すべては心一つなり。ヴァルゼライド閣下なら出来たぞ?
人間は誰しも、頑張りさえすれば不可能など一つもないのだ。
考えるまでもなく当然のことだろう。不断の努力と意志の力さえあれば人間は歩き続けられるし、どれだけ歩みが遅かろうと前に進む事実に変わりない。ならばこそ頑張りさえすれば人の可能性は無限大である。
なぜ言い切れるのか? 決まっている、軍事帝国アドラーの第三十七代総統、クリストファー・ヴァルゼライドを見るがいい。彼は才能もなく、生まれも劣悪で、それでも努力と意志の力を武器に一国の頂点に立った”英雄”なのだから。
なのにこの世界では無益な言い訳を重ねる輩の多いこと──憂世の徒たるギルベルト・ハーヴェスは思うのだ。
自分には向いてない。才能が無い。やってはみたけど出来る気がしない、難易度が高すぎる──他にも他にも。口を開けば揃って出来ない理由ばかり追求し、夢を抱くことすら諦める始末。自己にかける心の強さが全くもって足りてない。
だからギルベルトは望むのだ。誰もが彼のように諦めず、投げ出さず、どのような苦境に置かれようと弱音を漏らさず、目標に向けて一直線に歩ける世界を。それこそ至高と信じて一心不乱に駆けている。
例えそれが、あまりに慮外な存在との邂逅であってもだ。
「……これはまた、いったいどういうことだろうか?」
「キュー」
ギルベルトの前に鎮座するのは、灰色の身体につぶらな黒い瞳を持った海洋生物だ。可愛らしい鳴き声をあげ、玉座らしき鋼の椅子に乗っている。
知識も豊富な彼の明晰な頭脳は、即座にそれが”アザラシ”と呼ばれる生物なのに気が付いたが……さすがに道理が通らない。
「ここはプラハ城の地下であることは間違いなく、内陸にあるプラーガが突然海に繋がったという報告もない。そもそもこの場に来れる者など
あらゆる可能性を考慮して、海の生物たるアザラシがこの場に現れるはずがないのだ。
まさかこのアザラシが自力で陸に上がり、しかもプラーガの街に入り込み、あまつさえ帝国軍の軍事施設の最奥にまで忍び込むなどと……常にあらゆる可能性を考慮できる策略家でも、さすがに答えを見つけ出せそうには無かった。
しいて考えられるとすれば、
つまりは何も分からない。
とはいえ、タダで転ぶような可愛げなどギルベルトに存在しない。ならばと意気揚々にアザラシへと向き直る。
アザラシは玉座の上で何やらご満悦な様子を見せていた。もしや興味があるのだろうか?
「私としてもこの状況は興味深い。お前はいったい、どこからやって来たのかね?」
「キュー」
まずは試しに話しかけてみる。普段の上官を知っている者なら気が触れたかと思うような光景だ。
果たしてその言葉が理解できたのだろうか、アザラシはまたも愛くるしい鳴き声をあげた。どころかギルベルトの方へとヒレ? を伸ばしているようにも見える。
「ほう、私の言葉が理解できるのかな?」
「キュウ」
「……どうやら理解できているらしい。ふむ、これも何かの縁だろうか」
宿業見通す
アザラシの反応でどうやら自分の言葉が届いているらしいことを確認したギルベルトは、即座に実験を第二段階に進めることにした。
「クリストファー・ヴァルゼライド総統閣下の名前に聞き覚えは?」
「キュー……」
「どうやら無いか。それは残念だ」
アドラー帝国民なら、否、この新西暦の世界に生きる者なら誰もが知っているべき伝説の名を唱えてみる。残念ながらこのアザラシはその偉大な名を知らないようだが、今はまだ構わない。向上心があるなら必ずや結果を出せるだろうし、結果を出せなければ塵は塵でしかないと判決が下るだけである。
このアザラシはいったいどちらなのだろう? 人間ではない相手に対し、ギルベルトの知的好奇心は最高潮に達していた。
「ではしばし語るとしよう。これも一つの実験として、面白いサンプルになることを祈ろう」
「キュー!」
「よい心掛けだ。ではまず、ヴァルゼライド閣下の不遇な身の上から──」
もはや当然のようにアザラシと意思疎通を交わす帝国軍中将だった。
かつて共に戦線を駆け抜けた戦友として、英雄の過去は他の誰よりも知っている。光の体現者、あらゆる邪悪を討ち払う英雄の威光を忘れたことなど一度もない。
それらを掻い摘んでまとめながら、次第に熱を帯びた調子でギルベルトは語っていく。アザラシは相も変わらず玉座に座ったまま、やけに真剣な表情で彼の語りを聞いていた。
「──そしてかの英雄はイレギュラーにより滅び去ってしまったのだ。だが案ずることはない、必ずや私が英雄の後継者を育ててみせよう。全ては帝国のため、次代を担う鋼の光が待ち望まれているのだ」
「キューキュウ!」
「そうとも、諦めなければ夢は必ず叶うと私たちは閣下に教わったのだ。ヴァルゼライド閣下なら出来た、ならば不可能な事などこの世の何処にもありはしないッ!」
全ては心一つなり、たったそれだけの事なのだ。出来ないからと諦めるなど言語道断、屑にも劣る言い訳に過ぎない。そんな輩はこの地上に生きる価値すらないと断言して憚らず、光の殉教者はたった一つの正道を求めて突き進む。
アザラシも彼の圧倒的な意志の熱量に感化されたのだろうか、感動したように鳴き声をあげている。まるで同意するかのようにヒレを差し出し、ギルベルトはそれをしっかりと握った。
──言葉も種族も違う二人が、偉大な光を前に心を一つにした瞬間であった。
「ほう、これは……!?」
さらに想定外は終わらない。アザラシの座る玉座がここに来て急激な反応を示したのだ。まるで英雄への畏敬の念を切っ掛けとして反応を始めたかのように──いいや、まさにその通りなのだろう。
これまで一度として成功しなかった英雄作成のために最後の一手が、アザラシによって埋められた。
「まさか完成するのか……
「キュー!」
「いいぞ、素晴らしい! 例えお前がアザラシだろうと、私はその誕生を歓迎しよう! 寿ごう、お前こそ新たな英雄だ! 煌く光を見せてくれ!」
理屈などどうでも良い。ただ求めた成果がそこにあると言うのなら、ギルベルトは全力で祝うだけだ。
まるで冗談のような光景を前にギルベルトの歓喜が臨界点を振り切ろうとして──
「いや、何の冗談だこれは」
ふと、我に返ってしまった。その瞬間世界全てが色褪せ、胸を埋め尽くした歓喜の念も消えてしまう。
簡単なことだ。全ては夢の出来事であり、この意味不明な現象も夢だったからこその賜物だろう。悲しいが現実では無かったという事実をようやくギルベルトは自覚したのである。
「アザラシ相手に閣下を語るなど、私もどうかしていたものだが……ああ、そうだな」
たまにはこういう夢もありかと頷いて、
「悪くない」
微笑みながら審判者は満足気に現実の世界へと帰還していくのだった。
──全ては”勝利”をこの手に掴むため。光の亡者は突き進むのだ。