遥か過去の絵、とある龍を描いた稀代の傑作。
 後の世に長く語り継がれる、その絵にまつわる不思議なお話。

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嵐のそらにさようなら

 わたしは記憶力がとてもいい。が、そのことについて、少しばかり恨めしくも思う。

 

 何故なら、記憶力がなければわたしはあれだけ悩まされることはなかったのだから───

 

 

 

 

 かつて見た景色。

 

 わたしがかつて、こっそりと家を飛び出した日の景色。

 

 とても綺麗な空。まっさらな空に、浸透するかのようにあって、しかしそれでも強い存在感を放っているその姿。

 

 綺麗だ、と思った。ただ一つ浮かんでいる空。まるで雲のようだ、と思った。

 

 けれどその存在感は、嵐のようだと思った。

 

「───ぁ」

 

 気づいたら、わたしは駆け出していた。まるでありえないのだけれど、そのとき走っていた。

 

「───あの!」

 

 言葉を投げかけた。綺麗なその瞳が、こちらを見ている。その瞳にわたしが映っている。その景色は、何よりも綺麗だった。

 

 ふと触れてみたいな、と思った。だから、ゆっくりと手を伸ばし、そしてすぐに下ろす。

 

 確認をとらなければ! わたしはそう思い、いざ勇気を振り絞って投げかける。

 

「触ってもいいですか!」

 

 その言葉が伝わったのかは定かではない。けれど、それはゆっくりと、手をおろしてくれた。それを肯定だとわたしは思い、その手を取る。

 

「お、おおおお……!」

 

 ひらひらとした見た目にそぐわぬ、幻想的な感触。しかしその中には生き物らしい熱も感じられ、同時にそこには生き物らしい硬さも感じられた。

 

「温かいです!」

 

 それは、わたしの言葉を聞くと、嬉しそうに鳴いたような気がした。そしてそいつは楽しそうに笑って、畝るように身体を上へと持ち上げていった。

 

 そして、鳴いた。

 

 ほどなくして、綺麗な虹が世界に映し出されていた。

 

「───きれい」

 

 虹と共に、空にあるその姿。

 

 それがなによりも美しいと思ったのが、わたしの人生の始まり。

 

 生命を燃やしてでも作り上げたい世界を見た、その日だった。

 

 

 

 

 わたしが見た景色は、なによりも美しいものだという自慢があった。

 

 だから世界中にその美しい景色を見せてあげたかった。

 

 親にそういうと、なけなしの金で絵を描ける環境を作り上げてくれた。親には今でも感謝している。それを許してくれなければ、わたしの人生はきっと今とは違うものになっていたはずだから。

 

 毎日絵を描いた。毎日、瞼の裏には綺麗なその姿。わたしは毎日その姿を再現しようと、いつか見たその姿を何度も描いた。

 

 けれど、その姿を綺麗に描きあげることはできなかった。できなかったから、わたしは数を重ねた。

 

 最初は当然上手くなかった。下手なほうだと思った。配色がまるで下手。線はがたがたで、綺麗でもまったくなく、まったく上手な絵を描けていない。

 

 だから、記憶のそれと比べて、わたしは少しため息をついた。

 

 毎日絵を描いていった。綺麗な絵を描けることはなかった。やりきれない怒りを抱え、わたしは瞳に涙さえ浮かべながら、絵を描いていた。

 

 毎日、毎日。ずっと、ずっと。頭がおかしくなりそうなほど毎日没頭した。

 

 親はそんなわたしをいつも支援してくれた。嬉しかった。毎日、しんどくてもずっと絵を描き続けた。

 

 いつの間にかわたしは稀代の絵描きだと言われるようになっていたのだけど、そんなことは関係なくて。

 

 わたしはずっと、その美しい風景を描くために、絵を描き続けた。

 

 ときには角度を変え、ときには記憶通りに、ときにはまた別の世界を。

 

 嵐の日も、空が絶えても、わたしは生き続けた。

 

 外で描いた絵が売れた。なんだかとても大きい金額だった。親にそれを渡した。親は、それを泣いて喜んだ。

 

 親は貧乏なときも、絵が売れて金持ちになっても、わたしの親として、ずっと絵を描かせてくれた。

 

「空想を現実に……現実が空想に……思い描いた世界は、こんなものじゃないの……」

 

 描く。描く。描く。

 

 いくら理想に近くなったとしても、最後の一歩を踏み出せない。ずっとずっと描いていて、わたしは理想を描き出せない。

 

「……違うの。こうじゃない。わたしが描きたいのは……こんなのじゃない……」

 

 ……わたしは絵を描いた。描き続けた。幼いころから絵を描いて、描いて、描いて、そうし続けた。

 

「───あれ?」

 

 おかしいな。なにも見えなくなった。わたしの世界は正常なはず。そのはずなのに。

 

 

 

 

 医者のやつの言葉によると、元々目はいつか使えなくなるほど目が弱かったらしい。

 

 あまりに唐突に、わたしは光を失った。

 

 それでも絵は描き続けた。理想が描けたかなんてわからなかった。けれど、思いを描き出すように、絵を描き出した。

 

 視界がなくなったぶん、毎日わたしの世界にはその過去の景色が映り込んだまま。永遠に上映し続けている。

 

 医者は、少しだけ目を使えるようにする技術を用意したという。それが本当なのかわからなかったけれど、それに頼ることにした。

 

『でも気をつけるんだよ。

 それの効果はほんとにごくわずか。

 そして、それは使うと二度と使えないんだ』

 

 そんなことを、わたしに言った。だから、わたしは生命を捨てる覚悟で絵を描く事を決めた。

 

 親に手伝ってもらって、絵を描いた。嬉しかった。わたしの人生、わたしの生命、それを以て描けることのできる絵は、みんなに支えられている。

 

 今まで、何年も絵を描いてきた。

 

 その全ての経験を混ぜて、混成して、描いていく。

 

 これがわたしの生命だ、と思いながら、それを描き終えた。

 

 無我夢中だった。息をしている時間も勿体なくて、でも息が詰まって死にそうになった。

 

「おかーさん、薬」

 

 なんとか言い終えられた言葉。

 

 直後に口に流し込まれた薬。飲み薬で視力が治るなんてそんな冗談、びっくりするよね。なんて思いながら、光を受け入れた視界で、描いた最後の絵を見てみた。

 

「……あはは、きれいだね」

 

 わたしが描いたその絵。

 

 まるで昔みたその絵。

 

 記憶そのままの、その絵。

 

「きれいだね」

 

 あら? なんだか、瞼が重いね。

 

 ゆっくりと落ちていくその瞼。

 

 達成感を抱えたまま、わたしは最後に見たその絵───一番綺麗なその景色()を、二度と忘れない、と思った。

 

 理想を空想に、空想を理想に。

 

 わたしは絵を描いた。その絵は世界で一番綺麗なんだと、自信を持って頷けた。

 

 




 とっても内容が薄いくらいでいいんだと思います。そんなもんだったって言える人生であることが望ましいのだとぼくは考えたんです。
 たった二千文字だけで語られるほどの人生だから薄いってわけじゃなく、きっとどんな人の心の中にも鮮烈に焼き付いた記憶ってもんがあるんだよねっていうお話でした。


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