窓からの光を完全に遮断したとある一室。床には、日本語でも英語でもない奇妙な文字が描かれた魔法陣が広がり、不気味な淡い光を放っていた。
壁際には、揺らめく炎が灯されたろうそくが並び、祭壇らしき置物の上には動物の頭蓋骨や正体不明の液体が入った瓶が並べられている――どこか異世界じみた空間。その場所に、一人の少女と一匹の白い獣が向かい合っていた。
「うまい話には裏がある。ずいぶんと、都合の良い言葉巧みで願いを叶えさせていたんだな、貴様は」
棘のある言い方とは反面、その表情はにやり笑みを浮かべていた。
黒装束を身にまとう少女――その衣装はまるで、黒魔術を操る魔女そのもののようなデザインで、彼女の声にはどこか高揚した響きがあった。
「それで、君は願いを叶えるのかい?」
白い獣――インキュベーターは、感情を欠いたいつもの無表情で問いかける。彼女がどう答えるかを、ただ静かに待つだけで、それ以上もそれ以下もなかった。
そんなインキュベーター対して少女は、大袈裟な身振りをしながら笑った。まるで舞台の上の役者のように、広げた両手を誇張し、声を張り上げ答えた。
「願おうじゃないか!」
インキュベーターの計画を聞いたうえで、彼女ははっきりと答えた。
「魔法少女の力――それは私が人の身で一生かけても得られない奇跡の力だ! たとえ魂を抜かれようが、魔女になろうが、その力には価値がある!」
「それじゃあ、君の願いを教えてくれ」
キュゥべえの問いに、少女は一瞬沈黙した。しかし、それは一瞬だけだった。
彼女は笑みを深めると、芝居じみた口調でその願いを告げた。
「ふっふっふ……私の願いはこうだ! キュゥべえ、貴様にとって脅威となりうる少女を蘇らせること! お前の計画に気づき、阻止しようとした人間がいるはずだ! そうだろう!?」
彼女の提示した答え――それは、インキュベーターの計画を阻止しようとした人間の蘇生だ。
ほんの少し話し合うだけでインキュベーターの計画を看破できるのなら、魔法少女たちがその計画を誰も知らない訳が無い。全ては彼女の想像に過ぎないが、しかし確信があった。
「私の願いを何でも叶えると言ったな? 私の資質は人間を一人蘇らせることができるのだろう? 答えろ、インキュベーター!」
少女の声はさらに高まり、キュゥべえを追い詰めるような勢いを帯びていた。
そして、インキュベーターは目を細めることも瞬きすらすることもなく、ただ静かに応えた。
「本当にそれで良いのかい?」
その願いが、本当に叶えたいものだと言えるのか。キュゥべえの再度の問いかけにも、少女の表情は崩れなかった。
命の天秤に差し出す問いは冷たく、そして重い。しかし、彼女は再び芝居じみた仕草で、確かな願いであると頷いてみせた。
「それで後悔が無いのなら、僕は構わないよ」
「ふはははは!!」
キュゥべえが淡々と告げた瞬間、少女は高らかな笑い声を上げた。
その笑い声が部屋に響く中、キュゥべえは無表情のまま耳を伸ばし、少女の胸元に触れる。次の瞬間、彼女の胸から強い光が放たれた。
「――っ!!」
少女は苦しそうに体をくの字に曲げ、光を掴むように手を伸ばす。その手元に、魂を象る輝く宝石――ソウルジェムが形作られた。彼女の願いがエントロピーを凌駕したのだ。
床に描かれた魔法陣の上には、彼女の願いである人体蘇生の産物だろう。何処からともなく光が粒となって舞い上がり、やがて集まり始めた。それらは徐々に人の形を取り――そこには、黄色い衣装に身を包む少女が静かに横たわっていた。
「ま、まさか、この私が、本当に人間を蘇らせることができるなんて……」
黒い少女は目を見開き、息を呑む。人類の英知を持ってしても成し遂げられない結果を目の当たりにし、身震いすら覚えていた。
魔法陣の上に横たわる少女。丁寧に手入れされた二つのカールした黄色い髪と、遠目からでも分かる整った顔立ちを持っていた。その柔らかな表情は、脅威とは程遠いように見える。しかし、少女はただの人間ではない。
