第FⅦ特異点 片翼の天使   作:陽朧

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3-11 存在しなかった世界①

深い眠りの中でリツカはまた、夢を見る。

今まで数え切れないほど悪夢を見てきた彼にとって、“夢”に繋がる“眠り”は恐ろしいものでしかなかった。夢の中で突然見知らぬ場所に飛ばされ、戦いを強いられることになったりすれば、誰だって眠りに対して抵抗を覚えるだろう。

 

彼がそれを克服できたのは、ひとえにリツカの相棒の存在と、彼を支えるカルデアスタッフの献身的なカウンセリングのおかげであった。だが沁みこんだ“恐怖”はそう簡単には消えず、人理修復を終えた今であっても、どうしても眠ることに抵抗を覚えてしまうのだ。

 

 

 

風に自分の服がはためき、ぱたぱたという音が聞こえてくる。

耳障りなそれに思わず目を開けると、遥か眼下には崩れ落ち荒れ果てた“街”が広がっていた。全てが灰色に塗り潰された色のない世界で、その街はひどく寂しく、悲しいものに見えた。

 

ぼんやりとその光景を俯瞰していたリツカは、はっと我に返った。

レイシフトの際にも空中に投げ出されることは多々あったが、何でもなかったのは彼の周りに英霊がいたからである。信頼する彼らに身を預ければ、必ず安全な着地を決めてくれた。しかし今、空にいるのは自分ひとりであった。このままでは、落下の衝撃でトマトの如く潰れる羽目になるだろう。どうにかしようと考えている間にも、落下スピードは増し、耳を劈く風の音が焦りを誘う。

 

上空に吹く強風に煽られて、くるりと体が反転する。

空を見上げる姿勢となったリツカは、息を呑んだ。

―――灰色の空に、渦巻く黒い雲

ふとそれに既視感を覚えるが、気にしている余裕はない。

リツカの視界に建物が映り込む。地面はもう、すぐそこまで迫っていた。

 

「―――」

 

風の音のみが響いていたリツカの耳に、鮮明にそれは聞こえた。

重みがありながらも、すっと抜けていくような声。

リツカはその声を知っていた。

恐怖に閉じかけた目を開くと、まず差し出された“手”が視界に入った。

黒い手袋をしたそれに、縋る思いで手を伸ばす。

 

 

 

風を受けて扇状に広がる銀髪も、肩から伸びる黒い片翼も、彼を象徴するもの全てがリツカの恐怖を打ち消したのだ―――。

 

 

 

 

 

 

リツカは確かに掴んだ手の感触と共に、何度目かの目覚めを迎えた。

最近は意識の覚醒と消失を繰り返していることが多く、頭が混乱して状況判断に時間が掛かってしまう。夢の中の光景が自然と脳内でリフレインされ、意識がそちらに引き寄せられる。

 

 

「目が覚めたか」

 

「っ!?」

 

「……熱があるようだ。安静にしていろ」

 

「せ……、っ、ごほっ、」

 

 

リツカはそう声を掛けられてはじめて、自分の状況に気が付く。

手に感じるぬくもりは、その男の手を掴んでいるからであり、その男は自分が良く知った人物であることに安心したリツカは、こみ上げてくるものから逃れるように顔を伏せた。だが、何らかの違和感を覚えてリツカは再び顔を上げる。

 

そこには予想通りの男がおり、高い位置からリツカを見下ろしていた。

しかし、何か雰囲気が違う気がしたのだ。リツカが自らカルデアに招いたあの“セフィロス”とも、リツカに呪詛を与えた“英霊”とも“異なるもの”を感じた。

その“異なるもの”の正体は、気配というものかもしれないし、魔力であるのかもしれなかったが、一般人である彼には判別が難しかった。

 

そうやってリツカは、直感的に理解した。

目の前の男は自分の知る“セフィロス”ではないということを。

 

 

「……あったかい、」

 

 

先ほどの夢とは違い、手袋をしていない手から直接伝わる体温に、リツカの口から無意識に言葉が漏れる。するとぴくりと長い指先が揺れたが、リツカの手を振り解くことはなかった。

 

 

「……」

 

 

そのまままた寝入ってしまったリツカの顔は、“先ほど”とは違い穏やかであった。

 

