澄空31年8月15日
 今年で47歳になる三上彩花は大学に通うために下宿している息子と娘に電話をした後、夫とレストランで昼食をともにしていた。
「ねぇ、トモヤ」
「その呼び方は恥ずかしいからやめろって」

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「三上彩花」

 

  澄空31年8月15日

 今年で47歳になる三上彩花は大学に通うために下宿している息子と娘に電話をした後、夫とレストランで昼食をともにしていた。

「ねぇ、トモヤ」

「その呼び方は恥ずかしいからやめろって」

 息子と娘が家を出てからは、第二の夫婦生活と思い、彩花が「お父さん」ではなく「トモヤ」と昔の呼び方をするのを夫は恥ずかしそうに顔をそらすと、窓の外を見た。暑い空の下、夏休みとなった子供たちが遊びまわっている。

「この霧島先輩の店、悪くないな。食器もいい」

 智也は食べ終えたイタリア食器を眺め、満足そうに頷いた。

「そうね。でも、こんなゼイタクできるのもトモヤのおかげね。口で言ってるだけかと思ったら、本当に地主になってくれて」

「オレはウソはつかない」

 彩花はクスクスと笑い、智也はポーターにカードを渡すと席を立った。

「ねぇ、トモヤ」

「……なんだ?」

 智也は妻が「トモヤ」をやめないことを諦め、応じた。

「覚えてる?」

「……なにを?」

 智也は妻と娘、息子の誕生日を反芻しながら、該当項目が無く、問い返した。

「やっぱり、忘れてる」

「だから、なにを?」

「今日、お墓参り」

「…………爺さんも、婆さんも生きてるぞ」

「唯笑さんの!」

「………ゆえ……誰だ? 湯江さん? たしか中国の取引相手にいたけど……あれは、ユエじゃなくて、トンコウって読むんだぞ」

 彩花はガックリと肩を落とした。

「今坂唯笑さん! 私たちの幼馴染! 中学のときに事故で亡くなったでしょ?」

「………………ぁ……ああ! あ! 唯笑! 唯笑な! はいはい! 思い出した!」

「もお!」

「なんで、今頃になってだよ?」

「今年で33回忌なの! 13回忌のときは智也も悲しそうにしてたのに、本当に忘れちゃったの?」

「彩花、33年も前の話なんか覚えてられないさ」

「………そうね……次は50回忌だから、私も忘れちゃうかも。今だって、窓から子どもたちが遊んでるの見なきゃ思いださなかったかもしれないもの」

「……今坂さんには悪いことしたよな。オレ……傘もってきてくれって、彩花に電話したら、留守電だったから、今坂さんをパシらせたから…………そうだな。墓参り行こう」

 店を出た二人の前にリムジンが停まった。

「あいかわらず、タイミングが完璧だな。ジイヤ君」

「ほんとね、今までで一番運転も上手いし」

「お誉めに預かり恐縮です」

 梅原ジイヤは一礼してリムジンを動かした。

「澄空霊園に向けてくれ」

「はい」

 彩花は後席から、ジイヤの運転を見ながら囁いた。

「トモヤって本当にやさしいのね。潰したライバル企業だったのに、ジイヤさんの再就職が無いからって、雇ってあげるなんて」

「花祭土木か……ビジネスとはいえ、オレが潰したも同然だからな。お嬢さんを抱えて彷徨ってるジイヤを見たら、放って置けなくてさ。なんか、行き場の無い兄猫と子猫みたいで………少しはオレも責任感じてるからな。そういう意味では今坂さんの件だって……オレにも責任あるからな」

「トモヤぁ……それはもう」

「言わない約束だったな」

 リムジンは静かに澄空霊園に入った。途中で買ったライトブルーの遺伝子組み換えチューリップを今坂家先祖代々の墓の前に献花すると、二人は瞑目し合掌した。

「「南無阿弥陀仏」」

 少しばかり若き日の思い出に耽った二人は霊園の階段を降りる間、手を繋いでいた。

「うーんぅ…」

 不意に彩花が手を離して、伸びをすると真っ青な空を見上げ、深呼吸した。

「ああぁ…生きてるって、なんて気持ちいいんだろう!」

「また、あの女優のセリフか? 好きだな」

「黒須カナタ、超有名なのにトモヤは覚えないのね。あのセリフ……私に実感なんだぁ」

「かおるが監督としてカンヌを受賞した映画だからな。オレも何度も見たよ」

「……」

「痛ッ。拗ねるなよ。昔の話だろ」

 智也は抓られた腕の撫でた。

「ホントに昔の話だけど、あのとき私が、どれだけ泣いたと思ってるの?」

 彩花が高校時代の浮気を責めると、智也は笑って妻を抱き寄せた。

「彩花が一番だよ」

「……もぉ…」

 二人が年甲斐もなく炎天下で唇を重ねようとしたとき、智也のスーツから着信音が鳴った。

「地主になっても、のんびり仕事しないでってわけにはいかないなぁ」

 智也はタメ息をついてから、ケイタイを開いた。

「もしもし、三上です」

(Soy Sion)

 智也は英語でもドイツ語でもない言語でペラペラと喋り始めた相手の話を遮る。

「Sion this is Japanese. 日本語を話してくれ」

(…………ああ、すいません。ついつい、スペインに居たものですから…)

「で、用件は?」

(相変わらずセッカチですね。また台湾海峡で中国海軍と日本自衛軍が衝突するという情報がありますから、原油とアルミニウムを買ってあげましょうか?)

「そうだな。じゃあ、オレ名義で2億ユーロほど頼む。で、情報料は?」

(AK47とC4を日本に入れたいのですが、豚肉の間に挟みますから大丈夫です。協力してもらえませんか?)

「Sion! 何度言えばわかるんだ。カラシニコフもセムテックスも輸入しない! オレは武器は売買しないって何度もいってるだろ?」

「儲かりますよ」

 智也は怒って「国内テロでオレの家族が死傷したとき、北欧製の武器が使われていたら、必ずSionを殺すからな」と付け加えたが、涼しい声で「ヤれるものなら、どうぞ」と反論された。

(本当に相変わらず考えが硬いですね。では、応接間にあった伊吹画伯の絵では?)

「ずっと目をつけてたな?」

(ええ、伊吹画伯の絵はヨーロッパでは5倍の値がつきますから)

「売るつもりか?」

(はい)

「……まあ、いいだろ。今度来日したら、持って行け。アディオス!」

(iQue tenga un buen dia)

 智也がケイタイをスーツに戻すと、彩花は夫の瞳を探った。

「みなもの絵、トモヤ気に入ってたのに、あげちゃうんだ?」

「…猫天使の絵だろ……まあ、アレはもう見飽きたしな」

「あげちゃうんだ?」

「交換だ」

「…………キレイな人だもんね…」

「Sionはビジネス上のパートナーであり、師でもある、それだけだよ。割り切った関係だって言ったろ? だいたい、今のオレがあるのも彼女のおかげだし」

「……ふぅぅ……ま、いっか。どーせ、日本にいない人だし」

 彩花が追及をやめると、二人は霊園から出た。

「今度は50回忌とか言ってたな?」

「うん」

「17年後か……忘れないようにしないとな」

「そうだね。生活してると色々あるから、つい忘れちゃうしね」

 夏の一日、二人は若き日の思い出を反芻して過ごした。

  副題「忘却に変わってる君」


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