月光に導きを求めたのは間違っていたのだろうか   作:いくらう

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幕間、17000字くらい。会話パートのみです。

35万UAに到達しました。読んでくださる皆さまには感謝しかありません。
感想評価お気に入り、誤字報告も毎回ありがとうございます。

今回も楽しんでいただければ幸いです。


25.5:帰還

「…………以上が、今回の作戦の顛末(てんまつ)になります」

 

 片膝を着き、(こうべ)を垂れた【アレン・フローメル】は、目の前に在る美の女神、【フレイヤ】へと今宵(こよい)の【ベル・クラネル】に対する襲撃についての報告を終えた。

 

 フレイヤは窓際の椅子に腰掛けながら、彼の言葉を吟味(ぎんみ)するようにじっくりと聞いている。今この部屋――――摩天楼(バベル)の頂上階にあるフレイヤの私室に居るのは、彼とフレイヤのみだ。普段であれば彼女の傍仕(そばづか)えをしている【オッタル】は、現在彼女の命を受けてダンジョンに潜っている。

 

 それはまたとなく巡ってきた機会であった。アレンにとってフレイヤ・ファミリアの団長であり、オラリオ最強の冒険者であり、何よりも今現在最もフレイヤからの信頼を集めているあの猪人(ボアズ)は正しく目の上の(こぶ)と言うべき存在であり、彼を押しのけフレイヤの最も大きな寵愛を得る事はアレンを含めたフレイヤの眷族()たちの悲願である。

 

 しかし、今回巡ってきたチャンスはあまりいい形で彼の手の内に収まる事は無かった。【剣姫】を足止めし、素性の知れぬ白装束の剣士の男を一対一に持ち込ませ、標的である白髪の少年に同格程度の冒険者をけしかける事には成功した。そして彼は襲い来るその冒険者達を単独で撃退せしめ――――アレンとしては認めがたい事であったが――――フレイヤが関心を持つに足る理由を持っているのだと示して見せた。

 

 だが、そこからが良く無かった。

 

 【仮面巨人】。あの狂人の乱入によって白装束の剣士とこちらの人員二名が戦場から引き離された。相変わらず理解できぬその行動にも彼らは動じずに作戦を続け、ベル・クラネルの【魔法】を引き出す事にも成功して撤退したが…………その後白装束の剣士の救援に向かったベル・クラネルが仮面巨人に斬られかけたと言うのだ。

 

 とんだ失態だ。アレンにベルの人となりなど知りようも無かったし、目標を達成した以上撤退した判断に間違いはなかった。だが…………例え己に非も無く、気に入らぬ相手とは言え、フレイヤの意向を全てにおいて優先する以上ベル・クラネルが必要以上に危険にさらされるのは避けなければならなかっただろう。

 

 故にアレンは己の不手際を恥じ、如何なる罰をも甘受する覚悟でこの場に在った。たとえそれが、あらゆる困難を乗り越えて掴んだ副団長の座の剥奪(はくだつ)、あるいはそれ以上の罰――――ファミリアからの放逐(ほうちく)などであろうとも、フレイヤの命じに逆らう理由は、彼には無い。

 

 だがそんなアレンの覚悟を肩透かすかのように、得心が行ったような顔をしたフレイヤはにこやかにアレンへと話しかけた。

 

「…………成程。じゃあ【ベル】は、無詠唱で発動可能な魔法と、同格の冒険者を歯牙にもかけない強さを得ているのね?」

「……はい。状況を鑑みるに、そのように考えて問題ないかと」

「ありがとう【アレン】。お陰様で、随分肩の荷が降りたわ。【魔導書(グリモア)】からどんな魔法を習得するかは、その時までわからないものね」

 

 言って笑みを深くし、テーブルの上に置かれたグラスを優雅に傾けるフレイヤ。アレンは一瞬、窓から覗くオラリオの夜景さえも霞むその美貌に身惚れていたが、すぐに気を取り直して、自身の失態への処遇についてを切り出した。

 

「フレイヤ様」

「ん、何かしら?」

「今回、私の判断ミスにより、仮面巨人がベル・クラネルへと危害を加えかねない状態となってしまいました。もしも【霧影(フォグシャドウ)】が割り込んで来なければ、あの少年がどうなっていたかは想像に難くありません。それについては、作戦を任された私に全ての責任があります。如何なる罰も受ける所存で――――」

「不問よ」

「…………はっ?」

「不問と言ったのよ。気にしないで」

 

 ぴしゃりと、彼の詮索を許さないという態度でフレイヤは言い切った。想定外の言葉に思わず顔を上げ、目を丸くするアレン。一方、フレイヤは彼を(とが)めるような事も無く、再びグラスに口を付け傾ける。それを見てアレンは少しの間思考を巡らせていたが、彼女の寛大さによって自身が許されたという事実を重く受け止め、今まで以上に深く頭を垂れた。

 

「ご厚情(こうじょう)、痛み入ります。このアレン・フローメル、その恩情に報いる事が出来るよう、これからも研鑽(けんさん)を重ねて行く所存であります」

「ふふ、いいのよ。それじゃあ、今日は下がっていいわアレン。今はゆっくり、体を休めなさい」

「はっ! では、失礼させて頂きます」

「ええ、おやすみなさい、アレン」

「おやすみなさいませ」

 

 自身の失態を許されたアレンは、彼女に対して何か詮索すると言うような事も無く、その言葉に従い早々に部屋を後にした。オラリオの夜景を一望できるバベルの最上階に、フレイヤだけが残される。

 彼女はアレンを見送った後しばらくはテーブルに着いていたが、グラスの中身を優雅に飲み干すと立ち上がり、部屋の真ん中まで歩いた所で足を止め、外に誰も居ないだろうと気配を探ってから、小さな声で虚空に向け呼びかけた。

 

 

「……出てきていいわよ」

 

 

 その声に呼応するように、部屋の隅の棚の陰から一人の人影が姿を現した。

 

 窓から差し込む月明かりに照らされたその姿は、正しく異様。背に負った二本の大剣、上半身に装備した斬り傷塗れの重装鎧に対する、防御力の低い軽装のズボン。そして、頂部を斬られ失った『仮面』。先程まで、アレンとフレイヤの会話の中でその名を幾度と無く挙げられた男――――【仮面巨人】が、そこに居た。

