クソの役にも立たないチート能力もらって転生した   作:とやる

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3話

 むせ返るような獣臭と血の生臭さが立ちこめ、怪物の息遣いが耳元に触れ、人の悲鳴が鼓膜に突き刺さる。

 命を賭して駆けた先の最期の瞬間、おれの身体の奥底から純粋な力の塊としか表現できないものが湧き上がっているのが分かった。

 解き放ったこれが、視界を埋め尽くす怪物どもを確実に消し飛ばせることも。

 

 最期に見た彼女は哭いていたけれど、それでも彼女を守れることが嬉しかった。

 たとえ自己満足だと言われようと、勝手だと罵られようとも、おれは彼女を守れることが嬉しかったのだ。

 

 でも、同時に心が引き裂かれるように苦しかった。

 脳裏に焼き付いて離れない彼女の声や顔が。走馬灯の様に次々と浮かび上がる彼女と過ごした日々が。

 怒った彼女が。呆れた彼女が。勇ましい彼女が。笑った彼女が。

 彼女の感触が、彼女の匂いが、触れた彼女の温かさが、彼女の涙が、おれの心をぎゅうぎゅうと締め付ける。

 

 もっと一緒に居たい。もっと彼女の笑顔が見たい。おれが彼女を笑顔にしたい。でも、おれはもう居ない。居なくなる。

 7年を共に過ごした彼女の側から、おれは居なくなる。

 それでも、おれはきっと今この瞬間のためにこの世界へ来たのだと確信した。

 だっておれは、今までの人生で彼女と過ごした日々ほど幸福で、彼女と日々を過ごせなくなるほど辛いことをひとつとして知らなかったのだから。

 

 彼女は悲しんでくれるだろうか。

 おれは最低なやつだから、おれが居なくなった後に彼女がその事で泣いてくれたら嬉しいと思う。でも、それぐらいは許して欲しい。

 大好きな女性を守って逝けて、その女性が逝ったおれを想って泣いてくれるなんて、男冥利に尽きるってもんだ。

 

 それに、きっと彼女なら。

 生きていたのならいつか、きっと仲間たちと笑い合えるようになるから。

 おれは、その未来を守りたい。

 

 霞む意識で彼女の幸せを願い──瞬間、おれは力の奔流に飲み込まれた。

 

 

 ☆☆☆

 

 

「おお てんせいしゃよ 死んでしまうとは なさけない……おわあっ!? いきなりドロップキックとか何考えとるんじゃお主!?」

 

「ええ? 死んだんじゃないのかって? 知らんのか、メガンテ使いは後々登場するのがお約束じゃろうが。ここはアケ○ンの河みたいなところじゃよ」

 

「三途の河ではない。アケ○ンの河じゃ。この格好? 王様っぽくていいじゃろう? いかずちの杖じゃぞ。……時に、好きなチートを持って好きな世界へ行くのと転生した世界へ戻るのどっちがいい?」

 

「……即答か。理由にクズっぽさが滲み出とるのう。じゃあ始めるか……ん? ザオリクではないぞい、ザオラルじゃ。成功率? ちっちっち、ワシを誰じゃと思うておる。復活させるのに三や五のザオラルもいらん。一発じゃよ

 

 かみさまは 【ザオラル】を となえた! 

 

「さあ ゆけ ──よ! もう次はないぞい。今回はお主はこの空間での事を覚えてはおれぬが……まあ、達者でな。忙しくて適当にお主を処理した事、ちっとは悪いと思っておったんじゃ。……そうそう、こんな時にぴったりな言葉があったのう。たしか……」

 

「そして 伝説がはじまった!」

 

 

 ☆☆☆

 

 

 死んだと思ったけどなんか生きてました。

 

 いや、おれが一番ビビってる。

【メガンテ】を使う前からすでに死に体だったし、【メガンテ】を解放する直前身体の内側で力の塊が暴れまくってるのが分かったから気分的には「おいおいおい、死んだわおれ」だったんだけど、失神こそすれ死にはしなかった。

 完全に死んだと思ってたから意識が戻って、え? なんで??? ってめっちゃ困惑したのは内緒だ。

 あと、感覚的におれにはまだ【メガンテ】のチート能力が残っているのは分かるが、次は絶対に死ぬ予感がある。

 今おれが生きているのは言ってしまえば二度はない奇跡のようなもので、根拠はないが次は本当に死ぬと本能が確信していた。

 

 そして、恐らく【メガンテ】で出来たであろう大穴の中心で目を覚ましたおれは動ける状態じゃなかった。

 体感でいえばまるで瀕死の状態から三割ほど体力を回復したみたいだったが、右腕はないし腹は内臓が機能しているかちょっと怪しい。

 ほんとよくこんな状態で走ったものだ。自分が信じられないですね。

 傷口から出血していないのは一重にフィルヴィスが必死に止血してくれたおかげだろう。

 

 ──フィルヴィス。

 おれの命を賭けてでも守りたかった大切で、大好きな女性(ひと)

 たとえ俺が死ぬことになってもフィルヴィスが生きていてくれるなら……と死ぬ覚悟を決めたが、なんの奇跡かこうして生きているのだから、彼女に逢いたい。

 逢いたい。逢いたい。逢いたくて逢いたくて仕方がない。

 フィルヴィスを想うと胸に熱いものが込み上げてくる。

 その手に触れたい。抱き締めて彼女の体温を感じたい。彼女の笑顔がもう一度みたい。最後に見たのは彼女の泣顔だったんだ。おれは彼女の笑顔が一番好きなのだから。

 いやどんなフィルヴィスも超かわいいけどね! 

