月光に導きを求めたのは間違っていたのだろうか   作:いくらう

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17000字ほどです。

総合評価が4500を超えました。これもひとえに評価お気に入り等して下さる皆さまのお陰です。
また感想の投稿および誤字報告してくださる皆さまありがとうございます、毎回目を通させて頂いております。
これからもこの作品を楽しんでいただければ幸いです。


12:鍛錬

 ――――【オラリオ】。世界で唯一【迷宮(ダンジョン)】をその中心に保有し、娯楽を求めた数多の神と栄光を求める数多の冒険者が集う街。

 

 その周囲は【市壁】と呼ばれる巨大な壁に囲われている。嘗て、神無き頃にはこの壁こそがダンジョンより溢れるモンスター達を逃がさぬよう『柵』の役割を果たしていたというが、それはもはや神々の記憶にのみ留まる時代の話だ。

 しかし過去には内側に対する備えであったこの壁は今や【ラキア王国】を始めとした外敵への備えとなっており、幾度もの改修を経てその堅牢さはより一層強固な物となっていた。

 

 この市壁に迫る規模の建物ともなればオラリオにもそう多くはないが、幾つかのギルドの本拠地(ホーム)巨大闘技場(コロッセオ)、そして高さでは優に上回る【摩天楼(バベル)】と存在しない訳では無い。

 しかしほとんどの建物がここからの視界を遮る事は無く、故にここからオラリオを見下ろす景色は雄大そのものでもある。観光に来たものが街を見下ろし、感嘆の溜息を吐くことなどよくある話だ。

 

 そんな、全てを見下ろすバベル以外からの視線を通さぬこの場所で、二人の冒険者が戦闘を繰り広げていた。

 

 一人は【ヘスティア・ファミリア】の白兎、【ベル・クラネル】。それに対するは【エリス・ファミリア】の白装束、<ルドウイーク>。彼らは本来の得物ではない武器を用いて幾度と無く激しくぶつかり合っている。

 

 ――――いや。ベルがルドウイークに挑み続けている、と言った方が正確か。

 

「はあっ!」

 

 優れた『敏捷』を生かしてルドウイークに肉薄したベルが気迫と共に木製の短剣を振りかぶった。訓練用の武器とはいえ、当たれば無傷では済まない鋭さの一撃。

 しかしルドウイークはそれを一歩分飛び退いて悠々と回避。その眼と鼻の先をベルの短剣が振り抜かれ、次の瞬間跳ね返るように跳躍したルドウイークの槍じみた蹴りがベルの腹に叩きこまれた。その威力に彼の小さな体は吹っ飛ばされ市壁の上を盛大に転がる。

 

「すまないクラネル少年、無事か?」

 

 心配げなその言葉とは裏腹に自然体で立ちベルを眺めるルドウイーク。そんなルドウイークに対してベルは素早く立ち上がると、短剣を構えて腰を落とす。

 

「大丈夫です! 続けてください!」

「そうか。なら、次はこちらから行くぞ」

 

 言って、ルドウイークは木剣を抜く。そして先程のベルとほぼ同じ速度で彼に接近。それに対してベルは自分からその間合いの内側に踏み込んで短剣を振り上げた。それはルドウイークの突撃に合わせてカウンターを狙った一撃だ。

 ベルのリーチの短さでは待って攻撃を捌くだけでは防御一辺倒になり、反撃の余地がなくなって押しつぶされる。それを彼は幾度かの激突を経て既に学んでいた。

 

 故の、攻めによる防御。だがルドウイークはそれに対して横から斬撃に剣をぶつけるようにして弾き、体勢を崩した彼の胸倉を掴んで引き落とす。更にはその倒れた背に剣の切っ先を当て押さえつけるとベルを見下ろして小さく笑った。

 

「良い反撃だ…………が、一手に賭けすぎたな」

「レベル1の差って、大きいですね……」

 

 それに呼応して、うつ伏せのまま首だけを巡らせたベルも疲れたように笑う。そんな様子を見てルドウイークは剣を引き、市壁の端に歩み寄って腰を下ろしベルに笑いかけた。

 

「もう昼だ。そろそろ休憩にしよう…………ポーションが幾つかある。使ってくれ」

「ありがとうございます!」

 

 駆け寄ってきたベルはルドウイークからポーションを受け取るとそれを痛む場所に振りかけ、それから自身のバックパックを手に取ってルドウイークの横へと座り込んだ。

 

 何故、今二人がこのような場所で対峙しているのか。それは、今朝の事に(さかのぼ)る。

 

 

 

<◎>

 

 

 

 おとといの夜。酔いはせずとも、酒臭さに塗れて遅くの帰宅をしたルドウイークはエリスに今までで一番こっぴどく叱られた。ルドウイークとしてはそれほどの落ち度は無かったように思っていたが、彼女はそうは思わなかったらしい。

 そして、<秘儀>によって色を失った【魔石】に八つ当たりしながら彼女は『酒を飲むときは自分も呼べ』、『【ロキ】の所の団員とあんまり仲良くしないで』『不安になるから遅くなる時は言って』と自らも安酒の瓶を開けながら喚き散らしていた。

 

 最終的に彼女は『お酒臭い!』と自分を棚に上げて叫び、『何日か朝からダンジョンに潜ってとにかくどうにかして来てください!』とルドウイークに主語の無い支離滅裂な命令を下したのだ。そんな彼女は今頃職場(鴉の止り木亭)に向かうか二日酔いに苦しんでいるだろう。

 

 そして、当のルドウイークはそんな酔いどれ女神の要望に応え、律儀にもダンジョンの前までやってきていた。

 

 しかしその足取りは重い…………当然の事である。あれ程呑んだのは彼の生涯においても初めての事だ。例え酔いはせずとも、酒ばかり口にしていれば狩人と言えど体調を崩すのは自明の理。