黒い少女はゆっくりと彼女に近寄り、身動き一つしない倒れた体を抱き起こした。
「……生きている?」
まさか死んでいるのではないか――そう思い、恐る恐る口元に耳を傾けると、かすかな吐息が聞こえた
意識を失っているだけだと分かり、黒い少女は胸を撫で下ろす。と、同時に、彼女の目に映る優しげな少女が、本当にキュゥべえの言う脅威だとは思えなかった。
「キュゥべえ、この子が貴様にとっての脅威なのか?」
「うん、間違いないよ。彼女ほど、僕たちにとって厄介な個体はいなかったからね」
その言葉を聞いた黒い少女は一瞬身構えるが、すぐに肩透かしを食らったような表情になる。
「これが、脅威……?」
何度見ても、目の前で寝息を立てる少女は、優しげな顔つきと穏やかな雰囲気を纏い、とても恐ろしい存在には見えなかった。
同性から見ても愛らしく、そして美しく感じる女の子そのものだ。
しかし、キュゥべえが嘘を吐けない存在であることを知る黒い少女は、その言葉が真実であることも理解していた。
「ふむ……仕方がない。彼女が起きるまでそっとして――っ!」
インキュベーターの脅威を蘇らせたことに成功したのは良いものの、その人物が気絶していては会話をすることもできない。人体蘇生直後の彼女を無理やり起こす行為も適切なのかわからない。そう思った黒い少女は、胸に抱えている黄色い少女をゆっくりと床に寝かせようとした――その瞬間であった。
「(……な、何だ!? 分からない! だが、はっきりと分かる。こいつはおかしい!!)」
嫌な予感がした。
黒い少女は条件反射のように体を跳ね上げ、胸に抱えていた黄色い少女をその場に投げ出すと、反射的に後方へと飛び退った。自分がなぜそうしたのか、彼女自身にも分からない。ただ一つ、確信だけが胸にあった。
――危険だ。間違いなく、今の自分は危険に晒されている。
魂そのものが警告を発しているかのようだった。魔法少女として変わり果てたその体の奥から響くように、逃げろ、今すぐ離れろと叫んでいた。
地面に投げ出された黄色い少女の体が、鈍い音を立てて落ちる。受け身を取れるはずもなく、無防備に倒れ込んだその姿に、本来ならば心配の一言でもかけるべきだっただろう。だが、黒い少女にはそんな余裕は一切なかった。むしろ、心のどこかでそのまま目覚めないでくれとさえ思ってしまう自分に気付いていた。
黒い少女は、息を殺してその場で屈む。体は強張り、視線は黄色い少女の方へと張り付いたまま。全身が警戒を訴える中、その視線の先で――彼女は動いた。
「……ん、あれ……? ……私は……」
黄色い少女が、ゆっくりと目を開けた。
「ここ、どこ? ……一体何が……私は……ワルプルギスの夜……あれ、キュゥべえ? ……キュゥべえ……うふふ、こんにちは。ケーキでもご一緒にいかがかしら?」
その言葉に、黒い少女は困惑を隠せない。危機を感じていた源となる彼女の視線は宙をさまよい、混濁した意識が垣間見えていた。
「お、おい、お前……」
「あら、キュゥべえのお友達? ……そう、それならあなたもご一緒に……」
意識を取り戻した――とは言い難い。彼女の様子は、まるで記憶が混濁し、断片的に浮かんでは消える言葉をただ口にしているだけのようだった。
視線は定まらず、体をふらふらと揺らめかせている。その掴みどころのない様子に、黒い少女はわずかな動きすら見逃さぬよう警戒を怠らなかった。
「(だが、この状態……私に制御できるというのか?)」
警戒はしている。しかし、彼女を視界に入れた瞬間から、黒い少女自身も危険に晒されていることを自覚していた。
彼女がこの状態で安全かどうかは、誰にも分からない。意識が揺らぎ続ける彼女に声をかけるべきなのか――それとも、ただ様子を伺うべきなのか。どちらが正解なのかも分からないまま、黒い少女の思考だけが堂々巡りを続けた。
会議は踊る、されど進まず。苦々しく思いながらも少女は動けない。その場から一歩も踏み出せないまま、ただ彼女を見つめ続けるしかなかった――が、その均衡はすぐさま崩れ始めた。
