月光に導きを求めたのは間違っていたのだろうか   作:いくらう

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遅くなりましたが分割後半、34500字くらいです。

そう言えば前回の投稿の時には投稿開始から1年が経過しておりました。これも読者の皆様の応援と偉大なる原作のお陰です。

これからも感想評価お気に入り誤字報告等を通じてお付き合いしていただければありがたいです。

今話も楽しんでいただければ幸いです。


30:【クリスタル・リザード捕獲依頼】

 一斉にダンジョンへと足を踏み入れた者達に一歩遅れて、ルドウイークとルカティエルは目的の階層、ダンジョン12階層へと到着した。昇降路の周辺には他の冒険者の姿も無く、競争相手達の姿も無い。既に皆方々(ほうぼう)に散らばり、それぞれ獲物の姿を追っているようだ。

 

「さて、どちらから攻めようか」

 

 ルドウイークは共に歩くルカティエルに向け、首を巡らせて意見を求めた。二人は道中、既に役割分担を終えており、経験の浅い――――オラリオの冒険者としては、であるが――――ルドウイークが前線に立ち、経験者であるルカティエルが指示を出すと取り決めていた。

 

「ふむ…………」

 

 ルドウイークの問いを受けて、ルカティエルは腕を組みしばし思案を始める。12階層の構造は既にほぼ調べ尽くされている。先行した冒険者達もその情報を基に捜索を行っている筈だ。だが、依頼主からの情報は12階層という以外特にない。恐らく、あえて情報を絞る事で冒険者達に階層全域を捜索させ、更なる成果を狙っているのだろうが……。そう言った推察と経験を総合して、ルカティエルは判断を下した。

 

「そうだな、一先ず13層への昇降路周辺へ向かおう」

「ふむ、理由を尋ねても?」

「先に降りた冒険者達は、降りてすぐ、11階層への昇降路付近から捜索を始めたはずだ。つまり、この周辺の捜索は既に終わっている事になる」

「……まだ彼らの手が及んでいない、或いは後回しになっているであろう範囲から捜索を始めようという訳か?」

「理解が早くて助かる……行こう」

 

 ルドウイークは首肯を返して、ルカティエルに先行してダンジョンを進み始めた。急ぎながらも、慎重に。

 

 道中、幾度かモンスターの襲撃を受ける事はあった。だが、先陣を切るルドウイークも、後ろに付いたルカティエルも、この階層のモンスターなど相手にしない実力者。それが二人いるのだから、苦戦する事などありえない。突如生まれ出でたモンスター、立ち塞がったモンスター、二人に気づかなかったモンスター。その全てを例外無く撃破して、二人は13層へと向かう昇降路方面へと進んでいく。

 

 彼らの足取りは何一つ支障なく、十分ほどで昇降口に辿りつくのではないかと言うほどに順調であった。だが途中、幾つかの部屋(ルーム)に繋がる大きな十字路の手前に差し掛かった時だ。その手前、20M(メドル)程の距離でルドウイークが立ち止まり、片手を上げてルカティエルを制した。

 

「どうした?」

 

 その動きを訝しみ、彼の背に問いかけるルカティエル。ルドウイークは後方から受けた彼女の声に、前方を指差す事で答えた。

 

「あれを」

 

 彼の示す先。十字路の中心には罠があった。逆さにされた大きな編み籠。斜めにされたそれを支える、細い糸の結ばれた枝。籠の下に来た獲物を閉じ込め、確保するための単純に過ぎる罠。

 

 それは、如何なる偶然か、異世界の住人であるルドウイークでさえも良く見知っているような罠であった。しかしそれは、有用性や技術的な高度さがあったからでは無い。その稚拙さや、あからさまさを笑う寓話においてまず示されるような罠そっくりであったからだ。

 

 よく見れば、籠の下、影となっている部分には光を反射し煌めく小さな粒がばら撒かれている。餌であろうか? しかし、まさか、この世界においてはあれが有用な罠だとでも言うのか? 冗談だろう?

 

 そう、らしく無くルドウイークが困惑によって訝しみ目を細めていると、納得行かぬ様に首を傾げたルカティエルが口を開いた。

 

「あれは……罠、なのか? 幾らなんでも、あからさま過ぎる…………」

「安心した、いや、全く同感だ。と言うか、クリスタル・リザードは捕まえられるのか? あれで」

 

 さしものルドウイークも、この世界の罠のスタンダードがあれでない事に本気で安堵する。そしてルカティエルに、その罠の有用性についてを訪ねてみた。当然、罠としては落第点だという返答が帰ってくるものと思いながら。

 しかしルカティエルは、むしろその返答を聞いてより難しい問題に直面したかのように腕を組んで悩み出し――――しばらくして、落胆したかのように肩を落とした。

 

「……いや、むう。あの結晶トカゲ……クリスタル・リザードであれば、あの罠でも十分捕獲できるかもしれん」

「……………………それは、事実か?」

「あくまで恐らく、だがな」

 

 ルカティエルは吐き捨てるかのように(こぼ)した。まるで、自らの思案によって見出したその考えを彼女自身認めがたいようでさえある。ルドウイークはそれが気にかかった。彼女は戦闘能力自体は自身よりも劣っているのは間違いないのだろうが、冒険者としては自身よりよほど格上だ。そんな彼女が自身でも納得行った風に見えぬ答えを出すのは、如何なることか。

 

 ともすればこの依頼、自身が想像している以上に面倒な仕事ではないのか? ルドウイークもまた、己が啓蒙が見出したる想定に眉間に(しわ)を寄せる。そして、すぐさま不安の元である【クリスタル・リザード】への認識を改めるべく、ルカティエルに声をかけた。

 

「すまないルカティエル。私には、クリスタル・リザードへの無知があるようだ。…………このままでは、何かよからぬ事が起きても不思議ではない。君の知っている情報だけでも、詳しく教えてくれないか?」

 

 ルドウイークはあくまで真剣な声色で以ってルカティエルへと尋ねる。元より、彼は狩人達の象徴として()った男だ。数多の狩り、探索を経て数多の(もう)(ひら)き、超思索の域に半ば踏み込みながらも自らに誇る程の知性は無いと考えた彼であったが、それ故に他者に良く意見を求めて真摯(しんし)に議論し、その結論を用いて成果を出す事で狩人達をまとめ上げた。それは全てヤーナム民の平穏の為であったが、例えその視線の先にある物が変わろうと、やり方までも変わる事は無い。

 

 ルカティエルはそのようなルドウイークの生きてきた背景など知る由も無かったが、以前の冒険における借りもあり、彼の懇願(こんがん)(こころよ)く応じた。

 

「わかった。ならば移動しながら話そう。余り、あの罠の邪魔になるのも忍びない」

「そうだな」

 

 二人はそう意見を一致させると、眼前の罠を迂回(うかい)するべく手前の交差路を目指して(きびす)を返し、早足に歩き出した。

 

 

 

 

 

 一方、その様子を物陰から心臓がはち切れそうになりながら見つめていたリリウム・ウォルコットは思わず肩の力を抜き、先程から固唾(かたず)ばかりを飲んでいた喉を潤すべく懐から水筒を取り出して口にしようとする。だが、彼女が水筒に口をつけ目を逸らしている間に小賢しい【インプ】が現れて罠を突っつきまわしてひっくり返したため、それを見た【サイレント・アバランチ】の幾人かがそのインプに自身の成した事がどれほど罪深いかを思い知らせるべく、あるいは罠の状態を立て直すべく我先にと十字路へと飛び出して行った。

 

 

 

 

 

 

「で、クリスタル・リザードについてだが……」

 

 聞きながら、ルドウイークの振るう銀剣がオークの喉を切り開いた。鮮血を(ほとばし)らせ崩れ落ちるオークに目を止めることも無く、彼はその脇をすり抜つつオークの豊満な腹を剣持たぬ左手でひっかけて踏み込み、放り投げる。彼の強大な膂力(りょりょく)によって重力の(くびき)から一時解放された巨体は背を向けていた大猿、シルバーバックに直撃。自身に比する巨躯の衝突によって姿勢を大きく崩したシルバーバックの首をルカティエルは切り裂いて、剣を振るって血を払った。

 

「ああ」

 

 剣を背負い直しながらルカティエルは首肯する。そして、周囲のモンスターが全滅した事を首を巡らせて確認すると、改めてルドウイークを見据えて彼に尋ねた。

 

「とりあえずだ、どこまで知っている? クリスタル・リザードの事を」

「……稀少(きしょう)なモンスターである事、ダンジョン全域に姿を現す事、くらいか」

 

 僅かな沈黙の間に自身の知識を反芻(はんすう)し、答えるルドウイーク。ルカティエルはそれを腕を組んで、神妙そうな仕草で聞いていたが…………ふと、こちらを見つめるルドウイークの肩の先、暗闇に覆われた通路に(うごめ)く輝きを目にして彼の横を静かに駆け抜けながらに口を開く。

 

「付いて来てくれ。静かに、静かにだ」

 

 足元の小石ひとつにも注意を払いながら、素早くルドウイークからルカティエルは離れて行く。ルドウイークは僅かに困惑しながらもその後を追った。静かに? 一体どう言う意味だ? ルドウイークは彼女の発言の意図を推理するべく思索を巡らせたが、その答えが導き出されるよりも早く彼もまた蠢く輝き――――闇夜に射す月光の導きとは異なる、瞬く星の如き(きら)めきを目にした。

 

「あれが。そうか?」

「ああ」

 

 ルカティエルを追ったルドウイークは、丁字路(ていじろ)の曲がり角で身を屈め、角の向こう側の様子を伺うルカティエルの後ろに辿り着いて自身も身を屈めた。その、曲がり角から僅かに顔を出した二人が視線を向ける先には、一匹のモンスターがうろうろしている。

 

「あれが【クリスタル・リザード】。今回の捕獲目標で、冒険者(われわれ)からは結晶トカゲやら魔石背負いやら石守(いしもり)と呼ばれているが……まぁそれはいいか」

 

 そのモンスターの大きさは体長50C(セルチ)ほど。八本の短い脚をのしのしと動かして何かを探すようにその場をぐるぐると周回しているそいつは時折ふがふがと鼻を鳴らして、つぶらな瞳を持つ頭を持ち上げ周囲を見渡し、またぐるぐるとその場を回り出す。鱗に包まれた体は光を反射してキラキラと輝いており、そして何より特徴的なのは、普通のモンスターの多くが胸元に持つ魔石を背中に背負っている事だろう。

 

 その、今まで見たどのモンスターとも違う凶暴性やら攻撃性を一切感じる事の出来ぬ風体(ふうてい)を見たルドウイークは、少々複雑そうな面持ちで以ってぼそりと疑問を口にした。

 

「随分とまぁ……なんだ。アレは本当に、怪物(モンスター)と呼べるものなのかね?」

「ダンジョンから生まれるのがモンスターだと言う観点からすればモンスターだが……危険性の面で言えば、野良犬の方がよほど危険だな」

「納得だ」

 

 答えたルカティエルの言に得心(とくしん)が行ったように首を縦に振るルドウイーク。一方で、自身が狙われている事に気づいていないであろうクリスタル・リザードは突如として何かに気づいたように顔を上げると、近くの壁に駆け寄って壁をその扁平な頭を使って掘り返し始めた。ルドウイークはそれを見て気づかれたかと一瞬飛び出しかけるが、ルカティエルがそれを片手で制止する。

 

