第FⅦ特異点 片翼の天使   作:陽朧

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2-10 カルデアにて⑤

つるりとした光が映える床を、軽快な爪先が弾く。

菫色の髪と纏う白衣を靡かせた少女は、とある部屋の前でぴたりと足を止めた。

そして、二回ほど深呼吸をすると、恐る恐る扉をノックする。

すると一拍置いて、中から声が返って来た。

 

 

「し、失礼します……!」

 

 

様々な英霊たちが訪れるらしい部屋の扉に、鍵が掛けられていないことは、マスターであるリツカから聞いていた。

マシュが開扉ボタンを押すと、案の定扉は素直に口を開いた。

開いた扉の先には、窓辺に佇む銀の佳人と、少し距離の離れた所で寝そべる狼王の姿があった。

 

 

「ほう。珍しい客人(まろうど)だな」

 

 

窓ガラスに映ったマシュの姿を見て、その男は振り返らずに呟く。

リツカと直接契約をしたという意味では、彼の唯一の英霊であるその少女が、自分にあまり近寄らないことに気付いていたのだ。

 

 

「あ……あの、今、お時間よろしいでしょうか……?」

 

 

微かに上擦った声から、彼女の緊張がひしひしと伝わる。

男は一つ頷くと、マシュに座るように言った。

マシュがソファーに腰を下ろすと、男もまた向かいの席へと座る。

その途端にむくりとその体を起こしたロボが、ぐるるとその喉を低く鳴らした。

 

警戒するような眼差しを向けられたマシュは、ふと込み上げた疑問に首を傾げる。

人間という全ての生き物を憎悪する、狼王ロボという英霊は、召喚したての頃から比べれば柔らかくなったものの、基本的に英霊であれ人間であれ、近寄らない。

しかし、何かを感じたのか目の前のセフィロスという男には、懐いていた筈である。

だが、今のロボは、その警戒をマシュだけではなく、セフィロスにも向けているのだ。

 

 

「ああ、『彼』が懐いているのは俺ではないさ」

 

「え?でも……あの研究所から運んで来たのは……」

 

「俺は、憎んでいないからな。

厳密にいうと、憎悪の対象となるものは皆死んだ」

 

「……貴方が、セトラ」

 

「ご名答。もうあのマスターから話は聞いているのだろう?」

 

「ええ。ですが、まだ先輩は納得がいっていない様子です」

 

「だろうな。俺自身も、全てを解していない」

 

 

ロボは生前から利口な狼であった。

『悪魔の化身』として恐れられた彼は、己を捕えようとする人間との知恵比べに決して負けることはなかった。

それほどまでに賢かったのだ。

しかし、狡猾さは人間の方が上であったらしい。

人間たちの策略により、彼の大事な存在が奪われたその瞬間、今まで積み上げられてきた人間への怒りや恨みが、一気に爆発した。それから、異例の形で英霊として召喚された今でも、爆発した怒りは冷めることを知らない。

 

だからこそ、同じ形をしていても中身が異なる男を、ロボは別に見ていたのである。

人間の受ける情報の大半は、視覚に依存する。しかし野生動物であるロボは、研ぎ澄まされた感覚全てを使って状況を判断する。本能的であるが故の鋭さに、男はただ感嘆した。

 

何となく男の言葉の意味を察したマシュは、向かい合う男の顔をまじまじと見る。

縦に裂けていた瞳孔は、人間と同じそれになっており、表情も柔らかい。

それに対して、彼女の記憶にあるセフィロスという男は、馴れ合いを好まず、人間に寄り付かない……。まるでロボを人間にしたような、男であった。

 

 

「……何となく、セフィロスさんが好かれる理由がわかった気がします」

 

「ふ、言いたいことはわかる。だがあまり笑わせないでくれ」

 

「何故ですか?」

 

「あまりこの姿で、大笑いしたくないんだ」

 

「……?」

 

「まあ、こっちの都合だ。気にするな。

それで……何か用があったのでは?」

 

 

溜息と共に吐き出された呟きの意味は、マシュにはわからなかった。

取り繕うようにソファーに凭れ、その長い足を組んだ男は、マシュの顔を見据える。

まだ少女とも言える年齢に相応しい無垢な顔に、あどけない表情を浮かべたマシュは、一度顔を伏せた。

 

 

「その、セフィロスさんの話を聞いて……。

私も、同じだったなって思って」

 

「……同じ、か」

 

「あ、同情とか、そんな意味じゃないんです!

