月光に導きを求めたのは間違っていたのだろうか   作:いくらう

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お待たせしました。
日常回、25000字無いくらいです。

感想評価お気に入り、誤字報告もいつもありがとうございます。
楽しんでいただければ幸いです。


21:それぞれの準備

 

 

 

「……朝か」

 

 私は窓から差し込む光に気づいて、自らの装束を修繕していた手を止めた。

 

 現状、ダンジョンでの冒険で殆ど傷を受けていない以上この装束に消耗は殆ど無いのだが、それでも細かい(ほころ)びは幾つか見られる。更にはヤーナムから私自身や<月光>、幾つかの狩り道具と共に持ち込まれたこれは今や替えの効かぬ貴重品だ。なるべく長く使って行きたい以上、(こま)やかな整備は必要不可欠となる。故に、常人に比べ睡眠の必要性の薄い私が暇を潰すには丁度いい。

 

 私は机の上に広げた裁縫道具を片付け装束をハンガーにかけると、与えられた私室から出た。今までリビングに居着いていた私であったが、先日片付けを行った際に真っ先に清掃が済んだ一室をエリス神にあてがわれたのだ。この話は以前の清掃の終了直後からあったが、今まで保留になっていたものであった。

 正直、私としてはあのリビングもかなり気に入っていたのだが…………こうして大人しく自室に移動したのも理由がある。私はリビングへと向かった。

 

「入るぞ」

 

 一声かけ、ドアを開いて私はリビングへと踏み込む。そして最初に目に入ったのは、ソファに寄りかかってどんよりとした雰囲気を放つエリス神の姿だった。私がリヴィラから帰還した日、エリス神は自身の酒の飲みすぎが遠因となって手酷い出費をしてしまった事を認識してからと言う物の、私の代わりにリビングに居着くようになった。

 私が部屋を移る事になったのはそのためだ。流石に、沈んでいる彼女を部屋へと追い立てるほど不敬では無い。私は腕を組み彼女に尋ねる。

 

「……まだ立ち直れないのかね、エリス神?」

「………………ああ、おはようございますルドウイーク。スープ作ってあるんで、あっためて食べてください……」

 

 私の質問に答える事無く返答を終えた彼女は、机に突っ伏してあらゆる幸運が(おのの)くような暗い暗い溜息を()いた。既に私が【リヴィラ】から戻って二週間近く経っているが、その間彼女はずっとこの調子だ。私も彼女の好物を用意する等して幾度(いくど)となく(はげ)まそうと試みたのだが、効果が無い。

 

 一度だけ『酒でも飲まないか?』という文言で西大通り(メインストリート)へと連れ出す事に成功した事があったが、酒に酔う事の無い私が酒の力で彼女の機嫌を良くしようなどと考えたのは(いささ)か無謀であったと今では断じる事が出来る。

 そもそも、自身が女性の扱いに長けていないのは良く分かっているのだが、こうまで上手く行かないと言うのは一種の才能ですらある気がしてきた。もしも<加速>があの時の私を見れば、溜息一つ吐いてから長い事説教をしてくるだろう。

 

 その後、酒でダメならばと私は彼女の心労の直接的原因である金銭問題を解決すべくダンジョンに向かおうともしたのだが、それは彼女自身に止めてくれと懇願(こんがん)され、私は粛々とそれに従った。

 何せ、私が彼女としっかりと情報を共有しないまま18階層に向かった事で彼女に心配をかけ、【黒い鳥】へ依頼を行い、そのせいで金銭的余裕がなくなったのだから……彼女の言葉に首を横に振る余地はそもそもなかったと言えるだろう。

 

 更に現在、不幸が重なるかのように【鴉の止り木】が臨時休業に突入してしまっている。お陰で彼女は『休み明けから半月タダ働きさせられる』などとぼやき、日がな一日リビングで沈んで居るという有り様だ。

 実際私も確認に向かったが店の入り口には閉店中との札が下げられていて、マギーに彼女の給料についてどうにかしてもらえるよう頼み込むことも出来なかった。

 

 八方塞がりとでも言った所だろう。こうしている間にも僅かに残った貯蓄は削れてゆく。私も【ギルド】でニールセンに相談してみたりと様々な方法を模索していたがそれももう限界だ。せめて、そろそろダンジョンに潜る許可を貰えるよう、説得に励むしかないか……。

 

 私は意を決して、テーブルに突っ伏すエリス神を揺り起こそうとその肩へと手を伸ばした。しかし、今まさに彼女の肩に指が触れようとした時。ドンドンと家の戸が力強く叩かれて彼女が驚き、弾かれたように飛び起きて私は思わず一歩後ずさった。

 

「…………見て来ます」

 

 一瞬呆然としていたものの、すぐに陰鬱とした雰囲気を纏ったままエリス神は立ち上がった。私は何も言えず、それを見送ろうとしたが…………それよりも早く、ガチャリと音を立てて部屋のドアが開かれた。

 

「お邪魔するわね」

 

 姿を現したのは、私も良く知る、青黒い髪をした人間(ヒューマン)の女性。顔の左側には火傷の跡があり、着ている服の左袖は結ばれている。

 

「マギー…どうしたんですか、突然……」

 

 彼女の姿を見たエリス神は驚いたように声を上げた。その反応を見た彼女――――【鴉の止り木】において他を寄せつけぬ権限を持つ、エリス神の実質的な雇い主である【マグノリア・カーチス】は呆れたように肩を竦めた。

 

「ちょっと前に、西大通りでふらついてるあなたを見たから。もしかして、まだ先日【黒い鳥】に依頼を請けさせた件で給料前借りしたので凹んでるんじゃないか……例えば、『半月分の給料前借りしたのに二週間休業してるから、営業再開からまた半月分がタダ働きになる……』とか考えてるんじゃないか、って心配になってね」

「えっ、いや、その…………」

 

 マギーにその心中を容易く看破されたエリス神は一歩後ずさり、驚きのあまりしどろもどろになりながらマギーの顔色を(うかが)う。だがマギーは彼女の警戒に反して、他者を安心させるような柔らかい表情を浮かべて、笑った。

 

「安心して。今回の臨時休業は完全にこっちの過失だから、再開してからタダ働きさせようなんて思ってないわよ」

「えっ!? ホントですか!?」

 

 マギーの言葉を聞いて驚愕のあまり詰め寄るエリス神。今までの沈み具合が何だったかとさえ言いたくなる程の調子の代わり具合に私は呆気に取られるが、マギーはそんな彼女の様子にも慣れ切っているように、目を閉じて幾度か首肯を返した。

 

「ええ。明々後日(しあさって)から営業再開するつもりだけれど、ちゃんと初日から給料出すから――――」

「マギー!」

 

 喜びを露わにしたエリス神はまだ言い終える前のマギーに勢い良く抱きついて、その火傷の跡の残る顔に頬ずりした。一方で眼を閉じていたマギーはエリス神の突然の行動に対応しきれず流石に面食らったか、慌てて振り払おうとして語気を荒げる。

 

「ちょっとエリス!? 止めなさい! 離れろ!!」

「ああマギー! 本当に貴女って人はいつも最後は手を差し伸べてくれるんですから!! そういう所がすき!!」

「何よもう急に! なんですぐ抱きついてくるの…………あーッ、離せッ!!!」

「あっ!? ぎゃーっ?!」

 

 しがみつくエリス神に抵抗していたマギーは暫く彼女の顔を押しのけようと右手で押し返していたものの、怒りが限界に来ると同時に素早くその襟首を引っ掴み足払いをかけて体勢を崩し、更には襟首をつかんだままの腕を振るって彼女をソファに向けて叩きつけた。

 

「あっ! あ! 頭が!!!」

「良くなった?」

「割れるーッ!!!」

「ふん、自業自得よ」

 

 ソファに激突してそのままひっくり返り床に叩きつけられたエリス神に一見大きな怪我は無かった物の、どうやら頭を(したた)かに打ち付けたらしい。ゴロゴロと床を転がりながら苦悶するその姿を見下ろしたマギーは(さげす)むように鼻を鳴らした。そして、私の方へと振り返って苦笑いを見せる。

 

