月光に導きを求めたのは間違っていたのだろうか   作:いくらう

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18000字ほどです。

UA20万行きました、ありがとうございます。
多くの方に見て頂けるというのはそれだけで嬉しく、またあり難いものです。

感想を送ってくださったり評価お気に入り誤字報告してくださる皆さまもありがとうございます。お陰様でモチベーションを保つ事が出来ます。

良ければ今話も楽しんでいただければ幸いです。


16:嵐が(きた)るその前に

 日付が変わり、オラリオの街並みから多くの灯りが消え失せた時間帯。ダンジョンの13階層まで到達した後問題なく帰還したルドウイークは幾つかの寄り道を経て本拠(ホーム)へと戻り、リビングで作業に(いそ)しんでいた。

 

 机の上には幾つかの木製の部品。彼は作られたばかりと(おぼ)しきそれらにヤスリをかけ、その接合部分を丁寧に整えて行く。そして出来上がった部品を組み合わせ、木槌で叩いて()め込んだ。

 

 完成したのは、三本の足で立ち中央に何かを抑えつける為のハンドルが取りつけられた、万力めいた代物。ルドウイークはそれの各部の出来栄えを確認した後、おもむろに自身の短刀を取り出して、その下へ慎重に設置。そして三つの足を回しがっちりと短刀を固定する。

 

 その短刀の刀身、根元部分には一つの彫刻めいた放射状の穴が開いている。そこにルドウイークは懐から取り出した海栗(ウニ)毬栗(いがぐり)めいた形状の<血晶石>を置くと、ゆっくりとハンドルを回し始めた。それに連動してハンドルの逆側に備えられた皿めいた物を押さえつける機能を持つ部分、万力で言う口金がゆっくりと下降してゆく。

 

 そして、口金が短刀との間に置かれた血晶石を押し潰すかのようにしながら短刀を押さえつけた。しかしルドウイークは手を緩めず、器具が動かないように押さえつけながら更に力を加えて行く。

 短刀の刀身がミシリと音を立てるまでの数分間、ルドウイークはそうして圧力を加え続けていた。

 

 しばらくして彼はハンドルを戻し、短刀を手に取って血晶石のあった場所、放射状の穴が開いている部分を確認する。果たして、そこには穴を埋めるように()じ込まれ、扁平となった血晶石が鈍く光を反射している。

 

 ――――これでよし。

 

 その状態に満足した視線を向けたルドウイークは、短刀を鞘に仕舞い込む。そして懐からさらに3つの血晶石を取り出すと、机の横に寝かせてあった<ルドウイークの聖剣>……その長剣部分を取り出した。そのミスリルの刀身には、穴が3つ。その3つ空いた穴にも、それぞれの形に適合する血晶石を短刀と同様の手順で彼は捩じ込んでいった。

 

 

 

 石の捩じ込みを終えたルドウイークは、改めて装備を観察する。

 

 短刀に対しては、石を一つ。狩人らの間では『脈動』と呼ばれた種の血晶石で、装備者の体力をゆっくりと回復する力を持つ。<輸血液>を持たぬ今、ただ持つだけで傷を癒せるこれはルドウイークにとっては実に重宝する品だ。

 当然、こんなものの存在が知れれば他の冒険者達に目を付けられてしまうだろうが……そこは彼は心配していない。あくまで体力の回復は遅々とした物であり、さらに元となった武具が何の変哲もない短刀とあっては万一他者の手に渡っても効果を自覚する前に手放してしまうだろう。

 

 一方<ルドウイークの聖剣>に対しては、手持ちで最も効果の高い『物理攻撃強化』の石を3つ捩じ込んである。嘗てはもっと効果の高い石も持ってはいたが、今の手持ちではこれがもっとも良い。単純に攻撃性能が高く、さらに炎や雷といった全く違う能力を武器に付与する石に比べ圧倒的に怪しまれにくいというのが利点だ。ここはヤーナムではないのだから、そのあたりには可能な限り気を遣わなければならない。

 

 ……開帳した<月光>まで目撃されてしまった今、これ以上怪しまれるのは危険だからな。

 

 ルドウイークは苦虫を噛み潰したような顔で一度溜息を吐くも、すぐに気を取り直して血石をそれぞれの武器に捩じ込んだ箇所へと目を向ける。

 

 何故短刀には一つの石しか装着せず、ルドウイークの聖剣に対しては3つの石を捻じ込んだのか。それは単純に武器の強度の問題であった。嘗てのヤーナムにおいても武器に血晶石を捻じ込む事で強化を図るのはありふれたやり方であったが、その中でもある程度の強化が成され、強度の確保された武器でなければ石を捻じ込む事が出来ないと言う事実は、狩人らには周知の物である。

 

 ちなみにではあるが、ヤーナムにおける武器の強化には<血石(けっせき)>と呼ばれる血晶石とはまた違う血中結晶が使用されていた。『欠片』を使って一度強化した武器には一つ。三度強化したものに二つ。更に『二欠片』を用いて三度、都合六度の強化を重ねる事で三つ目の血晶石の装着に耐えうる強度を得る。

 

 強化段階としては二欠片での強化で終了する訳では無く、そこから『塊』や『岩』を用いる事でさらに強化を行う事が出来るのだが…………その際には血晶石を装着可能な限界数が増える事は無い。それ以上の数を捻じ込もうとすれば、石は大きく力を減じ最悪武器や石自体が破損してしまう。恐らくは石同士の干渉に因る物とされてはいるが実情は不明だ。

 

 そして今回の短刀とルドウイークの聖剣には、ルドウイークの眼から見て許容範囲であろう数の石が埋め込まれている。彼からすれば、このオラリオの武器の質の高さには舌を巻く思いだ。数打ちの品であろう短刀にさえ一つ、更にエドと言う相当の腕前であろう鍛冶による物とは言え、ルドウイークの聖剣に三つの石を埋め込んでみたのは一種の賭けでもあった。

 

 これが実際にどのような効果をもたらすか、剣が耐えきれるかどうかについてはこれから試す事になる。だが、実際に使用してみたその感触からして恐らく問題無いだろうと彼は判断していた。ともすれば、元となった武器よりも強靭やも知れぬ代物だ。

