戦争遊戯に決着がつき……事後処理はあれよこれよという間に一瞬のことだった。
ヒュアキントスに最後の一撃を放った後、倒れこみそうになりながらも団旗を抜き勝利が確定。限界をとうの昔に超えていた僕はそのまま気を失う寸前だった。
【アポロン・ファミリア】の眷属たちの攻撃を受けながらの最上階踏破、クロッゾの魔剣の超至近距離解放にヒュアキントスとの死闘。おまけに最後の魔法暴発。
積み重ねた無茶に身体は中も外もぼろぼろで、戦闘が終わった事による気の緩みもあって立ってる事でさえ奇跡で。もしかしたら次の瞬間命の火が消えてしまいそうで……とうとう限界を迎えて倒れそうになった時。
「ここまで無茶をした方は久しぶりです」
突然現れた白い少女──どんな傷をも一瞬で全快させるオラリオ最高位の治癒魔法の使い手【戦場の聖女】アミッド・テアサナーレさんの魔法によって、僕は全快した。
半壊した城の最上階までどうやって来たのかと思えば、Lv.4の冒険者に抱えられてあっという間だったという。
僕と護衛の人で作り出したこのリングも、高位冒険者にはなんの障害にもならなかったと思うと改めて作戦の杜撰さを突きつけられるようだった。
恐らくは【アポロン・ファミリア】の人たちも時間をかければよじ登っては来れたのだろう。
「……」
同じく回復したヒュアキントスは何も言わずに去っていった。
お互い方向性は違えど胸に灯した想いはひとつ。
言ってしまえば、これはたったひとりのために己を賭した僕と彼らの戦いだった。
決して相入れることはないし彼等の行いを許してはいけないけど、彼等には冒険者として弛まぬ努力をして積み上げた経験と実力があり、それは同じ冒険者として敬意すら覚える。
彼等を上回ったわけではなくて、今回の勝ちは色んなことが僕に味方した結果だ。
それでも、僕はこの濃密な密度をもった一年を死にものぐるいで駆け抜けた。なら、そんな僕に勝るとも劣らない冒険者だった彼等の積み重ねた時間も、きっと。
既に外見に傷はなく、されど失われた血と体力はすぐには戻らない。
意識を落とそうとする頭は重く、磁石になったのかと疑うほどに瞼が降りてくる。
魔力が体内を蹂躙した影響で損傷した内臓の回復は完全ではなく、アミッドさんには再三にわたって絶対安静を強く言われた。
アミッドさんには申し訳ないけれど、僕にはやり残した事がある。
完膚なき勝利を。護衛の人と約束した事で、僕が成し遂げなければならない事。
こういうお祭りごとにはある種の約束というものがある。詰まる所凱旋というやつであり……堂々とオラリオへ戻って初めて勝ちなのだ。
それが一番盛り上がるし、騒げる。刹那的に生きる冒険者の流儀。
だから僕はひとり馬車へ乗り込んだ。
ガタ、ゴトと馬車に揺られてオラリオへ。
荷物の運搬しか考えられていない荷台は一面平たく、居心地が良いとは口が裂けても言えない。
オラリオまで約半日といったところか。
隅で背中を預けるように座り、疲労と眠気で揺蕩う意識の中色んなことを考えた。
護衛の人とカサンドラさんに会えなかったな、とか。
団長さんたちは見てたのかな、とか。
神様やヴェルフさんは見てくれてたのかな、とか。
そして、彼女の事を考えた。
話したい事はいっぱいある。それこそ、一年分は。
カサンドラさんから話を聞いて、本当は嫌われているんじゃないかって恐怖はもうない。
自惚れとかじゃなくてダフネちゃんも喜んでくれると思う。
でも、多分怒られるだろうな。
ダフネちゃんは心配性で、優しくて。いつだって僕の手を引いて前を歩いてくれる人だから。
ウチが見てないところでこんなに無茶をしてーって、カンカンに怒られそうだ。
事実だけを並べるのなら、僕は彼女の意思を無視して自分勝手にやらかした大馬鹿野郎な訳だし。
腰に手を当ててぷりぷりと怒るダフネちゃんに、彼女の前で極東伝統の正座をして頭を垂れる僕の姿が鮮明に思い浮かぶ。
──それは、なんて幸せな光景だろう。
ああ、でも。
やっと、やっとだ。ようやく……ダフネちゃんに会える。
泥のように全身にまとわりつく疲労と倦怠感。
落とした腰は縫い付けられたように持ち上がらず、閉じた瞼は重りを縫い付けられたようで。
充足感に満たされる心と一刻も早い回復のため睡眠を取らせようとする身体がせめぎ合う。
一度寝たら絶対起きられないだろう。必死に意識を保ちながら馬車に揺られ続けた。
「着いたぜ、冒険者さん」
