月光に導きを求めたのは間違っていたのだろうか   作:いくらう

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長くなりそうなので分割、16000字ちょいです(後半はまだ執筆中)

前半なので会話パートばかりです。
総合評価7500に達してました、ありがとうございます。
感想、評価、お気に入り、閲覧、誤字誤用報告をしてくださる皆さまのお陰です。今後も精進していきたいと思います。

今回も楽しんでいただければ幸いです。

あっ合計50万字行ってる! こんなに執筆続いた自分すごい! これからもがんばろ!


26:出立

 

 黒衣の男たち、そして、【仮面巨人】による襲撃から三日。今日はついに、【ロキ・ファミリア】が遠征に出立する予定の日だ。

 私は朝早くから【中央広場(セントラルパーク)】のベンチに座って周囲に目をやり、流れゆく雲や人々を目で追い時間を潰している。

 

 

 あの襲撃の後の二日間は、特になにがしかの事態が起こる事も無く、私とアイズ殿はクラネル少年の訓練を順調に進め、昨日(さくじつ)の黄昏時、彼と彼女の打ち合いを以ってつつがなく終了した。

 

 ……クラネル少年の成長速度は、今まで多くの狩人を指導した私から見ても目を見張るものだった。

 

 戦えば戦うほど、剣を振るえば振るうほど、動きが洗練され、出来なかった事が出来る事に近づいているのが分かった。彼自身の素質もあるのだろうが、共に参加していたヘスティア神が『更新』を行う度に彼の力は間違いなく増していたのだ。

 あれが【恩恵(ファルナ)】のもたらす力。人々の経験値(エクセリア)を効率的に抜き出し、それに基づいた成長を与える神の御業(みわざ)

 

 成程、確かに人々が(こぞ)って神の庇護(ひご)を求めるのも分かる。恩恵を得るだけで普通に生きていたのでは手の届かぬ程の強さへの道が開け、しかも特段副作用がある訳でもない。聞けば聞くほど、素晴らしいもののように思えた。

 

 だが、私はどうにも、恩恵と言う物にむず(がゆ)さを感じている。

 

 上位の存在の血を用いて、人を超えるその力。あまりにも似過ぎているのだ。あの、(おぞ)ましき<血の医療>と。

 

 私とて、狩人として人々を守るためにその力を受け入れた一人ではあるし、故に強く物を言える立場でも無い。だが、過ぎた力を与えられれば、人は歪む。私個人としては、ベルがそのように――――血の(もたら)(よろこ)びに酔い果ててしまった後進達の様にならない事を祈るばかりである。

 

 

 

 そんな事を考えながら時間を潰す私が、そもそも何故ここで時を待っているのか? それは、エリス神の指示だからだ。

 

 殆ど形だけの物とは言え、【エリス・ファミリア】は今や【ロキ・ファミリア】と同盟関係にある。しかしそれは平等な物であるとは言い難い。

 余りにも規模が違いすぎる故に、こちらから提示できるメリットが殆ど無に等しいのだ。

 

 で、あれば最低限、礼を尽くす事を欠かしてはならぬと言うのが、私とエリス神の相談の結果導き出された共通の見解であり、そういう訳で今回私には『遠征に行く彼らを見送りに行く』と言う、ファミリアの主神直々の命令が下されている。

 

 ――――その癖、自分は顔を出さぬのだから困ったものだな。

 

 後日行われる事になっている神々の会議、【神会(デナトゥス)】の準備だ何だと理由を付けて結局この場に現れなかったエリス神の事を想起して私は溜息を吐く。

 彼女は『どうせ口だけの私よりも、冒険者として実力の認められてる貴方が顔を出した方が喜ぶ』などと言っていたが、やはり主神が直々に顔を出した方がよいのではないだろうかと私は内心思っていた。

 

 その時だ。広場の大通り(メインストリート)に繋がる道から、ここ最近毎日目にしていた白髪の少年と小柄な栗毛の少女が二人並んで歩いてくるのが視界に映る。私が何と無しに片手を上げると少年の方がこちらに気づいたようで、少女を連れて小走りに此方へと駆け寄ってきた。

 

「ルドウイークさん! おはようございます!」

「やあ、ベル。今日は早いな。迷宮探索かね?」

 

 にこやかに挨拶するクラネル少年に、私は気負う事も無く挨拶を返す。しかし、あれほど体を虐め抜いたと言うのに随分元気そうだ。若さのなせる業と言った所だろうか。自らの半分の歳も重ねていない少年が元気そうにしているのを見て、私は少し安心する。それ程、昨日の最後の戦いで彼は全力を振り絞っていた。

 

「今日は、訓練の成果を試そうと思って……少しダンジョンに。ルドウイークさんもですか?」

「そんな所だ」

 

 クラネル少年の質問に肩を竦めて私は答える。そこで私は彼の隣に付いてきた少女に目を向けた。種族は見た所小人(パルゥム)か、幼い見た目だがもしかしたら年上と言う事もあり得る…………いや、よくよく見ればその顔には見覚えがあった。ならば、挨拶をしておくのが礼儀だろうと私は考えて彼女にも小さく頭を下げた。

 

「久しいですな、アーデ嬢。今はベルのサポーターを?」

「……えっ。あの、失礼ですが、どこかでお会い……しましたか?」

 

 目を丸くして驚く彼女の答えに、私は自身の無神経さに泣きたくなった。

 

 思えば、彼女と出会ったのは私がオラリオに来て二週間ほどの頃だ。【アンリ】と【ホレイス】の二人と行った探索を終え丁度このベンチで休んでいた私に、サポーターが入り用でないか尋ねてきたのが彼女だった。