 あともう一回エルフ耳を触らせて欲しいですね。

 

 とはいえ、そのためにはここから脱出しなければならないが身体が動かない。

 どれだけの時間意識を失っていたのかは分からないが、このまま横になっていたら怪物に喰われて死ぬかダンジョンの自己修復で生き埋めになって死ぬかの二択である。

 幸いなことに【メガンテ】によって怪物を産み落とす壁や地が完膚無きまでに破壊されたので暫くは怪物に襲われることはなそうだが、それも時間の問題だ。

 二十七階層にいた冒険者や【ディオニュソス・ファミリア】のみんながおれを見つけてくれるのが理想だが……いやあ、本人ですら死んだと思ったしここ多分二十八階層だよね? アホみたいにデカい大穴が天井に空いてるし。

 流石にあんな事の直後に二十八階層まで99.9%死んでるような奴を探す余裕はないだろう。

 少なくともおれは探しに行かない。

 

 唸っても力んでも激痛こそあれど力は全く入らない。

 なんぞこれ……死後硬直かよ。いや死んだことないんだけど。

 てかまじで痛い。ほんと痛い。泣きそう。

 

 立ち上がろうと悪戦苦闘していると不意に、鼓膜が微かな足音を捉える。

 

 まさか探しに来てくれたのか、と一瞬期待して、即座にその希望を切り捨てた。

 救助はあり得ない。それを否定したのは他でもない自分なのだから。

 つまり、怪物が近くにいる可能性が高い。

 

 息を潜める。

 今のおれでは見つかれば一方的に嬲り殺しになるので、もう見つからない事を祈るしかない。

 緊張で乾く喉が生唾を飲み込みそうになるのを必死で堪え、早鐘を打つ心臓を抑えることに努める。

 

「…………」

 

 早く通り過ぎろと心中で唱え続けるおれの耳が微かな言葉を拾った。

 どこか聞き覚えのあるような……え? 言葉!? 今なんだこれはって言わなかったか!? 

 おれの理解できる言語、即ち人語を話しているという事は間違いなく人間だ。本当に助けに来てくれたのかよ!? まじか!! 

 

 おーい! おれはここだ! 助けてくごファ!? 

 救助に来てくれた素敵な冒険者に場所を知らせるために叫んだら声とは別に血の塊を吐いた。

 喉に詰まってたんかな……まあ腹を何回かガブリとやられたから血が迫り上がるのも当然っちゃ当然か。

 

 吐血に邪魔はされたがおれの場所を知らせるという目的は無事に果たせたみたいで、こちらに駆け寄る足音が聞こえる。

 助かった、と息を吐き出すおれは素敵な冒険者のご尊顔を拝もうと上方を注視し……。

 

「おっこいつか」

 

 ………………………………えっと。

 ぬっと現れた素敵な冒険者(仮)に見間違いかと目をぱちくりさせる。見間違いではなかった。

 ず、随分とワイルドなお顔をしていらっしゃいますね? あ、被り物ですか? いやー、実に見事で本物の蜥蜴人(リザードマン)のようですよ。はははっ。

 

「いや、オレっちは本物の蜥蜴人(リザードマン)だぜ。悪いけど付いてきてもらう。そっちにも選択肢はねえだろう?」

 

 開かれた口には、とても作り物とは思えない鋭そうな牙がズラリと並んでいた。

 ……も、モンスターがシャベタァ!? 

 アイエエエ!? ナンデ!? 

 やべえ殺されるぅ!? 動けっ! 動けおれの身体!! フィルヴィスの笑顔をもう一度見るまで死ぬわけにはいかねえんだヨォ!? 

 

「殺さねえから落ち着けよ。じゃあちょいと失礼して」

 

 ずん、と飛び降りておれの横に着地した喋る蜥蜴人は、おれをお姫様抱っこして移動を開始する。

 何するんだ! まだフィルヴィスにもお姫様抱っこした事ないのに! 

 あともっとソフトに! 今マジで全身痛いからほんと頼んます!! 

 

「死にかけなのに元気な人間だなお前……」

 

 呆れた目をする蜥蜴人の硬い鱗で覆われた腕に抱かれながら、いつかフィルヴィスをお姫様抱っこしようと心に決める。

 あ、いっけねおれ右腕ないんだった。片腕でお姫様抱っこって出来るのかな? 

 

「オレっちは出来るぞ」

 

 うおぁ!? 怖い怖い怖い! やめて! しっかり両手で持って!? 今おれしがみつく力もないんだから!? 

 

 

 ☆☆☆

 

 

 連れて行かれた先にはすんげー胡散臭そうな全身ローブが居た。

 もう十段階で評価するなら十二点付けるぐらいの胡散臭さ。

 

 話をまとめるとこうだ。

 フェルズと名乗った胡散臭い全身ローブの上司がダンジョンを監視していて、【神の恩恵】とは別物の途轍もない力を感じたそうだ。

 流石にこれは見逃せないとフェルズに至急現地に事態解明に向かわせたら、近くにいて自主的に見に来た喋る蜥蜴人と合流して、そんで未知の力の発生源の中心におれが横たわっていたと。

 

 うん、間違いなくチート能力の事ですねこれは。

 クソジジィはファミリアに入れって言ってたし、ディオニュソスから【神の恩恵】を貰っておれのチート能力が【メガンテ】である事が分かったから、てっきりチート能力は【神の恩恵】で引き出される【魔法】や【スキル】の強化版みたいな認識だったがどうも違うっぽいな。

【神の恩恵】は与えられたチート能力を可視化しただけで、実は【神の恩恵】が無くてもチート能力、おれの場合は【メガンテ】を使う事は出来たのだろう。

 じゃないと【メガンテ】が【神の恩恵】とは別物の力であるという結論にはならない。

 

 まあ実際あのクソジジィに貰ったチート能力だし、別物だと言われても理解は出来るがどう説明すれば……転生って言って信じるか? 

