織斑一夏は今、電車の中で複雑な感情を抱いていた。
理由は主に二つ。
一つ目は、今日が一夏の記念すべき高校受験の日だったからだ。
人生で一度きりの、失敗が許されない試験。
一夏でなかろうと緊張するのは当たり前で、だからこの先を思い体が強ばっていた。
では、二つ目の理由はなんだろうか。
これは一夏に落ち度があるというわけでもなく、ただ単純に──
「大丈夫か、一夏? お腹とか壊していないか?」
──過保護な姉にやきもきしているだけだった。
「あのさ、千冬姉」
「どうした? やはり、お腹が痛いのか? 受験するのはやめて家に戻るか?」
「いやいや、そうじゃなくて。なんで、千冬姉がここにいるの?」
一夏は受験校である“藍越学園”の試験会場に向かっているのだが、なぜか千冬がついてきているのだ。
果たして、他にいるだろうか。弟の高校受験する場所まで付き添う、過保護な姉が。
心配されているとわかるので邪険には思わない。思わないけれども、恥ずかしいと思ってしまう複雑な思春期であった。
「無論、一夏がしっかりと受験できるか見守るためだが?」
「いやいやいや、千冬姉って今日は仕事あったはずでしょ。仕事はどうしたの?」
「安心しろ。後輩に全部押し付……任せてきたから」
「今、押し付けたって言いかけなかった?」
目をそらしたことから、どうやら図星らしい。
いや、正確にはそんな雰囲気がしただけだが。なぜなら、千冬の格好が怪しすぎるからだ。
「ん、んん! それより、だ。やけに見られていないか? もしかして、私のことがバレてしまったか? 変装をしているのだがな」
小首を傾げた千冬の姿は、端的に言って不審者のようだった。
つばの広い帽子に、真っ黒なサングラス。口元にはマスクをしており、トレンチコートまで羽織っている。さらに、サラシを巻いて豊満な胸部も隠しているので、あの有名な織斑千冬だとは誰も思わないだろう。
「……千冬姉、なんでそんな変な格好をしているわけ?」
「む。変なとは失礼だな。私はただ、自分だとわからないようにしているだけだが? 束にも確認してもらったが、笑顔でゴーサインも貰ったしな」
「あー、うーん、色々と聞きたいことはあるんだけど、行方不明の束さんと連絡取れているんだ」
「ああ。あいつとは協定を結んでいるからな。切っても切れない腐れ縁だ」
「協定? 初耳だけど、どんな協定なの」
疑問に思って尋ねただけなのだが、千冬の雰囲気が酷く疲れた様子に変化。
恐らく、マスクの下では苦虫を噛み潰したような表情を浮かべているだろう。それほどまでに、彼女は複雑な心情を抱えていると感じられた。
「……色々とあってな。色々と。ああ、本当に」
「そ、そうなんだ。深くは聞かないでおくよ、うん」
「そうしてくれると助かる」
今日は千冬の好きな料理を作ろう、と密かに決意する一夏だった。
「それで、なんで俺の付き添いを──」
「ちょっと、そこのあなた」
「え、俺?」
電車はそこそこ混んでいるため、一夏が座って千冬が前に立っている形になっているのだが。
その一夏に向かって、一人の女性が声をかけてきた。
彼女は派手な化粧と衣服に彩られていて、まるでクジャクのようだ。
もっとも、かの綺麗な鳥と比べるまでもなく、色は濁っているが。
「そうよ! あなた、男のくせに座っているなんてどういうこと? いいから、私に席を譲りなさい」
また始まった。
一夏の心境としては、それが概ね正しい。
千冬の友人でもある篠ノ之束により起こった、世界規模でのブレイクスルー。
そうした影響で、現在の世の中は女尊男卑に傾きはじめている。