 彼女の意を汲んで動きを止めたルドウイークがその動きをじっと眺めていると、その内クリスタル・リザードは壁から自身に匹敵する大きさの鉱石の塊を掘りだして、八本の足でそれを抱え込みがじがじと(かじ)り始めた。

 

「あれは……食事か?」

「ああ。結晶トカゲは鉱石や魔石を餌とする……私も見るのは初めてだが、なんというか、こう……」

「可愛らしい物だな」

「……私もそう思う」

 

 ルドウイークの言葉に、どこかダンジョンの中という環境には似合わぬ口調でルカティエルは答えた。そして彼女はルドウイークの先程の問い――――クリスタル・リザードと言うモンスターがどのようなモンスターなのか、それについて静かに語り出した。

 

「クリスタル・リザードはあの通り、危険性の殆ど無いモンスターとして知られている。性格ものんびりしたものだ。ああしてダンジョンを徘徊(はいかい)して、餌を探す。後は同族とじゃれ合ったり、寝るくらいか。今まで冒険者をそれなりに長くやっているが、向こうから襲われたという話も聞いた事が無い」

「…………それが全てであれば、このような捕獲依頼も出んだろう」

「その通りだ」

 

 言外にその先についての問いを投げかけられルカティエルは苦笑して頷いた。その後、僅かな思案による沈黙を挟んで彼女は淡々とクリスタル・リザードの詳細を口にする。

 

「奴らはな、臆病なんだ」

「臆病?」

「そうとも。それこそ、冒険者どころか他のモンスターが近づくだけで逃げ出してしまう位にな」

 

 それを聞いて、ルドウイークは急ぐ必要があるはずの仕事内容にも拘らず道中のモンスターを丁寧に処理していた理由に納得する。

 

「奴らは危機を感じるとすぐさま素早く逃げ出して、距離が離れた途端そのままダンジョンの壁面に飛び込んでしまうんだ。そうなればもはや手が出せん。他にも、追いつめたと思ったら急に姿を消してしまったという話も聞く」

「…………素早く接近し、一撃で仕留める必要があるという訳か?」

「だが奴らを相手にそれをやるのは中々骨が折れる。小さく攻撃が当てづらく、更にはああ見えてかなりタフ。あの背の魔石も、理屈は知らんが一般の魔石と違いやたら強固だ」

「であればレベル2の我々には分不相応な仕事ではないか? それこそ、もっとレベルの高いものにでも…………」

「いや。どうやら奴らは本能的に強者の存在を感知するようでな。強すぎる者の接近にはさらに敏感だ」

 

 それを聞いてルドウイークは思わず鼻白(はなじろ)んだ。それが真実なら実力を隠している己など、クリスタル・リザードの捕獲にそもそも向いていない人材ではないか。だがしかし真実を語る訳にも行かず、彼は沈黙を保つばかり。それを更なる説明を促していると受け取ったか、クリスタル・リザードを見据えたままルカティエルは説明の続きを続ける。

 

「先日の騒動に加え、それも考慮した上でのレベル2以上限定任務なのだろう…………我々の敏捷なら奴の逃げ足にも追いすがれるし、強さと言う面でそこまで気取られる事も無い。レベル4のリリウム・ウォルコットが罠と言う手段を選択していたのも奴の性質を良く理解した上での判断なのだろうな。まあ、気配の消し方によっては第一級冒険者に類する者達でも捕獲できると聞いているが」

「…………ではどうする? 今の、食事に夢中なうちに手を出すか?」

「いや。せめて腹いっぱいになって動きが(にぶ)ってからだ。それに、邪魔が入らなければあのまま眠り出す可能性もある。そうすれば、足の速さも何も関係ない」

「そうか…………」

 

 彼女の案を聞き、ルドウイークは思案する。

 

 やはり最大の懸念(けねん)事項は自身が感づかれる事だ。レベル4の冒険者が罠と言う手段を選択する程の警戒心を持つのならば、少なくともレベル5と渡り合えた自身はより気づかれやすいのは間違いないだろう。

 ここは彼女の言う通り、クリスタル・リザードの食事を見守るのがベストか。ここで慌てて飛び出して逃がすという事だけは避けたい。相手は希少種モンスター。最悪この遭遇が今日最後のチャンスと言う事もあり得る。他の冒険者らも12階層の捜索を着々と終え、こちらに向かってきている筈だ。時間が経てば経つほど、結晶トカゲとの遭遇率は低くなるばかりの筈。

 

 ――――このチャンスは、逃すべきではない。そうルドウイークは思案の果てに導き出して、そして彼女の言葉に同調するように提案した。

 

「君の言う通り、ここは様子を見るか。私は周囲を警戒しよう。ルカティエル殿はクリスタル……いや、結晶トカゲを。何かあったら教えてくれ」

「ああ。任された」

 

 

 

<◎>

 

 

 

「ハハッ! やっぱり俺らの狩り方が最高か~!!」

 

 大笑(たいしょう)する犬人(シアンスロープ)の冒険者、三人パーティのリーダーである【カニス】は足をばたつかせる結晶トカゲの両脇腹を両手で掴んで高々と掲げた。それに残りの二人、【ダン・モロ】と【RD(アールディー)】はどこか呆れたような眼差しを向けながら、捕獲に使った道具を片付け周囲の警戒を行っている。その二人の様子にどこか拍子抜けしたような顔をしてから、カニスは黙々と背嚢(バックパック)の口を開くRDに絡んでいった。

 

「んだよ。これで二匹目だぜ!? もっと喜べってお前ら! ハハハ!」

「ちょっと黙れっスよ。もし他のが近くに居たら逃げちまう」

 

 誇示するかのように結晶トカゲを抱えたままのカニスに苦言を呈したRDはそこまで喜びを示すわけでもなく、結晶トカゲを拘束するための紐を探してバックパックを漁り始めた。そのバックパックの中には様々なアイテムが詰め込まれている。色とりどりの回復薬(ポーション)や解毒薬、予備の装備に紐や布と言った雑具、食料や水などの消耗品。一見汚らしく、無理矢理に詰め込むだけ詰め込まれているように見えるそれは、その実RDと言う男にとっての最適解だ。

 

 冒険者達からすればそれは雑然として小汚い印象を与えるものの、多くのサポーターは彼の様にそれぞれの個人に合わせたアイテム収納術を身に着けて、己のバックパックをそれ専用にカスタマイズしている。それは冒険者からしてみれば『真っ当にアイテム整理も出来ない冒険者のおちこぼれ、あるいはなりそこない』などと言う印象を与え、サポーターが蔑まれる要因の内の一つとなっているのだが――――少なくともカニスとRDの二人の間柄にとって、それは関係の無い話だった。

 

「…………なぁ、一旦ここらで上に戻らないか? 結局こいつらもあの檻に入れなきゃ証書貰えないんだろ?」

「なぁーに言ってんだダン! まだ二匹じゃあねえか!! もっとかっぽり稼ぐぞ!」

「42÷3で一人丁度14万。揉めない為にもあと一匹は欲しいっスね」

 

 結晶トカゲが一匹入った籠を背負って、不安げな表情で言うダン・モロの言葉に二人が首を縦に振る事は無かった。片や調子づいて、片や姐さんと慕う冒険者に叩き込まれたシビアな金銭感覚を以って彼の言葉を否定する。一方で二人の反論を受けたダン・モロは肩を落とし、そこでふと、視線を下げた時に目に入った煌めくもの――――RDのバックパックに括りつけられた、拳大の石の破片に目を向けた。

 

「ん。RDそれ、なんだ? そのバックパックの横の光ってるやつ。前は無かったろ?」

「これっすか? 前、北通りの(のみ)(いち)*1で見っけたんスよ。いいっしょ」

「綺麗だな。これ、あれか?」

「うん、多分七色石(なないろいし)っス」

 

 紐を取り出したRDはそこで一端手を止めて、グローブの上に拾い上げた石を乗せて見せた。七色石と呼ばれるそれは、主にダンジョン18階層の大草原にある発光する結晶を細かく砕いたものの総称だ。オラリオの夜を照らす魔石灯にも応用されているそれは、未加工の状態ではこのような淡い発光を見せ、何より魔力や燃料要らずで光を確保できるため冒険者の間では暗がりの照明や痕跡作り、変わった所では安全確認などに使われている。

 

 気弱そうにそれを見つめ、ダンは僅かに口元を緩める。彼の横顔を見てRDは少し勝気な笑みを見せるが、視線を七色石へと戻すと青白く、淡い光を放つそれにどこか訝し気な視線を向け小さく首を傾げた。

 

「でも、七色石ってこういう色で光るって聞いた事無いんスよね…………。だからもしかしたら、似てるだけで七色石じゃあないかも」

「んー…………それなら昔聞いた事があるぜ。七色石には幻の八色目があるって」

「マジスか!? へー、じゃあもしかしたらこれがそうかも? 姐さんには黙っとこ」

「売られちまうかもしれねえもんな」

「ヘヘ、マジでそれっス――――」

「あいだだだだだだ!!!!!」

 

 その時、七色石談議で盛り上がり始めた二人の会話を引き刺すような声を突如としてカニスが上げた。弾かれたようにダンとRDが振り向けば、カニスに掲げられていた結晶トカゲが彼の指に首を精いっぱい伸ばして(かじ)りついている。それを見たダンとRDは、それぞれ真逆の対応をカニスに対して行った。

 

「大丈夫か!?」

「お前ら、喋って無えで早く縛り上げいだだだ!!」

「だから最初尻尾持てっつったじゃないスか」

「いいから早……(いて)ぇーっ!!!」

 

 喚いていたカニスがその内痛みに耐えかねて思いっきり手を打ち振ると、突然口を離した結晶トカゲは勢い良く彼の手を離れて空中に綺麗な放物線を描いた。そしてそのままの勢いで地面にぶつかってゴロゴロと転がると、すぐに体勢を立て直し文字通り尻尾を巻いて逃げ出して行く。

 

「何やってんだカニス! バカ! すごいバカ!!」

「うっせえ追うぞダン! マッハでボコボコにしてやらぁ!!!」

「ちょっまだアイテム整理が!」

「さっさとしろ!」

 

 声を荒げながらも急停止してカニスはRDの準備完了を待ちわびる。一方のダンは彼がバックパックに仕舞おうとするアイテムの一部を自身の背にした籠に投げ入れて急がせた。そして整理が終わったのを見計らい三人は慌てて結晶トカゲの後を追う。

 

「チッキショーあの野郎!! 人の指食いモンと勘違いしやがって!!!」

「それよりどこ行ったんだあのトカゲ!? もう壁潜っちゃったんじゃないか!?」

「言われてみりゃそうっスよ! 追う意味なくねえ!?」

「うるせえこのまま舐められてられっか、ボコボコだよあの野郎ッ!!」

 

 喚きながら全速力でダンジョンを駆け、既に姿見えぬ結晶トカゲの輝きを三人は追う。しかし、どれほど走り回っても既に姿を消した結晶トカゲを見つける事は叶わず、ある程度走り続けた所で明らかに速力を落とし始めていたダンが足を滑らせてすっ転んだ。

 

「ぐわーっ!?」

「ダン!? カニスちょっと待てっス! ダンが!!」

「ちょっまっ!? 何してんだ!」

 

 急停止し(きびす)を返したカニスが怒声を上げるが、RDはそれに取り合う事も無く彼に肩を貸して立ち上がらせる。申し訳なさそうにしていたダンはすぐにRDから体をもぎ離して、籠から転がり落ちて手足をじたばたと動かしてもがく結晶トカゲを再び籠に放り入れると、がっくりと肩を落として(うつむ)くのだった。

