むようだ。

 

 

ふ、と閉じていた瞳を開く。

 

 

「めんどくせえ奴に、目ェ付けられたな。

……なあ、セフィロス」

 

「なに、探偵とはそういうものさ。

少しでも気になる謎を前にしては、暴かずにはいられない……。

なんとも無粋な男だと思うがね」

 

「ははっ。人間でも英霊でも、素直が一番ってことだろ。

てめえみたいに、複雑極まりねえ野郎にとっては天敵だろうがな」

 

「……貴様のように、本能で生きる獣のような男とは違うのだよ。

お前もそう思うだろう、セフィロス」

 

 

微かな星の光に照らし出されたのは、青と赤であった。

僅かに感じていた足音と呼吸音を察してはいたが、と顔を見ずともわかる英霊たちを見上げる。

 

 

「また、呼び出しか?」

 

「いいや。お前さんを探しに来たんだ」

 

「……この男と同じなのは不本意だが、ね」

 

 

犬猿の仲ほど、なんとやら。

心底お互いを嫌悪して見えるが、馬は合う時は合うらしい。

物好きなことだ、と吐き捨てたセフィロスに、青い方の英霊……ランサーは笑った。

 

 

「それにしても、ありゃ本気(マジ)だぜ?

少しでもコケてやりゃ良かったのによ。

まあ、お前さんがそんな器用なことするとは思えねえが」

 

「それこそ無駄だと思うがね。

小手先が通用する相手ではあるまいよ」

 

 

薄らと床に伸びた二つの影のうち、一つが快活に声を弾ませ、もう一つは呆れたように溜息を吐いた。

 

 

「先程、お前は人間でも、英霊でもないと言っていただろう?

あれはどういうことかね」

 

「……言葉の通りだ。

どうやら、俺を語るには亡霊という言葉が一番合うらしい」

 

「自分の在り様を見失った……ということか?」

 

「いいや。存在すら、しない。

忘却でも喪失でもない。元々無いもの」

 

 

ホームズとの会話の後で、セフィロスの身体検査を行った結果が報告された。

検査に時間が掛ったのは、簡潔に言うと特殊すぎる肉体であったからであるらしい。

肉体はほぼ英霊たちと同じ反応を示した。

しかし霊基や座も確認することは出来ず、その精神を測ることは不可能であった。

何よりも、セフィロスという存在の記録が何処にもないのだ。

 

 

「お前さん、アルターエゴクラスって言ったよな。

ありゃあながち嘘ではないってことかい」

 

「ああ。……言っただろう。

俺はあの宝条の、作品の一つに過ぎない」

 

「……ほかにも、お前のようなものがいる。そういうことか?」

 

「……おそらく、な」

 

 

己を語るものがない。そんなことは最初からわかっていた。

己が何者であろうが、なすべきことさえ理解していれば良いと、思っていた。

しかし、宝条という男が現れ、セフィロスだけではなくリツカも狙っているとなれば、話は変わる。

 

宝条が何をしようとしているのか。その目的を明らかにするということは、必然的にセフィロスの正体もいずれ明かされることになるのだろう。

セフィロス自身も、この世界に存在している自分がどういう存在であるのかわからない。

皮肉なことに、その解を持つ可能性があるのが、あの宝条という男なのだ。

 

長い銀を垂らし、その瞳を星に向けるセフィロスに、エミヤは眉を寄せる。

エミヤは、その存在を危うさを一番良く知っていた。

一番星のように強い瞬きを放ちつつも、流れ星のようにあっという間に消えてしまいそうな、矛盾を含んだ存在に、エミヤは悪い癖が疼くのを感じた。

 

窓際に座るセフィロスに近付くと、その腕を掴む。

驚いた様子もなく振り返ったセフィロスに、エミヤは口を開いた。

 

 

「感傷に浸るのは後だ。夕食の時間だぞ」

 

「……」

 

「その「面倒だ」という顔止めたまえ。

君の、その言葉の足りなさは今更言うまでもないが……。

これだけカルデアを賑わせているんだ。顔を出すぐらいしても良いだろう」

 

「諦めなセフィロス。コイツもしつけえ奴でな。

スイッチを入れちまった以上、否が応でも追い回されるぜ。

さ、メシ行こうぜ。食後の運動にも付き合ってやっから」

 