 

 『狩人は常に最善の状態で狩りに赴くべし』――――そうでなければ、獣どもに狩られるのは自身らである――――その、<最初の狩人>がかつて語った警句の一つに従い、懐の魔石を詰めた雑嚢の一つ、数千ヴァリスにはなろうかというそれを換金の犠牲とする事で今日の探索に向かわないことをルドウイークは選択した。

 

 そうして彼は、エリスに若干の申し訳なさを感じつつも中央広場(セントラルパーク)のいつものベンチに腰掛けて、何をするでもなく広場を行き交う人々を眺め続けていた。

 

 その様にルドウイークが一所で人々を眺め続けるのは今に始まった事ではない。彼は<ヤーナム>にて英雄と呼ばれるそれ以前から、教会の大聖堂を降りた先にある広場にて人々の営みをつぶさに観察していた。そうして彼は己の守るべきものとそれらが享受する平穏の価値を自らの中で定義していたのだ。その習慣が、今もこうして彼の中には残っている。

 

 

 

 

 そうして彼がベンチで人々を眺め、穏やかな時間を自身の休息に充てていると、その視界に一人の見知った顔が現れた。

 

 ベル・クラネル。ルドウイークがこのオラリオに来てから幾度と無く関わってきた冒険者であり、何よりも彼の知るそれとは異なる<導き>を纏う少年。そんな彼が自分を見つけると慌てて駆け寄ってくるものだから、ルドウイークは少し怪訝そうな顔をした。

 

「おはようございます、ルドウイークさん!」

「ああ、おはようクラネル少年。ダンジョンに行くのかね?」

「あ、いえ……」

 

 彼の装備を見て問うたルドウイークの言葉に、ベルは答え辛そうに僅かに視線を彷徨わせる。何かを迷うようなその表情にルドウイークは僅かに眉を顰めた。だが、その逡巡もわずかの間の事。ルドウイークがベルに対して何かを尋ねる前に、彼は決意したような瞳でルドウイークに対して口を開いた。

 

「あの、ルドウイークさん」

「何かね?」

「……実は、お願いしたい事がありまして。僕にルドウイークさんの技を……技術を教えて貰えないでしょうか」

「…………何かあったのか?」

「目標が出来たんです」

 

 驚いたような顔のルドウイークの問いに、ベルは拳を握りしめながら絞り出すように答える。

 

「実はおとといの夜、一人でダンジョンの6階層まで潜って……酷い目に合って……神様といろいろ話をしまして。それから…………いろいろ考えたんです。前、ニールセンさんに言われたみたいに、ダンジョンの中だけじゃなくて地上でも……何か出来る事は無いのかって」

「………………」

「それで、ルドウイークさんの【ステイタス】に因らない戦う技術……静かに走る技とか、的確なカウンターとか、そういうのを思い出してですね」

「その、私の持つ技術を習得したい……と言う訳か」

「……はい」

 

 答えるベルの眼を、ルドウイークは半ば睨むように見つめる。しかし、その眼はルドウイークの知るどこか相手の様子を伺う小動物めいたものではなく、決意を秘める戦士の物であった。それを見て取ったルドウイークは、厳しい目をしたまま口角だけを僅かに上げて諭すように口にする。

 

「なるほど、大体わかった。結論から言えば、私個人としてはそれは構わない」

「本当ですか!? じゃあ――――」

「だが」

 

 喜ぶベルに水を差すようにそこで一度言葉を切り、息を飲むベルの顔をちらと見てからまるで重苦しいかのような表情でルドウイークは口を開く。

 

「だがね……君も知ってはいるだろうが、エリス神はヘスティア神の事を――正直そうは見えないが――嫌っておられる。ある意味では【エリス・ファミリア】と【ヘスティア・ファミリア】は敵対していると言ってもいいだろう」

「それって……」

「ああ。これがエリス神に知れれば背信行為とみなされ……私はひどい目に遭うだろうな」

「そんな!」

 

 そう、何処か笑いをこらえるかのように言うルドウイーク。それにも気づかずに、ベルは青い顔をして狼狽した。自身の頼みごとのせいで、恩人でもあるルドウイークが窮地に立たされる。それはベルの望むところではない。なら、どうすればいいのか…………それをベルが必死に考えていると、ルドウイークは何処か申し訳なさを感じさせるように肩を竦めた。

 

「冗談だ。冗談だよクラネル少年。時間も持て余していた事だし、その頼み受けさせてもらおう。すぐ始めるかね?」

「えっ……えーっと…………はい、ありがとうございます?」

 

 未だに困惑しっぱなしのベルを他所に、ルドウイークはベンチを立って背嚢を改めて背負い、そして中央公園を後にするべく歩き出す。その背中を立ち尽くしていたベルは慌てて追いかけ、その横に並んだ。

 

「ルドウイークさん……えっと、これからどうするんですか?」

「とりあえずは、君の今の実力が見たい。どこか邪魔の入らない所に心当たりはないかね?」

「うーん……市壁の上とか?」

「いい案だ。行ってみよう」

 

 ベルの提案に頷くと、ルドウイークはその肯定の意とは反するようにギルド本部のある方へと足を向けた。それにベルはすぐに気づいて、ルドウイークを引き留めた。

 

「あの、ルドウイークさん。市壁は逆方向ですよ? 何か訳が?」

「まずは、訓練用の武器を調達しようと思ってね。流石に真剣でやりあう訳にはいかないだろう。ヘスティア神に迷惑をかける訳には行かないし、エリス神を心配もさせたくない。ギルドにちょうどいい武器があればいいが、無くてもそう言った物を用立てられる店の場所くらい聞けるはずだ」

「なるほど……」

 