 

 欲を出して、更に一つの穴を増やしてもらうべきかという考えも一応ではあるが彼にはあった。ヤーナムには存在しなかった超硬金属(アダマンタイト)、そしてこの世界におけるもっとも強靭な金属である【最硬精製金属(オリハルコン)】製の装備などであれば、三つを上回る数の血晶石を装着しても使用できるほどの強度があるかも知れない。

 

 だが、それを試すだけの余裕(資金)は彼には無かった。

 

 ――――そう言えば、いつの事だったか。<加速>が自身の<銃槍(じゅうそう)>に間違えて捩り込んだ『神秘』に類する血晶石を<(からす)>と共に無理矢理に外そうとして槍をへし折った事があった。以来それを見ていた<マリア>に嫌がられて、彼らはマリアの愛刀を触らせてもらえなくなったのだったか。

 

 何時だかの思い出を想起して、ルドウイークはふっと懐かしんで笑った。その時、肌に感じる神威と共に玄関の扉が開かれた音に彼は気づく。そして彼がミスリルの長剣を鞘に納めるのと同時に、リビングのドアが開いてエリスが部屋へと入ってくる。それを見たルドウイークは大剣となった<聖剣>を脇に置いて、短刀を手にしたままエリスに笑いかけようとした。

 

「遅かったじゃないか、エリス神。こんな時間まで一体どこで――――」

 

 何をしていたのかね。そう言いかけたルドウイークは、彼女の疲労困憊した顔を見て硬直した。目は虚ろで顔は赤く、眼鏡はずれ足元もおぼつかない。更に、部屋に彼女が踏み込んだ途端漂ってきた強烈な酒精の匂い。それにルドウイークは顔をしかめて、彼女を急ぎ部屋に送るべく腰を上げる。

 

 だがその時、エリスは既にルドウイークの懐へと迫っていた。

 

「ルドウイーク~~~~!!」

「ぐおっ!?」

 

 反応の遅れたルドウイークに飛びかかるようにして、ぐずるエリスは彼の鳩尾(みぞおち)に顔を突っ込ませた。その勢いたるや、体格や身体能力に著しい差のあるルドウイークを数歩後ずさらせ、腹へのダメージで僅かに吐き気を催させるほどのものだ。

 

 今回のダンジョン探索も無傷で済ませたルドウイークは、想定外のタイミングで受けたダメージによって苦悶に顔を歪ませる。その時彼は、いつだかベルに背後を取られた時の事を思わず想起した。

 

 今まで、凶暴極まりない獣や血に酔った狩人らと相対してきたルドウイークは殺意や敵意と言う物に非常に敏感だ。だが、そう言ったものの無い『結果として自身がダメージを受ける行動』に対してはその警戒も流石に及ばぬ。鞘に収まっているとはいえ、手に持っていた短刀が万一にも彼女に刃を立てぬよう可能な限り遠くへ手を掲げたことも、エリスの突進攻撃を許した原因だろう。

 

 ひとまず腹に力を入れ吐き気を何とか抑え込んだルドウイークは腹に顔を埋めたままのエリスを無理やり引き剥がす。そうして距離を取らされた彼女は目を真っ赤にして涙を流しており、ルドウイークはそれを見て心中に生まれていた苛立ちを呆れたように忘れ去った。

 

「……ひとまず、水を用意しよう。事情を聞くのはそれからでも遅くない」

「はい…………」

 

 意外にも、ルドウイークの言葉にあっさりと従うエリス。彼女はルドウイークに言われるままソファに腰掛けて(うつむ)き、そして涙を拭った。

 

 ――――この様子。一体、何があったのだ?

 

 ルドウイークはそんなエリスの様を見て思わずひどく(いぶか)しむ。だがどうにも、本人にとっても望まぬ目に遭ったのであろうことは察しが付いたため、とりあえず多少落ち付いてきた様子の彼女から話を聞き出すべく台所へと向かってコップに水を用意し始めた。

 

 

 

<◎>

 

 

 

 ルドウイークが戻って来た時、エリスは変わらずソファに腰掛け俯いたままだ。それだけ見れば、普段の申し訳なさを感じていそうな時と変わりないのだが、その眼は潤み時折鼻を(すす)る様子も見られる。更に既に部屋中で感じる酒の匂い。息だけでこれほど匂う事はないはずなので、恐らくは服に酒を零したのだろう。

 

 彼はそんな推測を経て溜息一つ。そして彼女の向かいのソファに腰掛けて水を差し出した。エリスはそれを少しの間見つめた後おずおずと手に取って一息に飲み干し、ぷはぁと一息ついてコップを置く。ルドウイークはそれを見届けてから、彼女に穏やかに声をかけた。

 

「……少し、気分は良くなったかね?」

「お陰様で……」

 

 本人は苦笑いでも浮かべているつもりなのか、引きつった顔でエリスは肯定の意を示す。だが、その様子を見て持ち直したなどと鵜呑みにするルドウイークでは無い。上半身を少し乗り出したまま、エリスの目を見て案じるように声をかける。

 

「なぁ、エリス神。一体何があった? 貴方がそのザマでは、心配でダンジョンにも潜れん。出来れば教えて貰えると助かるんだが」

「………………実は仕事帰り、【ロキ】と会ってきたんです」

「ロキ神だと?」

 

 か細いエリスの返答に、ルドウイークは驚愕に目を見開いた。日頃からエリスはロキに対する嫌悪感を剥き出しにしていた。そんな彼女がロキと会って何をすると言うのか。それが彼にはどうにも思いつかず、再び彼女に質問をぶつける。

 

「……どう言う事だ? ロキ神とは仲が悪いものとばかり思っていたが」

「多分、向こうも良いとは思ってないでしょうけど……ただ、お互い謀略やら陰謀やら好きでしたから、ある程度の付き合いはありました。それにあいつよりちゃんと損得勘定できる神ってオラリオに殆ど居ないですし…………こちらに損の無い形で交渉できるんじゃないかと思ったんです…………」

 

 向けられた質問に、エリスは今の現状とは裏腹にしっかりとした口調で答えて見せた。そして語られたその内容に付いてルドウイークはしばし沈思黙考する。

 