 

「…………はぁ、…………俺、やっぱ才能無えのかな」

「あのなぁ。才能うんぬんより怪我が無えかを気にしろよ。お前にリタイアされちゃ困るんだ」

「……すまん」

 

 沈むダンをぶっきらぼうながらカニスは確かに心配する言葉をかける。それはダンがリタイアした場合、自分が籠を背負わなければならないという利己的な判断から来たものかもしれなかったが、ダンはすまなそうにまた少し視線を下げた。

 

「……しかし、どうするか。トカゲの野郎も居なくなっちまったし」

「俺が言うのも何だけど、また探すしかないと思う。悪い」

「いつまで謝ってんだよ。でもま、それしかねえか…………」

「あれ見てっス!」

 

 これからの方針を相談するカニスとダンの会話に、RDが割り込んだ。その声に応じて彼の示す先に目を向けた彼らの眼が捕らえたのは、丁字路の手前で呑気に鉱石を抱え込んでかじかじと齧り続ける一匹の結晶トカゲ。チャンスだ。今し方一匹を取り逃がしたばかりの三人は小さくない焦りを抱きながら、全く同じタイミングで、同じようにそう思った。

 

 ――――今度は、逃がさない。

 

 だがその時、RDだけが小さな違和感を感じた。結晶トカゲの向こう側に、()()()()。彼の恐怖を感じ取る才能は、ルドウイークがヤーナムで鍛え上げた気配の隠蔽(いんぺい)能力さえも上回っていたのだ。

 

 だが、その違和感はあくまで小さかった。ルドウイークの気配の隠蔽能力は、あらゆる脅威を恐怖として感じ取る、RDの先天的な感知能でさえ捉え損ねかけていた。それが、RDの行動に迷いを与えた。その迷いによって生まれた時間のせいで、彼はカニスの行動を制止する事が出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……どうだ?」

「まだだ。無駄に大きな奴を掘り起こしたからな」

「……食事が終わったら教えてくれ」

 

 言ってルドウイークは後方を警戒したまま、腰のポーチから取り出した水筒の蓋を開け、その中身を少し口に含んだ。

 

 結晶トカゲの食事が始まってから既に二十分ほどが過ぎている。しかし結晶トカゲが掘り出した鉱石がその体を超えるほどのものだった事が災いし、食事は未だに終わりそうも無い。その間に、既に三度モンスターによる襲撃を受けている。それを受けてなお結晶トカゲが呑気に鉱石を貪っているのは、その全てがルドウイークの警戒する側からの接近であり、そしてそれに対応したルドウイークが素早く、静かにその怪物たちを始末したからだろう。

 

 とは言え、いつまでこの様な幸運が続くかはわからない。ともすれば次に来るモンスター達は結晶トカゲの側から現れるかもしれないし、最悪自身等が居るここでモンスターの出現が起きる可能性もある。

 

 早く状況が推移(すいい)しないものか。結晶トカゲをルカティエルに任せ、後方と周囲の状況に警戒を集中させているルドウイークは心中でそんな事を考えていた。しかしそれは、彼の願うそれと全く変わった形で訪れるのだった。

 

「マッハでとっ捕まえてやるぜ、行くぞォァ!!!!」

「何叫んでんスか!?」

「気づかれたぞ!」

 

 突如として結晶トカゲの居る方から聞こえた声にルドウイークは弾かれたように振り向く。すると彼同様驚いたように首を上げた結晶トカゲの向こうから、三人の冒険者が全速力で迫ってくるのが見えた。犬人(シアンスロープ)人間(ヒューマン)小人(パルゥム)。三者三様の三人は同じように必死な顔をして目の前の結晶トカゲに肉薄する。

 

 しかし、結晶トカゲの反応は迅速だ。今まで執心(しゅうしん)していた鉱物の塊を放りだすと、その八本の足を小刻みに動かしてまるで<加速>しているかのような凄まじい速度でルドウイーク達の(がわ)へと迫り来る。

 

「ルカティエル!」

「ああ!!」

 

 二人は想定外の事態に慌てて態勢を整えて、迫る結晶トカゲの進路へと飛び出そうとした。したが、間に合わなかった。

 

 カニス達の気配の消し方が、もう少し下手であったなら。もしもルドウイークが後方ではなく、前方の結晶トカゲを警戒していれば。ルドウイークの居た位置が、ルカティエルの後ろで無ければ。カニス達の疾走がもう少し遅く、結晶トカゲに与えた危機感がもう少し小さかったなら。そしてこの結晶トカゲが、他の同族に比べて窮地に瀕した時爆発的な力を発揮する根性のある個体でなければ、彼らの妨害は成功していただろう。

 

「おおっ!!」

 

 ルドウイークより一歩先に飛び出したルカティエルが両手を広げて結晶トカゲの前に立ち塞がり間髪入れずに飛びかかった。だが、結晶トカゲはその短い脚からは想像も出来ぬ程の跳躍力を見せ、前傾姿勢となった彼女の手をすり抜ける。そして彼女の身に付けた(おきな)の面に(したた)かに()()し、衝撃に()()った彼女の顔を足場代わりにしてルドウイークの頭上を軽々と超える大跳躍を決めて見せた。

 

「顔を踏み台にしたァ!?」

 

 驚愕を叫ぶダンの声を置き去りにして一気に遠ざかってゆく結晶トカゲ。ルドウイークも前へと向かっていた勢いの急制動に足を取られ、すぐさま対応する事が出来ない。もしも殺していいならどうにでもなっただろうが、今回は生け捕りが条件。そして何より、結晶トカゲの決死の一手によって突破されたルカティエルの姿が彼に即座の対応を許さなかった。

 

「ぐわーっ!?」

「ルカティエ――――ぐあっ!?」

 

 まるで足を滑らせたかのように背中から地面に叩きつけられ悲鳴を上げるルカティエル。それを受け止めようとするも届かなかったルドウイークの頭には結晶トカゲの跳躍に(ともな)って彼女の顔から外れた仮面が命中し、痛みに数歩たたらを踏む。

 

「すまねえ! あとで謝る!」

「今謝れよ!!」

「それより大丈夫っスか!?」

 

 その二人の脇を、全速力でカニスが駆け抜けて行った。一拍遅れてダンがその背に罵声を浴びせ、仰向けに倒れたルカティエルへとRDが駆け寄る。

 

「腰打ってないっスか!? ヤバけりゃ回復薬(ポーション)を――――」

「近づくな!!!」

 

 慌てて背のバックパックに手を伸ばしたRDはルカティエルの叫び声に足を止めた。仰向けになった彼女はその顔を帽子で覆って隠している。

 

「ルドウイーク! 居るか?! 仮面を、仮面をくれ!!」

「あ、ああ!!」

 

 右手で帽子を押さえ顔を隠したままがなり立てるルカティエルに少々面食らいながらも、仮面の直撃した頭を多少気にしながら足元に転がっていた仮面を拾い上げると差し出された彼女の左手に手渡した。

 

「っ…………ふうっ! ………………見たか?」

「いや」

「誓って見てないっス」

「左に同じで……」

 

 仮面を被り直し、こちらに向き直ったルカティエルのどこか人間味の無い声にいつの間にか並んだルドウイーク、RD、ダン・モロはまるで親に怒られる子供のような緊張感を感じながらに答えた。その三人の顔を一人一人睥睨(へいげい)した後、彼女は疲れ切ったように溜息を吐いて首に手をやり状態を確かめる様にそこを軽くさすった。

 

「ならばいい…………」

「あの、うちのバカがすんませんっス。アイツ、この依頼に随分気合入れちまってて」

「本当にすまない! あとでその、注意しとくから、許してくれねえかな……」

 

 静かに、しかし苛立つように腕を組んだルカティエルにRDとダンは素直に頭を下げる。その様子を見た彼女は一度ルドウイークに目を向けるが、彼が肩を(すく)めることでその視線に答えると、彼女はやり場のないものを吐き出すかのように長い長い溜息を吐く。

 

「それは、正直気にしなくていい。そういう依頼だと言うのは承知していた」

「マジっスか」

「ああ。それよりも……」

「さっきの彼、カニスだったか? 彼を追った方がいいんじゃないかね」

 

 ルカティエルの言葉を継いだルドウイークの提案にRDとダンは顔を見合わせた。そしてそのうち、ダンは肩の荷が下りたかのように力を抜くと、何処か腑抜(ふぬ)けたような顔であっけらかんと口にした。

 

「えっ、いいんですか? ……いやぁRD、話分かる人達でよかったな。ビビって損したぜ」

「ダンちと黙っててくださいっス。えーっと、それなんスけど、俺ら見ての通りの非戦闘員でして…………」

 

 普段は悲観的な癖して時折妙に楽天的になるダンに対して辛辣な言葉を突きつけつつ、RDは申し訳なさそうに自身達の装備を示して見せた。彼らが装備しているのはサポーター用のバックパック、捕獲用の籠を除けば最低限の護身用装備のみだ。

 その上、二人はレベル1。【上層】――――1階層から12階層までがレベル1に許された領域とは言え、その中で最も下にある12階層は『最もレベル2に近い領域』である。自分達二人だけで動き回るのは(いささ)か危険に過ぎるというのが、今まで数多の修羅場をその感知能と立ち回りで切り抜けて来たRDの判断であった。故に彼は思いっきり下手(したて)に出て、眼前の二人に協力を要請する。

 

「ちと、俺らだけでカニスの奴を追うのはヤバい、つかぶっちゃけ無理臭いんス。さっきの、そっちの仕事邪魔しちゃった()びも含めてこの、こっちの捕まえてるトカゲ一匹、そっちに融通するんで、カニスの奴追っかけんのにどうか手を貸してくんないすかね……」

「RD、それ勝手に決めるのはマズいんじゃ」

「カニスが俺ら置いてったんだから仕方ないじゃないスか。最悪、俺らこっから帰れなくなるっスよ?」

「嘘だろそれはヤバイって、まだ死にたくねえよ……!」

「俺だって死ぬのは死んでもゴメンっスよ!」

「そう、うん、そうだな。俺も、そう思う……」

 

 RDの説得によって自身の置かれた状況の深刻さに今更気付いたダンは顔面蒼白となって冷や汗を流した。彼は既に冒険者として四年近いキャリアがあるが、その実力は腕のいい新米(ルーキー)と大差ない。単独で10階層より下に来たことも無かったのだ。

 

 一方でそんな二人の様子と眺めていたルドウイークは、彼らの提案自体には何らおかしい所は無いと判断しつつ、任務開始前の取り決めに基づいてルカティエルへと指示を求めた。

 

「……どうする?」

「……どうするか」

 

 半ば鸚鵡(おうむ)返しのようにして腕を組んだルカティエルは首をひねった。個人的な事を言えば、怒りは間違いなくある。だが、先ほども言ったように今回の依頼は()()()()依頼だ。捕獲は早い者勝ち。である以上自身達が狙っていた獲物であったからと言って、そこに横から割って入られたことに必要以上の怒りを見せるのは彼女としては選ぶべき選択肢では無い。

 

 それよりも考えるべき事はこの依頼を上手く成功させる方策だろう。そこで、彼女は単純に損得勘定のみで判断を下す事にした。

 