 ルドウイークの説明は確かに筋の通ったものであった。それにベルは目的こそ明確になったものの、時間に追われているわけじゃあない。何より、また怪我をして神様に心配かけるなんてのは御免だとベルは思った。そして、彼はルドウイークの横に並んで、共にギルドへの道を歩き出す。

 

「それにしても……ルドウイークさんも冗談なんて言うんですね」

「ははは、そうだな。もしや、エリス神に影響されたか。だが存外に悪く無い気分だよ」

「こっちはヒヤヒヤしましたけどね……」

 

 そんな他愛のない話をしながら彼らはギルドに向かい、そこで訓練用の武器を貸し出してもらうと市壁へと昇り、人目に付かぬそこで訓練を始めるのだった。

 

 

 

<◎>

 

 

 

 そうして、訓練を開始して数時間。ルドウイークとベルは市壁の上で座り込み、それぞれの背嚢(バックパック)から昼食をそれぞれ取り出して食事を始めていた。

 

 ルドウイークが取り出したのは紙に包まれたサンドイッチ。間に玉子のサラダが挟まれているそれを、彼は大きく口を開け手早く腹に収めてゆく。

 一方、ベルが取り出したのは丁寧に包装された弁当箱だ。誰かの手作りと思しきそれの中身は綺麗に整えられたもので、それをベルは幸せそうに頬張りながらちらとルドウイークの方に視線を向けた。

 

「そのサンドイッチ、美味しそうですね。ルドウイークさんが作ったんですか?」

「いや、エリス神が持たせてくれた……と言うか、背嚢の中にいつの間にか突っ込んであったんだ。彼女なりの気遣いだと思うよ」

「なんていうか、エリス様らしいですね」

 

 感情豊かな女神の姿を想起してベルが言うとルドウイークは同意するように首を縦に振り、水筒の水で喉を潤してから小さく笑う。

 

「そう言う君のそれは、ヘスティア神が?」

「いえ。えっと、【豊穣の女主人】亭って言う酒場の店員さんが渡してくれたんです。『ダンジョン探索頑張ってきてください』って。今日は探索してないんですけどね」

「そうと知ったら、ヘスティア神がむくれそうなものだが」

「神様が……?」

「いや、何でもない。忘れてくれ」

 

 ルドウイークはそう言って話題を打ち切ると、また一口サンドイッチを口にした。彼は既に、昼食をほとんど食べ終える勢いだ。ベルもまた、その持たせてもらった弁当の出来に舌鼓を打ちつつ、穏やかに時間を過ごして行く。

 

 そうしてしばらく経った時、唐突にルドウイークが口を開いた。

 

「ところでクラネル少年」

「何ですか?」

「6階層まで降りたと言っていたが……何があった?」

 

 そう問いかけたルドウイークの眼は今までベルの見てきたそれとは比にならぬ程に真剣な物だ。真剣に心配している。

 

 それは彼自身、6階層以降の危険度を重々承知しているからだろう、とベルは考えた。道中聞いた話では、彼がレベル2になった偉業は、おそらく6階層から逃げ帰った後のミノタウロスからの逃走劇であろうと語っていた。

 最初は自分と同じ目に遭っていたのかと共感を込めた視線を送っていたベルだったが、自身が逃げきれなかったミノタウロスから結局無傷で逃げ延びたと聞いて、そんな所でも差を感じてしまう。

 

 そのちょっとした屈辱感にも似た感情とルドウイークの真剣極まりない視線に、ベルはしどろもどろになりながら言葉を選んで答えた。

 

「えっとですね……ちょっと、思い知らされるって言うか……なんて言えばいいのかな、悔しい目って言うか……」

「……言いづらいなら構わないが」

「いえ、うーんと……とにかく、今のままじゃ目標に辿り着けないって、ハッキリ突きつけられたんです。それで、居てもたっても居られなくなって……」

「勢いに任せて6階層まで降りたという訳か」

「……はい」

 

 言いにくい事を遠慮なしに口にしたルドウイークの見解に、ベルは小さく返事をして、それ以降黙りこくった。気まずい空気が二人の間に流れる。

 

 ベルは既にこの事について、ヘスティアと話し合いを重ねており、答えは既に見出していた。思い知った自身の無力さ、分かってしまった彼我の距離の大きさ。それでも、あの人の居る場所に少しでも近づくために『強くなりたい』。その為にベルは、自身に出来る事を必死に探している。

 今ここでルドウイークと共に居るのもその一環だ。自身の知る冒険者達の中で近しいステイタスの持ち主でありながらその個人の技術によってベルの遥か先を行く男。

 

 そんな彼に技の教えを受ける事でステイタスだけでなく、自分自身を鍛える事に繋がるのだと考えてベルは今ここに居る。そんな彼がベルのした無茶に対してどんな厳しい言葉を口にするのか……ベルはそれが気が気では無く、ルドウイークの様子を伏し目がちに伺った。

 

 そんなベルにとって、どこか予想通りの言葉がルドウイークの口から発せられる。

 

「流石に、それは擁護できないな」

 

 そのルドウイークの言葉に、ベルは目を伏せて俯いた。自身の主神であるヘスティアを悲しませたことを想起したからだ。そして実際にルドウイークは、何処か諭すような穏やかな口調でありながら、ベルのミスを明確に指摘する。

 

「君の、その強くなりたいという願いは間違っていない。けれど、少々前のめり過ぎさ。試練に挑むにはそれに相応しい備えが要ると私は考えていてね…………一時(いっとき)の衝動に任せて探索に望むのは、挑戦でも冒険でもなくただの自殺だよ。それでヘスティア神を悲しませるのは君の本意では無いはずだ。チュール嬢も似たような事を言ってはいなかったかね? 『冒険者は冒険してはいけない』と」