「ねぇ、キュゥべえ……キュゥべえ? 本当にキュゥべえなの? 私のことを覚えてる? 私? 私って、誰? この世界は知ってる世界? 知ってる世界って、何? 私は魔女に……魔女? あれ? あなたはダレ? ワタシハ……ダレナノ? ――ウフフ」
突然、黄色い少女の口からあふれ出す言葉。しかしそれは会話ではなかった。
断片的な疑問、記憶の欠片、無意味な繰り返し――それらが次第に狂気を帯びていく。
「あ、ああ……!」
黒い少女は息を飲んだ。理解してしまった――彼女を呼び覚ましてはいけなかったのだと。
部屋の隅に取り付けられたろうそくの炎が、まるで意思を持ったかのように激しく揺れ動く。窓を閉め切り、風が吹き荒れるはずのない空間に、不自然な引力が発生する。まるで、中心にいる彼女が全てを吸い込むように見えた。
黒い少女のソウルジェムが光を放ち、危険を告げる警告が鳴り響く――目の前の黄色い少女の背後に映る影。その輪郭は、人間のものではなかった。
「ウフ、hu、Uhuhuhuhuhuhuhuhuhuhu!!!」
脳をつんざく叫び声が轟いた。
彼女は狂う。狂気に満ちた顔で、異様な笑みを浮かべ、嗤い、歓喜に浸っていた。
どす黒い魔力が部屋中に充満し、その圧倒的な力に当てられた黒い少女は恐怖で動けなくなってしまう。身体が硬直し、声も出ない。ただ、その場で座り――目の前で狂乱に陥る彼女を見守ることしかできなかった。
やがて、黄色い少女のソウルジェムが深い闇に染まりきる。当然の事象の如くヒビが入り、彼女の宝石は音を立てて砕け散った。
インキュベーターにすら脅威と恐れられる魔法少女の魔女が、この世に産み落とされる瞬間を、黒い少女は目撃する――はずだった。
「な、何だと!?」
黒い少女の驚愕が空間を震わせるように響いた。ソウルジェムがグリーフシードに変わることなく、粉々に砕け散ったはずのソウルジェムは、魔力の暴風とともに渦を巻き、次第に収縮し始めたのだ。
インキュベーターから魔法少女や魔女の仕組みを教えられていた黒い少女にとって、目の前で起きている現象は彼らの常識を覆すものだった。濁りきったソウルジェムが黒く染まれば、通常はグリーフシードに変化し、そこから魔女が誕生するはずだ――しかし、目の前で展開される光景は、そのどれとも異なる変化を迎えていた。
「あぁ……この力があれば、本当に世界を変えられそう……」
黄色い少女の手にしていたのはグリーフシードではない。先程粉々に砕けたはずのソウルジェムでもない。それらとは異なる、新たなソウルジェムが産み出されており、それをうっとりとした表情で眺めていた。
「キュゥべえ、久しぶり……よね? ワルプルギスの夜と戦った記憶があるということは、この世界はまだ作り変えられていないのね。安心したわ」
「君たち人間の感覚で言うなら久しぶりかもしれないね。うん、君の言う通り、鹿目まどかとの契約はまだ果たされていない。君が託した想いとやらは、本当に訳が分からないよ」
黄色い少女は、先程の狂気に満ちた様子が嘘のように穏やかな表情を浮かべていた。
達観しているとも思えるほどその声色は酷く静かで、まるで旧友に話しかけるような調子で、インキュベーターに話しかけていた。
一方でインキュベーターは、感情のない淡々とした口調で彼女の言葉に応じる。しかし、その裏には、彼女の存在が自らの計画にとって厄介極まりないものだという苦言が滲んでいた。
そんな中、動かずに静観し続けていた黒色の少女がついに声を掛けた。
「き、君は魔女ではないのか……? ソウルジェムが濁れば、普通はグリーフシードに変化し、魔女へと至るはずだ。それが、何故だ――何故、君は魔女に変化しない。そのソウルジェムは何なんだ。君は一体、何者なんだ……!?」
「そう言えばあなたは……」
意思疎通ができるようになったと理解した黒い少女は、目の前の黄色い少女に問いかけた。これまでの出来事がまるで理解できず、警告音のように胸の内で鳴り響く疑問を押し殺しつつ、まくし立てるように言葉を吐き出した。