 おれは実体験として転生したから仮にこの世界におれの他に転生者がいても驚かないが、日本で暮らしていたときに『おれ実は転生者なんだ』って言われたら苦笑いして翌日以降付き合い方を考えるぞ。

 

「君はどうしてその力を持っている?」

 

 でもこれお茶濁しで許してくれそうにないよなあ……。

 フードを深く被りすぎて目が見えないけど雰囲気でガチなのは伝わってくる。

 フェルズの後ろには喋る蜥蜴人がいるし、身体が動かないから逃げるのも無理。

 そもそも剣も盾もどっか行ってる上に、仮に剣と盾があって万全の状態でもおれに下層をソロで進める実力はない。

 どう考えても詰みだった。

 

 ……正直に話すしかない、か。

 もう半ばどうにでもなれとやけっぱちに近い気持ちでこことは違う世界からこの世界に来るときに貰った力だ、なんて事を言った。

 自分でも何言ってんだこいつって思うぐらい酷い説明だったが、意外な事にフェルズは「一旦上に持ち帰る」なんて社会人みたいな事を言った。

 ああ……なんかお前上司と部下に板挟みにされる先輩社員みたいな哀愁漂ってるな……。

 どんまい、元気出せよ。いい事あるって。

 

「……」

 

 心からのエールを贈ったのにめっちゃ嫌そうな反応をされた。解せぬ。

 

「オレっちもひとついいか?」

 

 おれとフェルズの会話が終わるのを待っていたのか、喋る蜥蜴人がフェルズの前に歩み出る。

 リドと名乗った喋る蜥蜴人は、壁に寄りかかるように座るおれに目線を合わせるようにしゃがんだ。

 

「お前、オレっちの事が怖くねえのか?」

 

 え? 怖いけど? 

 

「なら、どうして普通にしていられる?」

 

 おれを見つめる一対の目が、これが真剣な問いであることを窺わせる。

 ……そうだなあ。普通っていうのはよく分からないけども。

 アニメや漫画では敵側から味方に転身するのは王道パターンだからな。多分リドがそうなんだろう。

 もっと言うと絶対悪だって思ってた側にも実はいい奴が……! っていうのもよくあるパターン。ファンタジーが好きだったおれにその辺の抜かりはない。

 それに、いつでも殺せるおれを殺さずに、おれの話に付き合ってくれたし。信頼しろってのは流石に無理だけど、信用はするぜ。顔は怖いけどな! 

 

「なんだそれ」

 

 意味わかんねえ、と豪快に笑ったリドはおれの背中をバシッ、と一回強く叩いた。

 いてえええええ!? えっ骨が折れてないこれ大丈夫!? おまっ、おれは重傷なんだよ分かってんのかボケェ!? 

 

 身体の負担を考えて控えめに叫ぶが、すまんすまんと笑うリドに反省の色は見られない。

 本当に分かってんのかこいつ……。

 

 それから、伊達におれも死にかけというわけではないので治癒魔法を使えるというフェルズが治癒してくれる事になった。

 最初から治癒してくれなかったあたり、今は多少おれのことを信用してくれているのだろうか……まあ難しい事はおいおい考えればいい。今は怪我が治るだけで本当に有難い。

 

 これで、やっとフィルヴィスに逢いに行ける。

 

 ──と、思っていた時期がおれにもありました。

 

「……あれ?」

 

 おれの身体を治癒魔法が包んだ瞬間、ぱっと弾けるように霧散する。

 フェルズの口から想定外とでもいうような声が漏れた。

 いやそれおれのセリフ。全治癒魔法って触れ込みじゃなかったっすか? 

 身体は多少楽になった様な気がするが、そのレベルである。全快どころか治癒にすらほど遠い。

 

「これは……」

 

 そして、フェルズの口から告げられる衝撃の事実。

 曰く、謎の力に回復魔法が阻害されている。恐らくは君が貰ったという【神の恩恵】ではない別の力によるものだろう、と。

 

 いやいやいやいや。

 今まで普通に回復魔法で治癒してもらったこと何回もあるから。その時と今で違う点は【メガンテ】を使ったかどうかだけど【メガンテ】にそんな呪いの装備じみた効果ないから。ないよね? 

 まさかとは思うが教会に行かなければ回復できません的なことは……流石にないと思いたい。

 

 何はともあれ、全く効果がないわけではないという事なので、フェルズが魔力の関係で毎日数回の回復魔法をかけてくれる事になった。

 その間、おれはリドと共にダンジョンで生活である。

 フェルズの見立てでは、全快に要する時間は約1ヶ月とのこと。

 

 ひと月もダンジョンで暮らすとかむぅりぃ。ベホマズンどこお。

 

 もうすでにおれの心は折れそうだった。

 

 

 ☆☆☆

 

 

 一時はどうなるかと思ったダンジョン生活も、蓋を開けてみればなかなかどうしてなんとかなった。

 

 一週間ほどは自分で歩くことすら出来ないおれの介護生活みたいなものだったが、リドの仲間たちが随分とよくしてくれた。

 最初の頃は警戒していて姿すら見せてくれなかったが、人間に興味はあったのかリドと普通に話すおれに近付いてきてくれた。

 自意識を持ち喋る怪物というのも結構なインパクトがあったが、慣れてしまえばどうということはない。

 ポケ○ン世代をあまり甘く見ないでもらおうか。むしろ子どもの頃の夢が実現したようでちょっと嬉しかった。

 まだおれを警戒しているような節はあるものの、だいぶ仲良くなれたと思う。

 え? 排泄はどうしたのかって? やめろその術はおれに効く。介添え付きでも歩けるようになった事で飛び上がるほど喜んでまた怪我をしそうだったとだけ言っておこう。

 

 自意識があり、装備を纏い喋る怪物でもあるリドたちが人目に触れるのが不味いということはおれでも理解できるが、どういうわけかフェルズも目立つ訳にはいかないらしい。

 おれを地上の治療院にまで運ぶことのできない理由がそれだった。

 

 二十七階層の英雄。

 

 曰く、その身を犠牲にして闇派閥を壊滅に追い込んだ。

 曰く、ギルド傘下のファミリアを守るために単身怪物の大群に挑みその全てを一撃で倒してみせた。

 曰く、正義のために自己を顧みない特攻で多くの冒険者を救った。

 

 それが、今のおれの地上での扱いらしい。

 

うおおおおおおおおおおやめてくれえええええええええっ!!! 

