月光に導きを求めたのは間違っていたのだろうか   作:いくらう

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死んだはずのキャラクターが別世界に飛ばされてそこでカルチャーショックを受ける話が大好物なのと他の人の作品を見て描きたくなったのと友人との約定の履行を兼ねて初投稿です。
19000字くらいです。戦闘シーンはありません。


01:再起

 …………私の生涯は、血と肉と呪詛に彩られたものであった。

 

 

 唐突に故郷を襲った、人が獣と化す<獣の病>の蔓延。その被害を僅かでも食い止めんが為<最初の狩人>へと師事し、かの地に<血の医療>を広め獣の病へと対抗せんとした<教会>に与した。

 

 そうして市井の人々から同胞たる<狩人>を募り、共に獣と化した人々を狩り、一人でも多くの人々を救わんと奔走する日々。

 

 その中で得難き師と、僅かばかりの友を得た。ゲールマン翁、ローレンス殿、ローゲリウス殿、マリア、<加速の狩人>、<(からす)>、そしてシモン。彼らと過ごした日々に、喜びや温もりを感じていなかったと言えば嘘になる。

 

 だが、そんな日々は長くは続かなかった。いつしか、元々陰気で排他的なヤーナム人の間に、狩人こそが獣を生むのだと、そんな根も葉もない噂話が流れるようになったのだ。

 

 そこからは早かった。彼らから投げかけられる余りに多くの嘲り、侮蔑、そして罵倒。多くの狩人がその前に心折れ、一人、また一人と姿を消して行く。それでも、それでも私達は人々の為に獣を滅ぼした。滅ぼし続けた。しかしその返り血に濡れた我らの姿をこそ、彼らは獣だと恐れたのだ。

 

 だがそれも、間違っているとは言えなかっただろう。私が募った狩人達の多くがその歓びと血に溺れ、酔い痴れ、人と獣の境無く獲物を狩り続けるだけの殺害者と化した。それだけではなく、我らの内よりも真に獣と化すものが現れ始める。ローレンス殿に始まって、多くの者たちが悍ましき獣と化しその前に多くの狩人達が散って行った。

 

 そうして、私の知る者達も表舞台から姿を消して行く。故郷へと戻った<烏>。ローレンス殿を狩ったゲールマン翁は古工房を残して失踪し、その後を追ったマリアもいつしか行方知れずとなった。ローゲリウス殿と共に裏切りの<カインハースト>に挑んだ<加速>は烏の残した<流血鴉>と痛み分けとなって一線を退き、僅かな間夜を共にした市井の人々は自らも獣と化しかけている事に気づかない。

 

 それでも、私は一つの導きと共にあった。我が師、秘されるべき煌めき、宇宙からの色――――背に負った月光と共に、私は狩人であり続けた。そうして最後には、獣の病の始まりを求めてヤーナムを離れたのだ。トゥメルの王墓へ潜り、イズの深奥に見え、ローランの果てを越え……そしてビルゲンワースの罪、秘匿されし狩人達の悪夢へと辿り付いた。

 

 そこで立ちはだかったのは、時計塔に座したかつての友。罪の前に立ち塞がる彼女に私は最後まで剣を向ける事が出来ず、無惨に屍を晒す事となる。

 

 だが、私の生涯はそこで終わらなかった。救い? 否。その血に宿した罪が、呪いが私に死ぬ事を許さなかった。悪夢で導きの真実を垣間見た私を待っていたのは獣の発露。自らも獣と化し、呪われた悪夢の屍山血河をひたすらに彷徨い続け、悪夢に囚われし古狩人達と喰らい合うだけの日々。

 

 人間性などとうに失い、永延と獣として生き続ける思えた血みどろの獣としての生。悪夢の中でそれを永久(とこしえ)に続けるかと見えた<醜い獣>も、最後には引導を渡される事になる。

 

 有り触れた格好の名も知れぬ狩人。異形の狩り道具を操る官憲衣装の怪人。

 

 二人の狩人の前に醜い獣は斃れ、再び人を取り戻した私さえも狩人達は打ち倒して見せた。そこで、真に私の生涯は幕を閉じる事となる。

 

 結局、後悔だらけの人生だった。一時は英雄などと称されながら、禍根を断つことも出来ず、後進の狩人達に全てを託す事になってしまった。だが、誇りある剣たる、かの者達なら大丈夫だろう。彼女を、私の暴けなかった罪を……そして、真に秘匿されし<青ざめた血>を知り、その元へと辿りつけるはずだ。

 

 これでようやく、ゆっくりと眠れる。獣の遠吠えに悩まされる事も無く、罪に悔いる事も無く、自らの休息の内に誰かの命が脅かされているのだと、恐れる事さえも無い。それをどれほど望んだ事か。どれほどの狩人が、ヤーナムの人々がそれを求め、獣狩りの夜の内に人を失って行った事か。

 

 それを最後に手にする事が出来た私は、間違いなく恵まれた最期を迎える事が出来たのだろう。

 

 だが、最後に心残りがあるとすれば、一つ。

 

 

 

 

 

 

 私があの輝きに、暗い夜に見た月光に導きを求めたのは――――――果たして、間違っていたのだろうか?

 

 

 

 

 

 

<◎>

 

 

 

 板張りの床に寝そべったまま、私はこの現状とは何ら関係の無い事を茫とした頭で思案し続けていた。

 

 ――――宇宙は空にある。かつて<医療教会>の上位会派が一つ、<聖歌隊>が見出した真理の一つだ。地底には墓があり、海の底には呪いがあり、そのどちらにも星は無かった。ならば、星がある空こそが宇宙であり、真に<上>にたどり着くための道筋なのではないか?