「…………はい。仰るとおりです」

 

 俯いたまま、苦々しく声を絞り出すベル。ルドウイークはそんな彼を見て、対照的に肩の力を抜きふっと笑って言った。

 

「…………だが、口ではそうは言っても試練の側がこちらに配慮してくれる訳では無い。冒険せざるを得ない時も、必ず来るはずだ。だからこそ、我々はその時の為に鍛錬を重ね、それに備えてゆく……今日この日のようにな。だろう、クラネル少年?」

「……そうですね」

 

 ベルだけではなく、自身にも言い聞かせるようなルドウイークの言葉。それに短く答えると、ベルも食事を終えて弁当箱を背嚢へと仕舞い、短剣を握りしめ立ち上がる。

 

「お待たせしました……始めましょう、ルドウイークさん」

「もういいのかね? 食事後に運動すると、体調を崩しかねないぞ?」

「ダンジョンの中では、そうも言ってられませんから」

 

 決意に満ち溢れたベルの表情に気を良くしたか、ルドウイークは楽しげに口角を上げると自身の木剣を手に立ち上がった。その背に、思い出したかのようにベルが声をかける。

 

「あ、そうだルドウイークさん。一つだけいいですか?」

「何かね?」

「あの……『クラネル少年』、って言うの、なんだかむず痒いんですよね。僕、呼び捨てでも構いませんよ?」

「…………私個人としては、『クラネル少年』も悪くはないと思うのだが……分かった、善処しよう」

 

 困ったように呟いたルドウイークは、そのまま数歩先まで歩いて行ってそして振り向き、ベルにその木剣の切っ先を向けて、彼に訓練の再開を宣言した。

 

「ではベル。始めよう。食後で悪いが、頑張ってくれ」

「はいっ!」

 

 

 

<◎>

 

 

 

 迫るベルの短剣を、私は一歩引いて空振らせた。生まれた隙に蹴りを叩き込もうとしたものの、彼はむしろ体勢を大きく崩す事で体をズラして私の蹴りを回避。低い姿勢のまま私の軸足を薙ぎ払おうとする。

 

 昼前の戦いから学んだか。悪く無い。私はその一撃を片足のみでの跳躍で回避し、たたらを踏むように距離を取る。その隙に素早く立ち上がり態勢の整わない私にベルが飛びかかった。勢い良く迫るベル。しかし空中で身動きの取れない彼の胸に向け、私は木剣を突き入れて撃墜。地面に叩きつけられ手放された短剣を蹴り飛ばしてからうつ伏せの彼の背に切っ先を突きつける。

 

「……少し、上半身ばかりが(はや)ってしまっているな。倒れかけの体勢からの攻撃は見事だったが、そもあのようなリスクを冒すべきではないよ」

「あはは……結構いい線行ってたと思ったんですけど」

「行っていたとも」

 

 言いながら、私は彼の背に落ち着けていた切っ先を引き、その手を引いて助け起こす。

 

「だが、リーチの短さがどうしても出てしまう事が多いな。やはり踏み込みの改善だろう……その点、私が退がってからの追撃は良かった。今までで一番の速度だ」

「本当ですか!?」

 

 良かった点を私が挙げると、ベルは食いつくように私ににじり寄って来た。そのきらきらと輝く瞳に押されて私は一歩距離を取る。

 

「あ、ああ。だが勢いに任せて跳躍したのが良くない。空中では身動きが取れないからね」

 

 それを聞くと、ベルは委縮したように目に見えて大人しくなった。私も多くの狩人の育成に携わったが、これほど分かりやすいのは初めてだ。私はそんな彼の姿に少しばかり苦笑を隠しきれないながらも、そのやる気を引き出すべく彼自身の長所について語り始めた。

 

「君の強みはその脚力……いや、『敏捷』だ。それも、直線の速さでは無く跳ねまわるような機敏さ。真っ直ぐ目標に迫ろうとする気概は認めるが、前のめりになりすぎれば強みが生かせないぞ」

「うーん……ルドウイークさんがダンジョンでやってたようなステップ、アレが出来ればいいんですけど」

 

 言って、ベルは試すようにその場で左右に跳び始めた。だがそれはただの跳躍であり、我々狩人の行う歩法の足元にも及ばぬものだ。

 

 しかしそれも致し方ない事だろう。我ら狩人の歩法は<獣>と対し、その爪牙を掻い潜り狩り殺すための血塗られた業の一つ。流石に、今のベルに習得するのは難しいだろう。

 だが、彼には何らかの素質がある。将来何かの役には立つかもしれない。そんな風に私は少し考え込んでから、とりあえずアドバイスだけはしておくことにした。

 

「コツは焦らず余裕を持って跳び、着地も含めて動きを止めないこと。それと『一回の跳躍』では無く『一歩』だと意識すること。後これは実戦で使う時の話だが、敵の攻撃を良く見極めることだな」

「うーん、『ピョーン』じゃなくて『トッ』って感じなのかなあ」

「そこは鍛錬を重ねるしかあるまい。私も師に睨まれながら横跳びを只管繰り返したものだよ」

 

 言いながら、嘗ての鍛錬を私は想起する。<ゲールマン翁>の元、狩人の道を志し集まった者達。それぞれが生半な者達では無かったが、それが揃ってゲールマン師の元で跳躍の訓練に勤しんでいたとは……今思えば中々に滑稽だったと思う。

 

 目前のベルも無理な姿勢で飛んでみては足をもつれさせたりと、危なっかしいことこの上ない。私は見ていられず、訓練の再開を以って彼の跳躍を止めさせる事にした。

 

「さて、続けようベル。今度は私は守りに徹するから、好きなだけ打ってきてくれ」

「わかりました!」

 