 しかし、その時彼女とした会話など数分にも満たない短い物で、自身がそれをはっきり覚えているからと言って相手にも同様の記憶力を求めるのは(いささ)か無理があると言う物だ。驚かせてしまったようだし、謝っておくべきだろう。

 

「いや、申し訳ない。以前一度、アーデ嬢にサポーターの話を持ち掛けられたことがあってね。ほんの少しの会話だったし其方が覚えてないのは無理もないと思うが、小人(パルゥム)のサポーターはあまり見ないので珍しいなと思っていたんだ」

 

 すると、突然二人が慌てたような顔になって周囲を確認すると、必死極まりない様子で揃って私に良く分からないことを言い始めた。

 

「え、あ、ルドウイークさん! 彼女はですね、小人(パルゥム)じゃなくて犬人(シアンスロープ)なんですよ! 身長のせいでパッと見そう見えるかもですけど!!」

「そうなんですよえっとルドウィーク様! 私は小人では無く犬人です!! 小さいですけど!!!」

「……いや、小人だろう?」

「いやいやほら見てくださいませこの耳! 完全に犬人です!!」

「ふ、ふむ……? 私の勘違いだったか?」

「そうですそうです! 誰にでも間違いはありますよ!!」

「そういう事ですよルドウィーク様!」

「そうだな…………」

 

 凄まじい剣幕の二人に押されて頷いてしまったものの、体格や所作、何より嗅ぎ取れる血の匂いからして、彼女が小人なのは間違いない。だが、二人がその話をどうにか逸らそうとしているのは流石に察せて私は閉口し、ひとまず話題を変えるべく今回の目標階層を彼に(たず)ねる事にした。

 

「……それで、ベル。今日はどの程度の階層まで行ってみるつもりなのかね?」

「9階層までは行きたいです! ルドウイークさんとア……じゃない、神様に随分見ててもらいましたし!」

 

 逃げを打った私の意図など知る事も無く、希望に溢れた顔で笑うクラネル少年。訓練へのアイズ殿の関与を隠すのを見るに、余り口外しないようにしようと言う我ら三人とヘスティア神で決めた事を忠実に守ろうとしているのも確認できたために、私は少し安堵した。

 

「そうか……そうだな、私から言えることはあまり無いが……」

 

 教えるべき事、その内今の彼に役立ちそうないくつかは、訓練の小休憩の間にクラネル少年には伝えてある。それを生かせるかどうかは彼次第だ。アイズ殿の薫陶(くんとう)(あわ)せて、彼の糧となっていればよいのだが。

 

「ひとまず、生きて帰ってきたまえよ。ヘスティア神もエイナ殿も悲しむだろうからな」

「はい!」

 

 元気よく返事をしたクラネル少年に私は目を細める。そして、どこか心配そうに彼を見つめるアーデ嬢。彼と彼女を繋ぐ、強い強い<導き>の光の糸を見極めようと目を凝らした。

 

 やはり、このような導きは初めて見るものだ。記憶に無く、経験にも無い。恐らくは、彼と彼女の間に特別な絆が生まれている事を示しているのだと思われるが……流石に考察の材料不足だ。

 もしかすれば、我が故郷への帰還に繋がる糸口となりうるやも知れぬ。そのためにも、今後も彼らとの関係を保ち続けたい所だ。

 

 私がそう思索を巡らせていると、【中央広場(セントラルパーク)】から北のメインストリートへと繋がる道で大きな歓声が上がった。集っていた人々が一斉に道を開けると、そこにオラリオでは知らぬ者の居ない【道化師】のエンブレムを掲げた旗を掲げた幾台もの荷車が広場へと到着したのだ。

 

「【ロキ・ファミリア】か」

 

 私はさも知らぬかのようにそのエンブレムを見て呟いた。当然、クラネル少年やアーデ嬢も知っているであろうが、『遠征』に際しては物資を運搬するためのこう言った隊列がしばしば組まれるのだと言う。

 特に今回はこれまでにない深層への挑戦(アタック)となる上、以前に50階層で遭遇したという武器破壊能力を持ったモンスターへの対策か随分と大量の武器が積み込まれているのが見て取れる。私はそれを守る様に周囲を囲む冒険者達へと視線を向けた後、同じようにしてアイズ殿を探していると思われるベルに小さく声をかけた。

 

「ベル」

「ひゃいっ!? な、何ですか!?」

「ロキ・ファミリアも到着した事だし、そろそろ出立してはどうだ? 彼等がダンジョンを降り始めればしばらくの間騒がしくなるぞ」

 

 彼らのような大部隊がダンジョンを降り始めればそれだけ正規のルートは混雑する事になる。通過する事自体に相当な時間が必要となるのだ。

 故に、彼らの後に出立すれば、その歩みは遅々としたものとなるだろう。クラネル少年も当然それは分かっていた様で、視線を此方に戻して答えると隣のアーデ嬢に慌てて声をかけた。

 

「そ、そうですね……それじゃあリリ」

「はい、ベル様。ではルドウイーク様、リリたちはここで失礼させていただきます」

「また今度パーティを組みましょう、ルドウイークさん。それじゃ!」

 

 そう、私への勧誘を残して、クラネル少年とアーデ嬢は人混みをかき分けてバベルの冒険者用の入り口へと消えて行った。小さく手を振って、それを私は見送る。しばらくして私が手を下ろしたころ、更に大きな歓声が人混みの方から上がった。

 