 ……つまり、普段言っているほど彼女らはいがみ合っているわけではないという事か。むしろエリス神はロキ神の能力についてはかなり評価しているようだ。それ故の警戒だったとも言える。それだけならば、最上位ファミリアの主神とのコネと言うのは好ましい事だとは思うが……彼女の言う『交渉』、それについて詳しく聞いてみる必要があるな。

 

「……交渉か……ちなみに、何を要求するつもりだったのかね?」

「今度の【神会(デナトゥス)】……神々の会合でルドウイークに付けられる二つ名、出来れば目立たなくてかつダサくないのにしたくて…………今どう言うの付けられそうになってるか知ってます!? 【地獄白装束(フロムヘル・ホワイトマン)】ですよ!? 誰が地獄ですか! ふざけてる!!!」

「その名を考えた神…………誰だか知らんが、余程の慧眼(けいがん)を有していると見ていいな」

 

 エリスの口から出た自身の二つ名候補を聞いて、ルドウイークは呆れたように口角を上げ肩を(すく)めた。疲れたような笑みを見せる様は、心底下らないと思っているのが明らかな姿である。しかし酔いからかエリスはそんなルドウイークの様子に気づかず突っかかって、怒りに満ちた顔で吠えた。

 

「褒めてる場合ですか!? 貴方が良くても私が許せませんよそんなダッサい二つ名!!」

「エリス神が嫌だというのであれば私は従うがね。それで、ロキ神との交渉はうまく行ったのか?」

 

 怒り心頭と言った様子でテーブルを両手で叩き身を乗り出したエリス。しかしルドウイークが核心に触れると、怒りを見せていた姿が嘘の様に縮こまって俯き、ぼそぼそと呟く。

 

「えっと……それがですね……あいつ、『そンくらい構へんけど、代わりにそのルド何とかと一対一(サシ)(はなし)させてもらえへん?』とか言い出して……」

「それは、マズいな」

「ですよねえ? 私も、まさかアイツがルドウイークを怪しむくらいにまで情報収集やってるとは思ってなくて…………」

 

 困った顔で言うエリスに応じるように、ルドウイークも顎を撫でながら難しい顔で思案し始めた。

 

 ――――恐らく、ロキ神の目的は私の素性を(あらた)める事。そして月光の正体を確かめる事も入っているかもしれん。嘘を見抜く神に対面で質問されるなど、考えただけでゾッとする。もしそうなった時は言葉を慎重に選ばねばならん。下手をすれば、エリス・ファミリア自体の消滅を招く可能性すらありうるな。

 

「……ロキ神の評判は方々(ほうぼう)で聞くが、相当な切れ者なのだろう?」

「多分、オラリオでも三本の指には入るかと」

「そんなかの神が私との接触を求めるとは……既に私の怪しさにある程度確証を持っていると見ていいだろうな。あの日<月光>を見た団員からの報告を聞いてのものかもしれん」

「だとしたらマズイですよ……あいつ、<月光>の事を知ったら絶対興味持ちますもん。『寄越せ』って脅してきたり――――」

「それはダメだ」

 

 断じるように語気を強めたルドウイークに、エリスは少し驚いたように目を丸くした。一方彼はそんな彼女の様子にも気付く事無く、忌々し気な視線を虚空に向ける。

 

「月光は好奇心や興味で触れていい物ではない。そうすれば、必ず災禍が降りかかる」

「貴方がそう言うのなら本当にやばいんでしょうね、その大剣。でも、そういうのが通じる相手じゃないですよ。むしろ、余計興味持つタイプです」

「であれば、最悪ロキ神を手にかける事になるかもしれないな」

 

 眉間に皺をよせ、冗談ともとられかねない程の発言を口にするルドウイーク。しかしその言葉に一切の嘘や虚飾が無い事を見抜くエリスは、驚愕を隠さずに彼に尋ねた。

 

「…………それ、本気(マジ)で言ってます?」

「月光の――――神秘の(もたら)す超思索と狂気。それの生みかねん災禍の程を考えれば、神一柱の首程度釣りが来るくらいだ」

「……あの、その剣とかそのヤーナムとか、私が思ってるよりずっとずっとヤバイやつじゃないですか? って言うか本当に『聖剣』なんですかそれ?」

「事実<聖剣>だとも。ただ、これがもたらす導きが良いものばかりではないというのは、貴女はもう垣間見たはずだ」

「…………何があったか、未だに思い出せませんけど……そのせいで今回遅れ取ったんですが」

「事ここに至っては思い出さない方がいいかもしれないな」

 

 言って、ルドウイークはコップの水を一息に飲み干した。そしてエリスに対して懸念するような視線を向けて核心に迫る問いを投げた。

 

「……で、そのロキ神の提案にどう答えたのだ?」

「いやですね、向こうが足元見やがりましてねぇ! …………ぶっちゃけ昔ならいざ知らず、今の勢力差で交渉かけようとした私が間違ってました。ごめんなさい」

 

 一瞬、誤魔化すようにエリスは声を荒げたが、その後すぐに大袈裟な所作を納めて頭を下げた。そこに嘘が含まれていない事を直感的に読み取ったルドウイークは、一度小さく溜息を吐くと眉間に手をやって一度二度揉み(ほぐ)し、それから諦めたかのような顔でエリスの顔を見る。

 

「分かった、これ以上は責めん。その結果に至るまでの経緯もこの際脇に置いておこう。それで私の二つ名とやらに対してロキ神の協力は得られたのか?」

「……一応、貴方がロキと会うことを条件に名付けへの介入はやってくれるとのことです」

「そうか。期限は?」

「少なくとも、来月半ば過ぎに行われる次の神会の少し前までには。二つ名決まった後に顔出してもこっちにメリット……あっちょ待っ吐き気が…………」

 

 ルドウイークの質問に答えていたエリスは突如として顔を青くした後立ち上がり、そのまま部屋から立ち去ってしまった。

 

 ……しばらくして戻ってきた彼女は先程会話していたときとは比べ物にならぬほど顔を青ざめさせ、フラフラとしたおぼつかない足取りでソファへと歩いてくる。ルドウイークはその有り様に居てもたっても居られずに彼女の元へと歩み寄ってその体を支えてやった。

