月光に導きを求めたのは間違っていたのだろうか   作:いくらう

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あけましておめでとうございます。41000字くらいです。

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今話も楽しんでいただければ幸いです。


31:【闘技場(コロッセオ)

 

 

 

 ――――【闘技場(コロッセオ)】で催しが行われる、その当日の朝。女神エリスが、と言うか私がルドウイークと楽しく宴会で美味しいものをお腹いっぱい食べる幸せな夢からふと覚めてみると、特にナメクジになっているとかそう言う事は別にありませんでした。

 

「………………」

 

 …………二度寝したら、夢の続き見れないかな。

 

 そんな強烈な誘惑に一瞬負けそうになるも、私はそれを振り払って体を起こして、眠たげな顔をネコめいてごしごしと擦ってからナメクジが居ないことを確認し、小棚の上に置かれた度の入っていない眼鏡を手に取って身に付けた。

 

 

 

 

「おはようございます、ルドウイーク」

「ああ、おはようエリス神」

 

 顔を洗い、着替えを済ませた私がリビングに足を踏み入れると、そこではいつもの場所でいつものように武具の手入れをしているルドウイークが居て、私の挨拶に顔を上げていつも通りの返答を返し武具の手入れに戻ってゆく。私はそんな彼の姿を見届けるとその向かい側のソファに腰を落ち着けて、机の上に置かれた今朝の郵便物を(あらた)め始めた。

 

「何か来ていたかね?」

「いえ、別に…………」

 

 彼の言葉に視線も向けずに答えながら眺める郵便物に、特別な物は今日も無い。そもそもとしてこの家が私、女神エリスの住まいであるという事を知っているもの自体少ない。【ギルド】と、マギー達【止り木】の人々。後は私がこの家に入るのを見る機会のある、周囲の住民位だろう。だから今この手にある郵便物は殆ど無作為に投函(とうかん)されたチラシなどだ。

 

 私はいつもどおり、それをグシャグシャに丸めて球のようにすると部屋の隅に置かれた籠目掛け放り投げた。綺麗な放物線を描いて飛ぶチラシ製の紙玉。しかし、今回それは籠の中に飛び込む事は無く、その(ふち)に当たって跳ね返ってルドウイークの足元にコロコロと転がって、そして止まった。

 

 一瞬、彼が私の方を見た。その視線に、なんだか責めるような物を感じて私は目を逸らす。それを見た彼はこれ見よがしに溜息を吐いて紙玉を拾い上げると無造作に籠目掛けて放り、見事に一発で飛び込ませて見せた。しかも、放り投げた後はその軌跡も、結果さえも見る事も無く武具の手入れを再開している。

 

 なんか、納得行かない。私が投げたのが上手く屑籠にゴールした時など、思わずガッツポーズしたりその日の幸運を確信したりするくらいなのに。私はルドウイークに恨みを込めた視線を送ったが、彼はそれに多分だけど気づいていないフリをして、武具の方にばかり視線を向けている。

 

「むぅ……」

 

 それに私は頬を膨らませる。いくら私がルドウイークに比べて身体能力とかそういうのでは劣っているとわかり切っているとはいえ、自分に出来ないことを平然とやってのけられるとこう……なんか納得行かない! 私は思わずルドウイークに向けて小言を口にしそうになったが…………ちょっと考えて、みっともないのでやめた。

 

 私は神である。神なので、細かいことにこだわらないのだ。

 

 そう威厳ある女神に相応しく寛大な心を以って気を持ち直した私は、とりあえず朝のもろもろの支度を始めようとする。すると、今まで<月光の聖剣>に目を落としていたルドウイークが思い出したかのように顔を上げて、近くに置いてあった一枚のチラシを手に取るとそれをこちらに示しながら声をかけて来た。

 

「ところでエリス神」

「……何です?」

「今日のチラシの中に、明日から西大通りの食料品店が一斉に安売りをすると言う知らせがあってね。興味あるだろうと思って、それは別に抜き出しておいたんだが」

「えっマジです!? めちゃくちゃ気になるんですけど!!!」

「……ああ。捨ててしまわなくてよかった。ここは一つ、闘技場(コロッセオ)への道すがらに下見でもして行くかね」

「いいですねえ! ルドウイークも、やっとお金の何たるかを分かって来たじゃあないですか!」

「懐の軽い我々は、こうした細かい積み重ねをして行かねばな」

「そのとおりです! さ、そうと決まればすぐ行きますよ! 善は急げって言いますからね!!」

 

 私は彼の言葉に強く頷いて、予定よりずっと早く家を出る為の準備を始めるのだった。

 

 

 

<◎>

 

 

 

 青い空。白くわだかまる雲も点々と流れる今日の空に、破裂音を響かせながら幾つかの白煙が尾を引く。【闘技場(コロッセオ)】での催し、その入場開始時刻が訪れた事を知らせる頭上のそれを聞きながら、私とエリス神は並び立つ人混みの隙間を縫って【闘技場(コロッセオ)】の一角にある神とその連れ専用の入口に辿り着いた。

 

「チケットの提示をお願いします」

「えっと、確かこの辺に…………あったあった。どうぞ!」

「ありがとうございます。はい……確かに。では、女神エリス様。南ブロック一階の中央部に区切られた場所がありますので、そちらの空いているお好きな席にどうぞ。軽食等のご購入は西ブロック二階の売店、食堂へ。こちらは一般のお客様も利用しております。お手洗いはこちらから向かう道中にありますので、何かありましたらそちらへ。もしご希望であれば係の者をお付けいたしますが」

「あ、どうも。でも大丈夫です」

「畏まりました。では、試合開始まであと半刻程となりますので、それまでご自由にお楽しみください。どうぞ」

 

 受付の係員とエリス神がやり取りするのを聞きながら私は周囲の喧騒に耳を傾け、そして目前に(そび)え立つ巨大な建造物へと目をやった。

 

 【闘技場(コロッセオ)】。オラリオ内に存在する建造物の中でも摩天楼(バベル)に次ぐ規模を持つ歴史的建造物であり、年中催しが行われるオラリオ屈指の観光史跡だ。

 

 その門は冒険者だけでなく外からの観光客や市民たちに対しても開かれており、他の街では見られぬ興業もあってかオラリオ外の者と思われる人影も多い。行われる催しには【怪物祭(モンスターフィリア)】での調教などを始めとした見世物などもいくつか含まれているが…………やはり、闘技場の名の通り戦いを娯楽とする催しの頻度は頭一つ抜けている。今日行われるのも、そんな、人同士の戦いだという。

 

 私個人としては、人同士の争いを見て楽しむのは難しい。人は危地に立たされねば団結することなどできぬのだと証明されているように思えてならぬ。あのヤーナムでも()()()()一応の結束を見せていたというのに、この街の冒険者は広い視点で見れば常に摩擦と衝突を続けている。

 

 それも、ファミリアの方向性を決定づけるそれぞれの主神たちの思惑というのであれば私が口出すするべきことではないのかもしれないが…………。そこまで考えながら、私はその思考を頭を振ることで脳裏から追い出した。

 

 ――――今回の観覧は、エリス神が私への報酬、あるいは息抜きとして用意してくれた折角の機会だ。楽しむ、とまでは行かずとも、体を休めるくらいのことはやって見せるべきだろう。

 

「ほら、突っ立ってないで行きますよルドウイーク!」

「ん、ああ、すまない」

 

 エリス神の声に我に返ると、私は前を歩く彼女の背中を追うように足を進め南側の自由席にたどり着き、そして彼女が示した席に腰かけて眼下の闘技場を見下ろした。

 

 闘技場の舞台は、私の知るヤーナムの広場よりなお広大であった。かつて見た<黒獣>と呼ばれる巨大なる獣を幾体も並べうるであろう舞台部分は平坦に整えられており、そこで行われる闘技のスケールの大きさを暗に伝えている。さらに私の目を引いたのは、東西南北に分かれて一つずつ備えられた四つの門だ。

 

 そのうち、東西の二つは馬車が並んで通れるかどうかという大きさの、まだ常識的なサイズの門だ。きっとこの場で戦いに挑む闘士たち――――ヒトが通るための門なのだろう。だが南北の二つは違う。高さだけでも20メートルほどはあろうかというその高さ。そして馬車が四台は並んで通れるであろうその横幅。何よりも、東西の門に比べて、明らかに強靭なその作り。

