月光に導きを求めたのは間違っていたのだろうか   作:いくらう

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楽しんでいただければ幸いです。



23:同盟

 激突。

 

 ルドウイークの初太刀は、あっけなくティオナが盾にした大剣によって防がれた。激しく金属音が響き渡る中で顔を(しか)めるルドウイークに、ティオナは獰猛(どうもう)な笑みと、盾にしていた大剣を力任せに薙ぎ払う事で答える。

 

「そおれぇ!」

 

 ルドウイークはティオナの圧倒的な破壊力に逆らわず跳び下がりながら薙ぎ払いを受け止め、その勢いを利用して更に距離を取って着地。そこに飛びかかったティオナによる意趣返しと言わんばかりの振り下ろしを横に飛び跳ねて回避し更に跳躍して改めて距離を取り、地面を割った己の大剣を引き抜いて構え直すティオナの次の動きを待つ。

 

 その様子をロキやエリス同様の特等席から(なが)めていた幹部陣の中で、ガレスがうらやましそうに声を上げた。

 

「ほう……ルドウイークの奴、酒だけではなくこっちも行ける口じゃったか。是非儂とも手合わせ願いたいもんじゃのう」

「止せガレス。流石に、お前まではしゃぐと下の者に示しがつかん」

 

 それを(たしな)めるように憮然と言うリヴェリア。しかしガレスは彼女に不満げな表情を向けて答える。

 

「儂だけじゃあ無かろうさ! 強い奴と()り合いたくなるのは男の(さが)よ。のうティオネ!」

「私は女です」

「でもアマゾネスじゃろ? だからフィンに惚れたんじゃろうが」

「………………」

 

 ガレスの言葉を受けて、ティオネは滅茶苦茶に嫌そうな顔をしてガレスを睨みつける。しかし、無言でリヴェリアに小突かれた彼はそれもどこ吹く風と言った様子で再び眼下の戦いに視線を戻した。

 

 ルドウイークの斬撃を弾いたティオナが彼の懐に入り込み、軸足を破壊すべく低い蹴りを放つ。だがルドウイークはそれを予期していたかその場で素早く小跳躍。蹴りが足元を通過する瞬間逆にそれを踏み潰すべく足を突き出す。

 だがティオネも体勢をあえて崩す事で蹴りの機動を曲げ、空中でルドウイークの爪先にひっかけるように当てる事で逆に彼の体勢を崩して墜落させるが、彼女自身も崩れた体勢を立て直すべく一旦距離を取ったために仕切り直しとなった。

 

「……凄いですね」

 

 今度声を上げたのは、幹部陣の中に混じって戦いを見下ろすレフィーヤ。彼女は周囲で戦いを見守る皆に比べ一段劣るレベルの持ち主であり、故に眼下で戦うティオナの強さを良く知っている。だからこそ、まだ小手調べの段階だろうとは言え彼女と真っ向から渡り合うルドウイークの動きに目を見張っていた。

 

「ティオナさんと互角にやり合うなんて、ホントに何者なんです、あの人」

「……良い人なのは間違いないけど」

 

 二人の戦いを見下ろしながら、レフィーヤ以上に目を見張るアイズが答えた。

 

 現在【剣姫】と呼ばれ、ついにレベル6の大台に到達した彼女は、元々【戦姫(せんき)】などとあだ名されていたロキ・ファミリアきっての戦闘狂である。怜悧(れいり)な表情のままひたすら怪物たちを(ほふ)り続けるその姿に畏怖を覚えた冒険者は少なくない。

 

 今まで何度となくダンジョンで想像を絶する窮地を渡り歩いて来た経験を持ち、【階層主】であるレベル6相当の【ウダイオス】を単独で倒し【黒い鳥】とも戦った。更には先日正体不明の【怪人】とも刃を交えた彼女の戦闘経験値は同世代であるレフィーヤの比ではない。その彼女が今、刃を交わす二人を見て重苦しく呟いた。

 

「もしもティオナが負けたら――――次は私が行く」

 

 

 

<ー>

 

 

 

『……なぁ、ルドウイーク』

『何かね?』

『いつも思ってたんだが、お前それ邪魔じゃないのか?』

 

 短い<夜>の、狩りからの帰路。<ルドウイークの聖剣>と<月光の聖剣>を背負い、更には自らの名を冠した長銃までもを腰に備えたままのルドウイークに、<(からす)>は呆れたような顔をして言った。

 

『そんなんじゃあ、獣に追っかけられたら逃げきれんぜ。ヤーナムの道は狭い』

『残念だが、君の様に小さい得物で獣を殺せるほどの器用さは私には無くてね』

 

 ルドウイークは<烏>の腰に下げられたままの短銃と、隕鉄製のねじくれた剣に視線を向けて笑う。<烏>は何となしにその仕掛け武器――――<慈悲の刃>を手に取って、歩きながらそれを分離させたり接合させたりを繰り返し始めた。

 

『……俺も(たま)に、お前のその大得物が羨ましくなる時はあるけどな。一撃必殺ってのは良いもんだ』

『誰よりも『致命』の巧い君が言うか? 私にも、ぜひあの技を伝授してもらいたいものだが』

『お勧めしねぇよ。目ん玉抉って脳みそ引きずり出すのは』

『なら何故君はそれを?』

『九割方それで殺せるからな』

 

 ――――目玉を(ついば)むなど、正に烏のようではないか。

 

 肩を(すく)める<烏>にルドウイークは思わず言いかけたが、<烏>と言う男にそう言った(こだわ)りが無い事を良く知っていたが故に口を(つぐ)む。

 『人』を重んじ、人間性を誇示せねばならないはずの狩人にあるまじき様式美への頓着(とんちゃく)の無さ。<烏>がヤーナムの狩人の中で一際異端の者とされる理由には、異国からやってきたと言う出自だけではなくそう言った狩人としての姿勢の違いもが含まれていた。

 

『しかし、やっぱ見ていて重苦しい。<月光>があるんなら、二本も大剣背負う理由はねえんじゃねぇか?』

 

 開帳された<月光>の狩りに(まみ)えた経験を持つ、数少ない者でもある<烏>は言う。確かに光(まと)わぬ<月光>も大剣として凄まじい業物(わざもの)ではあるし、それを用いて戦った経験のあるルドウイークとしても頭ごなしに否定するべきでないと感じさせる合理性のある意見だった。

 

 だが彼は笑って首を横に振る。そして、今し方通り過ぎた家の灯りの付いた窓に目を向けた。

 

『私は既に、狩人達の代表としての立場にある。そんな者が扱う武器だ。出来るだけ、人を感じさせるものがいい』

『だったら<杖>もあるだろ? 人らしさで言えば、向こうの方が上だと思うが』

『少し語弊があった。私が欲するのは、『英雄』らしさだ』

『はぁ?』

『英雄の武器と言えば、剣だろう』

 

 笑いながら言うルドウイークに、<烏>は珍しく困惑したような、あきれ果てたような呆けた顔を見せる。それが面白くて、ルドウイークもまたらしくなく饒舌(じょうぜつ)になって語り始めた。

 

『私は、人々に示したいんだ。この街には、狩人(我ら)が居る。だから、夜に怯えず、夜に迷わず、安心して寝床で(まぶた)を閉じてよいのだと。その狩人の先頭に立つ者があまり血生臭い得物を使っては、皆を怖がらせてしまうからな』

『それで『剣』に拘るのか。呆れたぜ』

 

 烏は不満気に、足元に転がっていた瓶を路地裏へと蹴り転がした。しかしルドウイークは不機嫌さを露わにした彼を見て小さく笑うと、一転して神妙な顔になって(あかつき)に薄ら浮かぶ(おぼろ)な月を見上げた。

 

『――――それに、本来<月光>は秘されるべきものだ。導きの輝きは、常に私達を照らしてくれる訳では無い。故にどれほど暗い夜にも、我々は自らその輝きを模索せねばならんのだ』

『だから普段はそっちの剣使うって? 俺には意味がわからんね』

 

 面倒そうにそっぽを向いて、明けつつある空の赤らみを睨みつけた<烏>はそれきり黙りこくった。ルドウイークも二の句を次ぐことはなく、黙々と帰路を歩み続ける。

 

 しばらくして辿りついた、聖堂街広場前の辻。二人はそこで一度立ち止まると、短い挨拶を交わして別々の方を向き歩き出した。しかしすぐに<烏>が立ち止まり、首をぐるりと巡らせてルドウイークを呼びとめる。

 

『一つ言っておくけどよ、ルドウイーク』

 

 <烏>は面倒そうに、しかし確かにルドウイークを気遣って口を開いた。

 

『いざって時、覚悟もプライドも、優しさだって捨てなきゃならねぇ事はある。その覚悟は最低限決めとけよ。それが、お前の流儀に真っ向から反するとしてもな』

『………………それは、難しいな』

『だよな。お前、そういう奴だし』

 

 ルドウイークの返答を見透かしていたかのように、烏は溜息を吐き、気を紛らわすように首元を引っかきながら何処か捨て鉢に舌打ちした。

 

『チッ…………余計な事言ったな。とりあえず、俺は寝床に戻る。お前は?』

『<教会>で預かっている孤児たちの様子を見にな……いや、その前に返り血を落とさねばならんか』

『本当にガキが好きだな、お前。アレの何がいいのやら』

『そう言うことを言うな。可愛らしい物だぞ? まぁ、確かに獣よりも厄介な生き物だが』

『ハ、笑える……』

 

 それだけ言い残すと、<烏>は鴉羽の狩装束を(ひるがえ)して振り返る事も無く歩き始めた。ルドウイークはその背中に向けて小さく肩を竦めて微笑むと、聖堂街の広場へと足を進め、(そび)える大聖堂に向け歩いてゆく。

 

『…………お前の優しさがいつか、ひどい(あだ)にならきゃいいんだけどな』

 

 <烏>は歩きながらに軽く振り返って、彼に聞こえるか聞こえないか程度の小さな声でぼそりと呟く。しかしルドウイークの鋭敏な聴覚は、既に距離の離れていたはずの彼の小言を自分でも驚くほどに明確に捉えていた。

 

 

 

<◎>

 

 

 

「……チィッ!」

 

 これが、第一級冒険者か!