 人混みをかき分ける冒険者の集団。その先頭に立つ、黄金の穂先を持った(やり)を掲げる小人(パルゥム)。生まれ持った高貴さと身に宿す膨大な魔力を滲ませる女エルフ。小柄ながら、鍛えに鍛え抜かれた肉体と大得物たる斧を誇示する老いたドワーフ。

 

 【勇者(ブレイバー)】フィン・ディムナ、【九魔姫(ナイン・ヘル)】リヴェリア・リヨス・アールヴ、【重傑(エルガルム)】ガレス・ランドロック。都市屈指の実力者である彼らに率いられたロキ・ファミリアの主力陣が中央広場へと足を踏み入れたのだ。

 

 当然そこには、昨日まで共にクラネル少年の訓練に付き合っていたアイズ殿の姿も見えた。私は、ようやくエリス神の指示を遂行できると安堵し、彼らの元へと向かうべくベンチを立って歩き出す。

 

 しかし私が彼らの元へ辿りつくよりも、こちらに気づいたアマゾネス――――ロキ・ファミリアの幹部の一人である【大切断(アマゾン)】ティオナ・ヒリュテが大きく手を振ってくる方がずっと早かった。

 

「おーい、ルドウイークー!!」

 

 ぶんぶんと元気良く手を振る彼女に私は軽く右手を上げる事で応える。すると彼女はにこやかに笑い、小走りに此方へと駆け寄って来た。

 

 背には彼女の代名詞たる大得物、【大双刃(ウルガ)】。かの武器の重厚さに反して、身に着けているのは露出度の高い肌着とパレオのみと言うアマゾネスらしい姿。その胸は、双子の姉であるティオネに比べて明らかに平坦である。

 私はその双子らしからぬ体型の差に第二次性徴期の食生活に大きな違いでもあったのだろうかとしばし思考を巡らせたが、自身に迫った彼女が笑顔で話しかけて来たので、思考を中断して彼女の言葉に耳を傾けた。

 

「やっほルドウイーク! もしかして、見送りに来てくれたの?」

「ああ。エリス神が来れぬと言うので、代わりにな」

「そうなんだー、残念。まぁでもありがと! 頑張ってくるから期待しててね!」

「楽しみに待っているとも」

「うんうん。それとさ、遠征から無事に戻れたらその内あたしとまた戦ってよ! 次こそ勝つから!」

「ああ。だが一人先約が入っているのでな。その後であれば構わんよ」

「先約?」

 

 首を傾げるティオナに私は小さく笑みを零して、荷車の傍で空を見上げているアイズ殿に目をやった。

 

「ああ、アイズ殿が私と戦いたいとな。レベル6の彼女とやり合うとなると……正直恐怖を覚えているが、そう言う希望とあれば仕方ない。それなりに頑張らせてもらうつもりだとも」

「えー、いいなー。私も早くレベル6に……あっ! 今回の遠征でレベル上げればいいじゃん! よーし頑張る! じゃあねルドウイーク!! アイズの次はあたしが相手だから!!」

「あ、ああ……」

 

 一人合点して(まく)し立てると、ティオナはそのまま元気よく私の前から走り去ってしまった。それを私は少々呆然とした風に見送る。確かに、遠征と言うのはレベルアップに必要とされる『偉業』を達成する大きなチャンスであるという話はニールセンから聞いていたが、そう上手く行くものなのだろうか。例え上手く行ったとして、それは茨の道なのではないのか?

 

 ……そんな事は、百も承知か。

 

 私は自身と彼女の差を想起して、自らを戒める。己はこの世界において(ことわり)への理解も浅い新参者に過ぎず、彼女はレベル5にまで至った百戦錬磨の強者だ。今更何を心配する事があろうか。

 

 いかんな。歳若いものを見るとどうしても心配が先に立つ。()も歳を取ったな。

 

 ゲールマン翁も、同じような気持ちで我々の事を見ていたのだろうか。そんな事を考えて空を見上げていると、【ロキ・ファミリア】の隊列に合流しようとしていた一人の女性が私に気づき、こちらに歩み寄ってくる。

 

「これはこれはルド殿! 奇遇ですな!」

 

 黒い髪を一つに結び、鍛冶師(スミス)特有の焼けた肌をアマゾネスめいて惜しげも無く晒す女性。片目は自らの主神同様眼帯に覆われており、その胸はサラシに包まれ押さえつけられていながらも一目で分かる程に豊満であった。

 

「どうも、【コルブランド】殿。貴女もロキ・ファミリアの出立を見物に?」

「いやぁ。手前らは今回、彼らの遠征に同行する手はずになっておってな! それでこうして推参したという訳よ」

 

 オラリオ最大の鍛冶ファミリア、【ヘファイストス・ファミリア】の団長であり、現在のオラリオにおける【最上位鍛冶師(マスタースミス)】と呼ばれる【椿・コルブランド】。彼女は腰に()いた刀と、背に負った鍛冶道具の詰められている背嚢(バックパック)を指して笑った。

 

「どうにも、装備を破壊するモンスターの出現が予測されるらしくてな。手前らの『鍛冶』で壊された傍から直していこうという腹積もりらしい! 対症療法と言わざるをえんが、全員の武器を【不壊属性(デュランダル)】にする訳にもいかん以上、最善の策ではあろうよ」

「私も新聞で目にはしました。50階層あたりでしたか」

「うむ。まぁ、幹部陣の殆どには手前が【アンドレイ】殿の知恵を借りて作った【不壊属性】の連作(シリーズ)を提供しているし、【リッケルト】の奴を含めた鍛冶師達が打ちに打ったという大量の魔剣もある故、問題ないとは思うがな」

 

