風呂からあがった俺たちは一緒に夕食を食べ、再度桃鉄に興じた。
プレイすること数年……もちろん桃鉄における数年だ。二時間程度だろうか。
「うーん、お菓子が無くなった。兄貴、買ってきて」
畳に寝そべりながら足をぴこぴこ動かしつつ、桐乃が極めてナチュラルに兄へ命令を下す。ふーむ。さすが元陸上部、引き締まったふくらはぎをしてるな。
「はあ?」
京介氏はわかりやすく不満な顔で、素直に従うことはない。俺が小町に言われれば俺は買いに行くが、それは小町だからだ。高坂桐乃と比企谷小町では妹としての可愛さが違いすぎる。
「お菓子が無ければパンを食べればいいじゃない」
桐乃の隣で黒猫が背筋を伸ばしたぺたんこ座りで、ゲーム画面から目を離さずに言葉を返した。彼氏を奴隷扱いされたことへの不満なのか、ただ単にいつもの漫才なのか。両方かもしれんし、どっちでもないのかもしれんけど。
「なにその庶民的なマリー・アントワネット……太るっつーの」
意外にも冷静にツッコミをいれた桐乃はペットボトルを傾け、最後の一滴まで飲み干した。
「飲み物も無くなったみたいだし、俺が買ってくる」
そして発動してしまう俺の自己犠牲スキル。っていうかこの状況だと俺が行くのが当然だけどな。
「んー、じゃあ、あたしも行く」
なんの気まぐれか、立ち上がって帯同を申し出る桐乃。すかさず京介氏が手を上げた。
「じゃあ、俺は無糖の紅茶な」
「ピルクルね。一リットルでいい?」
「なんでだよ!? どんな耳してんだ、想像するだけで喉まで甘ったるい」
安定の兄妹漫才だな。俺はピルクルでも全く問題ないけどね? マックスコーヒーより甘くないし。
桐乃はさらっと兄貴をスルーすると、コントローラーを持ったままの黒髪の美少女の方を向く。
「あんたは?」
「黄昏よりも暗き水」
「はいはい、コーラね。どっち?」
「反逆する真の闇」
「ペプシか。ゼロじゃないやつってことね」
いまのでよくわかったな。こいつら、どんだけ仲がいいんだよ。
俺は小銭入れを渡してきた京介氏に礼を言いつつ、サンダルを引っ掛ける。
桐乃も小豆色の羽織を着ながら、とてとてやってきた。スリッパを脱ぎながら、残った二人の方を向く。
「じゃ、あたし達がいない間に、えっちなことしててどうぞ」
本気なのか冗談なのかわからんことを言う桐乃。慌てる京介氏。
「しねえよ!?」
「……しないの?」
「えっ!?」
羨ましい雰囲気の二人を残して、俺たちは部屋の扉を閉めた。
連れ立って温泉旅館の廊下を歩き始める。
「すると思う?」
「どうだろうな」
曖昧な質問には曖昧に返すに限る。
薄いカーペットが敷かれた廊下にかこかことサンダルの音をさせつつ、桐乃の横顔を見る。
京介氏と黒猫氏を二人にさせる作戦でござったか。沙織バジーナならそう言うのだろうか。
玄関の自動ドアを抜けると、桐乃は歩みを止めて月を見上げた。半分の月がのぼる空だ。
「コンビニなら左の方にあったぞ」
まさか月に帰りたがっているお姫様でもないだろう、道がわからないだけかと思ってそう言ったのだが、桐乃は黙って右の方へ歩き始めた。
聞こえなかったわけじゃなさそうだ。腕を組んですぐ後ろをついていく。
まさか本当にあの二人がえっちなことをしてる間に帰らないよう、時間稼ぎでもしてるのかしらん……
緩やかな上り坂を、ゆっくりと登っていく。
夜九時を過ぎたが、寒くはない。温泉街だから灯りも十分にあるし、問題はないだろう。
「あたしさ、兄貴のことが好き」
「……おう」
そう来たか。
二人っきりにさせたかったんじゃなく、二人っきりになりたかったのか。
「もちろん、すっぱり諦めてるよ。兄妹だからね」
「そか」
嘘ではないんだろうが、本当に何の問題もなければわざわざ言うこともないだろう。そういうことだ。
「黒猫も好き。大好き。最高の親友だと思ってる」
「だろうな」
本当にそう思ってることは言わなくてもわかってたことだ。こいつは素直じゃないだけでわかりやすいからな。
「だから、二人が付き合うのは賛成だし、お似合いだし、上手くいって欲しいってホントに思ってる」
月を見上げながら歩く浴衣姿の高坂桐乃は、やけに素直で、やけに可愛い。だが、伝わってくる。今から本題が始まるのだと。空気の変わる予感がした。
「思ってるんだケドなあ……」
「……そう、か」
そういうことか。
桐乃は苦虫を噛み潰したような顔を見せる。素直に祝福したいけど、まだ出来ない。その自分の感情に気づくことがツラいのだろう。
まるで兄のことを諦めきれていないような気がして。
好きな人同士が付き合うことを祝福できない自分が、嫌な人間であるかのような気がして。
やれやれ。
「俺の小町に彼氏が出来たら、俺は気が狂うけどな」
「は!? ……キモ」
誰のために言ってるんだよ、とも思うが、コイツらしい。やけに素直でやけに可愛い高坂桐乃なんて気持ちが悪い。こっちのほうがしっくりくる。
「俺は妹が好きだ。小町は世界一の妹」
「へ、へ~。キモ」
二回も言わなくていいと思うけどね?
