いつかボク(日本人)が地球をすくう 〜亜宙戦記デミリアン〜 [ラノベ版] 作:多比良栄一
その女性はリアル・ヴァーチャリティ装置でセーヌ岸をデートしていた。
彼女は『素体』と呼ばれるアンドロイドに、遠隔で人格や感覚を憑依させ、あたかもその場所にいるかのように体感できる機器にずっとハマっていた。
これを使えば、部屋にいながらにして、リアルに世界中を旅できるのだ。
視覚や聴覚はもちろん、触覚や嗅覚、完璧ではないものの味覚ですら感じられる。
そうやって彼女は何人もの男性とつきあってきた。今度の相手は東南アジアのあまり聞きなれない国の若者だったが、驚くほど洗練されていてとてもやさしかった。
今も自分の背中に回した手の暖かみがじんわり伝わってきてちょっとドキドキしている。 もちろん素体に憑依させた自分の意識体を通じてだが、生身で経験していることとどこが違うというのか。
青年の顔が近づき、ほんのりスパイシーな香りがふっと鼻をくすぐる。
あ、この匂い、好きかも……。
彼女がゆっくりと目を閉じようとした時、突然地面が揺れた。
「揺れてる!」
「え、なにが?」
相手の青年が怪訝そうに自分の顔をのぞき込もうとする。が、自分はすでに青年の数メートル向こうへ跳ね飛ばされていた。地面に転がる彼女を周りの人々が驚いて見ている。
彼女の足に痛みが走る。
痛いってどういうこと?。
目の前に火花が散ったかと思うと、いきなり自分の部屋が目に飛び込んできた。コネクトが切れて、フランスの華やかな有名観光地から、自分の質素な部屋になんの前触れもなく引き戻されたのだ。
なにかおかしい?。
そこは見慣れたはずの自室とは思えなかった。ぼうっとしている自分の横顔に本がバサバサと音をたててぶつかった。
なぜ本が横から落ちてくるの?。
疑問が頭をよぎる間もなく、彼女は気づいた。この部屋が傾いているのだと。
椅子から投げ出された体がゴロゴロと床を転がり外窓のほうへ転がっていく。彼女は手をばたつかせて、反対側の壁への激突を避けようとした。
ガクンという衝撃とともにからだの落下が止まった。
彼女は荒々しく息を弾ませながら上を仰ぎみた。
落下が止まったのは自分のおなか部分から伸びているリアル・ヴァーチャリティ装置のケーブルのおかげだった。
彼女はほっと息をした。
しかし、それ以外の機器は無慈悲だった。
RV装置の周辺機器や電化製品、調度品は重力に逆らいきれず、彼女に襲いかかるように落ちてきた。
彼女は悲鳴をあげながら顔をガードしたが、ありがたいことに、落下物は軽く触れた程度で見事なまでに脇をかすめていった。下のほうでいくぶん鈍い衝撃音が聞こえてくる。
彼女は自分の幸運に息つく暇もなく、自分を吊りさげているケーブルにすぐに手をかけた。こんな細いケーブル一本では、この状態はそんなには長く持ちそうにもない。
上をみあげると、数メートル上に玄関のドアが見えた。日頃から部屋が狭いことが不満だったが、今は到底辿り着けるとは思えないほど遠い距離に感じた。
『絶対に戻る』
彼女はドアを見あげながら呟いた。
あの東南アジアの青年とは、うまく行きそうな気がする。
絶対に幸せになれる自信がある。
彼女はふと、目の前にAIポットが浮かんでいるの気づいた。先ほど自分の脇をかすめて落ちていったはずのポットだった。彼女は下方をのぞき込んだ。
ベランダに続くテラス戸越しに外の風景が見えた。
ものすごい勢いで地面が迫ってきていた。
落ちているのだ……。
この部屋が落ちているのだ。
『神様……』
突然、落下が大きな揺れとともに止まった。
その衝撃で彼女のからだをつなぎとめていたケーブルが切れた。彼女は仰向けになったまま落ちていき、数メートル下の部屋の壁に激突した。痛みに嘆息したが、あと数十センチ横だったら、テラス窓から外に飛び出し、数十メートル下の地面に叩きつけられていた。