 

「……今日はもう寝たまえ。幸い期限までにはしばらく時間がある。それまでに策を考えてくれればいい。……私には、そう言った戦いは向かんからな」

「うぅ……すいません……」

「歩けるか? 何なら部屋まで送るが」

「私は神ですので……それくらい……だいじょぶです……」

 

 エリスはルドウイークの提案を意地で断ると、そのまま部屋を後にして自室へ戻って行った。ルドウイークはしばらく立ったまま彼女の様子に聞き耳を立てていたが、ベッドに飛び込んだと思しき音と振動を聞きとって、安心したようにソファに戻った。

 

 そしてソファに腰掛けた彼は短刀や聖剣の具合を再び検めて、更には手持ちの消耗品や狩り道具、<秘儀>の数々をテーブルの上に並べ始めた。そして十分以上かけてそこに抜けや不具合のある物が無い事を確認すると、それを再び外套の雑嚢や背嚢(バックパック)へと仕舞い込み、<月光の聖剣>と<ルドウイークの聖剣>、そして<脈動の血晶石>を捩じり込んだ短刀を装備して腰を上げた。

 

 本来であれば、ダンジョン13層の確認を行った後の彼は休息に入る予定であった。だがしかし、ロキ神の目が自身に迫っていると知った彼は、予定を少し早め次の探索に早々に向かう事にした。

 目指すはダンジョン18層。ダンジョンにおける最初の【安全階層(セーフティポイント)】、モンスターの出現がほぼ無い特殊な階層であり、冒険者らによって築かれた【リヴィラの街】と呼ばれる冒険者達の拠点が存在する場所だ。

 

 ルドウイークは今しばらく、13層から始まる中層序盤の探索を行うつもりであった。だがしかし、ロキ神に怪しまれているとなれば余りゆっくりとはしていられないやも知れぬ。いざとなればダンジョン内で時間を過ごし、それを口実に彼女との接触を避ける必要がある……そんな想定も彼は考えていた。

 

 その為に、ダンジョン内で安全に長期の滞在を行う事の出来るリヴィラの様子、そしてそこへ向かうルートを確認しようと彼は思い立ったのだ。どちらにせよ、それ以降の階層を探索するのであればかの街には身を置かねばならぬ時はあるだろう。

 

 故に、今の誰にも関心を持たれていない内にリヴィラへと向かうというのが急遽彼の立てた計画であった。用意を終えたルドウイークは出発するべく席を立ち、部屋を出ようとする。しかしそこで彼は一つ、やり残した事に気が付いた。

 

 

 ――――エリス神に、何も言わずに出て行く事になるな。

 

 

 ルドウイークにとってはそれはあまり好ましい選択肢では無かった。彼女には恩があり、形だけとは言え主神とそのファミリアの構成員と言う関係上、一応許可くらいは取っておきたい。しかし自分から部屋に戻る事を進めた手前、今から彼女を起こすのも忍びない。

 仕方なく彼女が起きて来るまで時間を潰そうかとルドウイークは考えて、月光を磨くための道具を用意しようとした。

 

 その時である。部屋の扉が開いて、眠りについたとばかり思っていたエリスが戻ってきた。その顔色は先ほどと違い普段通りの血色で表情も落ち付いている。多少足元が怪しかったが先の様子に比べればずっとマシだ。それと、実際寝ようとしていたのか眼鏡を外し髪も解いて下ろしている。そんな彼女に、ルドウイークは驚いたような視線を向けつつ尋ねた。

 

「どうしたエリス神? 何か忘れ物でもあったか?」

「あ、いえ……何だかやり忘れた事があった気がしたんですけど…………階段降りてる間に忘れちゃいました。あはは……」

 

 苦笑いしながら、朗らかに答えるエリス。その普段通りの様子にルドウイークは肩の力を抜いて、小さく笑いかける。

 

「ならば、さっさと寝た方がいい。明日の仕事に差し支えるぞ」

「ふふ。ご安心ください。こんな事もあろうかと明日は休みにしてもらいました。二日酔いでも大丈夫ですよ!」

「そうか……しかし最近休みすぎではないかね? 幾ら私が稼いでいるとは言え、ヘファイストス神に対する借金返済の事もある」

「んー、そこはまぁうまい事やりますから……それよりルドウイーク、こんな時間からまたダンジョンに行くんですか?」

「ああ、そうだ。私もそれを伝え忘れていたんだが……18階層を一目見に行きたくてね。恐らく戻るのは早くとも夜になるだろう」

「そうですか…………」

 

 納得したように頷くエリスを見て、ルドウイークは安心したように席を立つ。しかしそこで家を出てダンジョンに向かおうとする彼をエリスが声をかけて引き留めた。

 

「そうだルドウイーク、一つ渡すものがあるんですよ」

「何かね?」

「これです!」

 

 彼女は懐から、一本の試験管を取り出した。中には赤い液体が揺れている。その正体をルドウイークは一目で見て取った。

 

「……血かね?」

「はい。私の血です」

「まさか【神血(イコル)】か!?」

 

 彼の確認にあっさりと自身の血であると答えたエリスに対し、ルドウイークは目を見開き問い質した。

 その脳裏に、以前【恩恵(ファルナ)】を与えて貰うべく血を受けた時の出来事が蘇る。あれが皮膚に触れた瞬間の、焼けつくような熱と痛み、そして途方もない酩酊(めいてい)感。

 

 あれは、ヤーナムの民であるルドウイークにとってあまりいい物ではない。普段通り精神を強く持っていれば問題は無いだろうが、状況によっては――――そのような回復手段が必要になるまで追いつめられた時に使用すれば、取り返しがつかぬ程に酔う可能性もある。彼がそうなれば、このオラリオでも多くの悲劇が生まれるだろう。当然それは彼の本意ではない。

 

 だが、<輸血液>の無い今、強力な回復手段は獣が手を伸ばす様ほどに欲しい物だ。その需要にあの血は間違いなく合致する。

 