リツカの知らぬところで、ザックスに世話を押し付けたセフィロスが、何故ここにいるかというと、ただの気紛れであった。任務先で少年を保護したのも、部下に預けずに自ら連れて帰ったのも、気が向いたからである。

 

特に理由なく、リツカが眠る部屋へと足を延ばしたセフィロスは、そこで呻き声を聞いた。部屋を覗くと、そこには悪夢に魘される少年の姿があり、その顔色は蒼白でありながら、赤みを帯びており、頬には汗が伝っていた。

セフィロスは今まで病に伏せた経験はない。怪我を負ってもすぐに塞がってしまうため、あまり痛みに呻いたことはなかった。とはいえ、まだ幼さの残る少年が苦し気に呻く姿を放っておくほど冷酷ではなかった。

 

せめて回復魔法(ケアル)くらいは掛けてやろうと近付いたセフィロスは、その手をリツカへと翳した。そこで想定外のことが起きる。眠っている筈のリツカの手がセフィロスの手を掴んだのだ。

自分へと伸びる手に気付いていたこともあり、反射的に剣を握るようなことはしなかったが、一瞬とはいえ動揺に体の動きが止まった。

力強く握られた手に視線を移すと、まだ柔い肌に走る無数の傷跡に気が付く。

剣ばかりを握るセフィロスの手に触れた手は、確かにあたたかかった。

 

はじめて身に感じるヒトの温もりに、セフィロスは目を細める。生まれてから、己に誰も触れようとはしなかった。触れられたかったわけではない。自分はそういうものには縁がないのだと、思っていた。だから、突然与えられたそれに、驚いただけ。それだけ、だった。

 

 

「……」

 

 

離れない手を、握り返すことも振り払うこともなく、ただセフィロスはそこにいた。

 

 

 

***

 

 

 

そわそわと体を揺らしながら、ザックスは1人で神羅ビルの中を歩き回っていた。

任務から帰還したものたちが不思議そうにその様子を眺めていく。

彼らはソルジャーと呼ばれる神羅の傭兵であり、“選ばれしもの”だけがその地位を手にすることができる存在である。いくつかのクラスに分かれており、一般兵から1stまで分厚い層で構成されており、1stまでたどり着けるのはほんの一握りにも満たない。

それでも毎年夢を描く若者たちが、ソルジャーへの門をくぐる。彼らが憧れているのは、ソルジャーだけではなく、英雄”セフィロスに強い羨望を抱いているのだ。

 

 

「おっと、やっべ。そろそろ時間だった」

 

 

ちらちらと見ていた時計をポケットにしまうと、ザックスはわざとらしくそう呟く。待ちきれなかったと言わんばかりに顔を綻ばせて、彼は神羅ビルを飛び出した。

 

 

「おーい、セフィロス!」

 

 

遠目からでもすぐにわかる男の名を、ザックスはぶんぶんと手を振りながら叫んだ。ちらりと視線を向けたセフィロスは呆れたような顔をしたが、ザックスは構わず一直線に彼のもとへと駆けて行った。

 

 

「なあ、今日の任務って」

 

「ニブル山に魔物が大量に出現したらしい。

アンジールとジェネシスは先に向かった。

お前は俺と組む手筈になっている」

 

「うっそ、マジで……!」

 

 

人懐っこい性格のザックスを一番構っているのはアンジールで、鬱陶しがる素振りを見せながらも面倒を見ているのはジェネシスである。セフィロスは任務以外ではあまり外へ出ないので、話すことも姿を見ることも無いに等しいのだ。1stと、しかも“あの”セフィロスと組めるなんて、とザックスは舞い上がった。

 

 

「……」

 

 

浮かれるザックスを横目に、セフィロスはこの度の任務について考える。

神羅の兵士たちは各地に配置されており、何か異常があればすぐに神羅へと伝えられ、危険度に応じて適切なクラスへ回される。セフィロスに回って来る任務は危険度S以上のもので、組む相手もクラス1stの同僚か、もしくは単独での出陣となる。それが今回は、クラス2ndのザックスであったのだ。

 

セフィロスは携帯を取り出すと、任務内容が記載されたメールを開いた。

真っ先に飛び込んで来たのは、“危険度SSS”の文字であった―――。

 

 

 

 

 