 

 あれは、人が通るためのものではあるまい。おそらくはモンスター……【ガネーシャ・ファミリア】等によって捕獲され、調教(テイミング)を行われる、あるいは済ませたモンスターのための通路なのだろう。私は足りぬ知識でそう推察して…………その行為にどういう意図があるのかわからず首を(かし)げた。

 

 私の世界の人間も野にあった猪や狼を家畜化し、豚や犬としてその生活に役立ててきた歴史がある。ともすれば、このオラリオの人間にも同様の意図があるのかもしれない。だが、聞く限りその試みは見世物の域を出てはいないようだ。それに、そもそもとしてこの世界においてモンスターは憎悪の象徴であり、家畜のように生活を共にするべきものとは考えられていない。

 

 怪物に対して情を見せるものが『怪物趣味(モンスターフィリア)』などと呼ばれ嫌悪されるという話もニールセンに聞いたことがある。私としては、むしろ自然に思える話だ。何せこの世界の人々は千年単位で怪物たちの暴虐にさらされ続けてきた。<獣>を愛したヤーナム市民などいないように、怪物と手を取り合うことを受け入れるオラリオ市民もいないのだろう。

 

 だが、であればわざわざ恐怖の象徴であるモンスターの調教を見世物とする意味は何だ? 以前の【怪物祭(モンスターフィリア)】での脱走事件のようなリスクを負ってまで、それを()めない理由は? 【ガネーシャ】神は何を考えて……いや、何を知っているのだろう。

 

 思考の坩堝(るつぼ)にはまり込んだ私は闘技の舞台に顔を向けて、眉間に皺を寄せるばかりだ。やはり、オラリオの風土やそれに根付いた人々の意識を理解するには、まだまだ勉強不足といえるだろう。羽を伸ばして休息するべき時にもかかわらずそんな真面目腐ったことを考えて、再び私は思考の迷路に迷い込むべく先日の【怪物祭】騒動の記憶に意識を向ける。だが、その時。荷物を椅子に置いたエリス神がその視界に映り込むように身を乗り出してきて、どこか不思議そうな顔をしながら訪ねてきた。

 

「考え中のところ邪魔しますけど、まだ開幕まで時間がありますので飲み物とか買ってきますよ。ルドウイークは何がいいですか?」

「…………飲み物か。ならば、私が買ってくるよ。主神にそのような事させられるものか」

「いーえ、今日はルドウイークへのご褒美デーなんですから! 貴方はおとなしくここで座って、飲み物の到着を待っててください!」

 

 彼女は私の前に仁王立ちすると、腰に左手を当てながら右手で私の顔に人差し指を突き付け、胸を張りながらそう宣言した。なるほど、確かに今日はそういう日だ。だが、それと主神に物を買いに行かせるのは話が違うだろう。

 

「そうは言うがね。貴女は神で、私は眷属だ。ならば、私が足を動かすのが筋というものでは?」

「それ、ほんっとうにいい心がけだと思いますが、休みの時はしっかり休まないとだめですよ。これは私の経験則です!」

「私は貴女ほど疲労困憊(ひろうこんぱい)してはいない。この一週間、朝から働きづめだったはずだろう」

「そ、それはそうなんですが…………ああ、とーにーかーく! 貴方は休んでてください!! まったくもう適当に買ってきますからね!? 行ってきます!」

「いや待ちたまえ、しかしだね…………」

 

 私の言った何かが逆鱗に触れでもしてしまったのか苛立ちも露わに叫び倒したエリス神は、そのまま制止も聞かずに肩を怒らせて闘技場の中へと続く通路へと姿を消していった。どうやら、彼女は私のことを本気で休ませるつもりのようだ。

 

 これは、余計な事をしないほうがいいのかもしれないな。

 

 嘗ての狩人時代、獣の出現を耳に挟むたびに工房を飛び出していた若い頃のことを思い出して、私は呆れたような笑みを浮かべた。いつだったか、<マリア>と<加速>に『狩人が自分以外にいないとでも思っているのか?』などと叱られた時の経験からすれば、この後また何か口を出せばさらにエリス神を怒らせてしまうことだろう。そう判断して、私は先ほど考えていた思索の続きを始めるべく席に寄りかかって無人の中央舞台へと視線を向ける。

 

 …………しかし、大人しく席についていたのも数十秒程度。私はどうにもそこでただ待つのが落ち着かなくなって、ついでに、今日の分の新聞をまだ読んでいないことを思い出し、売店に新聞が売っていることを期待しつつ、エリス神の後を追うべく彼女が忘れていった財布を手にしてその場を離れるのだった。

 

 

 

<◎>

 

 

 

「……まったく。ほんっとに貴方は私の言いつけを守りませんね! まぁ、おかげで、今回は、助かったんですけど……」

「私もまさか、財布を置いて買い物に行っていたとは思わなかったが」

「うるっさいですよ! いちいち言わなくていいんですよそう言う事は! 私自身が一番(いっちばん)よくわかっていますので!! 忖度(そんたく)してください!!!」

「それはすまなかった」

 

 エリス神の怒りを受けた私はその声量に少々顔をしかめつつ、自身が先ほどまで座っていた席に戻って腰を下ろした。その手にあるのは売店で購入した新聞と、瓶に入れられた葡萄(ぶどう)のジュース。その封を開いて瓶を傾け中身を口にし、かつてヤーナムでも口にした同様の飲料の味、その記憶に思いを馳せる。

 

 葡萄をよく発酵させた、血のような赤い酒。あれに血を混ぜ込んだものは、ヤーナムでも定番の酒の一つであった。私などは多忙故それほど口にする機会もなかったものだが、<加速>などは市井の狩人らと肩を組んで幾度もジョッキを空にしていたという。懐かしい、今や瞼の裏にいるだけの真の友の思い出だ。

 

 ――――私もまた、この街で嘗てのような友を見出せるのだろうか? ふと私は考えて、首を横に振った。

 

 明かす事の出来ぬ秘密を持つ私が、異世界で真の友を持つなど……そのような不誠実なことは、ありはしないだろう。

 

 一方、私と同様に葡萄(ぶどう)ジュースの瓶を手にしたエリス神は、しかし一口飲んだだけで手中の瓶を揺らしている私とは違い、瓶を大きく傾けてその中身を一息に飲み干してしまう。そのある意味豪胆なまでの飲みっぷりを見届けて、私はそれほどまでに彼女好みのものだったのだろうかと気になり、その感想をエリス神に尋ねた。

 

「……それほどに貴女の口には合うのかね、このジュースは?」

「そこそこですね。闘技場の外でなら多分きっともっと安く買えますよ」

「そうなのか?」

「【デメテル】のとこの葡萄(ぶどう)を使ってるとは言っても多分ワインに使えなかったやつでしょうしね。いい商売してますよ、ほんと」

 

 そう、どこか恨めし気な、あるいは羨まし気な視線を瓶に向けながらに言って、エリス神は一緒に買ってきたじゃが丸くんをむしゃむしゃとやり始める。まるで怒りをぶつけるかのようなその(かぶ)り付き様にしばらく目を細めた後、私は彼女から視線をそらし、そして手にしていた新聞を広げた。

 

 私はオラリオに来てからというものの、世界の中心とも呼ばれるこの街で起きる出来事が記された新聞を読むことが半ば習慣となっていた。それはこの世界の常識を知る必要に迫られたからと言う部分も間違いなくあっただろう。

 

 だが、それだけではない。ひたすらに<獣狩りの夜>とそれに備えるための昼を繰り返す張り詰めたヤーナムの陰鬱な雰囲気とは違う、活気あるこの街の、あるいはこの世界の様子を知ることは、私にとってまっこと興味深いことであった。しかし。

 

 

 ……『クローム商会、【クリスタル・リザード】製品の流通制限を発表。ムラクモ商社組合は反発』、『【ラキア王国】、【ネメシス・ファミリア】に襲撃さる』、『オラリオ料理店組合会合のお知らせ』、『【仮面巨人】、歓楽街に出没。【イシュタル・ファミリア】と小競り合いか』、『【ディアンケヒト・ファミリア】、【二属性回復薬(デュアル・ポーション)】販売開始!』

