結論から言えば、情報屋を生かしておいたのは正解だった。
彼自身は下請けの下請け程度の重要度しかない末端構成員だったが、彼自身の力量については折り紙付きだったからだ。
彼は自らの命を守る為、ものの十数分で次々と依頼主に繋がる『仲介者』の居所を突き止めていく。
「クソったれが!! だが情報を扱っているからといって戦えないとでも―――
「彼我の実力差も分からないようじゃ遅かれ早かれこうなってたよ」
『離散』のサラディアを前にして戦闘態勢を崩さない無鉄砲を殺し。
「ま……ッ、待て! 俺は国から直接依頼を受けている人間だぞ! そんな俺を殺せば──」
「心配すんな。罪を被せる相手は既に見繕ってる」
この期に及んで己の立場しか交渉材料のない弱者を殺し。
「…………まずいな、命拾いをした実感が湧いてきたよ。こういう気の緩みで人は死ぬんだ」
「それを分かってる間は安泰だ。死にたくなけりゃ雑念は散らして仕事するんだね」
正しく己が辿るかもしれなかった
情報屋は正しく有能だった。
その結果────。
「……確定だな。この件の黒幕は、元騎士領の再開発を推し進めるプロジェクトを主導しているのは──ブラグハート卿。一〇年前、騎士領が
「よくやった。──アンタとは今後とも、いい関係を築いていきたいね」
情報屋は無事、『命拾い』をすることができた。
さて、ここから先はまた、『離散』のサラディアの物語になる──。
崩壊の音が連続した。
その音の源である、豪奢な屋敷の主──ブラグハート卿は、その最奥で震えていた。
「馬鹿な……! 何故だ!? 『〇一号』はどうした!? 『離散』のサラディアを殺す手はずでは……」
「白々しいね。分かっているくせに」
カツン、と。
崩壊音の連続の間隙で、一つの足音が卿の耳に紛れ込んだ。
普通なら騒音に紛れ込んでしまう程度の小さな音でしかなかったが、それでもブラグハート卿の耳はそれをしっかりと聞き取っていた。
まるで『それを聞き逃すことは死に直結する』と本能で分かっているかのように。
なぜなら、その足音の主は。
「『離散』の、サラディア……!!」
ブラグハート卿が触った逆鱗の、主でもあるのだから。
「分かった!! 取引をしよう!!」
サラディアの存在を確認した、その瞬間。
ブラグハート卿は即座に物陰に飛び込んで、そう言った。サラディアの足音が、止まる。
「騙すことになって申し訳なかったと思っている。だが仕方がなかったことを理解してほしい! あの時点で私の知り得る情報では、お前を信頼できるだけの材料がなかったのだ!」
「それで?」
「……っ、私が死ねば、この国は未曽有の混乱に包まれるぞ! それはこの国に暮らすお前も求めていないはずだ。今なら退き返せる。冷静に、損得で状況を見ろ! この場で私の命を交渉材料に使い、有利な約定を結ばせる方がよっぽどお前の利益になるとは思わないか!?」
それは確かに、一面では事実だった。
ブラグハート卿は国土の再開発を任され、また人間の域をはみ出た化け物を生産するだけの技術力を保持している実力者だ。今は負の側面ばかりが見えているが、彼の関わる事業が人の命を救うことだってある。
それらが彼の死によりそれが宙ぶらりんになれば、国を襲う混乱の被害だって軽くは済まない。
翻って、彼を生かせばどうだろうか。
もちろん裏切りを防止する手法を考案する必要はあるものの、それさえクリアできればブラグハート卿の後ろ盾は得たも同然。サラディアはより盤石なバックアップを受けて裏社会に君臨することができる。
合理で考えれば、呑んだ方がいいに決まっているこの申し出。
「分かってないなあ」
しかしサラディアは、その提案を一蹴するだけだった。
「分かってない。圧倒的に分かってないよ、アンタ。情報収集力ってヤツがまったく足りてない。いや、情報ってヤツは大事だよ。私も、情報屋のヤツがあそこまで使えなきゃこんなに早く此処には来られなかった」
