1-1 荒野にて①
遥か古の時代。
人間とは異なる種族である、古代種と呼ばれる民がいた。
彼らは星と会話をすることでその意志や願いを感じ取り、星を遥か昔から守護してきた存在として語り継がれてきた。
そして、彼らは約束の地を探すことが出来る能力を持っていた。
辿り着いたもの全てに至上の幸福が与えられるという、祝福された地。
彼らは皆その地を探し続けた。
その旅路は生半可なものではなかった。
今と違い、ヒトではなく自然や獣に支配されていた時代である。
満足に体を休める場所もなく、傷を癒す術もない。
傷や病で歩けなくなったものたちは、仕方なく旅を諦め集落を作り上げた。
すると旅の途中で家族を失うなどして、旅の目的を見失ったものたちが、その集落に集まるようになったのだ。
こうして、辛い旅をやめたものたちが一つの場所に定住していくようになる。
これが今の人間の先祖というわけである。
そうして段々と星に人間たちの住処が生まれていく中、突如それは飛来した。
今から幾千年か前の、北の大地からそれは始まったのだ。
――厄災ジェノバ。
未知なる侵略者は後にそう名付けられた。
ジェノバの持つウイルスは相手の自我を奪い自らの駒とする、凶悪で最悪のものだ。
瞬く間にそのウィルスは古代種を蝕み感染させた。
これにより多くの古代種は、モンスターと化したのである。
もちろん古代種も、ジェノバを倒そうと立ち上がった。
だが何とも皮肉なことに、古代種の敵として立ち塞がったのはジェノバに操られた同胞であったのだ。
残酷で厳しい戦いが続いた。古代種のほとんどがその時に命を落としたといわれる程に。
それでも彼らは決死の力を振り絞り戦い、なんとか地中深くに封印することに成功する。
それから時が経ち、古代種に代わって人間が星の大半を占めるようになった頃のこと。
時は人々から記憶を奪い、古代種は過去の存在となっていた。
そんな中とある研究者は地中深くに埋められたジェノバを発掘し蘇生を試みる。
実はこの研究者たちは、ジェノバを古代種と間違えていたのだ。
この間違いがやがて大いなる悲劇を生むことは、誰も知らなかった。
こうして、人間の手により完全復活を遂げた厄災は『とある青年』を巻き込み完全悪として世を恐怖に陥れた。
その青年は、ジェノバ細胞を移植された『人間』に過ぎなかった。
しかし、ジェノバの恩恵というべきか呪いというべきか。
その体は普通の人間より身体的に強化されていた。
これにより、生まれた時から人間を超越した力を持つことになる。
異常とも呼べるその強大な力は、青年を英雄へと仕立て上げた。
だが青年は、常に己の持つ力に疑問を持ち続けていた。
そして、とある切っ掛けにより青年は己の出生に関係するような資料を探り当ててしまう。――その資料の根底に、とある研究者の過ちがあることなど知らずに。
青年もまた、ジェノバと古代種を混同し、自分は古代種の末裔であると思い込んでしまう。その結果『旅をやめたもの達』……即ち人間たちを裏切りものとして、報復を開始してしまったのだ。
―――青年は、英雄であった。
移植された細胞の影響により生まれながらに驚異的な身体能力を示し、幼少期から戦場へと赴いて様々な武勲を立てた。
しかし、彼が英雄と呼ばれた理由は、その圧倒的な強さだけではない。
友や味方を重んじ、不器用ながらも後輩を育て導く、まさに優れた人格者であったのだ。
青年はいつしか皆の憧れの存在となっていった。
しかしそんな英霊は、ある日突然豹変し堕ちていった。
そして破壊を尽くした果てに、一人の青年の手によって倒された。
たった一言『思い出にはならない』という言葉を残して。
***
荒廃した大地に吹き荒れる風によって
人形のように血を感じさせない白の肌が、分厚い雲から微かに漏れる光によって浮き立っていた。離れた距離でもわかるその存在感に圧倒され、足が竦むのを遠くに感じた。
気が付けば身体の動きは奪い去られ、辛うじて動く目でそれを見る。
背中から伸びるは片翼の、黒い翼。
色を失った世界に映える漆黒は、禍々しくも悲しかった。
「……なんだ、……あれは」
異様な光景であった。切り立った崖に佇むそれは身動き一つせずただそこに在るのみ。
眼下には雄大に広がる荒れ果てた大地。ただ、それだけだ。
「まさか、あいつも
「いや、そんなモンじゃねえ……。撤退だ、マスター。あいつは……やべえ」