 

 

 ――――本当に、良くも悪くも活気のある世界だ。私はそんなことを考えて、小さく首を横に振った。

 

 そこには平穏な日常を感じさせるようなニュースもあったが、記事の多くは【ファミリア】を始めとする組織同士の対立だったり、何処で事件があったか、あるいは誰が事件を起こしたかといった内容が多くを占めている。それも一つの活気の形なのだろうが、私からしてみればあまり好ましいものではない。

 

 しかし、それはこの街が日常的に争っていられるほど豊かである証左だろう。『争う余裕がなけりゃそもそも誰も争わない』、とは<(からす)>の言だったか。この世界には、神々のもたらした恩恵による巨大なうねり、人々の力強い活気が大いに満ち満ちている。ヤーナムに比すれば、なんと健全な街だろうか。

 

 そう考えはする私だが、この街にも厳しい現実があることは知っていた。神の恩恵を受けた冒険者たちの増長、その中でも大成できぬ落伍者の末路、何より恩恵の有無という絶対的な差によって煽りを受ける市井の市民たち。以前、くたびれたサポーターの男と話して以来、私はこの街にもそう言った一面があることを知ったのだ。

 

 ……だが、そこにどれほどの嘆きと争いがあろうと、この街にあのような<夜>は訪れない。友だった()()に食い殺されることもない。家族だった()()臓腑(ぞうふ)(えぐ)り出すこともない。だからこそ、この街はヤーナムより余程()()()街だとヤーナム生まれの私は考え――――そして自分を戒めるように首を横に振った。

 

 真っ当な生者にとって、死は一度きりのものだ。その良し悪しを他者が自らの価値観に沿って勝手に定めるなど、なんと傲慢で冒涜的な事だろう。そこで、私は今までの考えを脳裏の暗がりに掃き捨てるように目を閉じて、瞼の裏で踊る光の小人の動きを追いながらにまた別の思索を描いた。

 

 ――――もし、もしもこの街にあの<夜>が訪れ、獣の吠え声が響いたのなら。この街は一体、どうなるのだろうか。一体、どうするのだろうか?

 

 …………獣が現れれば、まず、多くの冒険者たちが獣狩りに名乗りを上げるだろう。数多の冒険を成し、数多の怪物を屠ってきたオラリオの英雄たちが立ち上がるだろう。そして彼らの英雄的行為によって、しばらくは平和が保たれる。

 

 

 

 だが、すぐに彼らは気づくはずだ。自分たちが切り伏せ、打倒しているのが『怪物(モンスター)』ではないと。

 

 

 

 狩人たちの中にさえ、結局のところ獣も人であると論じた者たちがいたのだ。より人間的であるこの街が同じ状況に立たされれば、どのようになるかは想像に難くない。そして次には、獣が人より現れるという事に気づくに違いない。そうなればヤーナムよりも遥かに多くの人々が住まい、かつ幾つものファミリアがひしめく複雑な権力構造を持つオラリオでは収拾がつかないはずだ。

 

 人同士が疑い合い、徒党を組み、獣を――――()()()()()()()()()狩り殺す日々。<獣狩りの夜>の到来。中には人間性をそれでも保ち、手を取り合うべきだと声をあげる者もいるだろう。だが、そんな彼らの中から獣が現れれば、それで終わりだ。夜空に(またたく)く星のごとく確かな人間性を備えていた者たちもまた、血と肉と炎と怨嗟の渦の中へと消えてゆく。

 

 そのような事には、してはならない。そして、私という前例がある以上、あちらからこちらへと獣が渡ってくる可能性もゼロではない。<鐘>や<聖杯>、<生き胆>などの物品を用いて異界や悪夢へと渡る方法も知られていたのだ。私の存在そのものが確かな縁ともなりかねない。それに、故郷のことも変わらず心配だ。一刻も早くヤーナムへと帰るべきだろう。

 

 …………そこで私は、ふとその思考に疑問を抱いた。私が戻ったところで、獣がその後この街に現れない保証はないのではないか? 私が何の前触れもなくこの街にやってきたように、(しるべ)など無くとも、この地に獣の呪いが足跡を刻む可能性はあるのではないか? その時、獣への、血への恐れを知る者の無きこの街はどうなる? 今しがた自身が想像した通りの、最悪の道を歩んでしまうのではないだろうか?

 

 それはダメだ。この街を、ヤーナムのようにしてはならない。だが、どうする? この街でただ一人の狩人として、獣たちを人知れず狩り続けるか?

 

「ルドウイーク?」

 

 横からかけられた声に気づいて、仮定と想定の思考の海に溺れていた私ははっとなって顔を上げた。視線を滑らせれば、どこか不機嫌そうに口を尖らせたエリス神がこちらを睨んでいる。

 

「……まぁ、居眠りくらい許しますよ、私は。でもですね、せっかく今日ここで行われることの中身を説明してあげてるのに、ちょうどそこで居眠りかますのはどうなんですかね……?」

 

 そう、彼女は苛立ちも露わに口にした。対して『それは許していないのではないか?』と私は思わず口にしそうになったが、寸での所で口を(つぐ)む。 ではないか? かもしれない? 先ほどから、そのようなことを考えてばかりだ。それを証明できるものなど何一つない。自身の不安が形になるかどうかさえ定かではない。そのような状況で、何を悩み、どのような未来への導きを求め、見出そうと言うのか。

 

 今しがた注意されたばかりにもかかわらず、私はまたしても深刻ぶった顔で思索の海に沈んでしまう。そんな私を見たエリス神はますます眉間に皺を寄せる。そして苛立ちを露わにしたままこちらに身を寄せ、いつものように私の耳の近くで大声を上げた。

 

「ちょっと聞いてます!? そういう所ですよ! まったく、貴方という人はいっつも難しい顔をして……折角お休みあげたんだからもっと気楽にしてもいいんじゃないですか!?」

「わかった、わかったからやめてくれ耳元で叫ぶのは」

「やめてくれって何ですかやめてくれって! そういう時は素直にそうですねって言って従ってくれればいいんですよ!」

「だがね、エリス神……」

「だがとか言わない!」

「う……むう」

 

 彼女の剣幕に押され、私は思わず顔を背けながら小さなうめきを上げて口をつぐんだ。確かに、彼女が言っていることにも理がある。休息として与えた時間に苦悩されていては、与えたものとしてはあまり気分のいいものではないだろう。嘗て、休息を与えたにも拘らず気を(はや)らせて狩りに向かう狩人を見て同様の思いを抱いたことが私にもある。

 だが、内容はともかく耳元で叫ぶのはあまり好ましいものとは言えるはずも無いし…………それ以前にだ。休息の時間だというのであれば私の自由に、それこそ多少考え事をするくらいは許容範囲ではないのだろうか? エリス神の声をどうにか受け流しながらにそんな言い訳を組み立てて、私は彼女から逸らしていた視線を元に戻す。

 

 

 

 そこで私は、苛立つエリス神の向こう側から客席の間を縫ってこちらに迫ってきている見知らぬ女神に気づいて目を丸くした。

 

 

 

 肩ほどでバッサリと切りそろえられた紫色の髪を持つ、長身の女神。薄い生地の丈の長い白のドレスを纏うその姿は、市井の人々とそう変わらない服装のエリス神とは違い一目で神だと断じることができる。その(かんばせ)も当然ながら人知の及ばぬ美を(たた)えており、高潔そうな、あるいは気の強そうな凛とした(まなじり)は、私の見知る女性の中ではニールセンに近いと言えるだろう。

 

 そんな、エリス神に比べ随分と女神らしい女神。しかし私は、彼女に対してすぐに畏敬だとか感嘆だとか、そういったしかるべき感情を持つことが出来なかった。なぜか。

 

 それは彼女が、親に感づかれる事を恐れた子供の如きそろりそろりとした慎重な足取りでこちらに向かってきており、私と目が合った瞬間には人差し指をその口元に立てて見せて、小さくウインクをして見せたからだ。

 

 

 私が少なからず呆気に取られていると、女神はまたゆっくりと、足音を立てぬよう慎重にエリス神に迫り始めた。一方で当のエリス神はそれに全く気付かない。むしろ、私が自身のほうに視線を戻して説教に聞き入っているのだとでも思っているのか、どんどん饒舌(じょうぜつ)になってきている。