 私はその話に、改めて遠征の規模の大きさとロキ・ファミリアの大ファミリアと呼ばれるに相応しい組織力や資金力の強さに舌を巻いた。魔剣など、一本用意するだけでエリス・ファミリアであれば傾きかねんと言うのに、それを大量に、更にはオラリオ屈指の鍛冶師(スミス)二名による【最硬精製金属(オリハルコン)】製の武器を相当数用意するなど……。

 

 ――――彼女(エリス神)が聞いたら、ひっくり返るか激怒するかであろうな。

 

 その様子が容易く脳裏に浮かべる事が出来て思わず私は小さく笑う。それにコルブランド殿は一瞬怪訝気(けげんげ)な様子を見せたが、ロキの隊列が動き出すと軽く挨拶をして、その中に混じって行った。

 

 歓声と僅かな怨嗟の声に背を見送られ摩天楼(バベル)へと隊列は消えてゆく。これから彼らがどのような冒険に直面するのか。どれほどの困難に立ち向かうのか。彼らと同じ舞台に立つ事を許されていない私にはただ無事を祈る事しか出来ない。

 

 <夜>に向かう私を見送った者達も、このような心持ちだったのだろうか?

 

 私は何となく、嘗てあのヤーナムで関係の有った者たちの顔を思い浮かべて……しばらくの間俯いていたが、ロキ・ファミリアの出立と共に再び流れ出した人混みをかき分けて、広場を後にするのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 その広場の喧騒を、【黒い鳥】は近くの民家の屋上に陣取り見下ろしていた。

 

 彼は摩天楼へと消えゆく面々の顔を目に焼きつけるように観察しながら、手に持ったパンを(かじ)り喰らっている。

 その、彼の背後。行儀悪く座り込んで彼を見上げるのは、禿(はげ)頭に鷲鼻(わしばな)の不愉快な笑みを浮かべる男だ。

 

「ん、そいつはアンタの所の神様が焼いたってぇパンで?」

 

 慇懃(いんぎん)ながらどこか卑屈に、(うかが)うように聞く男。その装備は、黒く染められた革の軽鎧に長大な槍、木製ながら各所がしっかりと補強された頑強な大盾。そして強欲な性根を表すような口の広い背嚢(バックパック)。明らかにサポーター然とした装備をしているが、そこに冒険者から脱落(ドロップアウト)してサポーターとなった者たちのような諦観の念は欠片も無い。

 

 そんな男は欲深い目で【黒い鳥】の持つパンに視線をやっていたが、彼はそれに気づくと嫌そうな顔で男を睨みつける。

 

「ああ、そうだよ。やらねぇぞ」

「いやぁ、いりませんや。朝くらい、どっかの店でちゃんとしたのを食いますねぇ俺は」

「おいおい、ジジイのパンは最高だぞ? 年期が段違いだからな」

「あー、確か最近はパン作りに夢中だっつー話でしたかねぇ?」

 

 思い出すように顎を撫でて男が言った。【黒い鳥】は忌々しげにパンを睨みつけ、空を流れる雲を見上げて答える。

 

「……いや。俺はそう聞いてたけど、本神(ほんにん)に聞いたら『100年前に満足して最近は片手間にしかやってねえ』ってよ。マギーに騙された」

「笑っちまいますなぁ」

 

 けたけたと人の神経を逆なでするように笑う禿頭の男に【黒い鳥】は面白くなさそうに視線を向けると、再び広場へと向き直りパンを齧り始める。ひとしきり笑っていた男はしばらくそうしていた後顔を上げて、【黒い鳥】の背中に問いかけた。

 

「しっかしいいんですかい? 【猛者(おうじゃ)】に用があるからって一足先にダンジョン潜っちまって。ロキ・ファミリアとは遭遇しないようにしたいって、フレーキの旦那は言ってやせんでした?」

「上層で鉢合わせた所で奴らの邪魔するわけでもねぇし問題ねぇよ。それに結局集合はリヴィラだし、ロキ・ファミリア(奴ら)は遠征の時18階層は素通りするからな」

「ならいいんですがねェ」

「お前こそ着替えてきたらどうだよ、【パッチ】。今回は前金ばっちり払ってんだから逃げんなよ?」

 

 苛立った声で言う【黒い鳥】の睨みを受けた禿頭の男――――オラリオの専業サポーターの中で最強の一角であるとされる【ハイエナ】のパッチは、にやにやと顔に浮かべた嫌らしい笑いをふっとかき消すと、先程とは別人のように人当たりの良い笑みを浮かべ、異名に似合わぬ爽やかさを感じさせる声色で答えて見せた。

 

「そうだな、友よ。俺も準備してくるとするか」

「その(ツラ)でそっちの喋り方になるなよ気持ち悪い」

「注文が多いなァ。ま、そんじゃあ18階層で落ち合いましょうぜ」

「おう。じゃ、先に行くわ」

「精々死なんでくださいよぉ。金払う人が居なくなるんで」

「任せとけ。じゃあな」

 

 

 

<◎>

 

 

 

 ルドウイークが【ギルド】に足を踏み入れた時、そこはロキ・ファミリアの出立の影響か相当数の冒険者と職員達が右往左往していた。目的であったニールセンも資料室に引っ込んで出てこなかったため、ルドウイークは一旦ギルドを離れ昼前まで時間を潰して再び訪れると、冒険者達は探索に向かったのか既に姿も無くギルドは平時の穏やかさを取り戻していた。疲労困憊してぐったりとした職員達の体力までは取り戻されていなかったが。

 