 

 ティオナの渾身の斬撃を掻い潜るように回避したルドウイークはすぐさまその場から飛び退く。転がりつつもその耳で後方で地面が砕かれた破砕音を聞き取り、更に一歩飛び退けば今の今まで居た場所を大剣の刃が空気を引き千切りながら通過する様を見せつけられた。

 

 戦闘は最初こそ互角の様相を(てい)していたものの、互いに決定打も無いまま時間が流れる内大剣の扱いに慣れを見出し始めたティオナ有利に傾いてゆく。その中でルドウイークはいつか(かつ)ての友に言われた、自身の甘さを再び痛感していた。

 

「戦いは攻めなきゃ勝てないよルドウイーク!」

 

 その通りだ。攻めの手を緩めぬティオナの言葉にルドウイークは思わず臍を噛み、袈裟斬りの一閃を回避してティオナの足を僅かに切り裂かんと大剣を低く横に振るう。

 だがそれを跳躍して飛び越えたティオナは勢いそのままにルドウイークに迫って、思い切り彼の胸に飛び蹴りを見舞った。

 

「がっ!?」

 

 ギリギリで飛び退くのが間に合わず、胸に痛打を受け後ろによろめくルドウイーク。その姿を見たティオナが大剣を肩に担いでがっかりしたような顔をした。

 

「……ねぇルドウイーク」

「ゲホッ、ゲホ…………何かね?」

「ルドウイークの攻撃、全然殺気が無いんだけど。もしかして、手加減してる?」

「……そうでもない。割と真面目にやっているつもりだよ」

 

 その言葉に嘘はない。だが、本気には程遠い。ヤーナムでは人々を守るために戦っていたルドウイークにとって血に酔った同胞を<獣>として剣を向ける事はあっても、十代半ばの少女に剣を向けるのは生まれて初めての経験だ。それは、ただ斬りつける事にさえ罪悪感を押さえつける必要のある大事(おおごと)であり、本当の戦いの様に急所を狙う事など出来るはずもない。

 

 確か、エリクサーなる特別な回復薬(ポーション)が用意されているから怪我をさせても問題はない、とエリスは言っていたが…………それがどれほどの効力をもたらす物なのかは彼女から伝えられておらず、まだオラリオに来て長いという訳でもないルドウイークにもエリクサーの効能の強さについての知識は無かった。

 

 それ故に彼は一度も決定的な攻撃を放たず、どうにか手足を傷つける程度で済ませようと考えていた。だが、戦に生き、強さを信奉するアマゾネスに生まれたティオナをそんな甘い考えでどうにか出来る筈も無く、結果として彼は当然の如く劣勢に追い込まれていた。

 

「真面目って言うけどさ……その割には、顔も胴も狙ってこない。腕とか足ばっかじゃん! そんなん当たる訳無いよ!!」

 

 既にルドウイークの太刀筋の甘さを見抜いたティオナは、腰に手をやって不満気な表情を見せる。彼はそれに対して、至極真面目な顔で返した。

 

「少女の顔も、それに腹も傷つけられるわけがあるまい」

「…………言ってくれるじゃん」

 

 その一言を聞いたティオナの顔から人懐っこい表情が消え失せ、今まで以上に全身に力をみなぎらせて大剣を構えた。

 

「いいよ、やる気がないなら。すぐに終わらせてあげるから!!!」

 

 今までの倍にさえ思える速度でティオナが飛び出す。ルドウイークは眼の前で大剣を構え彼女との激突の衝撃を何とか受け止めるものの、もはや大剣の習熟など頭に無いティオナは即座に剣を手放してルドウイークの右足を蹴りつけ、ふらついた彼の懐に飛び込んでその顎に下からの強烈な拳を振り上げた。

 

「がっ……!?」

 

 衝撃。顎を強烈に打ち付けた拳によって数M(メドル)の高さに吹き飛ばされたルドウイークは、世界が止まったかのような時間の遅さの中で暗澹(あんたん)とした曇り空を見上げ、そのまま背中から地面に叩きつけ――――

 

「ルドウイーク!!!」

 

 声に反応したルドウイークは空中で身を翻して、どうにか両足で着地した。しかしすぐに顎を揺らした拳のダメージに呻き、膝を突く。ティオナが(いぶか)しむように目を細める。

 だがルドウイークはそれも気にせず先程自身の名を呼んだ声の主へと目を向けた。泣きそうな顔のエリスが手すりから身を乗り出して、涙を浮かべた青褪めた顔でこちらを見つめている。

 それを見たとき、ルドウイークは己の余りの情けなさに思わず笑いそうになった。出たのはただ、切れた口の中に溜まった血とそれを押し出すゲホゲホと言う咳き込む音だけだった。

 

 ……また、情けを振りきれず負けるのか。

 

 ルドウイークは嘗ての人としての最後の戦い――――悪夢の中の時計塔に座した、旧友との殺し合いの事を思い出していた。あの当時は既に狩人は獣だと見做(みな)され、市民たちからの非難の的となっていた時代だ。どれ程獣を狩っても変化が訪れる事は無く、獣が生まれ続け、狩り続けるばかりの日々。

 

 それ故に、ルドウイークは全てをひっくり返すべく獣の病の根源を求めた。

 

 <トゥメル>の王墓で血の医療のルーツを探り、<イズ>の奥地で宇宙的神秘に対する術を学び、そして古き病の地である<ローラン>に向かい、<深きローラン>の更に先、<ローランの果て>の大聖杯にて異形なりし大いなる上位者の獣――――<銀の獣>に挑んだ。

 

 <ローレンス>に匹敵する煮え滾る溶岩の如き血液と炎、<銀獣>や<黒獣>達を従えるに相応しい途方もない雷撃、剣を通さぬ銀色の毛皮と、その下に隠された異形の竜の如き肌。『獣』の領域を超え、正しく『上位者(グレート・ワン)の獣』と呼ばれるに相応しいそれとの狩り合いをルドウイークと<月光>は制した。

 そしてその<生き胆>を用いた儀式によって悪夢に向かい、<狩人の悪夢>を乗り越えた先で非道なる<教会>の真実と秘密の番人と化した嘗ての友に(まみ)えたのだ。

 

 そこでルドウイークは、彼女を相手に全力になる事が出来なかった。<月光>を抜く事が出来なかったのだ。結果として、忌み嫌っていた筈の血刃を振るう彼女によって<ルドウイークの聖剣>と<長銃>を砕かれ、首の半分を抉り飛ばされて命を落とした。

 

 その後、ヤーナムがどうなったかを知る術は無い。

 

 獣と化して、悪夢を彷徨っていた頃の事は覚えていない。今や失われた味覚だけが、当時の悪食ぶりを思わせるのみ。

 

 だが、<獣狩りの夜>が終わる事は無かったのだろう。<最後の狩人>があれ程完成された狩人として在ったのがその証拠だ。そうでなければ、ヤーナムの夜を生き残れる事は出来なかったのだ。

 

 ――――もしも自身が彼女を前に、導きに従って<月光>を輝かせていたのならば。戦いの結末は分からず、護られていた秘密の先へと辿りついていたかも知れぬ。

 しかし辿り付いたとて、それを自身がどうにか出来た保証はない。マリアがそれを知って心折れたのならば、自身もそうならぬという保証はなかっただろう。

 

 それでも悔いは無かった。<最後の狩人>に<月光>を託した時、あの狩人ならば全てを越えて行くのだろうと言う不可思議な確信があった。だからこそ、こうしてヤーナムを離れた今も穏やかな己を保てている。

 

 そして、今自身の立つオラリオなる都市。如何にしてか手の内にあった二度目の生にてヤーナムへの帰還を目指し、出会ったばかりの女神エリスの手を借りた。ファミリアの再興に燃える彼女の元で過ごし、迷宮を駆け、多くの人々の営みを見た。その日々は本当に楽しかった。本来の目的を忘れそうになるほどに。

 

「は、はは、ヒッ、ヒヒッ……!」

 

 幾度と無く友人たちに気色が悪いと言われ、一度は矯正した笑い方が顔を出すほどにルドウイークは笑いを堪えられずにいた。先ほどのエリスの悲鳴に心打たれた自分が居た。共に過ごした中でずいぶん彼女に絆されていたのだと、ルドウイークは気づいた。

 

 確かに、『人』であり少女めいた容姿のティオナに剣を向けるのは辛い。だが、エリスの期待を裏切るのに――――彼女の涙を見るのに比べれば。

 

「ルドウイーク…………!」

 