 

「ずっと思ってたんですが、ルドウイークって結構秘密主義ですよね。いえわかります、わかりますよ。貴方が抱えてる秘密が大事なことだってくらい。私だけは多少聞かせてもらいましたからね。でもですね、あんまりこう一人で悩まれるっていうのは心配……じゃなくて! 居心地悪いんですよ! 主神として!」

「ああ、すまない」

「私には主神として、眷属たちのケアをしてあげなきゃあいけないんです。あんまり非協力的だと困っちゃうんですよ!」

「ああ、そうだな」

「まったく…………それでなくてもあなたは特別で、トラブルにだって巻き込まれてきてるんですから……気を付けてくださいね!」

「ああ、ああ、善処するとも」

 

 近づいてくる紫髪の女神に気を取られ、私はエリス神に集中を向けることもなく適当に返答を返す。しかし彼女はそれに気づいていないようだ。一通りの鬱憤を吐き出し終えると、私の側へと寄せていた体を戻して両手でジュースの瓶を持ったまま先ほどまでの私のようにどこか深刻そうな顔でうつむき始める。

 

 どうしたというのだろう? 私は突如として調子を下げ始めたエリス神の事が心配になってきたが……そこでふと、先ほどの会話に引っかかるものを感じて、彼女に一つ確認してみることにした。

 

「…………そういえばエリス神。私の秘密について……そんな話、以前しなかったか?」

「以前……? 初めて会ったときの打ち合わせの時ですか?」

「いや。確か、<仮面巨人>と遭遇した日の夜だ。貴女にスープを温めてもらったときに……」

「え? あれ、てっきりルドウイークが温めて食べたんだと思ってたんですけど。私がやったんでしたっけ?」

 

 私の説明に、きょとんと、心当たりがないとでも言うような顔をして見せるエリス神。覚えていないのか? 私は思わず目を丸くして、それから自身が考えたことが無駄な心配だったのではないかと考えて、一度小さくため息をついた。

 

「…………大丈夫かね? あまりに酒を飲みすぎて思い出せない……と言うのはもう勘弁してほしいのだが」

「いやいや、あの日は確か別に飲みすぎってことは無かったし、別に……うーん……?」

 

 苦言を呈す私に、しかし彼女は頭ごなしに反論するでもなく顎に人差し指を添えるようにして首を(かし)げる。私もまた腕を組み先日の会話の中身を想起した。

 

 あの時は、当時【アイズ】殿と【クラネル】少年に付き添って行っていた訓練の話をしたのと、私の過去と知識について、教えてもよいと思ったら教えてくれと彼女に請われたことは覚えている。だがしかし、何分(なにぶん)しばらく前の出来事だ。その内容を事細かに思い出すのはさすがに困難であったし――――それを思い出すことが出来るほどの時間的猶予は、エリス神の後ろへと忍び寄る紫色の髪の女神が与えてくれはしなかった。

 

「だーれだ!」

「わきゃあっ!?」

 

 背後からの声と共に、女神はエリス神の両眼に両手をかぶせて覆い隠した。それを受けた彼女は驚きのあまり椅子から飛びあがりそのまま前の座席との間に向かって転げ落ちそうになり、その流れを想定していた私に受け止められる。

 

「大丈夫かね?」

「ど、どうも……ってぇ! 誰ですかいきなりこんな舐めた真似するのはぁ!?」

 

 エリス神は小さく礼を述べたかと思えばすぐさま私から身をもぎ離し、すぐさま火でも吹くが如き剣幕で叫びながら後ろに控える紫髪の女神へと振り返った。そして、その女神の顔を目にした瞬間、小さく『うげ』と声を上げて、苦虫でも噛んだかのように眉間に皺を寄せてうつむいた。

 

「久しぶり! エリス、来てるなら声くらいかけてほしかったな!」

 

 にこやかに白い歯を見せ笑いながら挨拶する紫髪の女神。それに対して、エリス神の顔はこの上なく複雑な面持ちだ。憂鬱そうな、あるいは不満に歯ぎしりするような……。

 

「……あの。なんで主催が観客席にいるんですかね? いえ五十歩、いえ百歩譲って居るのはいいんですけど、なんでよりにもよって私に話しかけてくるんですか?」

「ん、ダメだった? それよりどしたのそんな顔して? 寝不足?」

「質問に質問で……ああいや、私は健康です。で、なんでここにいるんですか?」

「確かにちょっとしたサプライズだったかな? でも、オラリオは狭いよ? こんな偶然いくらでもあるって!」

「そりゃそうなんですけど、私が聞きたいのはそこじゃなくて……」

「エリス神。そちらは?」

「………………紹介しなきゃダメ?」

 

 私の問いに、エリス神はこれ以上なく忌々しげに答えた。その様子に私はまたか、と内心で頭を抱える。

 

 ロキ神といいヘスティア神といいヘファイストス神といい、エリス神は好んでいない、あるいは苦手としている相手が多い。彼女の様子から察するに、あの女神もそういった好いていない女神の一柱なのだろう。

 

 それは私にも問題なく察することが出来た。で、どうしたものか。

 

 あからさまに『聞かないでほしい』とでも言いたげなエリス神を前に如何に返答するべきか私は悩んだ。また癇癪を起されて、耳元で叫ばれるのは本当に御免被りたい。しかし何と対応すれば彼女の機嫌を損ねずに済むのだろうか? それなりに付き合いも長くなってきたといっても、その答えはどうにも導き出せそうにはない。

 

 ――――あまり黙っていれば、それこそ声を荒げさせるのがオチか。そう、消極的な積極性に背を押されて私はエリス神に件の女神について問いかけようとする。だがそのような遅々とした行動よりもずっと早く紫髪の女神がエリス神の肩を叩いて笑いかけたことで、私と彼女の間にあった微妙な膠着状態は終わりを迎えるのだった。

 

「なぁにつれない事言ってるのよエリスってば! しっかり紹介して、って言うか、そっちの彼はもしかしてエリスの眷属?」

「…………そんなところです」

「そうなのね? ふーん…………近くで見ると、すっごいイイ肉体(からだ)してる!! どう? ここで会ったのも何かの運命かも知れないし……あたしのファミリアに来ない?」

「はぁ!? 何言ってんですかウチの団員に向かって!!」

「えーっ。だって最近、こんないいカラダしてる新人(ルーキー)なんて滅多に見ないもん。みーんな【能力値(ステイタス)】頼りでちっとも筋肉付けようともしないんだから! 嫌になっちゃうよね!!」

「知りませんよ!! 貴女の価値観を押し付けないでください!!」

 

 私を勧誘しようとし、そして自らの意見を満面の笑みでもって語る女神の言に声を荒げ、肩に置かれた女神の手をエリス神は振り払う。その姿に私は強烈な既視感を感じた。

 

 これは、あれだ。以前ヘスティア神と再会した際に彼女が抱き着かれた時と同じ対応だ。つまり、そちらの神はエリス神自身はあまり好んでいないにもかかわらず、逆に相手からは気に入られている神とでも言ったところか。

 

 オラリオに来てからエリス神が見せた他の神々への対応を想起し、それをもとに彼女と女神の間柄を私が推理していると、再び無遠慮に自身に手を触れようとする女神を猫か何かの如くに一度威嚇して、エリス神は心底から腹立たしそうな声色で口を開いた。

 

「…………ルドウイーク、こちら【アテナ】です。見ての通り相当なやべーやつですので、出来るだけ関わらないように」

「やべーやつって……ずっと家に引きこもってる間にますます陰気になってる! そうだ! 今度市民向けにエクササイズの集会とかやろうかなって考えてるんだけど、折角だしエリスも気分転換しに来ない? あんまり引きこもってるとカビが生えちゃうよ!」

「行きません!」

「つれないなー…………」

 

 もはや目も合わせたくないといった様子で肩を落とし横目ににらみを利かせるエリス神に対して、その紹介に預かった紫髪の女神――――【アテナ】神はどこ吹く風、といった様子でエリス神に声をかけた。その内容がこれまた気に入らなかった様子のエリス神が声を上げてもアテナ神はちょっと困ったように眉をひそめただけで、その口元はいまだに笑みを描いているままだ。

 