「な、なにを言って……」
「
一言だった。
合理で動く闇の住人、その極地──『離散』のサラディアは、全ての前提を破壊するようなことを告げた。
「アンタはもちろん情報屋も、便利屋ですら勘違いしてるけどさ。私は別に合理で動いてるつもりなんかないよ。情報屋を生かしたのだって『アイツの生き方が気に入ったから』だし。それに……」
嘲るような笑みで。
「
奴隷に告げるように、そう言った。
「『属性』を斟酌しない異端者? 全てを合理で判断する冷徹な仕事屋? ハッ! 笑わせるね、『合理』の為に自分を殺して、意に沿わない最適解を並べ立てる生き方なんて『奴隷』の極地でしょ。私の行動の決定要因なんて一〇〇%感情。全て自分の思うがままに動いた結果だよ」
合理で全てを判断する計画的な仕事人、
ただ己の裡から発露した感情の動きを、正直に出力する。常人であれば確実に死ぬしかない愚かな行動が、結果として闇の世界の一角に君臨するだけの力を持つ。
真の『自由』とは、他者の決めた
それが、『離散』のサラディアという女の生き方。
だから。
「私はセオリーに囚われない」
『離散』のサラディアは、懐からあるものを取り出す。
それは、何かの破片だった。鈍色の細長い金属のようなものの、切れ端。そこに錠前のような装置が取り付けられている。
サラディアはそれをブラグハート卿にも見えるよう、机の向こう側へと放り投げてやる。
机の向こう側から、息を呑む声が聞こえた。
「だから、目に見えて危険な化け物のいる檻を破壊して、その化け物をこの屋敷に放逐することだってできる。合理で物事を判断する人間ならまずやらないよね。余計な仕事が増えるだけだもん」
「この、狂人が……!!」
「最高のリアクションをありがとう」
瞬間、サラディアとブラグハート卿を遮っていた机が、どこからともなく発生した圧力によって『離散』する。
音もなく爆裂した机の先では、錠前を持ったまま唖然としているブラグハート卿がいた。
「さて、ここで問題だ。感情で動くはずの『離散』のサラディア様は、いったいどうしてこんなに回りくどい追い詰め方をしているでしょう? 感情で動くんなら、一刻も早く自分の破滅を回避するためにアンタを殺すはずなのにねえ?」
「………………」
「ヒントは、元騎士領」
サラディアの言葉から、遊びの色が失われた。
対照的に、無言だったブラグハート卿にうっすらと余裕のない笑みが浮かぶ。
「……なるほど。貴様、
────かつて、この国には騎士領と呼ばれる地域があった。
実際に行政区域として存在していたわけではない。ただ、この地域を出身とする騎士が『地元の名士』として多大な影響力を誇っていたためにこう呼ばれ始めただけだった。
やがて騎士の息子もまた父の立場を継承し、そうして騎士領は何の実効的名目もないまま『騎士領』として受け入れられていった。
しかし今から一五年ほど前、騎士領は当代領主の不祥事が発覚し、取り潰しとなった。その不祥事の発覚を主導したのが、他でもないブラグハート卿だった。
「ああそうだよ。アンタに
壁中に赤黒い文字を刻みながら、サラディアは答える。
つまり、不祥事は『発覚』したのではなく『捏造』されたのだということ。
「…………復讐、か」
吐き捨てるように、ブラグハート卿は呻いた。
「くだらん! くだらんぞ『離散』のサラディア! お門違いも甚だしい! 復讐だって? 確かに、お前の父親の失脚の原因を作ったのは俺かもしれない。その結果お前の両親が死んだのなら、それは俺の責任だとお前は考えるのかもしれない。だが!!」
言いながら、ブラグハート卿はサラディアに人差し指を突き付ける。
己の死は確定としたうえで、それでも目の前の怨敵の心に、少しでも傷をつける為に。
「その運命を引き当てたのは、サラディア!