当然、全員が女尊男卑というわけでもない。それでも、こうした思想の人が増えているのは事実でもあった。
一夏自身も、そうした人を見かけたことがある。
幸い自分はあまり絡まれたことがないのだが、今回は運悪く目に止まってしまったようだ。
普段ならば、男らしくきっぱりと言いたいことを言うかもしれない。しかし、今日は大切な受験の日でもあり、なにより家族の千冬の前だ。下手なことをして、彼女の顔に泥は塗りたくない。
そう考えた一夏が席を立とうとした瞬間、電車の動きが止まった。
いや、止まったと錯覚するほどの、重厚な圧力が体に負荷をかけたのだ。
「ひっ!?」
原因は──一夏の前にいる、尊敬している姉だった。
彼女の周囲にある空間がえぐれ、金属をねじ切るような不快な音が響く。
もちろん、幻聴だ。そう感じてしまうほど、千冬の重圧が凄まじい。
千冬の圧をもろに浴びたクジャク擬きが、腰を抜かしてへたり込む。
彼女の下半身からアンモニア臭が漂いはじめ、床を濡らしていく。
「……すまない。よく聞き取れなかったから、もう一度教えてほしい。今、なんと言ったんだ?」
いっそ慈愛すら篭っている千冬の言葉に、女性は涙目で首を横に振った。
「な、な、なにも言っていないです!」
「そうか? む、失禁しているではないか。これは良くない。どれ、私が後始末をしてやろう。それ、立ってみてくれ」
「だだだだだ大丈夫ですから! だから、こ、こ、これ以上近づかないでください!」
這う這うの体で逃げるその姿は、いっそ哀れですらあった。
先ほどまでムッとしていた一夏も、微妙な気持ちで見守るしかない。というよりは、一夏も腰が抜けたので動けないのが正確であったが。
他の乗客も、千冬を避けるように離れている。
一夏達の周囲にぽっかりと穴が開き、見事な快適空間に早変わり。
なんということでしょう。匠の手により、混んでいた電車は寛げるスペースに変わりました。アンモニア臭いのが玉に瑕ですが。
そんなふざけたナレーションが思い浮かぶほど、一夏は現実逃避したい気持ちだったのだ。
うちの姉がごめんなさい。でも、少しだけスッキリしたから、ラッキーかもしれない。
なんてことを考えながら、一夏は千冬に手を引かれて止まった電車から降りるのだった。
「千冬姉。俺を思って怒ってくれたのは嬉しいけど、やりすぎはダメだって」
「す、すまない。一夏を害する存在が現れると、ついな」
「いや本当に、気をつけてよ。というか、俺は一人でも大丈夫だから、千冬姉は仕事に戻ってよ」
「それは無理だ。私は、一夏の勇姿をこの目で見届ける義務があるからな」
「勇姿って……言い方は悪いけど、たかが受験だよ? そんな、戦場に行く人を見送るようなことを言われても」
苦笑いしていた一夏の両肩に、手を置く千冬。サングラス越しに真剣な雰囲気をまとわせ、言い聞かせるように口を開く。
「一夏はわかっていない。いいか? この日は、お前にとっての戦場だ。受験勉強という訓練を終えた新兵達が、功績を残すために戦場に飛び込むんだ。頼れる仲間もいなければ、助けてくれる先輩兵士もいない。一人で、たった一人で、この広大で恐ろしい戦場に挑まなければならないんだ……!」
「わ、わかったから! 千冬姉の気持ちは十分伝わったから!」
「む、すまない」
慌てた様子で手を離した千冬が、こほんと可愛らしい咳払いをする。
「ともかく、だ。そんな戦場までできるだけついていきたいと考えるのはおかしいか?」
「おかしくはない……かな?」
「だろう? そういうわけで、私は一夏が受験校に入るまで見守るからな」
「わかったよ……はぁ。千冬姉は心配性だなあ」
とは言いつつも、ここまで思われて嬉しいシスコン一夏なのだった。