 【人間(ヒューマン)】の男が書類に突っ伏して気絶するように眠っており、エルフの男性職員が死んだ目で署名欄から大きくはみ出すようにサインを記している。奥ではルドウイークも世話になった【エイナ・チュール】が首を揺らして舟を漕いでおり、隣席の獣人の女性など虚空の何かを見つめていた。

 

「……ルドウイーク。こんな所で何をしてる」

 

 そんな有り様を眺めていた彼に声をかけてきたのは、ルドウイークがこの場所にやってきた理由である、【エリス・ファミリア】担当職員【ラナ・ニールセン】。彼女も他の職員に違わず目の下には隈を作って、随分と疲れ切った様子を見せていた。

 

「ニールセン、ここ数日ギルドは騒がしかったようだが、一体何があった? 随分と皆疲れているようだが……」

 

 口ではそう言いつつも、ルドウイークには心当たりがあった。先日の襲撃で最後に現れ、自分に襲い掛かってきた謎の人物、【仮面巨人】。

 彼がもたらした被害によってギルドの職員達が七転八倒しているという話をエリスから既に聞かされていたルドウイークは、その顛末を確認し、仮面巨人の手がかりを得るためにギルドにやってきたのだ。

 

「知らんのか? 【ロキ・ファミリア】の遠征に伴う処理がもろもろ……いや、それに【仮面巨人】と言う狂人が暴れた後始末が重なってな……」

「ふむ。たしか家屋及び器物の損壊と……道路の破損だったか?」

「ああ。奴め、民家で暴れた挙句十字路のど真ん中に大穴を開けるなど本当に理解に苦しむ。あまり交通量の多い道で無かったのがせめてもの救いだが……」

 

 ニールセンはそこで言葉を途切れさせると、忌々し気に眉間に皺を寄せ舌打ちした。ルドウイークは内心申し訳なく思いながらも仮面巨人の情報を引き出すべくニールセンに話題を振る。

 

「仮面巨人……どのような奴なんだ? 良ければ教えて貰えると助かるのだが」

 

 ルドウイークの懇願(こんがん)にニールセンは酷く辛そうな顔をしたが、「ここで待っていろ」と彼に告げ離れる。そしてすぐに一冊の本を手に彼の元へと戻って来た。

 

「今は奴について真っ当に説明してやれるほどの精神的余裕がない。こいつでも読み込んでおけ」

「これは?」

「【要注意人物一覧(ブラックリスト)】だ」

 

 彼女の言葉を示すかのように黒い表紙には共通語(コイネー)でそう記されており、中を開けば多くの人物の名前とその人物が記されたページ数が書かれている。

 

「この並び順、名前順ではないようだが何か意味が?」

「数か月に一度改定されるんだが、目撃報告のあった時期順だな。直近の目撃報告があったものほど手前に記されている。仮面巨人なら、かなり手前に記されている筈だ。見てみるといい」

「ふむ」

 

 ルドウイークは彼女に促されるままに目次に視線を走らせて、仮面巨人の名を見つけ出しそこに記されたページを無造作に開いた。

 

 

 

 【仮面巨人】。性別:おそらく男性。年齢、種族不詳。ファミリア、レベル不明。

 

 数年前にダンジョンに現れたのを皮切りに、幾度と無く高レベルの冒険者を襲撃し、それを撃破、あるいは殺害してきた謎の人物。その出現傾向から未発見の被害者も多数いると思われ、ギルドではその危険性をレベル6相当と認定している。

 

 戦闘スタイルは出現時によってまちまちであり、非常に高度な戦闘技術による真っ向からの近接戦を仕掛けてくることもあれば、他者の迅速な行動を阻害する【呪詛(カース)】を用いてからの魔法による一方的な戦闘や、時には罠を仕掛けての奇襲まで多岐に渡る。

 

 装備の熟練や戦法、体型の差異などから数名の冒険者がその装備を用いる事で一人の冒険者に成りすましているものとされ、特に170~180C(セルチ)程度の仮面巨人が最も危険とされるが、被害者の数で言えば最も大柄である2(メドル)を超える大男の場合が抜きんでて多い。

 

 数十年前に存在し行方知れずとなった冒険者、【死仮面(デスマスク)】こと【メイトヒース】との関連は不明。

 

 仮面巨人と遭遇した場合ギルドは早急な撤退と通報を推奨しており――――

 

 

 

 一通りの文章を読み終えたルドウイークが顔を上げると、ニールセンが彼をじっと見つめている。ルドウイークは、彼女が仮面巨人の項を読んだ感想を求めているのだとすぐに気が付いて、言葉を選びながら感想を口にした。

 

「随分と大暴れしているのだな。この……仮面巨人を名乗る者達は」

「全くだ。秩序を乱す愚か者共だよ。オラリオがどれだけ微妙なバランスの上に成り立っているのか、まったく分かっていない」

「バランス、とは?」

 

 ルドウイークが問うと、ニールセンは眉間に皺をよせ忌々し気に口を開く。

 

「このオラリオは人々や神々、それらが生み出す複雑な相互採用の上に成り立っている。故にこの街において秩序と言うのは非常に繊細で、かつ難解な物だ。常に形を変えるピースを使った答えの無いパズルとでも言えようか……」

「途方も無い仕事だな」

「……まあな。そんな物を維持するのを生業としている以上、こう言う事もあるとは十二分に実感して来ているはずなんだが」

「頭で分かっていても、と言う奴か」

「その通りだよ」

 

 彼女の疲れを滲ませる口調からは、その為にどれだけの苦労をしているかと言うのがありありと察する事が出来た。

 

