とりあえず唯一のストックを生存報告代わりに投稿です。
今回から地霊殿での話になります。
「霊華っ!」
「……っづあ!? ちょ、ちょっとこいし、もう少し力を弛めてくれないとそこは傷がっ……あいだだだっ!!」
勇儀との死闘を制した後、いの一番に動いたのはこいしだった。
私は横から勢いよく腰元へと抱きついてきた彼女に押し倒され、全身をぺたぺたと触診される。
できればもう少し優しくお願いしたい。今は緊張の糸が切れて全身の痛みが笑えないレベルなのだ。
「……生きてる?」
「……ええ」
「怪我、いっぱいしてる……」
「そりゃ鬼と戦ったら無傷とはいかないわよ」
なんとか体を起こし、今にも泣き出しそうな顔の彼女を動かせる右腕でそっと抱き締める。そこから伝わってきた彼女の体の震え。すぐに聞こえだした小さな嗚咽に、たくさん心配をかけてしまったなと申し訳ない気持ちになる。
それでも私に後悔はない。『博麗』として、何よりも『私』として、この戦いは避けてはいけないものであると感じていたから。今回のことは将来的にきっと無意味な出来事にはならないだろうと私の勘が言っているのだ。
「……その娘は?」
「古明地こいし。私の大切な友人よ」
「古明地ねえ……覚妖怪ですらお前さんにとっては友人か。本当に大した人間だよお前さんは」
地面に倒れ、首だけで顔をこちらに向けていた勇儀が笑う。どこか吹っ切れたような穏やかな表情だった。
「……最高の勝負だった。こんなにも晴れやかな気分になったのは生まれて初めてかもしれない」
「満足はできたかしら?」
「ああ……これ以上ないほどにね」
「そう。それじゃ次に会う時はお互いに杯でも交わしましょうか。これは勝者である私から、あなたへの要求よ」
私の言葉に一瞬きょとんとした表情になる勇儀であったが、それもすぐに嬉しそうな笑みに変わる。
「……次に会う時を楽しみに待ってる。きっと、お前さんと飲む酒は最高に違い……ない」
「ええ、私も楽しみにしてるわ」
私はこいしに声をかけてから立ち上がり、歩いて勇儀の近くへ寄る。
勇儀の目は既に虚ろになり、気力でギリギリ意識を保っているだけのように見えた。
しゃがみこみ、私は彼女の耳元で告げる。
「最後に……私の名は博麗霊華。地上で博麗の巫女をやっている人間よ。また会いましょう勇儀」
「……ああ」
満足したような顔で気を失った勇儀に治癒のお札を数枚貼り付ける。応急措置にしかならないが少しはマシになるだろう。
勇儀に背を向けて歩き出した私たちの前で妖怪たちが一斉に道を開けていく。
彼らの顔に浮かぶのはいずれも強い畏怖の色。
あまり気分の良いものではないが、博麗となった日からこういった視線には慣れている。
余計な邪魔など入るはずもなく、そのまま私たちはその場を後にした。
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「……はぁ」
地底の灼熱地獄のちょうど真上に建つ立派な白の館。
地底の住人たちから『地霊殿』と呼ばれるその館の一室で、主人である少女は読んでいた本から顔を上げ、本日何度目か分からない大きなため息を吐いた。
癖のある薄紫のボブに深紅の瞳。 フリルの多くついたゆったりとした水色の服装に、下は膝丈ほどのピンクのセミロングスカート。 その胸元には頭の赤いヘアバンドと体の各所から伸びた複数のコードで繋がれた第三の目が浮いていた。
少女の名は古明地さとり。地底中の妖怪が畏怖する覚妖怪にして、地底の支配者である。
さとりは本を完全に閉じ、ぼうっと虚空を見つめる。
……どうにも集中できないのだ。
彼女の頭に浮かぶのは現在行方不明の妹の姿。探しに行きたくとも立場上簡単には動けず、仕方なくペットを頼って報告を待つ現状がもどかしい。
妹を心配するあまり最近はよく眠れず、逆にペットたちから彼女が心配されてしまう始末だった。
「……お燐はこいしを見つけられたのかしら」
数日前に地上へと捜索に出たペットの火車の顔が思い浮かぶ。
無意識を操る我が妹を見つけて連れ帰って来いなど、我ながら無茶な命令をしてしまった自覚はある。しかし、それも仕方のないことであった。
彼女にとっての妹とは、この世の何よりも大切な存在。
覚妖怪として忌み嫌われながらも必死で支え合って生きてきた過去を持ち今も覚妖怪として生き続ける彼女にとって、唯一の心の拠り所であった。