今回、藍越学園での入試会場は、昨年起きた事件のせいで例年と変わっている。
試験会場が当日から二日前に通知され、こうして一夏達は向かっているのだ。
会場の地図を取り出した一夏は、その紙を千冬に奪われてしまう。
「な、なにすんだよ千冬姉!」
「ふむふむ。なるほど……よし、私についてこい」
「あ、待って!」
一応、会場の場所は頭に入っているとはいえ、千冬を置いていくわけにもいかない。
自然と彼女の後を追う形になり、一夏は不満から不貞腐れた声で呟く。
「ったく、いきなりなんだよ」
「まあ、待て。……そこか」
なにやら千冬の拳がブレたかと思えば、残心を終えた彼女が握った拳に力を入れるところだった。
金属が握り潰されたような音が鳴り、思わず一夏は千冬の手を見つめる。
「ど、どうしたの?」
「ん、なんでもない。ただ、ちょっとした
「ふーん、そうなんだ。でも、なんか変な音が聞こえたけど」
「気にするな。さて、後顧の憂いも絶ったことだ。遅れないうちに行くぞ」
「そうだね。……本当に、最後までついてくるつもりなんだ」
「当たり前だ。一夏の姉だからな」
「いや、関係ないと思うけど」
いつの間にか、試験前の緊張は解れていた。
千冬に腰を抜かされたからだろうか。それとも、過保護な姉にげんなりしたからだろうか。どちらも理由ではあるが、やはり一番は千冬が一緒にいるからだろう。
どんなに呆れていても、千冬がいるだけで心強い。愛する家族に安心する、当たり前の感情だった。
「ありがとう、千冬姉」
「ん? いきなりどうした?」
「ううん、なんでもない。それより、着いたからここまででいいよ」
「そうか? なんなら会場の中までついていってもいいんだが」
「それは流石に恥ずかしいからやめて!」
「そうか……」
しゅんとした千冬に罪悪感を抱きつつも、一夏は彼女に見送られて試験会場に足を踏み入れるのだった。
「ただいまー」
一夏が試験を受けてから、少し時間が流れたある日。
用事を済ませた一夏が家に上がると、リビングから千冬がすっ飛んできた。
「一夏! 待っていたぞ、早速結果を教えてくれ」
「はや、速いよ千冬姉! もっと落ち着いてから! とりあえず、手洗いうがいをやらせて」
「む、そうだったな。すまない、少し気が急いでいたみたいだ」
申し訳なさそうな千冬を置いて、一夏は服を着替えたりした。
改めて話せる環境を作り、千冬と向かい合って座る。
「それで、今更なんだけど。なんで、千冬姉がここにいるの? 仕事は?」
「安心しろ。今回は全て終わらせてからやってきた。さすがに二回も任せるのは気が引けるからな」
「それならいいんだけど」
「私のことはいいんだ。さあ、早く聞かせてくれ。とは言っても、その様子からおおよそ検討がつくがな」
笑みを浮かべた千冬に笑顔を返した一夏は、大きく頷いてピースサインを向ける。
「織斑一夏。この度、無事に藍越学園に合格しました!」
「……そうか」
「あれ? 思ったより反応が薄い?」
そうではない。
ただ、千冬は万感の思いが溢れ返って、感情がキャパオーバーしたようだ。
俯き気味に目頭を押さえながら、若干潤んだ声音で言葉を返す。
「す、すまない。この一年、一夏の頑張りを身近で見ていたからな。大丈夫だとわかっていたとはいえ、こうして結果を聞くと感情を抑えられなくて」
「そっか。ありがとう、千冬姉」
「……一夏。こっちに来てくれ」
「わかった」
千冬の前に回り込んだら、優しく抱きしめられた。
不器用ながら精一杯の愛情が伝わる抱擁に、一夏は大きな幸福感に包まれる。
「おめでとう、一夏。お前は、よく頑張った。お前の姉として、心から誇らしい」