 ……少し考え込んでから、ルドウイークは仕方なく、といった顔でその試験管を受け取った。そしてそれを目の前に持ってくると、くるくると振って揺れ動く血の様子を確かめる。

 

「…………これだけの量を使うのは流石に怖いな。一滴ですらあれ程の酔いをもたらしたのだから」

「そのあたりはうまい事調整してください。ちょっとだけ口にするとかちょっと傷に塗るとか皮膚に垂らすとか…………一応言っておきますけど、傷口にかけたり一気飲みしたりはお勧めしませんよ」

「同感だ」

 

 エリスの意見に同意を示して、ルドウイークは神血の入った試験管を空いた雑嚢の一つにしまい込んだ。

 これからの中層へと向かう探索の中……あるいは、それ以降の階層を調査する中でこれは切り札にすらなりうる。まるで噂に聞く【エリクサー】めいて、例え致命傷であろうと回復する事が可能だろう。だが、だからこそ扱いには気を付けねばならない。

 

 ――――万一私が再び獣となれば、どのような事になるか分からぬのだからな。

 

 彼は獣と化し、悪夢の中を彷徨っていた自分が振るっていたであろう暴威を想像して少し嫌な気分になった。そしてそれを心の中の脇に置き、いくつかの疑問をエリスに尋ねるべく彼女に視線を合わせる。

 

「しかしエリス神。こんな物いつの間に用意したのだ?」

「えーっと……何日か前ですね。私も何とか貴方の力になれないかと思って、こっそり用意してたみたいです。前の反応からして、渡すのには慎重になってたみたいですけど……18階層まで潜るって言うなら、一応渡しておいた方がいいかなぁって」

 

 ルドウイークの問いに心配そうに応えるエリス。その様子を見た彼は、彼女を元気づけるかのように自信に満ちた態度で笑いかけた。

 

「そうか。ならばうまい事使わせてもらおう。あるに越した事は無いからな……安心して待っていてくれ」

「あんまり遅かったら、先にご飯食べちゃいますからね!」

「そうしてくれると私も心配が無くて助かるよ」

 

 そう答えるルドウイークにエリスはニコニコと屈託のない微笑みを向ける。それを受けて彼は何かをほんの少し訝しんだが、改めて雑嚢の状態を検めるとダンジョンに向かうべくエリスに背を向けた。

 

「では、行ってくる。留守は頼んだぞ、エリス神」

「んー……あ、いえ。お任せください! 探索頑張ってくださいね!」

「ああ。それではな」

 

 そう言うとルドウイークは部屋を後にし、そのまま家を出てダンジョンへの道程を歩き始めた。それを玄関までついていって見送ったエリスは。後ろ手に扉を閉めて施錠し、部屋へと戻ろうと歩き出す。

 

 しかし何歩か踏み出して、彼女はふらりと足をもつれさせて壁に寄り掛かった。そしてなぜか、面白くてしょうがないという風に笑い出し、また自室に向けて歩き出しながら、誰ともなく独り言をつぶやき始めた。

 

「ふふ、ふふっ、ふふふ…………まったくもう。()にも困っちゃうなぁ。こんなに酔ってたら、真っ直ぐ歩けないよ……気持ち悪いの誤魔化すのだって苦労するし……でもまぁ、お陰様でちょっとだけ表に出てこれてるし大目に見て上げようかな」

 

 どこか他人事のように呟いた彼女は、階段を少しだけ苦労して登り切り自室に入る。そしてベッドの前を通り過ぎて窓を開き、空に浮かぶ月をどこか懐かしそうに見上げて笑った。

 

「ルドウイーク……悪くなさそうだなぁ。彼にはいろいろお礼しなきゃ。折角、()()()を素晴らしいこの世界に導いてくれたんだもの。何かしてあげるのが道理ってものだよね。()もそう思…………ああ、もう寝ちゃってるんだっけ? お酒がすきって大変だなぁ……そのままずっと寝てればいいのに。ふふっ」

 

 誰ともなく彼女は笑うと、眼を細めて月を見上げる。その青ざめた瞳は確かに空に浮かぶ月を見てはいたが、そこにある月をそのまま見ているわけでも無かった。それは上に居る者にのみ知覚できる高次元宇宙、超思索。それを以って、この世界の色を楽しげに眺めるその上位者のなれの果ては子供のように無邪気に笑みを浮かべた。それからどこか眠たげに眼をこすり、窓を閉じて鍵を閉めてから自身に語り掛ける。

 

「うーん……今日はそろそろおしまいかな……。ありがと私。短い間だったけど、楽しかったよ。じゃ、おやすみ……」

 

 彼女は自分の中で眠る誰かに向けて呟いた後、ふらついた足取りでベッドに入り、そして何事も無かったかのようにすぅすぅと寝息を立て始めた。それは普段と何ら変わらぬ、女神エリスの寝姿。だが彼女に起き始めている異変を知る者は、この時点では誰一人として存在しなかった。

 

 

 

<●>

 

 

 

 ――――【最初の死線(ファーストライン)】。上層を超え、中層の序盤に辿り着いた冒険者達はそう呼ばれ畏れられる領域の猛威をすぐさま味わう事になる。岩石に覆われた洞窟じみた構造は相も変わらずだが、明らかに光量を減じた薄闇の中に上層とは比べ物にならぬ能力を備えたモンスター達が跋扈(ばっこ)している。

 

 その最たる物が【ヘルハウンド】と呼ばれる犬型のモンスターだ。仔牛ほどの体躯を持つ彼らは殆どの場合集団で現れ、その高い敏捷性で冒険者たちを素早く射程に捉える。そして口から吐く火炎によって無知な、或いは熟練の冒険者さえも焼き殺してしまう、【放火魔(パスカヴィル)】なる異名さえ持つ危険極まりない敵だ。間違っても、レベル2の冒険者が単独で挑んで良い相手ではない。

 

 それ以外にも新たに出現するモンスターはいる。上層にも出現したゴブリンの亜種、【アルミラージ】。小人(パルゥム)程の体躯を持ったその一本角の小獣人たちは、かわいらしい見た目に反し非常に攻撃的で、特に集団での攻撃を得意とする。その見た目に油断した冒険者が【天然武器(ネイチャーウェポン)】の手斧によって頭をカチ割られた話など、全くもってありふれたものだ。