言う。
誰かの悪意など問題ではなく。
そもそも、その身に宿した『属性』が元凶ではないのか、と。
両親が死んだのは、お前のせいではないのか、と。
「人のことを指さすなよ、不快だから」
べきりと、枯れ木のような音を立てて、ブラグハート卿の人差し指が捩じり折れた。
あまりのことに声もなく蹲るブラグハート卿を見下しながら、サラディアはただ無言でいた。
「は、ハハっ……図星を突かれたからって、キレるなよ……! 無様だな……!」
だが、それがブラグハート卿には面白かったらしい。
余裕のないまま、破滅者そのものの笑みを浮かべる。
「皮肉なものだなあ、サラディア……。報告には聞いているぞ。お前、『離散』の属性を抜いているそうだな。そうまでして、『ノンマン』になってまで『離散』から逃れようと、過去からは逃げられない。お前は、やっぱり『
「………………はぁ。幾つか、勘違いしているようだけど」
サラディアの心を傷つける言葉の刃に対し──サラディアの反応は、淡泊だった。
気負うところはない。繕ってもいない。『何か面白いものが見られると思ったのにこれでは拍子抜けだ』という、気楽な落胆がそこにあるだけだった。
「一つ、私は過去から逃げるつもりなんてない。二つ、属性を抜き取ったのは私の意思じゃない。三つ、
「……なん、だって?」
ブラグハート卿の言葉が、止まる。
──『離散』のサラディアを目の前にする。その圧倒的な絶望からの逃避に、ブラグハート卿は命ある限りサラディアの心を傷つけようと躍起になっていた。
だが、その先にあったのは、そもそも罵倒など歯牙にもかけていないとばかりの呆れ。その事実が本質である絶望を思い出させ、ブラグハート卿の思考を停止させたのだ。
茫然とするブラグハート卿に、サラディアはさらに続ける。
いや。
もはやブラグハート卿に、ではない。ただ己の罪を吐露するかのように、誰に言うでもなく呟く。
「父は、私を守ろうとした。『離散』によって大切なモノを失ってしまわないように、と。だから呪術師と取引をして、私の『離散』を抜き取った。冤罪事件が発覚したのは、それから数か月後のことだった」
つまり。
つまり──ブラグハート卿による冤罪は、サラディアの属性など何の関係もなく、
「そして私は、父と取引をした呪術師達の組織に身柄を保護された。……優しい人達だったよ。世間知らずのお嬢様に一から呪術の手解きをしてくれる程度にはね。……本当に、いい人たち
──関係ない、はずなのに。
何故かサラディアは、
「その人たちも『離散』したよ」
まるでそれが、己のしたことであるかのように。
「
きっとそれ自体は、この世ではありふれた悲劇なのだろう。
しかしサラディアは、それを悲劇として扱わない。悲劇ではなく、己の行動の結果として受け止めている。
「その後も、色んな人たちと出会った。敵、味方、色んな立場があった。でも、私と関わった組織は例外なく『離散』していった」
『属性』などなくても。
ただ、当たり前に生きた結果の出力が、『離散』になってしまう。
「『属性』は既にない。だから、『離散』のせいではない。それで気付いたんだ」
サラディアは、いっそ清々しいくらいの調子で笑い、
「
と、簡潔な結論を口にした。
「全てを離散させたのは、ほかならぬ『私』の人間性だったんだ。私のことを救う為にカースド系結社と繋がりを持ったから、父は他の勢力と関係を結べず、それによって冤罪を押し付けられることになった。私に呪術の才能がありすぎたから、恩人たちはその扱いを決めかねて空中分解した。ほら、『離散』なんて関係ないでしょ」
だから、とサラディアは言って、
「『属性の奴隷』だと? 笑わせるなよ、そんなちっぽけなモノで……私の
噛み千切るように、そう断言した。
己の不遇は、『属性』によるものではないと。
そうではなく、全ては己の責任によるものだと。