 背に、今生で自身が主と定めた女神の祈りが届く。それにルドウイークは、いつか感じたものと同じ懐かしさを感じた。

 己の命を賭して守ったヤーナムの人々の営み、そこから生まれる人々の笑顔。ヤーナムの人々にそうあってほしいと思っていたのと同じように、エリスにも笑っていてほしいとルドウイークは考えた。

 

「…………ふうっ」

 

 口の中に溜まっていた血を出し終えたルドウイークは下を向き、己を切り替えるべく息を吐いた。

 

 ここで負ければ、彼女は悲しむだろう。だが剣を向ける気概が無ければティオナには勝てない。しかし殺すのは本意ではない。それでは、今までとそう変わらない。

 それでもやり方はあるはずだ。ルドウイークは今までの己の経験を総動員して思索を巡らせる。そしていくつかの案を思いつく。

 

 それに加え、エリスは大丈夫だと言っていた。ならば、大丈夫なのだろう。ルドウイークは不安を払拭(ふっしょく)して大剣を強く握り立ち上がる。

 

 そして自身に優しさを捨てろと助言した嘗ての友の一人に、心の中で詫びる。

 

 ――――悪いな、<烏>。私は己自身に課した生き方()を曲げられるほど器用ではない。今までも、これからも…………だが。

 

「うまくやるさ。今度こそ」

 

 ルドウイークは口元から流れる血を拭って真っ直ぐにティオナを見た。そして一旦<聖剣>を地に突き立てて、彼女に向け<狩人の一礼>を見せる。

 

「今までの非礼を詫びよう、ティオナ。本気を出せず、すまなかった」

「……うん、そう来なくちゃ! 私はもうどんとこいだから、心配しないで掛かってきて――――」

「そして許してくれ」

「へっ?」

 

 ルドウイークの再起に喜び、胸を張っていたティオナは、ルドウイークの突然の謝罪に目を丸くした。対するルドウイークは<聖剣>を再び手に取って顔の前で掲げ、左眼のみを覗かせて射抜くような視線を彼女に送る。

 

 いつか、<最後の狩人>を前にした時と同じように。

 

 

 

「――――ルドウイークの狩りを知るがいい」

 

 

 

 ティオナの全身が一気に(あわ)立ち大剣を両手で構える。しかしその時には既に彼女の懐に入り込んでいたルドウイークが(すく)い上げるような逆袈裟(けさ)を放っていた。ティオナはそれを身を反らせて思いっきり飛び退く事で何とか回避、だが間断なく狙い澄ました追撃の刺突が彼女を襲う。

 その切っ先をどうにか大剣を振るい弾くティオナだったが、次の瞬間剣を弾かれた勢いを利用して回転を乗せたルドウイークの蹴りが脇腹にみしりと食い込んで、そのまま弾かれるように吹き飛ばされごろごろと中庭の地面を転がった。

 

「……動きが変わった」

 

 テラスの手すりから身を乗り出し、目を爛々と輝かせたアイズがぼそりと呟いた。

 

「手加減、してたのかな」

「そうじゃないのう、アレは」

 

 ルドウイークの一挙手一投足を注視しながら考え込むアイズ。その横で、いつの間にかそこに立ち腕を組むガレスが口元を楽しげに歪ませながら答えた。

 

「ルドウイークとしては儂らと同盟を組みたい手前、ティオナにどこまで本気で相対すればいいか分からなかったんじゃろう。動きに躊躇(ちゅうちょ)が満ちとった…………だが、どうやら吹っ切れちまったみたいじゃな」

 

 顎を撫で、立ち上がろうとするティオナとそれを待つルドウイークに目を向けてガレスは笑う。そして、ティオナへ試すような言葉を呟いた。

 

「さて、どうするティオナ。お前も今まで本気ではなかったろうが、今のままのお前じゃ、ちと手に余るぞ……?」

 

 ガレスを含めたファミリアの皆の視線の先でティオナが立ち上がった。その口元からは血が一筋垂れていたが、彼女の表情は戦い始めた時と同じくこれ以上無く楽し気な物だった。

 

「はは、痛くない……! これだよこれっ……!」

 

 脇腹に走る痛みを噛み殺し、満面の笑みを見せるティオナ。その姿は戦いに生きるアマゾネスと呼ぶに相応しいものであり、ルドウイークも背筋に走る危機感に口元を引き締めた。

 

 ――――これほどの『人』を相手にするのは何時ぶりだっただろう。マリアを除けば、街を去る際の<烏>に挑んだ時以来か。あの時は相手がヤーナムにおける『対人』の第一人者であった事もあり、手も足も出なかったが……。

 

 獣狩りの時に感じ、抑え込んでいる物とはまた違う昂揚(こうよう)。誰かと競い合う歓びをルドウイークは久方ぶりに感じていた。

 

 次瞬、ルドウイークとティオナが示し合わせたように踏み込んで鏡合わせのように剣を振るう。全力で剣を振るい(せめ)ぎ合いを制そうとするティオナ。だがルドウイークは咄嗟(とっさ)に勝負を避け、瞬時に横に飛び退き攻撃を回避。そして横から殴りつけるように大剣を振るう。だがティオナも振り切った大剣をその剛力で以って無理矢理に戻して防御。更にすぐさま姿勢を立て直して、ルドウイークに対して果敢に攻めかかる。

 

 大剣ではなく木の枝でも振るっているのかと思える程の速度で縦横無尽に振るい笑顔で前進を続けるティオナだが、対するルドウイークの顔は闘争の歓びの中にあって真剣そのもので、その眼球を忙しなく動かしてティオナの動きを見切ってゆく。

 

 戦いが始まって以降、ティオナの大剣への習熟は進み続けており、既に付け焼刃とは思えない動きを見せていた。だが、ヤーナムに跋扈(ばっこ)する獣たちに相対し常に命を賭けた狩りに挑み続けたルドウイークの学習速度はそれさえも上回る。

 

 実際、ティオナがどれほど速く大剣を振ってもルドウイークに防御すらさせられず、それどころか彼の回避は更に精度を増して行く。本来、狩人に防御と言う概念は無縁のものであり回避を以って隙を見出すのが常道であるのだが…………それを知らぬティオナにとっては焦りを抱くのに十分過ぎる状態が続いていた。

 

「はっ、ははっ!」

 

 息を切らし、冷や汗を流して笑いながらティオナはルドウイークの顔を見る。息をしているのかも怪しいほどに表情を変えず、ただ淡々と自身の攻撃を(さば)いて行く。彼女の内では強敵と相見えた歓びと、勝利への道筋が潰えつつあるという焦りが渦巻いていた。

 

 【大双刃(ウルガ)】があれば大剣よりも遥かに高い攻撃密度で、ルドウイークを追いつめることも出来たかもしれない。しかし、愛用のかの得物は今や遠征へと持ち込むための整理資材の一つとして整理されており、戦いに持ち込めるような状態では無い。

 

 それに、武器の有無を勝敗に関連付けるというのは彼女にとって好ましい事では無かった。

 

「おおおおっ!!!」

 

 ならば、今ある物で手を尽くすしかない。ティオナは賭けに出た。これ以上戦いが長引いてしまえばルドウイークは完全に彼女の動きを把握しきるだろう。その前にケリを付けなければならない。彼女は、大剣の切先を下ろし油断なくこちらを見据えるルドウイークに咆哮と共に全速力で接近して――――彼に二歩届かない間合いで剣を思いっきり振り下ろした。

 

「……!」

 

 想定より早い攻撃のタイミングにルドウイークの動きが一手遅れ、ティオナの行動の意味を見出すべく思索を走らせた事がもう一手の遅れを生む。ティオナはその隙に地面に叩き込まれた大剣の切先を持ち上げて、ヒビの走った地面を爪先で思いっきり蹴り上げた。

 

「やーっ!!!」

 

 彼女の掛け声と共にひび割れた地面が一気に(まく)り上げられ、砕かれ、飛沫の様に土と石が散らされた。ルドウイークは咄嗟に大剣を横に構えて顔を防御する。

 それこそが、ティオナの狙い。爪先に激痛が走ったが、それが何だと言わんばかりに彼女は土煙の中へと更に一歩力強く踏み出して、思いっきり大剣を振り上げた。

 

 激突。

 

 凄まじい金属音が鳴り響き、土埃に遮られた中から精緻な彫刻のなされた大剣の()が空高く打ち上げられる。それを見たエリスが焦って、ロキは勝利を確信して更にテラスから身を乗り出した。

 

 彼女らが土煙の向こうを見透かそうと目を凝らしていると、隠れていた二人の姿が小さく吹いた風と共に露わになった。両者ともに動きを止めて、頬には緊張を示すような汗が流れている。

 

 ――――その二人の間で、フィン・ディムナがルドウイークとティオナにそれぞれ(やり)の切先と石突(いしづき)を突きつけていた。

 

「…………双方そこまで」

 

 フィンの言葉と共に、宙を舞っていた大剣の刃が少しばかり離れた場所へと堕ちてきて地面に突き刺さった。その音を聞いて今の状況を飲み込んだか、石突を鼻の手前に突きつけられて硬直していたティオナがこれ以上無く悔しそうな表情で声を荒げた。

 

「あーっ、もーっ!! フィン! 何で邪魔しちゃうの!!! 今良い所だったのに!!!」

「いや、すまない。幾らエリクサーがあるとは言え、君に大怪我されると流石に困るからね」

 