「ドタバタしちゃって悪いわね、ルドウイーク。多分これでエリスも元気になると思うし、それで見逃してもらえる?」

「……いや、エリス神の今の様子を見てこう言うのも何だが、正直助かった。どうやっても彼女を立ち直らせられなかった私からすれば正しく降って湧いた助けだ。感謝する」

「そこまで言われるとは思わなかったけどね」

 

 肩を竦めるマギーに、私は反応に困ってひとまず笑みを返す。ともかく、これでエリス神の精神面に起因する問題はほぼ解決したと言っていいはずだ。ならば、私も彼女に対処している間に積み重なっていた事の処理を始めるべきだろう。

 私は未だに床を転がり続けるエリス神を両手で抑えつけて止めると、顔を覆ってぐすぐすと鼻を(すす)る彼女に対して少しばかり心配しながら声をかけた。

 

「大丈夫かね、エリス神」

「頭が割れそう……いや割れたかも……」

「大丈夫だ、中身は出ていないよ」

「いやそれ出てたら死にますよね!?」

「それだけ元気なら心配あるまい。私は出かけてくる」

「うぇっ!? ちょ、ちょっと待ってくださいルドウイーク……! あいたた……ダンジョンに行く気ですか!?」

「いや、【ゴブニュ・ファミリア】に。【仕掛け大剣(ギミック・ブレイド)】の整備(メンテナンス)をして貰いにな」

「あ、ああ……なるほど……わかりました……」

「それと、何かダンジョンに潜らずに済む【冒険者依頼(クエスト)】が無いか、ギルドで探してくる。…………しかしエリス神。頭は本当に大丈夫かね? 随分と派手にぶつけたようだが」

「言い方ァ! …………大丈夫ですよ。心配しなくて構いませんので、用事済ませちゃって来てください」

 

 痛みを堪えながらに起き上がって頭をさすりながらも、平気だと宣うエリス神。やせ我慢しながらも気丈に振る舞う彼女の姿を見てひとまず安心した私は、彼女の事をマギーに任せて足早に自らの本拠(ホーム)を後にした。

 

 

 

<◎>

 

 

 

 薄暗く、それでいて広大な室内。所々に備えられた炉からは火の粉が(ほとばし)り、煌々とした赤光を薄闇にもたらす。屈強な肉体を持つ焼けた肌の職人らが行き交うそこで、ルドウイークは久々に一人の鍛冶師(スミス)と言葉を交わしていた。

 

 【仕掛け大剣】――――<ルドウイークの聖剣>の複製品――――が横たえられた机の向かい側に座って彼と会話するのは、火の入った炉を直視するための遮光グラスをかけた男。肌は所々火傷が変じたと思しき硬質化現象を見せており、見ようによっては鱗のようにも見える。そんな特徴的な容姿を持つ彼、【ゴブニュ・ファミリア】に所属する鍛冶師【エド】は、何処か不満気にルドウイークに話しかけた。

 

「――――俺は、思うんだよな。『武器作ってくれ』とかほざきやがる奴らがアンタみたいに実力と礼儀、それにアイデアを兼ね備えてりゃあいいのになって」

「君がその性格を矯正すればそう思える事はずっと多くなると思うがね」

「ハン、褒めた(そば)からそれか。まぁんな事より、確認したが武器に損傷は殆どねえな、流石俺の武器。ちょいと仕掛けんとこに油挿したくらいでメンテも終わったから、この調子でガンガン使ってくれ」

「了解だ」

 

 ルドウイークは整備と調整を終えた自らの得物を手にとって、調整の具合を確かめた。状態は一目で見て取れるほどに万全で、エドの性格の悪さに反する腕の良さをルドウイークは改めて実感した後、大剣部分と長剣部分を結合させていつものように背に負った。

 

 その様子を、手の空いている幾人かの鍛冶師が興味深そうに見つめていた。気になるのだろう。オラリオでは生まれたばかりのこの武器を使用するにあたって、強度や劣化の経過、使用感や戦歴などを鍛冶師達に報告するようルドウイークは彼らと契約を結んでいる。

 それを元に【仕掛け大剣】の改良――――あるいは新型の【仕掛け武器(ギミック・ウェポン)】発明へと繋げるのが彼らの狙いだ。

 

 ルドウイークにそのあたりの職人らの考え方と言うのは理解できなかったが、情報と引き換えに自身には手の負えぬ部分まで丁寧に整備してくれるのであれば受け入れない理由はない。

 ヤーナムの狩人であった当時は自身で整備を行っていた事もあったが、やはり本職の方が腕がいい。当然の事だ。

 

 ヤーナムでも狩人が獣を狩り、工房がその為の武器を用意する図式は変わらなかったなとルドウイークは懐かしむ。オラリオでは冒険者がダンジョンに潜り、鍛冶師が武器を鍛えるのも同じような物だろう。

 

 だが何物にも、例外と言う物はあるようで。

 

「おお、そちらは【仕掛け大剣】のルド殿! 久しいな!」

 

 片手を上げ朗らかに火事場の真ん中を突っ切ってくる、火に焼けた肌をした隻眼の女性鍛冶師。彼女こそは鍛冶師でありながら冒険者としてもレベル5に相応しい実力を持つ現在のオラリオ最高の鍛冶師であり、【ゴブニュ】を上回る規模の鍛冶ファミリア【ヘファイストス・ファミリア】の団長、【椿・コルブランド】。

 

「どうも、コルブランド殿。お久しぶりです」

 

 ルドウイークはオラリオにさえごく僅かである【最上位鍛冶師(マスタースミス)】であり、同時に冒険者としても数多の功績を上げて来た彼女に対して敬意を持って頭を下げた。一方で、彼と先程まで向かい合っていたエドは憎悪に顔を歪め、これでもかと苛立ちを込めた視線を椿へとぶつけている。

 

「おいテメェ、何ここは自分の工房ですみてぇな顔してやがんだ? また勝手にウチの敷居跨いでんじゃねえよ【超硬金属(アダマンタイト)】の角に頭ぶつけて死ね」

「ん? ああエド公か。相変わらずコボルトのように吠え散らしているな。元気そうで何より」

「誰のせいだと思ってやがんだこのアマ。テメェこそ……アー…………」

「良い例えが思いつかないか?」

「うるっせぇ!」

 

 噛み付いてきたエドを容易くあしらった椿は、申し訳なさそうにルドウイークに複雑な笑顔を向ける。

 

「ああすまんルド殿。奴は見た目通り性格がねじ曲がっていてな。もし耐えきれなくなったらウチに仕掛け大剣を持ち込んでくれ。歓迎する」

「ええ、彼の性格は既に思い知っておりますが…………覚えておきます」

「覚えんじゃねぇよ!」

 

 二人の会話を聞いてがなり立てるエドを尻目に、椿は工房内を目を皿にして見回した。そして、腕を組んでエドに尋ねる。

 

「ところでエド公、【アンドレイ】殿はどうした? 不在か?」

「うるせぇ話しかけんな頼むから死んでくれ」

「なるほど。まぁアンドレイ殿は良く外出するからな……ならば【リッケルト】か【マックダフ】殿は? 彼らの事ならば知っているだろう」

「はぁ? 俺が何でお前に教えてやらなきゃなんねぇんだよこのグギャッ!?」

 

 尋ねる椿に対してエドが汚い言葉を口にしようとしたその時、その側頭部にどこからともなく飛んできた金槌が直撃した。出てはいけないような音を喉から発して崩れ落ちるエド。ルドウイークは慌てて彼の横へとしゃがみこんで側頭部の傷を確認する。

 

「おいエド!? ……意外と傷は浅いな」

「浅いからって痛みは本物だぞこの野郎……!」

 

 拍子抜けするルドウイークに倒れ伏したまま呻きを上げたエド。その一方で、エドの頭を直撃した金槌を拾い上げた椿は驚いたような声で捲し立てる。

 

「この小振りながら確かな重量感があり更に類を見ない程に使い込まれたミスリル製の金槌は……アンドレイ殿!?」

 

 叫ぶ彼女は何かに気づいたようにばっと振り返った。その視線の先には、工房の入口に立つ一人の鍛冶師。乱雑に伸ばされた白い頭髪と髯を持ち、上半身には何も身に付けずこれ以上無く鍛え抜かれた筋骨隆々の肉体と炉の火に長く焼かれ続けた赤銅色の肌を惜しげなく人前に晒している。

 

