そこは闇よりも深い場所。悪魔たちが住まうディストピア、魔界。
無数に存在するそれらの中でも一際異彩を放つ魔界があった。
魔立邪悪学園。
魔界全体が学園であり、日々増改築がなされていると噂の場所。
理事長は魔王。凶師は上級悪魔。本能のままに生きる悪魔を優等生と呼び、それに背くものを不良と忌むねじ曲がった価値観を育む場所。
無秩序、邪悪の根源。堕落と破滅を秘めた狂気の学園。
天使も、悪魔も、人間も、ココロを奪われぬよう気をつけるべし。もしも、ココロを奪われれば──
『魔王様! 私、魔王様のためならなんでもしてみせます!』
『はいっ! 阿呆な勇者が気安く来ることがないよう、魔王様の恐ろしさを伝えてみせましょう!』
『魔王様、貴方様が平穏を望まれるのであれば私は──』
『魔王、様……どうして…………』
「やれやれ……無秩序もここまでくると困り物ね」
近くには気絶する数人の悪魔たち。そしてその近くには彼女の配下らしき悪魔が数名、困った顔をしている。
呆れたような声で眼下に広がる景色を眺めながら女はため息をつく。
「まったく、悪魔の質も下がる一方で嘆かわしいわ」
吐き捨てるように、そう呟いて剣呑な目つきで表情を険しいものへと変える。
「あのー、レテさん?」
女戦士が気まずそうに後ろから声をかけるもレテと呼ばれた女はそれをスルーする。
「雑魚の1号生ごときに負けるとか恥さらしにも程があるってものよ」
「あのー……」
「カツアゲされたくらいで泣くなんて、どれだけ汚点を増やせば気が済むのかしら」
「すいません、自虐はそれくらいにしておいてもらえます?」
ついさきほどまで1号生にカツアゲされていた女悪魔のレテは助けてくれた配下に無遠慮なツッコミを受けながら目指していた広場へと向かう。要するに時空の渡し人を探している真っ最中である。
魔立邪悪学園。その生屠の一人であり、魔王の部下とその息子のお世話係のレテは自分の職場でなぜこんな目にあっていたのか。話は数時間ほど前に遡る。
魔立邪悪学園のとある一室で金髪の悪魔が配下からの報告を耳に入れ、強く机を叩いた。
「はぁ!? 勇者がのこのこ現れたですって!?」
配下である悪魔たちから報告を受け取っていたレテは苛立たしげに爪を噛む。レテにとって勇者とは何よりもおぞましく嫌悪する象徴なのである。
「じいやさんがマオぼっちゃまにそう報告していまして、マオぼっちゃまも勇者を捕獲しようと脱引きこもりされ……」
「あんのクソジジイまたマオを唆しやがって! 毎度毎度計ったようにタイミングがいいことばっかりで気に入らないのよあいつ」
魔王の息子マオとその執事であるじいや。レテも普段はマオの世話をしていたり魔界のための仕事を裏で行っているのだがじいやとは方針が合わず、対立気味である。そして、自分が別件でマオから離れている隙に勇者と遭遇させようなどしているためレテの不信感はピークに達していた。
幸いにもマオは1号生に因縁をつけられているようですぐに勇者と遭遇することはないようだが時間の問題だろう。
「なんとしてでも先に勇者を見つけ出して二度と魔界の土を踏ませないようにしてやる!」
「……お言葉なのですがレテさん」
「なに?」
「レテさん、弱体化してるからそれは無理なのでは……」
配下の一人の女戦士が指摘する。
元々魔王の部下として一定の実力を備えていたのだが200年ほど前にレベルがガタ落ちしてしまい、今でもなお下がり続けているためレベルが10くらいしかない。200年かけてようやく10レベルである。
「ふんっ! あんたたちもいるんだからいけるでしょ。それに私、能力とレベルは下がったけど技とかは健在よ……まあここ数年裏方してたから戦闘全然自信ないケド……」
後半ごにょごにょとごまかす言い方に配下たちは哀れみのこもった視線を向ける。自分たちより強かった上司の転落ぶりにある種の物悲しさを覚えていた。
「命令していただければ私たちが勇者を捕獲しますが……」
「私が出向く! あんたたちは案内とサポートしなさい」
配下たちは深い深いため息をつくと女戦士と男魔法使いがなぜかレテの手をつないでくる。
「なにこれ」
「迷子になって泣かれないように、ですよ」
「レテさん、僕らが目を離すとすぐ迷子になっちゃうじゃないですか」
まるで子供のような扱いにご機嫌斜めだったレテは更に不機嫌さを増し、配下たちに当たり散らすように言った。
「馬鹿にするんじゃないよ! 弱体化したとはいえ私は魔王様の気高き部下よ! 迷子になって泣いたりするわけないじゃない!」
「迷子になることは否定しないんですね」
「ぎにー! ああ言えばそーゆー! いいもん! 私一人で勇者を始末してやるんだから!」
そう言って一人で駆け出したレテを配下たちは止めようとするも聞く耳持たず、どうしようかと一同が悩んでいると気の抜ける叫び声が聞こえてきた。
「なにすんのよー! 私の財布返しなさい! 返せー! 返してってばー! うわーん!」
ものの見事にカツアゲ被害を食らっていた上司を助けに行った配下たちは早く元の強さに戻らないかなぁと不安をいっぱい抱えつつ今日もサポートに徹するのであった。
「危ないですから一人にならないでくださいね?」