 詰め寄るティオナにフィンは申し訳そうに肩を竦めた。しかし、彼女はその態度では無く彼の言い分自体に納得が行っていなかった。

 

「いやいや、あたし勝ってたじゃん! 武器だって吹っ飛ばしたし!!」

「……ティオナ。ルドウイークの手を良く見てくれ」

「手?」

 

 フィンの指摘を受けたティオナは身を引いていたルドウイークの手へと視線を向ける。

 

 ――――そこには、戦闘中は影も形も無かった上等なミスリルの長剣が握られていた。

 

「えっ、ちょっ、どゆことどゆこと!? どっから出て来たのその長剣!? 隠してた!? いや隠してなかったよね!? 口から出て来たとか!?」

 

 想定外の事態に、呆けたような顔で驚きの声を上げるティオナ。その顔を見たルドウイークは一度長剣に目を向けると、地に突き立ったままの大剣に向けて歩き出した。

 

「すまない、ティオナ。私は最初から、この場に武器を二つ持ち込んでいた」

 

 そう言ってルドウイークは地に突き立った大剣の鞘の根元側に長剣を指し込むと、手首の動きによって仕掛けを稼働させてしっかりと固定し、大剣となった武器を引き抜いてティオナへと示す。

 

「これは【ゴブニュ・ファミリア】が【怪物祭(モンスターフィリア)】の時に発表した武器、【仕掛け大剣(ギミック・ブレイド)】だ。この様にして大剣と長剣、二つの武器として使い分ける事が出来る」

「えっ何それ、聞いた事無いんだけど」

「新聞に書いてあったじゃないか。いつも談話室に置いてあるの、読んでないのかい?」

「読んでない……」

 

 未だに納得行かなそうな顔のティオナだったが、フィンに呆れたように言われるとがっくりと肩を落として(うつむ)いてしまった。それに微笑ましい視線を向けていたルドウイークだが、その背中に中庭へと全速力で降りてきていたエリスが涙を浮かべながら両手を広げて飛びかかった。

 

「ルドウイーク!!」

 

 しかしルドウイークは彼女の突進に目を向ける事さえなく、ひょいと二歩分横にズレることで無情にもそれを回避した。

 

「えっ……ぐえっ!?」

 

 ルドウイークに抱きつくつもりが回避され、勢い余ってつんのめったエリスが蛙の鳴き声のような声を上げる。ルドウイークがケープの襟首を掴み転びそうになった彼女を留めていたからだ。しかし、ケープが喉元に食い込んだエリスはげほげほと喉を抑え、顔を赤くしてルドウイークに食って掛かった。

 

「げほ、げほ……何するんですか、ルドウイーク!?」

「いや、いつも襟首を掴まれているからな。そんなにも掴みやすいのかと気になってね」

「もう二度とやらないでください! それに避けるのも禁止です!」

「君こそ、余り人に飛びかかるのは止した方がいい。その内もろともに叩きつけられるぞ」

「むうーっ……!」

 

 ルドウイークの指摘にしばらく不満気な顔で彼を睨みつけていたエリスだったが、諦めたかのように一度鼻を鳴らすと、普段より心なしか穏やかな表情になって安堵したように小さく笑った。

 

「でもまぁ、良かったです。これだけ頑張ってくれたなら、ロキも納得してくれるでしょう」

 

 エリスは首を巡らせると、未だに降りてこないロキが居るであろうテラスへと視線を向けた。恐らく、あの場に居た者達とルドウイークの処遇について話し合っているのだろう。もしかしたら、予定されている遠征に急遽組み込まれるかもしれない。そうなれば同盟関係となった以上ルドウイークを貸し出す事にはなるだろう……正直、本意ではないが。

 

 そこでエリスは、自ら考え出した計画にも拘らずルドウイークがしばらく不在になるという可能性に嫌な気持ちになって溜息を吐いた。一方でルドウイークは彼女を元気づけるためか、笑顔を浮かべて声をかける。

 

「そうだな、全てエリス神の考えだした案のお陰だ。聡明な主神を持てて幸せ者だよ、私は」

「そ、そうですか? いやぁ、そう言われると照れちゃいますね……」

「ああ。お互い大きな怪我も無いし、上手く行ったと言っていいと思う。フィン殿にも感謝だ。しかし……エリス神には随分心配させてしまったか」

「全くですよ。もし、貴方があのままボコボコにされるような事があれば私は――――」

 

 ――――この場に居る全員を。

 

「…………?」

 

 エリスは、唐突に頭を過ぎった思考に違和感を感じて、ルドウイークから離れて俯き自身の爪先に目を向けた。全員? 全員……どうすると言うのか。良く分からなかったが、あまり深く考えない方がいい気がする。

 そんなエリスの様子を見て何か責任感にでも(さいな)まれているのかと思ったのか、ルドウイークは小さく笑って彼女の肩を軽く叩いた。

 

「そう気にする必要は無いさ、エリス神。折角うまく行ったんだから嬉しそうにしてくれ」

「あ、はい……と、ともかく、無事で何よりですルドウイーク! よくやってくれました!」

「ああ。お陰様でな」

 

 互いを(ねぎら)い合って、笑い合うエリスとルドウイーク。そこに複雑な表情を浮かべたティオナとフィンが歩いて来た。ルドウイークが二人に向けて<狩人の一礼>を見せ頭を下げると、フィンも同様に頭を下げる。

 

「ルドウイーク、今回は君のお陰で良いものを見れた。エリス様、今一度、貴女の眷属に敬意を」

「いや、フィン殿。こちらこそいい勉強になった。今後も……」

「ルドウイーク! 後でもう一回! 次は絶対負けないから!!」

「勘弁してくれ。君程の実力者と何度もぶつかれるほど私はタフではない」

「エリス様、今ルドウイーク嘘ついたでしょ!?」

「いえ、大真面目に言ってますねこの人」

「えーっ! 自己評価低いよ! いいし、絶対次は負けないからね!!」

 

 ビシッとルドウイークに対して人差し指を向け再戦を誓うティオナだったが、フィンが苦笑いしながらティオナの腕に自らの掌を乗せて手を下ろさせた。ルドウイークは彼女らの様子に危惧していた敵対的な雰囲気を感じ取る事が出来ず、心中でほっと胸をなでおろす。

 

 その時、強く風が吹いた。

 

 偶然だったのだろうが、ルドウイークはただならぬものを背筋に感じて振り返る。視界には今し方テラスから飛び降りてきたと思しき金の長髪を風に揺らす少女剣士。

 

 【剣姫】アイズ・ヴァレンシュタインがルドウイークに向けて鋭い視線を放ち、剣に手をかけていた。

 

「あれ、アイズどうしたの? もう戦いは終わったけど」

 

 不思議そうに首を傾げて、ティオナがアイズに話しかけた。しかしアイズはそれに反応する事も無く、ただルドウイークだけを怜悧な表情で見つめている。それを見たフィンが得心が行ったように「悪い癖が出たか」と呟いて、彼女を諭すようにその前に立った。

 

「アイズ。彼と競い合いたい気持ちは分からなくもないが、君まで挑むのはダメだ。今日の所は我慢してくれ」

「……でも」

「我慢だ、アイズ。彼と戦うのは今じゃなくても出来る。次の遠征は絶対に失敗できないからね……それは、君も分かってるだろう?」

 

 口調こそ穏やかな物だったが、その声には有無を言わせぬ重みと道理があった。フィンの放つ圧にアイズは残念そうに、しかし大人しく従って愛剣から手を離す。それを見たルドウイークとエリスも安堵の表情を浮かべた。

 

 すると、テラスから駆け降りてきたか息を切らせるロキが中庭に現れて、先ほどのエリスの様に両手を広げてアイズへと飛びかかった。

 

「アーイズたーんっ!! ってあら!?」

 

 しかしロキもエリス同様抱きつこうとした相手にさっと回避されてしまう。唯一違う点は、アイズが地面に叩きつけられる彼女に救いの手を差し伸べなかった事だろう。

 

「ぶへぇーっ!!」

 

 顔面から地面に叩きつけられ、そのまま1(メドル)ほど滑ったロキを周囲の皆が青い顔をして見守っていた。唯一、エリスだけは口元を抑えてどうにか笑わぬように努力していたものの、肩を小刻みに震わせ(うずくま)っている様子から笑いをこらえているのは誰の眼からも明らかだった。

 

「ア、アイズたんが消えた? トリックなんか!?」

 

 一方で周囲の視線を一身に集めるロキはばっと顔を上げ、まるで錯覚でも見てしまったかのような顔をして首を左右に振りアイズの姿を探す。そしてすぐに立ち上がって後方でとても冷たい目をした彼女の姿を見つけると、土に汚れたまま彼女に飛びつこうとして、今度は前に出たフィンに遮られた。

 

「ロキ、顔が土まみれだ。ハンカチ要るかい?」

「おっ、気が効くやん、あんがとな~フィン」

 

 彼女はそれを受け取りごしごしと顔をこすって土を拭うと、未だに固唾を飲んで中庭の様子を見つめる団員たちに向かって大きな声を上げた。

 

「さあて。見せモンは終いや!! 自分らも仕事に戻りぃ! 今日は遠征前の壮行会やからそれまでに済ませるんやで! ついでに、エリスんとことの同盟成立記念もあるから、今夜は飲みまくろか~!!」

「「「「うおおおおーっ!!」」」」

 