 それを聞いたときおれは胸を掻き毟りたくなるような羞恥心のあまり頭を抱えて蹲ってしまった。

 違うんだ。おれはそんな高尚な信念があった訳じゃないんだっ! むしろ他のファミリアの冒険者とか生き残るための踏み台にしようとしていたんだっ。

 おれはただフィルヴィスを守りたかっただけで! 究極他のファミリアの人間とか本当についでみたいなもので、とにかくそういうのじゃないんだよっ。

 悪い事をしたのに結果的に良いことに繋がって褒められるような罪悪感がある。本当にやめてほしい。恥ずかしすぎる。おれはどうしようもないやつなんだって分かるだろっ。

 

 しかも、かなり大規模な葬儀まで執り行われたらしい。

 おいディオニュソスうううううう!! ここまで話がデカくなってるのお前が一枚噛んでねえだろなあ!? 

 これどうすんの? おれどんな顔して帰ればいいの? 「実は生きてました! てへぺろっ」とかやればいいの? 数秒後には葬式の名に嘘偽りがなくなりそうなんだが。

 

 あと深刻な問題としてフィルヴィス成分が足りない。

 ここまで欠乏したのはLv.2のランクアップに必死だった頃と覗きの制裁のとき以来だな……。

 

 ……フィルヴィスは、おれが死んでどう思ったのだろうか。

 悲しんでくれたのだろうか……。そうだったら、嬉しいと思う反面、申し訳ない。

 最後の瞬間のあれは、結局のところおれがいつものように一方的に気持ちをぶつけただけだし。

 彼女はおれが死んだと思っている。おれは、どんな顔をして彼女に逢えばいいのだろうか。彼女にどんな言葉を投げかければいいのか。彼女の制止を振り切って行ってしまったおれが、彼女に逢うことが許されるのだろうか。

 分からない。分からないけど……どうしようないほどに胸が、心が彼女に逢いたいと焦がれていた。

 

 悩むままに答えは出ず、1ヶ月の時が過ぎ──おれの怪我は完治した。

 

 

 ☆☆☆

 

 

 久々に浴びる陽の光は眩しくて、遮るように左手を翳す。

 おれはバベル前の広場に出てきていた。

 

 十八階層まではリドも付いてきてくれたが、そこからはひとりだった。

 水浴びをして身体を清めて、用意してもらった服に着替える。

 おれの服は自分の血で染まっていたし、すでに服という機能を果たせるか怪しいほどにぼろぼろに引き裂かれていたため、リドたちが何処からともなく持ってきてくれた。

 所々傷んでいる戦闘着や一振りの劔をいったい何処から調達したのかが分からないほどおれは察しの悪い男ではないが、素直に感謝をして受け取った。

 持ち主には悪いが、有り難く活用させてもらう。

 

 片腕で十八階層から進まなければいけないことも考えて身体が全快するのを待ったが、フェルズから渡された深層の怪物のドロップアイテムの隠蔽効果のある皮套のおかげで怪物との戦闘は数えるほどしかなかった。

 おかげで、おれは怪我をすることもなく、誰にも見つからずにバベルを出る事が出来た。

 

 皮套を羽織りなおして、ホームへの道を歩く。

 

 本当に、彼らには助けられてばかりだ。

 どうにもこれからおれはフェルズとリドたちがやっている事に関わることになりそうな気配がするが、それぐらいなら甘んじて受け入れよう。

 いくらおれがクソ野郎でも、流石に命の恩を無下には出来ない。

 

 そういえば、彼女にも命を助けてもらったのが始まりだった。

 七年前のあの日の事を今でも鮮明に覚えている。

 

 この世界で駆け抜けた七年の時間は、彼女との時間だった。

 おれの記憶のきらきらと輝いている場所には必ず彼女がいる。

 

 一目惚れだった。

 こう言うとどこか安っぽい響きがするけど、それでもおれは初めて彼女と出会ったときからずっと好きだった。

 恥ずかしくて、照れくさくて、真正面から愛を囁くのはむず痒くて、子どものような態度をとってしまったけれど。

 彼女を好きになってからのおれの毎日は、それまでとは別物のように鮮やかだった。

 彼女と一緒に居たくて、危険なダンジョンへ潜った。

 彼女に置いていかれたくなくて、必死になって戦った。

 彼女の力になりたくて、自分にできる事を全力で模索した。

 全部全部、おれの自己満足だけど、痛いことも苦しいこともしんどいことも嫌だと言い続けてきたおれが、まさかこんな風になるなんて思ってもみなかった。

 おれは、彼女のおかげで変わったのだと思う。

 本当に、凄い女性だ。

 おれの心は、あの時から彼女に埋め尽くされている。

 

 彼女に逢いに行ってもいいのか。

 答えは出なかったから、自分の気持ちに素直になろうと思う。

 二十七階層に行く前に……何度も何度も手紙を書き直していたときに、そう決めた事を思い出した。

 おれは彼女に逢いたい。

 彼女と一緒に生きたい。

 だから、逢いに行く。

 

 ……まあ、手紙の通り……もし、彼女におれ以外の想いびとが出来たらおれは泣くだろう。

 泣いて、泣いて、泣き喚いて……そして、祝福しよう。

 おれは彼女が大好きだけど、それ以上に彼女に幸せになって欲しいから。

 実直な彼女が選んだ相手なら、きっと大丈夫だ。

 

 そう自分の中でケリをつけられるようにするために、彼女に伝えたい事がある。

 一回本気で死ぬ覚悟をしたんだ。もう、おれは逃げない。

 でも、まずはごめんなさいかな。

 きっと怒られるだろう。すごく怒られると思う。もしかしたらいつものように短杖で殴られるかもしれない。

 ああ、でも。それすらも幸せだと思う。

 

 そうして、おれは【ディオニュソス・ファミリア】のホームに辿り着いた。

 

 門をくぐる。

 団員たちはメインホールに集まっているようだった。

 不用心だなと思いつつも、今はありがたい。

 中へ入って、聞き耳を立てる。

 自分が居なくなってからどんな感じになっているんだろう、というちょっとした好奇心が刺激されたからだ。

 

「ほんと自分勝手なクソ野郎だったね副団長」

 

 ぐっはあ!? 