「食事だけで充分だ」

 

「つれねえこと言うなや。

アンタみたいなのを、この先相手するようなんだろ?」

 

「……それは、編成次第だろう」

 

 

くつくつと喉を低く鳴らすランサーの、赤い瞳がぎらりと輝く。

床に足を付けたセフィロスは、相変わらず戦いの事しか頭にないらしい英霊に、溜息を吐いた。

灰の瞳に急かされるように、仕方なく足を食堂へと向けることにする。

黒いコートに続く英霊たちは、素っ気ない態度を取っていても、決して周りを拒絶することはしない背中を見て、ふと口角を上げた。

 

 

廊下に伸びた三つの影を、空に輝く星々が静かに見つめる。

そうして連れ出されるように、セフィロスは、光の灯るエリアへと戻って行った。

 

 

 

***

 

 

 

「あ!!セフィロス!」

 

 

食堂に近付くにつれて視覚的な明るさが増していく。

それに伴い、気配と声も段々と賑やかになっていくので、更に眩しさを感じた。

食堂まであともう数歩というところで呼び止められたセフィロスは、正面から走って来たリツカに、微かに眉を顰める。

 

いくら周りが声に溢れていても、洗練された戦士の耳は誤魔化せない。

ほぼ反射的に手にしていた剣を、迷いなく突き立てた。

 

 

「……っ!!な、……なに、する「何者だ?」

 

 

人の指紋や声紋に個人差があるように、足音にもそれはある。

そして武を極めるものたちは、それぞれ独特のリズムを持つことを知っていた。

今まで出会って来た英霊たちのリズムは記憶しているので、仕草も声音も同じようで異なるリツカの(なり)をしたそれとは、顔を合わせたことがない。

 

顔を青褪めさせたそれが体を強張らせて見せるも、もう遅い。

長いリーチを誇る剣が振るわれる瞬間に、それの体がちゃんと反応を見せていたのを見逃しはしていなかった。

容赦を知らない剣先が、それの首の皮膚を軽く裂く。

 

セフィロスの揺るがない氷の瞳に観念したのか、リツカの(なり)をしたそれの瞳の色がじわりと変わった。

 

その時である。

ひゅう、という軽い口笛が耳朶を打ったと同時に、何かが剣を弾いた。

 

 

「おー、随分楽しそうなことしてんじゃねえか!!

どうだい、俺も混ぜちゃくれねえか!!」

 

 

セフィロスの剣を弾いた長物は、槍であったらしい。

遊ぶようにくるりと回された槍を、構えた英霊は高らかに声を上げる。

リツカらしきものの前に立ち、セフィロスと相対したのは、銀の簡易的な鎧を纏った男であった。

上げられた緑の髪と、ランサーとはまた違った好戦的な瞳に、嫌な予感がしたのはセフィロスだけではないだろう。

 

前の世界であっても、このカルデアであっても、セフィロスという男の存在感の強さは変わりはないらしい。

特に強きものを求めるものたちの嗅覚に引っ掛かるらしく、一癖も二癖もあるものたちが引っ切り無しに寄って来る。

 

 

「待ちなァ!!……こいつは、俺の獲物だ。

いくらアンタでも譲ってやんねえよ、アキレウス」

 

「ほう!クー・フーリンか!!

あんたまで認めるとは、上物ってことだろ?

俺はライダーの英霊(サーヴァント)、アキレウスだ。

よろしく頼むぜ……セフィロス」

 

 

溜息を吐いたセフィロスは、顕現させた剣を納めた。

横で腕を組む赤の弓兵の額には、青筋が浮かんでいる。

このまま此処にいては、とばっちりを喰らうことに間違いはなさそうだ。

そう判断すると、足早に食堂内へと足を向けようとした……が。

 

 

「マジかあ、瞬殺かよ。流石に自信なくすぜ」

 

 

ぽふんと軽い音を立ててリツカであった男の姿が変わる。

濡羽色の長髪を翻らせ、刺青の花が咲く鮮やかな体を露出した男は滲んだ血を指で拭い、にっと口角を上げた。

 

 

「まあいいや。そうでなきゃつまらねえ。

アサシン、燕青だ。アンタの『噂』はよおーく聞いているぜ」

 

「……」

 

「あー、待て待て。セフィロス、今俺を見ただろ!!