 

 しかしフレイヤは、普通に出れば思わず(おのの)いてしまうであろう【仮面巨人】の姿に特に動揺する事も無く、咎めるような声で口を開いた。

 

「随分と派手にやってくれたみたいね。道に穴まで空けちゃって、今頃ギルドは大騒ぎよ? ウチの【ロートレク】がギルドに第一報を入れてくれたおかげで、彼らが目の色を変えるようになる程の被害が出る前に済んだみたいだけれど…………」

 

 アレンを相手にしていたファミリアの主神としての姿とは違いあくまで自然体で言うフレイヤの言を完全に無視し、仮面巨人は手近なワイン棚からまだ封の空いていないワインを一本引っ張り出し無理矢理に栓を開けて仮面をずらし直接飲み始めた。その余りに行儀のなっていない行動に、フレイヤは盛大に眉を(ひそ)める。

 

「……そんな風に呑むなら、その仮面も外したらどう? 今ここには、私と貴方しかいないのだから」

「…………」

 

 無言ではあったが、彼女の提案を受けて仮面巨人はあっさりと、その正体を隠す仮面をテーブルの上に放り出した。

 

 黒い髪と黒い目の、極東ならばともかくこのオラリオではあまり見かけぬ色味。そして、印象の薄い顔と、張り付いた様な無表情。美の女神たるフレイヤを前にして何ら反応を示さずにワインの瓶に口を付けるのは、このオラリオにおいてオッタルに次ぐ実力者と言われる冒険者、【黒い鳥】。

 

 『死を告げる』とまで噂され、任務によってどのような汚れ仕事も成し遂げるという、オラリオの権力構造から完全に逸脱した存在。時には神に刃を向け、実際に振るった事もある危険人物。しかしそのような相手に何ら怖気づくような様子も見せず、呆れたようにフレイヤは口を開いた。

 

「どうかしら、お味は? 本当は、ちゃんとグラスに注いだ方がいいと思うのだけれど」

「……そうなのか?」

「ええ。何せ、あの【デメテル】の所から直接卸してもらってる品よ。良ければ【鴉の止り木】にも置いたら?」

「…………ウチにはちょっと上品すぎるな」

「ふふ、かもしれないわね」

 

 そう評価してワイン一瓶を早々に飲み干した【黒い鳥】は、フレイヤの花が咲くような笑顔に身惚れる様子も無く床にどさりと腰を下ろして周囲へと視線をきょろきょろと巡らせた。

 

「…………で、フレイヤ様よ。オッタルは不在か? 俺、今回の依頼はアイツから受けたんだけど」

「ええ、彼はちょっと……野暮用でね。ダンジョンに居るわ」

「マジか。帰ってきたらウチに顔出すよう伝えて貰っても?」

「それには及ばないわ。報告は私が受けるから」

「…………まぁ、オッタルはそれOKするだろうなぁ。分かったよ」

 

 面倒くさそうに胡坐をかき、頬杖を突いてフレイヤを見る【黒い鳥】。その体からは気だるげな雰囲気がこれでもかと発散されている。

 

 当然と言えば、当然である。【黒い鳥】としては終了した調査の内容をオッタルに報告し、そのまま彼と酒でも飲み交わしに行こうと考えていたのだ。だが、実際に顔を出してみれば彼は不在だと言う。故に、機嫌が良いとはとても言えない【黒い鳥】に、フレイヤは気遣う事も無く直球で調査の成果を問うた。

 

「それで、どうだった? あの…………ルドウイークって子の腕は。お気に召したかしら」

 

 すると、今まで能面のように顔色を変える事の無かった【黒い鳥】は、先程まで参加していた戦闘の記憶を想起して僅かに口元を緩め饒舌(じょうぜつ)に話し始める。

 

「ああ、凄かったぜ。アイツ、俺の裏回りや串刺し、とにかくどれもこれもを(しの)ぎきりやがった。レベル2なんて嘘もいいとこ、まず間違いなく6はあるな。しかも、まだ本気じゃなかったみてぇだし……それにだ、意味の分からん魔法……アレ魔法か? なんか、詠唱抜きの術を使いやがってさぁ」

「あら、彼も?」

「彼も?」

「ベルも詠唱無しで魔法を撃ったと聞いたけれど、彼もそうなのかって話よ」

「ベル……? 誰だそりゃ」

 

 首を傾げる【黒い鳥】に、今宵初めてフレイヤからあからさまな怒気が放たれた。神威を伴うそれを受けて、気だるげに頬杖を突いていた彼は驚いたように身を逸らせる。

 

「うわ、何だ突然。ビックリした。心臓に悪いからやめてくれよ」

「心にも無いことを言うのはやめなさい。神に嘘は通じないなんて、今更な事を言わせる気?」

 

 まるで驚いたような顔で言い放った【黒い鳥】の言葉に、フレイヤが鋭い釘を刺す。【黒い鳥】は観念したように諸手を上げて、それから一度首を傾げてフレイヤに尋ねた。

 

「で、誰だベルって?」

「今日、あの乱闘の中にいたでしょう? 【ヘスティア・ファミリア】に所属している、白い髪の少年よ」

「白い髪……ああ! あのちびっこい女神を守ってた奴か!」

 

 手を叩いて、今宵彼女の前で初めて笑顔を見せた【黒い鳥】にフレイヤは白々しいとばかりに目を細める。すると【黒い鳥】はおどけるように笑って、平然と嘘を吐いた。

 

「何だよ、そう怖い顔されると震え上がっちまう。俺はナイーブなんだ」

「そう…………丁度いいから、一ついいかしら」

「何だ?」

「依頼したいの。今後、ベルには関わらないでもらえる? 正直、貴方が関わると予定が狂うのよね」

 

 一見にこやかに、だが確かな不機嫌さを(はら)ませながらフレイヤは【黒い鳥】に言い放った。実際、彼女の見立ては正しい。既にたった一度の接触で彼はベルへと剣を向け、その身を危険に晒している。今後もベルに対して様々な形で成長を促して行くつもりであるフレイヤにとって、文字通り全てを台無しにしてしまうこの男がベルと関わらないようにしておくのは当然の懸念であり、取るべき措置であった。