インキュベーターは嘘を吐かない。それにも関わらず、説明通りであれば彼女は既に魔女化しているはずだった。にもかかわらず、目の前の巴マミは人の形を保ち、この場に存在している――だからこそ困惑を隠せなかった。
ならば、彼女は一体何なのか。その真意を知るため、黒い少女は怯えを抑え、問いをぶつけていたのだ。
「そうね、私も色々と聞きたいことがあるけれど――私の名前は巴マミ。さっきは取り乱してごめんなさい。あなたが私を蘇生してくれたのでしょう?」
巴マミ――その名前は、ワルプルギスの夜との戦いの果て、この世から消えたはずの少女のものだった。
蘇生について問われた黒い少女は、その言葉に小さく頷く。自分の願いによって、確かに巴マミという人間を蘇生したのだと認めていた。
「ほら、キュゥべえ。私の言った通りでしょう? この世には物好きな子がいるものよ」
「そうだね。君があのとき
キュゥべえの言葉は、まるで彼女が自らの蘇生を見越していたかのようだった。その事実を知らされた黒い少女は、顔を歪める――蘇らせた張本人として、巴マミのその態度は到底理解できるものではなかった。
一体、この巴マミという少女は何を考えているのか――喉元まで出かけていた疑問を押し込める間もなく、彼女は言葉を続けた。
「それで――私は魔女なのか、ですって? うーん、そうね。半分正解で、半分不正解かな」
「ど、どういう意味だ?」
黒い少女が息を呑みながら問うと、巴マミは微笑みながら続けた。
「だって私は、魔女でもあり、魔女でもないから――ねぇ、キャンデロロ?」
巴マミが静かに呼びかけたその名とともに、彼女の背後から小さな存在が現れた。
その瞬間、黒い少女は理解した――それは紛れもない魔女だ。
人間より一回り以上も小さなその姿。ティーカップにもすっぽりと収まりそうな黄色い物体は、見た目以上に強烈な魔力を放っていた。その圧倒的な存在感に、黒い少女は冷や汗を抑えられず、全身が震え出すのを止められなかった。
そんな彼女を見て、巴マミはくすくすと楽しげに笑う。そして小さな魔女――キャンデロロを撫でながら、穏やかに語りかけた。
「大丈夫、この子は安全よ。だって、この子は私自身でもあるんだから。ね、キャンデロロ?」
巴マミがそう言うと、キャンデロロは彼女の周りをくるくると回り始め、やがてその小さな体を彼女の肩に腰掛けた。
まるで甘えるように、両腕のリボンを伸ばし彼女の首元や肩に絡みつく。自分は無害であるとアピールするように振る舞う姿。しかし、それでも黒い少女には信じることができなかった。
キャンデロロを生み出した張本人――巴マミが安全だと言い切ったところで、黒い少女のソウルジェムは彼女を危険だと告げていた。魔女としての危険性は、ソウルジェムの警告を通してはっきりと伝わってきていたからだ。
「それで、この変化したソウルジェムについてだけれど……正直に言うと、私にも分からないのよ。ただ一つ言えるのは、私が望んでいた力を手に入れた。それだけかしら」
肩に乗るキャンデロロに頬を寄せ、愛おしそうに微笑む巴マミ。その言葉からは、まるで隣にいる小さな存在こそが自分の夢や希望そのものであるかのような響きが感じられた。
彼女が手にする新たなソウルジェム。グリーフシードと混ざり合い、異質な形で生み出されたものだが、その正体について、持ち主である巴マミ自身も理解していない。一つ言えることは、自身を魔法少女と魔女の力、その両方を完全に調和させた存在へと変貌したということだ。
魔法少女と魔女。互いに鏡のように対を成していた二面性。通常、人の身から魔法少女となり、魔法少女はやがて魔女へと堕ちていく。そして魔女となった後は、人間として戻ることは決して叶わない――だが、巴マミはこの輪廻の流れを辿り、そして越え、進化へと至ったのだ。
「――それで?」
巴マミはふと声のトーンを変えた。優しく微笑んでいたその顔に、ほんの少し冷たい鋭さが宿る。