そりゃ濡れ衣だ。どうせキャスターの俺だろうよ!」

 

 

燕青と名乗りを上げた英霊に愛刀を納めたセフィロスは、原因であろう英霊の背中に視線を流す。

例えランサーでなくとも、彼の名を持つものに相場は決まっている。

そう思ったセフィロスの考えは当たっていた。

 

 

「此処にいるってことは、これから飯だろ?」

 

 

一緒に食おうぜと明朗に誘う燕青を、見据える。

人懐っこい笑みや態度を見る限り、人当たりは良いのだろう。

しかしそれに軽薄さは感じられない。

鋭牙を隠した獣のような男だ、とセフィロスは目を細めた。

 

 

「……好きにしろ」

 

「やっりぃ!なあなあ、アンタ酒もいけるクチかい?

昼間飲むとそこの赤い兄さんが煩くてね。今夜にでもどうだい?

……それとも、こっち(手合わせ)の方がお好みってんなら、付き合うぜ」

 

 

ランサーにも似た気さくさを見せる燕青の、その根本は混沌と悪であった。

基本的には本能に従って行動しているが、何をやらかしてくれるかは読めない、飄々とした性質を持っていた。

行動の原理は単純明快。しかし、いつどこで爆発するかも知れない危険な思考を併せ持つ。

ぎらりと光った瞳は、ランサーやアキレウスの持つそれと同じ色をしていた。

 

 

「このカルデアには、好戦的な英霊(このようなもの)しかいないのか」

 

「はあ、そんなわけないだろう……。

いい加減にしないか!!ランサー!!ライダー!!」

 

 

思わずセフィロスがそう呟いた言葉に、エミヤは唇を引き攣らせた。

そして鈍い金属音が聞こえ始めたと同時に、堪忍袋の緒が切れたのである。

 

顕現させた双剣を手にすると、床を爪先で弾き、素早く緑と青の間に入り込んだ。

宙に翻った赤い衣が、三原色に溶ける。

きいん、と双剣で受け止めた二つの槍がぴたりと止まった。

 

 

「……まあ、あの兄さんも大概なんだけどなあ」

 

 

けらけらと笑い声を上げた燕青は、付き合いきれないと食堂の中へと入って行った、セフィロスの後を追い駆けたのである。

 

 

 

***

 

 

 

「あ!!セフィロス!」

 

 

カルデアに勤める職員数は20名前後と少数精鋭型であるが、召喚された英霊たちは100を超える。

そのため、食堂や談話室、娯楽室などの集まるための場所は、広々とした造りになっており、様々な体格を持つ英霊たちにも対応しているのだ。

 

少し離れた所から聞こえてきた、高め少年の声が、つい先程聞いたものと同じ言葉を放つ。

そちらへと視線を移した二人の、銀と黒の長髪が揺れた。

 

 

「あれ、燕青も一緒なんだ」

 

「よ、大将。さっき廊下で、な」

 

「……随分暴れていたようだが?」

 

「げ……。なんだ、あんたもいたのかよ」

 

 

うげ、と呻いた燕青は、食堂の椅子に深く凭れ紅玉の瞳を流す、その英霊に苦く笑う。

シルクであろうか。うつくしい光沢を輝かせる衣は金を基調としており、身に着ける宝石たちも、豪奢な煌めきを惜しまない。そのような服に似合いの、重厚な貫録を醸し出す英霊は、早々にセフィロスへと瞳を向けた。

 

 

「キャスター、ギルガメッシュ。無論知っていような」

 

「……最古の王、だろう」

 

 

何処かで聞いた名前だが、その体格は真逆であり似ても似つかない。

王であるがための不遜な態度と言葉を放つギルガメッシュは、セフィロスと燕青に着席を許した。

洒落た造りをした長机は、公共のものにしては質が良いのがわかる。

会議室で会話をした時とは真逆の、柔らかな笑みを浮かべるリツカに、クーフーリンとはまた異なる色合いの瞳を持つギルガメッシュ、そしてそわそわと落ち着かなそうに体を揺らしているのは、青と黒のボディースーツを纏う、アヴィケブロンであった。

 

 

「君が……セフィロスだね。僕はキャスター、アヴィケブロンだ。」

 

「ほう、カバラの哲学者か」

 

