「…………やっぱ囲まれてるか」
「はっ?」
静かな静寂に包まれた森の中。
唐突に放たれたサラディアの爆弾発言に、便利屋の男は素っ頓狂な声をあげた。
サラディアは面倒くさそうに近場の木に赤黒いペンを押し付けながら、
「分からない?」
「全然……。音もしなければ木々の不自然な揺れもないぞ」
「
サラディアは油断なくあたりの様子を伺いながら、端的に告げる。
「森だよ? 敵が放った魔物じゃないにしたって、生き物はいるはず。にも拘わらず、草葉が揺れる音すらしない。……つまり、野生動物はみんなこのあたり一帯からはいなくなってるってことね」
あとは『一帯から野生動物がいなくなっている理由』を考えればいい。
一大生態系が築かれているはずの森において、生き物の息遣いも、草葉が揺れる音もしない──つまり、野生動物がいなくなるのはどんなときか。
「多分、
そう。
『凶悪な魔物』という天敵がいる場合、だ。
「黙っていても生物がいるはずの森において、生物の気配が感じられない理由。それは『魔物』という天敵がいるからだ。そしてその魔物すらも動いていないということは──連中は完璧に魔物の行動をコントロールしているっていうこと」
「…………完全に敵襲に気付いているこの状況で魔物を動かしていないということは、意図的にそうしている──つまり俺達を隠れて包囲しているっていうことになるわけか」
「その通り」
サラディアはようやく
「さて、包囲が完成したみたいだね」
──なんてことを呟いた。
不意に出てきたサラディアの言葉に、便利屋の男はぎょっとする。
反射的にサラディアの手元を見るが、彼女はまだ手慰みのように木々に赤黒い線を書き殴るばかり。
相変わらず便利屋の男にはその『包囲』とやらの気配すら感じとることができないが、自分の横にいる化け物の意見を無視するほど便利屋の男は命知らずではない。
咄嗟に腰に差してある護身用の短剣に手を伸ばし、便利屋の男は呟く。
「……かなりヤバイな……!」
「あー、いいよいいよ。別にアンタの力を借りなくてもなんとかなる」
しかし。
たまらず構えた便利屋の男を制して、サラディアはあっさりと答えた。
つまり、勝利宣言を。
「
『彼ら』がこの森に居を構えたのは、全くの偶然からだった。
カースド系結社──『結実新世』。
カースドと同じく呪術師を結社の根幹に据えつつ、根本的な方針においてあまりにも異質な為に分派してしまった無数の組織のうちの一つだ。
魔物に『種族特有の属性』が存在することに着目し、『属性』の意図的な遺伝について研究しているこの組織の主な活動内容は──魔物の捕獲と飼育、そして繁殖。
それだけであれば無害な組織でしかないのだが、彼らは魔物の飼育の為に周囲の環境整備も怠らない。たとえば、
そうして飼育のコストを他者から奪い取るのを是としているため──彼らの活動は即ち公権力との争いでもあった。
この森に来たのも、前に根城にしていた廃村が近く軍の襲撃を受けるという噂を聞きつけたからであった。
「馬鹿な……! なぜ、『離散』のサラディアが元騎士領などという辺境に来ているのだ……!? ヤツが駆り出される戦場の規模はもっと大きい領域だろう!?」
そんな『結実新世』の首領の男だったが、彼は今明らかに焦燥していた。
無理もない、というべきか。彼らの『悪事』の規模から言えば──村一つ潰すか潰さないか
そんな規格外の化け物が彼らの庭に現れたのだ。焦燥するのは当然と言える。
と。
ピッ、という小さな音とともに、暗がりからペンが『射出』され、首領の男の額に直撃した。
「……落ち着きなよ、リーダー」
その奥。
安楽椅子に腰掛ける少年の一言によって、首領の男は一応の落ち着きを取り戻す。
「…………カーマ」
実のところ、『結実新世』にとってはカーマと呼ばれたこの少年こそが最重要人物であった。
『千手』のカーマと言えば、裏世界ではまるで都市伝説のように語り継がれている名の一つだ。
詳細は不明。具体的な逸話も存在しない。だが、『何か恐ろしい強大なもの』の残り香のように、その名だけが痕跡として残っている。
「もう一度言うよ。落ち着いて、リーダー」