 

 他にも、11階層でも出現したアルマジロめいて丸まって転がるモンスター、【ハード・アーマード】なども薄暗く見通しの悪い中層においてはその危険度は段違いだ。特に明るい上層から中層へと降りてきたばかりの目が慣れていない冒険者にとってモンスターとの突発的な遭遇が増えるというのは命の危険と直結する事態だ。故に、この中層序盤の13、14階層は全くもって【最初の死線】と呼ばれるに相応しい危険地帯なのである。

 

 その中層14層。四匹のアルミラージの群れがダンジョン内を行進していた。冒険者と対峙すればすぐさま凶暴性を露わにする彼らも、同族以外誰も居ないとなれば牙を向く必要も無い。ダンジョンへと足を踏みこんだ愚か者を探すかのように、のんびりと通路を進んでゆく。

 

 彼らが曲がり角を曲がると、いくつもの岩石が転がる部屋(ルーム)に出た。中層ともなれば、部屋と部屋を繋げる通路も長い距離がある場所があり、そこに踏み込んだ結果壁から生まれ出たモンスターによって前後から挟み撃ちに合う冒険者と言うのも良く見られる光景だ。その為中層ともなれば無為に通路で長い時間を過ごす事は半ば自殺行為と取られる事さえある。

 

 だが、モンスターである彼らにとってそれは関係ない話だ。()匹のアルミラージは意気揚々と岩石から取り出した【天然武器】の手斧を手に、部屋を後にして更に奥へと進んでゆく。しかし今は地上では誰もが眠る時間帯。当然冒険者の数も少なく、彼らはその力を持て余していた。

 

 彼らは再び曲がり角を曲がり、苛立ち始めながら襲うべき冒険者の姿を探す。だが無情にも殆ど冒険者の居ないこの時間帯に獲物を見つける事は出来ず、()匹は苛立ちを紛らわせるように手斧を振り回したり、ダンジョンの床にガリガリと傷をつけながら歩いて行った。

 

 ……この時間帯に冒険者が少ないのは何も地上の彼らが眠りについているからではない。当然、夜も眠っていない冒険者も数多くいる。だが彼らがそれでもこの時間帯にダンジョンに踏み入らぬのは、単純に『モンスターが多い』からだ。

 一つの階に出現するモンスターの最大数は決まっていると言われる。故に冒険者が少ない時間帯ともなれば、それだけ少ない数の冒険者で多くのモンスターを相手取る機会が増えるのだ。単純に多くのモンスターの相手をせねばならない状況とは、冒険者の死に様として最も一般的な物だろう。

 

 特にこの中層序盤で出現するモンスターは集団戦に秀でた者が多く、一対多となってしまえばレベル3の冒険者すら危うい事もある。その為、ギルドではレベル2に至った冒険者らには複数人での探索を推奨している。

 

 一方、二匹のアルミラージは苛立ちの余り来た道を戻ろうとしていた。彼らはダンジョンに生まれ落ちてからしばらく経った個体であり、本能的に今まで向かっていた方向……14層の奥地に冒険者が少ない事を知っていた。

 

 だがそこで、ようやく自身等の後ろに居た二体の姿が無い事に彼らは気づく。彼らは慌ただしく鳴き声を交わし、二手に分かれて走り出した。片方は階層の奥へ、もう片方は今まで歩いてきた方へ。文字通り脱兎のごとく、しかしその凶暴性を隠さず走り出した。

 鬱憤が溜まっていた彼らの様子は正に獲物を見つけた獣のごとし。姿の無い二匹が気まぐれに群れを離れた可能性も考慮せず、敵による事態と決めつけて通路を駆け始める。

 

 しかし階層の奥へと向かおうとしたアルミラージは、来た道を戻ろうとしたもう一体が通路の角を曲がった途端に上げた短い断末魔を聞き取った事で足を止めた。

 

 もはや、敵の仕業であることに間違いない。最後の一体となったアルミラージは急ぎ道を戻り、同胞が悲鳴を上げた曲がり角へと飛び出した。

 

 

 ――――そこに在ったのは、無残な姿となった同胞の死体。角を無理やりにへし折られ、それによって喉を貫かれダンジョンの壁に縫い止められている。顔は恐怖で硬直し、まだ暖かな血が折られた角と喉の傷から垂れ流されっぱなしだ。

 

 アルミラージは周囲を警戒しながら死体へと一歩一歩近づいてゆく。死体の出血からして、その内匂いを嗅ぎ付けたヘルハウンドが現れるだろう。この場を離れなければ、彼らの狩りに巻き込まれるかもしれぬ。

 だが、そんな事実も同胞を無惨に殺された彼の頭の中には無かった。そこには怒りだけがあり、一刻も早く同胞に手をかけた冒険者を見つけ出して、殺してやるという復讐心だけがあった。

 

 故に、彼はその背後に音も無く現れた白装束の冒険者の存在に最後まで気づく事は出来なかった。

 

 

 

 アルミラージは死んだ。

 

 

 

<◎>

 

 

 

 四体のアルミラージを執拗なまでに丁寧に殲滅した白装束の冒険者――――ルドウイークは、最後に殺害したアルミラージを手早く解体してその肉体の構造を頭に叩き込むと魔石を引き抜いて死体を処理。そのまま、ニールセンに伝え聞いた15階層へ向かうルートへと急ぎ移動を開始する。

 

 道中、彼は何度かモンスターとすれ違った。先程のアルミラージの血の匂いを嗅ぎ付けた数体のヘルハウンド、別のアルミラージの群れ、転がり続けるハードアーマードに、大猿のモンスターであるシルバーバック。

 

 しかし彼はそのどれとも戦闘を回避し、澱み無く15層へと迫って行く。……本来であればモンスターが冒険者をこうも見逃すなどありえない。だがルドウイークがそれを可能にしたのは、上層以上に高さを増した天井、方々に突き出した岩の物陰、薄暗く視界の通らぬ闇……そう言ったダンジョン内の環境を十全に利用したためであった。

 