 彼こそがアンドレイ。【薪の鍛冶(シンダー・スミス)】の異名を取り、かつてはオラリオ最高の鍛冶師の名を欲しいままにしていたゴブニュ・ファミリアの現団長。彼は堂々とした歩みで工房へと踏み込むと、呆れたような顔で未だに倒れ伏すエドに視線を向けた。

 

「ロクに仕事もしねぇで只飯喰らってばっかの穀潰しがよく聞きやがれ。客に対してその態度を取るのはちといただけねぇな」

「いや今まさにしてただろうが仕事を! つか客? 客だと? こいつが?」

 

 ようやく起き上がったエドはアンドレイの言に反論しつつ、傍観する椿を不躾(ぶしつけ)に指差して苛立たし気に尋ねた。アンドレイはそれに不思議そうに首を傾げる。

 

「なんだ、【コードウェル】から聞いてねぇのか? てっきり話行ってるもんだと思ってたが」

「俺シーラの事避けてるから。金金うるせえし」

「お前が稼がねぇからだろ……」

「いや絶対違ぇよ。ギルド職員時代からアイツのがめつさは天下一だぞ」

「お陰様で金勘定任せられるから助かってるけどな」

 

 ハハハ、と笑うアンドレイ。一方のエドは彼を睨みつけて席に戻り、八つ当たりするように近くの酒瓶を掴み取って一気に煽った。それを見ていた椿はどこか楽し気に小さく笑うと、姿勢を正してアンドレイの元へと歩み寄り、深々と頭を下げた。

 

「アンドレイ殿、お久しぶりです。本日は貴重な時間を手前の為に割いて頂き、ご厚情痛み入ります」

「おう、久しぶりだな。【怪物祭(モンスターフィリア)】ん時以来か。あん時は新武器の発表会が延期になっちまって悪かったな、折角来てくれたのによ」

「いえ。アンドレイ殿に落ち度はありますまい。全ては事件を画策(かくさく)した者に責があるかと」

「そう言ってくれると助かるぜ。で、用ってなんだ?」

 

 挨拶もそこそこに、アンドレイは本日客として椿がここに訪れた目的について問いかける。対する椿は彼の前に片膝を着き、自らの事情を(つまび)らかにし始めた。

 

「はい。今現在手前は【ロキ・ファミリア】から八日後の遠征に備え、【不壊属性(デュランダル)】を有する武器の『連作』を依頼されておりまして……それに、アンドレイ殿の助力を仰ぎたく参上した次第です」

「ほう」

 

 椿の言葉に、アンドレイは興味深そうな顔をした。ルドウイークも彼女の話に聞き耳を立て、それは随分な大業(たいぎょう)だと思案に耽る。

 

 【不壊属性(デュランダル)】と呼ばれるそれは【最硬精製金属(オリハルコン)】を素材とした【特殊武装(スペリオルズ)】の一種で、読んで字の如く事実上破壊不可能とされる特別な武器である。同時にこのオラリオに存在する武装の中でも特別途方もない価格となるものの一つだ。

 そもそも【最硬金属(アダマンタイト)】などを初めとした幾種もの希少金属を素材とするオリハルコン自体の価格がとんでもない物の上、加工が出来る鍛冶師の数自体がごく少数の為に工賃や手間賃も破格。その連作ともなれば正に経済が動くと言っても過言ではない。

 

 それを必要とするほどの事情が、【ロキ・ファミリア】にはあるのだろう。ルドウイークは結論付けて、目の前のオラリオ最高の鍛冶師である二人の会話を注視した。しばらくすると腕を組んでいたアンドレイはどこか楽しげに笑って、頭を垂れる椿に今回の頼みを快諾する旨を伝えようとする。

 

「まぁ、いいぜ。他でも無いお前の頼みだ、材料を持ってきな。俺とお前で手分けしてやれれば、長くとも一週間で――――」

「いえ。アンドレイ殿にお力添えいただきたいと言うのは、『分担』の話ではありません。【不壊属性】の付与と引き換えに、どうしても攻撃力が第二等級品並まで落ちてしまう【最硬精製金属(オリハルコン)】製の武器……それを攻撃力の低下を抑えながら制作する技術について、練磨を受けたいと考えたのです」

「…………ほう?」

 

 アンドレイの認識を訂正した椿の言葉に彼は先ほどと同じ、しかし決定的に異なるニュアンスを持った言葉で疑問を示した。いつの間にか、彼は周囲の鍛冶師が思わず手を止めるほどの重圧を放っており、それはルドウイークの体にもビリビリと伝わっている。隣のエドなど、何かトラウマでもあったのか机に突っ伏して痙攣(けいれん)している有様だ。それに一瞥(いちべつ)もくれる事無く、巨人の如き威圧感を纏いながらアンドレイは椿を睨みつける。

 

「椿、お前ずいぶん大きく出たな……俺を『踏み台』に使おうって? 言うじゃあねえか。すると、あくまで武器を打つ事自体はお前がやるって話かよ?」

「はい。一時は【ヘファイストス】の鍛冶師達の手を借りる事も考えましたが……私の一存で彼らの研鑽の邪魔をするのは余りにも横暴が過ぎるかと考えまして。いろいろと検討しましたが、品質と納期の両立を行うに当たっては貴方の知恵をお借りするのが最高の選択肢だと判断しました」

「……………………」

 

 アンドレイの放つ威圧感に、しかし椿は僅かな動揺も見せずに真っ直ぐな視線を向けながらに答えた。それを見下ろして、冷ややかに沈黙するアンドレイ。工房中の鍛冶師達が固唾を飲んで見守る中で二人は永延にも思える数秒間の睨みあいを続けていたが……その内、我慢しきれぬと言った具合にアンドレイが笑い声を漏らした。

 

「……くふっ、くっくっく…………いいぜ。【ゴブニュ】の旦那に許可取ってくる」

「ありがたく存じます」

 

 あくまで敬意を持って答える椿に背を向け、アンドレイは工房の隅にある神ゴブニュの居室へと足を向けた。しかし、その背に先程まで瀕死の(てい)であったエドがいつのまにやら立ち上がり自身のファミリアの団長へと詰め寄って肩を掴む。

 

「待てよアンドレイ! お前、幾らなんでも軽々しく話を請けすぎじゃあねぇか!? もう少し自分の技術の価値ってモンを理解しろよ!!」

「おいおいエド、お前こそ何言ってやがる。この迷宮都市(オラリオ)最高の鍛冶師が俺の腕を借りたがってるんだ、ここで行かなきゃ自分何で鍛冶師やってんだ、って話になるだろ?」

「いやならねぇだろ、絶対アンタが楽しんでるだけだろうが!」

「分かってるならいちいち聞くなよお前は。俺は行くぜ」

 

 アンドレイは肩を掴むエドの手を素気無く振り払って、ゴブニュ神の部屋へと消えて行った。その背を歯ぎしりして睨みつけるエドを、未だに片膝をついたままの椿が神妙な顔で眺めている。ルドウイークは一連の会話を聞いて、しばらく思案を続けていたが…………ふと何かに気づいたように顔を上げると、何かに八つ当たりするべく周囲に目をやっていたエドに近づいて声をかけた。

 

「エド。ロキ・ファミリアがそれ程の武器を必要とするとは、何かあるのか?」

「あぁ? ……ちッ、大方『遠征』の【強制任務(ミッション)】じゃねぇか? 奴ら、前回は途中で逃げ帰ってきてるしそのせいで早まったんだろ………………つか、それにしてもリッケルトを初めとしてオラリオ中の鍛冶に【魔剣】を大量注文しただけじゃなく【ヘファイストス】の団長に【不壊属性】の武器を連作で注文たぁ、流石金のある大ファミリア様は違うぜ。マジで死んでくれねぇかな」

「そうか…………確か、遠征は八日後と言っていたか」

「あー、そんな事言ってたか? ま、俺には全員くたばれ以外の感想はねぇけど」

 

 眉間に皺を寄せ、不機嫌極まりない顔で毒づくエド。対してそれを無視したルドウイークは、顎に手をやって深い思案をしながらに呟いた。

 