 

 学も無く、ただ只管に狩りを続けていた私には結局理解する事は出来なかったが、聖歌隊の(ともがら)や<メンシス>の学徒たちは熱心にそれを探求していた様だ。

 

 彼らが求めていた<瞳>とは、結局何を意味していたのかも私は知る事は出来なかった。その一端に足を踏み入れかけていたであろう事だけは辛うじて解ってはいたのだが……ビルゲンワースのウィレーム学長に謁見することも出来れば、また違った景色が見えていたのやもしれぬ。

 

 …………いや。所詮私は因果に挑み敗れ去り、獣と化して狩り殺された愚か者だ。そんな私が更に啓蒙を得た所で結末は変わらなかっただろう。

 

 だが、そんな私でも分かる事が一つだけある。

 

「――――何故、私は生きている?」

 

 この状況の、余りの不可解さだ。

 

 

 

 嘗て獣と化した私の最後は、文字通り凄惨たる有様であったはずだ。最早四本に収まらぬ四肢を投げ出し、その首を落とされ、引導を渡された。その私がこうして生きて、現状を認識している。それだけでは無い。今の私には、人間の肉体がある。頭と、両手と、両足。獣と化した時に失われたはずのヤーナム人の平均より些か大柄で、狩人らの中でも際立って頑強であった五体が嘗てのその姿を持って存在している。

 

 服装も、嘗ての私が纏っていた装束そのままだ。<処刑隊>のそれを改良して作られた厚手の白装束。その上に同色の外套を纏い、夜霧漂うヤーナムの冷気を、一部の獣が生みだす毒を、そして上位者の操りし有り得べからざる神秘にさえ僅かながらの耐性を持つ優れ物。獣へと変態し引き千切られてもなお失われなかった教会の聖布さえも過去のまま、ここに存在してしまっている。

 

 何よりも驚くべきは、最後に私が手放したはずの師たる導き――――<月光の聖剣>が私の横に無造作に転がっている事だ。

 

 今のそれは真の姿たる輝きに満ちてはおらず、芯とも言うべき武骨な大剣の姿を取って乱雑に布が巻き付けられている。しかし私がこれを抜き、そしてそれに相応しき場ともなればこの大剣は再び宇宙よりの色を放ち、如何なる夜闇の中でも我が道を照らすであろう。

 

 …………だが、今は少なくともその必要は無さそうだ。己の状態と、とりあえずの身の安全を確認し終えた私は、その集中力の矛先を自身の内側から外側へと向け直した。

 

 今私がこうして寝そべっているのは、何処かの民家の一室だろう。私は上体を起こし、床に座り込みながら部屋の様子を確かめる。ベッドと机、その上の未知の文字で書かれた本と小さなランプ、窓にかけられた無地のカーテン…………そのどれもが使い古された、年季の入ったものだ。だがどれも愛着を持って使われていると言う感じではない。質素倹約――――そう言えば聞こえはいいが、椅子の足の擦り減り具合やカーテンの(ほつ)れ具合を見るに、満足に家具を買い替えることも出来ていないのかもしれぬ。

 

 しかし、それでもこの部屋には生活感が漂っている。掃除はしっかりされているようではあるし、人が住んでいないという事は無いだろう。そこで一度私は目を閉じ、部屋の空気を鼻で幾度か吸いこんでみる。

 

 ヤーナムでの狩りの中、そしてかの<死体溜り>で獣臭と人血の匂いにやられて久しいかと思っていた私の鼻は、意外にも鋭敏さを保っていた様だ。この部屋の空気から、多少の埃臭さと、ほんの僅かな女性の芳香を伝えて来る。まず間違いなく、部屋の主は女性だろう。

 

 で、あればまずいな……。私は顎に拳を添えるように手をやってしばし思案した。

 

 この部屋の様子や埃の溜り具合からして、それなりに短い間隔、日常的な頻度で人の出入りがあるのが分かる。つまり、このままここに居ればそう遠からず部屋の主が現れるだろう。そしてそうなった時――――女性が自らの部屋で座り込んでいる剣を持った見知らぬ大男の姿を見た時、一体如何なる反応を示すのか。それは想像力に乏しい私にも容易く予想出来た。

 

 ならば、とりあえず外へと抜け出すしかあるまい。窓から差し込む灯りは暗く、外ではただの日常的な一夜が巡っているのか、あるいは未だに<獣狩りの夜>の最中なのか……その判断はつきそうに無い。だが狩りの最中であるならば、この私にも出来る事はあるはずだ。

 

 私は覚悟を決めた。再び獣狩りの夜に身を投じる覚悟を。まだそうなると決まった訳では無いはずだが、私は構わず心を狩人としてあるべきそれへと切り替えてゆく。もしも夜が明けていたのであれば、それはまた後で考えればいい。今この時もこの街の民が獣に脅かされているのであれば…………私の成すべき事は、嘗てと何も変わらん。私は立ち上がり、月光を拾い上げ背に帯びる。

 

「夢から覚めても、まだ狩人とはな」

 

 そう独りごちて、私は扉の取っ手に手をかけた。

 

 …………その時、下方から扉の開く音。それに次いで何者かがこの家へと上がり込んでくる。耳を澄ましてみれば、足音の主は足早にこの部屋へと向かってきているようだ。獣か、或いは人か。それを探る手段も無ければ、判断に要する猶予もない。もし獣であれば狩れば済むが、それで人であった場合は取り返しがつかぬ。

 

 この部屋が恐らく二階ほどの高さに位置していると状況から判断した私は正規の道程で家を出る事を諦め一つある窓へと向かう。まずは一旦この家を後にし、街の状態を把握する事を最優先としたのだ。獣狩りの夜の最中であればこの家を再び訪れ、状況を問うなり狩り殺すなりできる。そうで無ければ、後程謝罪の品を携え勝手に侵入した謝罪をせねばならぬ。

 

 だが一先ずは後回しだ。急ぎ、私は窓の前に立って鍵を開け放とうとして――――

 

 

 

 ――――遠景に巨大な塔が一つ聳え立つ、ヤーナムとは比べ物にならぬ程賑やかな街並みを見た。

 

 

 

<◎>

 

 

 

 ――――そうさね。

 

 それは、遠い遠い、遥か昔の出来事さ。

 

 いつか、ずっと上から世界を見下ろしていた神様たち。

 

 彼らはいつかその代わり映えのしない暮らしに飽きて、私達の住む世界、所謂【下界】に降りて来た。

 

 楽園じみた上での暮らしに飽きて、不自由で無駄だらけな、それでも営みを育み続ける子供たち――――下界に住む私達とこの世界を、より間近で目にしたかったのだと。

 

 何の為に? 娯楽さね。全知全能の【超越存在(デウスデア)】たる自分達、その力に制限をかけて、子供()たちと(おんな)じ視点で物を見て、(おな)じ尺度で生きて見る。上で決して味わえぬその時間が、彼らは甚く気に入ったのだと。

 

 最初は旅行気分か何かだったのかもしれないが、彼らが地上に居つくのに、長い時間はかからなかったそうだよ。まるで、子供が新しい御伽噺に夢中になったみたいにね。

 