「あなたはどうして私を蘇らせたの?」
「っ!」
唐突に放たれた問いに、黒い少女の肩がびくりと震える。そんな、恐怖に震える彼女に向けて、巴マミはじっと視線を注いだ。
人一人を蘇らせるというのは、並大抵の資質でできることではない。魔法少女という大きな代償を伴い、他の選択肢をすべて捨てる覚悟が必要だ。
確実に利益を得られるような何かを願う選択肢もあったはずだろう。しかし何故、誰かも分からない人間のために願いを叶えたのか。
インキュベーターの行動を理解したうえで、魔法少女という地獄の道に足を踏み入れたのか。
「あなたは私に、一体何を望んでいたというの?」
「わ、私は……私はただ、人を蘇らせよと――」
「違うでしょう?」
少女が最後まで言い切る前に、巴マミは鋭く断ち切った。それは体裁を繕っただけの言い訳に過ぎないと見抜いたからだ。
確かに、黒い少女は人を蘇らせたいと願い、その結果として巴マミを呼び戻した。その言葉自体は嘘ではない――だが、彼女の内に隠された真意からは遠いものだった。
「あなた、今の状況を本当に分かっているのかしら?」
巴マミは冷ややかな視線を少女に向ける。
「あなたは、インキュベーターの陰謀を阻止しようとしていた人間を蘇らせた。それが何を意味するのか、考えずに願いを叶えたわけではないでしょう?」
「わ……私も、対象である。そう、言いたいんだろう……」
黒い少女は震える声で応える。その言葉に込められた意味――蘇らせた本人も、彼女の標的の一人であると。
インキュベーターの陰謀を阻止する魔法少女。それが巴マミという存在だと、彼らが断じた理由は明白だ。
ただ契約を阻止するだけではなく、魔女やその元である魔法少女すら排除する。まさにシステムの根幹に食い込む存在だったからこそ、巴マミは彼らにとって最大の脅威となり得た。そんな存在を蘇らせた少女の行為が何を引き起こすのか、分からないはずもないだろう。
部屋を包む不穏な静けさ。暗闇の中、壁に取り付けられた無数の装飾品が怪しい光を反射し、揺れるろうそくの炎が淡い明かりを灯している。その中心――祭壇の前には魔法陣が描かれ、淡い輝きはまるで生きているかのように脈動していた。
その上に立つ巴マミ。異質な気配を放つ彼女を見つめる黒い少女の唇が震え、言葉を漏らす。
「私は人間ではなく、悪魔を呼び出したというのか」
人を蘇らせるという行為。それは神の領域を侵すものであり、禁忌とされていたが――今、目の前に映る光景は、人間ではなく、悪魔を召喚したかのような錯覚を少女に与えていた。
「悪魔だなんて失礼しちゃうわ。それとも――」
少女が力なく呆然と、魔法陣に立つ巴マミを見つめていた最中だ。巴マミがゆっくりと腕を上げたその瞬間、その先にいる少女の周りには黄色いリボンが湧き出すようにして現れ、拘束してしまった。
黒い少女は抵抗する素振りも見せなかった。実力がかけ離れていることなど身を持って理解していたからだ。
巴マミは歴戦の魔法少女であり、さらに魔女の力をその身に宿している。契約したばかりの自分では、彼女に挑むことすら無意味だと悟っていた。
身動き一つ取れず、抵抗する気力も湧かず、顔を俯かせるしかできない。そんな、絶望の淵に立たされている少女を見下ろしながら、巴マミは冷然と、最後の質問を投げかけた。
「あなたは、私に悪魔になって欲しいのかしら」
「私は……」
悪魔になってほしいのか――まるで彼女の言葉が、答え次第で人にも悪魔にもなれると言わんばかりに響き、顔を俯かせていた黒い少女はゆっくりと顔を上げた。
巴マミは依然として少女に向けて手を伸ばしている。その手が、命を絶つために上げられているのか、それとも救いの手を差し伸べているのか――どちらとも取れるその行動に、少女は迷い、何も答えられずにいた。
だが、沈黙を続けていても何も変わらない。言葉にしなければ、自分の願いを叶えることはできない――インキュベーターに願いを伝えたときのように。
