全身を蝕む“何か”に魘されながら、朦朧とする意識の海を揺蕩う。
もはや、どれくらいの時が過ぎたのかさえもわからなくなっていた。
それにも関わらず、四肢を焼き切らんばかりの痛みは鮮明で、頭の中を何かが這い回っているような嫌な頭痛がリツカを苦しめる。あまりの痛みから逃れようと、意識が遠退こうとするのだが決して逃してはくれない。まさに『生き地獄』ともいえる夢と現の空間で、リツカはひとり足掻いていた。
これまで攻略してきた特異点の中でも、武器で切り付けられたり、呪い殺されそうになったりと、これまでも彼のような一般人が本来経験することのないであろう、『痛み』を経験し、克服してきた。これは彼の持つ精神力が強かったことに起因するのだが、彼の周囲にいた仲間たちの力もあってのことであった。
何度も膝を折ろうとした、いや実際に折れたことがあった。そんなリツカを立ち上がらせたのは、いつだって菫の少女が差し伸べる『手』であったのだ。
しかし、今、リツカの周囲には誰もいない。
いつぞやの“監獄塔”にだって彼の味方となった存在はいたが、今は誰の気配も感じなかった。
———孤独は痛みとなり、全身を喰い散らかす。
———痛みは孤独となり、精神を侵し蝕み穢す。
もうだめだ、と彼は思った。
この激痛から逃れるためなら、このまま溶けて消えても構わないと思ってしまった。
それほどまでに惨たらしい痛みであったのだ。
例えるならば、生きながら全身の皮を剥かれ、露わになった肉を炎で炙られているかのような、残酷な激痛がリツカの心を折ろうとしていた。
『だめだよ』
自分が悲鳴を上げているのかさえわからない中、その声は鮮明にリツカの耳に聞こえた。
脳内に響いたその声を認識した瞬間、ふと頭の痛みが和らぐのを感じて、やっとひとつ呼吸をする。まるで幼子でも叱るような厳しさと優しさが混同した女性の声は、痛みから逃げようとしたリツカを包み込み、宥める。
すると、少しばかりではあるが彼の体に自由が戻った。
「だ、れ……?」
『私? 私は————』
その名を耳にすると同時に、眩い光が放たれた。
視界を塗り潰さんばかりの白い光に、リツカは目を眩ませながらも手を伸ばした。
どうやら光のもとは、自分のポケットの中にあるらしい。ポケットを探り指先に触れた柔らかなものを掴み出す。赤いリボンに包み込まれたそれ———『白のマテリア』は、リツカの手の中で閃光の如き光を上げた。同時にリツカの意識は、ゆっくりと遠ざかっていく。
最後に見たのは、知らない筈の、でも何処か懐かしい女性の姿であった———。
ぞくりと背筋が震える感覚に、意識が覚醒するのを感じた。
しかし、目が開くやいなや途方もない疲労感に襲われ、リツカは体を動かすことすらできない。それでもあの地獄のような痛みが無くなっているのに気付くと、ほっと胸を撫で下ろす。
「おっ、気付いたか坊主」
突然上から降ってきた声に、リツカは驚いたがそれでも体はぴくりとも動かない。
そんな彼の唯一動かせる目に、1人の男が飛び込んで来る。見覚えのない人間の登場に、リツカが目を瞬かせていると、にかりと快活な笑みを浮かべて男は頭を掻いた。そして、「俺はザックス! お前は?」とリツカへと問い掛ける。
「え、ええと……。俺は、リツカ」
「リツカだな! 全く驚いたぜ。まさか、アイツが人間を拾って来るなんてな」
「アイツ……?」
「しかもお前、あのニブル山に倒れていたそうじゃねえか! よく無事だったな」
「———?」
「おっと、なんだ……? もしかして知らねえのか?」
「……う、うん」
「ふんふん、そうか、わかったぜ!!