「――――ならば、今こそいい機会かもしれんな」

「あぁ?」

「こっちの話だ……では、用事も済んだ事だし私はそろそろお暇させてもらうよ」

「さっさと失せやがれ。俺はそこの鍛冶狂い(キチ)女に思い知らせてやらなきゃいけねぇ…………ああ、また来週にでも剣持って来いよ」

「分かった、よろしく頼む。ではな」

「おう。…………オイこらコルブランド! テメェ何工房の真ん中でしゃがみこんでやがんだ!? 用が済んだらとっとと失せろよ! 放り出してやろうか!?」

「用は済んでないし……放り出そうというなら相手になるぞ?」

「あぁ!? …………チッ、平和的に行こうぜ。お前はさっさと消え失せる。俺は気分が良くなる。それでいいだ……おい待てやめろ近づくな触るな腕を回すなあ痛だだだだ!!!!」

 

 妙案を携えたルドウイークは早々に工房を後にしようと入口へと向かう。そして、エドがまた椿に無謀な喧嘩を売って関節技を極められる悲鳴に一度振り返った後、彼女に対する鍛冶師達の快哉の声を背にしながら【ゴブニュ・ファミリア】の本拠(ホーム)から外へと踏み出した。

 

 次はギルドだな。ルドウイークは一人ごちて、背にした<ルドウイークの聖剣>の重みを確かめるように様に一歩ずつ歩みを進める。

 ようやくエリス神も立ち直り、武器の整備も終えた。準備は整ったと言っていい。後は彼女が許可を出してくれさえすればダンジョンにも潜れる。

 

 …………それに、ロキ・ファミリアの遠征についての情報も偶然手に入れる事が出来た。彼女に伝えれば、【ロキ】神との面会の日程も明確に決まるだろう。

 正直、この期に及んで彼女との対談を如何に切り抜けるかなど思いついてさえもいないが……そもそも、そういう頭を使う戦いは私には無理な話なのだ。下手をすればリヴィラの時のように悪目立ちするのが関の山だ。エリス神に、良き知恵を借りるのが一番だろう。

 

 既に自身が政治的な駆け引きにとことん向いていないのだと開き直ったルドウイークは、そこでふと立ち止まって流れる雲を見上げると、その異様な流れの速さを自身を待ち受ける波乱の予兆のように感じ取って、一度大きな溜息を吐くのだった。

 

 

 

<◎>

 

 

 

 翌日、朝。まだ夜明けを迎えているとは言い難いオラリオの街を、ルドウイークは困惑したままに歩く。

 

 ――――何故こうなった? ルドウイークはその問いを、昨日ギルドの門を出てから今まで幾度と無く繰り返していた。

 

 事の始まりは、ゴブニュ・ファミリアを後にしたルドウイークが向かったギルドでの一騒動だ。ギルド本部へと足を踏み入れると同時に入り口に向かって駆ける【ベル・クラネル】と鉢合わせたルドウイークは、彼の背に向けて叫ぶギルド職員【エイナ・チュール】の声を聞いてベルの前に立ちふさがった。

 そして、ルドウイークによって足止めを食らったベルの背に全速力で突っ込んできた【剣姫】――――【アイズ・ヴァレンシュタイン】によって、揃ってギルド本部から外へと転がり出る羽目になったのだ。

 

 そして、二人の少年少女のやり取り――――【剣姫】によるベルへのプロテクターの返却などの様子を親の如き暖かい視線で見つめていた彼は、しばらくして自身がギルドに来た本来の目的を思い出しその場を後にしようとした。

 

 だが、【剣姫】による鍛錬の申し出に混乱したベルは、彼女による『戦い方を教えてくれる人が居ないのか』という問いに、咄嗟にその場に居たルドウイークを指差していた。

 

 確かに、ルドウイークはベルの初探索に同行し、訓練の相手にもなった事もある。だがそれもベルが本当の意味で駆け出しだったごく初期の話であり――――と言っても一般的に言えばベルはまだまだ駆け出しの新人もいい所であるはずの時期であったが――――昨今の【怪物祭】の騒動や【リヴィラ】での動乱によってその事は頭の隅へと追いやられていたため、自身の名を挙げられたのはルドウイークにとって予想外もいい所の話であった。

 

 更に、リヴィラにおいてロキ・ファミリアの面々と僅かながらとは言え共同戦線を張り、特に彼と近しい場所で戦っていた【ティオナ・ヒリュテ】から【剣姫】へとルドウイークについての話が伝わっていた事、そもそもミノタウロスの上層進出事件の際に顔を合わせていた為に彼女自身ルドウイークの事を覚えていた事なども重なったか、【剣姫】は少し納得いかないような怜悧な双眸をルドウイークへと向ける。

 

 それに彼が困惑している内に、少年少女の会話はこんがらがりながらも進んでゆき、最後はベルが申し訳なさを感じさせるような声色で【剣姫】へと頭を下げ、彼女からの鍛錬の申し出を受けたのだ――――ルドウイークを巻き添えにして。

 

『いやだって僕なんかがいきなりヴァレンシュタインさんと二人きりなんて無理です!! お願いだから付き合ってください!!!』と懇願するベル。そして『大人の方が居てくれると安心なので、私からもお願いします』と頭を下げるエイナ。

 二人に挟まれたルドウイークは結局断り切ることも出来ずに、諦めきったように首を縦に振ったのだ。その時の彼の姿は【ロキ】が見れば『あの主神にしてこの眷属あり、ってとこやな!』と大笑いしていた事だろう。

 

 その後、明日朝からの訓練に付き合う事となったルドウイークは夕方前には帰宅し、ロキ・ファミリア及び【ヘスティア・ファミリア】の眷属とまた関わる事になってしまった事を自主的に正座しながらエリスへと伝えた。彼は、折角機嫌を直したエリスがこのことを聞いて激怒し、また自堕落な生活に戻ってしまうのではないかと心底危惧していた。

 

 だが彼の懸念に反し、エリスは『別に構いませんよ』とあっさり言うと、真剣な顔で何やら思案を始めてルドウイークを困惑させた。

 

 実はルドウイークがゴブニュ・ファミリアへと向かった後ロキ・ファミリアの遠征についてマギーから聞き及んでいたエリスは、むしろこのタイミングで【剣姫】とルドウイークの間に繋がりが出来るのならばロキとの対談の際にそれを利用できると判断したのだ。

 ルドウイークが懸念した通り、【ヘスティア】に塩を送るような行為は彼女の本意では無く、本音としては認めがたかったが……それよりも【剣姫】を通じてロキとの対話を有利な形に持っていけるのであれば、有り余るほどのリターンがあるとエリスは判断していた。

 

 故に、彼女はルドウイークに対して遠征が始まるまでは彼女らの鍛錬に付き合うように命じたのだ。そしてまったくエリスの意図が読めず困惑するルドウイークに、自身の考えとこの間にロキとの日程調整を済ませるとの案を伝え、明日早朝の鍛錬にいきなり遅れたりなんて事が無いようにと彼に厳命した。

 

 その様に主神が命じたのであればルドウイークに断る理由は無い。彼は心中に困惑を残しながらも、こうして【剣姫】によるベルの訓練に付き合うために市壁の上へと続く階段を昇っている。

 

 

 

 途中、踊り場で絵を描く髪の長い少女とそれを見守る赤い外套の老人の脇をすり抜けて、ルドウイークは市壁の上へと続く階段を昇り切った。市壁の上に辿り着いた彼は背に負った【回復薬(ポーション)】の詰まった背嚢をその場に下ろす。

 

 まだ、彼以外に人の姿は無い。エリスの『遅れないように』との指示をしくじらぬために早めに本拠を出たルドウイークであったが、それにしても少々早かったようだ。彼はまだ夜明けには早い暗色の空を何となく見つめて、時間を潰し始めた。

 

 

 

 しばらくして、僅かに空が白み始めた頃。気配を感じたルドウイークがそちらに振り向けば、女神の如き美しさを湛えた少女が丁度市壁の上へと現れた所だった。

 

 【剣姫】の二つ名を持つオラリオで最も有名な冒険者の一人、【ロキ・ファミリア】の【アイズ・ヴァレンシュタイン】。まだ十代半ば過ぎの年齢でありながら数多の偉業を成し遂げたその実力は正しく神の寵愛を受けているとも囁かれるに相応しい物で、現在のオラリオにおけるレベル1から2への最速到達記録保持者(レコードホルダー)でもある、とルドウイークは記憶している。