カーマは言いながら、安楽椅子に体重を預ける。ギィ、と木の軋む音が、溜息のように彼らのいる隠れ家に響いた。
「真の強者っていうのはね、名を知られないものなんだ」
そう言うその横顔は、どこか恥じているようですらあった。
「当然だろ? 仕事のたびに敵をきちんと殺していれば、自分の正体を知る者は仕事を仲介する信頼できる者だけ。名を知られるってことは、仕事のたびに取りこぼしているマヌケだけなんだ。かくいう僕も、『千手』のカーマなんて名前を知られてしまっている。もちろん『千手』から僕の真の属性を突き止めることは難しいだろうけど……失態は失態だね」
だが、とカーマは続ける。
敵対者に対する嘲笑の言葉を。
「サラディアはその点でいけば群を抜いている。『「離散」のサラディアは無敵だ』? お笑いだよ。確かにあれだけ逸話が大量に流れていて身元をリセットしないそのメンタルの強さは無敵かもしれないけどね」
──脅威とそれに対する対策が渦のように流れるこの界隈において、情報とは何にも勝る武器となる。
たとえ最強の存在でも、その正体が晒されて対策を練られれば、『その最強っぷり』を発揮する舞台を整えることなくあっさり殺される。
無惨に。
無様に。
無情に。
そういう世界なのだ。
そしてそんな世界において、『離散』のサラディアはあまりにも脆い。
確かに、『属性』は強いのだろう。まともに戦えば敵なしなのだろう。だが、本人がその強さの上に胡坐をかいている。無敵の『属性』に慢心して、自分の命が狙われる危機感を忘れている。
上には上がいるという、当然の法則から逃れたと思い込んでいる。
「無敵なのは、『離散』だ。『「離散」のサラディア』じゃあない」
ダメ押しのように、カーマは最後にこう付け加えた。
「見せてあげるよ。『本当の無敵』が何を意味するのか」
びしゃあ、と赤のシャワーが緑一面の景色を塗り潰した。
ちょうど、サラディアが虎の魔物を『離散』させた直後のことだった。
カーマは首領の男とその配下の男たち数人を連れて、遠巻きにその様子を観察していた。
サラディアを取り巻くように魔物たちを配置しながら、カーマは思う。
(……世にも珍しい『デュオ』の魔物を見ても顔色一つ変えずに『離散』、か。僕らでさえこの森で『アレ』を見つけたときは狂喜したというのにね……。……場慣れしているのか『離散』への過信ゆえか……。どちらにせよ、やはり真っ向勝負では分が悪いな)
『千手』のカーマは『離散』のサラディアを嘲笑するが、決して彼女のことを──彼女の『属性』の脅威を見くびっているわけではない。
むしろ、彼はその脅威を正しく認識していた。『離散』は無敵だ。真正面から戦って勝てる『属性』ではない。
それを認識したうえで、勝算を構築し終えている。
『千手』のカーマは、静かに瞑目する。
化け物を前にしてあまりにも突飛な行動に首領の男はわずかに目を剥くが──やがて彼の持つ『属性』に思い至り、納得した。
『千手』のカーマは、『使役』の『属性』を持つ。
『使役』とは、『他者を使うこと』。だから彼は今までの人生で『誰かを使うこと』を宿命づけられてきたし、その為の異能も与えられていた。
その能力とは――――『一定以上自らと行動を共にしたものの意思を、意のままに操ること』。
たとえば飼育した魔物であれば活動時間が一定を超える為、彼の意のままに操ることができる。
というか、『結実新世』がこうして魔物を軸にした活動をできるのも、彼の異能によるところが大きい。本来魔物は獰猛で手が付けられないため、使役どころか飼育すら難しいからだ。
継続した命令を与えるだけなら最大使役数は一〇〇。リアルタイム操作を行うならば五の生物を同時に操ることができる。
そしてカーマは──この異能をさらに進歩させている。
『使役しているのならば、その視覚すらも認識できて当然である』。
そう『認識』することにより、カーマの『使役』は使役生物の視界を獲得することにすら成功していた。
瞑目して視界をあえて潰すことにより、使役している魔物の視界を完全に把握、有機的な連携をとるこの布陣こそ、『千手』のカーマを『曖昧な都市伝説』という最強の一角に押し上げた必勝の陣だ。
(ヒトの扱える『属性』は、最大で四つ)