「千冬姉に恥じない弟でいたいからね。そう言ってくれると、俺も嬉しい。俺の方こそ、いつも見守ってくれてありがとう。千冬姉がいたから、ここまで頑張れたんだ」
「…………そう、か」
微かに聞こえる、鼻をすする音。
頬と頬を合わせているため、千冬の顔を見ることはできない。だけど、このままの体勢の方が、お互いにとって良いのだろう。
一夏も、泣きそうになるのを堪えていたのだから。
しばらく、姉弟の暖かな時間は続き、一夏達は再び向かい合った。
お互いティッシュで拭いたとはいえ、目が赤くなっている。
「ちょっと、恥ずかしいね」
「ふっ。そうだな。さて、こうしちゃいられない。一夏の合格祝いに、寿司でも頼むか」
「え、いいよ! 俺が作った方が安上がりだし、そっちにしようよ」
「金なら心配いらん。それに、私が一夏を祝いたいのだ。だから、祝わせてくれ」
「そう言われたら、断れないじゃん。千冬姉のいじわる」
「姉とはそういうものだ」
口角を上げた千冬に釣られ、一夏も笑みを零す。
そうして二人して笑いはじめ、辺りは賑やかな空気に包まれるのだった。
「そういえば、千冬姉」
「どうした?」
お寿司を食べながら、朗らかに会話していた一夏。
楽しい雑談をしてからしばし、話題は一夏が気になっていた事柄に向かう。
「どうして、千冬姉はそんなに俺に過保護なんだ?」
「む。迷惑だったか?」
「いやいや、そんなことはないんだけどさ。俺だってもう高校生になるわけだし、そんな幼稚園児のように過保護になる必要もないんじゃないかなあって」
「……そう、だな。そろそろ、お前には話しても良い頃か」
なにやら、空気が重くなってきた。
先ほどまで美味しそうにビールを飲んでいた千冬が、酷く真面目な顔で居住まいを正す。
自然と、一夏も真剣になる。
「一夏。未来予知って知っているか?」
「え? まあ、それぐらいならわかるよ。でも、いきなりどうしたの?」
「いや、実は私もいまだに半信半疑なんだが、私の同級生に未来予知を持つやつがいたんだ」
「え?」
なんだ、もう酔っ払ったのか。真面目に聞いて損した。お寿司の続きを食べよう。
そう考えた一夏が興味をなくしたが、千冬は真面目な顔のままだった。
ガチトーンで、続きを話す。
「初めは、私と束が小学生だった時だ。そいつは馴れ馴れしく私達に話しかけてな、いかにもわかっているといった風に取り入ろうとしてきたんだ」
「えっと、小学生だよね? どういう風に?」
「例えば、束が冷めた目で同級生を見ていた時に『篠ノ之は天才だからな。凡人のオレ達とは住む世界が違うからそう思うのも仕方ない』とかな」
「……うわー」
想像以上に、ヤバい人だった。
「ちなみに、その時の束は特になんとも思っていなかったらしい。せいぜい、お腹空いたな〜ぐらいの気持ちだったそうだ」
「ただの勘違いじゃん、その人。恥ずかしいね」
「うむ。私もいきなり『大丈夫だ。織斑なら絶対に凄い人になる。オレが保証する』ってことを言われた」
「千冬姉も? なんだか、変な人だね」
「ああ。私と束も、最初は変なことを言う同級生ぐらいにしか思っていなかったんだが……」
「え? まだなにかあるの?」
そこで、苦渋の表情を浮かべた千冬。
「束がISの開発を始めた辺りから、そいつの絡みが増えてきたんだ。束のパソコンを覗いては『ここ間違ってない?』と言ったり、『おー! すげー! やっぱり、篠ノ之束は天才だな!』とか褒めたり」
「それだけ聞くと、普通だけど」
「普通ならな。だが、そいつは当時小学生だぞ? もちろん、束のような例外はいるが、あれは異常種だ。小学生で開発のことがわかるやつが何人もいてたまるか」