 元気のいい返事と共に、ベルは短剣を構えて一気に飛び出す。4M(メドル)程の距離を一気に詰めた彼による短剣の振り下ろし。それを私は半身を引き回避するが、ベルはそれにすぐさま反応して、振り下ろした短剣を弾かれるかのように跳ね上げそのまま切り上げを狙う。

 

 攻めに躊躇が無い。それに、踏み込みが良い。先程私の言った事をもう反映してきたか! ベルの見せた適応能力に舌を巻きながらも、私は立ち回りと長剣を用いて丁寧にその技を逸らしてゆく。突きをすれ違う様に躱し、振り上げを長剣で弾き、横薙ぎを後方への跳躍(ステップ)で回避する。

 それはさほど難しい作業ではない。何せ私と彼の間には、彼に知らせているよりずっと大きな力の差がある。

 

 だが、これがもし同格だったらと思うと背筋の凍る思いだ。ベルの速度は、明らかに冒険を始めたばかりの新人(ルーキー)とは思えない領域に達している。かつて見た同格のレベル1である【アンリ】や【ホレイス】と比べてもなお速い。

 おそらく『敏捷』に特化したステイタスを持っているか、あるいは何らかの【スキル】を発現しているのだと見るのが自然だろう。だが、冒険を初めてから僅かな期間でこれだけの速度とは――――

 

「はあっ!」

 

 そんな思案を重ねる私の目と鼻の先をベルの短剣が通過した。これは、認識を改めねば。彼は私が見積もっていたよりもずっと速い。既に訓練の開始時とさえ別物だ。

 恩恵によるステイタスの更新もしていない以上、この短時間に何らかのコツを掴みつつあるのだろう。更には、『私が守りに徹する』と言った事で攻撃に専念しているのが大きいか。

 

 やはり、素晴らしい素質だ。初めて見た時頼りなさげな小動物めいた印象を抱いたのが今では遥か昔の事にさえ思える。この調子で実戦の場でも気負わずのびのびと戦う事が出来れば、すぐにでも彼は『化ける』だろう。

 

 私の思索を他所にそのままベルの連続攻撃は続いてゆく。今度は軽い前方跳躍からの突き、と見せかけ身を反らしながらの回転切り。更にはそこからの回し蹴り。それを私は長剣で受けつつ、念のため余計に一歩分距離を取って退き下がった。

 

 技同士の連結を意識できていて隙を大幅に減じているな…………悪く無い。ともかく一度仕切り直すか。剣を構え、私は反撃の構えを取る。

 

 

 

 ――――瞬間、私は何者かの視線を受け全身に悪寒を奔らせた。

 

 

 

 他に誰もおらず、視線も通るはずの無いこの場所で、そのような物を感じるなどありうべからざることだ。幸いにも<上位者>の(かも)すそれに似た気配を感じたのは一瞬の事で、その感覚はたちどころに消え失せていたが、私は鋭く視線を巡らせ、その出所を探る。

 

 下か? ありえぬ。そもそも視線が通らない。ならば同じ市壁の上か? それはありえる。双眼鏡などを用いれば、遠方からでも我々を――――否。ただの文明の利器による物であれば、あれ程の悪寒を感じるはずもない。今のは魔法か、あるいはスキルか。ともかく、何らかの特別な能力の行使の結果による物だろう。

 

 私は更に注意深く周囲を警戒し……一つの建造物を捉えた。【摩天楼(バベル)】。オラリオの中心部に聳えたつ、巨大なる塔。そこから僅かながらの引力を感じ取る。

 

 バベルから? 神か? まさか。彼らは地上においては、人とそう変わらぬ力しか持たぬはず…………。

 

 その思索を断ち切るように、視界の端を影が過ぎる。しまった。完全に意識を他所に向けていた私にベルの攻撃が迫る。

 だがその攻撃に対し私は反射的に剣を振るって彼の得物である短剣を腕ごと弾き、体に染みついた動きのままにがら空きになった胸へと抜き手を突き込み――――そうになって、咄嗟に掌底へと技を変じさせて彼を突き飛ばすに留める事に成功した。

 

「げほーっ!!」

 

 胸を打たれ、肺から空気を押し出されながら突き飛ばされた彼はごろごろと転がった後市壁上の胸壁にぶつかって動きを止め、そして立ちあがろうとしてへたり込んだ。

 

 やってしまったか。私は彼の元へと急いで走り寄り懐からポーション瓶を二つ取り出して、一つを彼に振りかけもう一つを口に含ませる。そうするとすぐに彼は調子を取り戻したようで、ごほごほと咳き込みながら悔しそうに頭をかいた。

 

「今の、は、いけたと、思ったんだけど、ゲホッ……」

 

 俯き咳き込みながら呟くベル。その様子からとりあえず死んではいないと判断した私は安堵の溜息を吐く。それから、一度遥か遠くに聳えるバベルを見た。もう既にあの視線はなりを顰め、その気配も何も感じない。

 

 ……上位者では無いはずだ。彼らの視線であれば、あのような怖気では無くもっと名状しがたき物を感じるはずであった。それよりもあの視線は品定めするような、多分に楽しさを含んだものだ。

 

 ――――この街も、ヤーナム同様一筋縄ではいかないのかも知れないな。

 

 私はオラリオへの、そしてそこに在る者達への警戒を新たにするとひとまずバベルから眼を逸らし、痛そうに胸をさするベルの手当てに移るために背嚢の中の医療品を漁り始めた。

 

 

 

<◎>

 

 

 

 市壁の上で訓練するベルとルドウイーク。そんな彼らの様子を、遥か高みから見下ろすものが居た。

 

 オラリオの中心、ダンジョンの真上に聳えたつバベルの最上階。その窓際で彼女は立ち尽くし、遥か遠方より剣を交える二人――の片割れである白髪(はくはつ)の少年の事を熱心に見つめている。

