空が割れた。
真っ暗な世界の外側が見えた。
僕達は、それを写真に収めてツイッターやインスタに投稿する。その写真を見た誰かが「いいね」と無言の心を送って、無関心にスクロールする。
空が割れたのに。
ニュースでも取り上げられた。
飛行機やヘリコプターでどれだけ近くに行っても、その割れ目には辿り着けない。
空が割れたのに。
それを何処か楽しんでいる。漠然とした不安があるのに、その不安を意気揚々と誰かに見せびらかして、「合成だろ」と言われながらその光景を、その世界を楽しんでいる。
それが僕ら人間で、そうでなければ人間ではない。
この地球というとても大きな世界の中の、頂点に立ってしまった僕達は、人間が滅ぶことを理解出来ない。理解しようとしない。何故なら、そんなこと「有り得ない」からだ。世界の頂点であっても、神様じゃないから、ないものを作ることは出来ない。
だから、空が割れたのに僕ら人間はどこかお祭り気分。みんな毎日、道路の真ん中で踊っている。学校も休んで、仕事も休んで、家族皆で美味しいご飯を食べる。ジェットコースターは今日も勢いよく動くし、警察官も休暇が貰える祭り。
人間は、一度消えるべきだ。
いつかのハロウィン・パーティーで、トラックをひっくり返して逮捕されたバカな若者達。大きな空気に呑まれて、自分が大きくなったと勘違いし、小さなことで大きなミスを犯す。そしてそれがまるで大きな空気のせいであるかのように報道され、小さな空気は全て淘汰される。
今も同じだ。少しくらいは、危機感を覚えた方がいい。ねえ、君達。そこの君達に聞いているんだ。裸踊りは楽しいかい?そうかい、泣くほど楽しいかい。折り重なって死んでしまえ。
いつの間にか、この世界の覇者はゴミに変わった。僕はそんなゴミを見て憐れみながら、同時に羨む。当然だ、ゴミが世界の頂点なのだ。人間は梯子を外された。もう一度頂点の景色が見たいと、ゴミを羨望の瞳で見つめる。
ゴミになれたら、どれほど楽だろうか。やれあの子が好きだ、やれあの子が嫌いだ、辛い楽しい嬉しい寂しい……全て感じることも無く、割れた空すら心の外へ追いやれる。いつしか僕のツイッターの通知は止まらなくなり、恐ろしくなってスマホの電源を切った。バイバイ、名前も知らない友達の皆。願わくば、二度と会わないことを。
人間は、一度消えるべきだ。
毎日パレード。毎日が日曜日。毎日開戦のアラームが鳴り、毎日終戦記念日だ。テレビ局もお休みなのか、ほとんどのチャンネルが試験放送。唯一ニュースを放送するチャンネルも、見る気は起きなかった。こんな祭りの日に、家にヤクザ紛いの受信料請求が来ても興醒めだろうから。
パレードの先頭では神輿が踊り、赤いペンキを振り撒きながら馬鹿丸出しの神父ががなり散らす。まるでAKIRAの復活を望む教団のようだ。丁度いい時期だろう?東京オリンピックに万歳、祭りのモーターはやっと温まってきたところだ。割れた空からSOLが撃ち込まれたら、祭りのボルテージは上がるだろうか、それとも下がるだろうか。
小さな世界の覇者だった人間、小さな世界の覇者であるゴミ。割れた空の先にはきっと、もっと大きな世界があって、その中では人間もゴミも、文字通りゴミみたいな存在でしかないんだろう。いつの間にか、この小さな世界から「昼間」という概念は消え、永遠の夜を迎えていた。祭りを続けていたバカで尊いゴミの群れも、これには驚いたらしく、初めて世界の覇者が「滅ぶ」瞬間を背筋の裏に感じ取れたんだろう。バカだなぁ、覇者以外は全員もう感じ取っているよ。……いや、人間もきっと感じ取っていない。僕も同じだ、真の意味で感じ取ってはいなかった。
人間は、一度消えるべきだ。
「世界が終わる時、最期に何がしたい?」
そんな質問を、きっと人生で一度は経験する。僕も辟易するほどその質問をされた。その答えは出るはずも無く、その場しのぎの言葉を投げたり、冗談を言って誤魔化したり。恐らく、誰もがそうして生きていたはずだ。
その言葉が真に迫った時、人間はどのような行動を取るのだろうか。その答えは至極単純だった。