 大した胆力だな、と私は素直に感心した。普通、神たる彼女にあれだけ凄まれれば多少は委縮してしまいそうなものだが。

 

 ――――あるいは、神としての格。彼女のそれはエリス神を大きく上回っているのかもしれない。この街に来てから得た知識のいくつかを材料として静かに私が推論を組み立てていると、いつの間にか私の眼前に立っていたアテナ神が輝かしいまでの笑みを浮かべてこちらに片手を差し出してきていた。

 

「で、キミがえっと、ルドウ()ーク? アテナだよ、よろしく。ウチのファミリアに入りたくなったらいつでも言って! 基本的に大歓迎だから!!」

「ああ、どうも。【ルドウイーク】です。以後お見知りおきを、アテナ神」

 

 その女性らしい柔らかい手にこちらの手を重ねると、思っていたよりもずっと強い力で握り返される。エリス神とは真逆のずいぶん明るい女神だと思っていたが、その推論は間違っていないようだ。そんなことを私が考えていると、いつのまにか眼前のアテナ神も少し体を前のめりにして、何かを悩むような、あるいは品定めするような視線でこちらを見つめている。

 

「んー…………」

 

 先ほどまでのにこやかなそれとは違う半ば睨みつけるような目つき。その表情のまま、私のことを上から下まで鑑定でもしているのではないかとすら思える動きで見定めてくる。

 

 一体何だというのか。私がその不躾な視線に少々不愉快さを感じていると、彼女は気が済んだかのように目を閉じたまま腕を組み小さくうなづき、そして私に向かって仰々しき人差し指を向け晴れやかな表情を浮かべて声を上げた。

 

「うん、やっぱりすごくいい! あたし、キミみたいなタイプは好き!」

「はぁ!?!? 何言ってんですか貴女!?」

 

 突然の告白めいた文言に思わず私が目を丸くし、同様の驚愕を一瞬で苛立ちに変換したエリス神が彼女に食って掛かる。だが、アテナ神はそれを半ば無視するようにして下ろしかけていた私の手を両手で掴み、その美しい紫髪と同じ色の瞳を星のように輝かせて私に笑いかけた。

 

「ほんっとうにウチに欲しいな! ねえキミ、エリスの所って苦労してない? エリスってば頭は良い癖に、すーぐ目先の利益や感情に囚われてすっ転ぶんだから!」

「ダメですよルドウイーク! こいつ、子供たちが血と汗を迸らせるところが三度のご飯より好きな異常嗜好者で、めちゃキツイ訓練メニューを子供たちにやらせたりしてるんです!! そのキツさは、他のファミリアが何かやらかした団員を懲罰代わりに参加させるくらいなんですから!!!」

「人聞き悪いなぁ。あたしはキッチリと配慮してるし! 食事内容とか!!」

「肝心の訓練内容が滅茶苦茶だっつってんですよ!!」

「いいじゃない市壁の上を何周させたって減るもんじゃなし! むしろ増えるばっかりだもの!!」

「何が増えるっていうんですか!?」

「んー。あたしの満足度とか、疲労とか、筋肉とか、後ついでに【能力値(ステイタス)】とかも……」

「お話になりませんねえ!!!」

 

 私とアテナ神の間に割り込み両手をつっかえさせるようにして距離を取らせたエリス神の暴露めいた言葉にも全く動じず、何一つ自身は間違っていないとばかりににこやかな態度を崩さぬアテナ神。それに対してますます苛立ちを煽られたと見えるエリス神の声の荒げっぷりに私はいささか心配になって、荒い呼吸に肩を上下させる彼女の背をさすりつつも、今しがたのやり取りを眺めていて思いついた質問をアテナ神へと問いかけてみた。

 

「アテナ神。エリス神とはずいぶんと親密なようですが――――」

「全ッ然仲良くないですが!?」

「………………どういったご関係で?」

 

 質問を言い終える前に怒りの矛先をこちらに向けたエリス神の様子に私は頭が痛くなった。これだから察しが悪い、とか言われてしまうのだろう。私はため息一つ吐きたくなったが、エリス神はそれを許す様子でもない。どうしたものか。手だてを失い、いかにこの状況を切り抜けるかもすぐに思い浮かばぬ私は無意識にアテナ神へと目をやった。

 

 すると、彼女は任せておけとでも言わんばかりに小さくこちらにウインクを送って、そして私を睨みつけるエリス神の肩にかき抱くように腕を回して満面の笑みで答えて見せた。

 

「うん、あのね、あたしと彼女は同郷なの、同郷! 昔馴染み、って言い方のほうが合ってるのかな?」

「同郷、ですか?」

 

 アテナ神の言葉を聞きつつも、私はエリス神がその苛立った表情をアテナ神へと向けたことに安堵した。どうも、エリス神に睨まれるのは苦手だ。なんというか、勢いが強いのもあるが……あまりにもまっすぐ睨みつけてくるので実際はそうでなくとも私の方が悪いような気がしてくる。真っ向から自身の意見を押し付けてくる強引な批判というのは婉曲(えんきょく)であったヤーナムでのそれにはなかった。どうにも慣れん……。

 

 ……一方で、そのような私の心情など気にしていないという風のアテナ神は、先ほどの私の問いにやはり笑顔を浮かべたまま、昔を懐かしむようにわずかに目を細め楽しげに語りだした。

 

「うん。一概に天界(うえ)って言っても、こっちみたいにいろいろ地域があってさ。あたしとエリスはその中でも結構大きい地域で一緒だったんだ! その頃からの付き合い、かな?」

「ふむ、なるほど……先ほどの対応といい、エリス神とは長い付き合いのように見受けられますが」

「うんうん。エリスったらさ、天界じゃ友達少なくてね。あたしやヘスティア――――」

「要らん事言わないでください!!! それよりもアテナ! こんなところで何油売ってるんですか!? 貴女主催なんでしょう!?」

「えっ? まぁ主催は主催だけど、運営自体はうちの子がやってくれるし、あたしが当日やることって言ったら開会宣言と表彰くらいなの。だから実際のところ私自身は結構暇してるのよね~」

「っ……これだから大ファミリアの主神は……!!」

「それで誰か知り合い来てないかな~って思ってぶらついてたらエリスを見かけたってワケ……あ、ルドくん。さっきはエリスに教えないでくれてありがとね!」

「……ルドウイーク?」

 

 すでにアテナ神を引きはがすのはあきらめているのか、彼女にくっつかれたままのエリス神が私に恐るべき呪詛の籠った視線を真っ直ぐ送ってくる。なんという圧だ。嘗て悪夢にて相対した<ほおずき>に匹敵するほどの――――いや、きわめて不機嫌な彼女の顔を見ていると、何だか本当に呪われているような気がしてきた。

 

 あまり嫌なものを思い出させないでほしいものだ。私はその視線から逃れたくて溜息をつきながら首を横に振ると、もはや覚悟を決めて、先ほどの瞬間に抱いていた考えを正直に吐露することにした。

 

「いや、アテナ神と貴女がどういう間柄か分からなかったものでね。教えるべきか迷った……忖度しろと、貴方も」

「そういう時は普通に教えてくれればいいんですよ!!」

「すまなかった」

 

 予想通りの言葉を叫んだエリス神に向けて私は素早く頭を下げ謝意を示す。こうなれば、私にできることはこのくらいだ。そうしてしばらく、私は自身の頭に向け突き刺さるような視線が向けられるのを感じていたが、これ見よがしな溜息の声と共に肩にまで圧し掛かっていた圧力が和らぐのを感じ顔を上げた。その視界の内で、両手を腰にやったエリス神は案の定むくれた顔でそっぽを向いている。

 

 どうやらまた機嫌を損ねてしまったようだ。毎度この有様では話にならんし、そろそろ彼女への対応の仕方を誰かに相談するべきだろうか? 嘗てであれば<加速>に声をかけるのであるが……彼はいない。もっとも歳の近そうな同性であるエドは性格上完全に論外であるし、他の相手は……クラネル少年も、まぁこの手の話題は無理だろう。

 

 というか、こういった相談の出来る相手さえ居ないというのは、また難儀なものだ。全幅(ぜんぷく)の信頼を置くことは出来ずとも、多少なりとも相談できる相手くらいは欲しい。所詮私は異邦人。このオラリオの中でたった一人生きていけるほど、壮健とは言えるはずも無いのだから。