 聞こえたきた声に思わず膝から崩れ落ちる。

 え? 悲しんでくれてるのかなってちょっと期待はしたけどまさかの罵倒? 

 もしかしてあいついなくなって清々したぜ的な? 

 1ヶ月経っても怒りが収まらなかったの? 凹む。

 

「自分のことばっかでさ、周りの気持ちなんてちっとも考えないし」

 

「誰が助けてくれなんて頼んだんだよっ」

 

「自分の行動がどう受け取られるかに頭が回ってないんだよね。本当にクズ野郎だよ」

 

 がふぅ!? 

 やめて! 副団長のライフはもうゼロよ!! 

 力が抜け両手両足を地について嘆く。いや右手はないんだけども。

 まさかここまで嫌われていたとは……。いや確かに団員たちの頼み事を適当な理由をつけて断ってはいたが……後からしょうがねえなあって感じでやるのそんなにウザかったのだろうか。……ウザいな。想像の自分に殺意が沸くなんて相当だぞ。

 

「──何者ですか」

 

 聞き馴染みのある、大人びた声が鼓膜を震わせた。

 ホームに侵入した不審者に対する警告の意味が込められているのか、鋭利な長杖の先端がおれの首筋に当てられている。

 その長杖に、見覚えがあった。

 忘れるわけがない。約六年の間……不器用なおれを見捨てずに付き合ってくれた、一番お世話になった彼女の得物を忘れるわけがない。

 

 ぱさり、と羽織っていた皮套を脱ぐ。

 隠蔽効果が消失しおれという個人を認識できるようになり、彼女の喉が息が詰まるような音を出した気がした。

 

 ……久しぶり、アウラさん。

 

「なん……で……」

 

 いつも冷静なアウラさんがそんなに驚いてるの、珍しいね。なんか新鮮な気がする。

 

「彼は……あの時いなくなって……!」

 

 おれもそう思ったんだけど、なんか生きてたみたい。帰って来るの遅くなってごめんなさい。

 

 アウラさんはおれの顔を見開いた目で見つめて、俯いた。

 何かを堪えるように小さく震え、我慢ができなかったようにその瞳から透明な雫が溢れ出す。

 ぽたぽたと次々に涙が地に落ちるたびに、アウラさんの啜り哭く声が大きくなっているような気がした。

 

 アウラさん……? 

 

「本当に……あの人なのですか……?」

 

 アウラさんが涙を流すところを初めて見て狼狽えたおれが彼女の名を呼んで、それに重ねるようにアウラさんが喉を震わせる。

 

 うん。おれだよ。アウラさんにいっぱい助けてもらった、情けない副団長。

 

「っ!」

 

 おれがそう答えると同時に、彼女は一歩、二歩とおれへの距離を瞬く間に詰めて、おれへ触れる直前で止まった。

 放り出された長杖が乾いた音を立てて転がっていく。

 身動ぎをすれば触れそうなほど近くにいる彼女の身体は可哀想になる程に震えていて、普段の頼りになる大人の女性然とした姿はどこにもなかった。

 何かを葛藤するように両腕が震えながら持ち上がり、一瞬だけおれの背へと回って、直ぐに自分の身体を抱きしめた。

 

「今まで……何をしていたんですか……! 私は、私は……本当に……!」

 

 声に涙が混じって、耳に馴染んだアウラさんの声はそれよりも少し高かった。

 涙は止まらなくて、頼りになるアウラさんがただの少女のようで、おれはどうしたらいいのかわからなかった。

 ただただ、ごめんなさいと謝るおれの胸に、とん、とアウラさんの額が触れる。

 泣き噦るアウラさんの震えがそこから伝わってきて、涙を流して欲しくなくて、彼女を抱きしめたくなって、抑えた。

 それをする事は、何故かとても残酷な事のように思えた。

 

「……失礼しました」

 

 数分経ち、少し落ち着きを取り戻したアウラさんはおれから離れる。

 その間、おれは静かにアウラさんに頭を預けられていた。

 

「本当に……生きているんですね」

 

 腫らした目元を拭いながらアウラさんが微笑む。

 笑顔を見せてくれたことに少し安堵した。

 

「ねえ、副団長。私もまだまだ貴方に言ってやりたいことがありますが……私以外にも貴方に言いたい事がある人は多いみたいですよ」

 

 え? 

 おれの後ろを見るアウラさんの目線につられて振り向けば、沢山の目がおれを見ていた。

 

「「「副団長おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッッ!!!!!!!」」」

 

 うおおおおおおお!!? 

 雪崩れ込むようにおれに殺到する団員たちに押し倒される。

 やめろ! 重い! まじで重いからあ!? 

 

「どこ行ってたんですか!」

「誰があんな事までして助けてほしいなんて言いました!?」

「この自己中野郎! こっちの気持ちも考えやがれ!!」

「私たちの気持ちちょっとでも考えました!?」

「絶対考えてないよ! 副団長そんな人だもん!」

「生きてたならもっと早く帰って来いよお!!」

「助けてくれてありがとぉ! でも副団長のばかやろーっ!!」

 

 口々に叫ばれても分からん! 

 てかまじで退け! 重い! 潰れる!! 

 でも、おれの主張は聞き入れてもらえなくて、しばらく揉みくちゃにされた。

 君らおれのこと嫌ってたんじゃないの……? 

 

「「「嫌いなわけないッ!!!」」」

 

 目尻に涙を浮かべて叫ぶ団員たちは本当に嬉しそうで、不覚にもおれもうるっときてしまった。

 そっか……おれなんかの事をこんなに……。

 

 事が事だけにちょっと不謹慎だと思って、緩む頰を見られないようにそっぽを向く。

 向いた先にアウラさんがいて、分かってますよ、とでも言うように微笑まれた。いや、あの、本当に恥ずかしいんでやめてください。

 

 口々に想いの丈をぶつけてくる団員たちに謝りながら、彼女の姿を探す。

 

「──フィルヴィスなら、貴方のお墓に行きましたよ」

 

 そんなおれの様子に気がついたのか、アウラさんが西の方に指をさした。

 その方角は共同墓地のあたりか。

 分不相応なおれの扱い的にもしかしたら個人墓地とかいう毛穴が痒くなるような事になってるかもしれないと危惧したが、無事その辺りはおれの意向を汲んでくれたようで何よりだ。サンキューディッオ! 