 そんな彼女とこうして訓練を共にさせて貰えるなど、普通の冒険者であれば願っても無い話だろう。

 

 だがルドウイークは普通の冒険者ではない。古都<ヤーナム>より来たりし正真正銘の異邦人。【神の恩恵(ファルナ)】も持たず、それを知られまいと元来持ち合わせた<狩人>としての実力で周囲を欺いてきた彼としては、周囲の懇願と主神の命じが生み出したこの状況に対して暗澹(あんたん)とした気持ちを持たずには居られなかった。

 

「どうも、ヴァレンシュタイン殿」

「…………どうも」

 

 心中の憂いを表に出さず、ルドウイークは【剣姫】に向けて<簡易拝謁>の礼を取った。年齢はルドウイークの方が上であろうが、冒険者としての経験も実績も彼女の方が遥かに上だ。そして何よりも彼女は今後顔を合わせるであろうロキのお気に入りである為、エリスにも失礼が無いように仰せつかっている。故に彼は自身の知る中でも特に格式ばった礼を見せた。

 

 対して、彼女はルドウイークの礼に眉一つ動かさず、その場で立ち止まってぺこりと頭を下げる。彼女の動きは少々ぎこちない。何となくではあるが……対応に困っているような印象をルドウイークは受けた。

 それは良くない。出来るだけ友好的な関係を築いてほしい、と言うのがエリスの希望だ。ならばと、どうにか彼女の態度を軟化させるべく適当な世間話をルドウイークは切り出した。

 

「流石に、この時間はまだ肌寒いですな」

「……そうですね」

「…………」

「…………」

 

 ――――――話が続かん。

 

 【剣姫】が物静かなタイプなのか自身の話題の切り出し方が不味かったか彼には判断が付かなかったが、こんな事ならば女性との話し方くらい<加速>に習っておくべきだったとルドウイークは内心頭を抱えた。

 そもそも彼がヤーナムやオラリオで築いてきた交友関係には女性があまり居ない。現在オラリオで日常的に会話する機会がある女性などエリスのみであるし、他に話す女性と言えばニールセン、マギーくらいのもの。ゼロでは無いが、それでも片手の数に収まる程度だ。

 

 少女の対応が素っ気なかったのもあるが、ルドウイークの持つ話の種が元々乏しいというのもある。かつては、ただただ獣を葬送するばかりの生涯を送った男だ。そのような男に女性と対する甲斐性を求めるのは苦と言う物だろう。

 

 それでも、腕を組み口を堅く結んでルドウイークは悩んだ。どうにかならぬものか。一方で、きょろきょろと周囲に首を巡らせていた【剣姫】はしばらくして諦めたように周囲を伺うのを止めると、ルドウイークを見据えてぼそりと口を開いた。

 

「…………彼は、まだ来てないですか?」

「……ああ、クラネル少年であれば、まだ。少し早すぎたかもしれませんね」

「……そうですか」

 

 そこでまた、会話が途切れる。ルドウイークはこのオラリオで得た経験を糧に、必死に頭を回した。今何と口にすべきだ? 朝何を食べたか……いや、この時間であれば流石に真っ当な食事は口にしていまい。ならば天気は……先ほど寒いという話をしてしまったな。であれば遠征の事は……事情を探ろうとしていると取られかねん。ならばどうするか――――

 

「あの」

 

 ルドウイークの出口無き思索は、横合いからかけられた声によって遮られた。何処か訝しむような瞳をした【剣姫】が彼に視線を向けている。

 

「ルドウイークさん、でしたよね?」

「あー……ルドウイークで構いませんよ、ヴァレンシュタイン殿。貴女の方が冒険者としては先達ですし、何より私は学ぶ側です。そう畏まらずとも構いません」

「……私にも、そんな丁寧にしなくていいですよ。アイズって呼んで下さい。(みんな)もそう呼びますから」

「………………」

「………………」

 

 互いに視線を交わしての、しばらくの沈黙の後。ルドウイークはそれに耐えきれなくなって小さく溜息を吐いた。そして、何処か申し訳そうな笑みを浮かべる。

 

「…………いや、すまないアイズ殿。貴女とクラネル少年の訓練に割り込むつもりは無かった。チュール殿に頭を下げられた手前、顔を出さないわけにもいかなかったが…………私の事は、居ないものと思って貰って構わない」

「別に構わない……です」

「そうか」

 

 少し目を伏せて言う【剣姫】の委縮したような口調に、ルドウイークは苦笑いを浮かべて答えた。どうやら、思ったよりも気難しい訳では無いらしい。彼は少し安心して、次にどうしても聞きたかった問いを彼女へと投げかけた。

 

「しかし、何故クラネル少年に訓練など? 遠征も控え、貴女も暇ではありますまいに」

「…………この前戦った人に、ちょっと言われて」

 

 ルドウイークの問いに、アイズは嫌な事を思い出すように眉間に皺を寄せながら答えた。

 

「『強くなりたいなら、もっと余計な事をしてみるといい。年の近い異性の友達一人くらい作ってみたらどうだ』…………って」

「ふむ……【ロキ・ファミリア】には女性が多いと私も耳にした。同世代の異性は居ないので?」

「居なかったと思う……」

「成程」

 

 納得したような顔で頷きながら、ルドウイークは更に違和感を強くしていた。

 

 本来であれば、最上位ファミリアの幹部である彼女がクラネル少年のような一般の冒険者に(かかずら)っている暇など無かったはずだ。時期と立場の両方がそんな事を許すまい。もしかしたら、この様な都市の隅にやってきているのも、身内からの眼を誤魔化すためなのかもしれぬ。

 

 しかし異性の友人作りとは……俄かには信じ難い。どう見ても彼女は自分から異性に話しかけるタイプには見えない。

 あの高名さだ。もし己から異性にアプローチをかけるような性格であれば、今までにも男女の噂がいくらかあっても良かっただろう。だがエリス神が教えてくれた限りではそう言う話は無かった。

 

 まぁ、恐らくは本来の目的を隠すための方便だろう。近日中に私とロキ神が対話する手はずになっているのを、彼女が知らないとは考えにくい。情報をできるだけ隠そうとするのも当然の事だ。

 

 ……ただもしそれが事実ならば、これは彼女自身にとって一種の挑戦であるはずだ。それであれば今ここに私が居るという状況は彼女からして見れば邪魔になってしまっているのではないか?

 

 そうして無駄な思いやりを発揮し、思考の迷路に嵌ったルドウイークが自身がこの場に居る現状に対して本格的に頭を痛め始めた頃。必死に階段を駆け上がる足音が聞こえて、息を切らせたベルが市壁の上へと姿を現した。

 

「お、おはようございますヴァレンシュタインさん、ルドウイークさん! 遅くなりました!!」

「おはよう。少し早く来すぎちゃったのは私だし、気にしないで。それに…………ルドウイークさんは、もっと早く来てたから」

「そうなんですか!?」

 

 まだ薄暗い時間だと言うに、それを思わせない程の快活さで挨拶をしたベルはアイズに言われて、ルドウイークへと驚きの視線を向ける。その眼に明らかな申し訳なさを見て取ったルドウイークは素早く笑顔を浮かべて肩を竦めた。

 

「おはよう、ベル。【剣姫】の鍛錬が見れるとあって、年甲斐も無く眠れなくてね……では、私は脇に退いておこう。回復薬はあるから、安心して初めてくれ」

「そんな! 無理矢理巻き込んだみたいなものなのに、回復薬まで用意してくれたんですか!?」

「私ではなく、アイズ殿に頼まれたんだ。元手を出したのは彼女だよ」

「ヴァレンシュタインさんが!? あ、ありがとうございます!!」

「……気にしないで」

 

 ベルに思いっきり頭を下げられたアイズは、相変わらずの仏頂面で答えた。しかし咄嗟(とっさ)に視線を逸らして僅かに眉を(しか)めるのをルドウイークの位置からは見る事が出来た。

 彼女にも複雑な事情があるのだろう。いろいろ考えたが結局、そうルドウイークは結論付けて市壁の端にどっかと腰を下ろした。その視線の先で、少年は困惑に苛まれつつも少女の眼を見てから、また頭を下げる。

 

「そ、それじゃあよろしくお願いします、ヴァレンシュタインさん! ま、まずは何から……」

「……アイズ」

「へっ?」

「アイズでいいよ。皆もそう呼ぶから」

 