人類最後のマスターであったリツカは、歴戦の英霊が額から汗を滲ませ引き攣った声で、撤退を進言したことに驚きを隠せなかった。
人理修復さえも成し遂げた彼の傍には、その大いなる功績に相応しい力を持つ英霊たちが控えている。それにも関わらず、彼らはあの最終決戦を想わせる表情を浮かべて、そう言ったのだ。
リツカがこの地に辿り着いたのは、つい先ほどのことだ。
いつも通り任務を受けてレイシフトを行い、そして次々と湧き出る黒い英霊を退け、目的地として示されているこの場所へ行き着いた。そこまでは、何も問題はなかった。
しかしリツカたちの前に現れた片翼の男により、それは突如覆る。
一目でわかるその強さに、戦いを知るものたちの表情を一変させたのだ。
「間合いに入ったら、即やられちまう。
俺が引き付けっからその隙に行け」
常に自分を導いて来たその杖が、そう言うのだ。
『相当なもの』だろうことは良くわかる。
だが完全にそれにあてられてしまったリツカの足は、簡単には動いてはくれない。
「……」
常に自信に溢れ、どのような場でもその余裕を崩したことがない王が隙を窺っている。
乱れた呼吸に焦るようなその貌を見るのは、初めてであった。
「……っ、マスター……。こっちだ」
赤い外套の弓兵が、リツカを背後へと隠す。
彼もまたそれから一度も目を離すことはなかった。
彼らは皆、わかっていたのだ。
一度でも、隙を見せればそれは襲い来るであろうと。
高まる緊迫感に、喉が鳴る。
息をすることすら、苦しくて堪らない。
直ぐにでも逃げ出したい、けれど背中を向けることが出来ない。
武器を構える英霊たちに、それは酷く緩慢な動作で視線だけを投げた。
「……っ!!!!」
氷をそのまま埋め込んだような、青い瞳。
その目で見るもの全てを否定するような、冷たさを宿したガラス玉が射貫く。
纏う黒いコートがそれの動きに合わせて揺れ動いた。
「
温度を一切感じさせない声が死の大地に重く響いていく。
「貴様は、……なんだ?」
「……」
ぐと唇を噛んだ金髪の王が、静かに問う。
怯んでいたとしても、怖気づいてはいない。
流石は英雄王という所だろうか。
それは、静かに目を伏せて唇を動かした。
「……お前たちが、忘れたもの」
「わすれた……?」
「……さっさと去れ。此処にいても、意味はない」
その言葉は絶対の拒絶であった。
興味を失ったかのようにリツカたちから視線を逸らすと、それは灰色の空を静かに見上げた。淀んだ空を見上げるその姿に、リツカは何故か虚しさを憶えたのだ。
リツカはその横顔を見つめる。
他の英霊たちに勝るとも劣らないうつくしい男であった。
しかしまるで中身を亡くしたような虚しさを、そして寂しさを、リツカは感じたのである。多くの英霊と時を共にしてきた彼は、その顔に浮かぶ色の意味がなんとなくわかった気がしたのだ。
「っ、お……おい!マスター、待てっ!!」
リツカは一度目を閉じると、何かを覚悟したかのようにその足を動かした。
先程まで一歩も動きもしなかった、その足は軽く、重く、しっかりと動いた。
「……止めておけ、マスター。あれは英霊なんてモンじゃねえ」
「わかっている、でも……放って、おけないんだ」
身を案じて止めて来る己の英霊たちには、悪いとは思っていた。
だがリツカという少年の本質はとても固い。一度決めてしまうと成し遂げるまで進む性質なのである。それを良く理解している英霊たちはそれでも尚、今回ばかりは不味いと止めに掛かる。
「大丈夫だって、……そんな、気がするから」
ぎこちなく笑ってみせるマスターに溜息を吐いた金の王は、そこに立つ片翼の男に視線を向ける。かの王であっても、男を『見ることは』できなかった。
ぼんやりと霞掛かったようにしか、『見えなかった』のである。
男は近づいて来た少年、リツカを見下げる。
怯えや恐れを含んでいるがその青空のような瞳は、ただ真っ直ぐに……男を見上げていた。その瞳に『何か』が重なったような気がして、男はその表情を微かに変える。
「お、……俺たちは、此処を、修復しに来たんです」
「……修復、だと」
何とか絞り出したリツカの声は上擦っていながらも、男の耳に入ったらしい。
どうやら話は通じるようだと安堵の息を吐いた英霊たちは、正直生きた心地がしなかった。
真っ直ぐで素直なマスターは、どうもまだ危機感や警戒心が足りないらしい。
そう溜息を零した赤い男は、その手に持っていた弓を消した。
