騒がしい夜が終わりを告げ、昇りゆく陽の光が大地へと降り注ぐ時刻。
セフィロスが纏う黒いコートに流れる銀と、現れた男の真っ直ぐな金が、窓から差し込む朝日に輝いた。
その日の朝を告げたのは、爽やかな鳥の鳴き声でもなく、台所の軽やかな包丁の音でもない。
掲げられた銃口が照準を合わせた、なんとも物騒な音であった。
廊下で相対する二人の男は、冷えたしじまの中で互いを見据えていた。
「やれやれ……此処に来てから落ち着かないな」
「それは結構なことだ。……アンタのようなものを、そう易々と歓迎するわけにはいかないのだよ」
「ふん、門番のつもりか?」
「これでも、雇われの身でね。それくらいの仕事はするさ」
黄昏の色を融かしこんだかのような亀裂の入った浅黒い体に、虚ろな金の瞳を持つ男は、抑揚を忘れた声でそう言った。
しかし、向けられた赤と黒の二挺の銃に殺気が見えないことに気が付いていたセフィロスは、刀を抜くことはせずただ静かにその金色を見ていた。
魔晄の影響で青く染まった瞳は、男の中を巡る魔力の流れをも見透かす。
セフィロスのその目に映っていたのは、途切れ途切れの回路を何とか継接いで、繋ぎとめているような、危うい男だった。
「……
溜息と共に吐き出された言葉に、男は訝しげに眉を顰める。
何故男がそのような状態になっているのか、セフィロスにとっては何の興味のないことであった……が。
ある意味では、自分の中も同じような状態なのかもしれないと思ってしまったのだ。
それは同情でも親近感でもなく、ただの思考の一つに過ぎなかったが。
「それで、どうする」
「ふ……アンタ相手だと、力尽くで聞き出すのは少々骨が折れそうだ。
俺としてはそちらの方が効率的で好ましいのだが……、まあ、相手は選ぶことにするよ」
「……利口なことを言う」
「どこかの王様を気取った獣と一緒にされては困る。
人間は、話し合うという手段があるからこそ……だろう?」
「一つ問おう」
「……なんだね」
「何故、そこまで俺に興味を抱く?
このカルデアとやらには、様々な英霊が集まると聞いている。
一人一人気にしているわけではないのだろう」
「ああ、殺戮対象かそれ以外かだ。それ以上に興味はない。
だがアンタは、それすらも見えん。あの男もそうであった筈。
「それは……」
どういうことだ、と聞かなくともセフィロスは理解していた。
いや厳密には中の男が知っていた。
方法は英霊の数だけ違うが、反転された英霊……オルタナティブ。
目の前の男がそうなってしまった理由も、知識として、知っている。
だからこそ、問うた。
とある英霊よりも壊れ果てたこの男は、目的遂行のために無慈悲な殺戮を平然と行うこと、それ以外に興味を示さない、殺戮専用機械と自ら謳っている。
その男が自分に興味を示すとするならば、何かしらの命を受けてのことではないかと考えたのだ。
「ほう……。どうやら、アンタは随分知っているようじゃあないか」
金の瞳が愉快そうに細められた。
じわじわと相手を舐る蛇にも似た視線と何かを察したような声が、セフィロスへと向けられる。
正義の味方という在り様を亡くしても尚戦場に赴いた男は、人間の抱える欲望の底にある闇の底すらも覗いた。
絶望の淵で、相手を上手く利用する方法も、蹴落とす方法も学んだのだ。
故に生けるものの、視線、呼吸、仕草などを読み取ることに長けており、裏切りものを見つける為の手段の一つとして、大いに役に立ってきたのだ。
最早癖ともいえるだろうそれを、息をするように感じ取った男はゆるりと口角を上げる。
「何を疑っているのかは知らんが……」
「一つ問おう。アンタのクラスは……何かね」
夜に戦った男よりもこの男の方が面倒だと、セフィロスは目を細める。