 実際、それはとんでもない話だ。神々――――【超越存在(デウスデア)】は程度の差こそあれ、下界の人々とは異なる感性と倫理の持ち主たちだ。己の思うままに地上での神生(じんせい)を謳歌せんとする彼ら彼女らによって、この世界は幾度と無く変革を余儀なくされている。神々の降臨によってこの土地に在った大穴に摩天楼が立てられ(蓋がされ)、モンスターがダンジョンに封じ込められたことなどその最たる物だろう。

 

 世界全体で見てそのような有り様なのだから、数多の神々が集い【ファミリア】と言う形で下界の子供たちの力を借りてしのぎを削り合うこのオラリオでは、頻繁にニールセンの言う所の【秩序】を揺るがす出来事が起きているのは言うまでもない。

 

 十五年前の【ゼウス】、【ヘラ】の失墜。十年前の第一級冒険者四名による【古き王】討伐戦。五年前の【アストレア】壊滅とそれを引き金にした【疾風】による多くの人間を巻き込んだ復讐劇。

 

 オラリオの歴史上、千年の間最強の座にあったゼウスとヘラが退いた後の十五年間だけでもこのオラリオの情勢は大きく移り変わっている。特に、ここしばらくは五年ごとに何かしらの事件が起こっていた事から、口には出さぬもののギルド職員達は再びの節目であるこの一年が無事に終わる事を皆真剣に祈っていた。

 

「だからこそ、この仮面巨人のような愚か者がこのオラリオにのうのうとのさばっているのは我慢ならん。私も恩恵を受けていたならば、すぐにでもこいつの仮面を引っぺがしてやりたい所だ」

 

 ニールセンは苛立ちを露わにしながら開かれたままの仮面巨人にページを見て歯噛みする。本当に嫌いなのだろう。その視線には当然のように殺意が込められていた。

 

 一方で、ルドウイークはニールセンの言葉から一つ気になっていた事を思い出し、疑問を解決するべく彼女へと質問を投げかけた。

 

「所でニールセン。今君も言っていたが、【ギルド】には恩恵を与えられたものが居ないのは何故だ? 少なくとも、多少の戦力は持っているべきだとずっと思っていたんだが……」

「は?」

 

 ニールセンは短い言葉と共に唖然としたような顔をしてルドウイークを目を丸くして見つめていた。ルドウイークは彼女の予想外の反応に自身がおかしいことを口走った事に気づいて思わず呻き、慌てて取り繕う。

 

「いや待てニールセン、私はあまりこの街に詳しく無くてだな……」

「お前は今更何を言っているんだ。オラリオに来て何か月目だと思っている?」

 

 あきれ果てたような顔で自身を睨みつけるニールセンにルドウイークはただ戸惑うばかりしか出来ない。逆に、ニールセンからすればこのオラリオにおける知識以前の常識を実は全く分かっていなかったルドウイークに蓄積した疲れと合わせめまいが来る様な心持となったが、しかし尋ねられたことに答えられないと思われるのも(しゃく)なのでこれ見よがしに溜息一つ吐いてから口を開いた。

 

「はぁ…………いいかルドウイーク、ギルドは『中立』だ。このオラリオそのものをひっくり返そうとでもしない限り、善にも悪にも加担する事は無い」

「それは分かっているが……」

「力を持ってしまえばどうしてもどちらかに偏るものだ。ウラノスは中立を示すために、あえて力を持たない事を選択したんだ」

「大丈夫なのか? そうなれば、少なからず力でギルドを懐柔しようとする輩も現れるのでは?」

「武力はなくとも完全に無力と言う訳では無い。ギルド傘下のファミリアや個人は、ギルドから緊急の指示を受けた際それに従う決まりがある。それでなくとも、オラリオ自体の運営や迷宮の管理を司るギルドを直接敵に回そうとする者はいない…………ギルドを敵に回す事は、イコールでその『恩恵』を受けるオラリオの冒険者一同を敵に回す事に他ならんからな」

 

 ルドウイークはニールセンの説明を受け、神妙な顔で思案した。彼としては、ギルドがヤーナムにおける<教会>の様に何かしら裏で蠢動(しゅんどう)するような組織ではないかと言う心配が少なからずあったのだが…………そう言ったものではないらしい。ニールセンの言を信じるのならば、だが。

 

「一応、昔はウラノス自ら恩恵を与えた者もいたと聞いている。と言っても千年近く前の話だし、今はもう無関係と言ってもいいだろう…………だがまぁ、これは個人的な意見だが、今も私兵の一人や二人くらい抱えていてもおかしく無いとは思うがね」

 

 そう付け加えて、説明すべき事は全て言い終えたニールセンは腕を組みルドウイークの返答を待つ。ルドウイークとしてはオラリオ――――それ以前に、この世界における常識がまだまだ欠如しているのを痛烈に実感できた故に、心底から目の前の女性に頭を下げた。

 

「なるほど、ありがとうニールセン。勉強になった」

「ああ。お前もウラノスを(うやま)い、ギルド職員ら(我々)をもっと労わってくれ。冒険者はどいつもこいつも、人使いが荒い」

「心得た。しかし、このオラリオを事実上纏めているとは…………流石に、最古参の神と言うだけはあるか」

「ウラノスの『格』とその手腕があってこそ、ギルドはオラリオの中でも中立であり続けられるんだ。まぁ、中にはそれを利用して私服を肥やしているような輩も居るがな……」

 

 ギルドの壁に飾られた歴代のギルド長が描かれている絵画のうち、最も新しい一枚に憮然とした顔で視線を向けた後、ニールセンは溜息を吐いて言った。

 

 ――――ギルドも一枚岩ではないという事か。

 