 それから千年くらいかね。彼らはまだ飽きずにここに居る。子供たちを慈しんだり、嘲笑ったり、恋してみたり、見下したり――――やり方は神それぞれだけれど、彼らは彼らなりにこの世界を楽しみ、人々はその恩恵に(あずか)って生きている。

 

 その仕組みが、いちばん顕著なのがこの街さ。

 

 ここは、迷宮都市オラリオ。神の降臨以前より怪物(モンスター)蔓延る【迷宮(ダンジョン)】を有し、今やそこにある全てを求めて人々が集まる地。

 (そび)える【摩天楼(バベル)】、その下にある迷宮。そこにまだ見ぬ栄光や希望を求めて挑む者たちを眺める為に、数多の神が住まう街。

 

 

 今日もどこかで、見知らぬ新たな英雄が、静かに産声を上げる場所。

 

 

 けれどね。栄光を掴める者なんて、ほんの一握りの者だけさ。きっと多くは名も知れぬ脇役止まり、英雄になるどころかこの街に骨を埋める者も五万といる。

 

 そういう意味じゃあ、世界は悲劇に満ちていると言えるかもしれない。

 

 だからこそ、皆がこの街を気に入るのさね。

 

 

 

 

 

 

 

 月も昇った時間だというのに、道の隅で木箱に腰掛けた老婆が何やら子供に言い聞かせるのを横目に、年明けのお祭りムードもなりを潜め始めたオラリオの街路はしかし行き交う人々で溢れかえっていた。

 

 人間(ヒューマン)犬人(シアンスロープ)猫人(キャットピープル)、エルフ、ドワーフ、アマゾネス。彼らだけではなく、ありとあらゆる人種の人々がすれ違う街路。その服装も多種多様だ。

 

 市民、商人、職人。そして、明らかに物騒な装備を身に付けた冒険者。そんな彼らが混然一体となって、元より雑然としたこの街に消えない喧騒を生みだしている。

 

 その中を、一人の女性が歩み行く……否、一人の女性、と言うのは正しくない。この街に住む者ならば、行き交う人々の中にあって彼女の周囲にだけは人が寄り付かないのを見て、容易くその答えを理解するはずだ。

 

 ――――そう。彼女は人ではない。嘗て天よりこの世界に降り立った全能存在の一柱、正真正銘の女神である。一目見れば、その整った美貌と常に発する神威がそれを嫌でも知らしめす。

 

 美しい金の長髪をうなじで纏め、その体は特筆するべき所は無いものの完璧な比率を保ち、供物と思しき眼鏡の奥より覗く瞳は翡翠の如し。だが、本来色褪せぬはずのその美貌には、ありありと疲労の色が滲み出ていた。

 

 基本的に神とは不変不滅の存在である。しかし、地上に降りた神はその【神の力(アルカナム)】に禁をかけ、地上の人々と同等の能力を持って暮らしている。故に疲労もするし、怪我もするし、病にだって罹りうる。当然、死に至る事すらも。

 

 ただし、神が地上で死んだところで、それは消滅を意味しない。それが意味するのは送還だ。この地上を離れ、再び天にてその力に相応しい役目をこなし続ける日々。しかし、何処に好き好んで娯楽から遠ざかる神が居ようか。

 

 故に地上で神がする事は多くの場合二つ。その生活を大いに楽しむ事と、この地上に居つくために必要な物――――有り体に言えば、金を稼ぐことである。

 

 だがほとんどの神は自ら疲労困憊してまで金を稼ぐことは無い。なぜなら彼らの多くは自身の【神の眷族(ファミリア)】を有し、そこに所属する子供達(人々)に金銭の工面などを任せているからである。

 

 当然、何の対価も無く従うほど信心深い者は少ない。むしろ信心とは、神に仕える内に培うものである。故に神は自らの【眷族】に対して【恩恵(ファルナ)】を授ける。それは、ただの喩えや比喩ではない。【恩恵】を受けた者は実際に並の人間を凌駕する力を得て、多くはこのオラリオの中央に聳える摩天楼の地下に広がる【迷宮(ダンジョン)】へ潜り、そこで怪物どもを狩り屠り、迷宮を探索し、その成果として怪物どもの体の一部やその核たる魔石を持ち帰って莫大な金と代え難い名誉、そして神からの寵愛と己の成長を得るのだ。

 

 そうして、子供たちの協力を得る事によって、多くの神は娯楽を楽しむ事に注力し、正にこの下界を謳歌する事に成功している。だが、全ての神がそうで無いのも確かな事で。

 

 それぞれの事情を以って、【眷族】を得る事の叶わなかった――――或いは【眷族】を失った――――神の在り様とは憐れな物である。全能なる【超越存在】の身でありながら、最高の娯楽たる地上に留まるべくそれぞれの身一つで日銭を稼ぐ日々だ。それこそ、まるで下界の子ら()の様に。

 

 例えば、神としての己の技術を子らに授け、その対価として金銭を要求する者。ひっそりと都市の片隅で自給自足の生活を送る者。同郷の神の元に身を寄せる者。そして、この女神の様に他の神が経営する酒場で給仕まがいの仕事をし日銭を稼ぐ者もいる。

 

「はぁ……」

 

 とぼとぼと歩く彼女は、この世の幸運と云う幸運が素足で逃げ出したくなるであろう程の昏い昏い溜息を吐いた。彼女は十五年ほど前まで、オラリオでもそれなりに名を知られたファミリアの主神であった。そんな自分が今やこの様な有り様で、人々でごった返すオラリオの大通りを一人寂しく帰路に着いている。

 

 以前の自分であれば、今頃の時間には眷族より献上された美酒に舌鼓を打ち、その酔いに任せて寝床に潜り込んでいるころだろう。昔は良かった。あの頃の自分は、頂点には立てずともこの様な労働や疲労や困窮や貧困とは無縁の存在であった。

 全てはあの【黒竜】と、忌々しい道化師気取りのせいだ。特に道化師気取り、奴の口がもう少し堅い物であったならば――――――――そんな事を時折考えては、こうして嫌気が差して溜息を吐いているのである。

 

 そんなふらふらと下を向いて歩く彼女も、神であるが故に誰かにぶつかるとか、躓くなどと言った災難に見舞われる事は無い。それはその身より溢れる神威が無意識の内に人々を忌避させているからである。だが、彼女が生粋の神である以上、その事実に喜ぶような事はことはまず無いだろう。

 