「まあ、たしかに。でもさ、束さん的には嬉しかったんじゃないの? 自分と同じ視点を持てる人間がいたーって」
「そうだな。束も初めは喜んでいたさ。だが、直ぐにあいつの興味は失ったさ」
「どうして?」
「そいつが
不思議だ。
束の話についていける人間が、どうして凡人なのだろうか。
ビールをあおったあと、千冬は肩をすくめる。
「束の才能は天然物だったが、そいつのは人工物だったんだ」
「えーっと、つまり?」
「そいつは能力自体は束に追随していたが、発想が凡人そのものだった。天才の器に、凡人の中身が注がれているみたいにな」
「あー、だから束さんは興味を失ったんだ」
「そうだ。しかし、そんなチグハグなそいつが気になるのも事実。そこで、束はそいつのことを調べ上げたんだ。そうしてわかったのが」
「その人が、未来予知を持っていると」
一夏の言葉に頷いた千冬は、お寿司を口に含んで顔をしかめる。
「束によると、私達のことやISのこと、それにお前のことも知っていたらしい。パソコンのメモ帳に、忘れないように記載されていたようだぞ」
「お、俺も!? なんで、その人が俺のことを……」
「さあな。だが、そいつはモンド・グロッソについてや、お前が誘拐されること、他にもIS学園についてなんかも知っていた。そいつが呼称していた“原作知識”とやらに書いてあった」
「誘拐のことも!? だからあの時、千冬姉が直ぐに助けてくれたんだ」
第二回モンド・グロッソ時に、一夏は誘拐されかけたことがあった。
しかし、どこからともなくISをまとった千冬が駆けつけてきたことにより、誘拐事件は未遂に終わっている。
ただ、試合放棄やISの無断使用などの罰を受けるために、千冬はドイツに向かったわけだが。
その時の彼女は、やり切った達成感と一夏と離れる辛さで、修羅のような表情だった。
千冬にとっては黒歴史なのか、珍しく頬を赤らめて目をそらした。
誤魔化すようにビールを飲み、そっぽを向きながら口を開く。
「ま、まあそういった経緯があってな。そいつは酷く不気味な存在だった」
「そうだったんだ。それで、その人は今どうしてるの?」
「さあな。気がついたらそいつは転校していたよ。束が笑っていたから、なにか知っているのかもな」
一夏の背筋が冷える。
多分……いや間違いなく、転校した原因は束の仕業だろう。
黒く嗤う、ウサ耳科学者の顔が脳裏を過ぎった。
「で、でもさ、その人はもういなくなったんだし、そもそも俺に過保護になる必要はないよね」
「いや、そうではない。そいつの予知によるとな、お前を中心として世界が動くみたいなんだ」
「え? 俺? いやいやいや、ないって。俺はただの中学生だよ? ISを動かせるわけじゃないんだし、千冬姉みたいにならないって」
「動かせるんだ、一夏は」
「……えっ?」
一夏に向き直った千冬は、少しだけ辛そうな表情を浮かべる。
「そいつの予知が全て正しいのかはわからん。だが、予知内容が合っていたとするなら、お前は史上初の男性操縦者としてIS学園に入学するんだ」
「…………マジ?」
「マジだ」
マジだった。
「だから、千冬姉は受験校までついてきたの? 俺が普通の高校に入れるか見届けるために」
「ああ。一夏には私達の道に進んでほしくないからな。のびのびと過ごしてほしい」
「でも、千冬姉と一緒なら俺は嬉しいよ? 本当にISを使えるのかわからないけど、千冬姉と並び立てるってことだし」
「ダメだ! 一夏には、IS学園に入ってほしくない!」
眉尻を吊り上げると、一夏を睨みつける千冬。