興味という言葉が男の中にあるのかは知らないが、気になったものには口巧者となるタイプらしい。
尋問でもされている気分にもなったセフィロスは、銃を下ろして少しづつ距離を詰めて来た男を睨む。
英霊として召喚されたと振る舞わなくてはならないことは、ドクターから聞いていた。
しかし、肝心のクラスなどについては何も聞いていないのだ。
ならば勝手に決めてしまって構わないだろうと、セフィロスは口を開いた。
「アルターエゴ、……とある自我から分離された、一つだ」
厄災ジェノバからの分離体ともいえる肉体を考えると、エクストラクラスの一つであるアルターエゴクラスが相応しい。
それは、咄嗟に出た答えであった。
自我から分かたれた分身を差すアルターエゴクラスは、オリジナルから別れた生命であり、自我を獲得したもの。
そして本体とは理を分かつことができ、身体は同じようでも、違う。まさに似て非なる存在である。
自分の在り様に悩む男の唇から吐き出された無意識の言葉は、もしかしたら男が求めている答えであったのかもしれない。
「……アルターエゴ、か。なるほど。妙に癇に障るわけだ」
瞬間、男の瞳に初めて感情が宿る。
忌々しいと言わんばかりのどろどろとした深淵を浮かべた男は、更にその目を鋭くした。
どうやら地雷でも踏んでしまったようだ、とセフィロスが再びその唇を開いた、その時。
「セフィロス……!此処にいたんだ!」
だだだだ、という慌ただしい足音が遠くから響いて来たかと思うと、現れた黒髪の少年に名を呼ばれる。
教えた記憶のないそれに、セフィロスは少年…リツカに視線を移した。
セフィロスの視線を受けはっとしたように目を見開いたリツカは、慌てて口を噤んだ。
「ご、ごめん……!俺、」
「別に構わない。英霊というものは、始めに名乗りを上げるのだろう?」
この世界ではセフィロスの名を知るものはいないであろう。
英霊が真名を隠すのは、己の弱点が露呈するのを避けるためと聞いたことがあった。
そういった意味では隠す理由はない。動揺一つせずに、セフィロスはそう返した。
「マスター」
「わ!……エミヤオルタ、珍しいね……此処にいるの」
「ふん、そこの男に用があっただけだ。
なあ……マスター、一つ教えて欲しいのだが、良いかね」
「え…?、あ、うん……いいけど、なに?」
ふと己に向けられた金の瞳に、リツカは思わず緊張してしまう。
この英霊の扱いが非常に難しいことはその身を以て知っていた。
己を傭兵とするエミヤオルタという英霊は、一度納得してしまえばそれを命として受け入れただ只管に遂行する。そこに私情も容赦も伴わない。
一言でいうと、融通が利かない英霊であるのだ。
いくら記憶が欠如しようともその在り様は変わらないようで、帳尻を合わせる為ならば悪い方にも頭を回す。
その所為で色々と振り回されたことは、本人は忘れてもリツカは絶対に忘れないであろう。
故に、既視感すら感じる表情と含んだ声を聞いたリツカは、嫌な予感に苛まれた。
「この男は、アンタが召喚した英霊……なのだろう?」
「う……うん、そうだけど」
「それなら、この男のクラスを知っているな」
「……っ!!な、なん……なんで?」
「なに、久しぶりの新人じゃあないか。是非とも仲良くしたいと思ってね」
セフィロスは小さく溜息を吐いた。
どうやらエミヤオルタは、先程の会話で鍵を見つけたらしい。
しかし、鍵穴をみせなければその鍵も役には立つまいと思っていたのだが、もう一人の鍵穴となる存在が現れてしまったのだ。
流石にこれは誤魔化せないだろう。
何ともワザとらしい口調で問い詰めるエミヤオルタとあからさまに動揺を見せるリツカを見て、セフィロスは仕方なく次の手を考え始める。