「僕を知っているのかい」

 

「……ああ」

 

 

無貌の仮面からは表情は伺えないが、声の波長から何となく想像は出来る。

アヴィケブロンの言葉に肯定を返すと、ギルガメッシュの瞳が意味深に細められたのがわかった。

どうやら、話があるらしい。

先程のように拳で語ろうとしてこないあたり、まだ良いのかもしれないが……。

エミヤオルタやホームズのように、精神的に摩耗させようとしてくる英霊もいるので、気は抜けない。

アヴィケブロンという英霊は、態度や仕草、口調をみるに問題なさそうだ。

そうすると問題は、何かを狙うような眼をしたギルガメッシュだろう。

 

ただの夕食での会話に、此処まで考える必要はない。

しかし、いかにリツカの人格が影響しているとはいえ、歴戦の英霊たちが全員仲良しを謳っているわけではない。

必要以上の面倒事に巻き込まれないように、自衛も大事なのである。今のところあまり意味を成していないが。

 

 

「セフィロスよ。お前は、古代種であるのか?」

 

「……」

 

「ふん。言っておくが、この我が瞳(オレ)に誤魔化しは利かぬ。

そして、沈黙も許さぬ。真実のみを口にするが良い」

 

 

深い、(ルビー)に流れる特殊な魔力に、千里眼という言葉を思い出す。

確かこの(おとこ)が持つのは『平行世界を含めた未来を見渡す眼』であったか。

 

 

「初めは、この(まなこ)を以てしてもお前を見透かすことは出来なんだ。

しかし……カルデアに召喚されしその体は、どうやらこの世に定着したらしいぞ。

正直不明瞭であり、他の奴らのようにはいかぬが……。

お前の言葉が、真実かそうでないかくらいは、見抜けよう」

 

「……なあ、マスター。それって千里眼関係あんのか?」

 

「う、うーん?」

 

「聞こえておるぞ貴様ら!!

兎に角、この我に嘘は許さぬ!!さあさあセフィロスよ、語るが良い!!」

 

 

リツカの隣に座った燕青がこっそりと耳打ちするが、地獄耳である王には意味をなさなかったようだ。

腕を組んだギルガメッシュは、不機嫌そうにリツカたちを一瞥すると、セフィロスに鋭い眼光を向ける。

その眼光から逃れることは許されなさそうだ

 

何故ギルガメッシュが、古代種のことを知っているのか。

それを問うことは、セフィロスが解を述べない限り拒否されるだろう。

厳密にいうとこの肉体は、古代種ではない。

だが、此処でその話をするにはまだ早いであろう。

 

真実を述べよ。王はそう言った。

それならば、セフィロスの答えは一つである。

 

 

「星の声を聞き、約束の地へと誘う……古代種、確かに俺は、その一族だ」

 

「……ほう、やはり……」

 

「だが、何故。古代種を知っている?」

 

「古い文献があった。我も見たのは一度きりだ。

口惜しいことに、宝物庫に入れる前に戦火で焼失してな。

もはや知るものは、我ぐらいであろう」

 

「……」

 

「遥か昔のことである故に、我も忘れておったが……。

星の命(ライフストリーム)と聞いて、思い出したのだ」

 

 

古代種に関する文献が残り、尚且つ今も息吹いていたのならば、とある可能性はあっただろう。

セフィロスではなく、中の男に関する可能性ではあるが。しかし、そう物事は上手くいかないようだ。

 

 

「約束の地って、桃源郷のようなモンだろ

あんたは……行ったことがあるのかい?」

 

「……忘れたさ」

 

 

人間の住まう俗界から離れた、理想郷(シャングリア)と同じ意味でも用いられる桃源郷とは、少し意味は異なる。

しかし、至福を得るという面では同じであろう。

一言だけ返したセフィロスに、アヴィケブロンが口を開いた。

 

 

「一つ、聞かせて欲しいんだ。

セフィロト(Shefiroth)の樹を知っているかい?」

 

「……ああ。神へ至る道を示すものだろう」

 

「そうさ、生命の誕生、生力そしてや神性の流出の象徴ともされるもの。

そして……君の名を、示すもの」

 

「……」

 