 

 

<◎>

 

 

 

 しばらくして始まった少女による少年への稽古は、それはそれは過酷な物だった。

 

 最初は素振りから始めようとしたアイズはどうにもしっくり来なかったか、ベルを一度吹っ飛ばして気絶させてしまった後すぐに実戦形式の訓練へと手法を変更した。

 どうやら、彼女は口で教えるのはそれほど得意としているようではないようだと言うのはルドウイークにもすぐ理解できた。元々口下手なのかもしれない。彼は僅かに彼女に親近感を抱いた。

 

 それからと言うものの、彼女にベルが無謀にも挑み、返り討ちにされて市壁の上を転がるという光景が幾度と無く繰り返された。無理も無い。アイズの動きは手加減しているとはいえレベル1のベルに捉えられるような物では決してなく、これでは【耐久】アビリティの成長くらいしか期待できないのではないかとルドウイークも懸念する程の一方的な展開だ。

 

 しかしこれは彼と彼女の訓練であり、自身は傍観者に過ぎない。ルドウイークはあくまでそう自身に言い聞かせて、あくまでも見物とベルがダウンした際に回復薬を与えるという役目に徹した。幾度も幾度も瓶の蓋を抜いて倒れたベルに飲ませたり、気絶している時は顔にぶちまけて目覚まし代わりにするなど、割と忙しい。

 

 アイズのポケットマネーから捻出された金で用意したポーションは中々の上物で、気絶していたベルもすぐに起き上がって再び稽古の場に戻ってゆく。そしてまたすぐに転がされて戻ってくる。その繰り返しだ。

 

 今もまたがむしゃらに突っ込んで容易く頭蓋に剣の鞘による一撃を貰っている。それを眺めながらに、ルドウイークは彼と彼女の会話には耳を傾けぬように努めた。流石に、そこまで踏み込むのは自身の役割を越えている。しかし彼と彼女――――特にアイズの動きには、ルドウイークは眼を見張っていた。

 

 金糸の如く流れる髪、神々の眼すら釘づけにする美貌、天性の剣の冴えと流麗極まりない体捌き。それは嘗て狩りを共にした女狩人、<マリア>を思い出させるには十分過ぎた。ルドウイークは郷愁の念と嘗ての黄金のように輝く日々の思い出に苛まれ、思わず悲し気に微笑む。

 

 あれはいつだったか。<ゲールマン>翁に認められた彼女が、修行の一区切りとして彼と一騎打ちをした日の事だ。私と<加速>、<烏>や<ローレンス>殿までが見守る中で繰り広げられたあの戦いの事は、今でも鮮明に覚えている。

 

 それを経て一人前と認められた彼女は、実際に素晴らしい狩人としてヤーナムの夜に身を投じ続けた。共に【大物狩り】に挑んだ事も一度や二度では無い。当時のルドウイークは彼女が友であるならば、いつかかの古都に自身等が求める意味での夜明けを齎す事が出来るのだと信じて止まなかった。

 

 

 だがそれ故に、何故彼女と悪夢の中で対峙する事になったか、今でも良くわからない。

 

 

 そこでルドウイークは首を横に振って自身の内から意識を浮上させると、短刀を突き出したベルの横に回り込んでその足を強かに剣の鞘で打ち付けたアイズへと意識を向けた。

 

 ――――彼女とも、いつか戦う事になるのだろうか。悪夢でマリアとそうなったように。

 

 しかし、足を打たれ転がり苦悶するベルに手を差し出して引っ張り上げる彼女の姿に、ルドウイークはそんな嫌な未来を脳裏から追い出して溜息を吐いた。

 もしそうなれば、エリス神に迷惑をかける事になるだろう。そのようにならぬために私はここに居て、彼女も頑張ってくれているのではないか。

 

 ルドウイークは気を取り直して、背嚢から新たな回復薬を一つ取り出した。それと同時にベルがアイズの連続攻撃を受けて大ダメージを負い、最後の横一閃で吹っ飛ばされてルドウイークの眼と鼻の先に転がってくる。

 

 目を回した彼は完全に気絶してしまっており、駆け寄ってきたアイズも申し訳なさげな表情で彼を見下ろした。ルドウイークは手にした回復薬の瓶の栓を引っこ抜くと、目覚ましの水の代わりにそれをベルの顔へと思いっきりぶちまける。

 

 その衝撃に飛び起きたベルに笑いながら、ルドウイークは背嚢の中から回復薬を幾つか渡して飲むように促した。その時陽が地平線の彼方より登り、【摩天楼(バベル)】の影が市壁を超えて長く伸びる。アイズはそれを見て訓練の終了を告げ、明日も同様に訓練を行うとだけ言い残し、慌ててその場を去って行った。

 

 一方、残された二人はベルが回復するまでそこに残っていたものの、治癒が済んだと見るやルドウイークも本拠へ戻ろうと腰を上げる。それを見たベルはルドウイークにも稽古をつけてもらいたいと懇願するものの、彼は『今日もダンジョンへと潜るのだろう? 訓練に力を入れすぎて本番がおろそかになるのは、それこそ本末転倒だ』とベルを(いさ)め、すぐ戻ってちゃんと休息を取ってから探索に向かう様に忠告してから帰路へと着かせたのだった。

 

 

 

<◎>

 

 

 

 市壁の上で行われた訓練が解散してから数時間後。陽も登りきり、街に人が溢れ始めてからしばらく経った西大通り(メインストリート)から一本入った場所に店を構える、【鴉の止り木】。ルドウイークは翌日に営業再開を控えたその店のテーブルの一つを借り、自らの主神とこそこそと言葉を交わしていた。

 

「…………で、どうだったんですか、ベル君と【剣姫】の訓練は……何かありました……?」

「……いや、特段想定を超えるような事は何も無かった……。強いて言えば、あれだけ滅多打ちにされてクラネル少年の精神がどうにかならないかと言うのが心配だが……」

「うへっ、そうですか…………そうだ。【剣姫】、何か私について聞いてきませんでした……?」

「いや……それも無かった。私は只管に彼女達を眺めていただけだったよ……」

「ふーむ、【剣姫】もやっぱ、一筋縄じゃ行かない相手みたいですねぇ……」

 

 手応えを感じさせぬルドウイークの言にエリスは椅子に深く背中を預けて、唸りながら頭を抱えた。その後ろでは箒で雑に床を撫でていた【黒い鳥】がマギーに腰を蹴られて机に頭から突っ込んだのが見える。

 

「……ところで、エリス神こそ朝早くから出ていた様だが、成果はどうだった?」

「ばっちしです!」

 

 ルドウイークはエリスの背中越しのゴタゴタを意識せぬように堪えて問いかけた。対するエリスは満面の笑みで答える。

 

「明日の午前中に【ロキ・ファミリア】の本拠(ホーム)である【黄昏の館】に入れるよう、話をバシッと付けて来ました! あの道化師気取りとの話し合いは怖いですけど、ま、何とかなるでしょう! 対面は二人きりになると思いますが、一応私の同行も許可させましたしね!」

「それは安心した。流石に<月光>を背負ったまま対面と言うのは無理がある話だからな。エリス神が預かってくれるのであれば心配せずに済む」

「ええ、流石に武器を所持したまま対面とはいかないでしょうからね。その辺は任せてください」

「しかし、明日から【鴉の止り木】も再開のはずだが、皆には伝えてあるのかね?」

「……………………」

 

 ルドウイークの指摘を受けたエリスは、満面の笑みのままに硬直した。その背後にはいつの間にやら冷酷に彼女を見下ろすマギーの姿。マギーはエリスの弁明を今か今かと待っている様で、威圧感を一片も隠そうとしない。対するエリスは油の切れた機械の様にギリギリと首を回して、引きつった笑みをマギーに向けた。

 

「あ、マギー、あの、これは……」

「エリス、その話詳しく聞かせて貰えるかしら?」

「え、えぇ……いやですね、ちょっと明日は用事があるので、お昼の部は休ませてほしいかなーなんて」

「ははは、有罪だろマギー。いくらなんでもその連絡遅れは良くないよな」

「サボり常習犯が何言ってんですかぁ!?」

 