 いや死んでないんだけどね。

 

「あ、そうか団長……」

「早く行ってあげて副団長!」

「団長すっごく泣いたんだからね! 私たちもだけど!!」

「怒られてこい!!」

「もう絶対団長を泣かせるなよ!」

「いつもみたいに照れ隠ししたらダメだよ!」

 

 アウラさんの行動に気がついた団員たちが、次々とおれの背中を押す言葉を投げかけてくれる。

 ……いや照れ隠しバレとったんかい!? 

 割とマジでここ数年で一番の衝撃なんだけど!? 

 え!? これもしかしてフィルヴィスも気づいてたりすんの!? 

 

 瞠目するおれは早く行けと団員たちに尻を蹴られ、駆け出す。

 背に温かな声を受け止め、フィルヴィスの元へ。

 何度も何度も思い起こした彼女の記憶が、再び溢れるように湧き上がる。

 隻腕で全力で走るのはこれで初めてだったから、不恰好だったけど、一秒でも早く彼女に逢いたくて、彼女を見たくて、病み上がりの身体に鞭を入れて走った。

 

 それなりに手入れされている入り口から共同墓地へ入る。

 おれは新入りだからか、その中でも奥の方におれの墓があり──彼女の後ろ姿が、見えた。

 

 ──ああ。

 

 命の沸き立つ音がした気がした。

 ダンジョンに向かうつもりなのか、彼女の高潔さを表すようないつもの白い戦闘着。

 囁く風に靡く黒髪は絹のようで、柔らかに揺れる。

 彼女の種族を特徴する細長い耳が、陽の光を浴びてより白く見えた。

 

 何よりも、誰よりも逢いたかった彼女が、目の前にいた。

 

「────ぇ」

 

 石碑に手を合わせていた彼女が立ち上がり、振り返る。

 見開かれる赤緋の瞳と視線が交わり、微かに彼女の喉が震えた。

 彼女の存在が、彼女の視線や声が、彼女の熱が、おれの魂を揺らしたような気がした。

 

「……どう、して……」

 

 ふるふると震える彼女がやっとの思いで喉から絞り出したように、小さな声を漏らす。

 あり得ないとでも言うように。信じられないとでも言うように。

 だから、おれはいつものように言った。

 

 ……驚くフィルヴィスも可愛いなあ。結婚して耳を触らせてくれ。

 

「…………っ!!」

 

 驚愕と疑念が入り混じったフィルヴィスの相貌が崩れ、その双眼からひと雫の大粒の涙が溢れた。

 叫ぶのを堪えるように唇を噛んだフィルヴィスは一度硬く目を閉じて、俯いた。

 

「……私の弱さが見せた……幻覚ではないだろうな……っ」

 

 ああ。おれはちゃんと此処にいる。

 

「……本当に本当に……生きて、そこに居るんだろうな……っ! 私の夢じゃないだろうな……っ!!」

 

 夢じゃない。おれにもフィルヴィスが見えてる。フィルヴィスの声が聞こえてる。

 

「私が触れた瞬間に……っ! あの時みたいに、私から離れていかないだろうな……っ!!!」

 

 前科があるけど、今度こそ、行かない。

 

「──っ!!」

 

 正面から強い衝撃を受けてたたらを踏む。

 飛び込んできたフィルヴィスを柔らかく受け止めて、その背中に左腕を回した。

 

「ぅぁぁああっ……! あああぁぁっ!」

 

 おれの服の胸の部分を両手で掴んだフィルヴィスが嗚咽を漏らす。

 彼女の体温は温かくて、左肩に押し付けられた彼女の涙は熱くて。

 おれも訳の分からない情動がせり上がってきて、彼女を抱き締める腕に力を込めた。

 とくん、とくんとお互いの心臓が共鳴するかのように律動した。

 

「生きてる……っ! 生きてる……っ! ぅぁぁああ……っ! 生きてる……ぅ!!」

 

 おれがちゃんと生きていることを確かめるように。

 強く、強く、生きてると嗚咽を漏らしながら抱き締める彼女に、悲しんでくれたら嬉しい、なんて思った事を後悔した。

 彼女に泣いて欲しくない。彼女が泣くと、息が出来ないように胸が苦しい。やっぱり、笑っていて欲しかった。

 ごめんなさい、と謝るおれに、彼女は心を曝け出すように声をあげる。

 

「謝るならやるな……っ!! 私がどんな想いで……っ! 生きてたなら、もっと早く帰ってこい……っ! ばかっ! お前は大ばかだ……っ!! 私から離れていくの見ていることしか出来なかった……っ! 痛かった! 苦しかった! お前が居ないことが苦しくて、辛くてっ!! お前に守られてしまった自分の弱さが憎かったっ!! 置いていかれるなら、一緒に死んだ方がよかったって、思った……っ!! でもっ、お前が守ってくれた命だから、それでもっ、私は生きなきゃって思って……っ!! ばかっ! クズ! 私の気持ちも、もっと考えろ……っ! お前は最低だ……っ! 私の、私の目の前で、あんな、ぅ、ぅぁぁああっ!!」

 

 うん……本当に、ごめんなさい。

 

「だから……謝るなら……っ! 最初からやるな……っ!!」

 

 泣いて欲しくなくて、でも彼女の涙は次から次へと溢れてきて、おれも泣きたくなってきて、泣いた。

 もう二度と逢えないと覚悟したフィルヴィスと、また出逢えた。

 これからきっと、またあの日常に戻れるのだと思うと、決壊しようとする涙腺を堪える事が出来なかった。

 男の矜持として声をあげることはなかったけれど、頬を伝う涙はきっと彼女にもバレているだろう。

 