 しばらくすると、彼女は大通りから外れ、それまでとは対照的な人通り無き道を歩き始める。オラリオの東と南東、二つの大通りに挟まれたここ【ダイダロス通り】はオラリオの中でも貧しい者が集まる住宅街だ。嘗て奇人と呼ばれた<ダイダロス>によって設計され、完成後度重なる区画整理が行われたそこはもはやもう一つの迷宮と呼ばれるほどに複雑化しており、知らぬ者が足を踏み入れれば自力で外に抜け出すのは困難とされている。

 

 そのダイダロス通りの外れ、南東の大通りからごく近い位置に、彼女の家――――かつて彼女の眷属が住まい、元々の【本拠地(ホーム)】と持ち主を失ってからは彼女のものとなっている二階建ての小さな建物はあった。その外装は、建てられた当時の持ち主の羽振りの良さを所々に偲ばせるものの、今や装飾を失い塗装も剥がれ、その内から頑丈であろう外壁が露わとなっている。

 

 それを見上げ、壁に入った僅かな亀裂に気が付いた彼女はまたしてもどんよりとした溜息を吐き、最近立て付けの悪くなってきた扉を開いて家の中に足を踏み入れた。

 

「ただいま戻りました……」

 

 そう呟く彼女に応える者は誰一人としていない。彼女の眷属たちはもはや一人として残っておらず、この家に住むのは彼女ただ一柱であるからだ。故に、彼女は習慣的に帰宅の挨拶を口にした自身へと虚しさを覚え、虚ろな目で自室へと向かって階段を昇り行く。

 

 そして、彼女はそのまま無造作に自室の扉を開いた。もはや何年も変わり映えのしない部屋。ほつれたカーテン、擦り減った床、足の一つが浮いた椅子、大剣を背負った人間(ヒューマン)の大男、薄汚れたベッド。その見慣れた光景に疲れ切った彼女は何ら心動かされる事無く、机に手荷物と今日の給金を放り出して無造作にベッドに飛び込んだ。

 

 そして仰向けになって古ぼけた天井を眺めながら、彼女は思う。一体、いつまで自分はこのような暮らしを続けていればいいのだろう。以前のように眷族を集めようにも、不和と争いの女神であり、実際に『美の女神への果実』事件を初めとした幾つかの騒動で悪名を馳せた自身の元に今更やってくる物好きなどいない。

 

 少なくとも、一人でも腕の立つ眷族が出来ればずっとマシにはなるのでしょうけど…………。

 

 そう考えて彼女は寝返りを打ち、窓際で外を向き立ち尽くす大男に目を向ける。

 

 うん、丁度あんな感じの、いかにも強そうって感じで、出来ればそれなりに見た目もよくて、あと私に忠誠を誓ってくれるような………………。

 

 そこまで考えた彼女は、ふと上体を起こし、近くにあった布で眼鏡を拭いてかけ直し、大男を見て、眼鏡を外して眉間を押さえ、もう一度大男を見て、少し考え込んで、眼鏡を放り投げて布団に顔を埋めた。

 

「もうダメだ…………」

 

 少し涙ぐんで、彼女はそう呟いた。仕事で疲れ切った頭ではロクに判断もつかなかったが、まさか幻覚を見てしまうほどに疲労困憊しているとは。いや、幻覚ではないのかもしれない。ならば尚の事タチが悪い。他者の家に無断で踏み込むのはズバリ犯罪者のやる事であるからだ。つまり自身は今大剣を背負った正体不明の大男の前に無防備な姿を晒しているという事になる。

 

 【神殺し】はオラリオにおいて一族郎党まで罪に問われる重罪中の重罪だ。故に、彼女が殺される事は無い――――訳ではない。千年ほどの神と人の時代において、実際に今まで幾度かそういう事は有った。故の重罪である。そんな事をするのは当然余程の命知らずか向こう見ず、詰まる所極まった愚か者だけであるのだが、そこの大男が愚か者でない保証などどこにも無い。

 むしろ、一般的な常識のある者であれば不在の他神(たにん)の家に無断で上がり込むような真似はしないだろう。それも、これほど困窮した零細ファミリアの主神の元へなど。そう思うと、彼女はもうどうしようもなく絶望的な気持ちになるのだった。

 

 ああ、こんな形で地上での暮らしを終える事になるなんて……。

 

 そう嘆き、布団により深く顔を埋める彼女。その脳裏に、地上での楽しかった思い出が走馬灯の如く駆け抜けては過ぎ去ってゆく。おいしかったディナー、眷族からの供物、己の策に嵌って相争う神々の滑稽な姿…………。

 

 心残りが無いはずなど無い。もっと、もっとこの地上と言う最高の娯楽を謳歌したかったのに!

 

 悔やんでも悔やみきれず、彼女は布団に顔を埋めながら寝返りを打って、そのまま布団を巻き込み簀巻きめいた姿へと変貌してしまう。もはやすべてを拒絶する構えである。

 

 ――――これは悪夢だ。仕事疲れが引き起こした、意味不明で手ひどく、無駄に現実感のある悪夢。ならばいっそ眠ってしまおう。夢の中で眠れば、きっと目が覚めるはず!

 

 もはや現実から目を背け、簀巻きの中で目を閉じ眠りに落ちんとする彼女。だが無慈悲にも、目を閉じた事で鋭敏となった聴覚は(くだん)の大男が振り返り、ぎしりと床を鳴らして此方に歩み寄ってくるのをハッキリと感じ取ってしまった。

 

 簀巻きになっているせいで耳を塞ぐことも出来ない。簀巻きになっているせいで沸き上がる恐怖から逃れることも出来ない。せめて布団に顔を埋めたままなら、部屋から飛び出して逃げ出す事も出来たというのに。

 

 その事実に彼女は改めて打ちのめされ、そして完全に諦めきった。今から自身はあの神威の如き神秘を漂わせる(つるぎ)によって断ち切られ、まな板で調理される食材の如く輪切りにされてしまうのだろう。ああ、何故簀巻きになってしまったのか。余りにも神らしくない、間抜けすぎる最後ではないか。ならばいっそのこと【神の力】を用いて――――

 

「……すまない、無粋な訪問を許して欲しい。ここの住人の方とお見受けするが、少し話を聞かせては貰えないか? 不躾な話だとは自分でも思うが……」

「……………………えっ?」

 