「――私は、誰かに変えてほしかった。手を伸ばしてほしかった。救ってほしかったんだ。一人で部屋に閉じこもり、閉塞感にさいなまれる日々を……誰かに……」
生殺与奪の権を握られた状況で、まるで観念したかのように、少女は胸の奥に溜め込んでいた思いを吐き出し始めた。
彼女には資質があった。それだけの価値が備わっていた――いや、彼女にとっては、それは
容姿端麗、頭脳明晰。どれも同年代と比べて突出していた。しかし、備えられてしまったものがかえって彼女を孤独にした。
他者と会話をしても何処か噛み合わない。思考のズレが積み重なり人は距離を置き始める。整っていた容姿が壁を作り――やがて彼女は一人になった。
彼女にとって一人は慣れていた。両親は仕事で家を空け、一人で過ごすのは日常であり、それが当たり前だと、何度も言い聞かせて続けていた。
「結局、寂しさを紛らわせようと書斎を漁り、怪しい本を読み漁るようになった。全部が眉唾物で、都市伝説の類だと分かっていたけど……それでも、私だけの人間を作り出せるのなら――たった一人で毎日を過ごすことはなくなると思っていたんだ」
黒魔術。そんな荒唐無稽なものに縋る自分を自覚しながらも、それに没頭せざるを得なかった。
寂しさを紛らわすためでも良い。何かに夢中になることで、自分の孤独を忘れたかった。
少女はすでに、自らの心の均衡を失いかけていた。だからこそ――キュゥべえと出会ったとき、彼女は震え、高揚した。自分の命を差し出す準備は、すでにできていたのだ。
「自分自身で変えることを諦めてしまった私は、インキュベーターのような存在に立ち向かう少女ならばきっと、私の何かを変えてくれると思った。でも、愚かだった……誰かに私の願いを叶えてもらうこと自体が、愚かしいことだったんだ」
「それが、あなたの本心――あなた自身が、本当に叶えたい願いなのね」
自嘲気味に吐き出される言葉の数々。巴マミは、そんな少女の瞳をじっと見つめながら、静かに言った。
友だちが欲しいと願えば、友達を得ることができたかもしれない。寂しさを紛らわす存在が欲しいと願えば、それを手に入れることもできただろう。だが、少女はそれを願うことはしなかった。
少女が望んだのは、自ら変わることを諦めてしまった自分を誰かに変えてほしかったのだ。確固たる意志を持つ誰か――インキュベーターという存在に立ち向かう巴マミならば、その力で自分を救ってくれるのではないかと考え、願ったのだ。
「さ、君の望む通り、心の内の全てを曝け出したよ――はは、まさか、私の命を奪おうとする相手が、私の想いをぶつける最初の相手になるとはね。こんな状況じゃ、気恥ずかしさすら感じないよ」
家族にも、誰にも打ち明けたことがない想いを全て曝け出した少女。普通であれば、そんな行為に気恥ずかしさや羞恥心が湧くものだが、今の彼女にはそんな感情を抱く余裕はなかった。
ただ、生き延びる希望すら見えない状況下で、自分の想いをすべて語り尽くすほかになす術がなかったのだ。
「(お父様、お母様……愚かな私を、どうかお許しください……)」
仕事で家を空けがちな両親に対し、邪魔をしてはいけないと自分を納得させ、言いたいことを飲み込んできた日々。話し合い、気持ちを伝える手段はいくらでもあったはずだ――電話、メール、手紙、何でも良かった。それでも何も行動せず、ただ距離を取るばかりだった。
今、命の危機に瀕して彼女はようやく気づく。こんな状況で死ぬぐらいなら、もっと素直に頼れば良かった。もっと我儘を言えば良かった――そう思いながら、少女はゆっくりと目を閉じた。
「(……?)」
だが、いつまで経っても痛みが襲ってこない。不思議に思った少女は、閉じていた目をゆっくり開けた。
そこには、変わらず巴マミが立っていた――だが、先ほどまでの魔女の姿も、魔法少女でもない。少女が恐怖した悪魔でもない。ただ、穏やかで優しげな表情を浮かべた一人の女の子がそこに佇んでいた。