その真摯さが伝わる顔に、思わず胸が暖かくなっていく。
「千冬姉……そんなに俺のことを心配して」
「IS学園にいたら、一夏がモテまくってしまうではないか!」
「……はい?」
「一夏以外全員女の中で、姉の贔屓目なしでも優良物件の一夏。惚れない女がいるだろうか。いや、いないはずがない」
「千冬姉、もしかして酔ってる?」
先ほどより頬の赤みが増している千冬は、新たに開けたビールを喉に流し込む。
「そもそもだ。一夏の勇姿を間近で見られるのは良いが、教師と生徒として線引きされるのは悲しい。それに、私は生徒に怖がられているからな。そんな姿を見られると辛い」
「え? もしかして、千冬姉って教師なの?」
「ん? 言ってなかったか? 私はIS学園の教師だぞ」
「初耳だよっ!?」
まさかの衝撃的事実であった。
「んぐっ……ふん。どこの馬の骨ともわからんやつらに、一夏を婿には出させんぞ。私の目が黒いうちは、渡さんからな!」
「千冬姉浮かれすぎてない!?」
「そこで、だ。束と協議した結果、一夏は信頼できる人と見合いさせることにした」
「なんでそうなるの!?」
ツッコミが追いつかない。
怒涛の情報のトルネードに、一夏は巻き込まれて目を回している。
そんな弟の様子に気がつかないのか、へべれけ姉は懐から一枚の封筒を取り出す。
「これがお前のお見合い相手の篠ノ之箒だ」
「……はああああああ!?」
「心配するな。篠ノ之なら私も知っているからな。安心して任せられる」
「いやいやいや!? 色々と言いたいことはあるけどさ! 箒に話は通したの!?」
「大丈夫だ。篠ノ之は前向きだぞ」
「え?」
渡された紙を見ると、どうやら箒からの手紙のようだ。
達筆な字で、文字が綴られている。
『久しぶり、で良いのだろうか。篠ノ之箒だ。一夏は私のことを覚えているだろうか。私は一夏を忘れたことはない。だから、こうして文字を
「もちろん、俺も覚えているよ」
どこか箒らしい硬い書き方に、知らず一夏の顔が優しく綻ぶ。
『色々と積もる話があると思うのだが、手紙では伝えきることができないと思う。だから、早速本題に入りたいのだが……』
そこで、何度も書き直した跡が窺える。よほど、文章に悩んだのだろう。
本題と聞き、一夏の表情も引き締まる。顔色は赤くなっていたが。
『こ、今回千冬さんと姉さんに提案された、い、い、一夏と、私のお見合い!』
文字が少し乱れていた。
『失礼、取り乱した。それで、なのだが、私としては気が早いのではないかと思う。いや、一夏とお見合いしたくないというわけではなく、私達はあの時から一度も顔を合わせていない。お見合いには顔を合わせずに婚約する場合もあるのは知っているが、私としては一夏と顔を合わせ、実際に話をして、それから結婚するか決めたい。もちろん、これは私のワガママなのは理解している。だから、一夏の意志を尊重したい』
「箒……」
箒の告げた通り、一夏達の中では小学生……つまり、子供の姿で時間が止まっている。
お互いどのように成長しているかわからず、想像を膨らませるしかない。
しかし、一夏は箒の真心の篭った手紙から、彼女の愛らしさが伝わってきていた。
子供だった箒が、成長していく。
想像なのでその輪郭は曖昧だが、成長した箒の幻影が優しく微笑むと、一夏の胸が高鳴った。
一夏だって、男の子だ。人並みに恋愛に興味はあるし、高校生活でそのような青春を送れたらいいな、と考えてもいる。
そんな一夏の元に訪れた、幼馴染とのお見合い。ときめかない方がおかしく、ドキドキしてしまうのは必然とも言えるだろう。
「ふっ。その様子だと、一夏も前向きみたいだな」
「ち、ちがっ!? 俺は別に、そんなこと思ってないし」