 今まで黙りこくっていた団員たちはロキの宣言に歓声で答えるとそれぞれの持ち場へと戻って行き、中庭にはエリスとルドウイークのエリス・ファミリアと、ロキとフィン、アイズ、ティオナにテラスから飛び降りて来たガレス、リヴェリア、ティオネ、レフィーヤらロキ・ファミリアの首脳陣だけが残された。

 

 そして、皆はしばらくそこで視線を交わしていたが、その内エリスが恐る恐ると言った様子で、ロキに先程の言葉の真意を訪ねた。

 

「あのー、ロキ。同盟成立記念、って事は……」

「おう、自分の言う(ゆー)通り組んだるわ、同盟。悔しいけど、そいつの実力は本物みたいやし。ちゅー訳で、今後こき使ったるから覚悟せえよ~?」

「お手柔らかに頼みます、ロキ神」

「そーゆー真面目なところ嫌いやないで。さて、そんじゃ解散と行こか。うちらも今夜までに仕事一段落させたいし……また今夜【豊穣の女主人】で詳しいとこは話そうや」

「えっ、今夜ですか?」

「なーに言うとんねん!」

 

 ロキはエリスと気の置けぬ友神にするように肩を組んで、回していない方の手の人差し指を立てて、その頬を突っつきながらに笑った。

 

「同盟成立記念なのにうちらだけで酒飲めって? んな寂しい事言わんといてや~! ちゃーんと、こっちで呑み代は持つから安心しぃ」

「えっ!? マジですか!?」

「おうマジマジ、ホンマのホンマや」

「マジでナイスですロキ!!! 思えば、何時ぶりでしょうか、心行くまで安心してお酒が飲めるというのは……」

 

 ロキの言葉に驚愕し、そして目の奥に酒飲み特有の煮えるような熱気を宿して口元を歪めるエリス。それを咎めるようにロキは笑いかける。

 

「飲み明かすんもええけど程々にしとき~。せや、ちゃんとルドウイークも連れてくるんやで?」

「いいですとも! いいですよね、ルドウイーク!!」

「貴女にそう言われてはな」

 

 あまりのエリスの喜びっぷりに、是非も無いとルドウイークは肩を竦めた。それに大いに反応する者が一人。ロキ・ファミリアきっての大酒飲みである老ドワーフが満面の笑みを顔に浮かべてルドウイークの肩をドンと叩いた。

 

「ほう、そりゃ僥倖(ぎょうこう)じゃ! また飲み比べと行くかのうルドウイーク!」

「ええ、吐かぬ程度にはお付き合いしますよ、ガレス殿」

 

 にたりと笑うガレスにルドウイークは小さく引きつった笑いを返して、今宵の酒飲み合戦の約束を受け付けた。ルドウイーク本人としては酔えるわけでも無くあまり飲みすぎると調子が悪くなるので正直避けたかった部分はあったのだが、同盟相手の大幹部からの誘いを断る訳にも行かない。

 

 そんな様子を見ていたリヴェリアが、安堵したような溜息を吐いて二人の会話に割って入って来た。

 

「それは助かる。毎度毎度この男に皆が勝負を吹っ掛けられていたからな。介護してもらえるのであれば万々歳だ」

「介護ォ? リヴェリアお前、自分の年齢(とし)を棚に上げて……」

 

 言いかけたガレスはリヴェリアから一瞬研ぎ澄まされた殺気が滲むのを鋭敏に感じ取って言葉を収める。長年の付き合いが成せる業であった。

 

「……おっと、失言じゃった」

「ガレス、後で倉庫に来い。まだまだ整理するべき荷物は山ほどあるからな」

「ガハハ! 副団長ともなれば口が上手くなるもんじゃのう! よし、いい汗かいた後の酒は格別じゃからな。すぐに始めるとするかの」

 

 言い終えたガレスはリヴェリアを(ともな)い、ルドウイークに一度小さく手を振ってその場を後にした。これは夜に吐くほど飲まされるのだろうなと、ルドウイークが数時間後の自身の無事を真面目に祈っていると、エリスがやり終えたかのような清々しい顔をしてルドウイークの袖を引き、ロキへと声をかけた。

 

「では、これ以上居ても邪魔になりそうですので我々はこれで!」

「ん、もう帰るんか?」

「ええ……ちょっと汗をかいてしまったので。ルドウイーク、摩天楼(バベル)のお風呂にでも行きますか」

 

 自身を見上げるエリスの提案に、ルドウイークは自身の状態を改めて確認する。土埃にまみれた服、血を擦った後の残る口元。確かに同盟相手との食事に相応しい状態ではないと彼も考えて、エリスの提案に首を縦に振った。

 

「そうだな。だがどちらにせよ、着替えを取ってこねばなるまい。一度家に戻ろう」

「そうですね! それではロキ、また夜に」

「失礼します、ロキ神」

「おう、また夜よろしく頼むで~」

「はい。では失礼します」

 

 ロキにひらひらと手を振られながら、エリスとルドウイークは深々と一礼して【黄昏の館】を後にする。北の大通りは既に昼近くとなって、人々の出足が食料品店などが軒を連ねる西大通りに持っていかれたのかそれ程活気はない。そんな穏やかな道を歩きながら、エリスは暗さを増した曇り空とは対照的な晴れやかな顔でグッと拳を突き上げた。

 

「やっ、たぁ! いやまさか、ここまでうまく行った上お酒も奢ってもらえるなんて!! 今日は最高の一日になりそうですよルドウイーク!!!」

「そうだな。ともかく、ロキ神との交渉が上手く行って良かった。エリス・ファミリア復興に一歩前進だ」

「はい! 今日はお祝いですのでルドウイークもガンガン飲みましょうね!」

「ああ」

 

 ここ最近で最も上機嫌なエリスの様子に、自身も緊張が解けた笑顔で答えるルドウイーク。だが、そこで彼はふと何か大事な事を忘れている気がして立ち止まった。

 

「夜……夜か。何か、予定が入ってはいなかったか、エリス神」

「夜ですか……? いえ、特に予定は。【鴉の止り木】だって、今日は休んでいいってマギーと…………」

 

 そこで二人は、先日の【鴉の止り木】での会話を電撃的に想起した。

 

 

 

『エリス、その話詳しく聞かせて貰えるかしら?』

『え、えぇ……いやですね、ちょっと明日は用事があるので、『お昼の部は』休ませてほしいかなーなんて』

 

『ま、明日の昼なんて再開直後だし、客もそんな居ないだろうから構わないわ。聞いた限りじゃ大事な話みたいだしね』

『そうなんですそうなんです! だから大目に見てください!』

『いいわよ。『でも次同じ事したら給金減らすけどね』』

 

 

 

「……………………」

「……………………」

 

 街路のど真ん中で立ち止まり、思い出した全く同一の記憶に硬直する一人と一柱。マギーに伝えたのは『昼の部』の休みだけだ。夜ロキ・ファミリアの面々と飲みに行くのであれば、『夜の部』も休むという事をマギーに伝えなければいけない。

 

 ……のだが。

 

 ギリギリと、油の切れたねじの様にぎこちない動きでエリスはルドウイークに視線を向けて、無言で助けを懇願する視線を送った。だが、【鴉の止り木】の従業員ではないルドウイークにそれに答える術は無い。彼は本当に申し訳なさそうに、エリスの視線から逃れるためにそっぽを向く。

 

 そんな彼の襟首をエリスは必死に引っ掴んで、殆ど泣きながらに助けてくれるように訴えた。

 

「助けてくださいルドウイーク!! このままじゃ私の給料が! やばい! やばいんですよ私が!!!」

「いや、私にどうしろと言うんだ。代わりにマギーに頭を下げに行けとでも?」

「いえそこまでは言いません! でもですね、私一人で行くのはちょっと無理かなって!! 殺されちゃうかなって!!!」

「流石にマギーもそこまではしないだろう」

「するんですよマギーは! いえ私にはした事無いですけど、【黒い鳥】はしょっちゅうやられてます!!!」

「そうなのか。所で首が締まっているんだが」

「それは謝りますから! だからお願いします、私と一緒にマギーに事情説明を! お願いします!!!」

 

 これまで見た中で一番必死なエリスの姿を見て、ルドウイークは思わず頭を抱えたくなった。一難去ってまた一難とは正にこの事か。

 しかし、ロキ・ファミリアからの誘いに一度は首を縦に振り、その時にエリス神の夜の予定に気が付かなかった以上自分がとやかく言う権利はない。ルドウイークは先程までのエリスとは真逆の暗澹たる表情を浮かべて、やはり先行きは怪しい物だったのかと、対談が始まる前に思った事を今更ながらに思い返した。

 

「……分かった。ここまで来たら我々は運命共同体だ。二人で頭を下げる他あるまい」

「本当ですか!? ありがとうございます……それしか言葉が見つからない……」

「そうなれば善は急げ……いや、まだ昼の部も始まったばかりだろう。今から手伝って夜の方を休みにして貰えるよう頼み込む事は出来ないか?」

「それだ! それです! 天才ですか!? それ以外道はありません! では行きましょうルドウイーク! マギーが怒らない事を祈って!!」

「多分、こっぴどく言われるとは思うがな……」

「うーっ……!」

 

 話がまとまると、彼らは人目も憚らず、必死になって【鴉の止り木】に向けて走り始めた。どうか、マギーが許しを出してくれますように。それだけを願って。

 

 

 