 しばらくして、意思ではなく、身体の機能として涙が止まってからおれたちは離れた。

 彼女の涼しげな目元は赤く腫れぼったくなっていて、きっとおれも同じような顔をしているのだろう。

 

 流石にあれだけの感情を発露すると、ちょっと、いやだいぶ、なんというか、むず痒い。

 俯くフィルヴィスの表情は髪に隠れて見えないが、泣いた事による腫れとは別種の朱が差しているような気がした。

 

「……プロポーズ」

 

 そわそわとした沈黙が立ち込める空間に、消え入りそうなほど小さなフィルヴィスの声が浸透する。

 Lv.3のおれの聴覚は、それをばっちりと捉えていた。

 

 ……えっと。

 まさかフィルヴィスの口からそんな言葉が出るとは夢にも思ってなかった。

 なんで……はっ!? まさか、あの手紙を読んで……!? ってよく見たらフィルヴィスの腰に吊ってる短杖おれがプレゼントに用意したやつじゃん!? まじか……心の整理を付けたものの、あの滅茶苦茶恥ずかしくて墓場にまで持っていく予定だった手紙読まれたのか……。

 

「……」

 

 無言で佇むフィルヴィスが何を催促しているか理解して、かあっと顔が熱くなった。

 え……? 本当にやるの……? いや確かに覚悟はした。覚悟はしたけど実際にいざその時になるとやっぱ怖気付くものがあるというか……! すぱっと決断できるならそもそもここまでズルズルいってない気がする! 

 結局おれはへたれて、いつもの言葉を口にした。

 

 俯く儚げな美少女エルフも美しいなあ。結婚してくれ。耳も触らせてほしい。

 

「……本気のプロポーズ、してくれないのか……?」

 

 潤んだ瞳で、朱くなった頰で、覗くようにおれを見るフィルヴィスに心臓が止まるかと思った。

 かわいい。いやそうじゃなくて! かわいいけど! 

 ……くそ、覚悟を決めろおれ。

 彼女の事が好きだ。大好きだ。愛って感情はよく分からないけど、彼女のためならおれは何だってできる。彼女を守りたいと心の底から思う。彼女の笑顔を見れば無限に力が湧いてくる。この気持ちが愛なら、おれは彼女を愛していると断言できる。

 だから、言え、言うんだ、照れるな、茶化すな、誤魔化すな、おれの心を、想いを、言え! 

 

「──初めて出逢ったあの日からずっと、貴女に心を奪われていました。貴女の笑顔を見るのが、貴女と一緒に居られる事がおれの幸せです。一生貴女だけを想います。だから、おれと、おれと! 結婚してください!」

 

 言い切って、目を瞑る。

 指輪なんてものは用意できてなくて、場所も共同墓地なんてムードもへったくれもない場所だったけど、おれはおれにできる精一杯で想いを言葉にした。

 

 彼女が身動ぐ気配を感じた。

 一度大きく息を吸って吐く音がして、彼女は言った。

 

「……もう、私を置いて行ったりしないか?」

 

 それは……。

 寿命の問題、というわけではないだろう。

 もし仮に、また、あの状況になった時に最後まで一緒に生きる選択肢を選ぶことができるかと彼女は訊いた。

 想起する。

 もし、彼女の命とおれの命を天秤にかける事があったなら。

 おれは迷わず、彼女を選ぶと思う。

 でも、もし、もし仮におれが彼女に置いていかれたら。その時、おれは……。

 

「……そこは、即答してほしかった。私は……また、あんな事をしたら……死ぬぞ。自決する。私にとっても……──は大切な人だ」

 

 その言葉に目を開ける。

 晴れ渡った空と、おれの墓と、怒ったような、嬉しそうな、そんな顔をしたフィルヴィスが見えた。

 

「だから、即答出来るようになってから……また、聞かせてくれ」

 

 ええ……かなり勇気を振り絞ったプロポーズだったんですけど……リテイクとは鬼ですかフィルヴィスさん。

 

 でも、柔らかな笑みを見せるフィルヴィスは本当に美しくて。それだけでおれの心臓は痛いくらいに跳ねる。

 ああ、惚れた方の負けってこういう事だなんだなって、もう何回考えたか分からない事を思った。

 

 

 ☆☆☆

 

 

 おれがフィルヴィスに初めてのプロポーズをしてから約七年の月日が流れた。

 

 いやあ……色々ありましたねえ……。

 右手でペンを動かしながら過去に想いを馳せる。

 おれの右腕は義手になっていた。

 これが目ん玉飛び出るぐらい高かった。全額返済を終えたのが四年前というのでその額の凄まじさも押して知れるというもの。

 下層にまで遠征できるファミリアの副団長の財力でほぼ全てを返済に注ぎ込んで三年の返済期間だ。バカじゃねえの? いや義手の性能を体感している身としては何も言えないんだけど。

 あと、何故か回復魔法を受け付けなかったおれの身体は、全快してから普通に回復するようになった。

 あれは本当になんだったんだろうな……まるで変な状態異常でもかかってて、完治する事でそれが解除されたみたいだ。

 暗黒闘気かよ。

 

 それから、案の定おれはフェルズとリドたち……自意識を持ったモンスターである異端児と関わることになった。

 いやまあ文句はないんだけどさ……ちょっと前に異端児が地上に出てきたときは大変でしたね……リドから話は聞いてたけどアステリオスくん強すぎちゃう? リヴィラの街で巻き込まれて危うく死ぬところだったよおれ。

 異端児のみんなが誰一人として欠けなかったのは良かったけどさ。

 

【ディオニュソス・ファミリア】の規模もどんどん上がり、今や押しも押されぬ上位ファミリアの一角である。

 あの事件は二十七階層の悪夢と名付けられた。とは言っても、ひとりの勇敢な冒険者の功績でギルド傘下の有力ファミリアは壊滅的被害を免れたので、結果的には闇派閥の自滅に近い形になった。ははっザマアミロ。