坊主……。お前、ソルジャー志望だろ!?」
「え?」
人が好さそうな青年は興味津々といった様子で、矢継ぎ早にリツカへと言葉を投げる。しかし、リツカにとっては聞き覚えのないことばかりで、全く理解はできなかった。説明を求めようとしても、彼の勢いで掻き消されてしまい失敗に終わる。どうしたものかとリツカが困惑していると、ごつん!という何かを打ち付けたような音が聞こえた。
「馬鹿者、病人に対して何をしている」
「いってえっ! なにすんだ、アンジール!」
「この騒がしい馬鹿がすまなかったな、少年。
大丈夫か? 意識が戻ったようで何よりだ」」
「あ、あの……ここ、は?」
「ああ、ここは神羅の医務室だ。
お前はニブル山に倒れていたところを、拾われて此処に連れて来られた」
音の正体は、ザックスという青年の頭に大きな拳が落ちた音であったらしい。
心底痛そうに頭を抱える彼の後ろから、背の高い男が現れた。
ザックスと同じような見た目をした男は、彼よりも年上なのだろう。
リツカを見下ろした男は落ち着きを払っていたが、相当な手練れであることが何となくわかった。リツカの目は、伊達に数多くの英霊を見てきたのではない。自身は戦えないとはいえ、彼には見抜くことができた。
「どんな気まぐれだって話だよな。アンタもそう思うだろ、アンジール」
「ザックス、言い方というものがあるだろう」
「だってよ……。」
「はあ。……確かに、奴がこの少年を連れて来た時は俺も驚いたさ。
だがあの男は非情ではない。ただ愛想を知らないだけだ」
「……。アンタに言われたくないと思うぜ」
先ほどから聞こえる『アンジール』というのは、この男の名前なのだろうとリツカは思った。そして、ザックスとアンジールのやり取りを聞きながら、自分を拾ったらしい『アイツ』について疑問に思う。そして同時に、此処はまたリツカの知らない『世界』なのだとなんとなく理解する。
知らない世界に迷い込んだというのは確定事項らしい。もはや何度目になるかわからない出来事に、彼は冷静であった。
「……あの、」
「ごほん、すまない。
俺はアンジールだ。ソルジャーをやっている」
「ソルジャー……?」
「ほう、ソルジャーを知らないようだな。 少年、お前の名は?」
「リツカ、です」
「そうかリツカ、お前は何処から来た?」
「……何処から」
そう問われるであろうことは想定していたが、答えは用意できていなかった。
答えを考えるには、リツカはこの世界を知らなすぎる。
どう答えるのが正解なのだろうとリツカが目線を下げると、不意にザックスが「もしかして」と声を上げた。
「お前、記憶喪失ってヤツじゃねえか?」
「……なんだと」
「だってよ。ド田舎に住んでいるヤツでも、ソルジャーのこと知ってんだぜ?
さっきから反応も薄いし、名前以外思い出せねえんじゃねえの」
「そうなのか、リツカ?」
「ええ!?……記憶、喪失……?」
閃いたと言わんばかりに明るい顔をしたザックスと、どことなく難しい顔をしたアンジールの対照的な表情を交互に見て、これはある意味でチャンスじゃないか、とリツカは考えた。
彼らがどのような人間かもわからない中で、下手にカルデアのことやレイシフトのことを説明することはできない。目の前の2人がまだ完全に信用できるかといえば、否である。助けてもらった身でありながら心苦しい気はしたが、英霊が傍にいない今、自分の身を守るのは自分でしかない。
リツカは静かに頷くと、戸惑いながらも2人に視線を向けた。
「記憶喪失、っていうのかわからないんですが……。
俺、何処から来たのか思い出せなくて」
「やっぱそうだろうと思ったぜ!」
「だが、どうする?
連れて来た以上放り出すことはできんぞ」
「そりゃそうだろ。……ま、とりあえず拾って来たヤツに報告が必要だろ」
「ああそうだな。それにまだ完全な状態ではないだろう?
リツカ、お前はもう少し休むと良い」
「……」
「大丈夫だって! いざとなりゃ、俺が面倒見てやっからよ」
「……。いざとならなくとも、お前が面倒をみることになると思うぞ」
「へ?」
「アイツが見ると思うか?」
「いーや、ちっとも。って、……そーだよな」
仲良さげな2人の会話を聞いていると、懐かしい気分になってくるのは何故であろう。リツカは目に影を落とし俯く。カルデアでの皆の会話を思い出すからか、それとも―――。
そんなことを考えているうちに、いつの間にかリツカの目は閉ざされていた。
2人はリツカが眠ってしまったことに気付くと、顔を見合わせて笑い静かに部屋を出ていった。
部屋を出た2人は廊下の先にあるエレベーターに乗り、最上階へと辿り着く。
ガラス張りの長い回廊からは、ミッドガルの夜景を見ることができる。きらきらと輝く街の灯と、魔晄の光に満ちた世界は美しくも、毒々しい。すっかり見慣れてしまったそれを横目に、2人は奥の部屋へと歩き出した。しかし、不意に視界に入った『影』に足を止めた。
「―――明日をのぞみて散る魂
誇りも潰え 飛びたとうにも 翼は折れた
惜しみない祝福とともに 君は女神に愛された
世界を癒す 英雄として―――」
壁に凭れたその影は手にした本のページを捲り上げると、朗々と読み上げ始める。
薄暗闇にありながらも、それの纏う赤は鮮明に映えていた。
「げ。……面倒なヤツに会っちまった」
ザックスは『その男』の顔を見ると、げんなりとした様子で肩を落とした。
男に会う度に聞かされる『詩の朗読』は、『とある男』がすっかり憶えてしまうくらい恒例であり、彼の代名詞とも呼べるものであった。ちなみにザックスは、どうしてもそれが右耳から左耳へと抜けていいってしまい、ちっとも憶えていない。どちらかというと、『とある男』が珍しく饒舌に語る『英雄譚』の方が彼には興味深かった。
それにしても、ソルジャークラス1stの3人組の中で2人もそのような人物がいるのだから、この神羅という組織に集うソルジャーは、ランクが高いほど変人の傾向があるのではないかとザックスは思う。
他の一般兵からすれば、そのザックスもまた変人の中の1人であるのだが、本人は露程も思っていないようであった。
「ジェネシス、任務だった筈では?」
「ああ。どっかの誰かが、急いだものだからね。
あっという間に終わったよ」
「急いだ? 珍しいな」
「新しい子犬を拾ったからじゃないか?