 だがそれは、誰にでも出来る事ではない。ルドウイークの持つ、ヤーナムで培った戦闘経験と気配の消し方の上手さ。そして薄暗い空間――――<夜>における、闇の利用方法に関する知見の厚みからだ。

 

 確かに、暗く先の見えぬ闇はモンスター……獣たちの姿を覆い隠す、恐るべき帳である。だが、そんな彼らを狩るべく数多の夜を駆け抜けた狩人達にとってもそれは同じ事。夜は獣と狩人、遍くその隣人であり、そのどちらにも牙を剥きうる存在なのだ。

 

 特にルドウイークは、あの語られるべきでない夜を幾度と無く超えてきた手練れ中の手練れだ。獣相手に、夜闇の力を幾度借り受けたかなど数え切れぬ。それに、ダンジョンに侵入する冒険者達を敵視し襲い掛かるモンスター達とただ己の内の獣性に支配され只管に喰らい殺すばかりの獣どもでは脅威の方向性が違う。

 

 ルドウイークにとっては、理不尽な凶暴性と暴力の化身とも思えるヤーナムの獣どもより、どのような形であれ営みと言う物を少なからず持つオラリオのモンスター達の方が幾分真っ当に見える存在であった。

 

 そんな彼らの習性や思考を読み解く事で、出来うる限り戦闘を避け進むルドウイーク。異形の怪物であったヤーナムの獣どもにはこのような手法は殆ど通用しない。

 彼らは視界に映る者に襲い掛かり殺害する一種の暴力装置。時に諦めが早く単純であるが、時にどうしようも無く執拗かつ予測のつかぬ存在だ。だからこそ、多少なりとも生物らしい振舞いをするモンスター達の方が彼としては多少気が楽である。

 

 しかし、彼と言えども戦闘を避ける事の出来ない状況と言うものは必ずある物であり。前方から横並びに歩いてきた二体のヘルハウンドが、ついに物陰を渡り歩くルドウイークの姿を捉えた。

 

『オオオオオオオッ!!!』

 

 雄叫びをあげると同時に、二体のヘルハウンドは疾駆し、一気にルドウイークとの距離を詰める。そして一体が先に飛び出し跳躍、彼の顔を食いちぎるべく飛びかかった。

 

 しかし、それを甘んじて受けるルドウイークでは無い。喉の奥から火の粉を散らしつつ大口空けて迫るヘルハウンドを、素早く抜いた長剣で迎え撃つ。接近の瞬間、ルドウイークは足をもつれさせるようにして上体の姿勢を保ちながら一人分横にズレる事でヘルハウンドの飛びかかりの軌道から体を逃れさせ、そして長剣を横薙ぎに振り抜いた。

 

 大きく開いた口に長剣が振るい込まれると、ヘルハウンドの肉体は速度を保ったままその刃を受け入れまるで引き裂かれるかのように上下で真っ二つに断ち切られた。その二つに増えた死体が、勢い良く彼の背後に叩きつけられ血や臓物を巻き散らす。

 ルドウイークはその様を確認一つしない。何故なら、眼前で身構えたもう一体のヘルハウンドは口の中に炎を溜め、今まさにルドウイークへとそれを吐きかけようとしていたからだ。

 

 正に一瞬の猶予も無い状況。しかし、長剣を握った右手をだらりと下ろしたルドウイークは落ち着き払った様子で左手の親指と人差し指を使って輪を作り、眼前に掲げたそれを通してヘルハウンドを見つめる。その理解しがたい行動の間に口内に炎を溜め込んだヘルハウンドが、自身の最も恐るべき能力である火炎放射を放つべく勢い良く口を開いた。

 

 ヘルハウンドの火炎放射は高い温度とその10M(メドル)程にまで達する事もあると言う射程によって、多くの冒険者達を消し炭にしてきた。数匹で同時に炎を吐きかけられれば例えレベル3、時にはレベル4の冒険者でさえ致命打となりうる。今は一匹だけではあるが、それでもその火力は専用の装備でも無ければレベル2の冒険者に受け切れるものではない。ヘルハウンドの前で何の行動も見せずに立つルドウイークも、数瞬後には全身を焼き尽くされ死に至るだろう。

 

 だが、そうはならなかった。ルドウイークは何の行動も見せていなかった訳では無く。数多の<秘儀>に精通した彼は、既にヘルハウンドを殺すための手を打っていたのだ。

 

 ルドウイークの視線を通す指の輪に虚空より青白い光の粒子が集まる。そしてその輪の中にヘルハウンドが広がる暗黒宇宙を垣間見た瞬間、そこから飛び出した拳大の隕石が光の尾を引きながら火を放たんとするその口の中へと直撃。隕石は魔法とも異なる<神秘>の力を放ちながら玉砕し、その衝撃に耐えきれなかったヘルハウンドの肉体を破壊して体内に溜めた炎を周囲に爆発的に撒き散らした。

 

 これこそ、彼の持つ秘儀の一つ<夜空の瞳>。隕石渦巻く宇宙を内包したその眼球は、外部からの刺激と触媒の消費によって内の宇宙から隕石を外部へと飛び出させる。<エーブリエタースの先触れ>と同量の触媒(魔石)を消費して放たれたそれは、先触れに比べれば威力は低いものの射程においては遥かに上回る。

 

 ヘルハウンドがルドウイークの視線だと思っていたのは、実際のところこの眼球のものであった。そして、それほど高くない筈の威力も神秘への強い適性を持つルドウイークが用いれば中層序盤程度のモンスターを容易く殺害せしめる威力を持つ。

 

 その神秘的な接触によって死亡したヘルハウンドが溜め込んでいた炎と爆風を外套で顔を覆い受けるルドウイーク。爆発によって撒き上がった土が払われて視界が戻れば、肉どころか血も魔石も焼け消えた黒ずんだ爆発痕を残してヘルハウンドは消滅していた。それを見て取って、ルドウイークはすぐさま走り出した。僅かな間を置いて、音を察知した数体のヘルハウンドが爆発跡を踏みしめて走り出した彼の背を追う。

 

 ルドウイークは自身を追うヘルハウンドの群れを肩越しにちらりと確認して15階層への階段へと全速力で急いだ。だが、階段も目前かと思われたところで曲がり角からごろごろと転がる岩石じみた影が現れる。