 目の前の二人はレベル1、しかもサポーターだ。彼らが求めているのは、先ほどの犬人(シアンスロープ)、カニスとの合流までの護衛。これは、さほど難しい事では無い。レベル2であるルカティエルとルドウイークの二人の力を考えれば、RDとダン・モロを連れて12階層を捜索するのは十二分に可能だ。

 

 そして、その報酬。彼らは捕獲済みの結晶トカゲを此方に譲ると言っている。それは、お互いにとって非常に大きな譲歩だ。結晶トカゲは残りの作戦時間を捜索に充てて出会えるか出会えないかと言う相手。で、あればここで彼らの提案に乗る事で確実に一匹を確保するのは悪い話ではない。逆に向こうとしてはそれほどの交渉札(カード)を切らなければならぬ程の危地なのだろう。

 

 断る理由も無い。それに、流石にここで助けないのも寝覚めが悪いな。ルカティエルはそう判断し、一度ルドウイークに視線を向けて小さな首肯を受け取ると、改めてRDの眼を仮面越しに直視して頷いて見せた。

 

「私としては、あの条件であれば彼らを護衛するには十分値すると思う。ルドウイーク、君は?」

(おおむ)ね、私も同意見だ」

「じゃあ……」

「ああ。我々は、君達に協力するとも。そのカニスとやらとの、一刻の早い合流を目指そう」

「あざっス!!」

「いや助かるあり難い! 俺達だけじゃ、どうしようもないからさ…………いやホント、俺どうしようもないんだ。どうしよう。俺、やっぱ冒険者向いてないのかな…………アンタ、どう思う?」

「急に聞かれても困る」

 

 ルカティエルの出した結論を受けてRDは深々と頭を下げた。一方、ダンは喜びを隠せぬと言った具合に顔をほころばせ、しかしその後すぐにどんよりと沈んだ雰囲気を漂わせて自身の進退をルカティエルに尋ねた。それに興味が無いと言わんばかりにぶっきらぼうな答えを返す彼女の姿を見て内心で小さく笑ったルドウイークは、一旦確認するように三人の顔を見渡して、今すべきことを提案した。

 

「さて、とりあえずカニスを追うとしよう。時間が経つと、それだけ合流は難しくなる」

「そっスね。とりあえず追っかけますか」

「隊列はどうするんだ? 俺ら、戦力外だけど……」

「追跡なら任せてくれ。ルカティエル、後ろは任せられるかね?」

「構わない」

「助かる。では、行くとしよう」

 

 そう言って先頭に立ったルドウイークは、(かつ)て身に付けた技能を駆使してカニスの痕跡を追跡し始めた。

 

 

 

 

 

 

 それから数分後。カニスはルドウイークが想定したよりも遥かに容易く見つかった。

 

「だ――――っ!!! くっそ!!! あーくそっ!!! 壁に潜るの早すぎんだろ!! モグラかお前!? トカゲか! 次会ったら絶対とっ捕まえてやるかんなぁーッ!!!」

 

 通路の行き止まり、12階層の隅にある四角形の小規模な部屋(ルーム)で苛立ちを発散するべく地団駄を踏むその姿はまるで子供じみていたが、その喚きたてる声によって大した苦労も無くその姿を見出す事が出来たルドウイークは内心安堵の息を吐いていた。同様の心境にダンも至っていた様で、彼は近くで溜息を吐いていたRDにそっと耳打ちする。

 

「こんなすぐ見つかるんだったら、俺達だけで探しても良かったかもな」

「それがさっき【シルバーバック】にビビリ散らしてた人のセリフっスか。危機感ねえっスよ」

「お前だってビビってただろ!」

「だから俺はデカい口叩かないっス。ま、そもそも俺ら置いてったカニスの奴には、思う所あるっスけどね…………」

 

 呆れるように口にするRDに反論するダン。すると、二人の会話を獣人特有の鋭い聴覚で聞き取ったカニスは弾かれたように身を(ひるがえ)し、二人の姿を認めると憤慨(ふんがい)した様子で彼らを指差した。

 

「お前ら(おっせ)ぇぞ! おかげで結晶トカゲ逃げちまったじゃあねえか!! どうすんだよ!!」

「いやカニス、お前が俺達置いてったせいだろ」

「そっスよ。もうちょい周りの状況見る事をお勧めしまっス。つか見てくださいよ。お陰で、俺ら格上とトラブるとこだったんすよ」

「うっ……でもよ、お前ら何とか追っかけて来いよ。それくらい出来るだろっての」

 

 二人の鋭い指摘を受けたカニスは、まるで飼い主に叱咤(しった)された犬の様に尻尾を巻いて一歩後ずさった。一方、顔を見合わせた二人は溜息を吐いて、そして彼を許す筈も無く、再びカニスへの口撃(こうげき)を再開していった。

 

「いや俺らだけでどうすんだよ、俺達レベル1なんだぜ」

「こ、ここは【上層】だろ。レベル1でも大丈夫なんじゃあねえのか」

「いや、俺らレベル1の中でもふっつーによわよわっスからね? シルバーバック1匹で死にかねないっスよ」

「いやそのくらい何とか……」

「俺達今回サポーターだぞ!」

「そっスよ! ロクな装備も無しに同レベルの強豪モンスターどうにかできる訳ねえっス! カニスも素手でミノタウロスとやらされるとかシャレにならねぇっしょ!!」

「………………そう言われりゃ、そうだわ」

「ったく」

 

 二人の畳みかけるような攻めにカニスはあっさりと折れ視線を伏せた。それに呆れたような顔をしたダンに対し、カニスは一瞬睨みつけるような恨みがましい目を向けたが、彼ら二人の後ろに立ちルカティエルとルドウイークに気づくと、彼らとの遭遇自体すっかり忘れていたかのように一瞬訝しんで、そして驚いたような声を上げた。

 

「つか、あんたらは……あー、あー! さっき俺らと同じ結晶トカゲ狙ってた奴らか…………もしかして報復か!? クソッ、やるなら相手になるぜ!?」

「やらんよ」

 

 戦いに備えるように盾と小剣を構えたカニスの啖呵(たんか)に、ルドウイークは小さく笑いながら首を横に振った。それに不思議そうな顔をするカニスに対して、ルカティエルが一歩前に出ると事情を説明し始める。

 

「実は、彼ら……RDとダン・モロ二人からの依頼でな。お前との合流までの護衛を頼まれたんだ。結晶トカゲ一匹と引き換えに、だが」

「ふーんそうかそうか……ってぇ! じゃあ俺らの捕獲スコアマイナス1で結果ゼロじゃあねえか! どうすんだよ!!」

「どうするもこうするもねーっスわ! 自分が俺ら置いてったのが原因っしょ!!」

「まぁまぁ。また新しいの探すしか無いだろ? まだ時間はあるしさ……カニス、やっぱトカゲは逃がしちまったのか?」

「ああそうだよ。逃げられちまった」

 

 自身等の成果を失う事に気づいて憤慨(ふんがい)するカニスと、お前のせいだろと直球の反論を掲げてそれに突っかかるRD。しかし、喚き立て始めた二人の間にさっとダンが割って入り諭すように二人を(なだ)め。カニスに先程の追跡の顛末(てんまつ)を尋ねると、彼は意外にもあっさりと引き下がって悔し気に歯ぎしりをして見せ、そしてぼそりと呟いた。

 

「あーあ、クソッ。どうせなら、どっかに結晶トカゲの巣でもありゃあいいんだが」

「あ、それいいな。そういうのがあれば、結晶トカゲ捕り放題じゃん。いいなぁ。どっかにねえかなぁ」

「そんな都合良いのある訳無いっスよ」

「分かってるけど思うだけタダだろ」

「そうだぜRD。夢は見るだけタダさ」

「そっスけどね…………」

 

 カニスとダンの会話に呆れながらも応じるRDであったが、内心その存在を願っていないわけでは無かった。今回の任務、彼は『姐さん』と呼ぶ【ロザリィ】との仕事が無い空き時間を利用して、臨時収入で彼女を驚かせ、かつ自らの懐を潤わせるためにこの場にいるからだ。多くの結晶トカゲを捕獲したいという考えは本物であり、カニスの戯言とも言える発言に同じような夢想を願ってしまうのも、無理からぬことであった。

 

 一方、その姿を蚊帳の外から眺めていたルドウイークと、周囲の壁に傷をつけモンスターの出現を抑止していたルカティエルであったが、ふと彼らはRDの背嚢(バックパック)に括りつけられていた石飾り――――七色石と思しき石が、いつの間にか淡い粒子の様な青白い光を放っている事に気づいて、思わず彼に声をかける。

 

「RD。先程から君のその……石飾りか? 随分と、強い光を放っているが」

「えっ……うおっマジだ!? なんスか!? なんスかこれ!!」

「七色石ってこんな強く光るのか?」

「いや、これほど強い光を放つなど聞いた事が無い。別の鉱石なんじゃないか?」

「じゃあ八色目じゃ……あっ、消えた」

 

 降ろされた背嚢(バックパック)を皆が取り囲んで発光する石を眺めながら論議を行っていると、そのうちふっと光は弱弱しくなり力を失うかのように消えてしまう。それを見た彼らは、それぞれが首を捻って見慣れぬ現象に対して思い思いの感想を述べ始めた。

 

「何だったんだ、オイ?」

「さぁ……」

「オラリオには私の知らないものがまだまだたくさんあるな。実に興味深い」

「いや、こんなものは誰も見た事が無いと思うが……」

「なんか怖くなってきたっス……呪いのアイテムでも売りつけられちまってたりして……!」

「おいおいRDそりゃお前、いくらなんでもビビりすぎ…………」

 

 ぶるぶると震え出したRDに呆れるように笑いを浮かべたダンは、ふと首筋を過ぎった風に寒気を感じて、振り返った。そして目を見開いて、震えた指で先程ルカティエルが傷つけていた壁の方を指差す。

 

「お、おい。何時からここ、道なんかあった? 行き止まりだったよな?」

 

 その言葉を聞いて、一斉に皆がそちらに振り向いた。彼らの視線の先には、暗闇へと続く通路が口を開けている。無論、この部屋へと踏み込んだ際に使ったそれとはまた別の通路だ。

 そもそもとして、この部屋は行き止まりにあった小規模部屋(ルーム)。他の道など有りよう筈も無い。

 

「……少なくとも、今までのマッピングには示されていなかったはずだ。私も聞いた事が無い」

「それじゃあもしかして……未踏査領域!? マジか、大発見っスよ!! やべえ! 怖いけど! どうするんス!? やっぱ一旦撤退して、ギルドに報告を…………」

 

 重苦しい雰囲気で暗闇の先を睨みつけるルカティエルと、歓喜しているのか恐怖しているのかよくわからない、混乱したように騒ぎ出すRD。一方でルドウイークは嘗ての<聖杯ダンジョン>の情景を思い出さずには居られなかった。行き止まりの小部屋の壁を調べ、その先にある宝物庫を見出した幾度もの経験。ルドウイーク個人は宝物にさほど興味無かったが、光り物を好んだ<(からす)>などはその中から眼鏡に叶った品を幾つも持ち帰り、ねぐらである時計塔に溜め込んでいた。

 

 そんな事を思い出して懐かしむルドウイークの頬を道の通路より来たりた緩やかな風が撫でた。彼はそれを感じ、訝しむように眉を顰める。風が来たという事は、風の通り道がある――――あの暗闇の先は、またどこかへと繋がっているという事だ。

 

 だとすれば、それは良くない。万一更に下の階層へと繋がっていた場合、あの先はこの12階層より強大なモンスターが(たむろ)している可能性もある。それに、更にまずいのは地上へと繋がっていた場合だ。公的に、ダンジョンへの入り口はバベルの根元にある一か所しかないことになっている。それ故にギルドはダンジョンの資源を管理する元締めとしての役割を成し得ているのだ。嘗ては下層に繋がる通路が存在した湖などもあったようだが、そこは過去に塞がれたとされている。

 

 RDの言う通り、任務を放棄して報告へ向かうべきか?