ただ……私自身も、わからないことがあって」

 

 

顔を上げたマシュは、ぽろりと零れてしまった自分の失言に慌てて手を横に振った。

 

 

「私も、とある研究プロジェクトの被検体として……生まれました」

 

 

忙しなく視線を動かしていたマシュは、覚悟を決めたように表情を引き締める。

そして、とつとつと自らの人生を話し始めた。

英霊と人間の融合体(デザインベビー)として、生まれた彼女のことは、間接的ではあるが男は知っていた。

星の民である男は、生きとし生けるものを空から見守る星の話を聞くことが出来るのだ。

カルデアの中核の一人として、働く彼女のことも、一通り耳にしていた。

それに男は、その物語を実際に『見て』いた。これについては誰にも言う気はないが、カルデア内部のことは網羅しているのである。

 

静かにマシュの話に耳を傾けていた男は、不意に揺らめいた意識に、一度目を閉じる。

彼女の話を聞いて、かつての記憶が呼び出されたのか、それとも単に興味を持っただけであるのか。

それは男にはわからないが、『彼』が交替を告げていることだけは、わかった。

 

 

「それでも、私は……人間で在りたいんです。

先輩と一緒に歩んでいく為に」

 

「だがそれは、お前の感情論でしかない」

 

「……っ!」

 

「お前はあの男の盾だ。

それ以上でもそれ以下でもない……この施設ではな」

 

 

セフィロスの視界の端で、巨体を起こしたロボがゆっくりと歩き出す。

そしてセフィロスの足元に腰を下ろしたロボは、その膝の上に頭を乗せた。

 

 

「……私は」

 

「何を悩んでいるのかは知らんが……。

あの男が、そのような繊細な精神構造をしているようには到底思えん。

何故……人間であることにこだわる?」

 

「それは、」

 

「俺は、自分が人間につくられた化け物だと認めたくはなかった。

研究者どもに良いように利用されている自分が、どうしようもなく虚しいものに思えてな。

……だから真実を、真実たらしめようとした」

 

 

縦に裂けた瞳が、マシュを見据える。

先程の柔らかなものとは異なる、氷の視線が彼女を射抜いた。

だが彼女はその目を毅然と見つめ返す。

ぞくりと背筋を撫でるようなそれが、何故だかとても寂しいものに見えた。

 

 

「俺とお前は違う。

お前は光に手を伸ばした。俺は……光を、振り払った」

 

「……」

 

「後悔しているのか?」

 

「いいえ、……いいえ。

今まで歩んで来た旅路に、後悔などあり得ません」

 

「……だろうな」

 

 

その言葉を最後に口を閉ざしたセフィロスは、擦り寄るロボの喉元を撫で上げた。

マシュはその可憐な顔に複雑な色を宿して、膝の上に置いた手を握り締める。

 

 

「いつか、来る終わりが怖いんです」

 

「……」

 

「私は、ずっとこの施設にいなければならない。

でも先輩は違う。元々、あの方は普通の人間なんです。

この旅路が終わりを迎えれば、普通へと帰ってしまう」

 

「……」

 

「私も……っ、共に、出来ることならば一緒に、生きたいっ。

でもそれは、先輩を此処に縛り付けることになる。

だから、私は、」

 

「永久の旅路を望む、か」

 

「……っ」

 

「純潔な想いは時に狂気を孕む。

お前は、お前自身が歪みの原因となろうとも……それを望むのか?」

 

「……そ、れは……」

 

 

高潔な眼差しに見える、彼女の心を、セフィロスは見抜いていた。

マシュ・キリエライトという英霊は、実に無垢な心を持っている。

その心が、彼女の盾となり、リツカを守り支える要となるのだろう。

しかしそれは、時に彼女を縛る鎖ともなる。

 

 

「その想いは、罅だ」

 

「ひび……?」

 

「堅固な城壁に生じた亀裂でもあり、己の殻に生じた芽生えでもあるだろう。

少なくとも今のお前は、砂の盾でしかない」

 

 

リツカと同じ色をした、青い瞳に一切の温度は見えない。

その揺らぐことを知らない色は、今のマシュには心地良く感じられた。

交わし合う言葉の中で、自分の心の叫びを知っていく。

気が付けば彼女は、その胸の内までもを口にしていた。

それは誰にも話したことのない、彼女が抱える仄暗い想いであった。

 

セフィロスは溜息を零す。

やっと手に入れた光を手放したくない想いも、握り合った手を放すことの恐ろしさも、今ならわかる気がしたのだ。

 

 

「……いつまで、縛り付けられている気だ?」

 

「え……?」

 