 

 笑顔の裏でそのような思考を巡らせるフレイヤ。しかし、彼女とは対照的に【黒い鳥】は心底楽し気に肩を揺らし笑うと、先ほどのベルに関わるな、と言うフレイヤの言葉の意味を確認するように尋ねる。

 

「おいおい、そいつはちょっと難しい任務になりそうだ。何せ期間の指定が無いし、内容も漠然としすぎだろ。それにだ、その言い方じゃまるで――――」

 

 彼はそこで一度眼を閉じて言葉を切る。そして一呼吸置いた後、今までの無表情を通り越した冷え切った瞳でフレイヤの双眸(そうぼう)を貫いた。

 

 

「――――命令みたいだな」

 

 

 フレイヤは、彼のその言葉に久しく感じていなかった危機感が体に走るのを感じ取った。

 

 【黒い鳥】は、強制や命令を酷く嫌う。それが任務の最中であり妥当性があるのであれば文句を言う事は無いが、それ以外、納得の出来ない理由で自身を押さえつけようとする相手にはとかく不快感を示すのだ。

 

 そうした言動で【黒い鳥】の逆鱗(げきりん)に触れ、オラリオから姿を消した者は少なくない。彼ら彼女らがどうなったかなど、知られることも無いし、語られる事もないだろう。

 

 だが、フレイヤにそんな愚か者たちと同じ末路を辿るつもりは毛頭なかった。聡明な知性を最大限に働かせ、【黒い鳥】が納得するであろう依頼条件の落とし所を即座に弾き出す。

 

「…………依頼内容だけれど、そうね……【ベル・クラネルとの戦闘の禁止】と言うのはどうかしら? 報酬は……【鴉の止り木】(あの店)に投資をさせて貰うわ。あの店の財政状況が安定すれば、マグノリアの貴方への風当たりも多少は優しくなるんじゃない?」

「ふーん……悪くないけどそれ、もしかして【永久任務(エターナルリング)*1か? 流石に即決で首を縦に振れる奴じゃあねぇな」

「あら、だったら一度持って帰って考えてもらってもこちらは構わないけど?」

 

 調子を取り戻したフレイヤはあくまで余裕たっぷりに笑みを浮かべて言う。対する【黒い鳥】はほんの少し興味深そうなふりをして…………結局、首を横に振った。

 

「…………いや、遠慮しとく」

「あら、悪い話ではないと思ったのだけれど」

「んー、まぁそうだなぁ。そもそも、俺は別にそのベルってのに積極的に関わるつもりは無いんだよな。なのに任務となると、万一の時にどうしようも無くなるから避けたいってだけ」

「こちらとしてはその万一が怖くて提案してるのだけどね」

「そう言われても、【永久任務】は拘束が厳しいからお断り。そんな長期の任務を全う出来る【ジョシュア】みたいな一貫性は俺にはないよ……ま、でもそいつに出来るだけ関わらんようにはするからさ。それじゃあダメかい?」

 

 申し訳なさそうに肩を竦め、黒い鳥は自分なりの妥協案(だきょうあん)をフレイヤに提示した。彼女は神の眼を持ってその言葉に嘘が無い事を見抜くと、少しの間形の良い顎を摘むように指を添え、そして諦めた様に溜息を吐いた。

 

「貴方が配慮してくれるというなら、私から言う事は無いわ。でも、そうなるとそれなりにお礼はしなくちゃね。何か希望はあるかしら」

「じゃあさ、日時を指定するからそこで仮面巨人の討伐指示をアレンの奴に出してくれ。アイツとは一度戦ってみたかったんだ」

「取り返しのつかないケガはさせないでね、彼だって私の大事な眷族なんだから」

「分かった。じゃ、それでよろしく頼むぜ」

「こちらこそ」

 

 互いに納得の行く内容で話をまとめる事に成功した女神と傭兵はどちらともなく軽く笑い合って、それから思い出したように、話題をルドウイークが使用したと言う魔法についてへと戻した。

 

「それで、話を戻すけど……ルドウイークが使ったって言う魔法は、どういう名前でどう言う効果の魔法だったの?」

「ん……ああ、その話だったか。そうだな、奴の使ってた魔法だけど、詠唱が聞こえなかったんで名前は分からん。俺の【バニシング(Vanishing)】や剣姫の【エアリエル】みたいな超短文魔法で詠唱を聞く暇が無かったか、多分ねぇと思うけど、【フレーキ】がやってるような【静穏詠唱(サイレント・キャスト)】で発動させたのかもな」

「ベル同様の無詠唱呪文と言う線はないの?」

「いやいや、そんなん歴史上の伝説――――【最初の賢者(ファースト・セイジ)】とか【混沌の魔女(イザリス)】みたいなレベルの術師がやるような奴だろ。つか、無詠唱魔法使えるのかそのベルって奴は? 才能有りすぎて笑っちまうな」

 

 歴史に名を残す伝説の名を挙げ、それとまだ駆け出しのレベル1を比べ震えあがるように体をかき抱く【黒い鳥】。しかし、彼の演技に対するフレイヤの対応は一貫して冷ややかな物だった。

 

「さっきも話したでしょうに、茶化すのは程々にして。とりあえず魔法の名前が分からないのはいいけど、中身はどう言う物だったの?」

「ああ、なんかタコかイカの足みたいなのを滅茶苦茶呼び出す奴でさ。もしかしたら……【召喚魔法(サモン・バースト)】の一種かも」

「【啓くもの】と【千の妖精(サウザンド・エルフ)】以外に【召喚魔法】を使う子が居るなんて驚きね。しかも彼、生粋の術師ではないんでしょう?」

「あんな動ける術師がいてたまるかって。どう見ても本職は剣士だよ」

「そう。やっぱり、しばらく彼には手を出さない方が良さそうね」

 

 【黒い鳥】の報告から明らかになった、その近接戦闘能力と得体の知れぬ特異な魔法。それが元より感じていた異形の魂への警戒感を後押しする形で、ルドウイークへの不干渉と言う結論をフレイヤに決定させる事になった。しかし、当然ながらそれはあくまで現時点の話だ。