俺は別に興味があるわけではないが、……彼の調子はどうだい」
「ああ、さっき目を覚ましたところだ」
赤い服の男———ジェネシスは鼻を鳴らして笑うと、すぐ近くにある大きな扉に目をやった。アンジールの言った通り、彼は先ほどまで任務に出ていたが直ぐに帰還したらしい。良くも悪くもペースを崩さない『男』が、任務を急いだのは保護すべき対象を発見したからであろうかとアンジールはあたりを付けたが、意外にもマイペースなところがある『男』であることを思い出し、止めていた足を一歩踏み出した。
「なあ、アイツ部屋にいるのか?」
「ふん。出て行ってはいないな」
ジェネシスはザックスの問い掛けに、気障ったらしい仕草で返すと、そのまま背中を向けて2人
とは反対方向へと歩き出した。どうやらもう用は済んだようだ。
「……結局、何だったんだ?」
「アイツなりに気にしていたんだろう」
「はあ? ジェネシスが? 誰を?」
「決まっているだろう。……新しい子犬のことさ」
「新しい子犬ぅ? おい、それって……!」
「ははっ、さっさと行くぞ」
「ちょ、ちょっと待てって、アンジール……!!」
後輩を揶揄いながらさっさと先に言ってしまったアンジールを、ザックスは慌てて追い駆ける。
誰もいなくなった廊下は、再び静けさを取り戻したのであった。
「邪魔するぞ」
他の階の扉よりも重厚なそれをアンジールが開け放つと、薄暗い部屋が彼らを出迎えた。ガラス張りとなっている窓からは、先ほど廊下で見たような光景が広がっている。
部屋の主の肩書に似合いの広い部屋だが生活感はないに等しく、初期配置のままの家具が並んでいる程度であった。
巨大な窓の前には、初期配置の家具の1つである黒い机が置かれており、その間に探し人は佇んでいた。ノックもなしに部屋に入って来た2人に背を向け、眼下の世界を俯瞰するそれは、そこ在るだけでとてつもない存在感を放っている。その姿に思わず足を強張らせたザックスを横目に、アンジールは腕を組むと声を掛けた。
「———セフィロス」
アンジールの呼びかけにぴくりと反応を示した『それ』は、ゆっくりと振り返る。
「お前が拾って来た『子犬』の意識が戻ったぞ」
「……そうか」
「それで、どうするつもりだ?」
「どうするとは?」
「どうやら、あの坊やは記憶喪失らしい。
誰かが世話をする必要がありそうだ」
「なら、ザックス。お前が見てやれ」
「……あー、そう来ると思ったぜ」
「あの坊やの面倒を見ているんだろう? 1人も2人も変わらんさ」
「他人事だと思って……!また俺に仕事を押し付けんのかよ!
ったく、良いよなあ……。1stサマは」
アンジールからの報告に『セフィロス』は淡々と返すと、窓から差し込む
「そういうことだ、ザックス」
「はいはい、りょーかい!