「少し、私のお話も聞いてもらっていいかしら」
巴マミは静かに語りかけると同時に、少女を拘束していたリボンを完全に解除した。
先ほどまでの緊迫した雰囲気も跡形もなく消え去り、困惑する表情を見せる少女であったが、巴マミの声はただ静かに部屋の中へと響き続けた。
「魔法少女は、本当に叶えたい願いを叶えることができない。生前の私は、この世界の理がそうであると確信したわ」
「……今の私のように、ということか?」
「ふふ、そうね。そう言えるかもしれないわ。私が知っている限り、皆んなそうだったの」
巴マミの穏やかな声に、少女は小さく息を飲む。キュゥべえとの契約で何でも願いを叶えられるとされる魔法少女。しかし、その叶うという言葉には皮肉が込められ、これまでの魔法少女たちの姿が巴マミの脳裏に浮かんでいた。
家族の祝福を願い、家族を失った少女。
親友を救うために、親友を地獄に導いた少女。
想い人の隣に立つために、想い人から遠ざかった少女。
家族と共に助かりたいと願い、一人だけ生き残ってしまった少女――。
「あなたは私のことをキュゥべえに立ち向かったと言ったけど、それは違うわ。私は全てを諦めて、全てを救うことを捨てた。何もかも切り捨てて、最も簡単な方法に逃げ続けた結果がこの私よ――あなたと同じくね」
「君は……インキュベーターに脅威と認められた君が、全てを諦めて、逃げ出した私と同じだと言うのか……?」
「ええ、そうよ」
巴マミは肩をすくめるようにして微笑む。少女の言葉を否定することなく受け入れていた。
世界を変えようとした彼女自身が、言い訳ばかり並べ、諦めてしまった過去を持つ。まるで、あなたと同じだと語りかけた言葉に、少女は驚きと困惑が混ざっていた。
「でも――あなたがもう一度、私にチャンスをくれるというのなら。変えてほしいと願うのなら。私があなたの本当の願いを叶える手助けをさせて」
座り込む黒い少女の前に歩み寄り、マミは彼女に向けてそっと手のひらを差し出した。
「逃げずに、諦めずに。心から願う、本当の想いを――あなた自身が踏み出すのよ。ねぇ、あなたは私に悪魔になって欲しいの? それとも……」
巴マミはその全てを少女に委ねた。
魔法少女の力で自分を打ち倒す選択も、悪魔として蘇ったマミに討たれる選択も――そして、自らが本当に願う想いに従い、一歩を踏み出す選択も。どの道を選ぶかは、少女自身に託されていた。
「わ、私……私と――」
キュゥべえに願うのではない。目の前の誰かにすがるのでもない。たった一人の力で、たった一人の言葉で、自らの願いを掴むために――震える手を伸ばした。
「私と、友だちになってください!」
その言葉に、一瞬だけ驚きの表情を浮かべた巴マミだったが、すぐにそれは穏やかな微笑みに変わった。
「ええ、こんな私で良ければ、お友達になりましょう」
黒い少女から伸ばされた小さな手を、巴マミはしっかりと包み込んだのだった。
「あら、広い庭ね。それに、とっても良い天気。風が気持ち良いわ……こんな辛気臭い部屋に閉じこもるには勿体ないわよ」
「私にとっては見慣れた景色なんだ。特に珍しいことはないさ」
「贅沢な悩みよ、もう」
外からの光を遮っていた黒い厚手のカーテンを勢いよくまくり窓を開け放つと、巴マミはその先に広がる景色を堪能し始めた。
見渡せてしまうほどの広い庭と、都会とは違う清々しい空気――初めて目にするこの風景に、吹き抜けるそよ風を受けながら嬉しそうに目を細めていた。
たとえ一室でもこれだけの改造を施し、広大な庭を手に入れられる少女の資質を思うと、マミは少しばかり羨ましさを感じずにはいられなかった。
「それで、巴さんは――」
「呼び捨てでいいわよ。お友達なんだから」
「そ、そうか? それじゃあ……マミ、ちゃん……」
一歩踏み出したばかりの少女に、さらにもう一歩進ませようとするように、巴マミは柔らかく微笑んでみせた。
初めての友達と言うこともあり、少女は言われた通りに名字ではなく、少し恥ずかしそうに下の名前を口にする。その姿が初々しく、可愛らしくて巴マミにはたまらなかった。