 

 …………などと私が考えている間エリス神もそっぽを向いたまま何かを口にすることはなく、その場にひと時気まずい沈黙が流れた。それに気づいた私だが、このような場の空気を払拭(ふっしょく)できる程の話術など持ち合わせてはいない。あればエリス神の逆鱗を逆撫でてなどいない。困ったものだ。

 

 すると、そんな私の様子を見かねたかのようにアテナ神が小さく苦笑いをこぼして、すぐさま満面の笑みに戻って我々を見比べるようにしながら提案してみせる。

 

「ね、二人ともちょっといい? あんまりここで話してるのも他のお客さんの邪魔だし、ここはひとつもっといい席に行かない?」

「……もっといい席、ですか?」

「うんうん。ここは神とその連れの専用スペースなのは知ってると思うけど、他に招待客用の特等席があるの! 今日は誰も呼んでないし、久々で積もる話だってあるし、折角だからご案内ってね」

「……でも、それ、何かいいことがあるんですか?」

「んー、椅子もいいし、見晴らしもいいし…………あっ! あとは飲み物飲み放題! あたし直々に注いであげる!」

「ホントですか?」

 

 アテナ神の提案に、先ほどまで乗り気でないように見えたエリス神が疑っているかのように、しかしその実興味津々で聞き返した。それに、アテナ神は満面の笑みのままにうなずいて見せる。

 

「うんうん! オレンジ、葡萄、林檎、あと何があったかな……あ、もちろんジュースだけじゃなくてお酒もあるわよ!」

「………………ハァ。仕方ありませんね。確かにここで目立つのもあれですし、場所を変えますか」

「うん、じゃあ決まりね!」

 

 アテナ神の言う事に一理あると納得したか、あるいは彼女の酒に対する執着がそうさせたのか……はたまたその両方か。ガレス殿が戻ってきたら、オラリオの酒について教授してもらうのもありかもしれん。二人の会話を眺めながらそんなことを考えていた私に、アテナ神が身を乗り出すようにして笑いかけてくる。

 

「ルドくんも構わないよね! みんなでお話ししながら観戦しましょ!」

「……ええ。異論はありません」

「じゃあそう言う話だし、すぐ行きましょ! 早くしないと始まっちゃう!」

「そうですね……あっ、ちょっと引っ張らないでくださいって力強っ!? ちょっルドたすけ……! あーっ! 荷物! ちょっと待って……! あーっ!!」

 

 アテナ神によってその細腕からは考えられぬほどの力で引きずられてゆくエリス神。随分と元気なものだ。私はその姿をまるで奔放な姉に手を焼く妹か何かのようだと微笑ましく思いながら見送ると、置き去りにされたエリス神の荷を拾い上げて彼女らの後を追うべく歩き出した。

 

 

 

<◎>

 

 

 

『【闘技場(コロッセオ)】へようこそ、紳士淑女神々の皆様! 本日、あなた方がこの場を訪れてくれたことに心よりの感謝を表させてほしい!!!』

 

 数多の人々が集った客席から響く大歓声。それの中にあってもよく通る声を張るのは客席の最前列にある櫓の上に立った長身の男だ。その声は手にした魔道具によって増幅され、会場の隅々まで響き渡る。

 

『この度司会進行を行うはこの私、ギルド職員【メルツェル】だ! ではこれよりお集まりいただいた諸兄、そして女神アテナの前で拳を交える栄誉を(たまわ)った二人が入場する!! 歓迎しよう、盛大にな!!!』

 

 彼が自己紹介を終え、そして叫ぶと共に東西の門が動き出す。それと共に一気に上がるボルテージの熱を浴びながら、まずは西側の門より一人の闘士が日の元へと歩み出た。

 

 頭から布を被ったその素顔は客席からは見えず、しかしその体つきからは女性だという事が見て取れる。身に着けるものも装甲の一つも持たぬ革と布の軽装のみ。防御を捨て、身軽さのみを重視したかのような服装だ。そして何よりも特徴的なのは、手にした――――正確には手に装着した、拳を守るための革と鉄鋲(リベット)によって作られた『セスタス』。それ以外の武具を一切持たぬ点だろう。

 

 その女性は身に着けた防具の頼りなさとは裏腹に、揺ぎ無い足取りで闘技場へと歩み出て行く。歓声とともに出迎えられる彼女へと向けて、司会進行を務めるメルツェルは高らかにその肩書と名を示して見せた。

 

『西より現れたるはアテナ・ファミリア新進気鋭の拳術士!!! 人間(ヒューマン)、【(スティールハート)】のエリー!!!』

 

 それを合図としたかのように、彼女へと向けられた歓声がより一層大きさを増す。そして叫ばれる彼女の名は、いつしか大きなうねりとなって会場を一つとした。

 

「……すごいですね」

 

 その光景を、闘技場最上段の特等席から見下ろしてエリスはぽつりと呟いた。彼女たちが今いるのは、闘技場の北側、その中央の会場全体を見渡すことのできる位置にある部屋だ。その観客席側は開放されており、手すり越しに興奮した観客たちの様子が見て取れる。

 一方で壁には過去に闘技場で活躍したと思しき幾人もの闘士の絵が飾られており、正にこの場所における特等席と呼ぶには相応しいと言えるだろう。アテナにこの場所へ案内されたエリスとルドウイークは最初に到着した場所よりも比べ物にならぬほど上等な椅子に腰掛けて、今まさに始まろうとする戦いを眺めていた。

 

「……あのエリーって子が今日の主役なんですか?」

「うん! でも彼女だけじゃないけどね。もう一人、彼女の相手が今から出てくるわ」

「楽しみですね……! そうだルドウイーク! 貴方、あの子のことどう見ます?」

 

 アテナの答えに期待を隠せぬ表情を見せたエリスは、ふと自身の隣にいるルドウイークに問いかける。だがしかし当のルドウイークは顔をしかめ、何かをこらえているかのように眉間に皺を寄せるばかり。その様子にエリスは首を傾げて、そして心配そうに身を乗り出して声をかけた。

 

「あの、大丈夫ですか?」

「…………ああ」

「そうは見えませんけど……」

「…………少し、耳がな」

 

 言ってルドウイークは自身の耳を指し示す。複雑であり広大なヤーナムの街で助けを求める小さな声を、あるいは屋内の、先見えぬ迷宮にて微かに聞こえる獣の唸りを聞き取るほどに鋭い彼の聴覚は、このような大音量には不慣れだった。

 

 嘗ての狩りの中でも耳を(つんざ)くような咆哮――――ルドウイークを相手に、それを行うほどの暇を得る事の出来る者との争いもゼロではなかった。その様な最中にあれば、彼は狩人としての矜持、そして獣の声に耳貸さぬ冷徹さによって轟音を聞き流し、今のように苦痛を覚えることもなかっただろう。

 だが、今は狩りの最中ではなくあくまで平時の延長線上。普段でさえエリスの大声がなかなかに堪えている彼にとっては、この大声量は少々来るものがあった。その様子を見て、アテナは小さく苦笑いする。

 

「だったらさ、今のうち耳を塞いどいたほうがいいよ」

「どういうことです?」

 

 少々うんざりしたかのように顔をしかめて、忠告するアテナへとルドウイークは訝し気な視線を向ける。それに、アテナは東門から歩み出る人影に目を向けながらに微笑んだ。

 

「うん。だって今日のもう一人の主役、ウチで一番ウルサイから」

『メルツェェェェェェェェェェェェエエエエエエエエエル!!!!!!!!!!!!!』

 

 アテナの言葉が終わるか終わらないかのうちに響いた咆哮は、魔道具による増幅を受けたメルツェルの声は愚か、観客の大声援をも上回るとてつもない声量だった。

 

 声の主は白い装甲の重装に身を包みながら、エリー同様に武器を持たず、強靭なガントレットを装備した大柄な男。甲虫をモチーフとしたと思しき形状の兜から僅かに覗く目と口元には、戦場に立つ高揚と、これからの戦いを見据えた興奮がぎらぎらと輝いている。しかし男は目前に立つ好敵手であるエリーに対しては一度視線を合わせるのみで、すぐに待ちきれぬというように櫓の上にいるメルツェルのほうへと向き直って、自身をアピールするかのように両手を振り回した。