 

 ルドウイークが思案の結果その結論を組み立て、ルカティエルに意見を乞おうとしたその時だ。流れてきた風にカニスが鼻を鳴らし、そしてその顔に異名に違わぬ獰猛な笑みを浮かべ、言った。

 

「いや、待てよRD、それよりもだな…………結晶トカゲの匂いがするぜ」

 

 犬歯を剥き出しにして笑う彼は言うが早いか、右拳を左掌に打ち付けて意気揚々と叫び、そして英雄的に未踏査領域への一歩目を踏み出した。

 

「つまり、金の匂いって事だァ! お前ら行くぜ!!」

「おいカニス!?」

「何言ってんスかこのバカ犬!? 少し懲りろよ!!」

「うっせえ! タダ働きで帰れるかってんだよ!! そうだろRD!!!」

「えっまぁ……そりゃ、そうっスけど……」

「ダン! お前、今月の返済ヤベーんだろ! ここで一攫千金(いっかくせんきん)でひっくり返して、俺と歓楽街回りまくろうって話だったじゃあねえか! 若いエルフのねーちゃん紹介すっぞ!!」

「えっ、そりゃ、まぁ、借金は返さなきゃだし、美人のエルフと寝たいっつーのは、あるけどさ…………」

「だったらついて来い! RDもそこまでビビってねえしな! 行くぞァ!!」

「こんのバカ少しは慎重に……ちょっ、おい! 待つっスー!!」

 

 カニスの熱意と(まく)し立てる様な弁舌(べんぜつ)に引っ張られその後に続くダンと、必死に彼らを追うRD。そのまま三人は口を開けた新たな闇の中に姿を消して行き、ルドウイークとルカティエルの二人だけがその場に残された。二人はしばらく、動きあぐねるかのように立ち尽くしていたが、そのうち当初の取り決めとは真逆となるように、ルカティエルの方からルドウイークに意見を求めた。

 

「…………どうする?」

「追うしかあるまい。嫌な予感を、ひしひしと感じるが」

 

 ルドウイークとしては、彼らの動向を放っておく訳にも行かぬ。ここで会ったも何かの縁。見殺しにするには、あまりに忍びないと彼は考える。同時に、RDがそこまで恐怖を感じていなかった点からしてそれ程の脅威は無いのかも知れないとも考えるが…………彼はその付け焼刃の知識より、今まで聖杯ダンジョンで数え切れぬ程の悪意と対峙した自身の経験則を当てにした。

 

 この様な場所は、多くの場合目に見える成果が眠っている。そして、それ以上に危険な悪意に満ち溢れている。ならば、先にこの先に踏み込んだ彼らは途方も無い危地に立たされるだろう。ならば、力ある自分が助けずしてなんとする。そう考えた彼は未知の領域に向け一歩踏み出し――――ふと思いついたかのように首を巡らせ、ルカティエルに真っ直ぐな視線を向けた。

 

「ルカティエル。本音を言えば、上に戻って報告を上げてきてほしいのだが」

 

 その彼の言葉に、ルカティエルは首を横に振って応じた。

 

「いや、私も同行する。こんな所で引き下がる訳にも行かんし……向こうにそのつもりはなかっただろうが、話がうやむやになって結晶トカゲを受け取っていないしな」

「わかった。……危険を感じたら、即座に撤退するぞ」

「ああ」

 

 二人は意見を同調させると、慎重な足取りで、未知の暗黒へと踏み出して行った。

 

 

 

 

 

 

 

「これは、凄いな……!」

「まさか、こんな光景を拝めるとは……」

 

 しばらく代わり映えのしない通路を進んでいた二人だが、その先にある大きな部屋(ルーム)に到達するとどちらとも無く感嘆の声を漏らした。

 

 その部屋(ルーム)は眩しく煌めいていた。ダンジョンの灯りとなっている光る天井だけでは無い。ルドウイークが18階層の方々で目にした光輝く結晶体――――膝程の高さのものから、ルドウイークの身の丈を大きく超える巨大なものまで、数え切れぬ程のそれがそこら中に乱立し、それぞれが煌々と光を放っている。

 

「本当に、ここは結晶トカゲの巣かもしれんな……」

 

 無数の光源に照らされ、壁までもが光り輝くその光景を一望してルカティエルが思わず呟いた。それほどに、この場所は結晶と光に満ちている。ダンジョンの暗闇で煌めいて動き回る結晶トカゲを連想するのも無理からぬことだろう。それに、周囲にはモンスターも見当たらない。

 

 もしやここは、未発見の『安全階層(セーフティポイント)』か?

 

 ルドウイークは怪物の気配を感じないこの部屋(ルーム)を見渡し、訝しんだ。万一そうだとすれば、今後のダンジョン攻略の前提そのものが一変しかねない。ギルドどころか、全ての冒険者を巻き込む大発見である。

 

 だが、それはまだ確定した事では無い。ルドウイークは気を抜く事無く再び周囲を見渡して、耳を澄ませた。林立した巨大結晶に遮られた向こう側から、先程先行した三人の声が僅かに聞こえて来る。彼はルカティエルにそれを示すように視線を向けると、一度頷いた彼女の反応を見て、音を立てぬよう静かに走り出した。

 

 

 

 

 

「おいおいおいおい! 何だここマジで天国か!? 結晶トカゲだらけじゃあねえか!!!」

「より取り見取りだぜ! これで俺の借金も…………」

「マジかよ、こんな事あんのか…………やべ。姐さんにめっちゃ褒められちゃうかも…………」

 

 二人が彼らの元に辿り着くと、三人は歓喜と共に何匹もの結晶トカゲを縛り上げていた。忙しそうに背嚢(バックパック)から紐を取り出したRDが、両手に一匹ずつ結晶トカゲの尻尾を掴むカニスから結晶トカゲを受け取って縛り上げ、それをダンが受け取って背の籠に放り込んでゆく。

 

 籠を背負うダンの動きは少々ふらついていて、彼の背の籠には既に限界近い数の結晶トカゲが詰め込まれているのは明白だった。そしてさらに、彼らの周囲にはパニックを起こしたようにあちこちを走り回る結晶トカゲたちの姿が見受けられる。もし捕らえられ、更には相当数に逃げられたであろう状況を経てなおこの数となれば、最初ここにはどれほどの結晶トカゲが(つど)っていたのだろうか。

 

 歓喜に沸く三人と、混乱する結晶トカゲの群れ。ルドウイークはそれを眺めて、今度は自分からルカティエルへと声をかけた。

 

「どうする、ルカティエル」

「本当なら今すぐ報告に戻りたい所だが…………流石に、彼らだけ残して行く訳にも行かないだろう…………それに、私個人としても、一匹くらい結晶トカゲを捕らえておきたいしな」

 

 そう言ってルカティエルは背に負った籠を指で示した。確かに、このままではこの様なイレギュラーに遭遇しながら、結局はタダ働きだ。エリス神にも合わせる顔が無いとルドウイークは思案する。しかし、同時にこの階層が、何か危険を隠しているように思えて他ならない。

 

 しかし、金は生活の糧だ。それを私の独断で奪い去る訳にも行かないだろう。ルドウイークは一刻も早い撤退を叫び出したい感情に襲われながらも、ルカティエルの兄を置いて来てしまったという事情も(かんが)みて彼女が結晶トカゲを一体捕まえるまで位は待つべきかと思い、腕を組んで近くの全高5(メドル)近い巨大結晶に寄り掛かる。

 

 だが、彼の判断はダンジョンの悪辣さからしてみれば何手も遅い物だった。いつの間にか、逃げ回っていた結晶トカゲたちが揃って姿を消している。それを訝しんだ二人が、未だに喜びを分かち合っている三人のもとへと歩き出した、その直後。突然RDが弾かれたように顔を上げ、小人(パルゥム)の小さな体のどこから出ているのかと思わず疑うほどの大声量を張り上げて叫んだ。

 

撤退(てったぁぁぁぁぁぁい)!!!」

 

 瞬間、RDの叫びを受けたダンとカニスの動きは、ルドウイークさえも目を見張る程のものだった。今まで歓喜に沸いていたとは思えぬそれは一重(ひとえ)に慣れの成せる業。幾度もの危機をRDの危険察知で切り抜けてきた二人にとって彼の撤退宣言は絶対的な信頼のおけるものであり、そして、何が何でも従うべき天啓(てんけい)に等しい物でさえあった。

 

「何――――」

 

 彼らの反応に遅れて、ルカティエルは走り抜けたRD達の背に思わず視線を向けた。こちらを見て、早く逃げろと恐怖に満ち溢れた視線で合図を送っていたRD。その視線が、驚愕と共に上に逸れる。それに釣られて顔を上げるルカティエル。

 

 彼女の眼前には、灰色の体表と結晶に覆われた巨大なモンスターが迫っていた。

 

 回避。否。この姿勢から瞬発的に動けるほど、ルカティエルは敏捷に優れた冒険者では無い。ならば迎撃。しかし彼女の武器は取りまわしのいいとは言えぬ大剣。それを手にしようとする自らの動きが、もどかしすぎるほどに遅く感じる。真実、彼女の五感は明確な死を前にして極端に鋭敏となり、その視界はゆっくりと時間が流れ、自身の肌から滲み出す冷や汗の一つ、怪物の体表からこぼれた小石の一つさえも知覚出来るほどに高まっていた。

 

 もはや、怪物との接触は一瞬後。打つ手はない。だがもしここで死ねば、地上に残してきた兄はどうなる? ルカティエルの脳裏には中央広場(セントラルパーク)で別れた兄の姿がありありと思い出せた。兄を残して死ぬわけにはいかない。その決意が、彼女の剣を握りしめた手を眼前の死を打ち払うために駆動させた。

 

 激突の衝撃が部屋(ルーム)を揺らす。巨体の重量と勢いが生む途方もない圧力に、ルカティエルは一瞬で膝を着きそうになる。

 

 だが彼女はそうならなかった。全身に力を漲らせ、巨体と互角の鍔迫(つばぜ)り合いを演じる。その脳裏には兄と、もう一人の人影。十年以上前、兄を追いオラリオを目指した道中にて身の程を知らなかった自分自身の道を幾度となく助けた『獅子甲冑の戦士』。大恩人たるあの戦士の背を求める旅も、未だ手掛かり一つ無く行き詰っている。

 

 まだだ。この様な所で、死んでたまるか。死んでなどいられないのだ、私は!!