 

 今後のベルの成長の度合い、或いはその辿る道筋によっては、今回の様にルドウイークも巻き込まねばならない状況と言うのは起こりうるだろう。個神(こじん)的にはあまり望ましい事ではないが、その時はその時だ。

 それに、如何に彼が【黒い鳥】に並ぶほどの異様極まりない魂を持ち、個人の戦闘能力も生半可な物でないとしても、排除する方法は如何様にでもある。彼の主神であるエリスの事も、見知らぬ神であるという訳でも無い。

 

 今度の【神会(デナトゥス)】に来たら声をかけてみようかしら。

 

 久しく顔を合わせていない、自身の美の女神としての地位を確固たるものにする切っ掛けをくれた感情豊かな女神の横顔を思い出して、フレイヤはくすりと微笑む。

 

 一方で、その様子をつまらなそうに眺めていた【黒い鳥】はどこか疲れた様に、報告の終了と報酬の要求をフレイヤに対して提示した。

 

「……じゃあ報告はそれくらいでいいか? 報酬の話をしたいんだが」

「あら、私は報告を受けただけよ。報酬についてはオッタルと話してちょうだい」

「嘘だろ、じゃあ今日はタダ働きかよ!? アイツいつ戻ってくるんだ?」

「今週中には戻ってくるはずだけど……ひとまず、帰ってきたら貴方と話をするように言っておくわ」

「それ、本気(マジ)で頼むぜ…………。じゃあ、俺は帰る」

「ええ。今度は私の依頼も受けて頂戴ね、【黒い鳥】」

「内容次第だ」

 

 あからさまに嫌そうな顔をして立ち上がった【黒い鳥】はフレイヤの言葉を素気無く振り払って、その神の美貌を一瞥する事すら無く窓から外へと飛び出して行った。

 

 それを見送ったフレイヤは、彼が残していったワインの空き瓶を丁寧に片づけると、『後でオッタルに彼の機嫌を取っておいてもらおうか』などと考えながら、戸棚に仕舞ってあった【黄金の果実】を取り出してその表面を手布で丁寧に拭きつつ、外に広がる迷宮都市の夜景に視線を向けるのだった。

 

 

 

<◎>

 

 

 

 【鴉の止り木】。そこでは、店主代理の男が鼻歌を奏でながら積み上がった皿を洗っていた。既に客の姿は無く、普段は片付けを行っている筈のマギーやエリスと言った店員の姿も無く、最低限の(あか)りのみが(とも)された室内に、皿を洗う音と空虚な鼻歌が反響している。

 

 しばらくして皿を洗い終えた彼は布巾(ふきん)で皿の表面の水を拭い、乾燥させてから棚に仕舞い込んだ。そしてのそりと調理場からフロアへと歩み出るとカウンター席の椅子にどさりと腰掛け、懐から取り出したパイプに煙草の葉を詰めて火を点けると、彼はその煙を大いに吸い込み満足したように息を吐く。そして再びパイプを口に加えて、(かぐわ)しい煙を再び味わうべく息を吸い込む。

 

 

 

 その時、突如として店の戸が勢い良く開け放たれた。

 

 

 

「っ!? げっ、ごほっ、ごほっ!?」

 

 静謐(せいひつ)な余暇の時間を突如引き裂く乱入に思わず店主代理はむせ返り、ごほごほと煙を吐き出した。そんな彼の姿を盛大に音を立てて戸を開いた乱入者――――【仮面巨人】、もとい【黒い鳥】は(いぶか)しむような目でそちらを見てから戸を閉めて、手近なテーブル席に着き仮面を放り出して代理へと問いかけた。

 

「おいおい、どうしたそんな咳して。大丈夫かよ」

「ゲホ、ゲホ……どの口で、言いやがる……! 俺が、マギーなら……ぶん殴ってるぜ……?」

「ああ、煙草か。程々にしとけよ」

 

 代理から向けられる恨みがましい視線もどこ吹く風と言ったように、【黒い鳥】は無為に天井を見上げて欠伸を一つ。そしてすぐに椅子から降りて立ち上がると、気を削がれ煙草の火を消した代理の男に問いかけた。

 

「なぁ。この鎧何処に置いときゃあいい? 倉庫でいいか?」

「好きにしろよ、相棒……いや待て。随分とボロボロになってるじゃあねえか。何があった」

「いやさ、アンジェの奴に斬られかけて……バラバラにされそうにな」

「相変わらずだなあの女。戦うこと以外考えてねぇのかよ……そのザマじゃあ、直すより買い直した方が早いな。とりあえず倉庫に置いとけよ。後でバラして捨てちまう」

「了解了解」

 

 【黒い鳥】は気の抜けたような了承の声を返すと、足早に戸を潜って倉庫へと向かった。残された代理の男は、息を整え終えると椅子から降り、首から吊るしていた白木製の護符(タリスマン)を握りしめる。

 

 すると、男の姿がじわりと滲むように揺らいだ。

 

 変身魔法に特別な適性を持つ白木の枝からフレーキが己の【神秘】アビリティの(すい)を尽くして生み出したこの【魔道具(マジックアイテム)】は、己の姿を偽装する変身効果を秘めた品である。

 

 変身できる姿が制作の際に指定した相手のみに限定される事、そもそも白木の枝が稀少な上用途も狭いために滅多に出回らない貴重品である事、制作難度が高くフレーキの腕をもってしてもこの一つしか製作できておらず、更には激しい動きをした瞬間解除される可能性があるほどに変身魔法の強度が低い事などから、このオラリオにも今彼が持つ一つしか存在しない貴重な不良品だ。

 

 だが、そんな物を使ってでも正体を隠したい者にとっては正しく垂涎(すいえん)の品だろう。

 

 滲むような揺らぎが消え失せた時、そこに居た店主代理の男は虚無的な雰囲気を持ち、これでもかと布を纏って正体を隠した身長2M(メドル)を優に超える大男へと変じていた。

 

「なんか、久々にその(つら)拝んだ気がするぜ」

 