そうしてどれ程の時間が経ったのだろうか。土を踏んで回っていた車輪が止まる。
背中越しに横顔を見せる御者の声に顔を上げれば、閉じたオラリオの外門が見えた。
「閉まってる……?」
「ほら、行ってこい。きっとみんなお待ちかねだぜ」
「わっ……と」
小気味好く背中を大きな手のひらで叩かれてつんのめる。
それだけで膝が笑って倒れそうになったけどグッと堪えた。
常なら物流のため開いている事が多い外門の前に二人の冒険者。
恐らくは見張りか何かだろう彼等は無言で僕の肩に一度手を乗せた。
細やかな気遣いでは決してない、ただ雑に肩を叩く行為。でも、そこには確かな労いの感情があった。
よくやったと。そう言われているような気がして。
「……おいおい、これぐらいで涙ぐんでたらおったまげるぞ」
「ほれ、シャキッとしろ。そんなんじゃカッコつかねーぞ。……惚れた女に会いに行くんだろう?」
仕方ないなあと苦笑する二人に背を向けて顔をゴシゴシと袖で拭う。
「よし。さっきよかマシな顔になったな」
「目元赤くなってっけどなあ……んじゃ、開けるぞ」
重い音を立てて外門が開いていく。
いつのまにか喉がカラカラに乾いていたことに気がついた。ゴクリと飲み込む生唾。
そして次の瞬間視界が開け──。
「おっ、帰ってきたぞー!」
「見てたよー! よくやった!」
「やってくれたじゃねえかおい!」
「手に汗握っちまったよ! お疲れさん!」
「てめえなんで勝っちまうんだよ! お陰で一文無しだこのやろう!」
「かっこよかったよ少年!」
「お前が頑張ってたの見てたぜー! おめでとう!」
「オラァ! また【ゴライアス】倒しに来いよな!」
「男だぜ、アンタ!」
──雷のような声の嵐だった。
外門を開けた先に集まっていたオラリオに住む人々が口々に声をあげる。
笑顔だったり、悔しそうに何かの紙を握りしめていたり、お酒を片手に叫んでいたり。浮かべる表情は多々あれどそこに込められた思いはひとつ。
よくやった。お疲れ様。おめでとう。
そう言われているような気がした。
「…………っ!」
空気に伝わって伝播してきた大勢の人の感情が鼓膜から身体の中へ入って、共鳴するように心を揺らした。
込み上げてくるものを抑えようとして大きく鼻から息を吸って、抑えきれなくて。
「うああああああああああっ!!!」
肩を震わせた僕は、腹の底から雄叫びをあげた。
それは周囲の人々を巻き込み、大きなうねりとなって空間を席巻していく。
空気を震わせるほどの鬨の声となりオラリオを駆け巡った。
ああ、ああ。
勝った。僕は、勝ったんだ。
明確に昇華された勝ったという事実が、荒れ狂う行き場のない熱となって腹の奥底を暴れまわっている。
飛び出してきた冒険者たちに揉みくちゃにされ、乱暴に背中を叩かれ、勝利の実感を咆哮へ変換した。
それでも全く落ち着かなくて、落ち着ける気がしなくて。
興奮を吐き出すために再度空気を吸い込み……眩暈が襲う。
そういえば絶対安静だった。高揚し暴走する精神に比べて身体は生存本能に忠実だったらしい。
「ったく。しまんねえな」
「……ぁ、ヴェルフさん」
立ち眩んだ僕を支える極東の着流しを纏った力強い腕。
片頬を吊り上げたヴェルフさんがそこにいた。
「──ヴェルフさん。勝ったよ」
「──ハッ、当たり前だバカヤロウ。もし負けたらぶん殴ってた」
被せるように言い切ったヴェルフさんは力強く僕の背中を叩く。
魔剣を壊してしまってごめんなさい。魔剣を託してくれてありがとう。
ヴェルフさんの魔剣が無ければ今この瞬間は確実になかった。喉元まで出かかった言葉を飲み込んで、僕とヴェルフさんは拳を合わせた。
男の約束に、それ以上の言葉は必要なかったから。
「……ほら、来たみたいだぜ。行ってこい」
大きなどよめきにヴェルフさんの言葉が重なる。
振り返れば、あれだけ密集していた人垣が真っ二つに割れ、その奥にひとつの人影を確認できた。
直後にどくん、と跳ねる心臓。
短く吸い込んだ空気が喘ぐような呼気を吐き出し、指先が痺れたようにぶるりと震えた。
──その姿を最後に見たのは一年前か。
ああ、でも、でも。
少し跳ねた黒髪を毎日鏡の前で整えているのを知っている。
意志の強さを表した大きな目に優しい瞳がある事を知っている。
胸元の服を握りこんでいるその手は豆が何度も潰れて硬くなっていて、でも柔らかな女の子の手なんだって知っている。
全部全部、覚えている。忘れるわけがない。忘れるはずがない!