「おいおい、しっかりしてくれやマスター。
そいつは、アルターエゴ、だろ?」
いつからそこにいたのか。
向かい合うように立つセフィロスとエミヤオルタの間に姿を現したキャスターは、呆れた表情でリツカに言った。
壁に背を預けるその姿に眉間の皴を濃くしたエミヤオルタは、舌打ちを一つ落すと殺気すら滲ませた瞳で睨み付ける。
「おーおー、そんなに怖い顔で睨みなさんな。良いタイミングだろ?」
「ああ、俺の怒りを買うには、本当に……良いタイミングだよ」
ばちばちと火花が散る、錯覚を覚えるほどに一気にその場の空気が緊迫して張り詰めた。
水と油の仲ともいうべきか。嫌悪の顔で睨み合う二人に、リツカはいつものことながら慌てる。
エミヤオルタの意識がキャスターに移ったことを確認すると、セフィロスは話の区切りがついたと判断して身を反す。
「待て。まだ話は終わっていない」
「……これ以上の話は無意味だ。また後にしてくれ」
セフィロスは顔だけで振り返ると、引き止めようとするエミヤオルタにそう吐き捨てた。
同時に、読めない色の瞳を向けるキャスターに一瞥をくれる。
そうして、何も言わずに自室がある方へと歩いていった。
「あ……行っちゃった」
「まあ、晩から朝まで厄介な野郎どもに付き合わされたんだ。
ちぃとは休ませてやんな」
「ええ…!もしかして、クーフーリンオルタとも……?」
「少し前まで、向こうの山で……な。いやあ、お盛んなこった」
去り行く長身の背中に肩を落とすリツカに、キャスターが快活に笑いフォローらしきものを入れた。
そうして振り返ったリツカは、反対側にいた英霊の姿も見えないことに気が付いて溜息を吐く。
「なんだったんだろ」
「さあな。さ、ほれ……此処で悩んでたってしかたねえさ。
さっさと朝メシ食いに行って来な。もう少ししたらレイシフトするんだろ?」
「そうだね……。あ、そうだ。
レイシフトって、セフィロスも出来るのかな…」
「セフィロス…。ああ奴のことか。そんなら、アイツに聞いてみたらどうだい」
「うん、そうする。ありがとうキャスター」
セフィロスへのリツカの用の一つに、レイシフトへの誘いも入っていたのだ。
結局話すことも出来ずに終わってしまったので本人からの承諾は得ていないが、ドクターに確認を取ってからでも遅くはないだろうとリツカは顔色を明るめた。
それにしてもエミヤオルタが誰かに絡むなんて珍しい。そう思ったリツカは交互に彼らが去って行った方に目をやる。
そんなマスターにキャスターは背中を押すような言葉を掛けると、リツカは食堂の方へと走って行った。
「やれやれ、世話の焼ける……」
一人廊下に残されたキャスターは、杖を片手にほっと息を吐く。
そして再び顔に飄々とした含みを乗せると、先程のエミヤオルタと同様にゆるりと口角を上げた。
***
ドクターたちの配慮なのか、与えられたのは一人部屋であった。
すっかり慣れてしまった白い壁と床に囲まれた部屋は酷く殺風景だが、無駄なものを持たないセフィロスにとっては丁度良い静けさである。
シャワーを浴びると、用意されていたラフな服装に着替えた。
英霊たちには睡眠も必要ないらしく服装も礼装であるために、一々服を切り替えることをしないものが多いと聞いた。
女性の英霊などは夜に寝間着に着替えて眠るものが多いらしいが、これもまた個人の自由なのだろう。
水気を含んだ長い髪を拭いつつ、ソファーへと凭れたセフィロスは静かに溜息を吐く。
自室の扉へと近づいて来た気配を察したのである。
間髪入れずにノックされた扉に開いていると声を掛けると、躊躇なく開かれた扉から現れた姿に眉を顰めた。
「お前の顔は見飽きた」
「ひっでえなあ、こんな男前が部屋を訪ねて来たんだぜ?