だけどアイツとは違って、ソルジャー志望じゃないんだ。
面倒見ろっていたって、どうすりゃいいんだよ」
「……あの少年がただの記憶喪失なら、体が回復したら街にでも返せば良い」
「ん?どういうことだ」
「なるほどな。世話役兼監視役ということか」
「はあ? まさかセフィロス、リツカを疑ってんのかよ」
「……リツカ? ああ、あの少年の名か。
あの少年の倒れていた場所が、場所だからな。
万が一ということもある」
「万が一って?」
「……ザックス。ここから先は機密情報だ。
2ndには———」
「いや、構わないだろう。アンジール」
「……セフィロス。だが
「問題はない」
「おいおい、問題はあるだろう。最悪社長直々の査定チェックだ」
「別に大したことではないさ」
「お前はそうだろうがな……。
連帯責任を負わされてはかなわん」
「ふっ、……それなら、お前も同罪だな」
「なっ……!そ、それにザックスを巻き込むことになるんだ。
それは流石に許容できん」
「ふむ、そうか。……ザックス」
頭上で繰り広げられるやり取りを、ザックスはただ聞くことしかできない。
きょろきょろと2人の顔を交互に見ていた彼は、唐突なセフィロスの呼びかけにびくりと肩を跳ねさせた。
「お前は、あの少年をどう思う?」
「どう、って……。そりゃ、ごく普通の一般人だろ」
「ニブル山の『魔晄炉の前』にいたとしてもか」
「……!」
「あの場所は禁足地であると同時に、結界に守られた地だ。
入出権限があるのは……」
「社長と、お前のみだったなセフィロス」
「ふん。俺も制限付きだ。今回は偶々任務だった」
リツカが倒れていた場所は、ニブル山の奥地にある魔晄炉の前であった。
その場所は神羅にとっても大事な場所であり、1stであっても無断で入ることは許されていないところであることは、ザックスも知っていた。そんな場所に倒れていた少年を怪しむのは当然のことかもしれないが、彼にはいまいちリツカが何かを企んでいるようには見えなかったのである。
しかしながら、セフィロスは少なからず疑念を持っている様子であった。まさか本当に、あの無害そうな少年に何かあるのだろうかと、ザックスは首を捻る。そうでなければ、このセフィロスという男が、自らザックスに『リツカの面倒を見ろ』などと指示するわけがないし、そもそも倒れていたところを拾ったとしても自らの手で連れて来ることはしないだろう。
いくら考えたところで、伏せられている情報がある以上ザックスには判断のつかないことであった。
わかってはいたが、1stと2ndの間にある壁は分厚い。隣にいるアンジールと、先ほど会ったジェネシス、そして目の前にいるセフィロスの3人は、ソルジャーのトップとして君臨する『英雄』というべき存在である。だが実際、その名をほしいままにしているのはセフィロスであり、若くしてソルジャーに志願するものは皆、セフィロスに憧れ、その背中を追うためにミッドガルを訪れる。その先に待ち受ける過酷な試練を知らず―――。
ザックスもその中の1人であった。任務で彼らに同行するうちに打ち解け、2ndとなった今、ザックスはこうして任務外でも彼らといることが多くなった。
雑用係だと影で揶揄されることもあったが、本人は気にしてはいない。
「な、なあ……それって、ヤバいやつ?」
「無論、ヤバい」
「ああ、ヤバいな」
腕を組んだアンジールと、セフィロスがほぼ同時に頷いた。
どうやら自分はまた『何か』に巻き込まれるのかと、口角を引き攣らせたザックスは足を一歩後退させた。
「そ、そりゃ2ndの俺ごときが入る話じゃ」
「俺が許可する」
一歩下がったザックスを追い詰めるように、セフィロスは一歩前へと出た。その謎の気迫に押されるようにまた、一歩、一歩とザックスは下がるが、一向にその距離は開くことはなかった。
ひい、と悲鳴を上げる後輩を横目にアンジールはただ溜息を吐く。まるで脅しのようだが、これは神羅が誇る英雄の『お遊び』にしか過ぎないことを彼は良く知っていたからだ。その証拠に、いつもならば無風の湖面の如く凪いでいる瞳に、愉快そうな色が乗っている。
「い、いや……待て、」
「なんだ。不服か?」
「……そんなわけない……デス」
セフィロスの武器であれば、軽々と届くであろう距離まで追い詰められたザックスは、泣く泣く首を縦に振る。そんな哀れな彼の姿に、アンジールは心の中で謝罪をした。
彼もまた、興の乗った英雄を止められる術を知らなかったのである。
『第FⅦ特異点 片翼の天使』全面見直&修正のお知らせ
前々から自覚があったのですが、話の軸がぶれており、ぐだぐだになってしまっていることや、見直が足りず読み難い文章となっているため、これを機に全話見直と修正を行おうと思います。詳しくは活動報告をご覧ください。