 倉庫に繋がる戸から現れた薄着の【黒い鳥】はそう男に話しかけると、先程まで座っていたテーブルに戻って席に着き、ゆっくりと背もたれに体を預ける。対して、男は虚無的な瞳のまま、自身も椅子に座り直して彼の言葉に答えた。

 

「ハ……前に【ウダイオス】の所に行った時も一緒だったろうが」

「それでも久しぶりな気がするなぁ、俺。ところで、あの鎧随分血生臭かったんだけど前使ったのお前だよな?」

「フレーキ……いやお前だぜ相棒。ちゃんと洗ったのかよ?」

「洗ってるって俺は! 面倒臭いけど、放っておくと臭くなってもっと面倒臭いし……」

「フン。うっかり忘れたんじゃあねえのか?」

「かも」

「そこは否定しろよ」

 

 首を傾げる【黒い鳥】に呆れたように大男は溜息を吐く。すると、二階から足音がして老いた狼人(ウェアウルフ)……【啓くもの】フレーキ。彼が姿を現して、驚いたように二人の顔を交互に見た。

 

「ふむ。下が騒がしいと思えば、二人揃ってどうした? 何かあったのかね?」

「年末に新調したあの偽装用の重鎧、あれをこいつがもうダメにしやがった。新しいのを用意せにゃあならん」

「それはそれは。次は是非、もう少し軽い物にして貰いたいものだが」

 

 術師が着るには(いささ)か重い鎧を皮肉って笑みを浮かべたフレーキは【黒い鳥】とも、代理の男ともまた違うテーブルの席に着き、懐から金属製の水筒を取り出して中に詰まった蜂蜜酒を少し口に含んだ。一方、【黒い鳥】は自身なりに考えた次の鎧に対するアイデアを口にする。

 

「いや、もう少し小さい鎧にして貰おうぜ。こいつに合わせたサイズにすると流石にデカい。俺らまで『巨人』呼ばわりされちまうよ」

「体格の差こそ俺が知るか。小さい奴はデカい鎧を着れてもデカい奴は小さい鎧着れねえ以上仕方無えだろ、相棒」

「そうだ! サイズを簡単に調整できるような機能を付けた【仕掛け鎧(ギミック・アーマー)】ってのを【エド】に提案してみるか! いい線行くと思わないか?」

「アホだろ、相棒」

「流石に無理があると思うがね、【フギン】」

「えー。いいアイデアだと思ったんだけどなぁ……」

 

 両者に揃って否定され、【黒い鳥】は()ねるように机に頬杖を突く。それを見てフレーキはまた水筒を傾けて蜂蜜酒を口にし、代理の男もまた、先程吸い損ねた煙草を吸い直そうとパイプに煙草の葉を詰める。

 

 そこで、三人は唐突に店の外に繋がる入口へと目を向けた。何者かが入口の前に立って、聞き耳を立てるような気配を感じたのだ。フレーキが懐に水筒を仕舞い、代理の男は剣呑な瞳で席を立つ。そして【黒い鳥】は訝しむようにそちらを睨みつけた後、視線を扉に向けたまま口を開いた。

 

「マギー、じゃないよな」

「奴はエリスに付き合わされて、酔ってダウンしてるぜ」

「それ速く言えよ。看病しに行っていいか?」

「後にしろフギン…………一人では無いな。恐らく二人」

「闇討ちか……? 面白い。久々に腕が鳴るぜ、なぁ相棒?」

「嫌だよ俺は店が壊れる。マギーに後で殺される」

「ああ、【剣姫】が酔って暴れた時のマギーは割と見物だったな」

「嫌な事思い出させんなマジで……!」

 

 嘗ての騒動を想起させる代理の発言に【黒い鳥】が苦悶の声を漏らした直後。扉の鍵がガチャガチャと音を立て、そしてカチャリと言う開錠の音を鳴らして内側に開き一人の女エルフが姿を現した。

 

 マギーとも、エリスとも違う、腰のあたりまで伸ばされた黒い長髪。厚手の外套を(まと)った露出の少ない格好をして、背には一張の弓、腰にはポーチと矢筒を装備している。身長はおおよそ170C(セルチ)程か。そのゾッとする程に端正な顔に眼鏡をかけたその女エルフは睨みつけるような鋭い視線を身構える三人に向けそれぞれの様子を確認し、そして、その視線とは裏腹に深々と頭を下げて挨拶した。

 

「どうも皆さんお揃いで。お久しぶりです」

 

 その丁寧な言葉遣いに、【黒い鳥】はあからさまに嫌そうな顔をして眉間に皺を寄せ、絞り出すようにして女の名を呟く。

 

「【ロスヴァイセ】……うわ、マジかよ……」

 

 再会の時に取る反応としては余りにも失礼なそれを聞いた女エルフ――――【戦乙女(ヴァルキュリア)】の異名を取る【ロスヴァイセ】は、呆れたように冷たい瞳で【黒い鳥】の顔を睨み付けた。

 

「ああ、フギンですか。お元気そうで残念です」

「あぁ!?」

 

 怜悧な顔から吐かれた毒に先ほどの自身の発言の失礼さを棚に上げ【黒い鳥】が凄むが、対するロスヴァイセは一歩も引かず、あまつさえ顎を上げて見下ろすように【黒い鳥】を睨みつける。その胸は平均より少々控えめであった。

 

「久しいなロスヴァイセ。元気そうで安心したよ」

「フレーキ。貴方こそ健康そうでホッとしました」

 

 二人の間に火花が散ったのを察してか、二人の視線を遮るようにフレーキが割って入って彼女の元へと歩み寄り右手を差し出した。ロスヴァイセは【黒い鳥】に向けていたよりは多少表情の厳しさを和らげて手を取り、再会の握手を交わす。

 

 その様子を、店主代理の男はカウンターの席へと戻って、遠巻きに眺めていた。

 

「しかし、どうしたんだねロスヴァイセ? 連絡があれば、多少は備えておけたのだが」

 

 握手を終えたフレーキは、突如戻って来たロスヴァイセに軽い口調で問いかける。その質問に答えるべくロスヴァイセが口を開こうとした時、外から陽気ながら何処か老いを感じさせる声が彼女の背にかけられた。

 

「おーい。まだかー? 寒いから、俺も中に入れてくれー」

「あ、申し訳ありません」

 