巨大都市ミッドガルから少しでも離れると、辺りには山や海、森などの自然が広がる。

都市を行き来するためには車が一番有効だが、こういった場所に向かう場合は、馬車やチョコボと呼ばれる乗り物が活用されていた。

セフィロス1人であればどうとでもなり、同僚とであれば若干の無茶ぶりは許されるが、今回はザックスが同行する任務であるので、チョコボが準備された。

 

兵士用に飼育されたチョコボは、野良の同種よりも強靭な肉体と魔力を持つ。

特にセフィロスの“赤チョコボ”は、チョコボでありながらチョコボを超越した戦闘能力を持ち、最強のチョコボとして名高い。細身とはいえ2m近いセフィロスを乗せても、車よりもずっと早く走れるのだから恐ろしいものだ。

ただし、その色にそぐわぬ気性の荒さを誇り、多くの犠牲者を出したため、今はセフィロス預かりとなっている。

 

「おーよしよし、今日はよろしく頼むぜっ」

 

ザックスは自分のチョコボを散々撫でまわすと、赤チョコボに触れた。

赤チョコボはジト目でザックスを見て、ふいと顔を背けたが、嫌がる素振りは見せない。知性も恐ろしいほど高いそれは、ザックス相手に嫌がっても無駄だということをわかっているのだ。

 

セフィロス以外に触れられれば、途端に暴れ出す赤チョコボだが、ザックスは例外であった。それは単純に世話をザックスが行っているからに他ならない。

 

 

「そろそろ行くぞ」

 

「はいよ!」

 

 

ヒトを乗せられるようにと装着された手綱にセフィロスが触れると、赤チョコボは身を屈めた。地面を蹴り上げ軽々と跨ったセフィロスに続き、ザックスもまた地を蹴った。

『クエッ!』とひと鳴きした彼らのチョコボは、遠くに聳える山に向けて走り出したのであった。

 

 

 

馬車で行けば数日かかる道のりを数時間で駆け抜けると、そこはもう山の中だ。

 

―――ニブル山。決して生きては帰れぬとされる過酷な山である。

 

細く鋭く隆起した高低差の激しい山は、剣山にも例えられるほどであった。

この先は細い道が続くため、2人はチョコボを置いて進む。

チョコボたちは主人の姿が見えなくなると、来た道を戻っていった。

 

言い知れぬ不気味さを醸し出すこの山は、近隣住民でさえも訪れることのない場所である。そのため人気は皆無で、訪れるとすれば神羅の関係者だけであった。

しかし、山に入った2人は異変にすぐに気が付いた。

何かの気配が至るところから感じ取れたのである。

熟練の兵士である彼らは、それが人間のものではないと判断すると、手で得物に触れた。

 

セフィロスは完全に気配を断つと、その気配がする方を見た。ザックスもまた物陰に身を隠しながらそちらを見る。———そこには“影”がいた。

 

人間の形をしてはいるが、全身が墨でも被ったように真っ黒なのだ。

狂ったように呻き声をあげながら、不規則な動きで辺りを徘徊している様子が見て取れた。

それを目にしたザックスは、何か得体のしれない不気味さを感じて背筋を凍らせる。

 

 

「……な、なあ、せ、セフィロス、あ、あれってもしかして」

 

「俗にいう、“幽霊”だな」

 

「ゆっ、ゆうれっ!!むぐっ!!」

 

「冗談だ。静かにしろ」

 

「……むぐぐっ!」

 

 

こんな時に、しかも真顔で冗談をぶっこむな!と言いたかったが、固い革の手袋で口を押えられてしまったため窮屈な声しか出せなかった。わかりやすく揶揄ってくるのとは違い、セフィロスのそれは大変分かりにくい。そして冗談を言うような性格には到底思えない為、なおさら性質が悪いのだ。

 

 

「……あれは、人間でも魔物でもない」

 

 

そう低く呟かれた言葉に、ザックスは目を見開く。

いつからだか突然人間に敵意を持つ“魔物”が出現した。それからというもの人間たちは皆こぞって武装をし、それでも敵わなければソルジャーに依頼するようになっていった。

出現した魔物のデータは神羅に集められているため、セフィロスの頭には現在発見されている全種類の魔物の名前や、性質などが入っている。セフィロスとザックスの目線の先にいる“それら”は、そのどれにも当てはまらなかったのだ。

未知のモノをじっと見据えたセフィロスは、冷静に判断を下す。

 

 

「……お前は、帰れ」

 

「なっ!」

 

「社長に報告しろ。お前の任務はここまでだ」

 

「何言ってんだよ! まだなにも」

 

「充分だ。追加の報告は俺が持って帰る」

 

「ふっざけんなっ! 俺だってクラス2ndだ!