 その視線から彼女が言わんとする事を理解して、ルドウイークも口を噤む。それはあまりこの場で口にすべきことではないと、流石の彼にも分かったからだ。それで話題を打ち切った彼らはしばらく向かいあったままであったが、ルドウイークがもう一つ、仮面巨人に繋がる手がかりとして聞くべきと考えていた事柄を思い出し、彼女に尋ねた。

 

「所でニールセン、もう一ついいか?」

「……そろそろ休憩も終わりだ。手短に頼む」

 

 時計に目を向けて時間を気にし始めたニールセン。ルドウイークはそれに応じて、率直に問いを口にする。

 

「――――【月光】と言う武器を知っているか?」

 

 ルドウイークは真剣極まりない声色で彼女に尋ねた。【仮面巨人】が口にしていたいくつかの単語。その内、彼にも心当たりがあった唯一の名前であり、何よりも彼が良く知り、何も知らぬ背の聖剣の銘でもある。

 

 彼としては、自身の素性にも繋がりかねないこの(カード)は切りたくはなかったが……直接仮面巨人の事を調べても手応えが無い以上、彼の求める物について知る必要があるとルドウイークは考えた。

 

 それに、もしこの世界にも、私の知らぬ月光があるのなら。

 

 ルドウイークとしては知っておきたかった。この世界で新たに目にするようになった、他者同士を繋ぐ月光。その正体を知る一つの手がかりとして。それが自らの帰還に繋がる可能性は、到底無視できるものでは無かったからだ。

 

 一方で、問われたニールセンは考え込むように腕を組んで、意外とすぐに一人の冒険者の名を挙げた。

 

「月光…………ああ、【アンジェ】の長刀がそんな名前だったな…………確か銘は【クレール・ド・ルナ(月光)】。【ゴブニュ・ファミリア】の【刀匠(サムライスミス)】、【真改】の作だ」

「ふむ…………」

 

 ルドウイークは彼女の言葉を聞き、先日目にした【烏殺し】と渾名される女剣士の得物を思い出して唸った。紫に(にじ)む光を放つ長刀。その美しさは確かに、月光の名を持つに相応しい。だが違う。あれからは、ルドウイークの持つそれと同様の何かを彼が感じる事は無かった。故に、彼は再び問いを投げる。

 

「…………他に心当たりはないかね?」

「他にか………………ああ待て、【月光】と言えば【バンホルト】だ」

 

 ニールセンはまた少し考えるような仕草をしたが、すぐに別の冒険者の名前を上げて話し出す。

 

「【ガネーシャ・ファミリア】に所属する【バンホルト】と言う男がいるのだが、その男は自身の持つ剣は己の家に代々受け継がれてきた【月光】と言う伝説の名剣であると喧伝(けんでん)している……まぁ、由緒あるものには間違いないのだろうが、とても伝説に残るような品ではないと皆は見ているがな」

「それは、どのような武器だ?」

「奴の二つ名の由来にもなっているが……蒼く透き通る水晶じみた刀身と、精緻な装飾の施された『大剣』だ。美術品としては間違いなく一級だろう」

 

 蒼く透き通る刀身。その余りにも決定的な要素にルドウイークは驚きに目を見開き、ニールセンに迫るように一歩踏み出して彼女にその詳細を要求する。

 

「事実かニールセン? そのバンホルトと言う男とはどうすれば会える? 確か【ガネーシャ】の所属と……」

「待て待て、そうがっつくな…………【オニール】! 少しいいか!?」

 

 必死な顔で問い質すルドウイークを押しのけるように両手を前に出して距離を取ったニールセンは首を巡らせ、事務机で書類に突っ伏す人間の男職員に向け叫んだ。

 彼女の声にむくりと男が起き上がる。少しくたびれたその顔には今まで接触していた書類の文章が判でも押されたかのように写ってしまっていたが、彼には特に気にしていない――――気にする程の余力は残っていないようであった。

 

「……なんだよ【ニールセン】…………少し休ませろ…………」

 

 もはや死に体と言った有り様で呟く男の顔にルドウイークは少しばかりの同情を覚え話を保留とするべきか逡巡したが、それよりも早く、ニールセンが男に問い詰める。

 

「お前はガネーシャの担当だろう? こいつがバンホルトに用があるらしくてな」

「…………奴らは今頃、先日の【怪物祭(モンスターフィリア)】の後始末と謝罪回りでてんやわんやだぜ……? 【シャクティ】はガネーシャのフォローで振り回されてっし、【ローディー】の旦那は病み上がり、【メノ】は下の統制で大忙し……バンホルトも奴らの誰かに付いてるだろうし暇はねえだろ……」

「ふむ。だそうだ。すぐに会うのは難しいな」

 

 手早くオニールなる職員から情報を引き出したニールセンはルドウイークに向き直って肩を竦めた。ルドウイークには彼の上げた名前の冒険者について知識は無かったが、先日の怪物祭のメインイベントであったモンスターの【調教(テイミング)】の実演の中止とその顛末については良く知っている。

 オラリオの住人が少なからず被害を受けたあのモンスター脱走事件の後始末に【群衆の主】を自認する【ガネーシャ】はファミリアの総力を挙げており、ガネーシャ本神(ほんにん)は愚か幹部陣までもがその為に奔走しているのだとオニールは語った。

 

「そうか……だったら、落ち着くのは何時頃になるか、目途はつかないかね?」

「……少なくとも【神会】の後にはなるだろうぜ、白装束の旦那……。今はちと、時期が悪い………………」

「そうか…………」

 

 オニールと呼ばれた職員の気だるげながら道理の通った言葉に、ルドウイークは諦めたように肩を落とした。流石に、その理由を前にしては彼は諦めざるを得なかった。

 