……例え第三の目を閉ざしてしまったとしても、それで妹への愛情が失われたことなど一度もない。
覚妖怪として生まれてしまったこと自体が残酷であると言えるほどあの子の心は純粋すぎたのだ。
悲しくなかったと言えば嘘になる。自分にはもう、あの子の心を知ることができないのだから。
二人だけの確かな繋がりの形は失われ、妹は姉の手から遠く離れた存在になってしまった。
地霊殿には、嫌われ者の覚妖怪である自分を慕ってくれるペットたちが多く住んでいる。そんな彼ら相手であっても、さとりは完全に心を許せたことはない。
主としての情はあってもそれまで。
どれだけ近づこうと、覚妖怪でもない彼らが自分の全てを理解できるはずがないと。
彼女が本当の意味で心を開ける相手はこの世にただ一人だけであった。
「……にゃーん」
「……お燐?」
いつの間に部屋へ入ってきたのか、気づけば動物形態のお燐が足下に立っていた。
しばしそれをぼうっと見ていた彼女であったが、その思考を少し読み取るや否や慌てて立ち上がる。
「こいしが帰って来たのですか!?」
「にゃ、にゃあ」
その場でお燐の心の声を聞くのもそこそこに彼女は部屋を飛び出す。
途中、スリッパを踏んづけて盛大に階段を転がり落ちてしまったが、構うことなくそのまま玄関へと駆ける。
そこで彼女はようやく探し人の姿を見つけることができた。
「こいしっ! ああよかった。ずっと帰って来ないから心配して──」
「あっ、お姉ちゃん! 空いてる部屋をどこか使いたいから教えて! ベッドのある部屋がいい! 早く霊華を休ませないと……」
「……え?」
発見を喜ぼうとしたのも束の間、返ってきた予想外の返事に彼女は戸惑う。
「いや、私は全然大丈夫だからこいしは先にお姉さんと」
「怪我人は黙ってて!」
「あ、はい」
さとりはあらためて場の状況を確認する。
そこにいたのは血塗れの巫女服姿の知らない女性と、彼女に寄り添う妹の姿だった。
こいしの要望により用意された地霊殿の一室。そこでこいしは巫女へ手際よく治療を施し、ベッドに彼女を寝かせていた。
最初は色々と遠慮していたものの、根負けしていつからか静かな寝息を立て始めた巫女に、こいしは安堵の息を漏らす。
「……これでよし」
眠る巫女に寄り添い、優しげな笑みを浮かべてそっとその手を握る。それだけで彼女が巫女にどれほど心を許しているのかが伝わってきた。きっと彼女にとってとても大切な存在なのだろう。
そんな彼女の様子をさとりはいまだ呆然とした状態で見ていた。
──心配をかけた責任は後できちんととってもらわないと。
加えて、自分のサードアイが時折読み取る懐かしい心の声は一体誰のものなのか。本当は分かっているはずなのに頭の理解が依然として追いつかない。
一体何故? 何が起こっているの? ねえ、その人間は一体誰なの?
「こいし……?」
恐る恐る声をかける。はっとしたようにさとりの方へと向き直ったこいしはやや気まずそうに口を開いた。
「あ……その、遅れちゃったけど、ただいまお姉ちゃん」
「……え、ええ、おかえりなさい」
「お燐から聞いたよ。心配かけてごめんなさい」
「あなたが無事なら私はそれでいいのよ。……ただ、さすがに今はとても混乱しているわ」
薄く開かれた青のサードアイという信じがたい光景。
目の前の彼女からは、はっきりとした意思が感じられた。
目の焦点がしっかり合っているし、表情や言動に違和感もなく至って自然だ。何より自他の存在をきちんと正しく認識できている。
明らかに今のこいしは無意識によって行動していない。
それがどれだけ異常なことであるか、さとりは誰よりもよく知っていた。
「こいし……なのよね?」
「うん、正真正銘私はお姉ちゃんの妹の古明地こいしよ」
そう言って彼女がさとりへ見せた笑顔。
花が咲くように笑うとは、まさにこのような笑顔をいうのだろう。
決して偽りの空虚な笑顔などではない。
それは遠い昔に失ってしまったあの子の笑顔そのものだった。
「……お姉ちゃん、泣いてるの?」
「……あ」
心配そうに顔を覗き込まれ、慌てて手で顔を拭う。さとりはそこで初めて自分が泣いていることに気づいた。
涙を流すなんて一体いつぶりのことだろうか。そんなもの、とうの昔に枯れきったものだと思っていたのに。
「……っ」
拭っても拭っても、曇った視界は晴れない。こんなみっともない姿を見せるつもりはないのに、どうして止まらない?