 ――――その後彼らが【鴉の止り木】に辿り着いた時、そこは順番待ちの客で溢れかえっていた。何でもあれだけエリスの事を揶揄していた【黒い鳥】が店に現れず、結果として怒りに燃える形相のマギーと店主代理がフレーキを伴い必死で店を切り盛りしていたのだ。

 

 そんな所に現れたエリスとルドウイークをマギーは問答無用で店に引きずり込み、有無を言わせず店員としてフロアに立たせた。そしてエリスは余りの客の数に、ルドウイークはこれっぽっちも慣れぬ仕事に悲鳴を上げながらもどうにか昼の客のラッシュを乗り越えて、その代価として夜の部の休みを取る事に成功したのだった。

 

 

 

<◎>

 

 

 

 エリスとルドウイークが去り、その背中を見送ったロキ・ファミリアの幾人か。急速に戦闘の熱気が覚めて行く中庭に残った者たちの内、フィンがロキに気さくな口調で話しかけた。

 

「いいのかい、ロキ? 人が増えるなんて、【豊穣の女主人】には伝えてないだろう?」

「かまへんかまへん。とりあえずラウルにでも伝え行って貰うわ」

「ねーロキー、ちょっとダンジョン行ってきていい~? 悔しくてさ~」

「何言ってるのティオナ。夜の為にも早く仕事終わらせないと。ほら、いくわよ」

「はーい……」

 

 二人が話す横で、我儘を言おうとしたティオナをティオネが叱り、そのまま腕を引っ張って何処かへ連れて行ってしまった。今や残るのはロキとフィン、そして不満気な表情を隠さないアイズと、複雑そうな顔をしたレフィーヤのみである。

 

 その場においてもへらへらと緊張感無く笑っていたロキは、周囲に残った面子の顔を一度見回すと、突然今までの道化めいた仮面を脱いで、オラリオ最強のファミリアの主神に相応しい鋭い視線でフィンに問いを投げた。

 

「……で、どやった、フィンから見て。あのルドウイークっちゅー男は」

「おそらくは、レベル6。少なくとも、成ったばかりではないだろうね」

 

 フィンの返答を聞いたアイズとレフィーヤに緊張が走る。特に、先日レベル6に到達したばかりのアイズは人知れず右手を握り込んだ。

 

「レベル6かぁ……そん中でもどんくらいや?」

「【エアリエル】抜きのアイズと同じくらいかな…………今日見たのが全てなら、の話だけどね」

「まぁ、そこは悪い事やない。仲間に引き込めたんやからな。『壁を斬ったらアダマンタイト*1』や」

「そうだね。詳しく調べる機会は今後いくらでもあるだろうし……ところで、エリス神の様子はどうだったんだい?」

「んー……あいつ、なんか変やわ。ビビりすぎや。ホントに自分の眷属のステイタス解っとるんかって感じやで」

 

 ロキは考え込むようにしながら、観戦中に抜け目なく観察していたエリスの様子を思い出す。

 

 フィンの言う通り、ルドウイークのレベルが6であるのならエリスの動きは正直不自然であった。オラリオにおいて、何らかの特別な理由無くレベルが下の者が上の者に勝つ事は出来ないとされている。ティオナのレベルは5であり、それは対外的にも良く知られていることだ。

 ならば、エリスの性格上もっと余裕をもって観戦していていいはずだろう。そう言わしめる程にレベル5が成りたてでも無いレベル6に勝つのは困難極まる。しかしそれにしては、エリスは二人の戦いに一喜一憂しすぎていた。

 

 そこから導き出される推論は幾つかある。例えば、一番ありえるのはルドウイークはまだレベル6に上がって間もない冒険者だったと言う可能性だ。しかしそれは最も近くで戦いを見ていたフィンによって否定されている。

 逆に最も有り得ないのが……エリスはルドウイークの実力を知らなかった。これは本当に有り得ない。眷族がステイタスを更新するのには神の手を借りる必要があり、その際に神は眷族のステイタスを目にしている筈だからだ。

 

 しかし、ロキの脳裏にそれが真実であると言う可能性が尾を引くように残っていた。

 

 例えば……ルドウイークは本当の意味でエリスから恩恵(ファルナ)を受けていないのかも知れない。それ故に彼女がルドウイークの本当の能力を知らなかったとしたら…………であれば、ルドウイークに恩恵を与えている者が他に存在する事になる。

 

 そう言う『戦力を平気で他のファミリアに貸し出す変わり者』を、ロキは一柱知っていた。滅多に表に出ないながらも、(フギン)(フレキ)を従え、オラリオの裏で知恵を巡らせる隻眼の大神。もしもあの老神(ろうじん)が、エリス・ファミリアに絡んでいるとしたら。

 

 ――――同盟(首輪)組んど(付けと)いて正解だったかもなぁ。

 

 文字通り好きなように生きるあの奔放な老神に、一つ(くさび)を打つ事が出来るかもしれない。ロキは自身の一手が想定外に良い手だった可能性を視野に入れて、今後の展望を描く事にした。

 

 ……とりあえずは信頼を得る所からやな。

 

 ロキはまず、今日の壮行会でエリスをどう酔わせて情報を引き出すかを考える為に、ファミリアのレベル4、【超凡夫(ハイ・ノービス)】ラウル・ノールドを呼び出し、予約の人数が二人増える旨を伝えるのと、今あの店にどのような酒が置いてるのかを調べさせる為に【豊穣の女主人】亭へと向かわせるのだった。

 

 

 

<◎>

 

 

 

 夜。賑わいを見せる西大通り(メインストリート)に面した酒場【豊穣の女主人】。そこで、【ロキ・ファミリア】と【エリス・ファミリア】による合同での宴会が催されていた。

 

 しかし、人数の差が余りにも大きいために事実上ロキ・ファミリアの宴会となってしまっており、ルドウイークは目立たぬよう端の席で静かに食事を取ろうとしていた。

 だがそう上手く行く筈も無く、早々にガレスに見つけ出され、カウンター席に連れてこられてドワーフの火酒が入ったグラスを延々と勢い良く煽る羽目になっていた。

 

「ぷはあっ! やはり、働いた後の一杯は格別じゃのう!! そう思わんかルドウイーク!!」

「ええ。働いた後には対価が必要ですからね」

「すぐお持ちしますニャー!」

 

 内心やけになりながらも飲み干したグラスをガレスと同時に置くと、店員が駆けてきて空のグラスを回収し、すぐに次の一杯が運ばれて来る。それを躊躇(ちゅうちょ)なく手に取って一気に飲み干す二人に、いつしかロキファミリアの団員たちは何か恐ろしいものでも見るような目で距離を取っていた。

 

 ――――その一方で、エリスはロキが薦める酒をロクに確認する事も無く思うままに呑み進めており、結果としてルドウイークどころか、周囲のどのロキの眷属達とも比べようも無いほどに酔っぱらっていた。

 

「それでですねぇ……私は言ったんれすよお! ナメクジを家の中で放し飼いにするなってぇ……でもルドウイー、ヒック、そう言われても……なんて言うんれすよぉ!? 意味わかりまへんよねぇ!?」

「おうおう、せやなー…………で、ルドウイークとはいつ、何処で出会ったん?」

「【怪物祭】の少し前れすねぇ……いつの間にかいたんれすよいつの間にかぁ」

「いつの間にィ? 何や信用できへんなぁ」

「なんれすかぁロキぃ! 私が嘘ついてるとれも!?」

「言うてへん言うてへん。ミア母ちゃん、水ええかー!」

「ちょっと待ってな!! シル、水持ってっておやり!!」

「はい!」

 

 既に呂律も回らず目が据わってしまっているエリスを見たロキは、普段閉じているのではないかと思われるほど薄く開いている目を更に細めてその様子を確認した。

 

 ……ちと酔わせ過ぎたかぁ。

 

 そう内心ロキが思って、酔い冷ましの水を用意してやりたくなるほどにエリスの言動は怪しくなっていた。それに思ったよりも情報が出ない。

 分かったのはルドウイークが戦闘衣(バトル・クロス)でも無いあの装束をダンジョンにおいても愛用しているとか、30(セルチ)はあるドデカいナメクジを家の中で放し飼いにしているとか、そういうどうでもいい情報ばかりだ。

 

 これじゃ飲ませ損やんけ。ロキが自身もちびちびと酒の入ったグラスを傾けていると、それをニコニコしながら見つめていたエリスがにへらと表情を更に崩してテーブルに寄り掛かり、笑いながらロキに尋ねる。

 

「そういえばー、ルドウイークも連れてっちゃったりするんですかー? 遠征…………」

「んにゃ、流石に遠征には連れていかれへんわ。確かに強いんは間違いなさそうやけど、今から追加メンバー突っ込んでも連携がガタガタになってまう」

「れすよねー、よかったよかった! あははは!!」

 

 ロキの答えを聞いたエリスはそれが面白くて堪らないという風に気の抜けた笑い声を上げ、テーブルの上に置かれた酒のグラスを見もせずに探り出そうとする。それを見て、ロキは今し方店員の一人が運んできた水を受け取ると未だにテーブルの上を這いずるエリスの手にグラスを握らせてやり、彼女がそれを一気に飲み干すのを何となしに眺めていた。

 

 その時、ルドウイークと飲み勝負に興じていたガレスが尿意を催して席を立った。ルドウイークはそれを見送ると、自身でも酷く酒臭いと思える息を吐き膨れて来た腹に思いを馳せる。

