「……ううん」
「あれ?どうかしましたか、先輩」
「いや……なんか、複雑だなあと思って」
任務がひと段落したリツカは、食堂で夕食を済ませた後、タマモキャットの淹れた紅茶を片手に頭を悩ませていた。
不規則に働くカルデアの職員も利用する食堂は、一応夜遅くまで解放されている。
しかし、金髪頭の
誰が命じたわけでもないが、自然と台所を担うようになった英霊たちに守られた聖域ともいえるこの場所は、憩いの場であると同時に戦場でもあるのだ。
今日も役目を果たした食器を労わるように磨く、赤い衣にエプロンを付けた英霊の後姿を横目に、リツカは溜息を吐いた。
そんなマスターの様子を見た菫の少女が、心配そうに声を掛ける。
「……このカルデアには、本来なら英霊にならない、神様とかが、英霊としているだろう?
なのに、セフィロスは……違う。英霊でも半英霊でもない」
「セフィロスさん、のことですか。
……正直、私……あの方に、親近感のような、そんなものを感じているんです」
「それは、マシュが……」
「ええ、私も似たようなものですから。
私と造られ方は同じでも、埋め込まれたものが異なる……。
なんかそう考えると、他人事ではいられなくなってしまって」
マスターリツカが、唯一直接的に契約を交わした、半英霊マシュ・キリエライトは静かに目を伏せた。
彼女は、カルデアの前所長の手によって、英霊と融合させられた被検体であり、唯一の成功品である。
英霊を人間とするために遺伝子を操作され、誕生したデザインベビーは、それから14年間に渡り研究所に監禁され、監視を続けられた。
マシュの扱いは、人間でも、英霊でもなく、あくまでも実験サンプルとしてのものであった。
その抑圧的な環境は、彼女の性格に大きく影響を及ぼした。
無口で、自ら意思を示すことはない、まさに研究者たちの人形であったのだ。
しかし、そんな彼女には差し伸べられた手があった。
そして、そんな彼女には奇跡的な出会いがあった。
そうして広い世界に向けて、羽ばたいた彼女は、元々の純粋さと高潔な意思を武器とし、大いなる任務を果たしていく。
彼女は人類を守るために、戦った。
「……私は、恵まれていたんですね」
「マシュ……」
「私も、自分の存在にずっと疑問を抱いていました。
生まれてからずっと、外の世界を知らずに、ただ生きていただけです。
そんな中で、私は……そう、何もしなくとも、差し伸べられた手があった」
「そんなことはない、マシュだって、必死だったんだろ?
だからこそ、俺と出会った時も、あんなに戦えたんじゃないか」
「ええ、そう……です。私には……先輩も、いた」
高度な魔術回路と無垢な魂を持つが故に、実験体として選ばれてしまったマシュは、歪むことが許されなかった。
いや、その魂の純潔さは、歪むことを知らなかったのだ。
「先輩。……私、セフィロスさんと話して来ます。
もっと知らないと、いけない気がするんです」
「え、マシュ……セフィロスは、今」
「ちょっと行ってみます!