 実際気の抜けた声を上げ、彼女は簀巻きの端から器用に顔だけを表に出してベッドの横に立つ男の顔を見据えた。男は困惑したような、目の前の彼女をどうしたものかと計りかねるような、そんな顔をしていた。

 

「……殺さないのですか?」

「…………いや、そのようなつもりは毛頭ないが…………」

 

 震えて聞く彼女に、男は努めて穏やかな声色で答える。

 

「殺さないんですね?」

「……貴方の不安も当然だ。此度は本当に申し訳なかった。どうか、話だけでも聞いていただきたい」

 

 重ねて確認する彼女に、男は背に負った大剣を手の届かぬ机の上へと置き、改めてベッドの前にやってきて床に座り込んだ。

 

 それを見て、ようやく彼女は男に敵意や悪意、そう言った此方に害を成そうとする意思がない事を理解した。神ゆえに地上の子らの嘘を見抜く事が出来るのは彼女も同様だったのだが、あの異様な大剣から感じとれる神秘がその眼を曇らせていたのやも知れぬ。

 

 それは気になるが、今は目の前の男だ。

 

「……じゃあ、とりあえずまずは名前を聞かせてください、剣士さん。自己紹介から始めましょう」

「そうだな。私は――――――――」

 

 

 

<◎>

 

 

 

「大体分かりました。ひとまず整理しましょう。……ええと、貴方は<ヤーナム>と言う街から来た狩人で、名前は…………」

「<ルドウイーク>だ」

「ルドウ()ーク」

「ルドウ()ークだ」

「言いづらいですね」

「皆、そう言う」

 

 諦めたように苦笑いして返すルドウイークを前に、彼女は少し難しい顔をした。

 

「…………やはり聞いたことありませんね、ヤーナムなど。余程田舎の街だったのでしょうか」

「確かに排他的で、周辺とは隔絶した谷あいの街ではあったが、言うほど田舎という事は無いと思う」

「ですが<医療教会>に<狩人>、そして<獣>……聞いたことの無い事柄ばかりです」

「ううむ……」

 

 その味気ない反応に、ルドウイークは先ほどの彼女の様に難しい顔をする。全てを説明したわけでは無いとは言え、自身の持つ知識がこの【オラリオ】なる街では一切通用しないのだという事を、彼女の反応と説明から十二分に悟ったからだ。

 

「すまないが、少し考えさせてもらいたい。その間に、もう一度ここについて聞かせてくれないか?」

「分かりました、整理します。ここは【オラリオ】と言う街で、私は神です」

「…………やはり、にわかには信じ難い。貴女が真っ当な人間とは違う、かといって<上位者>とも違う、別の存在である事は解るのだが……」

「まぁ神なので。と言うか、<上位者>とは?」

「<獣>以上の力を備えた未知の存在だ。一応上位者と名付けられてはいたが、詳しい事は私も知らない」

 

 ルドウイークは慎重に言葉を選び、嘘を吐かぬよう、だが決定的な真実も語らぬようにして彼女の問いに答えた。聞けば、神は人の嘘を見抜く力を持つと言う。

 知識がどれほどの狂気をもたらすか知らぬルドウイークでは無い。故に、彼は煙に巻くような不明瞭な説明で誤魔化そうとした。自身もそれほど上位者に詳しくなかったのは僥倖(ぎょうこう)と言える。実際嘘にはなりえぬからだ。そして幸いにもその欺瞞に彼女は気づいた様子も無く、納得したように次の問いへと話を進めた。

 

「まあ、それは置いておいて……私の説明した事に一つも心当たりがないのは、ルドウイークも同じですよね?」

「ああ。【オラリオ】と言う街の名前、【神】なる存在、【ギルド】に【ファミリア】…………【迷宮(ダンジョン)】と言う言葉には覚えがない訳では無いのだが、私の知る<ダンジョン>(聖杯ダンジョン)とこの街にあると云う【迷宮】が同じものだとは到底思えん。私の知る<ダンジョン>は、深くても5層ほどしか無かったしな」

「浅いダンジョンですねえ。こっちの【迷宮】なんて50階層とか普通にあるっていうのに」

「50か…………まったく、驚きしかないな」

 

 50と言うその数字に、ルドウイークは心底で恐怖した。それほどの階層のダンジョンともなれば、一体いかなる獣やトゥメル人、未知の上位者が現れるのか想像もつかぬ。同輩であった墓暴きや<地底人>とも揶揄された一部の狩人であれば、喜々として突撃していたであろうが……。

 

 彼らが我先にと【迷宮】に飛び込む姿を想像して、ルドウイークは思わず小さく笑った。それをちらと見て、彼女はルドウイークに懐疑的な視線を向ける。

 

「ともかく、貴方はその、ヤーナムとやらで死んで、気づいたらここに居たって……嘘ついて無いのは分かるんですけど、ちょっと信じられないですね…………あと、死んだのヤーナムじゃないですよね? そこだけちょっと嘘入ってません?」

「すまない。正直、何と説明したらよいか私にもわからない。ヤーナムと言えばヤーナムなのだが…………」

「なのだが?」

「説明しづらいんだ。何と言うか、悪夢と言うべきか…………」

「分かりませんね……」

 

 腕を組んで唸るルドウイークの様子に、彼女も腕を組んで首を傾げる。そうして、しばらくお互いうんうん唸って、どちらともなく諦めた。実にならない話だと本能的に直感したからだ。そしてルドウイークに先んじて彼女はこの話題を締め、次の話に移る事を提案した。

 

「…………何となく、互いによく分からないという事が解りました。それはもう、いっそ置いときましょう」

「置いて、どうするのだね? それに他にわかる事も――――」

「貴方がどうしたいか。それを聞かせてください、ルドウイーク」

 

 その言葉に、ルドウイークははっとしたように顔を上げた。彼女は真剣そのものの、真贋を見通す神の瞳で彼の答えを待っている。その視線を受けたルドウイークはしかし、即答に近い速さでその答えを口にした。

 

「ヤーナムへと戻る。こうして私が生きているならば、出来る事があるはずだ」

「それほどまでに<獣狩りの夜>とやらは深刻なのですか?」

「…………あの<狩人>なら、きっと何とかしてくれているとは思う。だが、夜が明けているかどうかは定かでは無い。如何にヤーナムが悍ましき街とは言え、故郷である事には代わりは無い…………案じずには、居られないんだ」

 