「だけど俺はもちろん小町と恋人になるつもりは一切ない」
「……同じだって言いたいワケ?」
「何が特殊で何が普通かはわからんが、多かれ少なかれそういうもんなんじゃねえの。大好きな人達のことを考えてモヤモヤするのは悪いことじゃねえよ」
桐乃は立ち止まった。坂の下には住宅街の灯りが見える。月明かりを浴びて白くぼんやりと光る桐乃は、まるでモデルのようだった。って、本当にモデルだったな。
「慰めて、くれるの?」
そう言って、頼りなく小首をかしげた。
――誰だよ。
温泉の効果など不要な肌に、メイクなどする必要のない目の中で瞳が潤む。
いや、マジで誰なんだよ。
あの高坂桐乃が、こんなに可愛いわけがない。
いや、俺はそろそろ認めたほうがいいのだろう。
桐乃は可愛い。トニカクカワイイ。変態でも好きになるくらい可愛い。俺を好きなのはお前だけで一向にかまわない。
「慰めるのは構わんが、お前は素直に慰められてくれんの?」
「そりゃ、あんたが上手にやればね」
「自信ねえなあ……」
左手で首を撫でつつ、おずおずと近づく。
「よしよし」
右手で、頭を撫でてやる。一応、小町が小さいときはよくやったものだ。そのお兄ちゃんスキルが発揮できるかと言うと、うまくできん。心臓がバクバクいっている。手は細かく震えて、腕も変に力が入ってしまう。
「んう……」
猫のようにくすぐったそうに目を閉じる桐乃。これは上手くやれている、ということなのだろうか。頬は赤らんで、整えられた眉を動かして、段々と表情が和らいでいく。
「大丈夫、大丈夫」
「ほんと?」
「ああ。大丈夫だ、何の問題もない」
後頭部をゆっくりさすってやる。髪は細くてさらさらしている。温泉とシャンプーの匂いに混じって、女の子の匂いがして、俺は心臓をさらに加速させてしまう。
「悪い子じゃない?」
そう言って、俺の胸元に顔を寄せる。やめろ、これ以上は心臓がオーバーヒートする。でも、これ、もはやどうにもならないのよね。
「いい子、いい子」
俺に出来るのは頭を撫でることだけ。無心だ、無心になれ。
「そっか。八幡が言うなら……へへ」
桐乃が腰に手を回す。これってもう完全に抱き合ってる感じなんじゃ……待て待て、考えると余計にヤバい。キラやば~的な意味ではなく、ステータス異常的な意味で。心臓発作で倒れるまである。
「あたしさ、あの二人が大好きだから、ずっと一緒に居たいんだ」
「ああ」
「でもさ、また今みたいになっちゃうかもしんない」
「ああ」
「だからさ、八幡もずっと一緒に居て。いつでもこうして、あたしを慰めて」
「……わかった」
胸から伝わる体温を感じながら、俺は月の光に誓った。
お待たせしました。
本当はこれで完結にしようかと思ってましたが、もう一話くらい書けるかな。エピローグ的な。
俺ガイルのSS合同企画に参加しました。八幡と小町の短編です。よろしければ是非。
https://syosetu.org/novel/208387/1.html