思い立ったら、行動しないと気が済まないので!」
「ちょ、ちょっと……!!」
真っ直ぐにリツカを見つめる大きな瞳は、濁りのない水晶のように澄んでいる。
成り行きでセフィロスのことを耳にしたマシュは、ずっと気になっていたのだ。
自分でもその理由は、解せずにいたのだが、漸く溜飲が下がった。
きっかけとなったのは、ドクターやダヴィンチが解読を進めている宝条の研究データであった。
真摯な表情を浮かべ思案したリツカは、やがて一つ頷く。
セフィロスの心内を解き明かすためには、彼女ほどの適任者はいないだろう。
しかし、同時に彼女の傷も、セフィロスの傷も、抉ることになりかねない。
リツカはそれを案じていた。
それにセフィロスは今、とある英霊により軟禁状態であったのだ。
「大丈夫ですよ、先輩。
私はもう……あの時の私では、ありませんから」
リツカの心を読み取ったように、柔らかな微笑みを浮かべたマシュは、自分の意志で立ち上がったのである。
そうして軽やかな足取りで食堂を出て行った彼女を、リツカは見送るしか出来なかった。
「相変わらず、苦労性だな。マスター」
「はは……。エミヤに言われちゃった」
マシュとの会話に集中していたリツカは、いつの間にか片付けの音が止んでいたことに気付いていなかったのである。
不意に、伸びて来た腕が、リツカの目の前に何かを置いた。
ことり、と小さな音を立てて置かれた白い皿の上には、綺麗に切り分けられた洋菓子が乗っている。
「……ありがとう」
「いいさ、偶には息抜きも必要だよ」
「ねえ、エミヤ……」
「ん?ああ、紅茶淹れ直すか?」
「いや……そうじゃ、ないんだ」
英霊の数だけ、歴史がある。その裏には、喜劇があり、悲劇がある。
それは、神であろうが、人間であろうが、変わりはない。
華やかな栄華の裏に、仄暗い傷痕が存在する。
彼らと絆を深めることで、彼らが背負うものを、リツカは実際に目で見て耳で聞いて来たのだ。
沈痛な面持ちを見せるリツカに、エミヤは小さく息を吐く。
もう長い付き合いになるマスターの、考えることはわかっていた。
多くの英霊と心を通わせるリツカは、良く言えば人間性に優れている。悪く言えば、共感が過ぎるのだ。
「あまり共闘者に入れ込み過ぎるな。
奴とて、英霊となる素質を持つ者だ。お前が心配する必要はないさ」
「……わかって、いるんだけど」
「宝条博士は、カルデアを害そうとした。
そしてお前を実験体として捕えようとしていた。
……宝条博士の英霊はセフィロス。かつて一つの星を滅ぼした男。
カルデアにいる、あの不愛想な男とは違う……男だ」
「ふ……っ、ははは……!不愛想って」
「事実を言ったまでさ。
それにしても、今度は世界を救うための任務とは……。
此処にいると飽きないね」
「うん……。折角人理を修復したのに、壊されちゃ意味がなくなっちゃうから。
また頑張らないと」
宝条の研究所から持ち帰った資料の分析結果から、今回の一連の事件が、とんでもない規模の事件へと繋がっていることを発見した。
宝条の目的は、この世界を滅ぼして、乗っ取ること。
それは全て、自分の研究成果を証明する為であり、文字通り地球規模の大実験を行い、自分の承認欲求を満す為であるのだ。そして、その手段の一つとして呼び出されたのが、あの英霊である。
宝条や職員の日記には、歪んだその計画が事細かに書かれていた。
「しかし、わからないのは……カルデアのセフィロスの方だ。
本人はジェノバに乗っ取られる前の『本物』だと言っている。
それにもう一人の人格が宿っているのだろう?」
「古代種の人、だよね。……王様も知っているみたいだった」
「セフィロスのいた世界が、我々のいる世界と違うものであるとしたら、それはおかしい
……ふむ。もう少し話を聞く必要があると思うが」
「そうだね。ドクターストップというか、ナイチンゲールストップが解除されたら、また話すよ」
宝条の研究所から、燕青たちと共に戻ったセフィロスは、狼王ロボの背中から降りると同時に意識を失ったのだ。
体が崩れ落ちる前に燕青が支え、医務室まで担いでいったが、それから姿を見ていなかった。
医務室で寝ていたスカディの話では、本人はいつも通りピンピンしていたらしい。
だが、婦長は何かが引っ掛かったらしく、彼女の独断でドクターストップならぬ、ナースストップが発令されたのだ。