研究所(こんな場所)も、研究プロジェクトも、お前には関係のないものだ。

研究者どもに弄ばれるだけの、下らぬ人生を辿る気か。

お前は長い旅路の中で、自分の人生を開いた。そのまま、飛び立てば良い。

……何を恐れている?」

 

「……だって、私はその為に」

 

「戯言だ」

 

 

感情の抑揚に欠けた顔に、初めて波が立った。

それをいち早く察したロボが、ぴくりと耳を動かす。

世界を巡ったマシュは、命の価値を、マスターリツカの価値を、生きる意味を、その唇で謳い、貫き続けてきた。

しかし彼女は、彼女自身の意味を、そして価値を、明確に理解していなかった。

それが酷く、セフィロスに過去を思い出させたのである。

 

 

「お前は、マスターの英霊だろう。

その価値も、在り様も、全てはあの男の意思の下にあるはず。

……あの男は、お前に犠牲を強いる人間なのか」

 

「っ、そんなことない!!先輩は、そんなことは……しない!」

 

「ならば、何を悩む?

……お前の翼は、既に完成されているはずだ」

 

 

英雄と呼ばれていた時でも、他人の相談に乗ることなどなかった。

そういう役目は同僚が担っており、そもそも別格として扱われていたセフィロスに声を掛ける者は殆どいなかった。

セフィロス自身も、誰かに自分の抱えることを打ち明けることはしなかった。

弱点を見せることを忌避しており、英雄として召し上げられた自分がそれを口遊むことは、許されなかったのだ。

 

 

「……そう、ですね。

私はこんなことを悩む必要も、恐れる必要も、なかった」

 

 

マシュの瞳に再び強い輝きが戻るまで、セフィロスが言葉を並べ続けたのは本人からすれば『ただの気紛れ』であろう。

中で聴いていたセトラは、小さく笑みを零した。

いつになく饒舌に語る言葉が、他の人間の為であったことは、セフィロスという男にとっては大きな変化でもあったのだ。

 

 

***

 

 

 

「腑抜けた面をしているな。セトラよ」

 

「そう……だったか?」

 

「実に、不敬であるぞ。我らを誰と心得る」

 

 

来た時よりも更に軽やかな足取りで去っていったマシュに、結局何をしに来たのだろうかと内心首を傾げていると、再び扉が開かれた。姿を現したのは、同じ顔をした二人の王であり、片方は黄金の鎧を、もう片方は粘土板を手にしていた。

 

黄金の鎧を纏った英霊がその長い指を鳴らすと、膨大な魔力が巡り、あっという間に部屋が様変わりをする。

まさにその英霊、ギルガメッシュが好みそうな様相に変化した部屋に、男は溜息を零しただけであった。

玉座を想わせる装飾がなされた椅子に腰を下ろしたギルガメッシュは、頬杖を付くとセフィロスに視線を移す。

同様に質の良い革製のソファーに座ったウルクの王もまた、愉快そうにその瞳を歪めた。

 

 

「何用だ」

 

 

個性豊かな英霊が集まるカルデアの中でも、あらゆる面でトップレベルの性質を持つ王が、呼び付けるわけでもなく、態々この部屋を訪れたのだ。何か重要な用があることに違いはないだろう。

そう思った男の表情は、微かだが若干引き攣っている。

 

リツカからの指示により、この二人と任務を共にしたことはあるが、どれも碌なことになっていないのだ。

というのも、セフィロスの力を使えるものと思ったのか、それともただ興味が沸いただけか、何かと声を掛けて来る。

それはまさに、家臣に用を申し付けるが如く、扱き使うと言っても良いだろう。

生前は、傭兵として第一線で活躍を見せていたセフィロスとしては、尊大な態度の上司というのは、確かに慣れたものである。だが、好まぬ任務は引き受けないスタンスは相変わらずで、気が乗らない時は、決まって男と交代をするのだ。

よって、最終的に体を張るのは、男の方であった。

 

 

「我はこの目を以て世の智を網羅し、俯瞰する(もの)である

故に、この我に無知は許されん」

 

「如何にも。しかし我とて好みはある。

何時如何なるところに愉悦が隠されているか、こればかりはわからぬものぞ」

 

「よって、セトラよ。この書を見よ」

 

 

賢王によって、その本はテーブルへと投げられた。

本というよりも冊子といった方が良いであろう、薄さのそれの表紙には擦れた文字で『星の民』と書かれていた。

どうやらそれが、この世に残された古代種の歴史であるらしい。

男は冊子を手に取ると、ぱらぱらとページを捲る。

そこには、先ほどスカディが話したことと同じことが書かれていた。

 

 

「其れは世界最古の、歴史書だ。

人間より前に在ったとされる、星の民のことが書かれている」

 