「……ぐぬぬ」
「私達の忠誠心が低かったらレテさん今頃牛乳拭いた雑巾みたいな扱いでしたよ」
配下たちは200年以上前からの付き合いである。とえる事件がきっかけで弱体化と呪いを受けたレテを見放さず付き合ってくれている。
レテの身に降り掛かった弱体化と呪い。それはレベルが高かったレテがそこらへんのプリニーにすら負けるまでに下がり、いつの間にか1にまで落ちていた。更に、迷いの呪いという方向感覚がめちゃくちゃになる呪いもオマケとばかりについており、一人で歩くと必ず迷子になってしまう。この日々改築改造される魔界で迷子は命取りだ。しかしレテはプライドからかなかなかそれを認めず、昔はいつもそばにいたマオからも離れている。
「絶対にあの勇者のせいよ。私をこんな目に合わせるなんて見つけたらただじゃおかないわ」
返り討ちにされるのが目に見えているのにも関わらずレテは呪詛を吐き、配下に呆れられる。
「やはりマオぼっちゃまと行動したほうがよかったのでは?」
「マオぼっちゃまにレベルが下がったことを悟られたくないのだから無理でしょう」
男魔法使いの提案に女戦士は答える。
幼馴染で家族同然のマオだがレテはとにかくマオに弱いと思われるのが許せないらしく、現在はあまり一緒にいることをよしとしない。
「じいやさんならなんとかしてくれそうだし……」
「レテさんじいやさん嫌いだから……ってあれ?」
自分の話になんの反応も示さないことに違和感を抱いた女戦士は周囲を見渡す。そう、レテがいないことに気づき彼らは悲鳴を上げた。
「レテ様どこ!?」
「ほらやっぱり手繋いでないとこうなるじゃん!」
彼らの嘆き虚しく、学園に響き渡るおどろおどろしい鐘の音は今日も変わらぬ日常を示していた。
「……まったく、みんな勝手にどこに行ったのよ」
一人でふらふら歩いて迷子になっていることを頑なに認めないレテはその場にいない配下へのボヤキを呟いて周囲を見渡す。見覚えのあるエリアだ。適当に歩いていれば目的地にもつくだろうと適当に考えて進む。
もしくは、一人で勇者を見つけて捕獲して任務達成も可能かもしれない。そう考えて負けたときのことも考えるがすぐさま頭を振る。
「ふふん、一人であろうとも魔王様の部下である私が失敗なんてするはずないわ」
自分を気合を入れるように独り言をつぶやき、そしてどこか寂しそうにレテは自問自答する。
「……魔王様……私は、ちゃんとお役に立てているでしょうか……」
敬愛する魔王様の望み。それを叶えるべくレテは奔走している。しかし、それが正しい方向に進んでいるのか未だにわからぬまま、思考も迷路にハマっている。
200年前の出来事でレテはあらゆるものを失った。かつての地位や称号、仲間と呼べるものまで全てだ。残ったものといえば庇護するべきマオくらいである。
日々増え続ける悩みと気苦労に苛まれるレテはストレスからかぽろりと涙がこぼれ、自分でもそれに驚く。
「あれ……なんで泣いて……こんなところ、マオにでも見られたら馬鹿にされちゃうな……」
袖で強引に拭っているとそれを目撃した人物がいた。
(あ、あんなところで泣いている女の子がいる! ここは危険な魔界なのにどうして……?)
白い服は悪魔の根城にそぐわない出で立ちで、良くも悪くも目立っている。青年は涙を拭うレテを見て悩むように立ち止まった。
(い、いつ悪魔が襲ってくるかもわからないし、あんまり留まりたくないんだけど……)
内心怯えてはいるものの、青年はごくりと唾を飲み込みながら一つ決意を固める
(いや、ここで見捨てたら誰があの子を助けるんだ! 『ひとつ、勇者は声なき声に応えること!』 ボクは……ボクはやるぞ!)
脳内でわずか数秒の葛藤を経て青年はレテの元へと駆け寄った。
「き、キミ、こんな所にいたら危ないよ! こ、ここは怖い悪魔がたくさんいるところなんだから」
「あん……?」
この男、何を言ってるのかと思えば、よくよく見ると人間の若造である。
レテはぱっと見て羽根や尻尾もないので一見すると悪魔に見えないのかもしれない。そのせいか人間の少女だと勘違いされているらしく、びびって噛みながらも人間の男は何やら提案してきた。
「と、とりあえずここじゃないどこか安全な場所を……」
頼りなさげな様子にレテはもしやというある考えに至る。さすがにないだろ、という考えも半分あったがそれ以上に称号がその考えを打ち消した。
「……勇者?」
「そ、そうだよ! ボ、ボクはアルマース・フォン・アルマディン・アダマント。魔王を倒しに来た勇者さ!」
胸を張って宣言する様子に、レテは表には出ないがある感情が昂ぶる。しかし、その感情を悟らせないようにとてもぶりっ子を装い、いつもよりワントーン高い声を出して言った。
「へぇ、じゃあ勇者サマ。お願い聞いてほしいんだけどいいかな?」
「お、お願い? お使いクエストみたいなそういう……?」
「ううん、この場でできる簡単なことだよ」
「そ、それなら大丈夫! でもいったい何を……」
「死んで♡」
「へっ?」
これ以上ない笑顔で。
これ以上なく優しい声で。
これ以上なく殺意に溢れた構えに、勇者アルマースは悲鳴を上げた。
後にアルマースは知る。レテが勇者嫌い過激派だということを。