 声の主の懇願に先程までの怜悧な顔はどこへやら、ロスヴァイセは小走りに【鴉の止り木】を飛び出した。そしてすぐに、少々太り気味で片目の潰れた――――代理の男が変じた姿とそっくりな壮年の男が乗る車椅子を、からからと音を立てながら店の中へと押して来る。

 

 その老人――――否。老神を見たフレーキは素早くその場に膝を着き頭を垂れて従順な様子を見せた。一方で【黒い鳥】は驚きに目を見張り、車いすに乗った老人に視線を走らせている。二人がそうしている陰で、店主代理の男は面倒くさそうに舌打ちした。

 

「よぉ、ただいま。元気してたか、フギン、フレーキ」

「はい」

「ジジイ!」

 

 片手を上げて老神がにこやかに笑うと、フレーキがますますその俯きを深くし、【黒い鳥】はとても嬉しそうに席を立って老人の元に駆け寄ろうとしたが、割り込むように立ったロスヴァイセに阻まれて非常に嫌そうな顔をした。

 

「んだよ」

「我が主神に寄らないで頂きたいですね不届き者。血生臭いのが移りかねません」

「は??? 臭いのは俺じゃなくて鎧の方なんだけど???」

「何の話ですか」

「じゃあこっちが行くわ」

 

 言い争う二人を前に、老神はのそりと立ち上がろうとした。しかし、それに気づいたロスヴァイセが素早く彼の方へ反転しその肩を押さえつけて車いすに座り直させる。

 

「お待ちください。今、御身(おんみ)は怪我をされています。まだとても立てるような状態ではありません」

「マジで!? 大丈夫なのかよジジイ!?」

 

 老神が怪我をしているという話を聞き、慌てた様子で駆け寄りその肩を掴む【黒い鳥】。ロスヴァイセと彼の二人に抑え込まれて車椅子に圧しつけられた老神はうっとおしそうに二人を手で振り払うと、恥ずかしい事を思い出すように視線を明後日の方向へと向けた。

 

「すっ転んで足首捻っただけだよ。まぁ確かに、俺もちと自分のデブさが不安になるような転び方だったが……」

「御身に何かあれば私はそれに耐える事はできません。どうか、ご自愛を」

「分かった分かった、じゃーさっさと押してくれ」

「はっ!」

「おい待てよ俺が押すって」

「触らないでください、血生臭いのが移ってしまう」

「血生臭さならお前の方が上だろうが!!」

「何を言っているのですか? 私が返り血を浴びた事などそうありませんよ」

「そりゃあお前は遠くから……いや俺の事昔挽肉(ミンチ)みたいにしかけたじゃあねえか! あれのどこが綺麗なんだお前――――」

「はぁ。二人とも離れろ。私が押す」

 

 老神を取り合う【黒い鳥】とロスヴァイセの醜態を見かねたフレーキが二人を押しのけ、車椅子を押してフロアの中心にある一際大きいテーブルの元へと移動させた。そこまで辿り着くと老神は周囲を見回して不思議そうに首を傾げる。

 

「ん、マギーは? 正直、アイツの顔が一番見たかったんだがなぁ」

「飲みすぎでダウンしてる。エリスの奴に連れ回されたらしくてさ」

「ああ、エリスかぁ。アイツちゃんと働けてるか? すっ転んで料理ぶちまけたりしてねぇか?」

「最近はぁ……三日前」

「相変わらずで逆に安心したぜ」

 

 呆れたように笑い合う【黒い鳥】と老神。彼らを他所(よそ)に店主代理は人数分の水をグラスに()いでテーブルに並べ、ロスヴァイセは椅子を用意し、フレーキは老眼鏡をかけて何枚かの書類を手に席に着いた。

 

 一柱の神と、その元に集った四人。卓を囲んだ彼らから和やかな雰囲気はなりを顰め、厳かとは言い難い、ならず者たちが報酬の取り分を相談しているかのような剣呑さが卓を中心に満ちて行く。

 

 そして全員が準備を整えたのを見計らうと隻眼の老人はニヤリと笑って手を叩き、周囲に向けて宣言した。

 

「じゃあマギーは不在だが……久々に会議を始めるか。とりあえず、それぞれ現状の目的を教えてくれ」

 

 言って彼はまず左右に座る【黒い鳥】とロスヴァイセの内、なんとなく【黒い鳥】の顔を見て発言を促す。それにロスヴァイセが少し眉間に皺を寄せたものの、彼らはそれに気づく事無く、淡々の己らの内を明かし始めた。

 

「……俺はそうだな、とりあえずマギーの左手持って行きやがった自称死神野郎をとっ捕まえる事かな」

 

 【黒い鳥】はどこか楽しげに、しかし確かな苛立ちを以って己の目的を吐露した。老神は納得した様に首を縦に振り、店主代理の男がその詳細について確認する。

 

「【黒いスパルトイ】か」

「おう。【闘技場(コロッセオ)】は定期的に見に行ってるんだが、どうにも別の階層に行っちまったみたいで見かけねぇんだよな…………あとはまぁ、とにかくレベル上げる事かね。ジジイ、後で【恩恵(ファルナ)】更新してくれ」

「あいよ。【戦天適性(ドミナント)】じゃステイタスは更新されてもそれ以外は据え置きだしな」

「自分のスキルながら面倒だぜ。早く俺もオッタルに追いつきてぇなぁ」

「そもそもステイタスの自動更新と言うのが完全にふざけ切った効果だと言うのをお忘れですかね」

「おうロスヴァイセ、あんまり突っかかるなって。で、フレーキ。お前は?」

 

 苛立たし気に口を出したロスヴァイセを窘めながら、神は次にフレーキに目を向けた。彼は書類に落としていた顔を上げるとかけていた老眼鏡をずらして己が主神の顔を見る。

 

「私の目的は変わりません。ダンジョンの完全攻略……いえ、最深部への到達です。しかしながら、それは些か困難と言えるでしょう。本来であればもっと下の階層に到達していたはずの【ゼウス】や【ヘラ】の眷属達を退け、【三大冒険者依頼(クエスト)】の攻略に軸足を移させた『彼ら』を如何に攻略するか。それについて、全く希望が見えていませんからね」