「セフィロス。君は英霊として存在する理由を持たない。

だが、僕はそれは違うと思った。

何故なら、君の見せた魔力と、英霊とは言え神に名を連ねるものを跳ね除けた力は、説明出来ないんだ。

冠位がついても良いくらいの力と、その黒き片翼、そして君の名前。

まだまだ仮説であり、聞かせるほど論が立ってはいない。

でも、……君は今、召喚されて此処にいる。それだけは確かなことさ」

 

 

どの英霊たちも、セフィロスが否定しきれない論をぶつける。

それだけ彼らの目が優れているという証拠であろう。

歴史を読み、真理を見つけ、理を成してきたものたちを、少し侮っていたのかもしれない。

例え武を持たぬものであっても、その智が彼らを生かしてきた。

 

それぞれの時代からこの現代までその息吹を残すものたちは、力や知恵そして勇気を以て、生き抜いたものたちである。

 

 

「ねえ、セフィロス。

俺は……もっと、セフィロスのことを知りたいんだ」

 

「……充分に、話したと思うが?」

 

「違う。……なんていうんだろう。

セフィロス自身のこと、何も知らないから」

 

 

古代種とか、宝条の作品とか、そういう話はもう充分に聞いた。

理解しきれていない部分もあるだろう。

しかし、リツカはセフィロスの想いを一言も聞いていないのだ。

 

セフィロスは、静かに目を閉じる。

リツカの言いたいことの意味は、わかっていた。

しかし、何を語れというのか。

存在を証明するものなど何も持たないセフィロスに、その言葉は重すぎた。

 

 

「……面白い話ではないさ」

 

「ふん、思いあがるなよ……セフィロス。

審判者はこの我だ。お前ではない」

 

 

机に頬杖を付いて、見下げるようにセフィロスを睨む。

この唯我独尊を地で行く王が、そこまで興味を示すとは思ってもいなかった。

 

 

「はあ、……先程から聞いていれば、つまらん男だな。

己の人生(ものがたり)ですら紡げぬとは、愚かしい。

今までお前はその目で何を見て来た?

今までお前はその剣で何を切って来た?

今までお前はその口で何を語って来た?

……今までお前はその背中で、何を語って来た?」

 

「……あ、アンデルセン!!」

 

「なんだその「いたの!?」という顔は。

最初から居たわ!!馬鹿め!!」

 

「ふふふ……知っている、知っていますぞ!!あなたのその虚無を飾る顔を!!

星よ、明かりを消せ。(Stars, hide your fires;)俺の暗黒の野望にひかりをあてるな(Let not light see my black and deep desires.)』ですな!

それでも、あなたは逃げられぬのです!!セフィロス!何故ならば、あなたは星の民。

自ら光を放つ故に、自らの闇を隠せぬ哀れな男……」

 

 

「しぇ、シェイクスピアまで……」

 

 

はあ、と食堂に響くほどに大きなため息が落とされた。

そうして、ぎろりと大きな青い瞳がセフィロスを睨み付けた。

青を基調としたベストに、ネクタイ、ハーフパンツを着こなした英霊はかのハンス・クリスチャン・アンデルセン、その人である。外見は子どもであるが、その声は何とも貫禄があった。

目の下に浮かぶ黒い隈は、彼が今日も今日とて締め切りに追われている証といえよう。

 

その向かいの席には、中世ヨーロッパを思わせる洒落た色使いの服に身を纏った、ウィリアム・シェイクスピアが優雅な仕草で謳うように口を開いた。

己の作品をそのまま台詞に落とし込むシェイクスピアは、まるでこの場を舞台としているように、視線をセフィロスへと向ける。

 

個性豊かな英霊たちの中でも、その名が上がるであろう二人の作家は、どこか愉快そうな顔をしている。

どうやらネタ探しに訪れたらしく丁度良いタイミングだと、アンデルセンは唇を上げた。

 

 

「お前が召喚されてからというもの、何かと騒がしくてたまらん!!

作家妨害も良いところだ。いつ物申してやろうか手ぐすね引いていたが、良い機会だ!!

今まで散々邪魔されたぶん、ネタの収集をさせて(はたらいて)もらうぞ言葉足らず(愚か者)め!!!」

 

「あなたが本当に何もないもの(人間でも英霊でもないもの)であるならば、今までのあなたの行動を何と謳いましょう。

ことばは宙に舞い、思いは地に残る。(My words fly up, my thoughts remain below.)思いのこもらぬ祈りは天には届かぬ(ords without thoughts never to heaven go.)