それに……今回だけとはいえ、その、」

 

「……? なんだ」

 

「な、なななんでもねえ!

とにかくっ! お前が戦うなら、俺も戦う!」

 

 

今回だけとはいえ“組んだ相手(あいぼう)”だろ。と勢いで言いかけたザックスは、顔を赤らめて言葉を濁した。対等にはなり得ないのはわかりきっている。だが、いくら英雄とはいえ、組んだ相手をそのまま置いていけるほど、ザックスは割り切れる性格ではない。

 

馬鹿にすんなよ、と言いたげな目で自分を睨み付けるザックスに、セフィロスは溜息を溢すと、『もう良い』と言った。それはザックスを認める言葉でも、突き放す言葉でもない。ザックスの通りの良い声によって、“気付かれた”のだ。

 

 

「……威勢の良いのは構わんが、俺に骨拾いはさせるなよ」

 

「の、臨むところだ!」

 

 

ザックスの持つ怖いもの知らずな勇猛果敢さを、意外にもセフィロスは評価していた。

それは若さ故というよりも、もはや性格なのだろう。“ヒトのため”に熱くなれるザックスを、セフィロスは呆れながらも、内心では羨んでいたのかもしれなかった。

 

 

「あまり離れるな」

 

「……。それを言うならお前、その剣の長さなんとかした方が良いんじゃねえの?

下手すりゃ細切れになるぜ、俺」

 

「下手をしなければ問題ないだろう」

 

「……そりゃ、そうだけど」

 

 

意味不明な雄たけびをあげながら、襲い掛かって来る相手に、セフィロスは剣を抜き放った。そして目だけでザックスを振り返ると、助けに行ける範囲にいろと告げる。

黒い影のような敵はこれまた黒い剣を持っていたが、それを抜くよりも早くセフィロスの剣によって切り捨てられる。飛んできた斬撃派を慌てて避けながら、ザックスはそう突っ込んだが、通じる相手ではなかったらしい。

仕方ねえなあとザックスもまた、己の剣を抜いた。

 

あっさりと倒れて塵と消える敵に、ザックスは首を傾げた。

珍しくセフィロスが、“帰還命令”を発したのだから相応な敵だと思っていたのだ。

拍子抜けしながらも武器を振り下ろした、が。甲高い金属音が耳を打つと同時に、ザックスは反射的に身を引いた。するとザックスのいた場所に、鋭く尖った氷の柱が突き立っていたのだ。

 

 

「あっぶねえ…。ってうおおおおおっ!?」

 

 

冷や汗を滲ませるザックスであったが、次の瞬間、強い力で後ろ首を掴まれたかと思うと、軽々と空へと放り投げられる。慌てながらも空中で姿勢を整えたザックスは、自分がいた場所で凄まじい激戦が繰り広げられているのを目にした。

 

 

「なっ、」

 

 

急に視界がホワイトアウトしたかと思うと、一気に気温が下がった。

吹き荒ぶ“雪”が、ザックスの体をあっという間に真っ白く染める。

四方八方を白い壁に覆われたような視界の悪さの中、剣戟音と爆発音だけが響く。

セフィロスと何かが戦っている。それはわかるが、それだけしかわからない。

 

「っぶっ!!」

 

音に気を取られていたザックスは、迫っていた地面に気付かずに激突するも、いつの間にこんなに積もったのであろう“雪”が、クッションとなりザックスは大したダメージを負わずに済む。

 

 

 

 

 

 

「……震え、凍てつき、砕け散るが良い」

 

「この力、……人間のものではないな」

 

 

 

 

 

雪にまみれ、方向感覚を失ったザックスの耳に、微かにセフィロスの声と、もう1人の声が聞こえて来る。はっきりとは聞こえなかったが、“女性”の声であった。この急激に降り始めた雪に似合いの、凍て付いた声音だとザックスは思った。

 

 

 

 

 


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