 絞り出すようにヤーナムへの思いの丈を継げるルドウイーク。彼女はその選択の重みを知らぬ。だが、ルドウイークがどれほどの想いを持ってその判断を下したのか、そこに込められた重みを多少なりとも感じ取る事が出来た。ゆえに、彼女は重苦しく口を開く。

 

「…………一つ、提案があるのですが」

「何だ?」

「私の【ファミリア】に入りませんか? ルドウイーク」

 

 その言葉に、ルドウイークは驚きを隠せなかった。何故、この神物(じんぶつ)は今宵、突如として己の部屋に現れた人物にそのような提案が出来るのか。自身の如き愚か者に対して、何故手を差し伸べるのか。その理由が分からず、彼は困惑した。

 

「何故、私に手を差し伸べる? 私のような愚か者を抱えた所で、貴女に利する事などそうは無いと思うが……」

 

 彼女の置かれた現状を知らぬルドウイークは皆目見当もつかぬといった顔で彼女に問うた。その質問を聞いて、大事な部分の説明を意図的に避けていた彼女は待ってましたとまるで善神じみて穏やかな顔で笑う。

 

「単純な事です。ここで会ったのも何かの縁、その貴方が困っているのであれば少しを手を差し伸べて上げるのが神の慈悲と言う物です」

「……だが、それほど貴女の手を煩わせるようなことでは無い。ヤーナムの場所さえ解れば後は如何様にも――――」

 

 それでもなお申し訳なさそうに遠慮するルドウイークに対して、彼女は決定的な言葉を口にした。

 

「私の考えでは、おそらくこの世界にヤーナムと言う街はありません」

「………………何?」

「この世界には、今はあらゆる場所に多くの神々が降りてきています。その一柱にさえ会ったことも無く、我々の間の常識も、オラリオという名前すらも知らない。小さな村の一人二人なら世間知らずで済むかもしれません。ですがそれほど大きな街で誰も知らないとなれば………………」

「……………………」

 

 彼女の言葉に、自身の置かれた状況の深刻さを突きつけられたか、ルドウイークは俯きぶつぶつと何やら呟いている。それを見た彼女は、今こそ攻め時だと言わんばかりに自らの推論を捲し立てた。

 

「いいですか、結論から言います。ルドウイーク……貴方は、別の世界から来たんじゃあありませんか? 我々の知らぬ異世界。全く別の法則で成り立つ、未知の世界。で、あれば貴方がオラリオの事を何一つ知らないというのも、かつて全知の存在であった私がそちらの事を一切知らないのも納得できます。……どうですか?」

「………………すまない、流石に想定外だ。<共鳴>を用いた渡りの経験はあるが、まさか別世界とは……」

「<共鳴>?」

 

 苦悩するように頭を抱えるルドウイークがつぶやいた言葉を彼女は聞き逃さなかった。だが、ルドウイークがそれを説明する事は無かった。

 

「……一つ聞きたいのだが、そもそもその【迷宮】とやらを調べるのに貴女の【ファミリア】に入る必要性はあるのか? 【ギルド】とやらの許可を得る事さえ出来れば、【迷宮】に足を踏み入れる事は出来るのだろう?」

「その許可を得るのに【ファミリア】に入る必要が、【恩恵】を授かる必要があるんですよ! 【恩恵】を持たない人間が【迷宮】に潜った所で無駄死にするだけですから…………黙って潜ろうなんて考えてませんよね? 【迷宮】に無断で潜るなんて、そんな事したら貴方はこの街のお尋ね者ですよ。それこそ地上から追い立てられて、【迷宮】で屍を晒すだけです! ……それに5階層のダンジョンとやらで唸っている貴方が、50階層以上もあるオラリオの【迷宮】をどう探索しようって言うんですか?」

「反論の材料が見当たらん…………」

「それに身一つ――――いえ、その剣もですけど、そんな状態でこのオラリオにほっぽり出された貴方なんて、ヤーナムに戻る方法を見つける前にのたれ死ぬか、結局何の手がかりも得られず年老いて死ぬかしかありませんよ」

 

 無慈悲な現実を突きつけられたルドウイークは、その大柄な背丈が頭一つ分縮んだかと思うほどにあからさまに肩を落とし俯きながら溜息を吐いた。

 

 ……確かに、彼女の言う通りなのだろう。ヤーナムにて悪夢の深奥へと歩みを進め、そこで屍を晒した己が今こうして真っ当な人間として在る事が完全に異常な事態なのだ。そして恐らく、ここは悪夢など比べ物にならぬ程ヤーナムから遠い。<共鳴>による世界渡りとは異なり、帰還する手段など、それこそ上位者の深淵なる知啓でも無ければ知る事も出来まい。そして、この世界に上位者はいない、あるいはまったく知られてはいない。詰みだ。

 

 もはや打つ手無しかと、手で目元を覆うルドウイーク。その姿を見て、神としての嗜虐心を抑えるのに苦労していた彼女は、ですが。と、切り出した。

 

「ですが……きっと、【迷宮】にはその秘密が隠されているでしょう。そう思えるだけの謎が、あそこにはあります。逆に言えば、この世界にヤーナムの、ひいては貴方の転移の手がかりがあるとすれば、あそこ以外に考えられないというのが本音なのですが…………」

「それ以外、無いか…………」

 

 ルドウイークは彼女の推論に、俯いたまま疲れ切ったような声色で呟く。実際、この世界の事など、彼女に知らされた程度の事しか知らぬのも事実。見当もつかぬ未知が溢れる世を単独で生き延びるのは、ヤーナムの<獣狩りの夜>とどちらが困難なのだろうか。彼はしばらくそうして思案していたが、そのうちふと顔を上げ開き直ったかの様に、彼女の誘いに首を縦に振るのだった。

 

「わかった。どっちにしろ、私一人で出来る事など限られている。この様な異常事態も初めてだし、手を貸してくれるというなら、甘んじてその提案を受けるべきだろう…………それに、この世界の文字も読めぬ私では、結局単独での探索はできんからな」

「話が早くて助かります……よかった……」

 

 ついに折れ、彼女の提案に乗ったルドウイークに彼女は安堵した表情を浮かべ、ほっと一息つく。その様子に一瞬疑問を感じたルドウイークだったが、それよりも彼女の【ファミリア】に身を置く上での『条件』について話し合うのが先だと考え視線を彼女へと向けた。

 

「それでだが…………協力と言っても、余り、長い事厄介になる訳にもいかぬだろうし、だからと言って、すぐ手がかりを見つけられた所で直後に【ファミリア】を抜けさせてもらう訳にも行かんだろう…………結局の所、どれほどの間貴女の【ファミリア】に置いて貰えるんだ?」