あなたの足掻きを言葉としましょう、あなたの歩みを物語にしましょう、あなたの嘆きを詩にしましょう。

おめでとう!幸福な人よ。あなたは今、ここにカルデアの偉大なる作家たち(われわれ)の手によって、英霊となる(名を刻む)のです!!」

 

「ふん、一々喧しい演劇作家様だ。

こっちは忙しいんだ、さっさと話せ。

お前という男の価値、ひたすらにコキおろしてやろう。」

 

 

焼失した歴史的文献の語り部として、そして新たな物語のスパイスとして、彼らはセフィロスに開口を望む。

英霊となっても尚、彼らの知的好奇心は尽きることを知らないのだろう。

そして、良質なそれを嗅ぎ分ける嗅覚も、衰えることを知らないのだ。

 

 

「下らぬ話だ」

 

「バッカ!!雑踏な話の中に、宝石は眠るのだ!!」

 

 

ふと零した言葉に、アンデルセンが噛み付く。

期待に染まるリツカの瞳がきらりと輝いた。

 

 

その、瞬間のことである。

 

 

不意に頭の中で、こぽりと水の音が聞こえた気がした。

その音に聞き入るように目を閉じる。

それは融けていた意識が、揺れた音であった。

それは胎動であった。

再び、セフィロスはその目を開ける。

 

 

「……あれ?」

 

 

リツカは、唇から自然と滑り落ちた言葉も拾わずに、セフィロスを見つめる。

猫を想わせる縦に長い瞳孔が、人間のそれに戻っていた。

自分では気づいていないのか、周りの視線に構うことなく、その瞳で窓に広がる星を見上げる。

 

その眼差しが、かつてセフィロスが友と呼んだもの達に向けていたものと同じだと、知るものはいない。

 

様子の変わったセフィロスを注視していたリツカであったが、不意に視界の端に何かが映った気がして、そちらに目を移す。

 

 

「ねぇねぇ、おかあさん」

 

「ジャック……来ていたのかい」

 

「うん!」

 

 

くい、とリツカの服の裾を引いた少女の形をした英霊は、明るい笑みを浮かべる。

随分軽やかな服装をした少女は、大きな笑みをきょろりと動かすと別の所に興味を移したのか、呼び掛けたにも関わらず何も言わずに、体を動かした。

猫のように気まぐれで、子供のような言動を取るこの英霊は、哀しい子供たちの集合体でもあった。

 

 

「ねえ、……おにいちゃんも、おかあさんの英霊(サーヴァント)なの?」

 

「……」

 

 

おかあさん、その言葉に記憶の中の何かが揺れる理由は、わかっている。

それでも思うように口が動かないのは、かつてこのセフィロスという存在を唯一動かしたものに、まだ囚われているからなのだろうか。

洞察力に優れた英霊たちは、その変化を察していた。

そして、口は閉ざしたまま観察ともいえる眼差しを向ける。

 

何も言わないセフィロスに、痺れを切らしたのは幼き英霊であった。

小さな手でセフィロスに触れると、あろうことかその膝の上によじ登り始めたのだ。

そうして、顔を覗き込むように見上げると、ふわりと笑う。

 

突然の行動に目を見開いたリツカは、咎めることも拒絶する様子も見せないセフィロスに、キャスターの言葉が頭を過った。確かにセフィロスという男は『とんでもなく不器用』なようだ。

おそらく、表情の表し方も知らないほどに。そう思ったのはリツカの直感であったが、間違えでもない気がした。

 

 

「おおっと、これはこれは随分モテモテじゃないか!!

