第FⅦ特異点 片翼の天使   作:陽朧

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3-7 マスターの危機②

爪先が白い床に落とされ、踵が固い床を弾いた。

かつん、と鳴った高い音色は壁に反射し、大きく、大きく拡散されていく。

良く耳を澄ますと、それは二つの音が入り混じったものであることに気が付く。

 

 

かつん、かつんと規則通り、ゆっくりと余裕がみられる音。

 

かつ、かつかつと不規則に、急ぎ乱れ焦燥を露わにする音。

 

 

この二つの音がカルデアの廊下に響いていた。

豊かな金髪が彼女の動きに合わせて揺れる。

弾む息をそのままに、彼女は駆けていた。

 

その背後に迫る影は、艶やかな黒髪を靡かせて困ったように笑う。

 

 

「あらあら、困りましたわ……。

何故そんなに逃げるのです?」

 

「そ、そりゃ逃げるのだわ!

あ、あなたがが突然、切り掛かって来るから……!」

 

「いやですわ。私はただ、貴女の涙が欲しいだけですのに。」

 

「ひぃ……!」

 

 

本当に困ったと、突然現れ、突然切り付けてきたバーサーカーが呟く。

いつものようにイシュタルとラウンジで口喧嘩をしていたエレキシュガルは、優雅な足取りでやって来た頼光に挨拶と同時に手にしていた武器を振り下ろされたのだ。

“ごきげんよう、貴女の涙を下さいな”なんてどんな挨拶だ、と言う間もなく、エレキシュガルよりも早く動いたイシュタルによって突き飛ばされた彼女は、一気に血の気が引くのを感じた。

 

冥界の女主人であり、英霊の一人であるエレキシュガルも、マスターリツカの手によって最高レベルまで引き上げられている。戦おうと思えば互角に戦うことは出来るだろうが、何せ相手が悪い。

それにカルデア内では、トレーニングルーム以外の場所での戦闘は禁止されている。

いくら仕掛けてきたのが向こうであっても、手出しすることは基本的に出来ないのだ。

かといってそれを素直に守っていたら、エレキシュガルの命が危ないだろう。

しかし冥府を束ねる彼女は、出来る限り戦闘は避けたいタイプの英霊である。

何処かの戦闘民族の英霊たちとは違い、同じマスターのもとに顕現した仲間には手を出したくはないのだ。

 

何故、突然自分は刃を向けられたのか。

それを考えるには、エレキシュガルに余裕がなさ過ぎた。

それに、源頼光というバーサーカーは時としてぶっ飛んだ理由で行動することがある。

多くはマスターが絡んだ時であるので、今回もマスターに関連することであろうことは想像に容易いが、詳細を問う為には一度立ち止まって向き合わなければならないだろう。

 

エレキシュガルは恐る恐る後ろを振り返る。

穏やかな淑女の顔だ。その目が笑っていればの話であるが。

声にならない悲鳴が零れた。怖い。怖すぎる。

そもそもこういった、精神を蝕まれるホラー展開は苦手なのだ。

後ろから、笑いながら殺意を剥き出しにした女に追い駆けられるなんて、冥界にだってない恐怖である。

 

 

「あ……!」

 

 

ぶるりと震える体を抑え、足元に注意を払いつつ走っているつもりであった。

が、彼女のもともとの特性か、それとも依り代となった少女の性質か……。

『ついうっかり』足を縺れさせ、派手に転倒してしまったのだ。

びたん、と音が聞こえそうなほど顔から倒れたエレキシュガルは、全身に走った痛みに硬直してしまう。

 

 

――かつん、

 

 

直ぐ、後ろから聞こえた、高いその音は……。

後ろの正面に、鬼がいることを示していた。

 

 

 

***

 

 

 

「はあ……。その突発的な行動力、どうにかならないかねえ。

パロメーターに協調性っつーモンがあったら間違えなくEだぜ、お前さん」

 

「お前に言われる筋合いはない」

 

「いや、間違えなくお前さんよりは上さ」

 

 

マスターリツカがカルデアで召喚した英霊の中で、一番の古参であるキャスターは深いため息を吐いた。

突然現れ、突然武器を振り下ろしたセフィロスは、キャスターに調合室と薬草を要求した。

本来であれば突っ撥ねて、その無礼を魔法で焼き尽くしていたところだが、悲しいことにこの男の振る舞いにはすっかり慣れきっていたのだ。少なくとも、その表情なき顔にいつもと違う何かを見つけられるくらいには、キャスターはセフィロスのことを理解していた。

