「ああ、そういえばそんな話もあったね」
直後、だった。
存在してはいけないはずの女の声が。
頭部の破壊によって永久にこの世から失われたはずだった声色が、ブラグハート卿の鼓膜を揺らした。
「……………………あ?」
ブラグハート卿の脳の処理能力を現実が越えたと同時、黒い流星のように降り注いだ〇二号が突然横殴りに吹っ飛ばされる。
そしてその背後に佇んでいたのは──
亜麻色の髪を持ち。
飄々とした笑みを浮かべた。
『無敵』と称される女だった。
「『離散』の、サラディア……!?!?」
それは、有り得ない事象だった。
原理的に、ではない。
原理的には、確かに可能かもしれない。この女のことだ。抜け目なく幻影を張っておいて死を偽装し、本体はどこかに隠れ潜んでいた。そんな策を実行することは可能だろう。
だが、そもそもの問題として。
道義的に、『離散』のサラディアが此処で生き残るはずはなかった。
「ば、ぁ、馬鹿な……!? おま、お前!? お前は、『離散』では言い訳のできない悲劇の原因を己に見出して、
この復讐の本質は、そういう話だったはずではなかったのか。
だからこそサラディアはご丁寧にブラグハート卿に己の生い立ちを話し、そして殺される為に『調和』によって複数の属性を備えた化け物を檻から解き放ったのではないか。
そしてその結末を以て、『離散』のサラディアは『属性』でも何でもなく、言い訳のしようもなく己の人間性によって『離散』させられた大切な人たちの復讐を果たしたのではなかったのか。
「ああ、最初はそのつもりだったんだけどね。
にも拘らず。
──『離散』のサラディアは、いとも簡単に前言を翻した。
己の人生をかけた矜持であっただろう一つの決断を、それでもあっさりと、無価値に切り捨てて見せた。
流石にサラディアもバツが悪いのか、照れ臭そうに頬を描く。逆説的に言えば、サラディアにとってその矜持を覆すのは、その程度の引け目でしかなかった。
「いやね? 実際のところ、準備はしていたんだ。幻影の術式をね。だからほら。これよくできてたでしょ?」
ジジジ、と。
サラディアが指さすと、地面に転がっていた女の首なし死体にまるでテレビ画面に走るノイズのような『乱れ』が生じ、消え失せた。
有り得たかもしれない己の
「死んでもいいかなあと、けっこう本気で思ってたんだよ。さっき話した私の話は本当。私自身の罪で、恩人達は離散していった。だから私はその報いを受けるべきだと、私も思う」
サラディアは、本当に真摯な表情で語る。
語った上で、こう言う。
「
己が語った全てを覆すような言葉を。
たとえそれがどんなに当然の流れだとしても、その通りに死ぬのが『サラディア』という人生の締めくくりとして相応しいとしても、それに
「ガァァアアアアアアアアッッッ!!!!」
そこで、吹き飛ばされた〇二号が立ち上がる。
完全なるクリーンヒットだったが、当然のように無傷も同然の確かな足取りだった。これが、複数の属性を取り込み化け物となった実験体の特性だ。
ただでさえ『調和』によってあらゆる攻撃を無効化してくるというのに、認識の外から攻撃しても複数の属性による堅固な肉体防御力によってダメージを抑えてしまう。
〇一号もそうだったが、順当にこの技術が実用化されれば、掛け値なしに世界のパワーバランスが変わってしまうだろう。
(…………ああ、なるほどね)
もっとも、その為には貴重な『調和』を安定供給する必要があるが──とそこまで思考を巡らせて、サラディアは気付く。
