佐為がアイドルに取り憑きます   作:エレティムさん

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VS塔矢行洋

 

 それは指導碁だった。

 そのことは、初めから分かっていた。

 斜陰と元名人の力の差を考えれば当然のこと。

 

 多少囲碁を知る者であれば、元名人に本気を出されたら、4子では勝負にならないことは理解している。

 奈瀬はもちろん、塔矢行洋も、斜陰自身も、そう思っていたし、全員、指導碁だと思っていた。

 

 いや、実際、指導碁だ。

 斜陰の棋力が予想以上に高く、塔矢行洋は内心驚いていたが、それは所詮アマレベルの話。

 いくら急成長しているとはいえ、塔矢行洋相手に4子では勝ち目がない。ただ、テレビの指導碁として、塔矢行洋は全国に見せても恥ずかしくないような碁を打っていた。

 

――ふむ、持碁狙ってみても面白いか。

 

 塔矢行洋は、内心そのようなことを思いながら、斜陰の石の運びを導いていた。

 

 一方の斜陰。

 

(指導碁なのは分かる。塔矢さんは、私の本来の実力以上の力を引き出してくれている……)

 

 美しい石の流れ。

 碁を知らぬ者が見ても、美しいと感じるような碁だった。

 

 布石がひと段落したところで、戦いが勃発。

 少しずつ黒が損をしながらも、大きく損をすることはなく、斜陰は切り抜けた。

 

 しかし、その直後の、塔矢行洋の打ち込み!

 この対応を間違えて、4子の貯金、その多くを吐き出してしまった。

 

――ふむ、しかし、まだ10目は残っているか。なかなかの打ち手だ。

 

 塔矢行洋は内心思った。

 

 だが、斜陰と塔矢行洋の棋力差を考えれば10目程度なら、ヨセだけでもひっくり返るだろう。

 

 一方、斜陰。

 

(つ、強い! 実力以上の力を引き出してもらっているという感覚はある! それなのに、その上から押しつぶされる!)

 

 まだ局面は中盤だが、貯金は残っている。

 けれど、斜陰はもう自分が勝つ可能性は塔矢行洋のさじ加減ということが分かってしまっていた。

 

(頭では分かっていたけど、4子じゃまるで勝負にならない。こんなに圧倒的な差があるんだ……私だって強くなってきたと思っていたのに)

 

 そのとき。

 

『――ユウコさん』

 

 佐為が言った。

 

(佐為?)

 

『私に……』

 

(どうかしたの? 佐為?)

 

『私に……』

 

(私に?)

 

『……いえ、なんでもありません』

 

 佐為は何を言いたかったのだろうか。

 斜陰は少し、不審に思ったが、再び盤に集中する。

 

 この一手が大事だ。

 手は広い。

 局面は一段落したところで、いろいろな手が考えらそうに思う。

 

 何を選択するか。

 下手な手を打てば、簡単に碁が終わってしまうだろう。

 もちろん、指導碁として見られるものにはしてくれるだろうが、斜陰の心はまだ、諦めたわけじゃなかった。

 

 見えた。

 

 そこだっ!

 

 斜陰は碁笥から黒石を取り、その地点に打ち付けようとした。

 

『――そこじゃないっ!!』

 

 佐為が叫んだ。

 

 斜陰の手が止まる。

 

「……む?」

 

 黒石は盤に打ち付けられることなく、斜陰の腕が、盤の上空で静止していた。

 塔矢行洋は、その様子に、わずかに反応をする。

 

(……佐為?)

 

 斜陰は体が固まったまま、聞く。

 

『ユウコさん、私に――』

 

 佐為は言う。

 

『私と代わってください!!』

 

(……え?)

 

『今から、この続きだけでいい! 私に打たせてください!』

 

(ど、どうしたの、佐為?)

 

 佐為は扇子をふわりと、塔矢行洋に向けた。

 

『私は今ここにいると、あの者に伝えたいのです。そして問いたいのです。あれから――あの時のネット碁の時から、どれだけ神の一手に近づいたのかを』

 

(え、でも……佐為はもう神の一手を目指していないでしょ?)

 

『私だって……』

 

 佐為は叫ぶように言った。

 

『――私だって、許されるのならっ!!』

 

 佐為は続ける。

 

『……許されるのなら、神の一手を極めたかった。極めるために研鑽を積み続けたかった。けれど、神は許さなかった。私はヒカルのために――ヒカルのためだけに、私は千年の時を生きた』

 

(え? でも私に取り憑いているのは……)

 

『それはおそらくユウコさんが碁を……いえ、分かりませんが、また別の理由でしょう。私が神の一手を極めるためではないことは、確かです』

 

 佐為は断定的に言った。

 

 斜陰は腕を引っ込め、石をカシャリと碁笥に戻した。

 

(う~ん、そんなこと気にしなくていいと思う)

 

『……え?』

 

(本当に神がいて、佐為が何かをしないといけないとしても、佐為は自由にやっていいと思う。神の一手を極めるためじゃなくても、神の一手を極めたいならそうすればいいよ。だって、ヒカルさんの時もそうだったんでしょ?)