嬉しそうな顔ぐらいしたらどうだい。
それに、さっき助け船出してやっただろう?」
「……とんだ泥舟だがな」
「どんな船でも、ないよりはマシってやつさね」
肩から流れる青い髪も煌々と輝く赤い瞳も、昨日から見続けているものである。
例え同一人物とは言えない存在であるとはいえ、広義では同じなのだ。
青い瞳が冷え冷えとした視線を送るが、あっけらかんとした笑顔には通じない。
我が物顔をしてテーブルを挟んだ反対側のソファーに腰を下ろしたキャスターは、膝に頬杖を付いてセフィロスを見上げた。
明るい笑みが、ふとランサーにはない表情へと変化する。
落ち着きを払った表情を悟らせないそれに、セフィロスもまた瞳を細めた。
「ま、それよりも先に……だ」
にっと口角を上げると片目を瞑ってみせたキャスターは、素早く術を唱えると杖先を床にかつりとあてた。
ふわ、と柔らかな風が部屋を流れ、水を吸い重くなっていたセフィロスの髪が一瞬で乾かされる。
セフィロスはさらりと流れ落ちた銀の糸に触れると背中へと流し、呆れたように目の前の英霊を見た。
「何のつもりだ?」
「ったく、素直に礼ぐらい言えねえのかい。見てて湿っぽくて仕方ねえ。
あのなあ……良質な魔力を貯めるにも、髪ってのは大事なんだぜ」
「魔術師になった憶えはないが」
「けっ、アルターエゴになった憶えもねえ癖によ。
……それにしても、だ。セフィロス、あんた何処まで知っていやがる?」
「初めにも聞かれたが、……俺は何も知らないさ」
「何も知らねえ人間が、アルターエゴなんてクラス出すかよ。
なあ、そろそろ隠し事はやめにしねえか」
自分の名をあのマスターである少年から聞いたのであろうことは、想像に容易い。
真っ直ぐにセフィロスを見る紅玉の瞳は、今度こそ逃さないとばかりに鈍い光を放っていた。
「……お前たちは、何を知りたい?」
「あんたのことだ。あのマスターがあんたと協力すると言って聞きやがらねえ。
だがあの坊主は人が良過ぎるきらいがあってなぁ。後先考えねえ所もある」
「それが、若さというやつだろう」
「ま、そりゃそこは否定しねえが、な。お前さん、ちぃと怪しすぎんだよ」
キャスターたちはクーフーリン・オルタを捻じ伏せて見せたこの男のことを、人間でも英霊でもない存在であることしか知らない。
セフィロスには伝えられていないが、ドクターをはじめとしたカルデアの職員が彼について色々と調べを進めている。
そして、その間はこの男を英霊として扱うように通達されており、他の英霊たちは事実を何一つ知らされていないのであった。
しかし、歴史に名を遺した英霊をそう簡単には欺けない。
その存在に疑問を持つ者達が動きを見せており、中でもオルタの名を持つ英霊たちがセフィロスに非常に興味を示しているのだ。
そう思ってキャスターは、エミヤオルタとの話を立ち聞きしていたのである。
「……この世界のことは何一つ知らない。知る必要もないだろう。
ただ、あの世界を、終わらせるために……あの少年と手を組んだ。それだけだ」
「終わらせる、ねえ」
「その聖杯とやらがあそこにあるのだとしたら、きっと……アレが持っている」
「心当たりがあるのかい?」
「ああ、……あの、厄災だ」
「ジェノバとかいう、ウィルスみてえな奴のことか」
「そうだ。あれの望みは、わかっていない。
だが……そうだな、アレは星を喰らう。喰らって、次の星へと移り、また繰り返す」
その星の中にはこの世界に影響するものが含まれているかもしれないと、呟いたセフィロスにキャスターは思考を深める。
あの世界がどこと繋がるのかはわからないが、もしこの次元に現れたのならば被害は避けられないであろう。
宇宙からの襲来なのだ。いくら最新鋭の機械が揃っていても、それを予期することはできない。
「あー、もうめんどくせえ!!兎も角、その厄災を殺せば良いんだろ?」
「……頭脳派が聞いて呆れるな」
可能性を語っていても、途方もない話となるだけで解決にはならないのだ。
それに彼らのマスターが、このセフィロスと協力すると宣言している以上共闘しなければならないのである。
ならば、己のやることは疑うことではない。
そう腹を括ったキャスターは、また目の色を変えてセフィロスを見据えた。
「なあ、……あんたのこと、俺は信じるぜ。その代わり、教えちゃくれねえか」
にいと上げられた唇から告げられた言葉に、暫く押し黙ったセフィロスはやがて頷いた。