 大理石さえもくすませる白い肌、黄金の比を持ちながらにして柔らかくシルエットを変えるその肢体。長い銀髪は揺らめく光の如く輝き、そのかんばせは咲く花の如く他者の視線を惹きつけて止まない。彼女の持つ美麗極まりない立ち姿を目にすれば、百人の画家が居れば皆(こぞ)って筆を執り、詩人が居ればその美しさを讃える詩を謡い出すだろう。

 

 彼女の名は【フレイヤ】。オラリオに君臨する二大ファミリアの片割れ【フレイヤ・ファミリア】の主神であり、このオラリオで並ぶものの無い【美の女神】の代名詞とされる存在。そして、その下界の子供たちに対する手癖の悪さでよく知られる、神らしい神である。

 

 彼女が、ベルに視線を向けるのにはもかねがねそう言った理由だ。彼女はある日街中を歩くベルを見かけ、その魂を『視て』大いに興味を惹かれた。一目惚れの様に。

 そして先日の【神の宴】に顔を出す事でベルの所属するファミリアを知り得た彼女は、それから一層その神の瞳を彼に向け、惜しげなくその麗しい視線を注いでいたのだった。

 

 ふぅ、と一度息を吐いて朱の差した頬に手をやった彼女は目を細め、再び剣を取り立ち上がったベルをじっくりと見つめる。普通のヒトであれば捉える事など出来よう筈も無い距離。しかしそれも、フレイヤの魂の色を見通す『(ひとみ)』の前では目と鼻の先のような物だ。

 

 彼女はベルへと向けた眼を良く凝らす。そうすれば彼の魂の色が、その神の眼にはありありと見て取れた。

 

 透明。透き通り、そして輝くその魂の色は、今まで数多の子供たちを見てきたフレイヤでさえ、一度たりとも見た事の無いような物だった。それは、特別な物を大いに好む神にとっては大いに喜ばしい物で、この美の女神にとっても例外では無かった。

 

 それゆえに、彼女はベルへと惜しみなく感心を寄せる。今はまだ小さいその輝きが、いずれ素晴らしい物になる。してみせる。そんな神らしい思いを胸に抱きながら。

 

 ふと、彼女はそのベルと剣を交える男に気取られぬよう慎重に眼を向けた。彼もまた、フレイヤの見た事の無い、特別な魂を持った子供だ。

 

 ――――だが、その魂の姿はベルとは真逆の、直視するのも悍ましい物だ。まるでこの世の全てに呪われ、ねじれ狂ったような歪んだ魂。赤黒く穢れたその色は、だが不思議な翡翠色の光に縁どられている。

 それは熱せられたガラスの塊が溶けて偶然芸術品の形を取ったような、何故人としてある事が出来るのか不思議でならないような魂であった。どれほど危険と称された戦士たちを見ても、これほど異常な魂を見た事は無い。

 

 フレイヤは堪えきれずに、すぐに彼に視線を向ける事を止めた。その魂を見ていると、何故か頭が小さく痛む。あの魂にはあまり関わり合いになりたくはないと彼女は結論付けた。

 

 ――――あの無色透明な魂が、穢れた魂に影響されてしまわないといいのだけれど。

 

 関係のある者の魂によって他の者の魂がねじ曲がるなど、見たためしはない。だが、前例がないからと言ってあり得ないという訳では無い。彼女はそんな未来が訪れてしまわないか少し不安になって、近くのテーブルに向かい椅子へと腰掛けた。その時、部屋のドアが軽くノックされる。

 

「どうぞ」

「失礼致します」

 

 彼女の許可を待って部屋に足を踏み入れたのは、身長2M(メドル)を超える猪人(ボアズ)の偉丈夫。その重厚な存在感に、並の冒険者では彼に視線を向ける事さえ躊躇するだろう。

 

 彼の名は【オッタル】。この迷宮都市オラリオの頂()に立つ冒険者であり、【猛者(おうじゃ)】の名を持つレベル7。そして【フレイヤ・ファミリア】の団長であり、同時にフレイヤの懐刀でもある。

 

 そんなオッタルの接近に、フレイヤは眉一つ顰めず、むしろ心待ちにしていた様に顔をほころばせた。そんな彼女の前にオッタルは跪くと懐から一つの書簡を取り出し、彼女へと恭しく差し出した。

 

「【フィリア祭】の【ガネーシャ・ファミリア】が行う調教(テイミング)、その催しの予定表です」

「ご苦労様。でも良く手に入れられたわね。お祭りの中身なんて、きっと大変な秘密のはずなのに」

「いえ。偶然ガネーシャ様にお会いできまして。『楽しみにしています』と伝えた所快く渡して頂けました」

「あら。彼らしいけど、しょうがないわね」

 

 ふふ、とフレイヤは上品に唇を隠して笑った。しかしオッタルは微動だにせず跪いたままである。そんな彼の様子を見てさらに機嫌を良くしたフレイヤは、椅子から腰を上げてその書簡に目を通した。

 

「あら、今回はレベル1だけじゃなく、レベル2のモンスターも連れてきてるのね」

「先日のミノタウロスの上層進出に関連して、捕縛隊が少し下の層まで向かったのが要因かと。ここ数年の中では、特に盛り上がると思われます」

「そう…………でも残念。昨日ロキに呼び出されちゃったのよ。断る訳にもいかないし、フィリア祭には行けないかも」

「それは……残念です」

 

 どこか楽しげな表情を崩さないフレイヤに対して、あくまでオッタルは真剣な面持ちで跪いたままだ。それを見て、フレイヤは少し生真面目なその猪人をからかってやろうと口を開こうとした。

 