 

 幾ら酔わぬと言っても、どれだけ酒を飲めるかには物理的な限界がある。ルドウイークはその限界がだんだん迫ってきているのを自覚して、また酒精に塗れた溜息を吐いた。

 

「ルドウイークさん」

 

 その彼に後ろから声をかける者が居た。先程までレフィーヤやティオナと共に食事をしていたアイズ・ヴァレンシュタインだ。ルドウイークが振り返ると、彼女はガレスが戻ってくる前に要件を済ませたいのか、あるいは他の人に話を聞かれたくないのか戸の外にあるテラスを指差した。

 

「少しいいですか。話があるんですけど」

「分かった、今行く」

 

 ルドウイークは立ち上がると、アイズの後ろに続いて屋外へと出て行った。その様子をロキとエリス、そしてレフィーヤが目を丸くして見つめており、特に驚愕を隠していないロキとエリスが同時に似たような呻き声を上げた。

 

「ど、どういうことや……!? アイズたんが、あの男と何を……!?」

「ど、どういうことで……あっそっか、そうれした~。そりゃしゃーないですねぇ……」

 

 ロキと同様に動揺しかけていたエリスだったが、水を飲んで僅かに調子を取り戻しかけた頭で二人には『ベル・クラネルの特訓』と言う共有する秘密がある事に思い至って納得し、安堵する。だがロキはその言葉を聞き逃さず、鬼気迫る形相でエリスに掴みかかった。

 

「ちょい待ちエリス!! 自分あの二人についてなんか知っとんのか!? 吐け! 吐けや!! 吐け!!!」

「ロキ、ちょ、待、止め、気持ち悪……」

 

 彼女のケープの襟首を掴み前後に激しく揺さぶりながら、ロキはエリスに尋問を仕掛けた。

 だが、既に随分と酒に飲まれ平衡感覚を失い始めていたエリスにとって、ロキの取った手法は激しくうねる海に浮かぶ小舟を想起させるほどの揺れであり、案の定すぐに限界を迎え、こみ上げる物を抑える事が出来なくなった。

 

「う、おえ、おえええーっ!!」

「きゃあっ!? 神エリスが!!」

「ぎゃあああーっ!! こんアホ、マジで吐くやつがあるかーッ!? タオルタオル!!!」

「何やってるんだいそこの女神たちはぁ!?」

「ちょ、ちょい待ち!? 吐いたんはうちやなくてエリスやでミア母ちゃん! うちは何も悪くあらへん!!」

「こっちは何してたか見てた上で言ってんだよ! いいからさっさと掃除しな!! 返事ィ!!!」

「すんませんしたァーッ!!!」

 

 怒り心頭のミアの前ではさしものロキも形無しで、地面に這いつくばって吐瀉物の処理をさせられる事となった。一方のエリスは眼を回してダウンしてしまっており、丁度アイズに関する会話を聞き出すべくいつの間にやら隣に忍び寄っていたレフィーヤが彼女の口元やらを拭いてあげている。

 

 そんな店内の喧騒を尻目に、オラリオの夜を望むテラスに出たアイズは神妙そうな顔つきで、ルドウイークに話を切り出していた。

 

「ルドウイークさん」

「何だね、改まって。まぁ、なんとなく何を言われるか分かるが」

 

 真っ直ぐな視線をぶつけてくるアイズに、あくまでルドウイークは普段通りの自然体で応対した。するとアイズも多少緊張していたのか、少し肩の力を抜いて平坦な声で本題を切り出した。

 

「はい。…………明日の『訓練』なんですけど、折り入って頼みがあります」

「ふむ。何だね?」

「少し早く来て、私とも戦ってくれませんか?」

 

 ルドウイークはアイズの眼を見て、彼女の真意を探る。だが、その真っ直ぐな瞳に害意や悪意と言ったものを感じる事は出来ない。

 

 きっと、ティオナとの戦いを見て彼女も自分と戦いたくなったのだろう。フィンが『悪い癖』と発言していた事も加味してルドウイークはその様に結論付けた。そして、自身とエリスにとって最もいい答えを引き出すにはどう返すべきかをしばらく考え込んだ後、彼女の金色の眼を真っ直ぐに見返して、とても短い答えを返した。

 

「断る」

「えっ」

 

 余りに率直で直球な答えに驚いて目を丸くしたアイズ。ルドウイークはそれを見てから、彼女が何かの反論を思いつく前にと適当な出まかせを(まく)し立てるように話し始めた。

 

「まず、あの訓練は秘密裏に行うべき事案だろう? それなのにあまり時間を取りすぎれば発覚する危険が増す。クラネル少年も、自分の訓練が始まる前に我々がボロボロだったら訓練に身が入らない…………いや、それよりもボロボロになったまま帰ればロキ神やほかの眷属達は絶対に怪しむはずだ、多分。だから模擬戦を今受ける事は出来ない」

「あ…………はい、そう、ですね……」

 

 どうにかなったか。勢いのままアイズを言いくるめたルドウイークは悟られぬよう、アルコールの過剰摂取による物か今の綱渡りによる物か判別のつかぬ頬の汗を装束の袖で拭き取った。その時、丁度トイレから戻ってきたガレスがテラスに顔を出し、ルドウイークを見つけて手招きをする。

 

「おおい、ルドウイーク何をしとる。まだまだ飲むぞ。今夜はベートもおらんし、お主くらいしか相手がおらん、早う戻ってきてくれい」

「申し訳ない、今行きます」

 

 ルドウイークはガレスの言葉に助け舟だと言わんばかりに肯定を示してすぐさま店内へと戻ってしまった。

 

 席に戻る道中、随分と周囲の視線が突き刺さるような気がしたが、それよりもガレスが手招きして急かすために余り気にせず速足で歩く。

 そしてカウンターに戻ると、いつの間にか並々と注がれていた火酒のジョッキを手に取ってガレスの差し出したそれにぶつけて小気味よい音を立てつつ、ちらと未だにテラスから戻らぬアイズへとガラス越しに視線を向けた。

 

 ――――きっと、あれだけで諦めてはくれないのだろうな。

 

 彼は、アイズの人間性をあまり良く知らぬ。しかしベルとの訓練の様子や幾度か出会った時の言動から判断してそう結論付けた。また明日の朝も訓練がある。そう思うとどうやって彼女に対応するべきか、先行きが少々不安になる。

 きっと彼女と顔を合わせた時、先ほどと同じように模擬戦の要求をかけてくるのだろう。そう容易に想像がついて、その不安を誤魔化すかのようにルドウイークはドワーフの火酒を一気に喉に流し込むのだった。

 

 

 

 

 

 

 

<◎>

 

 

 

 

 

 

 

 ――――その頃。

 

 ダンジョン下層、第27階層で、【ロキ・ファミリア】幹部であり、今日のエリスとの会談に唯一姿を現す事の無かった【凶狼(ヴァナルガンド)】こと【ベート・ローガ】は、誰にも知られぬままダンジョンへと潜って、今やただ只管に時を待っていた。

 

 朝からダンジョンに潜った彼が一日足らずでこの階層まで到達している――――それは本来、有り得ない事態である。例え彼が、レベル5の冒険者でありながら都市屈指の敏捷を誇っていようとも、数多のモンスターによる襲撃を潜り抜けながらでは精々日帰り出来るのは20階層が関の山だ。

 

 しかし、この場にはもう一人冒険者が居た。黒い外套を着込み、二本の大剣と一張(いっちょう)の大弓と矢筒、更には長刀と長剣を一振りずつ()いて、小型のバックパックを身に付けた装備過多の冒険者。

 

 ――――【黒い鳥】。本来であれば、ファミリアに来客が居る間低階層で時間を潰しているつもりだったベートは、彼に誘われてこの27階層まで足を運んでいたのだ。

 

「…………遅ぇ」

 

 眼前に広がる水場に目をやりながら、胡坐をかいて座ったベートが苛立たしげに呟いた。後方で水晶めいた大岩に寄り掛かって座っていた【黒い鳥】は、その声に反応して身を起こす。

 

「…………おい手前(テメェ)、本当に来るんだろうな?」

「んん? そうピリピリするなよ。本当なら先週中にはもう出てるはずなんだ。でもまだ出てこないなら、見に来る価値はあるだろ?」

「出るっていうから付き合ってやったんだろうが。もし出なかったら分かってんだろうな?」

 

 ベートは苛立ちに毛を逆立て、犬歯を剥きだして【黒い鳥】を威嚇した。しかし、【黒い鳥】はそれもどこ吹く風といった風にまた大岩に寄り掛かって目を閉じる。

 

「ハッ……【アンフィス・バエナ】を狩りに行くっつったら、喜んで着いてきたくせに……遠征の邪魔になりそうだからか? 健気なもんだぜ……」

「殺すぞ」

「ははッ……」

 

 気だるげな【黒い鳥】は、生半可な冒険者であれば震えあがる様な名前を気軽に口にして緊張感無く笑い、それに怒りを見せたベートの威嚇をも楽しげに笑って流した。

 

 ――――【アンフィス・バエナ】。27階層に出現する【階層主】。レベル6に相当する力を持つとギルドに認定され、25階層から27階層を流れ落ちる大瀑布、【巨蒼の滝(グレートフォール)】を中心とした生態系に君臨する双頭竜。

 