「ジジイ。『あの二人』について何か分かった事はねぇのかよ」

「流石に俺もあんな下の階層での事は良く分からん。お前とオッタルがかち合って以降目撃証言もねぇしな」

 

 身を乗り出して尋ねる【黒い鳥】に、老神は残念そうに首を横に振る事で答えた。彼の答えを聞いた【黒い鳥】は行き場の無い感情を飲み込むためにか、グラスを掴んでその中身を一息に飲み干し、次の一杯を継ぎ足すために一旦席を立つ。彼が通りすぎた横で、フレーキは真剣な顔をして一つの提案をした。

 

「三日後に、【ロキ・ファミリア】が未踏査階層への遠征に向かう予定ですので、その後を追って深層の偵察に出るというのはどうでしょう。彼らに露払いをして貰えば、我々は力を温存できます」

「遠征の手柄を横取りするような事になったら一発で戦争じゃあねえか。リスクがちとデカすぎる」

「我々には【迷宮外縁(アウトサイド)】の知識と言うアドバンテージがあります。然るべきタイミングで使えば、彼らを迂回して先に進む事も可能でしょう」

「そう上手く行くもんかね」

 

 【ロキ・ファミリア】のメンツを汚すような行動に、老神は少々躊躇するような態度を見せる。彼は神として、ロキやフレイヤと深い関係を持つ神であるからだ。それに、彼女らのファミリアのような組織としての強大さは、彼の眷属達には無い。如何に【黒い鳥】を初めとする個々の戦力が高くとも、所謂大ファミリアとされる彼女達の戦力を前にすれば自身等が容易く追いつめられる事になると正しく理解していた。

 

「俺は賛成だ」

 

 しかし、その思考を店主代理の男が挙手を()って(さえぎ)った。

 

「俺としては避けたい事だが……いざとなったら、こっちの持ってる情報を切れば奴らとて黙るしかなくなるはずだ。どちらにせよ、俺らも一度下に潜らなきゃいけねぇとはつくづく思ってはいたしな」

「そうか。じゃあ多数決と行こう。賛成は手を挙げてくれ」

 

 老神の声に応じて、その場に居た内の三人…………店主代理、フレーキ、そして【黒い鳥】が片手を上げた。一方で老神とロスヴァイセは動かず、彼らの主張を見届けている。

 

「3対2……決まりだな。フレーキ。じゃあ、この件に関してはお前に任せる」

「承知しました、我が神」

「頼むぜ…………で、【古き王】よ、アンタは?」

 

 『評決』を終え、それを受け入れた老神は、次に彼が現れてから口数の減った店主代理の男へと問いの矛先を向けた。店主代理はそれに特段反応を示す事も無く、平然と己の描くものを口にする。

 

「俺か。俺も変わらねぇよ。ダンジョンとオラリオの殲滅。それ以外にねぇ」

「相も変わらず物騒だな、お前。俺は後回しにしてくれよ?」

「選んで殺るのがそんなに上等かね…………俺一人ならそう言う所だろうが、フギンの戦力を失うのは流石に愚策だ。後回しにはするつもりだぜ」

「協力するなんて俺一言も言ってないけどな」

「お前にもいつか分かるさ、相棒」

 

 【黒い鳥】の言葉を謎めいた笑いで流すと、それきり代理――――【古き王】と呼ばれた男は黙り込んだ。その様子を見届けた老神は最後に、少し気まずそうな顔をして、口をきつく結んでいた己の傍仕えたる女エルフに声をかける。

 

「お前には今更聞くのもどうかと思うんだが…………ロスヴァイセ、お前は?」

「私の望みはただ、貴方に仕える事のみです」

「いや、もっと自由な生き方があるだろうよ。また別なさ」

「『好きなように生きて、好きなように死ぬ。誰のためでも無く』。私は、私の望みであるが故に、貴方に仕える事を願っています。それを否定するのは、貴方自身の言葉に反するでしょう」

「ハハ…………それ言われると、俺は弱い」

「自分の言葉には責任持てよ、ジジイ」

「うっせぇな」

 

 確固たる意志を見せたロスヴァイセと茶化す【黒い鳥】に笑った老神は、それから全員の顔に視線を巡らせて楽しげに笑う。それぞれが各々の目的の為に生き、そのために互いを利用しあう自由なファミリアとして、己のファミリアが機能していることを確認できたからだ。

 

「よし、それじゃあ大体の話は分かった。他になんかあるか?」

 

 眷族達の今後の展望を聞き届けた老神は、それぞれが確とやりたい事を抱いているのに満足して頷き、それからまた眷族達の顔をぐるりと見渡す。すると代理の男が小さく片手を上げたので、彼は頷いて議題を明かすように促した。

 

「おう、何かあったのか?」

「ああ。こいつはまだ表の神々の間にも出回って無い情報だが……【ジョシュア】の奴が【黒竜】の足取りを掴んだらしい」

 

 彼の発言に、周囲の者たちも思わず緊張を露わにした。

 

 ――――【黒竜】。遥か昔より大空を自由に羽ばたく、人類にとっての不倶戴天の敵。嘗ての伝説の英雄や最強の二文字を千年背負い続けた【ゼウス】と【ヘラ】を(ことごと)く返り討ちにし、未だに世界に君臨し続ける【三大冒険者依頼(クエスト)】最後の一角。

 

 その行方はこの十五年(よう)として知れなかったが、オラリオ外での探索をギルドに依頼され、十年以上この街を離れていた【ジョシュア・オブライエン】がついに尻尾を掴んだというのだ。誰もが知りたがる情報であるそれを、老神はしかし表情を変える事無く代理へと問いただした。

 

「そいつはめでたい。で、何処に居るかってのは聞いてるのか?」

「詳しくはまだだ。だが、何処かの島に居着いてるって話は聞いたぜ。多分今度の【神会(デナトゥス)】で発表されるか――――」

「俺は太ってるから行かねえけどな」

「…………【ウラノス】が握り潰すか、どっちかだろうな」

 

 自らの所見を語り終えた代理はまた口を結び、周囲の意見を待つように黙り込んだ。それにまず、【黒い鳥】が諦めきったような顔で笑う。

 