「ご、ごめんなさ──」
「大丈夫」
言葉を遮られ、体が温かいものにふわりと優しく包まれる。こいしがさとりを抱き締めたのだ。それと同時に彼女の心の声が聞こえてくる。
──ありがとう、私のために泣いてくれて。
「こいし……」
「うん。私は……こいしはここにいるよ」
──
「大好きだよ、お姉ちゃん」
不安でいっぱいだった心が心地よい温かさと安心感で満たされていく。
彼女が本当の意味で心を開ける相手はこの世にただ一人だけ。だからこそ、その相手の言葉は誰よりも深い心の奥底へと届く。
──おかえりなさい。こいし。
完全に滲んだ視界の中、さとりは静かに愛しい妹を抱き締め返したのだった。
しばしの間、お互いの存在を確かめ合うように抱き合っていた二人。
そっと体を離し、先に口を開いたのはこいしだった。
「──ねえ、聞いてくれる? 私の地上でのお話」
「ええ……お姉ちゃんに聞かせてちょうだい。あなたが見たもの、聞いたもの、感じたもの全てを。大好きな妹の話だもの、いくらでも聞いてあげるわ」
「……うん!」
微笑むさとりに促され、こいしは嬉しそうに地上での思い出を語り出す。
森の中をあてもなくさ迷う中で小さな花畑を見つけたこと。
地底にはない太陽の光を浴びながら川で水遊びをしたこと。
人里で子どもたちに混じって遊んだこと。
ある日ふらりと訪れた神社で不思議な巫女と出会ったこと。
彼女と様々なやりとりをしながら日々を過ごしたこと。
少しだけ心を開くことができた日のこと。
彼女の娘や友人の妖怪たちと遊んだこと。
そうした日々によって心が満たされ、今が幸せでいっぱいであること。
そして今、ここに来る前に鬼と闘っていた巫女に大きな心配をかけさせられたこと。
それら一つ一つを、さとりは適度に相づちを打ちながら最後まで聞いていた。
話を聞いて彼女が確かに分かったことは三つ。
一つ、妹が心を開くきっかけとなったのが部屋で眠る地上の巫女であること。
二つ、その巫女はあの星熊勇儀との真っ向勝負で打ち勝つ実力を持つ強者であること。
三つ、今の妹にとって巫女の存在はとても大きなものとなっていること。
正直どれも決して無視できないことばかりであるが、一番重要なのは彼女のおかげで妹は再び心を開くことができたという点。間違いなく自分たちにとっての大恩人である。
「彼女がこいしの心を……」
まさか人間を相手に感謝する日が来ようとは。
小さく呟くさとりの視線の先にはベッドで眠る件の巫女の姿があった。
久々に湧いた人間への興味。彼女が目を覚ましたらお礼を言うついでに色々と話でもしてみようかと考えながら、さとりはこの場を離れようとこいしに声をかける。このままでは恩人の眠りの妨げになると思ったのだ。
「行きましょうこいし。騒がしくしては眠っている客人の迷惑になってしまうわ」
「うん」
何はともあれ、今はただ妹の帰りを喜ぼう。
さとりは最後にもう一度巫女へと視線を送り、妹を連れて部屋を後にした。
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第三の目を再び開いた妹は以前よりもどこかたくましくなって帰ってきた。
愛しい愛しいたった一人大切な肉親が帰ってきたのだ。
妹の心を救ってくれた巫女には感謝しかない。
きっとこれからはまた昔のような二人に戻れる。
現状に問題なんて何もない。
妹とまた心を通わせられる日々が戻ってきたのだから。
ああ、私は今、とても幸せだ。
……本当に? よく言うわね。そんなこと、まるで思ってもないくせに。