ブラグハート卿の手下に甘んじていたカースド系結社、『結実新世』。彼らの研究内容は(紆余曲折あって歪みはしていたが)魔物の品種改良だった。魔物は種族によって固定の属性を持って生まれるから、その研究を繰り返すことで『調和』を持つ魔物の生産を成功させ、『調和』の安定供給を行うのもブラグハート卿の目的の一つだったのだろう。そう考えると、ブラグハート卿は案外新世界に片足の爪先くらいは引っ掛かっていたのかもしれない。
とはいえ、
「ま、アンタには同情するよ。私に関係のないとこでやってりゃ勝手に天下の一つや二つは取ってもらっててよかったんだけどね」
「ぐ、う……!」
「でもまぁ、肝心の実験体を制御する方策すら見つけられてないんじゃ、天下をとっても早晩アンタは死んでたと思うよ」
適当に言って、サラディアは〇二号へと飛び掛かっていく。
常人であれば拳の一振りで肉体がバラバラになりかねない相手に飛び掛かる姿はとても正気の沙汰とは思えなかったが、サラディアは行動の危険度とは裏腹に、敵の攻撃を一撃二撃と躱し、命を繋いでいく。
「ガァァアアッ!!!!」
おそらくは『鋭利』の『属性』を帯びているであろう一撃が、空を裂き屋敷の壁を割る。
サラディアはそれを屈むことで苦も無く回避し、返す刀で『力』を叩き込むが、これは『調和』の防御で均されてしまう。
「グゥオオオッガアッ!!!!」
おそらくは『音波』の『属性』を帯びた〇二号の咆哮が、懐に潜り込もうとしていたサラディアの胴体をノーバウンドで数メートル以上吹っ飛ばす。
彼女が事前にこれを予期して『力』で自らの肉体の周辺に展開していなければ、おそらく今の一撃だけで全身がミンチのようにバラバラになっていただろう。
「…………チッ!!」
とはいえ、今の一撃でサラディアは大きく体勢を崩された。
苦々しげに舌打ちしながら身を起こしたサラディアを見て、〇二号は猛獣そのものの顔面に野性的な笑みを浮かべた。
「……知性のない化け物でも狩りの優勢具合は分かるっての?」
サラディアの手にある血炭筆の先端を掠るように、『力』が解放されていく。
簡単な目潰しだろう。〇二号はそう判断する。しかし──だとするならば、サラディアの苦し紛れの策は迂闊だった。
そもそも『調和』による防御のメカニズムは、『攻撃』と『それ以外の空間』を『調和』することによって行われている。要するに、『濃度』を均一にしているのだ。
蹴りや投げナイフといった分かりやすい固体の攻撃は『調和』しきれないが、血炭の『粉』であれば、空間に占める割合で説明できる。『調和』の対象内だ。
つまり、わざわざ具体的な行動として起こすまでもなく無効化でき、よってサラディアは逆に生き残る為の詰将棋で致命的な『無駄』を打ったことになる。
よって、〇二号は『調和』で対応しようとするが──、
「──いい加減、攻撃に対して『調和』すれば解決っていうのは工夫がないよねえ」
駄目出しのような一言。
その言葉がまるで号令になったかのように、血炭の粉がまるでコーヒーに溶かし込んだミルクのように輪郭を失い始めた、その直後。
ババボバババババッ!! と、『調和』されかけた血炭の粉が『力』をまき散らす。
「ま、最強の能力の持ち主なんてそれ一辺倒になっちゃうのはしゃーないっちゃしゃーないんだけど」
そう。〇二号は一つ過ちを犯していた。
──たとえ『調和』されかけていようと、血炭の粉は『血脈散華』の陣として機能しうる。
もちろん、『血脈散華』は精密に陣を描いて初めてきちんと機能する『魔術』だ。そんな状況で発動する術式など、乱れに乱れた暴走でしかないだろう。しかしながら、裏を返せば
そう。
血炭の粉を『調和』した直後で防御不能の相手に、一撃を叩き込むことも、可能となる!!