 

 【ハード・アーマード】。上層の最終盤から現れる鎧鼠(アルマジロ)のモンスターで、その防御力はこの階層においても圧倒的に高く、体を丸め転がっている間はほぼ無敵状態とさえ言われるモンスター。そんなモンスターがルドウイークを押し潰すべく、その後ろに同胞のモンスター達が居るなどと考えてもいないように加速を開始した。

 

 前方からは圧倒的な防御力で敵を押し潰さんとするハード・アーマード。後方からはいきり立ち、ルドウイークを焼き殺すべく迫るヘルハウンドの群れ。間違いなく、14層で遭遇する交戦(エンカウント)の中でも最悪に近い状況だ。レベル2にランクアップしたばかりの冒険者では成す術も無く()き潰されるか、後方のヘルハウンド達に焼き殺される事になるだろう。

 

 だが、それに対してルドウイークは速度を緩める事無くハード・アーマードへと向かってゆく。そして、背にしたルドウイークの聖剣を鞘ごと手にすると、接触する寸前で裂帛の気合と共に振り下ろした。

 

「ハアッ!!」

 

 ハード・アーマードの突進とルドウイークの聖剣。二つの暴力がぶつかり合った瞬間凄まじい激突音が鳴り響き、甲殻と刃が(しのぎ)を削り合い火花を散らす。

 

 だが、それも長くは続かない。

 

 超硬金属(アダマンタイト)に縁どられ、更に血晶による強化を成された刃がその甲殻を削り、内部まで傷を到達させ、柔らかい肉に触れる。瞬間、ルドウイークは今までオラリオで出す事の無かった己の全力を以って刃を押しこんだ。その威力は、肉を、骨を容易く切り裂き、ハード・アーマードが持っていた速度が減衰する間もなくその肉体を縦一線に両断する。

 結果、半分に分かたれたハード・アーマードはそのままの勢いでしばらく転がり続け、ルドウイークの後続として彼を追い込まんとしていたヘルハウンドの群れを轢き潰していった。

 

 全滅に等しい状態へ追い込まれたヘルハウンド達。だが、それでも真横を通り過ぎた恐るべき半球体に臆せずルドウイークに迫る個体が居た。幸運にもルドウイークの真後ろに位置取っていたために轢殺(れきさつ)に巻き込まれなかった最後の一体。

 

 そいつは更なる敵意に目をぎらつかせ、放出寸前の状態となった炎を口に蓄えたままルドウイークに飛びかかる。

 空中から飛びかかっての火炎放射、或いは噛み付いてからの零距離火炎放射。例え迎撃され切り裂かれても、溜めに溜めた炎の爆裂に巻き込まれればルドウイークは無事では済まないだろう。

 

 ヘルハウンドにそれを意図するほどの知性があったかは定かではないが、どう転んでも多大な痛手を負わせうる状況。ヘルハウンドは同胞を殺された怒りか、あるいは獲物を焼き殺す喜びか、そんな感情に目を光らせ獰猛に牙を向く。

 

 だがその時、ヘルハウンドの下顎をしたたかに衝撃が襲った。かち上げられるように体勢を崩すヘルハウンド。その下顎には、ルドウイークが懐から取り出し投げつけた何の変哲もない石がめり込んでいる。そしてその攻撃をヘルハウンドが知覚した時には胸の魔石をミスリルの切っ先が過たず貫き、魔石を破壊された体が灰になる時にはルドウイークはその数歩先で既に炎の炸裂に備えていた。

 

 しかしルドウイークの警戒とは裏腹に、魔石を破壊されたことでモンスターの持つ魔力が四散したか炎は一瞬虚空を照らしただけで消え失せ、後には僅かに灰が残るばかり。

 未だに警戒を解かず周囲を観察していた彼はその灰溜まりに歩み寄ってそれを見聞した後、すぐ興味を無くしたように立ち上がってまた走り出した。

 

 彼としては、これ以上この階層の敵に関わっている理由は無い。何時現れるとも知れぬモンスターを警戒しながら15階層を目指してひた走る。岩を回避し、闇に紛れ、穴を飛び越え――――

 

 そこでルドウイークは足を止めた。振り返ったその背後には、ぽっかりと口を開けた大穴。慣れ親しんだ方のダンジョン(聖杯ダンジョン)でも時折見かけた落とし穴の一種だろうか。無意識に回避したそれを見ながら、ルドウイークはニールセンに教授された知識を思い出す。

 

 中層以降では、こうした危険な落とし穴が時折出現するのだという。ダンジョンが生きているという事実に基づくよう無作為に出現するそれは見た目通りの落とし穴であり、下の階層に直接繋がっている。

 

『いざと言う時は逃走に使え』

 

 彼女はそう言っていた。だが、ダンジョンにおいてはそのような行動を取れば、それはすなわち博打に等しいのだとも。

 

 何せ、ダンジョンは広大だ。階層間の昇降に使った場所を起点に現在位置を把握するやり方が一般的なここにおいて、想定外の上下階層の移動はすなわち遭難する事と同義である。そして方位磁針も効かぬこのダンジョンにおいて、遭難する事はもはや死に直結した事象だ。

 

 上下に入り組んだかのヤーナム市街で戦ってきたルドウイークも、自身の現在位置を把握する事の重要性は身に滲みるほど知っていた。一人仲間からはぐれた事で、獣に食い殺された狩人など数えきれぬ程に居るのだから。

 

 故に、彼は落とし穴に身を躍らせて道中をショートカットするという選択肢を素気無く振り払う。そして、未だに距離のある15層への階段を目指して、振り返る事無くダンジョンの闇へと飛び込んでいった。

 

 

 




やっぱ戦闘シーンは難しいけど書くの楽しい……欲を言えば両原作の描写をうまい事落とし込んで説得力や躍動感のあるホンが書けるようになりたいもんです。

新入団員の出典についてのアンケですが、フロムキャラがぶっちぎりなのでフロムキャラにする事になるかと思います。
一人は考えてあるけど……何人にするかもきっちり決めないとですね。

今話も読んで下さって、ありがとうございました。

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