 

『それはそうですが……』

 

(だから、やりたいようにやればいいよ。神の一手を極めたいのなら、そうすればいいよ。私もできる範囲で協力するし……と言っても、今やっている以上に碁をやるのは厳しい気もするけど)

 

『……神の一手を極めようとしても、いい? 本当に?』

 

(宿主である私が許可する!)

 

 斜陰は左に立つ、佐為の方を見て笑った。

 

 それはちょうどテレビカメラのアングルで笑顔になっていた。

 

『私は……神の一手を目指すためならば、しかしなおさら、今この場であの者と戦いたいのです』

 

(え、それは……佐為が打ったら、絶対におかしいってなっちゃうよ? 今までとは違って、今回は囲碁番組なんだし、盤面もちゃんと映すから言い逃れできないし)

 

 盤面はまだ中盤。

 まだまだ手数はある。

 

『ですが、神の一手を極めるのなら、あの者と研鑽を積まなければならない』

 

 斜陰は周りの様子を見渡す。

 奈瀬がこちらを心配そうに見ていた。

 流石にダメだ。ここから佐為に打たせるということは、佐為の存在を公表するくらいの覚悟がなければならない。

 

 斜陰は塔矢行洋を見た。

 やはり、佐為並みの実力があるのだろうか。そうだとしたらそれが一番問題だ。相手が弱ければまだなんとか言い逃れできるかもしれない。けれど、相手がこれでは、言い逃れなどできるはずもない。

 

 斜陰は佐為を見た。

 佐為はまっすぐに塔矢行洋を見ていた。

 神の一手を目指せばいいとは言ったけど、それは私ができる範囲の話だ。

 残念だけど、今ここで佐為に打たせるわけにはいかない……

 

 そう考えていると、塔矢行洋が口を開いた。

 

「ふむ、アイドルというのも大変なのだね。確かにずっと碁を打っているだけでは、アイドルとしてはいささか地味すぎるのだろうか」

 

「……あはは」

 

 気が付けば、カメラの方向を向いて悩んでいる変な人になってしまっていた。

 

「それで、次の手は決まったかい?」

 

 問われる。

 

 斜陰には、1つの妙案が浮かんでいた。

 こっから全部を打たせてあげられないのなら、次の一手だけなら?

 それなら、バレることはないはずだ。

 

「……塔矢さん、無理を言います。今までは指導碁だっていうのは分かっています。けど、次の一手、次の一手だけでいいんです。本気の一手を打ってくれませんか?」

 

 斜陰は言った。

 

「本気の一手……か。私はいつだって全力のつもりだが、いいだろう。本気の一手を、元トップの棋士として、恥じない一手を放つことを約束しよう」

 

 塔矢行洋は、威厳を持って答えた。

 

『ユウコさん……』

 

(佐為、ずっと打つことはできない。けれど、今この場で一手だけなら、打ってもいいよ)

 

『……』

 

(この盤面の次の一手。佐為は打ちたい手があったんでしょ?)

 

『……ユウコさん、ありがとうございます』

 

 斜陰は盤の前に座りなおした。

 佐為は斜陰の後ろから、盤を睥睨する。

 

「……なんだ?」

 

 塔矢行洋は、突然の強大なプレッシャーに目を見張る。

 

 目の前に座っているのは、ただのアイドルの女の子のはずだ。

 なのになんだ、この圧倒的な重圧は。

 

 突然周りの音が消え去り、色も消え去り、世界がぽっかりと、この盤を囲む小さな世界になったような。そして盤上の巨大な宇宙だけになったような錯覚に、元名人は襲われた。

 

 そして、その重圧の主は、アイドルの女の子に、次の一手を指し示す。

 アイドルの女の子は――

 

 

「――本気で打つって、約束ですからね?」

 

 と言って、黒石を、打ち付けた。

 

 星が生まれた。

 

 そう見紛うほどの、重い一撃。

 

 塔矢行洋は、一目見ただけで、すぐには答えが出せないと思った。

 

 長考に沈む。

 

 考えていなかった手だ。

 そして、読んでみると、なるほど。深い。深い一手だ。

 

 ならばこちらも深く潜るしかない。

 碁の深いところまで、もっと深いところまで潜っていくしかない。

 

 深い暗闇。

 その奥へと進んでいくと、烏帽子をかぶった人の影が見えたような気がした。

 

 誰だ、と問うても、何も反応がない。

 

 しかし、かつて、会ったことがあるか、と聞くと、その人影は少し笑ったように見えた。

 

――そうか、これは新初段シリーズの時の……そして、これは……

 

「sai」

 

 塔矢行洋は、ぽつりと呟いた。

 

「いや、詮索はしないという約束だったか。だが、そちらから来るというのなら、受けて立とう」

 

 そうして、塔矢行洋はさらに深い場所へと、潜っていった。

 

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