 

『俺だぜ、メルツェェェェェェエエエエエエエエエル!!!!!!!!!!! かっこよく紹介してくれェェェェェエエエエエエエエッッッ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!』

『――――単純馬鹿め、なぜ私の名前を叫ぶ………………失礼。東門から入場したのはアテナ・ファミリアの誇る重闘士、猪人(ボアズ)! 【(グレディッツィア)】のヴァオー!!』

『ヘイヘイヘイもっとこっち視線くれよメルツェェェェェェェエエエエエエエエル!!!!!!!!!!!!! 寂しいぜェェェェェェエエエエエエエエエエッッッ!!!!!!!!!』

 

 全身を使って主張する【ヴァオー】に、そのアピールを向けられたメルツェルは頭痛を覚えたように頭を振った。それと同時に特等席ではあまりの大声量に深刻なダメージを受けたルドウイークがうなだれ、ヴァオーが叫ぶ間耳を塞いでいたエリスが慌てて彼へと身を乗り出して、そして咎めるようにアテナに食って掛かった。

 

「大丈夫ですかルドウイーク!? いや、アテナ! ちょっとあまりにもうるさすぎるでしょう彼!!」

「うん、知ってる。最初のころは彼の声のせいで周辺住民からのクレームが凄くてさ……」

「だったら直すよう指導してくださいよ!! これでルドウイークがどうにかなったらどうすんですか!?」

「え、でも最近は朝昼夕だけ叫んでいいって指導して随分改善したんだよ? 周辺の住民も目覚ましの鶏いらずだって言ってくれてるし…………」

「それはもう諦めてるんですよ!! ってか朝昼夕って今叫んでるし!!!」

「そりゃ叫ぶよ。バトル前なんだし」

「あのですねえ……! そういう所が」

「やめてくれ、近くで叫ばんでくれ、エリス神。頭に響く……」

 

 苦しみと共に絞り出したルドウイークの声にエリスは慌てて口を噤んで、アテナをきっと睨みつけた。対してアテナは苦笑いをしつつ肩をすくめて、それから自身の椅子のひじ掛けに引っ掛けてあった鈴を手に取り、チリンチリンと鳴らす。すると後方の樫の扉が音もなく開いて、一人の女性が足を踏み入れた。

 

 色素の抜けた髪を無造作に伸ばした、ギルド職員のそれに似た露出の少ない服を着た立ち姿。その顔に浮かぶ表情は微塵の揺らぎのない無表情。空色の、星のような瞳に感情など微塵も覗かせない彼女は迷いない足取りでアテナの横まで歩くと、向き直ってその場にいる者たちに頭を下げる。その胸は平坦であった。

 

「おはよ、【アンジー】! 進行はどう?」

「問題ありません」

「あ、こっちの二人はエリスとルドウイーク! 今日のお客様!」

「はい」

「二人に飲み物を用意してあげて! エリスは葡萄の、ワインでいいよね?」

「あー…………いえ。今日はジュースで」

「あれ珍しい。ルドくんは?」

「水で」

「あら慎ましい。じゃあ私はエールで! よろしくアンジー!」

「了解しました。失礼します」

 

 必要最低限の応答を返すと、アンジーと呼ばれた彼女は(うやうや)しく、あるいは機械的に頭を下げて迷いのない歩みで退出していった。その背を見送ったエリスが、どこか不満げに笑顔のアテナを睨みつける。

 

「ねえアテナ。飲み物、貴方が注いでくれるんじゃなかったんです?」

「うーん。でももうバトル始まっちゃうし! それにぃ、主神が注ぐのも団長が注ぐのも、そんなに変わらないかなって!」

 

 手をひらひらと振りながら楽し気な笑顔を崩さぬアテナ。それに眉間の皺を深くするエリスを横に、少しばかり持ち直してきたルドウイークがアテナへと問いかけた。

 

「団長……では、彼女が?」

「うん。ウチの自慢のリーダー! その名も――――」

「【黄道十二(ゾディアック)】の【アンジェリカ】。通称アンジー。レベル2でありながら、大ファミリアの一つを率いる才女です」

「もう! エリスったら人の説明取らないでくれる!? 彼女の凄さをいーっぱい教えてあげようと思ったのに!」

「長ったらしい自慢話を聞く趣味はないので」

 

 駄々をこねるアテナをすげなくあしらうエリス。その横でルドウイークは相変わらず訝し気なままだ。それを見て、アテナは不思議そうな顔で小首を傾げた。

 

「ん、ルドくん。何か不思議そうだけど、まだ聞きたいことある?」

「はい、失礼ながらアテナ神。アテナ・ファミリアはこのオラリオでも有力なファミリアの一つ。レベル2が最強だとは考えづらいのですが……?」

「えっと…………ああ、それ? それね。確かにうちにはレベル5が二人いるよ」

「では何故?」

「ふふ、だって別に団長が最強じゃなきゃいけないなんて決まってないもの!」

 

 にこやかなままに答えるアテナに、ルドウイークは今更気づいたかのように目を丸くする。それを見てエリスが身を乗り出し、未だにオラリオに慣れきらぬルドウイークに恩を売れる事の喜びを神妙な顔で押し殺しながら、まるで後進に何かを教える先達かのような振る舞いで彼へと話しかけた。

 

「……そもそも、誰を団長にするかって言うのはファミリアの主神の一存によるものがほとんどです。実力はもちろん、ファミリアへの貢献度、周囲の神々へのアピール、メンツ、何より個人的な好き嫌い……だから多くのファミリアでは、そこで一番強い人が団長の座についてるんですね。強い子と言うのは大抵特別で、大抵贔屓(ひいき)されるもんですから」

「ウチの場合は単純にアンジーが一番団長に向いてそうだから彼女に団長任せてるの。頭いいし、何よりみんなが彼女に忠実だからね。……って言うか、一番強い眷属には最強に相応しい仕事をさせてあげるべきよ。団長なんてめんどくさい役目までさせるべきじゃあないわ」

「そういう所だけは頭回るんですよね、貴方」

「あっ誉められた! うれしい! ありがとエリス!」

「半分バカにしてるのに気づけ」

 

 皮肉に気付かずその笑みをますます深くして礼を言うアテナに、もはや呆れかえったという風にエリスは深々とソファに寄りかかった。一方で、新たな知啓を得たルドウイークは一度小さく頷く。

 

 今までもルドウイークは幾度もの死線をくぐってきた。だが、それは獣との、上位者らとの戦いにおいてだ。対人戦に限れば、彼の経験はそれほど多くはない。ヤーナムでありえた人との戦い、血に酔った狩人たちを相手にした対人戦という土俵には、<(からす)>という絶対的な捕食者が存在したが故にわざわざ彼が人を相手にする機会自体が少なかったからだ。

 それでも彼はその<烏>や彼に並ぶ強者であった<マリア>や<加速>との手合わせを経て、対人戦においても強者と呼ぶには十分すぎる実力を備えている。

 

 ――――しかし、『集団』を相手にする戦いでは話が別だ。

 

 数多の狩人を率いていたルドウイークは、団結がどれほどの力を持つかよく知っている。彼の居ない所で無名の狩人らが集団での大物狩り(ジャイアントキリング)を成功させた事は一度や二度ではない。それゆえに、ルドウイークはこの世界に来て、自身がこちらでも十分に強者と呼べる力を有していると知ってなお、【ファミリア】と言う集団を敵に回すことを何よりも警戒し、敵に回さぬように心がけ、そして万一敵に回した際の想定を(おこた)ろうとはしなかった。

 

「……なるほど。ではファミリアを見るときは団長のレベルそのものよりも、団員達全体の役割を見るべきなのですね」

「そうそう……って考え方が物騒だよ! もしかしてぇ……どっかに【戦争遊戯(ウォーゲーム)】でも仕掛けるつもりとか!? すっごいなぁ! ねぇねぇ、ルドくんってオラリオに来たのは最近だよね!? 来る前は何してたの!?」

「…………ええと、それはですね」

「あのルドウイークは元【アレス・ファミリア】の所属でしたので! 戦争気分がまだ抜けなくてすーぐ物騒な考え方になるんですよ! まったく困っちゃいますよねえ! あはははは!!!」