「くくく、今日は一夏の合格に見合いと酒のつまみには事欠かないな」
「だから違うって!」
ニヤニヤと絡み酒する千冬を抑えたあと、一夏は手紙の続きに目を通す。
『手紙だからか、私の気持ちが素直に書ける。そんな今だからこそ、一夏に伝えたい。先ほどはああ言ったが、私は一夏との見合いには前向きだ。きっと、今の一夏も思い出の一夏のように、カッコよくなっているだろうからな』
「この手紙を見ればわかる。箒もとっても素敵になってるよ」
思わず笑顔が零れた一夏は、箒に思いを馳せながら読む。
『さて、そろそろ書くことがなくなってきたな。本当ならば、色々と一夏と思い出話に花を咲かせたいところではあるが、それは次会えた時の楽しみに取っておこう。最後に、私と一つだけ約束して欲しい』
「約束? なんだろ」
文字を追って書かれていた内容に、一夏は箒らしいと頬を緩める。
『──弛まぬ鍛錬をして欲しい。私も、一夏に相応しい人になるために、今まで以上に頑張っていくとここに誓う。だから、一夏。一夏も、負けずと己を高めてくれ。これが私のワガママだとはわかっている。わかっているが、私は男らしく成長した一夏が見たい。……どうか、この願いを一夏が聞いてくれることを』
手紙はここで途切れていた。
最後まで読み終えた一夏は、手紙を畳んでから千冬を見つめる。
いつの間にか、千冬は真面目な顔になっていた。
「さて、さっきはお前の意志を無視して決めたが。改めて、聞こうか。篠ノ之とのお見合い話、どうだ?」
「……正直、まだわからない。箒のことは知っているけど、今の箒がどうなっているのか俺もわからない」
「ほう。つまり、見合いは断ると?」
面白そうな視線を送ってくる千冬に、一夏は首を横に振る。
「ううん。まだ箒と結婚するかはわからないけど、そう簡単に断りたくない。箒が言うように、お互いもっとよく知ってから、改めて結論を出したいんだ」
「いいんじゃないか? 時間はまだ沢山ある。少しぐらい回り道をしたって、誰も責めないさ」
「ありがとう、千冬姉。それに、箒に約束したしね」
今より、男らしくなると。
どんなことをすれば男らしくなるかはわからない。間違った道に進むかもしれない。それでも、一夏は立ち止まることはせず、前に進むことを決意する。
それは、
「……ふっ、そうか。それならば、私は応援しよう。一夏が納得いく結論を出せるようにな」
「うん。もし俺が間違えそうになったら、その時は助けてくれる?」
「当然だ。お前の姉だからな。殴ってでも止めてやるさ」
「な、殴るのはやめて欲しいな」
苦笑いして頬を掻いていた一夏を見て、一転してニヤリと笑った千冬。
その愉悦が含まれた表情に、嫌な予感が駆け上がる。
「さて、話は変わるが。手紙が来たからには、当然返事を書かなければならないな」
「それはそうだけど」
「くくっ、一夏。男らしく、恋文の一つでも
「恋文!?」
「篠ノ之も楽しみにしているだろうさ。もうすぐで篠ノ之がIS学園に入学するから、その時までに返事を書いておけ」
「え!? それってもう時間があまりなくない?」
「乙女心をくすぐるような手紙を期待しているぞ、色男」
「千冬姉!?」
最後は千冬に弄られる結果に終わったが、この日は和やかに祝杯が終わるのであった。
こうして、一夏と箒による文通が、始まることになる。
一夏はより男らしくなるため、箒は一夏に相応しい嫁になるため。
お互い次に会う日を夢見て、己を高めていくのだ。
なお、箒は花嫁修業のためにIS学園で頑張っていくのだが、それはまた別の話。
上手く書けたら箒視点も投稿するかもしれません。