「ふふっ、可愛いわ。もっと呼んでみても良いのよ?」
少女の頬がほんのり赤く染まるのを見た彼女は、優しく抱きしめ頬をすり寄せた。
突然のスキンシップに少女は目を丸くしながらも、どこかくすぐったそうに、そして少しだけ嬉しそうに笑顔を浮かべていたが、やはり困惑の色は隠せていなかった。
「と、友達とはここまで距離が近いものなのか?」
「実はね、私も結構寂しがり屋なのよ。嫌かしら?」
「嫌ではないが、少し恥ずかしい……」
友達を作ったことがない少女は、巴マミの距離の近さに困惑しながらも、寂しがり屋だと語り引っ付いてくる姿に嬉しさも感じている。そして、頬を染めながらも、決して拒絶の意思を見せることはなかった。
「それで、マミちゃんはこれからどうするつもりなんだ?」
「そうねぇ……とりあえず、しばらくはあなたの家でお世話になろうかしら。その後は、情報収集をしながら、あなたを鍛えてあげないとね」
「ふむ、確かに私には、勝手に蘇らせてしまった君の衣食住を確保をする義務があるだろうな」
人間が蘇るなど前例のないこの世界で、そんな義務など存在しない。しかし、責任を感じている少女は巴マミの言葉にしっかりと頷き、納得した様子を見せた。
「情報収集と言うが、君の活動はどこまでを想定して動くつもりなんだ? それとも、以前と同じように――」
「いいえ、同じことは繰り返さないつもりよ」
巴マミが生前行っていたように、インキュベーターの計画を阻止するため魔法少女や魔女を始末していくのか――少女がそう問おうとした矢先、巴マミは彼女の言葉を遮り、静かに、しかしはっきりと否定した。
「あなたは諦めずに一歩踏み出した。それなら私も、一歩踏み出すべきじゃないかしら?」
「魔法少女たちを殺さない……と、言うことか?」
「殺す必要が無くなった――かな。全てはあなたのおかげよ」
「私? 私が何をしたんだ」
「あら、あなたは魔法少女の世界にとって革命的なことをしているのよ? 魔女になった私を蘇らせて、魔法少女に戻した。私が諦めた原因を解決したの」
魔女として完全に堕ちた巴マミを、魔法少女として蘇らせることに成功した。そして魔法少女と魔女の力を共存させるという新たな可能性をもたらしたのだ。
これが巴マミという特別な存在によるものなのかは分からない。だが、魔女となった魔法少女を救い出し、元に戻せる可能性がゼロではなくなった――この事実が、巴マミにとっても、魔法少女の世界にとっても、革命的な一歩であることは間違いなかった。
「つまり、魔女に変化した少女たちを元に戻せる可能性が私にはある――と、言うことか。随分と大役だな」
「大丈夫、今の私にはキャンデロロがいるもの。それに、あなたの固有魔法を調べさせてもらえたら、後は私がなんとかする。本当に感謝しているわ」
「それはこちらのセリフだよ。君のおかげで、私は諦めることなく自分自身を変えることができた……ありがとう、マミちゃん」
殺されそうになった相手に感謝するのもおかしな話だ――と、くすくすと笑いながら、少女は感謝の言葉を口にした。
「それに、あなたのおかげで、私は本当に叶えたい願いを求めることができるもの」
「本当に叶えたい夢?」
「ええ、私が本当になりたかったもの」
巴マミは窓から外へ飛び出し、緑が広がる庭で大きく息を吸い込み、新たなソウルジェムを掲げた。
太陽の光を浴びながら、リボンがどこからともなく現れて彼女の体を優しく包む。リボンが舞い踊るようにして次々と衣装を形作り、最後にソウルジェムを装着した彼女は華麗なポーズを決めて、その言葉を口にした。
「世界を救う、
END
これにて、強く気高く孤高のマミさんは終了です。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
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