 いつの間か復帰した【黒い鳥】が邪悪な意図を隠さずに笑うとエリスは食って掛かる様に立ち上がった。それをマギーが押さえつけて席に戻すと、けたけたと笑っていた【黒い鳥】の爪先を思いっきり踵で踏み潰してからの足払いで床に転がし、悶えながら転がる【彼】を踏みつけにしてからエリスに対して改めて問いかけた。

 

「……理由は?」

「あ、ええっと、実は明日の午前中に、【ロキ】の所に行く用事が出来まして……」

「それって急な話?」

「ま、まぁ急な話と言うか、実は前から話自体はあったんですけど、明確な日にちは今日決まったって言うか……」

「ふぅん…………」

 

 そこまで聞いたマギーは呆れたかのように溜息を吐く。エリスとルドウイークは、その一挙手一投足を固唾を飲んで見守っていたが……困ったように笑う彼女を見ると揃って安堵したように笑い合った。

 

「ま、明日の昼なんて再開直後だし、客もそんな居ないだろうから構わないわ。聞いた限りじゃ大事な話みたいだしね」

「そうなんですそうなんです! だから大目に見てください!」

「いいわよ。でも次同じ事したら給金減らすけどね」

「ひえっ……」

 

 肩を竦めたマギーがそうエリスに脅しをかけると、彼女は余りの恐怖に身を震わせる。それを見て、マギーは足元の【黒い鳥】を蹴り転がしつつ開店の準備へと戻って行った。

 

「……あの【黒い鳥】もマギーの前では形無しだな」

「ほんっと、あれで【オッタル】の次に強い、って言われてるんですから笑っちゃいますよね」

 

 驚愕したように笑いながら、ルドウイークは呟いた。彼も【黒い鳥】が店内で起きたいざこざを力で収めて来た光景を幾度か見てきたが、その際の姿からは想像もつかぬ事だったのだろう。エリスも呆れて溜息を吐くばかりだ。

 

 そこで、ふと、ルドウイークはずっと気になっていた事を思い出した。いつも聞こう聞こうと思っていたことだが、最近は忙しく口に出せずにいたことだ。今こそ丁度いい機会だろう。ルドウイークは、意を決するようにエリスに尋ねてみる事にした。

 

「……気になっていたんだが、何故【彼】よりも【猛者(おうじゃ)】の方が強いと言うのが通説になっているんだ? 直接対決でもあったのかね?」

「それがあったみたいなんですよ。目撃者は居ないですけど」

 

 エリスは自分で入れたすっかり冷えたコーヒーを一度口にしてから、転がされる黒い鳥を眺めながらに話し始めた。

 

「確か、一年くらい前でしたかねぇ。二人揃ってダンジョンに潜った後、オッタルに担がれて戻ってきたんですよ、死にかけで」

「……興味深いな」

「詳しい事は知りませんけど、それ以降彼は『自分よりオッタルの方が強い』って言うようになったんですよ。(ちまた)じゃ、横槍が入らない階層まで潜って殺し合ったって話になってます」

「…………ずいぶんキナ臭い話だな」

「……やっぱそう思いますよね。でも、嘘ついてるって感じはないんですよ。神々(わたしたち)の間でも随分な話題になったらしくて、オッタルに『どっちが強いのか?』って聞いた(バカ)も居たって話は聞きましたが…………」

「【猛者】は、なんと?」

「確か……『時と場合による』って。それだけ」

「何の答えにもならんな、それは」

「はい。なので、とりあえずは本人の言う事を信じているわけです。嘘も吐いて無いですしね」

「ふうむ……」

 

 エリスを初めとして、嘘の通じぬ神々の間でそう言った認識がされているならば信憑性はあるのだろう。しかし…………。ルドウイークはちらと、既にマギーも去り床に置いて行かれてピクリとも動かぬ【黒い鳥】に目を向け、難しい顔をして唸る。

 

 【鴉の止り木】で戦う際の彼はあくまで鎮圧に終始していた。本気を出しているとは到底思えぬ。やはり、実際にダンジョンで戦う所を見なければ分からないのだろうな……。この都市における最強の一角を、出来ればこの目で視て知っておくのは後々の役に立つと思っていたのだが。

 

「ま、そんな事よりも目の前の【ロキ】に集中しましょうか。彼女への応答はある程度考えてあるので、ウチに帰ったらお伝えしますね」

「了解だ」

 

 ルドウイークはエリスの言葉に迷いなく首を縦に振った。そして、考え込むように腕を組んで椅子に背中を預け、天井に視線を向ける。

 

 ついに、明日に迫ったロキ神との会談。出来れば何事も掘り下げられぬのが理想ではあるが、そうはうまく行かないだろう。もし私自身の知識だけで対応しようとすれば、無様にボロを出して情報を搾り取られる事になっていたやも知れぬ。

 少なくとも私が【リヴィラ】で見せた身体能力からレベルの偽装について……そして、あの【怪物祭】で放った<月光>の事について問われるのは間違いない。そのどちらも応対が難しい内容だ。場合によっては<ヤーナム>の事にまで話が発展しかねない。

 

 しかしそれは、私がこれまで絶対にあってはならないとして忌避し続けて来た事でもある。エリス神も、その事については重々承知してくれているはずだ。

 

 ――――やはり、彼女の知恵に賭けるしかないか。ロキと言う百戦錬磨の謀略神に対して私は余りにも無力だ。私が狩りの場において彼女を遥かに上回る様に、知略の場では向こうに絶対的な優位がある。

 悔しいとは思わん。人は愚か神にさえ得手不得手はあるのだから。しかし譲れぬ戦いだ。エリス神が知に長けた神であり、ロキ神と少なからず関係を持っているのなら――――頼る他あるまい。

 

 その他に光明を見出せぬルドウイークは、同時に彼女にどれだけ迷惑をかければ気が済むのかと自虐に顔を顰めた。悲愴とも言える思索を続けるルドウイークの横顔を、心配そうにエリスは見つめている。

 

「エリス、ちょっといい?」

「あ、はい。どうしました?」

 

 その時、厨房から顔を出したマギーに呼ばれて、エリスは彼女の元へと向かって行った。そして、何らかのメモを手渡されて、それに書かれた文面に目を走らせる。

 

「ちょっと買い出しをお願いしていい? これが終わったら今日は帰っていいから」

「はいはい、大丈夫ですよ。えーっと……一人じゃ持ち切れませんね。【彼】をお借りしても?」

「アイツには別の使い道があるからちょっと無理ね。悪いけど、何往復かして貰う事になるかな」

「えーっ……だったら…………」

 

 悩ましげに唇に人差し指を当てたエリスは、ふと首を巡らせてルドウイークの方を振り向いた。そして彼の顔をじっと見て、小さく呟く。

 

「丁度いい……」

「……エリス神? 何か私の顔についているか?」

「いえ。それより、なに座ってるんですかルドウイーク。買い出し行きますよ」

 

 エリスは手提げ袋をマギーから受け取ると、それを持ったままの手でルドウイークを指差した。

 

「……? 私はこの店の店員では無いぞ?」

「なぁに言ってるんですか。主神が店員である以上、それを手伝うのは眷族の義務でしょう!」

「屁理屈では?」

「そんな事言ってないで席を立つ!」

「いや待て。おい、エリス神。押さないでくれ」

「いいから行きますよ……じゃあマギー、すぐ戻ります!」

「気を付けてね」

「はい! 行ってきます!」

 

 乗り気でないことが容易く見て取れるルドウイークを、エリスは無理矢理引っ張って、そのまま店を後にしていった。二人の後姿を眺めていたマギーは思わずくすりと笑い、ようやく起き上がった【黒い鳥】に向けて他では見せないような柔らかい視線を向ける。

 

「……あの二人、本当に仲がいいわよね。他に眷族が居ないっていうのもあるだろうけど」

 

 呟くマギーを前に、【黒い鳥】は腕を組んで姿勢が傾くほどに首を傾げた。

 

「んん……? そうなのか? 俺には良く分からん」

「ばーか。見ればわかるでしょ」

「……マジで良く分からん」

「はぁ。そんなだから【オラリオで一番関わり合いになりたくない冒険者】とか言われるんじゃない? 【ファットマン】も草葉の陰で泣いてるわよ?」

 