ふうん、そうしていると兄妹にも見えるね、君たち!」

 

「きょう、だい?…きょうだい、知らない、わたしたち……。

でも、……おにいちゃん、」

 

「……」

 

 

かつかつと、床をヒールで叩く音が近づいてくるのがわかった。

しかし膝の上の英霊の所為で身動きが取れない。

彼女が放った言葉は、揃いの銀の髪が仲睦まじく引っ付いているのを見てのことであったが、あくまで第三者視点である。セフィロスからすれば半強制的なことでしかない、といっても拒否を見せなかった分もあるが。

ぎゅ、と小さな手が強く握った黒いコートに、セフィロスは溜息を吐いた。

 

 

万能の人(ダ・ヴィンチ)か、よくもまあ次から次へと」

 

 

くつくつと喉を鳴らしたギルガメッシュに、ダヴィンチはぱちりと片目を瞑ってみせた。

そうして、手にしていた一枚の紙を食堂の机の上に置く。

 

 

「宝条博士の、置き土産さ。

セフィロス……この、意味を知っているかい?」

 

 

宝条という言葉に反射的に目を細めたセフィロスを、ジャックが心配げに見上げる。

紙を手に取ったギルガメッシュが速読をすると、セフィロスに目をやった。

 

 

「これは、詩のようだな」

 

「ほうほう!!詩ですか、それは興味深い!!」

 

 

ギルガメッシュの言葉に目を輝かせたのは、劇作家(シェイクスピア)である。

相変わらず興味のあることには、秘めた行動力を発揮するようだ。とリツカは苦笑いを零す。

シェイクスピアは、紙を手にすると早速目を通す。

そして、常に浮かべられた飄々とした笑みを消した。

 

 

「これは決して、吾輩のように優れた文筆家の作品(もの)ではない。

これは決して、吾輩の作品のように緻密で繊細な悲劇でもなければ、万雷の喝采を受けるものではない。

光るもの必ずしも金にあらず(All that glisters is not gold.)』……しかし、これは神秘であろう!!」

 

「おいおい、独り占めはねえだろ?

そうだ、折角だしアンタが読んでくれよ」

 

 

机に頬杖を付いた燕青は、じとりとした目をシェイクスピアに向けた。

一瞬不満げに顔を歪めたシェイクスピアは、暫く考える素振りを見せた後に、一つ頷いた。

 

 

「……ふむ、よろしい。

我が作品以外を読むことはしない……が、これは特別です。

良いですか?聞き逃すことは許しませんよ!!

 

 

 

『獣たちの戦いが世に終わりをもたらす時

 

冥き空より、女神が舞い降りる

 

光と闇の翼を広げ至福へと導く『贈り物』と共に』」

 

 

 

 

それは、なんとも飾りのない言葉であった。

淡々とした短い言葉であったが、それは、何かを感じさせる響きを持っていた。

読み手があのシェイクスピアであることも影響しているのだろう。

言葉の一つ一つに乗せられたアクセントが、込められた神秘性をより際立たせる。

誰もが聞き入るであろう、うつくしい朗読であった。

 

 

「序章、か」

 

 

魅力的に彩られた言葉たちに、セフィロスは溜息を零す。

どうやらその詩は、自分への呪いでもあるらしい。

まさか、此処でも耳にするとは、と目を細めたセフィロスに、ダヴィンチが歓喜の声を上げた。

 

 

「やっぱり、知っているんだね。

このダヴィンチちゃんの勘に間違いはなかった、ってことかな」

 

「……毎日聞かされれば、嫌でも憶える」

 

「え、毎日?」

 

「……そうだな、……その、話から始めよう」

 

 

耳朶を打つ低音は、いつもよりも穏やかな響きを持っていた。

それに目を瞬かせたダヴィンチは、セフィロスを囲う英霊たちに目を移して、なるほどと呟く。

漸く重い口を開く気になったか、ギルガメッシュとアンデルセンが鼻を鳴らしたその時である。

 

ぬと伸びてきた重々しい影が、長机に掛かった。

 

 

「……君たち。いつまで話し込んでいるつもりかね?」

 

「無粋極まりないな、贋作者(フェイカー)

今我は忙しいのだ」

 

「はあ、どうせ長い話になるのだろう?