よって、セフィロスから話を聞くことはまだ出来ていない。
宝条のデータと、目的が明らかにされた今、カルデアとしても本格的に腰を上げる必要がある。と方針が出された。
相変わらず魔術協会は黙したままであるし、その他の機関も様子見を貫いている。
普段はあれほど煩い癖に、とダヴィンチが愚痴を吐いていたが、変に口を挟まれたり妨害されないだけマシであろうと、カルデアが動くことになったのである。
「ああ、話す時は食堂に連れて来てくれ」
「いいけど、エミヤも用があるの?」
「……少し、聞きたいことがあるんだ」
灰の瞳を細めたエミヤは、そう言って空になった皿を回収すると、再び台所へと向かっていった。
意味深な仕草に首を傾げたリツカは、暫くその後姿を見つめていたが、やがて席を立つと自室へと戻っていったのである。
***
セフィロスが医務室を出ることが出来たのは、その夜のことであった。
暫くはナイチンゲールの検査を受けること、という条件は付いたものの、ずっとベッドに縛り付けられているよりはマシであろう。
自室へと帰ったセフィロスは、乾いた血が毛先に付着しているのに気が付き、シャワーを浴びることにする。
胸に巻かれた包帯を外すと、丁度心臓の上に、刀の幅と同じくらいの傷が残されていた。
クーフーリンオルタやスカサハとの手合わせでも、同様の傷を負ったが、その時は直ぐに塞がった。
それに対して、あの英霊から受けた傷は消えずにそのまま残っているのだ。
「……厄介だな」
エミヤオルタを庇って攻撃を受けた時、暫く体が動かなかったことを考えると、あの英霊の攻撃は自分にとって脅威となり得るものだろう。それならば、その逆もあり得るのだろうか。なんにせよ、今は情報が足りないのだ。
セフィロスには一つ、考えがあった。
あの宝条という人間は、二流なれど研究者である。
狡猾で高慢な男だが、同時に神経質で非常に細かい男であることを知っていた。
そんな男ならば、あの英霊に対するデータを何処かに記録しているだろうことは、予測が付いていた。
カルデアの英霊たちも、ステータスが全て記録されており、電子データとして残っている。
ならば、同じようにあの英霊のデータも、研究所の何処かにあるのではないか。
そう思ったからこそ、もう一度研究所を調べに行く必要があるとキャスターへと告げたのである。
「……セフィロス」
以前キャスターがやったように、魔法で髪を乾かすと洗面所を出る。
すると、いつからそこにいたのだろう。氷雪の女王がソファーに座していた。
蘇芳色の瞳でじっとセフィロスを見つめる彼女に、マスターたちの前で見せる、少女のような可憐さは鳴りを潜めていた。
神霊の名前に相応しい厳かさと神聖さ湛えた双眸に、周りの空気が澄んでいくようだ。
「母の傍へおいで」
スカディは、自分の隣を指し示すと、柔らかな微笑みを浮かべた。
それに従いセフィロスが隣に座ると、静かに口を開いた。
「お前の髪は、鋭利な白刃のようにも、柔らかな雪のようにも見えるな。
どれ、この母が梳いてやろう」
「……用があったのでは?」
「おや、お前と話に来たのだが……。
それでは、用の内に入らぬか?」
「……」
ぱちん、と細い指を弾かれたかと思うと、スカディの手に櫛が握られていた。
くすくすと笑い声を零した彼女は、セフィロスの髪を一房手に取ると、手慣れた様子で櫛に髪を通し始める。
2m近い身長の、半分以上を覆う銀の糸は、粉雪のようにさらさらと流れ落ちていく。
セフィロスは、真剣な眼差しで自分の髪に触れる彼女の様子に、何が面白いのかと疑問を抱くが、好きにさせておくことにした。
「髪は結わんのか?」
「面倒だからな」
「剣を振るう時に、邪魔だろうに」
「もう慣れたさ」
「そうか、なら私が結わってやろう」
「……必要ない」
「ふふ、この母がしてやるというのだ。ありがたく思うが良いぞ」
「……」
身長差もあるためソファーから立ち上がったスカディは、セフィロスの後ろに回ると、毛先まで丁寧に櫛を通す。
交わされる会話は、淡々としたものであったが、二人の間には穏やかな空気が流れていた。
「俺には、母も、父も……故郷も何もなかった」
ぽつりと、呟くようにセフィロスが言葉を零した。
スカディはそれに静かに耳を傾ける。
「それでも良かった。
例え戦力としてでも、俺は……必要とされていたから、な。