「ガアッ……アッ……!?」
頭部に爆発のような『力』を叩き込まれた〇二号。
常人であれば頭蓋が柘榴のように真っ赤に咲き誇るような一撃を食らっても、よろめく程度のダメージでしかなかった。
その上。
「アッアアアアアア!!!!」
たたらを踏みつつも片膝すら突かずに〇二号は返す刀で『灼熱』の『属性』による反撃を繰り出そうとして────
「はい、チェックメイト」
衝撃によるダメージを振り払うかのように視線を前に向けた、その瞬間。
〇二号の眼前には、一つの属性珠が飛来していた。
即ち、属性珠の投擲。
もちろん、この期に及んでサラディアが新たに属性珠を獲得するような時間はなかった。
〇一号の持つ属性珠は取り出された『調和』の属性珠以外全て呑まれて消えたし、その『調和』の属性珠は逆用の危険性を考えて便利屋の男に預けてある。
このブラグハート邸にやってきてからも、サラディアは属性珠を得てはいない。
ゆえに、この属性珠の正体については一つの答えしかない。
つまり。
『
それは通常、考えられない一手のはずだった。
確かに、『離散』のサラディアにとって『離散』の属性珠は負の遺産でしかない。
彼女の父が破滅する契機となった『属性』。そして、彼女の人生を彩る呪いの言葉。それが『離散』だからだ。
しかし、彼女がその属性珠を肌身離さず持っていることからも分かる通り、『離散』という事象は彼女の心に深く根差しているはずだった。言うなれば、サラディアの言う『罪』の象徴。それを持ち歩くということは、彼女が己の罪を我が身に刻み付ける作業でもあっただろう。
その属性珠を、敵にぶつける。
それはつまり、彼女が抱えてきた人生の過程をそのまま放り捨てるに等しいことを意味する。
「ガッ…………!?」
知性がなくとも、その危険度を本能的に理解できるのか。
〇二号が、息を呑む。しかし、『灼熱』による迎撃態勢を取ってしまった〇二号はもはや属性珠を回避することはできない。
その上、属性珠は防御することができない。何故なら、属性珠は『取り込まれる』性質を持っているからだ。
おそらくは呪術的な手法でその性質を加速させているであろうサラディアの一投であれば、『受け止める』だけで十分に『属性』の適合条件に合致するであろう。
もちろん。
通常であれば、『調和』の恩恵でそれでも〇二号の肉体が破綻することはないだろう。
世界には、『調和』がなくとも六属性を内包した実例が存在している。『属性』による補佐を以てすれば、新たに別の属性を取り込んでもおそらくは問題なく活動できる。
だが、『離散』だけは駄目だ。
『調和』でさえ、属性同士を調和させて肉体を保つ効果を持っているのだ。『離散』がもしも体内に取り込まれれば。
その『離散』が──肉体に作用すれば。
「オオオオオオオガアアアアアアアアアアアッ!!!!」
〇二号は雄叫びを上げながらなんとか属性珠を躱そうと試みるが、既に答えは出ている。
サラディアは確かにこう言ったのだ。
チェックメイトだ、と。
ゆえに。
「ガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアゴボアッ」
決着は、この上なくあっさりとついた。
「────」
倒れ伏し、呑み込んだ属性を道連れにゆっくりと死の沈黙へと堕ちていく〇二号を見送りながら、サラディアは神妙な面持ちでこう言い残した。
「いずれ私もそっちに行くから、それまで
「…………ど、どういう心境の変化だ」
全てを終えたあとで。
それまでは調和がとれていた大柄な肉体が、人間や獣、爬虫類といったバラバラなパーツに『離散』していく無惨な死に様を眺めている女に、ブラグハート卿は声をかけた。
壮年の男は無様に腰を抜かし、執務机の陰で尻餅を突いていた。
それは、おそらく今わの際に持った彼の最期の疑問だっただろう。
何故、『離散』のサラディアは目的としていた死をこの土壇場で投げ捨て、それまでと同じ勝ちを掴み取りに行ったのか。
敗者として、勝者に対して向けるせめてもの権利。それを問われ、サラディアはあっさりと答えた。
「なんでって」
本当に、世間話をするように。
「生きてるって、根本的に楽しいじゃない?」
一言。
そして罪人の頭上から不可視のギロチンが放たれ。
ぐちゃっ。
──暗転。
「いやー忙しい忙しい」
「あんだ? まだ魔物の繁殖期って訳でもねえだろうに。そんな忙しいことあるか?」
「お前モグリかよ。知らねえのか? お偉い大臣さんが汚職で死刑になったんだとよ。日常的に傭兵も使い倒してた『お得意様』らしいから、お陰でこっちは勢力図がめちゃくちゃになってんだっつの」