瞑目し、五の視界から盤面を完全掌握しながら──カーマは静かに戦略を練り上げる。
(だが、『使役』を持つ僕にその定義は当てはまらない。自分一人の力だけじゃない。僕が使役した生物全てが、僕の持つ『属性』だ)
『暴風』と『灼熱』を持つ禿鷹。
『粘膜』と『加速』を持つ蟒蛇。
『怪力』と『硬化』を持つ土竜。
『巨大』と『吸収』を持つ蝦蟇。
『暗闇』と『閃光』を持つ蝙蝠。
都合、一〇の『属性』。これを自在に使われた日には、被害者は『千の手』──その錯覚を抱くことだろう。
だがその能力を以てして、カーマが目指したのは小手先の応用や相乗効果ではなかった。
そんなものが『離散』に通用しないことは、とうに分かり切っている。
だから彼が目指したもの、それは――――
(圧倒的、物量)
直後。
戦争が、始まった。
禿鷹が『灼熱』の『暴風』を叩きこむ。
それを無力化できる『粘膜』を持つ蟒蛇が『加速』してサラディアへ肉薄する。
『巨大』と『吸収』を持つ蝦蟇が禿鷹に対する盾になる。
『怪力』と『硬化』を持つ土竜が地面から忍び寄る。
蝙蝠は『暗闇』と『閃光』を使うことでサラディアの視覚情報を完全に奪う。
いかに『離散』が無敵といえど、『属性』とは使用者の認識によって機能する。
つまり、サラディアが対処しきれない圧倒的物量によって攻勢を仕掛ければ、たとえば禿鷹の『灼熱+暴風』を『離散』させたとしても次の蟒蛇や土竜が向かってくる。禿鷹を無力化しようとしても蝦蟇や蝙蝠がその動きを阻害する。
そうこうしているうちに『結実新世』の人間も戦場に加わる。
こうなってしまえば、『離散』がどれほど強力であっても無駄なことだ。それが、たった一人の人間の限界でもある。
当然、サラディアは遠からずミンチに──
────なるはずだった。
(…………あ?)
異変に気付いたのは、『使役』しているはずの禿鷹が一向に動かなくなったからだ。
確かにサラディアは強かった。
禿鷹の『灼熱+暴風』をただ『離散』させるのではなくその向きまでコントロールすることで蟒蛇や土竜を吹っ飛ばし、光の『離散』を操ることで蝙蝠の明暗操作に張り合い、蝦蟇さえ殺そうとした。
だが、それで終わりのはずだったのだ。
彼女の身体には無数の切り傷が生まれ始め、近くにいる男はもはや自分の身を守るので精一杯になっていた。
このまま行けば、確実な勝利が待っていたはずだったのに──
──『使役生物』たちが、急に動かなくなった。
もちろん『使役生物』に自由意思は存在していない。まるでそうあることが悦びであるかのようにカーマに従う。そのはずなのに……動かない。まるで、カーマとの間にあった『何か』が切断されたかのように。
「甘いなぁ、甘い甘い」
『使役生物』の視界ごしに見える亜麻色の髪の女が、けらけら笑いながら嘯いた。
ゾッ、と。
カーマの全身が、一瞬にして総毛立つ。
(ま、さか……! まさか、この女………!!)
それは、この場において最悪の可能性。
(僕の『使役』を、『離散』させやがったのか……!?)
そうとしか、考えられない状態だった。
『属性』は『属性』に対して干渉できない。いくら『離散』が無敵だとしても、『使役』の力を離散させることはできないはずだ。
だがそれは、カーマの知る定説にすぎない。
何せこの世には、『呪術』という例外が存在する。
呪術の中には、この世でただ一つだけ『属性』に干渉する技術──『属性簒奪』が存在する。『結実新世』の大元であるカースドが生み出した技術であり、『属性』を宝玉として抜き出し管理することができるのだ。
ここで重要なのは、『属性を抜き出す技術』ではない。
大事なのは、
カーマは知っている。
最初に『火炎』と『冷気』の猛虎をけしかけたときに見ていた。
サラディアが、意味ありげに赤黒い炭で近場の木に何かを書き殴っていたのを。
あれが、呪術の発動条件を満たすための行為だとしたら?
既にサラディアが『離散』と『呪術』を組み合わせ、『目に見えない「属性」による繋がりを「離散」させる方法』を開発していたとしたら?
『
『離散』のサラディアに対して、使役生物をけしかけさせることはできないのでは…………?