「……これだけ、か」

 

「そうだ。たったそれだけだ。

歴史上最悪とされる厄災の襲来により、滅びた民を語るものは、それだけしか存在しないのだ。

しかし、今此処にはその語り口となり得る男がいる。

これ程のチャンスはあるまい?」

 

「……世界最古の、英雄はお前だろう。

今更俺が語ることはない」

 

「愚か者め。真実の隠蔽こそ、最大の罪過よ。

それに 我は人間の守護者として生まれたもの。

この星の文明(みらい)を築くのが、王の役目だ」

 

「この星を、滅ぼそうという愚行を企んでおる雑種共を一掃するのも……な」

 

 

赤い双眸が、鋭さを以て男を射抜く。

その口ぶりからすると、これから起ころうとしている事態の深刻さに気が付いているのだろうか。

 

脳裏に浮んだものは、リツカに渡した『白のマテリア』と、その対となる『黒のマテリア』のことであった。

それらが発動するのは、星を滅ぼせる力を持つ究極魔法であり、男が懸念していることでもある。

だが、その詳細については、キャスターにしか話してはいない。

もし、この二人の王が何らかの形でそれを知ったのだとしたら、今のこの状況も納得がいった。

 

 

「待て、酒を用意しよう。

特別に極上の美酒を開けてやる」

 

 

“全ての英雄たちの王”の名を冠し、神すらも超越した視野を持つ王ならば、黒のマテリアについて何か有益な情報を持っているかもしれない。そう思った男が口を開こうとした時、唐突に英雄王が宝物庫を開いた。そして取り出されたのは、艶やかな琥珀の液体の入った洒落たガラス瓶と、何処かで見た形の杯であった。

 

そうして、注がれた杯を供として、歴史の海に沈んだ真実が語られ始めた。

歴史書には記されていなかった、古代種が拓いた文化をはじめ、(まつりごと)に関することなど、王が興味を示した事柄について深く掘り下げていく。

 

 

「ほう……マテリア、とな。

そのようなものは我が宝物庫にもないものだ」

 

「確かに、神の力の一端が込められたものだが、そこまでの価値はない。

此方の世界にはないものではあるがな」

 

「だがその白と黒のマテリアとやらは、違うのだろう?」

 

「ああ。その二つは別格だ。

白のマテリアは、仇をなすものから『防御する(まもる)』ために。

黒のマテリアは、仇をなすものを『攻撃する(こわす)』ために。

それぞれつくり上げたもの。

しかし、この二つはあくまで星を守るためにあるものだ」

 

「……ふむ。中々に興味深いな」

 

 

美麗とも呼べる顔に浮かぶのは、愉悦そのものであった。

つるりとした紅玉の瞳が嬉々とした光を放つ。

男の予想通り、王が特に興味を示したのは、マテリアの存在である。

 

マテリアから発動される究極魔法は、あくまでも星を守るものであって、人間を含む生きとし生けるものは、その対象には入らない場合があるのだ。使いどころを間違えれば、あっという間にこの星は滅びるだろう。男が淡々と告げた言葉に、王は眉を顰めた。

 

 

「なれば、早々に我が手に収める必要があるだろう」

 

「まて、若き我よ。そのような宝物……貴様にはまだ早い。

ここは我の宝物庫に招こうぞ」

 

「何を言う。いくら我だからとはいえ、世の宝物はこの我のもの。

そのような力は全盛期の我だからこそ相応しい」

 

 

椅子とソファーに踏ん反り返った英霊たちが、互いに視線を交わしたかと思うと、口論を始める。

ふてぶてしい態度が似合ってしまうのは、態度に釣り合うものを持っているからであろうか。

自分の宝物庫に入れることを前提に、ヒートアップしていく同じような声を流しながら、男は明るくなって来た空を見上げる。その気となってしまった王に、何を言っても無駄だということは、もう学習済みであった。

 

 

「まあ、良い。セトラよ。

我が宝物のため、お前に力を貸してやろう」

 

「この我が直々に動くことを、喜び噎び泣くが良い」

 

「……。まあ、それは心強いな」

 

 

そうして、やっと王たちの話に区切りが付いた頃には、もう陽が高々と空に輝いていた。

げっそりした男の様子に、満足げに艶々と顔を輝かせた王たちは、また夜会を開くぞと、さりげなく次回の予定を突き付けて去って行った。

 

ふう、と息を吐いて全身から力を抜いた男は、ソファーに凭れると、次はセフィロスに出てもらおうと心の中で誓ったのであった。

 

 

 

 

 

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