「ああ、それでしたら『ヤーナムへの帰還の方法が見つかるまで』で構いませんよ」

 

 慎重に落とし所を模索するルドウイークに対し、彼女はやけにあっさりと事実上無期限の在籍、そして彼自身の一存での脱退を許した。その余りに破格の条件にルドウイークは驚愕を禁じえない。

 

「…………本当にいいのか?」

「ええ。それが分かったら、帰ってもらっても大丈夫です。最後の挨拶くらいには来てほしいですけど、ね」

 

 念を押すように聴くルドウイークに、彼女は小さくはにかんで答えた。その笑顔に、ルドウイークは後ろめたさを感じ黙り込む。その間に彼女はベッドから降りてルドウイークの前に立ち、緊張を抑えるかの如く深呼吸してからぴしりと姿勢を正して彼へと相対して、【ファミリア】の主神として新たなる眷族を迎えるのだった。

 

「では改めまして…………ようこそ、【エリス・ファミリア】へ。ルドウイーク、この神<エリス>が貴方を歓迎します。これから、よろしくお願いしますね」

「…………このルドウイーク、約定に従い貴殿の剣となり、鋸となりて戦う事を誓おう。どれほどの間、世話となるかは定かでは無いが…………」

「私は構いませんよ。その間、キッチリ働いてくれるのでしたら!」

 

 格式ばった言葉で歓迎の意を示すエリスに、しばしの沈黙の後狩人の礼を以って誓約を示しながらも、どこか煮え切らぬルドウイーク。だが、その彼の態度を気にした様子も無く、エリスは満面の笑みを浮かべて手を差し伸べた。

 

 その手を見て、ルドウイークは一瞬逡巡する。しかし、曲者揃いの狩人の中では比較的穏やかで真っ当な人間性の持ち主であったルドウイークは、この世界についての情報を提供し、衣食住を保証してくれ、更にはヤーナムへの帰還の手助けをしてくれるというこの女神への恩義と、勝手に家に上がり込んだと言う引け目を今更ながら感じ、結局はその手を取り、握手に応じるのだった。

 

 

 

 

<◎>

 

 

 

「して、これからどうするエリス神。早速【迷宮】とやらに潜ればいいのかね?」

「……とりあえず、明日の朝になったら【恩恵】を刻んで、用意が出来次第【ギルド】へと向かいましょう。一応、朝までに()()を考えておきます」

「……設定?」

 

 鸚鵡返しに訝しむルドウイークに、エリスは呆れたように肩を竦めた。

 

「だって、突然別の世界から現れたなんて言っても誰も信じてくれるわけないじゃあないですか。とりあえず【ファミリア】の加入希望者っぽい話を作っておくので、そういう事にしておいてください」

「……神に嘘は通じないのでは?」

「ギルドの職員に神はいませんし、それに嘘は通じなくても隠してる内容まで見抜けるわけでは無いので。まぁ任せてくださいよ。私、こう見えて結構やり手なんですから」

 

 言ってエリスは誇らしげに両手を腰にやり、ふふんと胸を張った。その胸は標準的である。しかしルドウイークにはそれに目をくれる事も無く机の上にあった大剣を手に取り、再びそれを背に負う。その態度にエリスは少々機嫌を損ねかけたものの、気を取り直して部屋の扉へと向かい、ルドウイークを手招きした。

 

「とりあえず、ここは私の部屋なので今日は居間で寝てください。貴方には小さいかもですが、一応ソファーもありますので」

「恩に着る」

 

 壁に大剣がぶつからぬよう気を付けながら、ルドウイークはエリスの後に続いて階段を降り、普段はあまり使用されていないであろう居間に足を踏み入れた。

 

「それでは、私はちょっと疲れてるので今日はこれで。おやすみなさい」

「ああ、ありがとう…………貴公のような神が初めて出会う神で良かった。礼を言わせてくれ」

「いえいえ、そんな畏まらないで下さいよ。明日から忙しくなりますから。それでは……」

 

 就寝の挨拶を終えドアの向こうに去ってゆくエリス。それを見送った後、ルドウイークはソファーへと<月光の聖剣>を立てかけ、自身もその柔らかさに身を任せた。

 

 ……激動ともいえる時間だった。ルドウイークは天井に向け、深く長い息をつく。

 

 悪夢より目覚め、再びヤーナムの夜に身を躍らせようとすればここはそもヤーナムでは無く。【神】なる存在が跋扈(ばっこ)し、多くの人々がその【恩恵】に(あずか)って【迷宮】へと挑む街だと言う。何という、己の知る世界とかけ離れた世界であろうか。

 

「――――まるで、夢でも見ているようじゃないか。それとも、これも君の計らいなのか?  <最後の狩人>よ」

 

 <醜い獣>へと身を堕とした己を狩り、引導を渡したあの狩人。あの狩人が最後に己に掛けた言葉が、実際に形となっているのだろうか。少なくとも、今の所<悪夢>とは言えまい。そこで、一つの疑念がルドウイークの中に沸き上がる。

 

 もし、この世界に今在る事が狩人の計らいによる物なのであれば、その私が自ら悪夢の如きヤーナムへと帰還しようとするのは、狩人の厚意を踏みにじる行為なのではないだろうか? ならば甘んじて、この未知なる世界の事を謳歌するべきではないのか? その程度なら、許されるのではないだろうか。

 

 …………だが、それを確かめる術など無い。ヤーナムの無事を知る手段も無い。なら、それこそあの狩人は許してくれるだろう。そこで、彼は自身が存外故郷の事を愛していた事に今更気づいて、小さく笑った。

 

 さて、明日は【ギルド】へと向かい、あわよくば【迷宮】へと足を踏み入れその程を確かめておきたいものだ。それに【ギルド】には少なからず世界に関する資料程度は存在するはず。そこでヤーナムの名を見つける事が出来れば、それもまた僥倖だ。

 

 そう考えている内に、ルドウイークは自身の瞼が重くなるのを感じた。眠気など、何時ぶりに感じるものであろうか? おそらく、悪夢に囚われるずっと前……市井の狩人達を率い、獣を狩っていた頃には疾うに忘れ去った感覚だった覚えがある。

 

 うむ。あれは、一体何時の事だったか……確か<烏>が大橋のど真ん中で眠っていて、マリアと共にそれを広場に放り出し、随分と疲労困憊した時――――いや、もっと前の事だったか? あれも<烏>が…………。

 

 そんな、懐かしい思い出を想起している内にルドウイークは目を閉じた。それはヤーナムの狩人達が、どれほど求めても手に入ることの無かった穏やかな時間。

 それを取り戻した躰がルドウイークを安らかな眠りへといざなうのに、そうさして時間はかからなかった。

 

 

 

<◎>

 

 

 

 足早に階段を昇り自室へと戻った私は、今宵同様に帰宅した際とは真逆のベクトルの感情をもって勢い良くベッドへと飛び込み、ついつい快哉の叫びをあげた。 

 

「やっ、たぁ!」

 

 仰向けになって天井に向け手を突き出すと、そのまま力を抜いてベッドの上で大の字になって私は笑う。

 

 まさか、まさかあんなに素晴らしい【眷族】を手に入れる事が出来るなんて!