 自分で言ってて小っ恥ずかしいが、あのときは英雄の帰還とか奇跡の生還とか持て囃されて大変だったな……柄じゃないのよほんと。まあそのネームバリューもあってファミリアも大きくなったところはあるんだが……おれはもっとクズい人間なんだって……。何よりチート能力の一発ネタだから同じことやれと言われても無理だし完全に名前負けである。凹む。

 

 あと、個人的に一番嬉しいのはついにおれに【スキル】が発現した事かな。

 戦闘に役に立つわけでも、英雄のようになれる凄いものでもないんだけど、おれはこの【スキル】が発現してくれて本当に嬉しかった。他のどんなチートスキルを自由に選べるとしても、おれはこの【スキル】を選ぶぐらいには。

 

「準備はできたか?」

 

 おれを呼びにきた彼女──フィルヴィスに、もう行くから先に行ってくれ、と告げる。

 彼女の左の薬指には、シンプルなデザインのシルバーリングが嵌められていた。

 

 ……ええ、はい。結婚しました。

 義手の借金を返済して、必死にお金貯めて、いつも身につけてもらえるようにマジックアイテムとしても使えるようにしようと深層に行くたびに素材集めて、2年前に完成して、そのまま。

 オラリオを一望できる高台で、ちゃんとムードを作って渾身のプロポーズ(リテイク)をしたんだけど、フィルヴィスには『格好付けすぎだ』と笑われてしまった。凹む。

 でも、その後に幸せそうに笑って受け入れてくれて、だからおれは今も彼女と一緒に生きている。

 つまり、おれはもうチート能力は使えない。

 おれが死ねば彼女もおれを追うと断言しているので、おれは何があっても死ぬわけにはいかない。

 ゴミみたいでも一度だけ彼女を守ることが出来たおれのチート能力は、本当の本当に、何の役にも立たないものになってしまった。

 そうだな……おれの転生してからの月日に名前をつけるとすれば、クソの役にも立たないチート能力もらって転生したってところだろうか。

 

 過去に想いを馳せるのもやめて、ペンを置いて立ち上がる。

 目的地はダイダロス通り前。

【ディオニュソス・ファミリア】は人造迷宮クノッソス攻略作戦に参加していた。

 

「おや、やっと来たね」

 

 おれの姿を確認したディオニュソスが手をあげる。

 それに左手を軽く振って応えて、固まった。

 え? 何でお前ここにいんの? 

 

「私もクノッソスに踏み入るためさ。……少し、気になることがあってね」

 

 ほーん。

 ディオニュソスも迷宮にねえ……ドラァッ!! 

 

「ごふぅ!? な、何を……いきなり……!?」

 

「ちょっ!? 自分何しとん!?」

 

 ディオニュソスの腹にボディブローを叩き込んで戦闘不能にしたおれに、神ロキや一部始終を見ていた者たちがざわめき出す。

 うるせえ! あれほどダメだって言っただろうが! ディオニュソスになんかあったら【神の恩恵】消えるんだよっ!! 

 

「だ、だからフィルヴィスを護衛に……」

 

 確かにLv.5になったフィルヴィスを護衛につければそうそう滅多なことは起こらないだろう。

 だがおれはそういうことを言っているんじゃない。

 都市最大派閥の【ロキ・ファミリア】と違って、うちの最大個人戦力であるフィルヴィスを! お前の護衛として! 遊ばせておく余裕が! ないって言ってんの!! 分かる!? 

 

「き、君たちがいるじゃないか……! 最近、スキルだって……」

 

 うちのLv.5フィルヴィス入れて四人だぞ。余裕ねえっつってんだろうが。

 ちなみにおれはLv.4である。フィルヴィス強すぎて努力でどうにかなる範囲を超えてしまった。

 悔しいが、今はおれにはおれにしか出来ないことがあると奮い立たせている。でもやっぱり悔しいので日々ダンジョン。

 あと、おれのスキルは長生きできるだけって知ってんだろ。いいから大人しく寝といてください。

 

 伸びたディオニュソスを【ガネーシャ・ファミリア】に預けて、突入準備に入る。ディオニュソスも美人姉妹に介抱されるんだから役得だろう。にしても、あそこの団長とその妹は本当に仲良いな……。よく一緒に買い物してたりするし。

 

 ファミリアを混ぜて再編成したいくつかの部隊を纏める大隊の指揮官がおれの役割である。

 視界の隅ではフィルヴィスと山吹色の髪の妖精が何やら楽しげに話している。あの二人とアウラさんの3人のセットをちょいちょい見かけるから、多分仲良しなのだろう。詳細はおれは知らない。教えてくれなかったんだもの。

 

「生きて帰るぞ」

 

 思考の海に沈んでいる間に、いつのまにか隣に来ていたフィルヴィスがおれの手を握る。

 繋ぐその手から無限の力が送られてきている気がして、おれも強く握り返した。

 当たり前だ。新婚早々死ねるかよ! 

 

 なんか死亡フラグっぽかったのでさっと頭を振って打ち払う。

 なんだっけな……こんな時にぴったりな言葉があったはずだ。

 

 もうあと数秒でクノッソスへの突入が始まる。

 あ、そうだ、思い出した。

 預かる部隊の冒険者たちの命も、ファミリアの団員たちの命も、彼女の命もおれは指揮官として、パートナーとして背負っている。

 なら、言うべきことはひとつだ。

 

 よしいくぞ! 

 みんなよく聞け! 

 作戦名を言うぜ! 

 

「いのち だいじに!」

 

 冒険者たちの鬨の声が鳴り響き、クノッソス攻略作戦が幕を開けた。

 

 

 ☆☆☆

 

 

 これは、ひとりの妖精の幸せを願ったひとりの転生者と、ひとりの転生者と共に生きたいと願ったひとりの妖精の、もしかしたらあったかもしれない、そんなお話。





エルフ好きの転生者のお話はこれでおしまいです。
死と隣り合わせの冒険者としての毎日を、彼等が笑って歩んでいけることを願って。

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