彼女は壁に背中をつけたまま安堵と恐怖でさらに息を荒げた。
この背中は、ほんの数分前まで、あの素敵な彼がやさしい手つきでなでてくれていた場所だった。
だが今は、汗でびっしょりと濡れた服越しに、壁が生身の自分をひんやりと冷してくれている。
彼女には今、その冷たさが生きてる証でもあった。
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落ちてきたビルの先端の4階分の塊を、マンゲツは肩で受け止めていた。態勢を崩したところに崩落してきたビルの塊は避けるのが難しかった。ならばいっそ迎えにいく形で受け止めたほうが間違いない、という瞬時の判断だった。
肩と首の部分に一瞬だが、猛烈な痛みが走った。痛みをシャットアウトするまでの、0・25秒分のタイムラグ分だけの洗礼。
痛みがひくまでぎゅっと目をつぶって耐えていたヤマトが、目を開けると亜獣が自分のほうへ襲いかかってきているのが見えた。
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彼女は壁に寝そべったまま上をみあげた。たった数メートル、大股歩きならたった数歩でいける距離に、玄関のドアがあった。
彼女は上からぶら下がっている機材のケーブルを見つけた。あれをつたえば、もしかしたら……。彼女はすっくと立ち上がりつま先だちすると、そのケーブルに目一杯手を伸ばした。ケーブルの端がぐっと手に食い込む。リアル・ヴァーチャリティでは味わえない、本物を握った時の血管を圧迫するような感触。
いける。
が、その瞬間、ものすごい勢いでからだが上にひっぱられた。からだが宙にふわりと浮き、一気に玄関前のキッチンスペースにまで到達する。目の前に玄関ドアノブが見えた。
彼女は必死で手を伸ばして玄関のドアノブに手をかけた。
あと少しだ……。あと少し……。
彼女はドアノブにぶら下がったままの姿勢でドアノブをまわした。
ガチャと音がして、ドアの隙間から差し込む光が彼女の目に飛び込んできた。
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マンゲツはビルの窓に指を潜り込ませ、肩の上に抱えたビルの塊を両手でぎゅっと握りしめた。目の前にはマンゲツの喉笛に噛みつこうと、鋭いキバをむき出しにした亜獣の3本の顔が迫っている。亜獣を睨みつけるヤマト。
「てめぇ、痛かったぞぉぉ」
マンゲツは、せまってきた亜獣めがけて、まるで大木でも振り回しているかのようにして、両手でビルの先端を大きく振り回した。
その遠心力で、そのマンションにまだ残っていた人々が窓から放りだされ、近くのビルの壁に激突した。
べちゃ、べちゃ、と嫌な音をたて、ビルの壁に赤い斑点の花が咲く。
ヤマトが叫ぶ。
「『月』に代わって……」
その棍棒のようにふりまわしたビルで、亜獣の真ん中の顔を力のかぎりに強打する。
「おしおきだべぇぇぇぇ」
あまりのパワーにビルの先頭がしなってみえた。
ものすごい破壊音がしてビルが砕け散り、砂ぼこりが亜獣のからだの周りを舞う。
が、亜獣はなにひとつ損傷を受けていなかった。
なにごともなかったかのように、ただ一回まばたきをしただけだった。
ヤマトは両手の中で破片となってしまったマンションの残り部分を、ぽいと投げ捨てた。
デッドマン・カウンターが『95』の数字を刻む。
あのマンションにはまだ何人か残っていたことがわかった。一度は救ったかもしれない命だったかもしれなかったが、ヤマトにはまったく興味がなかった。
「ヤマト、相手は『
ふいにブライト指令の映像が目の前に飛び込んできた。
ヤマトは嘆息した。
「わかってますよ、ブライトさん」
「ちょっとムキになっただけです」