 

 その、怒りにも似た決意。それが彼女に抗う力を与えた。永遠にも等しく思える、ほんの一瞬の力の拮抗を見事に彼女は演じて見せる。だが、奇跡は永遠に続かない。身を震わせる怪物の圧力に少しずつ彼女は圧され、追いつめられ、更に怪物は激突したまま右手を掲げてギリギリの状態にある彼女にトドメの一撃を与えようとする。絶体絶命。そんな言葉が彼女の脳裏を過ぎった。

 

 しかし、彼女が死ぬ事は無かった。彼女の精神力が生み出した奇跡的な拮抗。その現実時間にして数秒にも満たない僅かな拮抗が、ルドウイークに怪物の脇腹に強烈な蹴りをぶち込んで見せるだけの時間を与えることに成功していたからだ。

 

『ガアアアッ!?』

 

 まるで破城槌(はじょうつい)でも受けたような威力によって怪物は吹き飛ばされ、その結晶に覆われた背中によって地面を抉りながら転がってゆく。それを仮面の裏から敵意を持って睨みつけたルカティエル、だがその視界を遮る様にルドウイークの背中が映る。一瞬、彼女はルドウイークの行動を訝しむが――――そこから思索へと映る時間を与える事も無く、彼は声を荒げて撤退を指示した。

 

「ルカティエル! 君は彼らと共に退()け! こいつは危険だ!!」

「な……何を言ってる! お前一人で相手をするつもりか!? 流石に無理だ! 私も――――」

「ダメだ! もし彼らが脱出する前にこいつの同族が出たらどうする! レベル2一人では、レベル1二人を守り切れん!!」

「それはっ!」

「この場のレベル2で一番強いのは私だ!! あとは何とかする!! 行けっ!!!」

「ッ……! くそっ!! 死ぬなよルドウイーク! 彼らを説得してすぐに戻るからな!!!」

 

 ルドウイークの有無を言わせぬ暴論に、しかしルカティエルは逆らう事は出来なかった。彼の言っている事は一つを除いて間違ってはいない。もしも先んじて撤退した三人が眼前の怪物と同じ存在に遭遇すれば、レベル1を二人要する彼らはこちら以上の危地に立たされるだろう。

 

 二人で下がろうにも、あの怪物は間違いなくこちらを追いかけて来る。それだけの殺意を向けてきている。そうである以上、背を見せる訳にも行かない。故に、ここで最も冒険者として強力であるルドウイークが足止めを担うのは、ルカティエルが逆の立場であれば迷いなくそうしたであろう最適解。

 

 だがそれは、守る側としての最適解だ。守られる側からすれば全く認めがたい。

 

 本音を言えば、今すぐこの場に留まって彼と共にあの結晶の怪物へと挑みかかり打ち倒してしまいたいという気持ちがある。だが、既にルカティエルは理解していた。先日のミノタウロス騒動の際の、未確認モンスターとの戦闘で見せた立ち回り。そして、今し方眼前で見せた体術の技。それはルカティエルに、この男がレベル2の範疇を越えた存在なのだと理解させるには十分過ぎる物であった。

 

 故に彼女は唇を噛みながらも踵を返してカニス達を追う。この男と、あのモンスターの戦い。その戦場に立つためには、自身の実力が不足しているという残酷な事実を呑み込んでルカティエルはこの部屋(ルーム)から去って行った。ルドウイークはそれを見届けると、体勢を立て直した怪物へと視線を戻して、そして普段はひた隠しにしている殺気を滲ませながらに怪物に向けて問うた。

 

「………………貴公は、獣か?」

 

 彼の言葉に、眼前の怪物は呻くような唸りと、その全身に殺意を漲らせる事で応じた。

 

 体高3(メドル)を超える巨躯。爬虫類のそれと類似した灰色の体表。強靭な後ろ足で体を持ち上げるその姿はまるでドラゴンめいていたが翼は持たず、鋭い爪の生えた強靭な前足と、脇腹から生えた幾本もの小さな手足が先ほどの上方から――――天井からの奇襲を成立させていたのだとルドウイークは推理する。

 

 そして、何より特筆すべき、全身から生えた鋭い結晶。ルドウイークの直観に結晶に覆われておらぬ脇腹への蹴りを選択させたそれは、まるで結晶トカゲが背負っていた魔石をより広範囲に、そして攻撃的に発展させたような――――

 

『ガアアアアアアッ!!!』

 

 思索を行うルドウイークへと怪物は躊躇する事も無く襲い掛かった。その体躯と速度が生み出す速度は、さしものルドウイークとて直撃すればただでは済まないだろう。しかし彼は余りに直線的なその動きの(すじ)を容易く見切り、すれ違いざまに背の結晶へと一撃を加えてその強度を計りながら小さく呟いた。

 

「言葉など、通じるはずもないか」

 

 ルドウイークは今の一撃の代償にビリビリとした衝撃を受け取った銀の長剣と手の感触を咀嚼しながら、姿勢を落として結晶トカゲの出方を伺う。少なくとも、軽い薙ぎ払いでどうにか出来る強度では無い。まるで全身に金属鎧を着こんでいるかのよう。ヤーナムの獣には姿の無かった手合いだ。

 

 だが、だからと言って何の違いがあろう。

 

 ルドウイークは敵の一挙手一投足を見逃さぬように緊張感を持ちながら目を細めた。そう、何の違いも無いのだ。敵と――――獣と対峙した己がやるべき事は、何も変わらない。

 

 獣の性質を暴き、理解し、狩り、殺し、そして生き残る。守り抜く。ルドウイークはそうして自分を、仲間達を守るために戦ってきた。ならば。

 

「――――ルドウイークの狩りを知るがいい」

 

 背の仕掛けと銀剣を組み合わせ大剣となった<ルドウイークの聖剣>を抜き、ルドウイークは怪物の姿を真摯に見据えた。その眼光に一瞬、怪物は怯むかのように身じろぎした。だが、すぐさま身に宿す暴力性によってその怯えを凌駕して、咆哮と共にルドウイークへと躍りかかってくる。

 

 対するルドウイークはその攻撃を機械的なまでに正確に回避する。それを成しえるのは、ひとえに戦いの中でも止まる事の無い思索と仮定、予測の連続だ。戦場で思考と戦闘を両立させるのはそう容易な事では無い。ともすれば、集中を欠いていると思われる事もあるだろう。だが常に未知の獣や神秘と相見えてきた狩人達――――特に狩人らの最前線に立ち、古い獣、あるいは真なる上位者と相対して来た者達にとって、それは必須の能力である。

 

 故に、その最先鋒であったルドウイークもまた、唸りを上げる怪物の暴威を前にして電撃的に思考を巡らせた。全ては狩りの成就のために。

 

 ルドウイークの瞳が見開かれ、怪物の全ての動きを見透して行く。振りかぶられる右腕。踏み込まれた右足。薙ぎ払い。左方へ跳躍。回避。すれ違いざま、片手で背に大剣を振り下ろす。硬い。獣の強靭な筋肉の鎧とは違う、硬質な感触。怪物が振り向きながら過剰に身を捻る。攻撃予兆。さらに体を捻って、結晶の生えた尻尾を振り回す。上方へ跳躍。回避。ヤーナムの獣には不思議と尾の無いものが多かった。興味深い。最善は切断。上側からは困難。結晶の無い体の下側への攻撃が有効と判断。再び振り向いた怪物へと跳躍。腹への刺突攻撃。

 

 光の糸。

 

 瞬間、攻撃姿勢を取っていたルドウイークは即座にそれを諦め後方へと再跳躍。それに一拍遅れて、怪物の口から白く輝く気体が放出された。それが付着した地面がガラスの如く光沢を帯び、そこから巨大な結晶体が爆発的に発生する。

 

 ルドウイークは月光の導きに従いその被害範囲から既に離脱しては居たものの、眼前で起きた現象に瞠目(どうもく)した。そして敵の脅威評価を内心で更に引き上げつつ、発生した結晶の脇を回り込んで怪物の腕を狙って大剣を薙ぎ払う。その一撃は腕の結晶を砕いたがしかし皮膚には届かず、彼は再び距離を取り反撃の振り払いを見届ける。

 

 小手調べではいかんな。ルドウイークはふぅ、と一つ息を吐くと、大剣を握る手の力を少しばかり強めた。そして、再び飛び掛かって来た怪物の顔面に向け、思いっきり横薙ぎの一撃を振り抜いた。

 

 激突による衝撃が、部屋(ルーム)に元より生えていた幾つもの結晶を振動させる。その結晶を巻き込んで破壊しながら吹き飛ばされた怪物の巨体が地面を幾度も跳ね転がり、そして壁に衝突してようやくその動きを止めた。

 

『ガアッ……ガアアッ……!』

 

 肺の中の空気を絞り出すように喉を鳴らし、四肢に力を込めて身を起こす怪物。大剣を左手で握りしめて、ルドウイークは怪物の許へ悠々と、油断なく、無感情に歩みを進める。その姿に、怪物は壁を背にして一歩後ずさりしようとし、そして威嚇するように咆哮を上げた。ルドウイークの歩みは止まらなかった。決して、部屋(ルーム)全体を震わすような大声量が聞こえていない訳では無い。単純に、客観的に、彼我の戦力差を判断した上で、彼はそれを無意味な事であると断じただけだ。

 

 ルドウイークは思考する。この怪物の正体、結晶トカゲの近縁種――――或いは、話に聞く【強化種】で間違いないだろう。戦力は、恐らくレベル3以上。強靭な筋力と結晶による防御能力、そして結晶の吐息を操るが…………以前相手にした【ティオナ・ヒリュテ】に比べれば、あらゆる意味で容易い相手だ。だがそれでも、十分に自身を殺しうる能力は備えている。ならば殺す。生きる為に。

 

 決断的に歩みを進めながら、彼はもう空いていた右手で背にしたままの月光の柄を掴み抜き放った。形成す神秘。宇宙色の大剣たる、光纏わぬ<月光の聖剣>。人によって作られたる仕掛け大剣、<ルドウイークの聖剣>。嘗て数多の大獣(おおけもの)を、神秘達を屠り、狩人達の時代を築いた<聖剣の狩人>の姿がそこには在った。

 

 怪物に、その事は理解できよう筈も無い。彼に許されたのは、眼前に迫る脅威に対して、ただ抗う事のみ。故に怪物は賭けに出た。四肢を今まで以上に強く突っ張り、全身に力を漲らせ、そして口から前回とは比較にならぬ量の気体を吐き出す。

 

 だが、それはルドウイークに届く事は無く、彼と怪物の間を遮るかのように滞留した。ルドウイークは右の月光を肩に負い左の聖剣を引き絞り、構える。

 

 次瞬、怪物は爆発的なまでの瞬発力を以って自ら滞留した気体へと突撃を敢行した。

 

 恐るべき速度で気体の壁を打ち破り、咆哮を上げる怪物。その全身に付着した気体の力によって爆発的な勢いで結晶が生み出され、只でさえ強固であった防御力を更に途方もない領域へと押し上げて行く。

 

 名を付けるのであれば、『結晶纏い』とでも呼ぶべき正しく捨て身の大技。例えこの突撃によって敵を仕留めたとて、全身を結晶に蝕まれたその体は長くは持たないはずだ。しかし、命を対価にした事実に相応の威力を怪物は手に入れていた。結晶によって増した防御能力は更に殺傷性をも高め、目くらまし代わりとなった気体と体面積の増加によって、回避する事さえも困難。しかしその速度と質量が防御を相手に許さない。実際、この技を、この状況で、初見で凌ぐ事の出来る狩人は存在しえなかっただろう。

 

 

 

 ――――ただ一人、全力のルドウイークを除いて。

 

 

 

「はぁッ!!!」

 

 ルドウイークの引き絞られた左腕、そこに握りしめられた聖剣が槍じみて突き出され、迫りくる怪物の頭部と激突した。激突、破砕音。恐るべき威力と威力の拮抗が、衝撃波さえ生み出し周囲に広がってゆく。ミシミシと、ルドウイークの左腕と聖剣が悲鳴を上げる。彼の足元に、音を立ててヒビが走る。引き伸ばされた時間感覚の中で拮抗は続いた。歯を食いしばる怪物の頭部が、聖剣の切っ先によって軋んでゆく。