 その時、またドアがノックされる。オッタルへの悪戯を中断したフレイヤが声をかければ、彼女の身の回りの世話役として常駐しているメイドの一人が顔を出し、申し訳なさそうに頭を下げた。

 

「お取込み中失礼します。オッタル様、よろしいでしょうか」

「どうした、何かあったか?」

「いえ、来客がありまして…………」

 

 立ち上がったオッタルの姿にますます委縮しながらも、メイドはオッタルに対して簡潔に用件を伝えた。それを聞いてオッタルはちらとフレイヤへと目を向ける。

 

「急ぎの話でも無いし、行ってきて構わないわよ」

「……ご配慮痛み入ります」

 

 その視線に応じてフレイヤが頷くとオッタルは敬服したように頭を下げ、そしてメイドの元へと歩み寄った。そしてメイドの前に立つと、落ち着いた様子で要件を問いただす。

 

「で、誰だ? その来客と言うのは」

「えっと、その………………【黒い鳥】様です」

「不在だ」

「えっ?」

「私は不在だ。そう、奴に伝えてくれ」

「…………畏まりました」

 

 その来客の名を聞いた途端、冷静沈着で知られるオッタルはあからさまに眉を顰めて居留守を使った。それに驚いたメイドが目を丸くするが、有無を言わせぬ剣幕でオッタルは指示の履行を命じ、あくまでメイドにすぎぬ彼女は事情が分からぬと言った顔でその場を後にした。

 

「……あら、つれないわねオッタル。貴方目当てに来たのだから、少しは顔くらい出してあげればいいのに」

 

 書類に目を通しながらその顛末を眺めていたフレイヤが、揶揄うようにオッタルに柔らかな笑みを向けた。しかしそれに対して、彼女の命とあらばどのような苦労をも厭わぬ武人は珍しく眉間に皺を寄せた。

 

「…………奴の相手をするのは疲れるのです。戦いであろうが、あるまいが。どうせまた、何かロクでもない事でも思いついたのでしょう」

 

 溜息を吐きながら、心底嫌そうに【黒い鳥】について語るオッタルに、フレイヤはますますその笑みを深くする。

 

「でも、彼と戦っている時の貴方、とっても楽しそうだったわ。私が嫉妬しちゃいそうになるくらいに。それに彼自身も中々面白い子よ。強さもそうだけど、なかなか話も通じるし……」

「お戯れを。奴は確かに紛れもない強者ではありますが、何を考えているかは理解しようのない危険人物です。あまり好意的に評価するのは――――」

「失礼致します!」

 

 本当に珍しくフレイヤの言に眉を顰めたオッタルの言葉を遮り、先程とは別のメイドが部屋に飛び込んできた。その様子にオッタルは素早く何らかの緊急事態である事を判断し、そして絨毯(じゅうたん)に爪先をひっかけて転びそうになったメイドを紳士的に支えて助け起こすと鋭い目で彼女を問いただした。

 

「どうした? 一体何があった?」

「も、申し訳ありません! 【黒い鳥】様にオッタル様の不在をお知らせした所、突然バベルの壁をよじ登り始めまして……!!」

 

 その報告にオッタルは苦悶の表情を浮かべて額に手をやる。

 

「またか……! 【アレン】は居ないのか?」

「フローメル様は現在装備の受け取りで不在、それと【ガリバー兄弟】の方々に【ロートレク】様も今は不在で…………」

「………………仕方あるまい、私が出る。君は【ギルド】に向かい、奴の元担当の【ジャック】と言う職員に苦情を伝えておいてくれ」

「は、はい! 畏まりました!」

 

 急ぎ足でメイドは部屋を後にし、オッタルはその背中を追い――――はしなかった。彼はメイドが開けっ放しにしたドアを丁寧に閉めると、そのまま踵を返して最寄りの窓へと向かう。その彼を、フレイヤは名前を呼んで呼び留めた。

 

「オッタル」

「はい」

「頑張ってね」

 

 その言葉に立ち止まっていたオッタルは改めてフレイヤに振り返ると恭しく一礼して、その後窓を開け放ち、そこからオラリオの市街へと無造作に身を翻した。

 

「ふふっ」

 

 そして窓から姿を消したオッタルを見送ったフレイヤは、これから【猛者】と【黒い鳥】の間でどのようないざこざが起こるのか想像して楽し気に笑う。そして棚からグラスと白ワインを取り出すと、元居たテーブルに向かいグラスにほんの少しだけワインを注ぎ、先ほどの書類を眺めながら誰ともなく呟いた。

 

「二人の喧嘩を眺めるのもいいけれど…………フィリア祭、楽しい思い出になるといいわね」

 

 

 

<◎>

 

 

 

 夕刻。ベルとの訓練を終えたルドウイークはギルドでの換金を済ませてエリスの待つ家へと帰宅した。しかし、彼が戸を潜ってもその神特有の神威を感じない。

 

 外出中か。そう判断した彼は、後ろ手にドアを閉め、家の鍵をかけようとする。

 

「ちょーっと待ったぁー!!!」

 

 その声にルドウイークが振り向くと、エリスが全速力で家の中へと滑り込んできた。

 

「セーフ! いやあ危ない所でした!」

 

 息を切らしながらもどこか楽しげに言うエリスを前に、半開きのドアに駆けこむのは危ないだとか、そもそも鍵があるから閉められても大丈夫だろうとか、そんな注意をしようと言う気概はルドウイークの中から消え失せた。代わりに一度溜息を吐いて、そしてリビングへと向かう。

 

「あっ、ちょっと待ってくださいよルドウイーク! ダンジョンはどうでしたか!」

 

 エリスは今日の成果が気になるようで小走りに彼の背に追いすがった。そんな彼女にルドウイークは換金したヴァリスの入った雑嚢を手渡すと、ソファに座り込んで背嚢と<月光>を傍に降ろす。