「そう気を落とすなルドウイーク。じきに機会は来るさ」

 

 そんな彼の姿を見て、ニールセンは珍しく微笑んで彼を励ました。そして、壁にかけられた時計に一度目を向けるとルドウイークに視線を戻して口を開く。

 

「さて。そろそろ私は仕事に戻る。もしもまた何かあったら顔を出せ」

「今日はいろいろと勉強になった。また頼む、ニールセン」

「その内、何か飯でも奢れ。それでは、またな」

「ああ、また」

 

 短く別れの言葉を交わすと二人は別れ、片やギルドの資料室に、片や外へと向かおうとした。

 

 

 

 その時。

 

 

 

 青ざめた顔をした一人のギルド職員が、慌てふためいたままギルドの正面入口から飛び込んできて大声で叫ぶ。その内容は疲労困憊していた職員達を飛びあがらせるには十分過ぎる内容であった。

 

「緊急!! 上層に【ミノタウロス】が出現!!! 既に死者が出ている模様!!! 大至急、第二級(レベル3、あるいは4)以上の冒険者に【緊急任務(エマージェンシー)】の発令を!!!」

 

 それは、以前のロキ・ファミリア帰還の際の事件を強烈に想起させる情報だった。瞬間、今まで死人かと見まごうほどの表情をしていた職員達が鬼気迫る表情で顔を上げ凄まじい勢いで動き出し、先程までどこか淀んだ空気が流れていたギルド受付は戦場の如き怒号の飛び交う場所へと一変していた。

 

「ミノタウロスは何体だ!?」

「目撃情報は一体のみ!! 片方の角が折れているとの情報と、冒険者から奪ったと思しき武器を装備しているとの情報がある!! 報告を受けた摩天楼駐在の職員が【ロキ】の遠征隊に報告を上げるべくその場にいた第三級(レベル2)に後を追わせたが、現状の状況は不明!!」

「オニール! 最寄りの第二級以上の冒険者がいるファミリアに馬を走らせてください!!」

「あいよ【ネイサン】! お前は摩天楼(バベル)に行って、入口を封鎖している奴らに加わって冒険者達への事情説明行けるか!? どうせ奴らグチグチ言って管巻いてんだろ!!」

「引き受けました!!」

「【エイナ】、緊急時用の依頼書を用意しろ!! 【ミィシャ】、お前は窓口での緊急応対に当たれ! すぐにこちらにも冒険者が駆け込んでくるぞ!! 【マリー】、お前はギルド長に確認を取りに行って居たらここに呼び出してくれ! もし不在ならこの際ウラノス様に直接話を通せ!! 責任は私が取る!!」

「ニールセンさんはどうします!?」

「ジャックもギルド長も居ない以上、今は私が臨時に指揮を()る!」

「わかりました!!」

 

 その場にいたギルド職員達は素早く情報共有と意思疎通を済ませるとそれぞれの最善を尽くすべく幾人かは飛び出し、幾人かは必死の形相(ぎょうそう)でいくつもの書類にペンを走らせ始めた。ルドウイークも手に汗握り、以前の事件を想起する。

 

 【ミノタウロス】。14階層付近に出現する、18階層以前の中でも最も危険な一体に数えられる雄牛の怪物。強靭に過ぎる鋼の肉体と正に怪物的と言うに相応しい膂力を持ち、並の攻撃も防御も通じず更には咆哮で相手の動きを封じてしまうと言う恐るべきモンスター。

 

 当然、上層である10階層で戦っているようなレベル1冒険者がどうにか出来る相手ではない。放っておけばさらに被害が大きくなるのは明白で、可及的速やかに事態を収拾しようとする職員達の必死ぶりにも納得が行く。

 

 故に、ニールセンが真剣極まりない顔でルドウイークに声をかけるのも、当然の帰結であった。

 

「ルドウイーク、頼みがある」

「ああ」

「今からダンジョンに向かい、状況を確認して来てほしい。本来であれば第三級(レベル2)であるお前に頼むべき案件で無いのは事実だが、お前には18階層への到達経験があり、今一番早く動かせる冒険者であるのも事実だ。別にミノタウロスを倒せとは言わんから、とにかく被害状況の詳細確認だけでも頼む」

「……(うけたまわ)った」

 

 二つ返事でルドウイークはニールセンの頼みを引き受けた。本来在るべきでない所に居るべきでない者が要る。そのような理不尽で人が死ぬのはありうべからざることだ。そしてもう一つ。今あのダンジョンには、今朝方顔を合わせたばかりの友人(ベル)が居る。彼が首を縦に振らない理由など無い。

 

 対するニールセンは彼の返答に頷くと、一旦机に向かい、手早く書類を取り出して幾つかの事項を記入しルドウイークに手渡した。

 

「これを持っていけ、許可証だ。こいつを見せれば、迷宮入口の封鎖を抜けられる」

「わかった。では」

 

 ルドウイークは簡素な書類を受け取ると、全速力でギルドの建物を飛び出した。

 

 

 




次はバトルパートになると思います(ルドが戦うとは言ってない)
ベルくんVS牛さんの観戦になるかな……。

緊急事態を受けてテンポのいい連携するシーンすき(平ジェネFINALの病院シーンの長回しカットみたいな奴)。

フロムゲーからのゲストキャラ募集行為を活動報告で行っておりますが、次話の投稿を持って一旦打ち切りとさせていただきます。
代わりと言っては何ですがゲストモンスターの募集を始めましたので、注意事項をお読みの上ご協力していただければありがたいです。


今話も読んで下さって、ありがとうございました。

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