キャスターの、いやクーフーリンという英霊が持つ、面倒見の良い兄貴肌というのは、時に厄介な性質だと本人が一番自覚している。

 

キャスターがカルデアに召喚されて暫くは、常にレイシフトの編成に入っていたので、戦いに明け暮れていた。暫くして、リツカが少しずつ英霊を増やしていき、適材適所を考えて編成が組めるようになると、キャスターは自らの調合室を作り上げたのである。

 

調合室内は、森の賢者の名に相応しいレイアウトとなっている。

様々な種類の薬草が乾燥させてあり、サンルームのようなスペースもあった。

所々に抽出などに使う器具が置かれ、隅に置かれた本棚には植物に関する本や論文が並んでいた。

曰く雰囲気を作り出すために、空間を弄り、壁をレンガにしたり、床を木製にしたりと深い拘りが見える。

 

黒いブーツが、床を踏み締める。

白く固い床とは違う、しなやかな木の感触が爪先を擽った。

 

 

「それで、今度は何をしようってんだ?」

 

「薬をつくる」

 

「薬?……。マスターのか?」

 

「ああ。予想以上に進行が速い」

 

「……。ったく、それを最初に言えって。

俺に出来ることは?」

 

「今から材料を集めて来る。随時調合してくれ」

 

「材料?」

 

「女神の涙、妖狐の毛、聖女の血、」

 

「……」

 

「神の宝石、王の血、太陽の花の花弁、憎悪の炎、」

 

「……」

 

「あとは、良質な酒、蜂蜜、薬草だ」

 

「そりゃ、お手軽な材料だな」

 

「一人の英霊に手を借りている。

直ぐにでも集まるだろう」

 

「ほう?珍しいじゃねえか。

お前さんに手を貸す、その特殊な英霊っつーのは?」

 

「……」

 

「おいおい。いい加減他の英霊の名前ぐらい覚えろよ。

まあお前さんらしいが……。そいつの見た目は?」

 

 

その問いに小首を傾ける仕草を見せたセフィロスに、キャスターは思わず呆れたように笑う。

基本的に他人に興味を示さない男であるのは承知だが、如何せん存在感があるので、カルデアの英霊たちは彼に興味を示している。少なくとも、良く絡まれる英霊の名前ぐらい覚えておいても損はないだろうと、キャスターは調合に必要となる器具を取り出しながら言った。

 

 

 

 

 

「―――!!」

 

 

 

 

 

ふと耳に聞こえた誰かの声。

女性のものであることはわかったが、それが誰のものかはセフィロスには判断が付かなかった。

個性的な英霊たちで溢れるカルデアは、普段から賑やかというか騒がしいので、誰かが何かをやっているのだろう。セフィロスの認識はその程度で、興味を引かれるものでもなかった。

だが、その隣でビーカーを取り出し手にしたキャスターの反応は真逆のものであった。

さっと顔色を変えたかと思うと、彼はセフィロスを見上げて、頬を引き攣らせたのである。

 

 

「なあ、セフィロス」

 

「なんだ」

 

「……アンタに手貸した、稀有な英霊ってまさか」

 

「黒髪の、女だ」

 

「……」

 

 

乾燥のために吊るされた薬草に目を滑らせながら、セフィロスがそういった瞬間。

――どおん!という轟音に、カルデアが大きく波打った。

 

 

「……なあ、」

 

「なんだ」

 

「その英霊っつーのは、マスターが危ねえこと知ってんのか?」

 

「ああ。全部聞かれた」

 

「……。あー。そりゃ、死人が出るな」

 

「……? 別に殺せとは言っていないが」

 

「ははっ、まあ英霊にも色々あるのさ。

特にバーサーカークラスの連中なんざ、理性がぶっ壊れてやがる。

それを押し留めてんのがあのマスターってわけだ」

 

 