 

 だがそこで、怪物は勝利を確信した。眼前の男の表情。今までの神妙な無表情が嘘のように歯を食いしばり、全身を強張らせ衝撃に耐えている。そしてその左腕。怪物の全身との均衡に晒されたその腕からは、僅かに力が失われてゆく。怪物は夢想した。このまま自身の威力が相手を押し切り、その全身を身に纏った結晶によって引き裂くのを。それが現実のものになるのだと証明するかのように、ルドウイークは左手の聖剣を手放した。

 

 

 

 次瞬、その空いた左手は一切の躊躇なくいつの間にか大上段に構えられたもう一振りの聖剣の柄を握りしめた。怪物はその事実に目を見開き脳裏に敗北を、死を予感し、それに抗わんと眼前の矮小な生物を叩き潰さんと右手を振り上げる。

 

 だが、ルドウイークの刺突によって勢いを殺されたその体が彼に辿り着くよりもずっと早く。全力で振るわれた光纏わぬ聖剣の一撃が、強固な結晶に覆われた怪物の頭蓋を理不尽なまでの威力で砕き斬った。

 

 

 

 

 

<◎>

 

 

 

 

 

「あっ! 皆! 戻ってきたっスよ!!」

 

 通常のダンジョン12階層へと戻る長い通路の途中でルドウイークを出迎えたのは、臆病な小人(パルゥム)の快哉の声だった。

 

 武器を構え臨戦態勢を取っていたカニス、RD、ダンの三人が安堵したように力を抜く。それを見たルドウイークは、むしろ彼ら以上に安堵の感情をその内に沸き立たせて小さく笑顔を見せた。

 

「皆、無事だったか。安心したよ」

 

 その言葉に、カニス、RD、ダンの三人は驚いたように目を見開いた。同調して喜んでくれるだろうと思っていた彼らの姿に、ルドウイークは思わず首を傾げる。

 

「……どうした?」

「いやいや! こっちは滅茶苦茶心配したって! アンタ、アレの足止めしてくれてたんだろ!? 俺らついいつもの癖でサッと逃げちまってさ、なんて言うか、その……な?」

「『怪物進呈(パス・パレード)』なんかこの界隈ザラっスけど、流石にあの状況で一人置いてきたってのは流石にヤベーかなって」

「よく言うぜ。もっと離れなきゃやばいって揃って言ってたくせによ」

「そこ余計な事言うんじゃねぇっスよマジ! 今回の結局全部カニスのせいじゃねえっスか!」

「何だとテメェ! やるかコラ!?」

「止めろよお前ら、恩人の前で…………」

 

 仲が良いのだか悪いのかわからんな。

 

 些細な事からいがみ合うカニスとRD、それをなだめようと間に割って入るダンの姿に、ルドウイークは複雑そうに笑みを浮かべる。そして、三人から少し離れた所で壁に背を預けて腕を組むルカティエルの存在に目を向け、彼女の元へと歩みを進めて行った。

 

「ルカティエル」

「………………よく無事で戻ってきてくれた。それと……すまない。私にもう少し力があれば、共に戦う事も出来たろうに」

「謝る事では無いさ。むしろ、私が共に逃げるべきだったのかもしれん……」

 

 互いに頭を下げあった二人は、顔を上げしばらく互いを真っ直ぐに見つめ合っていたが、その内どちらとも無く、肩をすくめて溜息を吐いた。そして、揃って12階層の隅の小部屋へと戻って行った。

 

 

 

 

「しかし、本当に心配したぞ。あの怪物は、12階層のモンスターではありえない怪物だった。それを単独で足止めなど……」

「何……君も彼らを説得して私を助けに戻ろうとしていたんだろう? それに結果として、全員生きて帰れたんだ。それ以上を望む事はあるまい…………」

「そうだな……結晶トカゲは捕まえられなかったし、彼らも逃げる途中に籠を放りだしてしまって、互いに成果はゼロと言う形になるが……」

 

 そこでふと、ルカティエルはルドウイークが腰に縛りつけた武骨な塊の存在に気づく。それは腕。結晶を生やし、その強靭さを思わせるような太さとしなやかさを併せ持った、先の怪物の持つ脇腹に生えた無数の腕の一本だ。

 

 怪物を倒しはしたルドウイークだったが、その死体の全てを持ち帰る事は(はばか)られた。そうなれば、オラリオ中に自身の実力が露見する危険性が増すのは間違いない。既に怪物を倒し、ルカティエルに真の力を察されておきながらそうとは知らずそんな事を考えた彼は、しかし流石に何も得る物が無いのはマズいと思い、怪物の腕だけを切り落として回収してきたのだ。

 

 以前の山羊の頭骨を持つ謎の怪物との遭遇の後、ギルドからの尋問に等しい事情聴取で散々その実在を疑われたルドウイークは今度はそうならぬよう、怪物の一部を回収する事に決めていた。これならば未知のモンスターが出現した物的証拠として十分に通用する。ギルドにこの実績が認められれば、それを元に報奨金を得る事も不可能ではないだろう。

 

 家でヘファイストスとの困難な交渉に臨んでいるであろうエリスの目的に少しでも寄与出来るよう、そのような判断を下したルドウイーク。一方で、彼が回収した怪物の腕に気づいたカニス達が、興味深そうにルドウイークの元へとやってきてまじまじとそれを眺めた。

 

「その、なんだ。アンタが持ってるソレ……あの怪物の、何だ?」

「腕だ。どうにかこうにかこれだけは切り落とせてね。本体には逃げられてしまったのだが」

「それはアンタの手柄だ。ギルドもビックリするだろうよ」

「結晶トカゲには逃げられちまったスけど、今回はしゃーないっすね」

「はぁー。やっぱ、ガラじゃあねえ事するもんじゃあねえよなぁ。未踏査区域なんて見つけるんじゃなかったぜ……」

 

 エリスの教えに従って平然と大嘘を吐きつつ、手に入れた腕をアピールするルドウイーク。それを見たカニスが諦めた様にルドウイークの手柄を讃え、RDが諦めたように溜息を吐いた。その後ろで、ダンが今回の酷い目を見る原因となった存在しえない通路……未踏査領域への入口へと振り向き、そして目を見開いた。

 

「……あ、あれ? なぁおい。さっきの向こうへの通路、消えてるように見えるんだが…………俺の眼がおかしくなったか?」

 

 そう口にした彼の視線の先には、周囲のそれと何ら変わらぬダンジョンの壁だけがあり、通路など影も形も無い。他の四人もそれぞれそちらに視線を向けて、見慣れたダンジョンの壁を見つめている。

 

「……錯覚じゃ、ねえっスよね? マジか」

「少し調べてみた方が良さそうだな」

 

 驚き、呆然として零すRDに応じてルドウイークが答えた。壁に攻撃でも仕掛けてみるか? 聖杯ダンジョンで実践してきた事を、このダンジョンに対しても通じるかどうか試してみる価値はあるだろう。皆の中で最も壁から離れた場所に立っていた彼であったが、そう決心すると壁へと向き直り、背の仕掛け大剣に手を伸ばす。その時だ。

 

 壁にヒビが入り、モンスター出現の兆候を示した。その場にいる全員が緊張感を迸らせて臨戦態勢を取る。だが、実際に壁面から顔を出したモンスターの顔を見て、皆安堵と共に力を抜いた。

 

「なんだ、結晶トカゲかよ」

「おおっ。ははっ、上手く生き延びたご褒美かなんかか? ツイてんな!」

「いや待った。なんかあの、スゲェ背筋がゾワゾワするんスけど」

「おいおい、いくらなんでも勘違いだろ。相手は結晶トカゲだぜ? よっしゃ、そんじゃあ マッハでとっ捕まえて――――」

 

 笑って壁から結晶トカゲが飛び出してきたところをキャッチしようと立ち位置を調整したカニスの目の前で再び壁面からモンスターが顔を出す。結晶トカゲ。それを見て、更に獰猛な笑みを浮かべて見せた彼だったが、一瞬後その表情は凍り付く事になる。

 

 壁から次々と顔を出すモンスター。結晶トカゲ。結晶トカゲ。結晶トカゲ。結晶トカゲ。

 

 その数は見る見るうちに増えていき、そう時間の経たぬ間に壁一面に結晶トカゲが顔を覗かせて、じろりとこの場にいる冒険者達を睨みつける。

 

「や、やばくねえか……?」

「やばいっス……」

「に、逃げるか? どうする?」

「いや、そう言われても…………」

 

 カニス、RD、ダンの三人は異様としか言いようも無い事態を前にして、顔を見合わせ合ってそれぞれ口走った。だが結晶トカゲたちは、彼らの意見の一致を待ってなどくれなかった。

 

 壁の全面に現れた結晶トカゲが一斉に、破片と共に解き放たれた。それだけで無く、彼らの空けた穴から次々と結晶トカゲたちが生まれ出る。それはまるで、河川の氾濫じみた光景だった。意志を持った濁流が、自らの同胞たちを捕らえ住処を荒らした不届き者達に罰を与えんとする怒りに満ち溢れて襲い来るその様は、まごう事無き悪夢に他ならなかった。

 

「どわああああああ!?!?!?」

 

 その濁流から逃げる事など敵わず、三人の冒険者は一瞬で結晶トカゲの奔流に身を飲まれて姿を消す。そしてその激流の矛先は、近くで呆然としていたルカティエルにも向けられた。

 

「馬鹿な、き、希少種がこれほど…………おおおおっ!?!?」

 

 動揺しながらも剣を構えたルカティエルであったが、怒涛の如く迫り来る結晶トカゲの群れには太刀打ちできず、手も足も出ぬままその中へと呑み込まれてゆく。そして、結晶トカゲの群れは最後に残ったルドウイークへと標的を定めた。勢いを些かたりとも減じる事無く、彼の眼前へと迫りくる結晶トカゲの大波濤。それを前にして、ルドウイークは時間が泥の様に引き伸ばされる感覚を味わい、その中でこの状況を打開すべく思索を巡らせた。

 

 跳躍による回避。不可能。飛び退いた所を呑み込まれる。撤退。不可能。今から振り向いて走り出した所で、鈍重な自身の速度では一手遅い。剣によって薙ぎ払うか? 可能かも知れぬが、危険すぎる。万一、巻き込まれたルカティエル達を斬ってしまう可能性を考えれば、到底実行できることではない。月光の導きも無い。対処の手段が、ない。

 

「悪夢か? これは………………」

 

 完全な詰み。ヤーナムでは、これまでの狩りにおいては幾度となく切り抜けて来たそれを前にして、ルドウイークは結局呟く事しか出来なかった。そしてまた、彼も迫りくる結晶トカゲの大群の濁流の中にあっけなく呑み込まれていった。

 

 

 

<◎>

 

 

 

「…………それで、どうなったんです?」

「ああ。結晶トカゲの大群に襲われた我々は、全身を(かじ)りつかれながらどうにか命からがら逃げだした。酷い目にあったとしか言いようがない…………本当に、最後までうまく行かなかったよ」

「その大群の中から何匹か捕まえらんなかったんですかね」

「流石にあの状況では、な……」

「ふーん。でもまぁ、凄いじゃあないですか。新種の、しかも結晶トカゲの強化種と思しきモンスターの一部を確保するなんて!」

 