 

 まだ【恩恵】こそ刻んではいないが、それでもあのルドウ()……ルドウイークは間違いなく腕の立つ男だ。今まで多くの冒険者たちを眺めてきたからこそ、それが分かる。

 しかも彼はこの【オラリオ】について殆ど知識を持たない。故に、私のような神の眷属になる事を受け入れてもらう事が出来た。

 

 何より、彼は恐らく、本物の異界人。この【オラリオ】の歴史にも、一人として現れた事が無いであろう稀有なる存在。そんな最高の玩具、絶対に手放してなる物ですか。

 

 彼は見た所、そこまで知恵を回すようなタイプには見えない。どちらかと言うと、あの少しばかり血生臭さを感じさせる雰囲気に似合わず真面目で良識的な人間なのだろう。誓約の内容だって、それを物語っている。

 確かに私は帰れるようになるまで居てもいいと言ったし、帰れるようになったら帰ってもいいと言った。だが、ヤーナムなる都市の手がかりなど、そう簡単に見つかるはずが無い。彼の世界へ戻る方法だって、同様だ。なにせこの千年、そんな話はこの【オラリオ】でさえ聞いた事が無いのだから。

 

 なんか、騙しちゃったようなのは少しだけ気が引けるけど…………いいじゃないですか。私は、【神】なのだから。

 

 まあ、お陰様でこれからの立ち振る舞いには気を付けて、しっかり彼からの信頼を手に入れていかなきゃいけなくなったのと、他の神々にばれない様にしなきゃいけなくなったんだけれど…………多分大丈夫でしょう! 私は無根拠な確信をもって、また満面の笑みを浮かべた。

 

 だって、別の世界から現れる人がいるなんて思っている神なんか居るはずが無いのだから! 私だってそうだったんだから、他の神も真実を知るまでは想像すらつかないはずだ。

 

 ああ楽しみだ。早く彼の背に【恩恵】を刻んで、どれほどの【ステイタス】が現れるのかを見たい! もしかしたら、彼には特別な【スキル】が発現するかもしれない。異世界人なのだからそれくらいのことはあって然るべきだろう。

 

 ……それに、あの剣。神威じみた神秘を感じさせるあれは、一体何なのだろう。【魔剣】? いや、あの剣を扱う彼の手付きには、発動の際にしか振るわれぬ【魔剣】に対するそれとは違って確かな慣れと信頼があった。

 おそらくは、向こうの世界から彼が持ち込んだ物なんだろうけれど…………この十年ほどで培った庶民的感覚が、私の好奇心に対して『アレには触れるな』と小さな警告を送ってくる。

 

 ――――まぁ、信頼を得ていけばそのうち彼から聞く機会も出来るでしょう。

 

 そう結論付けた私は、ひとまず机に向かってノートを開きペンを取ると、さらさらと彼の素性に関する設定を書き上げ始めた。

 

 生まれは……【ラキア王国】あたりでいいかな。<アレス>のやり口に耐えかねて出奔したって感じで。【レベル】は……いや、そこは【ステイタス】を見てからだ。もしかしたら最初から高い【レベル】を持っているかもしれない。普通ならありえないことだけど、彼は異世界人。常識なんて通じない。家族は……うーん……とりあえず父と母が遠くに居るって事にしておこう。この辺あんまりハッキリさせちゃうと後がめんどくさいし。うーん、後は…………。

 

 そうして彼の設定を考えている内に、私は何だか眠くなって来た。そう言えば今日は、そもそも普段の倍くらい店に客が来て散々あの太っちょにこき使われたのだった。それを思い出して、私はちょっと不機嫌になる。

 

 今日はこの辺にしとくかな。どうせ、この【オラリオ】に居る冒険者の出自なんて気にする者なんか多くない。ただでさえ人々の坩堝ともいえるこの都市だ。一人くらい異世界人が紛れ込んだところで、気に留めるような者も居ないだろう。

 

 そうして、私は新たなる眷族を得てようやくの再スタートを切れる事に安堵し、穏やかにベッドに入る。その頭の中ではルドウイークをいかにうまく扱いつつ、自身のファミリアを再興させオラリオに名だたるファミリアとして返り咲かせるか、そればかりを考えていた。

 

 彼の力を元手にいずれは【本拠地(ホーム)】も取り戻し、多くの【眷属】を再び得て、いつか私に憐みの視線さえ向けた神々を見返してやるんだ。特にあの道化師気取り……の鼻を明かすのはちょっと難しいかもしれないが。向こうの【ファミリア】の規模的に。

 いやいや、何を弱気になる必要がある。もしかしたらルドウイークがレベル6、いや7、いやもしかしたら8かもしれない! それなら十分に勝ち目はある!

 

 そんな風に暫く鼻息を荒くしていた私も、しばらくすると疲れには抗えず、ゆっくりと瞼を閉じて夢の世界へと旅立って行く。そうして、私はこの十年近く感じていなかったほどの穏やかさで希望に溢れた眠りへと入って行った。

 

 

 

 

 

 

 ――――私が、ルドウイークがどれほど常識の通じぬ場所からやって来た男で、どれほど自身の手には持て余す存在かを理解するのは、もう少し後の事である。

 

 

 

 




Bloodborneで好きなボスはルドウイーク(すごいすき)、ゴースの遺子(老いた赤子と言う見た目が考えた人天才だと思うし戦ってて楽しいのですき)、エーブリエタース(見た目がすき。喉裏のひげ状器官推し)です。

読んでいただき、ありがとうございました。

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