『離散』のサラディアは、確かに自由だ。『属性』を失うも、類まれな『呪術使い』の才能によって裏社会に君臨している。『属性』だけでなく合理にすら囚われず、己の感情の赴くままに行動し、そして生き残ることができる。
何からも解放された、自由な存在。
解放奴隷。
──だがそれは、同時に逃げ道もないことを意味する。
己がこうなってしまったのは『属性』のせいだ。
これが一番『合理的』な方法だから仕方がない。
そんな言い訳は、サラディアにはない。全ては己の感情の赴くままに決めたことなのだから、その責任は一切合切余すところなくサラディアに向く。
人を陥れるのも。
人を欺くのも。
人を殺すのも。
すべてはサラディアの自由意思によるものであり、ある面で言えば『属性』の影響を受けた結果歪んでしまった千手のカーマと呼ばれた少年などより、よほど罪深いのかもしれない。
だから、
自分に、祈るべき救いなどないと疾うに理解しているから。
「…………待てよ」
そこでふと、ブラグハート卿は疑問に行き当った。
『離散』のサラディアが合理で生きているわけではないことは、分かった。
感情のままに生きて、それが結果として生存に繋がる実力の持ち主であることも、分かった。
己の『離散』にまつわる運命の数々の原因を自らに見出していることも、分かった。
では──何故、サラディアはこんな話を聞かせたのだ?
ブラグハート卿に対する復讐の前段階として恨み節の数々を聞かせているのではないなら、いったいどういう理由でこんな『無駄な時間』を使っているというのだ?
まるで、時間稼ぎをしているような────、
カッ、と。
サラディアが壁に文字を書き終えた、直後だった。
黒い流星が、天井を突き破ってサラディアへと激突した。
否、それは黒い流星ではない。
首にゴテゴテと金属製の首輪を取り付けられた『そいつ』は、『〇二号』と呼ばれる個体だった。
『調和』が上手く機能し知性を保っていた『〇一号』と違い、『〇二号』は移植した『属性』が強すぎたため、『調和』でも知性を保つことができず、呪術による守りを施した牢屋で『保管』していたのだが──
「あの、女……ッ!」
先ほど、サラディアはこう言っていたではないか。
「だから、目に見えて危険な化け物のいる檻を破壊して、その化け物をこの屋敷に放逐することだってできる。合理で物事を判断する人間ならまずやらないよね。余計な仕事が増えるだけだもん」
──と。
つまり彼女は、此処に来るまでの間で『〇二号』の檻を破壊していた、ということ。
そして肝心のサラディア、黒い流星の墜落地点は────。
────────。
『離散』のサラディアの、首なし死体。
それを見て、ブラグハート卿は理解した。──これは、復讐なのだ、と。
ブラグハート卿の見立ては最初から正しかった。『離散』のサラディアは、一連の黒幕がブラグハート卿だと判断した時点で復讐を始めた。
しかしその復讐対象は、ブラグハート卿などではない。
──『己』だ。
これまでの人生で色々な人々を『離散』させてきた己に対する『復讐』を、『巻き込んでも心が痛まない人間』の場所で行ったということ。
「クソったれ…………あの女、あっさり死にやがった……!!」
その真意を把握したブラグハート卿は、憔悴しきった調子で呟いた。
死に場所を探していた、ということなのだろう。
呪術使いとしての才能を持つ『離散』のサラディアは、わざわざこんな危険な道を歩む必要などなかった。
にも拘らずこうして死の危険がつき纏う地獄の中に身を置いたのは、いずれこうして自らが『報い』を受けるチャンスを用意しておくため。
そして『相応しい時』が来たら──自ら死地を定めることで『復讐』を完遂させようと考えていたのだ。
まさしく、感情論。
己だけが納得できる身勝手の極地を振りかざして死んでいった女の骸を見て、ブラグハート卿は既に幻想となり果てた言葉をつぶやいた。
「『離散』のサラディアは無敵、じゃなかったのかよ……!!」