 全身に噛み痕をこさえたルドウイークの回想の荒唐無稽(こうとうむけい)さに、都合のいい部分だけを噛み砕く事に決めたエリスは彼らが手に入れたという成果だけに目を向けて喜びの声を上げた。しかし、対するルドウイークの表情は暗い。今回の元々の依頼内容である結晶トカゲの捕獲を結局完遂できなかった事が、思いの他堪えているようであった。

 

「世辞は止してくれ。本当なら、貴女の言う通りあの群れの中から何匹か捕まえられれば良かったんだが…………狩人(われわれ)は、あまりに多くを相手にするのは大変苦手でね。こちらの世界でも、そこはどうにもならんらしい」

「そうなんですか? でもまぁ、とりあえず結果オーライですよ。未確認の強化種討伐、しかも死体もお持ち帰り! 偉業って程じゃあないですけど、ギルドからの評価もうなぎ上りに違いありません!」

「しかし……今回やって見て分かったのだが、殺さず捕らえるというのは本当に難しい。どうやら私には、捕獲と言う繊細な仕事は向いていないようだ」

「………………ぷふっ! あははは! 何ですかその顔! 笑っちゃうじゃないですか!! 貴方がそんなしょんぼり顔するなんて……! ふふふふっ……!!」

「成程。これが『グサッと来る』、と言う奴か」

 

 暗く沈んだルドウイークの姿に無遠慮(ぶえんりょ)に腹を抱えて笑い転げるエリスに、彼は冷ややか極まりない視線を向けて小さく溜息を()く。それを聞いてかエリスは口元の歪みを取り繕うように手で隠しながら、此度(こたび)の冒険の成果についてを訪ねるべくルドウイークに向き直った。

 

「ふふふ……いえ、ともかく、それで今回はどれくらいの報酬を頂けたんですか? 一部とはいえ、結晶トカゲの強化種らしき未確認の新種モンスター! これは大儲けの匂いがしますよ!! では発表と行きましょう! さーて、今回の収入は!?」

「ゼロだ」

「えっ」

「うまく行かなかったと言っただろう。最悪と言うほどでは無いが……ひどく呪われた一日だった」

 

 苦虫を噛み潰したような顔で言葉を選び、絞り出すように口にしたルドウイーク。彼としてはこの報告を聞いたエリスが以前18層に向かった時同様ショックで倒れてしまうのではないかと危惧した上の言葉であり、同時に余りの自身の不甲斐なさに慰めの言葉の一つでも貰いたいような心境であった。だが彼の想像以上に、思わず立ち上がって声を荒げるエリスの反応は厳しい物だった。

 

「…………いや! いやいやいや! 最悪って程じゃないって、バッチリ最悪じゃあないですか!! ゼロですよゼロ!!! それ以下ってあるんですか!?!?」

「いや、しかしだね、あの状況から無事に戻ってこれたんだ。それだけでも儲けもの……」

「儲けれてないじゃん!!!」

「すまない」

 

 余りの剣幕に思わず弁解の言葉を口にした自身への鋭い指摘を受け、ルドウイークは反射的に頭を下げた。嘗てのヤーナムでは彼に対してここまで直球の言葉を浴びせてくる相手は居なかった。ヤーナム民の多くは陰気で、婉曲(えんきょく)な、意地の悪い言い回しを好んだ。しかし今回相対している女神はヤーナム民よりずっと直情的で、ある意味ではずっと彼らより意地の悪い存在であった。

 

「っていうか、そもそも腕だけとは言え死体は手に入ったんですよね!? 何でお金貰えてないんですか!?」

「それには深い訳があってだな……」

「勿体ぶらない!!!」

「…………『大トカゲ』の一部、その腕はしっかりとギルドに送り届けたのだが、今までに前例のない、全くの新種である事が災いしたんだ。換金額の決定の為に調査を行うので、送金は後日、少なくとも一月(ひとつき)近く後になると言われたよ」

一月(ひとつき)ぃ!?」

 

 ルドウイークの説明を聞いたエリスは憤慨(ふんがい)したように目を見開き、一拍置いて、それに納得しながらも認めがたいという風に頭を抱えて喚き出した。

 

「いやまぁ確かに、新種モンスターなんかまだ利用価値も未確定でしょうから、向こうもお金は払いようが無いでしょうけど……! せめて! せめて最低限の保証として、()()()で幾らかのお金を貰ってくるべきなんですよそう言う時は!!」

「そうか、その手があったか……!」

「ああもう!!」

 

 自身の指摘に口元を抑えて驚愕するルドウイークに、エリスは呆れかえったと言うように叫んでからソファに勢いよく腰を下ろす。そして改めて見せつけるような溜息を吐いてから、睨みつけるような目でルドウイークの金銭に対する勘の悪さをなじり始めた。

 

「全く……ルドウイーク貴方、前に18層に行った時もそうでしたがお金への執着が足りなくないですか……!? もっとガツガツ行かないとダメですよ! この世の中!!」

「そうは言うが……」

「いいですね!?」

「努力する」

「はぁーっ……!」

 

 ルドウイークは返答と共にがっくりと肩を落とした。実際、今回の任務も失敗してもいいという心持ちで挑んだ結果がこれなのだ。もはや金銭の価値が斜陽を迎えていたヤーナムの感覚は一刻も早く拭い去るべきかもしれない。そう深刻な思いで思案を彼は巡らせたが、そこでふと、今日エリスが行っていたことの顛末をまだ聞いていない事を思い出して彼女へと声をかけた。

 

「……そうだ、そういえばエリス神」

「む、何ですか」

「儲けと言えばなのだが…………ヘファイストス神との打ち合わせ、アレは結局どうなったのかね?」

「うっ…………」

 

 それを聞いた瞬間、エリスは先程までの剣幕が嘘のように小さく呻き声を上げ、僅かに顔色を青褪めさせた。

 

「貴女はヘファイストス神に借りがあるのだろう? それ故、余り悪い条件を提示されていたらと思うと心配でね」

「えっ、いやあ…………そんな事ありませんよ!! 確かに返済も兼ねてますが、少しずつ、少しずつ天引きされるだけですので!」

「それは良かった。貴方はタダ働きと言う奴を好んでいないのだと幾度も口にしていたことだし」

「まぁそりゃ誰もタダ働き好む人なんかいませんって。当然私もそうなんですけど!」

 

 あからさまに取り繕う様に視線を逸らして言うエリスの不自然さに、彼女への信頼ゆえか違和感より安堵が(まさ)ったルドウイークは気づかなかった。

 実際には、給料の殆どを借金の返済及び慰謝料としてヘファイストスに納める事になってしまい、その決定を覆す事も出来ずに悶々としていたり、突然訪問した【エド】が『武器はタダで作ってやるとは言ったが、メンテナンスまでタダとは言ってねえ』などと言いがかりを付け金銭を要求したため、八つ当たりも兼ねてその顔面に一発お見舞いして追い返してやったりなど様々な事があったのだ。

 

 エリスは絶対に彼に真実を知られる訳には行かぬと策を巡らせていた。収入ゼロと彼に聞かされてひっくり返るのではなく怒りを見せて自身の精神的優位を確保したのも、その悪辣な精神性が成せる業。そのお陰か、ルドウイークは彼女の内心を悟る事も無く彼女の仕事が決まったという事実を祝福し、自身も同様により成果を上げねばならないと奮起するばかりであった。

 

「貴女が頑張っているんだ。私も頑張らねばなるまい………………例のコロッセオの観覧は一週間後だったか? それまでには、多少財布を膨らませておきたいものだ」

「そですね……」

「ああ」

 

 元気の無いエリスの返答にも気付かずに、そこでルドウイークは相槌を打ち、一旦会話を途切れさせる。そして、期せずして訪れた沈黙の中で今日に体験した様々な事を想起していった。

 

 ――――本当に、今日はいろいろな事があった。ギルドでのクラネル少年の勧誘、ヴェルフ少年との会話、ロキ神との邂逅……ダンジョンではルカティエルと再会し、多くの冒険者の姿を知り、そして………………あの不運は如何ともし難かった。今後、あのような兆候に出会った時は早急に離脱せねばならない。

 

 ルドウイークは新たな啓蒙を頭蓋の内に刻み込み、決意した。彼にはまだこの世界のルールは分からぬ。だが彼は嘗て多くの狩人を率いたものとして、危険には人一倍敏感であった。そしてその決意はともかくとして、昼に出会ったロキ神の質問の事を改めて思い出したルドウイークは質問の意味をエリスに尋ねてみる事にした。

 

「……そう言えばエリス神、質問いいかね?」

「な、何ですか?」

「【止り木】の休みの理由をロキ神に尋ねられたのだが、貴女は何か知らないか?」

「ああそっち…………いえ、知りませんよ。でもまぁ、マギーが私にお金くれて怒ってないって事は【(フギン)】がなんか企んでるんじゃないですか? またなんか変な事しなきゃいいんですが。知りませんけど」

「そうか」

 

 興味も無い、と言う風に語るエリスの口ぶりに、ルドウイークは即座にそう言うものかと諦めた。【止り木】において、彼女はただの雇われだ。営業日の決定になど関われる筈も無いし、その理由をわざわざ語る義務などマギー達にも無いだろう。そして何よりも瞼が重く、元来より鈍いと考えている頭の回転がより遅くなっているのを今更ながらに自覚した。

 

 短い間ながら、全力で戦ったが故か。

 

 そう結論付けて彼は一度小さく欠伸をすると、珍しいものを見たかのような表情をこちらに向けるエリスの視線を一度訝しんでから、疲れたような様子で立ち上がる。

 

「では、私はもう失礼するよ。今日は疲れた…………久々に、ぐっすり眠れそうだ」

「あっはい。おやすみなさいルドウイーク。良い夢を」

「良い夢……いや、ありがとう。おやすみ」

 

 言い残すと、小さく微笑んだルドウイークは部屋を出て自身の居室へと向かって行った。一方、その背を引き留める事無く見送ったエリスは腕を組み、何やら難しそうな顔で唸りだした。

 

「むむむぅ…………」

 

 彼女の頭の中ではヘファイストスとの取り決めの内容による収入の中身を如何に誤魔化すか、そのためには一体どうするべきなのか。そればかりで占められていた。家計を――――ファミリアの財政を管理しているのは自身だ。ごまかし自体は容易い。しかしルドウイークは人の顔色を見る才はないが、彼自身が思っているよりよほど聡い人間である。ひょんなことから不自然さに気づき、巡り巡ってごまかしも看破してしまいかねない。

 

 そう、なんだかんだで彼の事を評価していたエリスは、自身の演技力が意外とザルである事に自覚無く少し悩んで…………諦めたように溜息を吐いてから、誰にともなく呟いた。

 

「…………短期のバイト探そ」

 

 言ってエリスはがっくりと肩を落とし、これからの自分がしなければならない事の遠大さと困難さに僅かな頭痛を覚えると、とぼとぼとした足取りで自らも寝室へと向かって行くのだった。

 

 

 

*1
フリーマーケット




分割した分を考えると前後で60000字近くなってしまいました。
他の投稿者の方々が一話を一万字とか5000字とかで収められているのを見るとまだまだ未熟だなと思う次第です。

フロムキャラだけでなくフロムモンスターの登場機会も今後確保していきたいですね。

次回はエリスとのお出かけ回になるかな。一話に納められるよう頑張りたいです。


今話も読んで下さって、ありがとうございました。

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