 呆れたように肩を竦めるマギー。しかし、そこには【黒い鳥】への確かな信頼が見て取れた。一方で【黒い鳥】はむしろその言葉に疲れた顔をして溜息を吐く。

 

「いや死んでないだろ、つか死ぬタマかよあのジジイが。最近見てねぇけど」

「その内ひょっこり戻ってくるわよ。店を『代理』に任せて、今何やってんだか知らないけどね」

「だな……しかし、アイツも良くやるよな。ガラじゃあ無い癖に」

 

 先程自身が突っ込んで位置のずれた机を直しつつ、【黒い鳥】はこの場に居ない男について揶揄しながら笑った。それを他人事のように聞き流しながら、マギーは厨房の棚の戸を開いて中に収まっている調味料を漁りながらに口を開く。

 

「彼は表を歩ける立場じゃないし、他に行く当てもないんでしょ……それより、エリス達が食材買って戻ってくる前に仕込みやれるようにするわよ。倉庫から調味料と……料理酒持ってきてくれる?」

「あいよ。アイツは待たなくていいのか?」

「別にいいんじゃない? どうせ開店ギリギリまで来ないでしょ」

「そうだな。じゃ、調味料と料理酒な?」

「よろしく」

「了解」

 

 二人は短い確認を終えると、万全の状態で明日の営業再開を迎える為にそれぞれ分かれて下準備を始めるのだった。

 

 

 

<◎>

 

 

 

 同時刻。【ロキ・ファミリア】本拠(ホーム)、【黄昏の館】。

 

 尖塔が並び立つ広大な敷地を遠征に備える為に数多の団員たちが右往左往する中にあって、対照的なまでに物静かな部屋があった。

 北端の塔の一角に位置する、ファミリア団長の執務室。【勇者(ブレイバー)】の二つ名を持つレベル6、【フィン・ディムナ】の座する部屋である。

 

 現在その部屋には部屋の主であるフィンの他に、三つの人影を見る事が出来た。

 

 窓の横の壁に寄り掛かり、腕を組んで目を伏せる【九魔姫(ナイン・ヘル)】こと【リヴェリア・リヨス・アールヴ】。

 口を固く(つぐ)み、武骨な顎を凄まじい鍛錬によって硬くなった指で撫でる【重傑(エルガルム)】、【ガレス・ランドロック】。

 

 そして、一際豪奢な来客用の椅子の上で胡坐をかいて、糸のように細い目を更に細める赤毛の女神――――【ロキ】。彼女は周囲の沈黙を打ち破って、楽しげに口元を歪めた。

 

「に、してもや……エリスん奴、とんだタイミングで仕掛けて来よったなぁ」

「遠征まで残り一週間を切るこのタイミングとはのう。忙しいと言うに」

 

 笑いながら言うロキに対して、ガレスはどこか気だるげに同意を示した。

 

「いや、むしろ僕らが居なくなる前に来てくれてよかったよ。【ティオナ】の見立てじゃ、最低でもレベル4は堅いんだろう? 遠征で人が少ない時に敵になりかねない相手を本拠に入れる訳にも行かないからね」

「そう言う意味では、向こうとしてもここ以外ないタイミングだったのだろう。【神会(デナトゥス)】も目前だしな」

 

 女神とドワーフがどこか気だるげな雰囲気を漂わせるのに対して、小人(パルゥム)とハイエルフの二人は淡々と状況を振り返る様に言った。ロキは、それを聞いて難しそうな顔で唸って見せる。

 

「ゆーたって、相手はエリス。うち程やないけど、天界(うえ)じゃアタマん良さで鳴らした奴や。ホンマに何企んどるんかなぁ」

「流石に、警戒しすぎじゃないのかい? 今の彼女は団員もルドウイーク一人しかいない零細ファミリアの主なんだろう?」

「だからこそや」

 

 ロキは組んでいた足を下ろして顔の前で指を組み、薄目を開いて深刻ぶった声色を部屋に響かせる。

 

「アイツにとって、今の環境は我慢ならんもんのはずや。どうにかしてもう一度返り咲くのを狙っとるのは間違いあらへん」

「お主がそこまで警戒するほどか、あやつは」

「せや。普段はアホでお人好しやけど、何だかんだ【フレイヤ】が今の地位に居るのだってあいつのせいやしな。本気になったら何しでかすか分からへん」

「先日、リヴィラに【黒い鳥】が現れたのも彼女の依頼が関係しているという話を耳に挟んだ。もし神エリスが【彼】を容易に動かせるなら、ファミリア間の戦力差などそうさしたる意味は無いからな」

 

 エリスに対して過剰なまでの警戒を示すロキの評にリヴェリアが自らの抱えていた疑念を口にし、フィンとガレスも難しい顔をして思案し始めた。

 

 【黒い鳥】をすぐさまけしかけられる立場にエリスがあるのならば、ヘタに応対するのは拙い。少なくとも、ロキ・ファミリアの首脳陣で一斉にかからなければ勝ちの目が無い相手である上に、【黒い鳥】が単独で動く保証は無く、【啓くもの】や【不屈】と言った他の最上位冒険者達を従える事さえもある。

 

 しかし、ロキの脳裏に過ぎっている警戒対象は【黒い鳥】とその仲間達では無く、さる一柱の神。そして、エリスに従う得体の知れぬ白装束の大男の姿。

 

「正直…………このタイミングで【黒い鳥】の相手すんのも御免やけど、個神(こじん)的には『ジジイ』とぶつかるんがいっちゃん困るで」

「確かに。そうなれば、それこそどこから何をされるか分かった物ではないからのう」

「それに、あのルド何とかや。何の目的があってエリスんとこに居座っとるんか……どこであんだけの強さを身に付けたんか……あの【クロッゾ】並の魔剣は一体何なんか…………全部まとめてキッチリバッチリハッキリさせてもらおか」

「彼とは【ティオナ】が随分戦いたがっていたけれど、彼女との調整は済んでるのかい?」

「そこはアレや、時間あったら好きにさせたる。話にどんくらいかかるんかのメドも立っとらんけどな」

「賢明だな。あれだけ気合が入っていたんだ、それで戦えないとなったらヘソを曲げるぞ」

「……ティオナには何か仕事を任せて、外に出ててもらおうか? 彼女が相手に悪い印象を与えるって事はあまり考えられないけど」

 

 うーんと腕を組んでフィンは唸る。しかしロキは問題ないと言わんばかりに笑って、よっと一声上げながら椅子から飛び降りて立ち上がり、自らが最も信頼する子供(眷族)達の顔を見回した。

 

「ま、そこまで心配する事はあらへん。うちに任せとき。ルドウィークとやら、舌先三寸で仰山情報絞ったるわ」

「期待してるよ、ロキ」

「おう、やったるでー!」

 

 そう言い切る彼女の言葉に、ファミリアの首脳陣は信頼の表れからか堅かった表情の緊張を緩めて、それぞれの顔を見合わせて笑った。

 一方でロキは窓際へと歩いてゆき、窓の外に広がるオラリオの景色を楽しむように眺めるとにやりと笑い両手を腰に当てて胸を張る。その胸は平坦であった。

 

「さぁてエリス、首洗って待っときや! この名探偵ロキが、そんの企みキッチリ暴いたるかんな~!?」

 

 

 

「…………名探偵って、君、前の下水道調査の時もそんな事言ってなかったかい?」

「それに待っておけなどと言うが、待つのは私達の側だぞ? 待っていろと言うのは完全に向こうのセリフだろう」

「そもそも相手するのはエリスじゃのうてルドウイークじゃろうが。あんまりよそ見しとるとそれこそ足元を(すく)われるぞ?」

「うっさいわ! そんな鋭くツッコミ畳みかけられるとうちかてちょっと『ないーぶ』になってまうやろが!!」

「自分で言っとる内は大丈夫じゃろ」

「違いない」

「そうだね」

「くっ、自分ら…………」

 

 締まらんなぁ。と呟いて、ロキは自分の眷族(子供)たちの容赦無さに溜息を吐きつつ肩を落とすのだった。

 

 

 





次回は恐らく『道化の神、ロキ』戦です。(戦闘になるとは言ってない)
ヤーナムでも医療教会にさんざ政治利用されたルドウイークは、大ファミリアの主神による尋問を耐えきる事が出来るでしょうか……?

今話も読んで下さって、ありがとうございました。

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