「流石に、そいつは【神会】待ちだろ。どっちにしろ【黒竜】を相手にして俺達が出来る事は何もねぇし、精々オラリオに飛んでこないのを願うばかりだ」

「そうだな。我々としてはそれよりも、昨今の【闇派閥(イヴィルス)】の活性化に目を向けるべきだろう」

 

 自身等の無力さ、あるいは余りに強大過ぎる【黒竜】の力を無感情に比較して、手に負えぬと黒い鳥は宣った。それに同意しつつフレーキはまた別の懸念を表明した。老神がその話題に心当たりがあると口を開く。

 

「ああ。【怪物祭(モンスターフィリア)】の騒動といい【リヴィラ襲撃】といい、どこぞの邪神がオラリオ壊滅に向けて暗躍を始めているらしい。俺とロスヴァイセも調べちゃいるが、ロクに情報はねぇ」

「なぁ【古き王(オールドキング)】、お前もそれに一枚噛んでたりしねぇよな」

「いや? 俺とはやり方も目的も違うみたいだからな。今は様子見中だ」

「ふぅん。じゃあいいや」

 

 不謹慎に笑う【黒い鳥】に微動だにせず返した代理の男を見て、あっさりと納得した【黒い鳥】はグラスを傾けて一口水を口にした。そして、そこで話は途切れ、一動を微妙な沈黙が包み込む。それを居心地悪く思った老神は、とりあえず真面目な話はもう終わりにするかと考えて、車椅子から立ち上がり皆の前で音頭を取った。

 

「じゃあ話も終わった事だし、帰還祝いに酒でも飲むか! フレーキ、倉庫に極東の酒があったはずだ。折角だし開けちまおう」

「仰せのままに」

「なぁ我が【鴉の止り木(レイヴンズ・レスト)】の店主代理。俺は何か、塩っ気の効いたもんが欲しいなァ」

「後で金は取るからな」

「構わねえよ。ロスヴァイセ。さっき一仕事してきたんだろ?」

「はい。【仮面巨人】とやらの捕縛任務で、まぁ成功はしなかったんですが……緊急依頼としてある程度の前金をギルドから戴いて――――」

 

 その時、ロスヴァイセの話す緊急任務の内容を聞いた【黒い鳥】が、目を丸くして彼女へと詰め寄った。

 

「おい待て。俺の頭ブチ抜こうとした一発目の狙撃、もしかしてあれお前か???」

 

 真顔で問い詰める【黒い鳥】に迫られて、ロスヴァイセも呆気に取られたような顔をする。そして、仮面巨人の正体と目の前の男の関係性に気づいた彼女は、思わず舌打ちをして彼の事を睨みつけた。

 

「え、もしかしてあれ貴方だったんですかフギン? しくじりましたね。きっちりあの場で殺しておくべきでした」

「やんのかテメェ!? 絶対勝てるとは言い切れねぇけど昔の俺と同じとは思うなよ!?」

「望むところです。昔渡せなかった引導を今ここで叩きつけて差し上げましょう」

 

 剣呑な目で殺気立ち、睨みあう人間(ヒューマン)とエルフ。しかし、その間を取り成すように割り込んだ老神が二人の肩を抱いて体重をかけると、互いにそっぽを向いてしまう。

 

「そう睨みあうなってお前ら。今日は折角の宴なんだから、喧嘩は今度やってくれよ。とりあえず今日は仲良く、な?」

「へいへい」

「貴方様がそうおっしゃるのであれば」

 

 了承の返事を返しつつも、二人は視線を合わせる事無くそれぞれ離れた席に腰を下ろした。そんな二人を見て老神は引き攣った顔で苦い笑いを零したが、フレーキが手にしてきた古びたラベルの酒を見て、すぐさまそちらに向けてのしのしと歩み寄り、楽し気に栓を開ける。

 彼が全員のグラスになみなみと酒を注ぎ終える頃には店主代理の男が用意した薄切りの肉が大量に乗せられた皿がテーブルへと到着し、そして分け隔てなく全員がグラスを掲げ、上機嫌に笑う老神が宴の開幕を告げる声を上げた。

 

 

 

「よし、準備出来たな……? それじゃあお前ら、乾杯!!!」

「乾杯!!」

 

 

 

 夜も遅くなった西の大通り(メインストリート)の一角、【鴉の止り木】で始まった騒ぎ。ロスヴァイセと【黒い鳥】がいがみ合ったり、【黒い鳥】がフレーキの老眼鏡を踏み割って焼きを入れられたり、ロスヴァイセが酔いの回った主神を寝室に拉致しようとしたりといろいろあったが……宴は朝、日が昇る頃まで続いた。

 

 そして、酷く泥酔しきった宴会の参加者たちは、朝になってようやく現れたマギーに凄惨な状態となったフロアで眠っているのを見出され分け隔てなくこっぴどく叱られるのだが、それはまた別の話である。

 

 

 

*1
永続的、あるいは超長期の任務に対する俗称。任務に伴う拘束時間と、それによって発生する依頼者側と当事者側両者の責務の重さから結婚指輪になぞらえてそう呼ばれる。




【黒い鳥】がフレイヤの事を様付けで呼ぶのは昔うっかりオッタルの前で彼女を呼び捨てにしてめちゃくちゃ説教(物理では無いマジ説教)されたのがトラウマになっているからです(こぼれ話1)

仮面巨人としての活動は店主代理、フレーキ、【黒い鳥】の三人による独自の活動なので主神とロスヴァイセは与り知りません。むしろ物騒な奴がいるな程度にしか思っていませんでした(こぼれ話2)

【ロキ】の面々が基本【鴉の止り木】を出禁なのは昔アイズのレベルアップ記念で宴会をした時にアイズが酒を飲んで暴れ店を半壊させたからです。(こぼれ話3)

小生、主人公らとは別の思惑で動く強キャラ集団が今後の展望について会議してるシーン大好きマン。一度自分でもやってみたかった。

フロムゲーからのゲストキャラ募集行為を活動報告で行っております。
よろしければご協力よろしくお願いします。

今話も読んで下さって、ありがとうございました。

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