英霊となる資格を持った英雄たち。

彼らは皆、英雄譚を持つものだ。陽であれ陰であれ、後の世に名を遺したものたちである。

そんな彼らが一か所に集い、時に喧嘩はしつつも、穏やかとも言える日々を送っている。普通のことのように思えるが、それは違う。

凡人にして善良なる人間、リツカの人間性に引っ張られていることもあるが、彼と共に戦い、絆を深めていくに従い、関わりを憶えていくのだ。マスターだけではなく、他の英霊たちとも交流し、カルデアで生活を共にし、レイシフト先で共闘する。

そうしていると、段々とカルデアが自分の居場所となり、かえる場所となる。

どんなに捻くれた、拗れた性質を持つものであっても、暫くすると感化されていく。

 

だからこそ、それを崩すものは許されてはならない。

それを害そうとした宝条も、それを仇なしたセフィロスも。

己のマスターと認めたリツカを、傷付けたものに皆苛立ちと憤怒を抱えているのだ。

 

それがわかりやすい形で爆発したのだろう。

特にあの英霊は、暴走しやすいのだ。

リツカを自分の子供のように扱い、庇護する彼女は。

 

 

「……まあ、それだけじゃねえだろうけどよ」

 

 

セフィロスは、乱雑に吊るされた薬草の中でも希少なものからどんどん引き抜いていく。出来るだけ即効性を出すために、効力の高いものを見極めているだけであるが、後で使った薬草の補充をさせようと心に決めたキャスターの額には青筋が浮かんでいた。

 

 

「何か言ったか?」

 

「いや、何でもねえよ。それより後で補充しておいてくれや。

アンタが選んだモンは相当希少だぜ」

 

「……憶えてたらな」

 

「安心しな。忘れたら、思い出させてやる。

ま、ちぃと乱暴な方法だが、確実な方法を知っているんでね」

 

「ご自慢の、知的な方法というやつか。

それは楽しみだな」

 

 

飄々とそう言ってのけた男に、キャスターは目を細める。

あの頭の固い弓兵のように仏頂面で、基本的に何を考えているのかわからない男であるが、ふとした時に見せる顔は随分柔らかくなったと思う。これもまた、あのリツカの影響であろうことは言うまでもないが、セフィロス自身もまた何かを持っているようにキャスターは感じていた。

 

その圧倒的な力は、他の英霊をも惹きつけ、時に鼓舞し、時に挑発する。

それはセフィロスという英雄が、英雄であり続けるようにと、彼をつくり出した世界が、人間がそう望んだからである。だから彼は他を圧倒する力を、示し続ける。

だがその心は、常に孤独に濡れていた。求めていたものが自らの胸の中に眠っていることを知らず、ただ孤独を拭うものを求め続けた。氷の瞳は、セフィロスの闇を映し出し、スカサハや頼光などの英霊はその闇に、彼の孤独を見た。彼女たちには、セフィロスが迷い子に見えていたのかもしれない。冷たい世界で、只管出口を求めて、彷徨う子供に。

 

 

「行くのかい?」

 

「ああ」

 

「お前さんの相棒からの忠告だ。

武器を出す前に口を出しな。その方が効率的に集まるぜ」

 

「……。憶えて、いたらな」

 

 

いくつかの薬草を揃えてキャスターに手渡したセフィロスは、そのまま踵を返した。

その背中を見ることもなく、声を掛けたキャスターは小さく笑む。

調合室の扉へと手を伸ばしたセフィロスは、再びその言葉を返すと、そのまま去って行った。

 

 

「さて、」

 

 

ぱたん、と扉が閉まった音を背中で聞いたキャスターは、セフィロスから聞いた材料を思い浮かべる。

久々の大掛かりな調合になりそうな予感がしたのだ。

ぐと体を伸ばすと、薬草の下準備に取り掛かることにしたのである。

 

 

 

***

 

 

 

「おにいちゃん……!」

 

 

いくらか騒がしい廊下へと出ると、セフィロスは一つの気配を辿って歩き始めた。

すると、ぱたぱたと足音が聞こえ、足元に軽い衝撃が走る。下に視線を向けると、見慣れた銀髪の幼子がセフィロスの足に抱き着いていた。

 

 

「……どうした?」

 

 

自らあまり昼間に出歩こうとしないジャックが、此処にいるのは珍しいことである。

召喚されたての頃とは違い、部屋に閉じこもりがちではなくなったものの、基本的に夜行性である。なので、先程トレーニングルームで別れた後に自室に戻っていたと思っていたが、そうではないらしい。