 

「とりあえず、その金で大目に見てくれ。すこぶる調子が悪かった」

 

 ルドウイークは嘘を見抜く神特有の眼力を警戒して、ダンジョンがどうだったかについての返答は避けた。サボっていたと知れれば、間違いなく彼女は怒るだろう。故に早々に金だけを渡して、視線を逸らす事で追加の質問を受け付けまいとした。

 

「ふーん、3600ヴァリスですか……まあいいでしょう」

 

 だが、彼女はそれで納得してくれた様で、金額を検めるとそのヴァリスを袋の中へと仕舞い込んで棚に入れた。その様子を見てルドウイークは何とか誤魔化せたかと小さく安堵する。するとエリスが振り返りルドウイークの向かい側にあるソファへと腰掛け、鋭い目で彼の顔に視線を向けた。

 

「……それで? ダンジョンに潜っていなかったときは何してたんですか?」

「……なんのことかよくわからんな」

「演技が下手ァ!」

 

 エリスはバン! と両手でテーブルを叩きながら立ち上がるとルドウイークに人差し指を突きつけて得意顔で彼を見下ろして言う。

 

「貴方が朝から夕方まで潜ってこれだけしか稼げない訳無いんですよ! 一体どこで油売ってたんですか? 正直に話してもらいます!!」

「…………しくじったな」

「しくじったぁ?」

 

 ルドウイークがぽろりと零した言葉に、エリスは身を乗り出してこれでもかと睨みつける。それに観念したかのように諸手を上げて、ルドウイークは身を引くようにソファの背もたれに深く寄りかかってから今日あった事を正直に話し始めた。

 

 

 

 

「ダンジョン行ってない上に、ベル君に手ほどきしてたんですか!? ヘスティアに塩送るなってこの前も言ったじゃあないですか!!!」

 

 叫ぶエリスの声量に、思わずルドウイークは身を仰け反らせた。正直、ダンジョンに行かなかった事で怒られて、ベルの相手をしていた事は多少なりとも許されるのではないかと彼は考えていた。

 しかし『ヘスティアに』と苛立ったように口を尖らせるその姿に、実はエリス神は本当にヘスティア神の事が苦手で嫌いなのではないかと、彼は少しばかり疑い始めた。

 

「ベル君に頼まれてっていうのは百歩譲っても……うーん……ベル君かぁ…………とにかくルドウイーク、貴方には罰を受けてもらいましょうか!」

「罰?」

 

 ルドウイークはエリスの宣言に、どうしようもなく嫌な予感がして鸚鵡返しに首を傾げた。それに対してエリスは胸を張り、そして勢い良く台所を指差してあくどい笑みを浮かべる。

 

「今回の罰はずばり、今日の夕飯作ってください! 私疲れたので!」

「なっ!?」

 

 それを聞いたルドウイークは酷く狼狽した。その姿に、言い出しっぺのエリスはむしろきょとんとしてその顔を見つめる。

 

 何かまずい事があったのだろうか……。ちょっと不安になったエリスは、一瞬その宣言を取り下げるべきか思案する。するとルドウイークは、悩ましげに眉間に皺を寄せながら苦々しく声を絞り出した。

 

「エリス神。私は料理が苦手だ…………もう一度言う。私は、料理が、苦手だ。私に料理などさせないでくれ。例えこの世界での料理経験が無いとは言え、絶対にロクな物は作れない」

 

 そのありきたりな発言を聞いて、委縮しかけていたエリスは優位を取ったとすぐさま気を取り直しその笑みをますます悪い物に変えてルドウイークの事にねめつけるような視線を送った。

 

「へぇ~じゃあ丁度いいですねえ! やりたくないと抵抗する相手にそれをやらせるのは罰として最も普遍的な物ですからね! 本当にぴったりです!」

「すまない。恐らく、この世界には私の知らない食材や調味料がある。せめてレシピを見せてくれ」

「ダメです! 貴方の独創性を私は楽しみにしてますので! 満足させてくれるまでやらせますからね! 毒……じゃなくて、味見もしてから出してくださいよ!! ではどうぞ!」

 

 その言葉に、ルドウイークは愕然として頭を抱えた。これはエリスには話していなかった事ではあるが、かつてゲールマン翁に師事した狩人達の中で、最も料理の心得が無かったのがルドウイークだ。

 

 彼の料理は軟派で女性たちの料理を幾度と無く堪能していた<加速>や元々尊い生まれであった<マリア>のそれとは当然の様に比べ物にはならず、適当で雑な癖してそれなりに食えるものを作っていた<烏>の料理にさえ水を開けられていたと言う認めがたい事実がある。

 

 <教会>の狩人達の中で最も仲の良かった<シモン>でさえ『ゲールマン殿には食わせるな。寿命が縮む』とまで言わせたその腕前は、この世界に来て更に知らぬ食材というハンデキャップを背負い恐らくもう手に負えないことになっているだろう。

 

 そんな自身がぶっつけ本番で見た事の無い食材で料理を作る…………絶対にそれはロクな事にはならないとルドウイークは直感し、同時にエリスの胃袋が強靭である事を願わずには居られなかった。

 

 

 

 

 ――――その後、ルドウイークの料理により、エリスは深刻な出血を強いられる。見た目も、味も意外とそれなりだったその料理は、彼女が地上に降りてきて史上最もひどい腹痛をもたらした料理となった。

 

 

 




フレイヤ様に啓蒙+1です。

次で怪物祭に入れそう。


ゲストキャラとして採用するフロムキャラについてはまだ募集中です。
よろしければ活動報告から注意事項をお読みの上リクエストください。

今話も読んで下さって、ありがとうございました。

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