そして彼らは語り始める。
自分たちの旅路をそして、今この場所にいる意味を。
静かにただ耳を傾けていた男は、ふと息を吐き出す。
「その必要はないだろう。
……この地は、もうとっくに壊れている」
「壊れている、だと?……そりゃ、どういうことだ」
「とあるウィルスの蔓延によって、閉鎖された地。
言わば死んだ土地だ。修復が可能なものは……ありはしない」
淡々と吐き捨てられたのは、要点だけを切り取られた言葉であった。
リツカは改めて周囲を見渡す。
今まで巡って来た特異点とは異なり、人の影もなければ、国も、何もない、ただの荒れ果てた地であった。
この場所がもし特異点でなければ、何故レイシフト先として選ばれてしまったのか。
彼が首を傾げるも、この時カルデアとの通信は完全に切断されてしまっていた。
どうやら、その答えを聞くのはまだ先のようである。
ふ、と突然何かの気配を感じた。同時にリツカの顔が強張る。
すると不意に墨をぶちまけたような闇が足元に広がったかと思うと、黒く染まった英霊たちのなれ果てが次々と蠢きながら現れた。
あっという間にそれらに周りを完全に囲まれてしまい、再び武器を構えた英霊たちはリツカに指示を求めるように声をあげた。――その時だ。
一閃。
鋭い光が横に払われたかと思うと、一瞬でそれらは姿を消していた。
「……っな、……まじ、かよ」
灰色の世界に瞬いた、白刃の光り。
それは目を疑うほどに長い刀であった。
ただでさえ背の高い男の身の丈以上あるだろう長さのそれ。
それを片手で軽やかに繰ると、瞬く間に敵は塵と化す。
この場所に出現する敵たちは中々の強敵で、リツカたちは散々苦戦を強いられていた。
だがこの男は、一瞬でそれらを薙ぎ払い消したのだ。
英霊のクラス関係を構うことなく、全てその一撃で。
「つよ、い……」
「……キリがないな」
リツカが思わずそう感嘆するも、男はただその冷たい瞳で湧き上がる闇を射貫くだけであった。男は何かを考えるような素振りを見せると、空に視線を向ける。
「……お前たちの、目的地はあの場所だろう」
「え……?」
「この世界を歪めた原因があるとすれば、厄災しか考えられん」
「やく、……さい?」
「ああ。……あの場所にいるのは、」
やはりこの男は何かを知っている、と金の王の紅玉が鈍く光った。
そして歯切れの悪くなった言葉に狙いを定めた王は、更に問い詰めようとしたが……。
ぴぴっという軽い機械音が突然声を上げたため遮られてしまった。
リツカが身に着けている通信装置が、音を立てて起動し始めたのだ。
『リツカ君!!……良かった、大丈夫かい?
どうやら、レイシフト先が自動的に切り替わってしまっているようだ……。
一度戻ってきてくれ!!』
「ど、ドクター?……切り替わったって」
「そこは本来レイシフトを行う予定だった所ではなかった、ということさ!
君が無事で、良かったよ……ほんと」
モニターに映ったピンク色の髪の男は、リツカの顔を見ると安堵の笑みを浮かべた。
怒涛の勢いで喋り始めた男に、いつもならば心底ほっとするだろう。
そして、直ぐにでも帰還を宣言するであろう。
しかしリツカは、言葉を飲み込んでしまった。
傍にいる一人の男の存在が、どうも引っ掛かってしまい放っておけなかったのである。
そんなリツカの心を察したように、その男は青い髪の英霊に一瞥をくれた。
さっさと連れて行け、ということであろうか。それを察した英霊は軽い舌打ちを一つ打った。
「全く、ちったあそのド天然を何とかしな!!知恵の王サマよ。
ほれ、マスター……。長居は無用だ。さっさと帰んぞ」
「え……、あ、でも……」
「?、どうしたんだい、リツカ君。
何かそこにあったのかい?」
「そ、そうだ……ドクター、此処で…って、え?」
男のことを説明しようと、リツカが横を向くがそこに男の姿はもうなかった。
慌てて周囲を見回してもその影すら見当たらない。
動揺するリツカであったが、周りの英霊たちが首を横に振り帰還を宣言すると、仕方なく頷いたのであった。
何やらやり取りをした後にもう一度だけ周囲を見回して、名残惜しげに英霊に引っ張られていったリツカを、男は遠く離れた岩場から見ていた。
「……参った、な」
ふう、とため息を零した男は、片手でその髪を掻き上げて顔を歪める。
実はこの男、中身と外身が全くの別人であったのだ。
どういう意味かを説明すると少々長くなるだろう。