だって、僕は。
そのためだけに──。
溢れ出そうとする情動を堪え切れなくなった僕が彼女の名を叫び──。
「ダフネちゃ──」
「ばかっ!!!!!!!」
感動の再会は惚れ惚れするような美しいタックルから。
Lv.2の身体能力を遺憾なく発揮したダフネちゃんの突進を受け止める力は今の僕には残っていなかったらしく、そのまま僕は押し倒されるように地面と激突した。
いくらぼろぼろとはいえ腐ってもLv.3の冒険者。ぶつかった事に対する痛みや怪我は皆無とはいえ、既にぼろぼろなためちょっと身体が軋んだ。
ダフネちゃん、痛いよと。そう告げようと開いた口は、僕の左肩に顔を押し付けているダフネちゃんから漏れでた声にかき消された。
「何、やってるのよ……っ。臆病なくせに……!」
その声は涙に濡れていた。
密着している身体から、彼女の震えが伝わってくる。強く握り込まれた服が深いシワを刻む。
顔を押し付けられた肩にじんわりと広がる温かさが何であるかが分からないほど僕は愚かではない。
「ウチは……! アンタに危ない事をして欲しくなかったのに……! だから、だからあの夜も……っ! それなのに、アンタは、どうして……! ウチがどれだけ心配だったかわかるっ!?」
一層色の強まった涙が、空気に溶けていく。
泣かないで、と言おうとして、彼女の涙の原因が自分である事に気がついた。
彼女の想いを裏切ったのも、彼女に心配をさせたのも、彼女を泣かせているのも。
ダフネちゃんに笑っていてほしい。その覚悟を芯に魂を燃やした僕が彼女を泣かせていてはどうしようもない。
色々と言いたかった事、話したかった事は全部頭から吹き飛んだ。
ダフネちゃんが涙を流す事は、僕にとって身を切るように辛い事なのだから。
涙を流して欲しくなくて、でも僕の頭は気の利いた言葉の一つすら思い浮かべてくれなくて。
もう軽いパニック状態だ。
ああ、でも、どうして、か。
どうして僕は【アポロン・ファミリア】に戦争遊戯を仕掛けたのか。
その理由なら言える。
だって、それは本当に単純な事なんだ。
『いつかウチを助けられるようになってね、男の子』
思い出すのはもう随分と昔に感じる記憶の一風景。
つまるところ、僕はさ。
「──助けに来たよ、ダフネちゃん」
大好きな女の子との約束を死んでも破りたくなかった。
それと。
「──っ! ……なにそれ。……ふふっ。ばーか」
少し、目元が腫れていだけれど。
やっぱり、彼女には笑顔が一番似合う。
僕が戦った理由は。
本当に、それだけだったのだから。
いつの間にか静まり返っていた人々が雷にうたれように歓声をあげる。
鼓膜を直接殴りつけるような音量に何を言っているのか聞き取れないけれど、僕と彼女の仲を囃し立てるような内容である事だけは分かった。
恥ずかしかったけれど、ちらりと盗み見た彼女が真っ赤になっているのを確認してまあ、いいやと諦観にも似た境地。
もちろんダフネちゃんの気持ち次第だけど、僕としては彼女とそうなれればいいなと思うのだから、むしろ望むところだ。
夕日が沈みかけ徐々に夜の帳が下りるオラリオ。
一度息を吐き出して、行き場を探して交わった視線に笑いあった。
もう、怖いとは思わなかった。
完結です。
お付き合い頂きありがとうございました。