そこまで思いを巡らせ、カーマは、
(…………よかった)
安堵した。
(君の底がその程度で、本当によかった。『離散』と『呪術』を組み合わせる
『千手』のカーマは、デュオだ。
『使役』の『属性』の他に、『射出』の『属性』も備えている。
無論、『使役』に比べてあまりに汎用性の低い『属性』であるため、使用頻度は低くできることも少ないが──同時に彼は、呪術師を組織の根幹に置く『カースド』に連なる組織に属している。
たとえば。
『
「……はい、おしまい。魔物の配置からして……術者がいるのはそのあたりだね?」
当然のように居場所を言い当てられたカーマだったが、彼に焦りはない。
首領の男以下結社の人間は既に戦意を喪失しているようだったが、彼にはまだ勝算がある。
「甘いな、『離散』のサラディア! 僕にはまだ『使役生物』のストックがある!!」
「──ッ! マズいサラディア! ソイツ、使えなくなった魔物の操作を別の魔物に移すつもりだ!」
一気に飛びのきながら、カーマはサラディアに叫ぶ。
その一瞬後で、カーマがさっきまでいた場所で鮮血の嵐が吹き荒れた。
一瞬前まで仲間だった肉塊には目も向けず、カーマはサラディアに全神経を集中させる。
当然、今の発言はサラディアの意識を少しでも他に向けるためのブラフだった。
『使役』を待機命令モードから完全操作モードに切り替えるには、使役対象を半径五メートル内に収める必要がある。
だが、サラディアはそんなことを知らない。幸い近くにいた男がブラフに引っかかったこともあり、サラディアの警戒はカーマから外れていた。
(ここだ!!)
そしてカーマは、その一瞬を見逃さなかった。
ドヒュッ!! と。
カーマの手にあった赤黒いナイフが、サラディア目掛け高速で飛来する。命中するだけで命に関わる威力だ。
「っ!!」
サラディアは超人的な勘によって直前で気付いて、身をひねったようだが──
「…………
その頬には、深い切り傷が生まれていた。
『属性』を簒奪する呪術が込められたナイフによる、切り傷が。
「……痛いで済んでよかったね」
カーマは静かに、落ち着き払った声でそう告げた。
もはや、彼の『使役生物』は完全に動きを取り戻していた。
彼の『属性』を阻んでいたものは取り払われたのだから、当然である。
「…………? ……まさか、今のナイフ」
「流石の勘の良さだね。そうさ、『属性簒奪』だ。君の『離散』は」
ばばばばばばっ!!!! と。
直後、『使役動物』の視界が暗転した。
いや。
カーマの目の前で、そのすべての頭がはじけ飛んで『離散』した。
「………………はぁ?」
素っ頓狂な声が自分のものであると、カーマが理解するまで、たっぷり五秒かかった。
「『離散』が、なんだって?」
その地獄を生み出した女は。
『離散』のサラディアは、まるで悪戯が成功した子供のように楽しそうな笑みを浮かべ、そう言った。
「え、そんな……だってナイフは当たって…………………………………………なんで?」
「その『離散』の属性珠っていうのは、これのことかな」
くつくつと嗤いながら、サラディアは懐から一つの珠を取り出す。
禍々しい光を内包したその珠を見て、カーマは絶句する。
「………………そんな。まさか、お前、そんな、そんな……!」
この属性珠は、ナイフの切り傷によって生まれたものではない。
ナイフの切り傷によって、属性珠は生み出されていない。
つまり。
「
「ご名答」
ボッ、とカーマの右足が『離散』した。
いや。
すべては、仕組まれていた。
『離散』のサラディアは無敵。
その風評すら、サラディアの掌の上だったのだ。彼女は無敵の『属性』を操る最強の殺し屋なんかじゃない。そう相手に思わせ、誤情報で全ての歯車を滅茶苦茶にする、狡猾な暗殺者だったのだ。
「魔法、呪術、属性。三つの力っていうのは根本的に、『できること』に違いはない。違いがあるのは過程と、
まるで講釈をするみたいに、サラディアは赤黒いペンを振りながらそう告げる。
「ッッッッ、がァァァあああああああああああああああああああああッッ!?!?!? 馬鹿なァァあああガブチャッ」
「────『使役した者の痛みも理解できて当然』。……アンタがそんな人間だったら、今頃這いつくばっているのは私の方だったかもね」
そして最後に、カーマの視界が暗転した。