あまりに身長差が違うので、一度ジャックを足から引き離すと、床に片膝を付き視線を合わせた。

黄緑と、青の瞳が合わさると、小さな英霊は嬉しそうに笑った。

 

 

「……ジャック?ジャック!」

 

 

ジャックが口を開く前に、もう一つの声が聞こえて来た。

トーンの高い少女の声だ。そちらに視線を移すと、ぱたぱたと走る音が聞こえて来る。

先に見えたのは、ふんわりとしたドレス。

黒を基調とし白をあしらった、品の良いドレスであった。

その上に流れるほんのりと桃色が差した銀髪は、きっちりと二本に編まれており、彼女の動きに合わせて可憐に揺れる。

 

 

「ジャック!此処にいたのね!……って、その方は前にアナタが言っていた人?」

 

「うん、わたしたちのおにいちゃん」

 

「そう、そうなのね!アナタが、そう……」

 

 

踊るような軽快な足取りで、ジャックの隣に現れた少女は、じいっとその大きな瞳でセフィロスを見つめた。

落ち着いたローズピンクの瞳は、少女らしくない鋭さが見え隠れしており、まるでセフィロスの深淵(奥深く)を覗き込んでいるような、言い知れぬ色を宿していた。

 

不意に黒い手袋をした小さな手が、セフィロスの頬へと伸びる。

 

 

「虚しいわ、悲しいわ、ええそう、とっても哀れだわ。

……でも、アナタは、そうでないといけない人なのね」

 

「……」

 

「でもきっと、アナタは気付いていないだけ。

知っているかしら、全ての物事には教訓があるの。

アナタがもしそれを見つけられればね。

ふふふ、あたしは(ナーサリーライム)よ。アナタはあたしから何を見出すのかしら」

 

 

少女の顔をした英霊は、大人の顔をして笑った。

彼女は、実在する絵本の総称(ナーサリーライム)であり、本来であれば固有の姿を持たない筈のもの。

しかし今のナーサリーライムは、彼女の根本を成す存在により、かの有名な『不思議の国のアリス』を模し、そして自分自身がもし物語の主人公であったらという望みが合わさった姿を持ち続けているのだ。

 

子供ながらの無垢さと天真爛漫さを持つ彼女は、聡明であり、優れた洞察力を持っていた。

人間や英霊の本質を見抜く目は、あのホームズすらも舌を巻く程である。

そんな彼女にとっては、セフィロスの本質を見抜くことなど容易いことなのかもしれない。

 

 

「うふふふ……!あたしも、お兄ちゃんって呼んでも良いかしら。良いわね?

ああ、懐かしいわ、懐かしい響きだわ」

 

 

子供の夢を具現化したような、英霊。

しかしセフィロスは、その瞳の中にジャックと同じような色合いの闇を見ていた。

それは彼女が、“生まれる筈のなかった存在”であり、純真無垢な振る舞いに隠された情愛と殺人欲に由縁したものであるが、セフィロス自身はそこまで知る筈はない。

 

『ははっ、まあ英霊にも色々あるのさ』

先程聞いたキャスターの言葉が、頭を過った。

 

 

「そういえば、何処に行こうとしていたの?」

 

「……王のもとへ」

 

「王さま?此処には王さまがいっぱいるのだけれど、どの王さまかしら」

 

 

立ち上がったセフィロスを見上げ、その裾を引いたジャックが問う。

セフィロスは、少し考える素振りを見せたが、比較的近くにある『王』の気配を読み取りそう言った。

何やら面白そうな予感を感じたのか、目を輝かせたナーサリーライムがくるりと身を躍らせた。

 

 

「誰でも構わないが……。貸しがあるのは、一人だな」

 

 

リツカの様子と、それを案じるマシュのことを思えば、そう時間は掛けていられないだろう。

ならば手っ取り早く話が通じ、尚且つ直ぐに動いてくれる相手が好ましい。

そうなると思い浮かぶのは一人であった。

 

小さく呟いたセフィロスは、その一人の気配がする方へと足を向ける。

それ聞き逃さなかった二人の英霊は、お互い顔を見合わせると、にこりと笑った。

そして、少し先で揺れる銀色目掛けて走り出したのであった。

 

 

 

 

 


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