それならば食事をさっさと済ませてからにしてくれたまえ」

 

「あー、忘れてたぜ。そういや飯食いに来たんだよな」

 

 

腕を組んだ赤い弓兵が仁王立ちをして、セフィロスたちを見下げる。

けらけらと笑う燕青を一睨みしたエミヤは、盛大な溜息を吐いた。

 

 

「片付けが終わったら、食堂を開放しよう。

……それで良いだろう?」

 

 

実は、さり気なく近くの席を陣取り耳を傾けていた英霊たちがいた。

食堂にいる全員に聞こえるように告げられた言葉に、仕方ないと言わんばかりに皆が立ち上がる。

 

セフィロスの話に集中していたリツカは、改めて驚きを示す。

薄々勘づいていたが、リツカとはまた別の意味で、セフィロスには英霊を引き寄せる何かがあるらしい。

 

何故か王自らが休憩だと音頭を取る姿に、やっと夕食の時間となりそうだとエミヤはキッチンへと戻る。

 

 

「くくっ、自分が聞きたいからとはいえ……良く言うぜ」

 

 

いつの間にか後ろにいた青い衣の英霊は、低く喉を震わせた。

エミヤの真意を手に取るように察したようである。

仲が良いんだな、と呟けば、殺気を押し出した目でセフィロスを睨み上げた。

 

 

「気色悪いこというなや。あいつの顔にはもう、うんざりしてるんだぜ」

 

「……俺は、お前の顔にうんざりしているが」

 

「つれないねえ。だが残念だ。

まだお前さんには用がある」

 

「……」

 

「そんな顔すんなよ。

……なあ、セフィロス」

 

「……なんだ」

 

「中々、悪かねえだろ?……このカルデアも」

 

 

に、と快活に笑ったキャスターは、セフィロスを見上げる。

先ほどとは違い、猫のように長い瞳孔は何も感情を映さない。

しかし、それでもセフィロスという男の中で、何かが変わりつつあるのを、キャスターは察していた。

 

 

「騒がしくて、落ち着かんな」

 

 

確かに、研究所の機械音だけが、唯一の音であったあの時とは真逆であった。とは思う。

そして、異質で異端な力を浮き彫りにさせ、持て余していたあの時とは……。

仲間は多く在った、しかしその大半がセフィロスを敬遠した。

友と呼べる存在は在った、しかしそれも脆く崩れ去った。

 

確かに、カルデアでは全てが覆った気が……していた。

 

 

「王様」

 

「なんだ、リツカ」

 

「約束の場所って、どこにあるのかな?」

 

「知らん。……それを知るのは、古代種だけだ。

あやつらにしか、わからぬ事だ」

 

「……どうやったら、わかるんだろう」

 

「文献には、旅の果てに感じるとしか書かれていない。

憶測に過ぎんが、辿り着けば自ずとわかるのだろう」

 

「なら、さ。……俺、思うんだ」

 

「なんだ?申してみよ」

 

「このカルデアがーーーーーー」

 

 

 

何処からか現れたのかキャスターが、セフィロスに何かしらを話しているのを遠目に見ながら、リツカはギルガメッシュに話しかける。返される言葉も、態度も高圧的ではあるが、それは悪気のあるものではないので、リツカはもうすっかり慣れてしまっていた。

 

そして、リツカの言葉にギルガメッシュは声高らかに笑った。

 

 

「ふはははははっ!!それは、……それは面白い!!

はははっははは……っ!!なんと、凡庸で粗雑な言葉だ!!

だが、良いぞ!!その物語(チープさ)も悪くはない…っ!!

あー笑った、久しぶりに我は、笑ったぞ……!!」

 

 

遠くからエミヤの怒鳴り声が聞こえた来た気がするが、ギルガメッシュは機嫌良く笑い続ける。

そして、訝しげに視線を向けてくる英霊たちを気にすることなく、にやりと口角を上げた。

 

 

 

 

約束の地(カルデア)……か。悪くない響きだ」

 

 

 

 

突如食堂に響いたギルガメッシュの笑い声に、キャスターとセフィロスもそちらへと視線を移していた。

悪い顔してんなあ、と呆れたように零したキャスターは、再びセフィロスへと視線を戻す。

 

 

「なあ、あの伊達男(シェイクスピア)が読んだ詩をお前さん、知っているんだろう?」

 

「……まあ、な」

 

「なんて言うタイトルなんだ?」

 

「LOVELESS……。破滅の物語(うた)だ」

 

 

静かにそう告げたセフィロスは、空を見上げる。

硝子越しにも充分に伝わるその瞬きが、何かを訴えるように煌いた。

 

 

 

 

 

落ち着きのない光が示すのは、動乱の幕開け。

 

……そして、変化の兆しでもあったのだ。

 

 

 

 

 

***

シェイクスピアのセリフは、上から順に

マクベス、ハムレット、ヴェニスの商人から引用しております。


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