 約一か月ごとにダンジョンに生まれ落ちるかの竜は三階層にも(またが)る大瀑布を昇る事が出来、出現階層である27階層から25階層までをも縄張りとしている。

 その為もし大部隊での遠征を志す場合、移動中の隊列が突如として狙われる可能性がある。そうなれば先の攻略に関わりかねない。当然、【黒い鳥】にロキ・ファミリアの遠征を助ける意図など無かったが……ベートにその障害を排除できるという誘いを断る理由は無かった。

 

「こうしてると思い出すよなぁ…………あのクソッたれ【九頭竜(ナインヘッド)】と殺し合う羽目になった時も、お前と、それと【ロスヴァイセ】の(あね)さんが一緒だった」

「思い出したくもねぇな」

「そう言うなよ、ベート。俺とお前の仲だろ?」

「テメェから先に殺してやってもいいんだぜ、俺は」

「ハハ……やめとけよ。それこそ【ロキ】の迷惑だ……だってお前、朝までに無事で帰らなきゃあ怒られちまうだろ? 遠征目の前にしてなにやってんだ、ってな……」

「……チッ!」

 

 楽しげに笑う【黒い鳥】とは対照的に、ベートの怒りは既に限界に近づいていた。彼は苛立ちを紛らわすためにか、近くにあった小石を目の前の水源に向けて思い切り叩きつける。

 

 すると、広がった波紋の中心で大きな泡が立った。そして一気に水が盛り上がり何かが浮上して来る。

 

「来たな」

 

 【黒い鳥】が跳ね起きて、背にした大剣の一つである【薪の鍛冶(シンダー・スミス)】アンドレイの手によるバスタードソードに手をかける。ベートもゆっくりと立ち上がって姿勢を低く落とすと、水を割って姿を現した純白の鱗を睨みつけた。

 

『ガアアアアアアアアアア――――――ッッ!!!!!』

 

 姿を現した双頭竜。二つある頭の内、片方の頭が目の前に存在する矮小な二人のヒトに向けて途方もない声量の咆哮を上げた。もう片方の口は対照的に静かであったが、既にその口から魔法効果を四散させる力を持つ【紅霧(ミスト)】を漏らし臨戦態勢に入っている。

 

 これこそがアンフィス・バエナ。全高20(メドル)を超える水の竜王。迷宮に君臨する【迷宮の孤王(モンスターレックス)】の一体。

 

「ハハ、相変わらず怖い顔してるな」

 

 しかし、並の冒険者では拝む事さえ叶わない双貌(そうぼう)と向かい合った黒い鳥は、心の底から楽しそうに笑った。その楽し気な表情とは裏腹に全身には力が漲り、アンフィス・バエナの最も強力な攻撃手段である【焼夷蒼炎(ブルーナパーム)】に備えている。一方でベートは、【黒い鳥】とは真逆に苛立った顔をしながらアンフィス・バエナに向けて歩き出した。

 

「手ェ出すな【黒い鳥】。こいつは俺一人でやる」

「……おい、本気か?」

 

 驚いたように顔を(しか)める【黒い鳥】。しかしベートはそれを意に介さずにさらに歩みを進めた。

 

「誰がテメェの手なんか借りるか。こいつは俺が潰す」

「やめろベート。【剣姫】に先越されて焦ってんのは分かるが……」

「うるせぇんだよクソが!! 黙って見てろ!!!」

 

 【黒い鳥】の、ベートの逆鱗を逆撫でするような推測に反射的に彼が噛み付いた、その瞬間。アンフィス・バエナの噛みしめられた歯の間から僅かに光が漏れたかと思えば、勢い良く竜は顎を開き煌々と輝く蒼い炎を恐るべき勢いで放射する。

 

 これこそアンフィス・バエナの誇る【焼夷蒼炎】。火炎を吐くモンスターはダンジョンにも数居れど、蒼く輝き、水上ですら燃焼し続ける炎を吐くのはアンフィス・バエナの特権だ。当然その温度は中層の【ヘルハウンド】どころか更に下の階層に出現する竜たちさえも上回り、特別な耐性装備無く人が受ければまず消し炭確定である。

 

 迫る蒼炎を前にベートはギリギリまでそれを引きつけ回避しようとする。だがそれよりも速く彼と炎の間に【黒い鳥】が躍り出て、先ほど手を掛けていたのとは別の厳重に封のされた大剣を振るっていた。

 

「オオッ!!」

 

 迫っていた蒼炎は、振り下ろされた剣に届く前にまるで蝋燭の火を吹き消すかのように吹き散らされた。大剣としては細身の、水晶の様に輝く刀身。しかしその実、抜かれた瞬間に目前のアンフィス・バエナさえも凌駕(りょうが)する余りにも重苦しい存在感をその剣は放っている。

 

 蒼炎を防いだ【黒い鳥】は大剣をすぐさま背に戻し、厳重に封のされた鞘へと納めた。それを見届けたベートは思わず舌打ちする。あの剣。【ゴブニュ・ファミリア】の【ひねくれ(シニカル)】エド・ワイズの手による、得体の知れぬ一振り。

 わずか半日で二人がこの階層まで辿り着いたのも、僅かに封を解かれたあの剣の圧力が本来ならば狂乱したように襲い来るはずのモンスター達を怯えさせ、隠れる事を選択させたからだ。

 

 自分がここ(レベル5)で足踏みしている間に、嘗ては下に居たはずのあの男は遥かな高みへと自分を置いてゆき、その強さに見合った武器をも手にしている。

 

 ベートにとってはどうにも許せなかった。嘗ては自身に劣り、一時は横に並んでいたこの男の背に、今や手の届かぬ自分自身が。

 

「流石に、そう時間をかけちゃあられねえのよ」

 

 【黒い鳥】はちらと後ろのベートに視線を向けながら言った。確かに、彼の言う事には一理ある。既に地上は夜になっているだろう。ここで時間をかけていては、朝までには到底間に合わない。それが――――言外に、お前一人では時間がかかりすぎると言う【黒い鳥】の言い回しが――――ベートは気に入らない。レベル5であったアイズがアンフィス・バエナを上回る【ウダイオス】を単独で撃破し、【黒い鳥】ともそれなりに渡り合ったと聞いては尚更だ。

 

 だからこそ、【黒い鳥】の言葉も聞かずに前に出る。それは無謀な冒険だ。『冒険者は冒険してはならない』。それは死に直結しているから。

 

 だが、『竜』を前にして退けば、()()()()自分は死んでしまうのだとベートは直感していた。

 

「うるせえ」

 

 ベートはそれだけ呟いて、【黒い鳥】の横に並び立った。そして、アンフィス・バエナに、更には【黒い鳥】にまで睨みを効かせて啖呵(たんか)を切る。

 

「どいつもこいつもうるせえんだよ。お前も、オッタルも、このクソトカゲも。俺は雑魚じゃねえ。すぐに、お前らにそれを分からせてやる」

「…………そうでなきゃな、お前は」

 

 その、傍から見れば挑発としかとれないような啖呵を受けて、普段の戦闘の際は無表情で通している黒い鳥は本当に嬉しそうに笑った。

 

「本当はお前に任せてやりたいとこだがさ、今回はマジで時間が無い。俺も店サボってきちゃったからな」

 

 【黒い鳥】は大弓を手に取り、矢筒から一本矢を抜いた。そして彼はベートに向かってにっこりと人当たりの良さそうな笑顔を見せる。

 

「だからさっさと済ませようぜ。早い者勝ちだ。それならお前も文句ないだろ?」

「チッ」

 

 舌打ち一つで答えたベートは低く構え、所持していた魔剣を自らの武具である具足、【魔法吸収】の属性を持つ第二級の【特殊武装(スペリオルズ)】、【フロスヴィルト】に触れさせてその力を充填した。

 魔剣が音を立てて破損するのと同時にフロスヴィルトが輝いて、そこから僅かに雷の魔力が漏れ出す。

 

「『獣に炎、竜には雷』」

 

 それを見て呟いた【黒い鳥】が笑うと(やじり)が小さく雷撃を発してバチリと光り、彼はそれを大弓に(つが)えた。相対するアンフィス・バエナは眼前で瞬いた光に少し目を細めたが、すぐに口内を輝かせ、焼夷蒼炎の二射目を充填する。

 

「さぁ、死ぬなよベート。無事に帰らなきゃ、何言われるか分からんぜ」

「テメェは死ね。このトカゲ野郎潰したら、次はテメェの番だ」

「そりゃあいい!」

 

 気遣うような発言をした【黒い鳥】がベートから殺害宣言を返されて笑った瞬間。双頭竜の口から蒼い輝きが再び放たれ、27階層に流れ落ちる大瀑布をより蒼く、より鮮烈に染め上げた。

 

 

*1
想定外の幸運。転じて、想定外の結果が次にいい形で繋がる様を表す言い回し




同盟成立完了です……。

平時のルドウイークの強さについては非常に悩ましい所がありましたが、今作においてはこのような落とし所になります、ご容赦ください。
血晶石や秘儀、何より月光を十全に使えばもっと強くなるんですが、秘するべき輝きの為非常時以外に抜く事はないので。

没要素の<大いなる上位者の獣>については見た目と動き以外に情報が無いので能力は独自設定および独自解釈です。あれ程完成されたモーションであれば是非完成品とやってみたかった……。

次話からはまたベル君の特訓に戻ります。夜襲を乗り切って一区切りかな。

今話も読んで下さって、ありがとうございました。

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