終わったはずの祭りが、再度開催された。死ぬ間際、滅ぶ間際位は、楽しく、面白可笑しく生きていきたいらしい。
人間が造った終末時計。ずっと、ずーっと、23時58分を指し続けている終末時計。
割れた空の先にある、本当の終末時計は、どうやらとっくに0時を迎えているらしい。日付が変わったんだ、「昨日」はもうリセットされる。
人間は、一度消えるべきだ。
だから、僕はそれを受け入れる為にある場所へ向かった。
僕は、一度消えるべきだ。
こうして、滅んでしまう直前にもならないと、自分の心を開くことができない。
僕は、一度消えるべきだ。
最後の最期、終わりを迎えることを知らなければ、逃げ続けた場所に帰ってくることすら出来ない。
僕は、一度消えるべきだ。
あの時求められた助けを聞かなかったのに、こんな状況になって彼女の声が聞きたくて仕方が無い。
僕は、一度消えるべきだ。
世界が終わるその時には立ち上がれるのに、虐められていた彼女を見た時には立ち上がれなかった。
僕は、一度消えるべきだ。
だけど、少しだけ時間をください。
まだ、消えたくないのです。
僕は消えるべきだし、人間は一度消えるべきだ。だけど、消える前に、一つだけ永遠に灯り続ける心を、炎を残しておきたい。
人間は、一度消えるべきだ。
然れど、想いは、消えてはいけない。消えるべきではない。
今更、手を差し伸べたって意味は無い。二人で寄り添っていられる時間なんて、数秒にも満たないかもしれない。
けれど、その数秒が、今まで生きてきた中で、人間が覇者になって、滅ぶ迄の時間の中で、最も尊くて素晴らしい時間になるはずなのだ。
君は、空に一番近い場所で、ただひび割れた空を眺めていた。
そんな彼女を見て、僕は安堵のため息を零す。
「好きだ」
その言葉は、消え入りそうな程に小さな声だった。世界中を沸かせるパレードに比べたら、蚊が鳴く程度の音。
けれど、誰にも邪魔されない、何にもかき消されない。きっと、君にとってはそんな音。いや、僕が「そうあって欲しい」と願っているだけなのかもしれない。
君は振り返り、僕を見つめる。君の背後に見える割れた空が、何故かとても美しく見えた。
「知ってる」
君は、そう言って、消えてしまいそうな程に弱々しい笑みを浮かべた。きっと、怖いんだ。だけど、それを受け入れている。僕も、君も、全部。一度、消えるべきなんだ。それを知っている。
だから、僕は言葉を続けなくてはいけない。
「ごめん」
「いいよ」
今度の君の笑顔は、さっきよりも少しだけ。少しだけ、力強かった。同時に、瞳の端に雫が見えた。
あぁ、これでもう思い残すことはきっと無い。もう、これで消えてしまっても、きっと炎は灯り続ける。ゆっくりと歩を進めて、君の隣へ向かう。
二人で、割れた真っ暗な空を見ていた。その時間はきっと数秒だけ。けれど、僕と君にとってはそれ以上の時間だ。宇宙が出来て、滅びる迄の時間。ずっと、僕と君は二人であの割れた空を見ていた。
消えたくない。
二人で、もう少しだけ。あと一秒、一分、一時間。一日だけ、一年だけ。二人で息をさせてくれませんか。
今になってそんなことを考えてしまう。だからこそ、人間は一度消えるべきだ。わかっている。わかっているよ。
「……おやすみ」
「うん。おやすみ」
暗闇が押し寄せる世界の端で、僕ら二人は目を閉じた。
目が覚めた。
空は割れていない。青空だ。
終末時計が0時を回ったというのに、僕達は消えなかった。
隣には、すうすうと寝息を立てている君がいた。その顔はとても儚く、どんな小さな音でも目覚めてしまうのではないか、という程である。同時に、永遠に目覚めないのでは。そう考えてしまう程に、君は美しかった。
人間は、消えなかった。
滅びは、訪れなかった。
世界の時間が、一瞬止まった。
そして、次の瞬間、祭りが始まった。全てを捨てて、覇者の座を失ったゴミが、人間に戻ろうとする祭り。復活祭だ。世界は変わらない。
君がその音で目覚める。
やっぱり、人間は一度消えるべきだ。