「どこへ行くの?」
それが姉の口癖だった。
そして、必ずこう続くのだ。
「誰と遊ぶの?」
両親は仕事が忙しく、小さい頃は姉が親代わりだった。
姉なりに僕を心配してくれていたのだと思う。
それが分かっていたから、多少の煩わしさを覚えても特に反発しようとはしなかった。
中学校を卒業して、高校に進学してもそれは変わらなかった。
「どこへ行くの?」
日が暮れる中、玄関から出ようとした時、いつものように後ろから姉の声が投げかけられた。
ボクは少しだけ迷ってから、正直に話す事にした。
「えっと、植物園に……」
「こんな時間から?」
姉は不思議そうに首を傾げた。
「うん。えっと、夜から蛍を見るイベントがあるんだって」
「蛍?」
瞬間、姉の眼差しが鋭くなった。
「誰と行くの?」
「……学校の友達と」
「それって女の子?」
姉は間髪置かずに口を開き、ボクを見下ろすようにじっと観察していた。
まるで、嘘は許さない、と暗に告げているようだった
「……うん」
正直に白状すると、姉は表情を緩めた。
そしていつもの優しい声で言うのだった。
「そう。あまり遅くならないように気をつけてね」
◆◇◆
「わあ、綺麗だねー」
植物園の片隅にある小さなドームの中、解き放たれた蛍たちが鮮やかな輝きを見せていた。
けれどボクは蛍に目もくれず、隣の女友達ばかり見ていた。
彼女はボクの視線に気づく様子もなく、楽しそうに笑っていた。
「ねえ、知ってる? 光りながら飛び回ってるのは全部オスなんだって」
そう言われても、暗闇の中で光る蛍たちの性別なんて判別しようがなかった。
短く相槌を打つと、彼女は薄い笑みを浮かべて静かに言葉を続けた。
「オスの方から光る事でアピールして、メスがそれに応えるように光って、それで合意が成立するらしいよ」
人間も同じだよね、と彼女はボクの目を正面から見上げるように言った。
「私は、男の人の方から言って欲しいかな」
時間が止まった気がした。
思考が白飛びし、言葉が出てこなかった。
彼女はボクから視線を逸らさず、答えを待つようにじっとしていた。
彼女の肩越しに、二匹の蛍が踊るように舞い上がっていく。
「ボクは、えっと、前から、関係を進めたいと思っていて」
言葉がまとまらない。それでも彼女は微笑みながら待ってくれていた。
「あの……ずっと好きで……付き合ってくれないかな?」
「うん」
彼女は嬉しそうに笑って、短くそう言った。
その途端、途方もない安堵感が胸を満たした。
同時に、あまりの呆気なさに不安に似た感情が沸き起こる。
「えっと、本当に?」
「うん。本当だよ。っていうか前からずっと好きだったし」
気づかなかったの?と彼女は呆れるように笑った。
「ごめん……全然……」
「うん。そういう所も、私はいいと思うよ」
それより、と彼女が振り返る。
「ここって暑くない? そろそろ外出ない?」
◆◇◆
植物園の外に広がる遊歩道には、若い男女の姿がちらほらとあった。
誰もが楽しそうに手を繋いで、幸せそうに笑い合っている。
その場の雰囲気のせいか、いつの間にかボク達も自然と手を繋ぎ合っていた。
「ねえ。この後どうする?」
時計に目をやると、すでに午後九時を回っていた。
「そろそろ帰らなくていいの?」
「いいじゃん。明日休みでしょ」
「……と言っても、この時間だと遊べるところなんてないよ」
「んー。休憩できるところなら何処でもいいよ」
「二十四時間営業のファミレスくらいしかないと思うけど」
そこで彼女は意味深な笑みを浮かべた。
「わかってるくせに」
同時に沈黙が落ちた。
それはつまり、そういう事なのだろう。
「一回行ってみたかったんだよね」
悪びれる様子もなく、堂々とそんな事を言い出す彼女にボクは苦笑いを浮かべるしか出来なかった。
「もう少し表現というか……」
「だってそれだと気づかないじゃん」
反論できなかった。
ここから先はボクがリードするべきなのだろう。
「……じゃあ、駅前にそういう所があったし、そっち行ってみようか」
「うん」
繋いだ手が、強く握られる。
互いの体温を確かめ合うように、自然と指が絡まった。
その時、着信音が響いた。
「誰から?」
ディスプレイには姉の名前が表示されていた。
なにか、嫌な予感がした。
緊急の用事かもしれない。
応答ボタンを押す。
同時に底冷えするような低い声が響いた。
「ねえ、どこへ行くの?」