この中身は、ずっと前に死んだ『古来種』であった。
彼は厄災を封じた張本人であり、
だが男自身の記憶は、霧が掛かったように曖昧であった。
明瞭に思い出せる記憶といえば、これが『三度目の生』であることだろうか。
一度目は、古代種の一人として生まれ、英雄として死んでいった。
二度目は、なんとその後転生を迎え、この体の持ち主が『とあるゲーム』の悪役として、絶大な人気を誇る世界に生まれたのである。その世界で生を謳歌した魂は、やがて『とあるゲーム』にも出会った。
先程のリツカと呼ばれた少年のように、マスターという令呪を宿した人間が、英霊と共に聖杯を掛けて戦う物語であった。
そして三度目は、それらを全てやり尽くすのを待っていたかのように、ゲームをクリアした男は次に目覚めたらこの世界にいたのである。
なんとも夢のような話だが、気が付いたらこの場にいて、銀髪の美丈夫の姿になっていた。ということだ。
もちろん男は大いに動揺した。
この身体は死んでいると定義されていたが、それでも尚伝説に刻まれるほどの価値がある。故に、驚異を超越した身体をスムーズに動かすのには大変苦労したし、何よりもおかしなことだらけであった。
まず、この身体の主があのマスターに出会うこと自体あり得ないことである。
一体全体どうなっていると考えているうちに、リツカとの会話が終わってしまったのだ。
そして状況判断も何も出来ていない中で、これ以上彼らと関わると不味いのではと思い、此処まで逃げたのだ。
あのドクターがいるということは、ひょっとして人理修復を終えていないのだろうか?
如何せん知識がある分助かることもあるが、動く難いこともあるだろう。
そうやってぐるぐると回る思考に、思わず男は額に手を当てる。
大きく溜息を吐き出した男は、空を見上げる。
己がなすべきことは、何となくわかっていた。
あの空に浮かぶ神殿の向こうに、『忘れられた水の都』に繋がる扉がある。
そこにこの空間を曲げているものが存在するので、それを消せばすべてが終わるであろう。それは男の感覚なのか、それとも体の主の感覚なのかはわからなかったが、確かにそう感じていた。
「……これはきっと、お前の懺悔なのだろう?」
全て終わった後の、誰もいない世界に呼ばれた男はそう静かに呟いた。
***
「え?もう一度あの場所に行きたい?」
「うん、どうしても……行きたいんだ。お願い、ドクター」
「うーん。でもあの空間は、解析不可能だったし、もう座標も何処にも見当たらないし……」
「そんな……」
「ちょっと調べてはみるけど、正直不可能に近いと思うよ。
寧ろ……。偶然にでもそんな場所に行けたことが、奇跡だ」
困ったような顔をした男に、リツカは肩を落として項垂れた。
そして『頑張ってはみるよ』という言葉に祈りを託して彼は管制室を出る。
「よう、マスター。随分辛気臭い顔してんなあ」
「……キャスター」
「まあアンタのことだ。どーせ、あの男のこと気にしてんだろ?」
「うん。……どうしても、気になって」
「まあ、気持ちはわかるぜ」
「え?」
「ありゃ、異質だ。そして何よりも強い奴さね」
「……う、ううん?」
「いくらキャスタークラスとはいえ、目は衰えちゃいねえ。
俺でも、あの剣筋は見えなかった」
「つまり……、戦ってみたい、ってこと?」
「わかってるじゃねえか、流石だぜ」
「……まあ、……同じこと言いそうなのが、あと3人はいると思うからね」
リツカに声を掛けたのは、杖を片手にした青い英霊であった。
キャスターと呼ばれたその英霊は、落ち着いた笑みを零してリツカを見る。
別のクラスとして召喚されている同名の彼を想わせる、そのぎらぎらとした瞳に、嫌な予感がしたリツカは目を逸らした。
「あれは、英霊じゃあねえ。だが人間でもねえ。
なあ……マスター。此処は一か八か、賭けてみねえか?」
「……え?」
くつりと、低く喉を慣らした英霊は、何かを含んだその目をリツカに向けた。
途端に己に生じた、冷汗が背中を伝う感覚と胸の高鳴りに、彼は暫く考える素振りをみせたが、やがて一つ頷いた。
英霊はそんな少年の肩を叩いて、じゃあ早速行こうぜとにんまりと笑った。
「……大丈夫、かなあ」
己の胸を占めるその予感が、どのような類のものかは経験上わかっていた。
近づいてくる嵐を告げるかのようなそれに、リツカはただ導きの杖を信じるしかなかったのである。