だが、ずっと疑問には思っていた」
セフィロスは、自分の両手を開くと掌に視線を移した。
「『他を逸脱した力』は、俺を英雄にさせた。
……同時に、俺から友を、そして俺自身を奪った。
あの研究所の地下にいた、女の形をしたものを憶えているか?」
「ああ、アレは悍ましいものじゃった。
アレは良くないものだ。かつて、人間の祖“星の民”が絶滅をした引き金を引いたもの。
ジェノバ……まさか、あんなところにあるとはな」
「知って、いたのか」
「ふむ。お前には話しておく必要があるだろう。
かつてジェノバが、古代種を襲撃した時、多くの神々もまた力を貸した。
だがお前も知っている通り、アレは肉体を持たぬもの。
他人の身体に寄生して操る力を持っていたのだ。
長期に渡る激戦の末に、一人の男が戦いを治めた」
「……
「そうだ。ジェノバを殺すことは出来なかったが、封印には成功したのだ。
問題は、封印体をどうするかじゃった。
神々は話し合いの末に、異空間へ還すことにしたのだ。
元々アレは、別世界からの襲来者であったからな。
……封印体は神々の手によって、別の世界即ちお前の世界へと送られたのだ」
「なに……?」
「そして語り部として、生き残った古代種を二つに分けたのだ。
古代種は、この世界に残ったものと、お前の世界へと旅立ったものに分かれた。
それぞれの地で、古代種のそしてジェノバの記録を残し、やがて古代種は役目を終えて死んでいった。
セフィロスよ……。お前の、運命を狂わせたのは……私にも原因があるのだ」
「……っ、どういうことだ」
「ヤツが降り立ったのは、北欧異聞帯世界……。
私の守護する国であった」
「
「異聞帯とは、剪定事象されなかった
辿るべき人類史を外れた、「有り得ざる歴史の断片」のこと。
私は、北欧神話の
「……」
「ジェノバが現れたのは、神々が私に遺したこの冠を受け取るずっと前のことだ。
我が北欧異聞帯世界に破滅が訪れるより、うんと前のことだよ。
北欧を形作る九つの領域に『ニブルヘイム』という国があった」
ニブルヘイム、それは天地創造前から存在するとされる国の一つである。
北欧神話の九つの世界のうち、下層に存在するとされる死の国とされ、ニブルヘイムの住人は病気や寿命で死んだものであり、女神ヘルにより支配されていた。
だがセフィロスにとって、ニブルヘイムという地名は異なる意味を持っていた。
動揺を隠せずに、小さく肩を揺らしたセフィロスの様子に気付いたスカディは、心配そうに顔を歪める。
「……うん?どうした、セフィロス。辛いのか?」
「いや、何でもない。続けてくれ」
「奴はな、神をも操る存在だった。
あの戦いで命を落としたのは、人間だけではない。
神もまた……操られ、
これは我々には脅威でしかなかった。だから、いくら封印体であったとしても、置いておくわけにはいかなかったのだよ」
「……送られた封印体が辿り着いたのが」
「お前の、世界ということだろう」
何と言う、ことだろう。セフィロスは静かに目を閉じる。
全ては繋がっていたのだ。
始めにジェノバが降り立ったのは、この世界のニブルヘイムという北の大地。
ジェノバの封印体が落とされたのは、セフィロスの世界の北の地にある大空洞。
そして、セフィロスの世界にあるニブルヘイムという小さな町で、セフィロスは己の出生を知り、運命を大きく捻じ曲げたのだ。
「お前を初めて見た時、初対面とは思えぬほどの既視感があった。
あの研究所で全て納得がいったよ。お前は……私の、愛するものであった」
「……」
「……だから、決めたのだ。
私はお前に手を貸すと」
「それは、罪悪感とやら……か?」
「いいや、私は私の地を守った。それが私の役目だからだ。
そして、それは他の神々も同じこと。
だから今度は私はお前を守る。……それだけだよ」
スカディを始めとする神々はセトラと共に、飛来した厄災から北欧の地を守り抜いた。
だがそれを消し去ることは出来ず、やむを得なく、別の地へと送ったのだ。
それが最善であった。悔いるとすれば、自分が愛すると決めたもの達を、全て守りきることが出来なかったことだろう。
「……そうか」
セフィロスは一つ息を吐くと、口を閉ざした。
とことん自分は不運の星のもとにあるらしい。
だが、それを恨む気持ちにもなれなかったのである。