────宗教国家アライメントの片田舎。
どこにでもありそうな場末の酒場で、今日も不穏な噂話を肴に荒くれ者が酒に舌鼓を打っていた。
見ればどこもかしこも客は身体のどこかしらに傷を負った屈強な男ばかり。おまけに話す内容もお世辞にも善良とは言い難く、女子供でも見かけたら攫ってしまうのではないかという心配すら湧いてきそうだった。
──もっとも、彼らからすればそんな第一印象は失礼極まりないのかもしれないが。
「おっつかれさまー!!!!」
「うぃー…………」
そんな荒れくれ者の集う酒場で、のんきに祝杯を挙げている女と、それに付き合わされている男のコンビがいた。
美しい女だった。
亜麻色の髪を肩くらいで切りそろえているのは、動きやすさを意識しているのか。
身に纏う旅装から覗く真っ白く細い手足は、どちらかというと深窓の令嬢で通した方が違和感が少ないのではと思わせる美しさだった。
掛け値なしに美女と呼べる相貌の持ち主だったが、彼女に対して男たちが手を出さないのはある意味で当然である。
彼女こそ、宗教国家アライメント界隈の裏社会では知る人ぞ知る都市伝説、『離散』のサラディアその人なのだから。
「ったく……。いや今回ばかりは死んだと思ったぞ。まさか形見の属性珠を使い捨てるとはなあ……」
「あんなモン、ただの便利なデバフアイテムだよ。使う機会があったらバンバン使う。当然でしょ?」
「お前さんみたいにそうあっさり割り切れるヤツがいたら、世界はもっと平和なんだろうけども」
「冗談。私みたいなので世界が構成されてたら、三日も経たずにこの世はくたばってるよ」
適当に言いながら、サラディアは勝利の美酒を喉の奥へと流し込む。
実際、彼女が浮かれるのも当然というくらい、今回のヤマは大仕事だった。流石のサラディアも、国家が敵に回るか否かの瀬戸際という修羅場までは経験したことがない。
「いやあ、勝利の美酒はおいしいね。生き残った甲斐があった」
「…………仇、だったんだろ?」
口元を拭うサラディアに、便利屋の男は神妙な面持ちで問いかけた。
──元は騎士団に所属していたこの男は、サラディアが結社の離散を経て裏社会で活動し始めた当初の頃に知り合ってから、ずっと彼女の後見人のような立場をしてきた。
彼女の事情もすべてではないがある程度は知っているし、彼女が己の大切なモノを奪った誰かを探し、そいつと心中しようとしていたことも知っている。
だから、彼女の不死身っぷりを知る便利屋の男も、今回ばかりはサラディアの死を覚悟していたのだが。
「まぁね。
サラディアは、思い返すようにそう返した。
その口ぶりからは、未だにその死に様に憧憬のような感情が残っていることがありありと分かった。
だが。
「でもね、こうも思うんだ。
それこそが。
おそらくは、サラディアの生き方の根幹だったのかもしれない。
「昔ね、お父様に言われたことがあるのよ。『美味いものはいいぞ。食べると嫌なことも忘れられる』って。お陰でお父様は三〇過ぎだってのにブクブク太っちゃって、あのままじゃ冤罪を食らわなくても今ごろは病気で死んでただろうけど」
「…………、」
「師匠にも言われたっけなぁ。『旅行はいいぞ。見知らぬ土地で一人ぶらぶら歩きまわるのは心の洗濯だ』って。私もこの仕事するようになって色々飛び回ってるけど、ぶっちゃけ観光地の良さなんて全然分かんないけどね」
「……………………、」
なんというか、色々なものが台無しになるような話だった。
おそらくは幸せな思い出としてこの女の心のアルバムにしまわれているような大切な記憶ですらこの有様では、今頃草葉の陰にいるであろう彼女の大切な人たちはすすり泣いているのではないだろうか?
「お父様の言葉も、師匠の教えも、私の心にはちっとも響いてないけど」
サラディアは、初めて優しい笑みをその顔に浮かべ、
「でもまぁ、ちょこっと残ってはいる訳だよ。あの人たちの『祈り』ってヤツがさ」
「………………んじゃ、俺も祈っておこうかな。次もまた、お前とこうやって勝利の美酒を味わえるように」
それ以上の言葉は野暮だと、便利屋の男も分かっていた。
だから言い終わった後は黙って勝利の美酒に酔うサラディアに倣って、彼も同じようにエールを呷った。
言葉も、教えも、ちっとも響いてはいないが。
しかしその根幹にある祈りは、この冷血な女の心の奥底に残っている。
ゆえに。
解放奴隷は祈らない。
『属性』も、『合理』も、『死に方』も、それは過程に過ぎないから。
幸せに生きるのに十分な祈りは、疾うに受け取っているから。
「あ、ごめん。もしかして今のプロポーズだった?」
「悪いが俺のタイプはトリリア=アルフレインズみたいな黒髪美女だ」