 

 嘗て(狩人として)の考え方が抜けないが故にアテナの興味を惹いてしまったルドウイークは一瞬何とも言えない複雑な表情を見せるが、アテナがそれを訝しむよりも早く割り込むかのように慌ててエリスがフォローに入った。その、あからさまなエリスの様子をこれと言って怪しむこともなく、アテナは天真爛漫な笑顔のままさらにルドウイークへの質問を重ねてくる。

 

「ふーん、そうなんだアレス・ファミリアかぁ! ねぇルドくん、【アレス】は元気? 最近顔見てないから気になっちゃって……」

「元気に決まってるじゃないですか! アイツはちょっと凹んでもすぐケロッとしてるような奴ですよ!?」

「それはそうね! 大昔、ウチの団長にボコられた時も…………って言うかエリス。私、ルドくんとお話してるんだけど」

「それよりほら、試合始まりますよ!! 主神なんですから声援送らないと!!!」

「あっホントだ! 二人ともーっ! がーんばれっ! がーんばれっ!!」

 

 自身の質問をルドウイークではなくエリスに答えられ、アテナは一瞬不機嫌そうに唇を尖らせた。しかし目ざとく会場の様子を察知したエリスが苦し紛れに外を指さすと、アテナは慌てて手すりから身を乗り出して声援を送る。それと同時に、主催たる女神が姿を見せた事に気づいた観客がさらに沸き立つ。そうして響きだした歓声の中で、どうにか致命的な嘘が露見することを回避したエリスとルドウイークは揃って安堵のため息を吐いた。

 

「助かった、エリス神。礼を言う」

「いえ、気を付けてくださいよ。アテナはちゃらんぽらんのバカですが、同時に知恵と戦略を司る神でもあるので……」

「ん、何か言ったー!?」

「貴方の賢さをほめてたんですよ!」

「ホント!? ありがと!」

 

 エリスのごまかしに口元を緩めて笑ったアテナは礼を言うと、すぐに闘技場のほうへと視線を戻した。それを見た一人と一柱がまた安堵していると、後ろで扉が開く音がしてトレイに三つのグラスを乗せたアンジーが入室してきた。

 

「アテナ様。エールです」

「その辺置いといて! がーんばれ! がーんばれっ!」

「エリス様。葡萄ジュースです」

「あ、はい。ありがとうございます」

「ルドウイーク様。水です」

「どうも」

「失礼いたします」

 

 それぞれに頼まれた飲み物を供すると、速やかにアンジーは部屋を後にしていった。ちょうど時を同じくして、観客席の歓声が最高潮に達し、そして司会であるメルツェルの声が会場に響き渡る。

 

『では、戦いを見定める審判のふたりを紹介しよう! 此度審判を務めるのはアテナ・ファミリアの誇る【黄道十二(ゾディアック)】が一人、【レオ】! 同じく【黄道十二】、【アリエス】!!』

 

 彼の声に応じて会場に姿を現したのは金色のたてがみじみた髪を持つ精悍(せいかん)人間(ヒューマン)の男と、どこか達観したような表情のエルフの青年だ。彼らは観客席と、次いでアテナの居る特等席に向け一礼すると、それぞれ閉ざされたままの北門と南門の前へと陣取る。 

 

『これで役者はそろった! では、闘争を始めよう! 両者準備はいいか!?』

 

 彼らが位置についたのを確認すると、メルツェルが高らかに声を上げ、そして右手を高く掲げた。それを見た観客たちは唐突に口を閉ざし、会場は先ほどまでの様子からは考えられぬような静寂に包まれる。しかし観客はその口とは逆に目を大きく見開き、向かい合う二人の闘士へと意識を集中していた。

 

 その視線の先でエリーは深呼吸を一つ行うと小さく腰を落とし、右半身を引いて軽く握った両の拳を胸の高さへと掲げる。対してヴァオーは仁王立ちのまま両の拳を強く握って自身の前でぶつけ合い火花を散らし、兜の隙間から僅かに覗く表情を楽しげに歪める。その胸筋は屈強であった。

 

 闘士二人がにらみ合い、口を閉ざした観客たちの期待が一気に高まってゆく。そして、緊張の糸が張り詰め切った、その瞬間…………メルツェルが唐突に叫びながら、掲げた右手を振り下ろした。

 

『――――――始め!!!』

 

 手短で、祭りの場には相応しくないともいえるメルツェルの声を受けた瞬間堰を切ったかのように歓声が爆発した。同時に、エリーとヴァオーの両者は躊躇なく飛び出してそれぞれの右拳と左拳を激突させる。その威力は、まるで鐘楼(鐘楼)()いたかのような金属音と共に会場の隅々まで響き渡って、それを見る者の肌をビリビリと振るわせた。

 

「こっちまで衝撃が来たぁ!」

 

 全身で感じた衝撃に頬を赤く染め、アテナは歓喜の表情を浮かべて叫んだ。彼女の見下ろす先で、前進しながら凄まじい威力の拳を繰り出すヴァオーの攻撃をいなすエリーが、どうにかその背後へと回り込もうと隙を窺う。一方でアテナの背をどこか白い目で見つめていたエリスは、しかし戦いの様子には興味があるのか自身も少し身を乗り出してルドウイークに問いかけた。

 

「このバトル、ルドウイークはどっちが勝つと思います?」

「………………」

「……大丈夫ですか?」

「…………ああ……少し、慣れてきた……」

 

 響き渡る大声援にうつむいていたルドウイークは心配するような声色のエリスの問いに手を上げて応じると、一度頭を左右に振ってから闘技場で争う二人の闘士に目を向ける。

 

 二人の戦いは、ルドウイークの目には危ういものに見えた。軽装の拳闘士、エリーは素早い動きで的を絞らせず、一撃離脱を徹底して少しずつ攻撃を命中させているが、重装のヴァオーに対して効いている様子もなく、ヴァオー自身も回避しようとする様子がない。それに比べヴァオーの動き自体は遅いもののやたらと攻撃の間隔が短く、その一撃一撃が必殺に等しい威力を秘めているのは一目瞭然であり、更には自身の肉体と装備の防御力に任せて躊躇なしに前進してくる。

 

 ――――まるで、獣と狩人の戦いを見ているようだ。いや、なお(タチ)が悪い。狩人は<仕掛け武器>と言う獣を殺しうる牙を備えているが、エリーの細腕にそれほどの力があるとは思えない。

 

「…………見たままだけで言えば、ヴァオー殿が有利だろうな」

「え」

 

 神妙な顔で答えたルドウイークに、なぜかエリスは驚愕したような反応をした。それにルドウイークが訝し気な目線を向けると彼女は表情をすぐに取り繕って、先ほどアテナとの会話で話題を逸らしたときのように口早にまくしたて始めた。

 

「で、でもオラリオの冒険者なんて見た目じゃわかりませんし! もしかしたらエリーさんもすごい切り札を秘めてるかもしれませんよ! 魔法とか!」

「そうだな」

 

 ルドウイークはエリスの意見を否定することはなかった。この街の冒険者たちの強さを見た目だけで判断できるのであれば、ルドウイークはもう少し楽にこの街で過ごすことが出来ていただろう。しかし現実はそうではない。

 オラリオの冒険者達の強さは神より授けられた【恩恵(ファルナ)】によるものだ。個人個人に刻まれた経験値(エクセリア)を以ってその器を昇華せしめる神の御業。それによって得る力は種族による傾向や才覚の差こそあれど、肉体という枷に縛られることはない。滅多にあることではないが、小柄な少年じみた小人(パルゥム)が無双の剛力を得ることもあれば、身体能力の高さと獰猛さで知られる狼人(ウェアウルフ)がエルフをも上回る魔法を身に着けることもありうる。

 

 故に、見た目だけで冒険者らの強さを判断するのはナンセンスだ。しかしそれでも、外見が全く判断材料にならないというわけでもない。身に着けた装備、立ち振る舞い――――そう言ったもので相手の戦闘スタイルや傾向、そして()をある程度推察するのは、この街で生きていくのにむしろ必要不可欠な技能と言える。

 しかし、実際の【能力値(ステイタス)】や身に着けた【スキル】、何より【魔法】は一見しただけではわからない。それは先程、二人が話した通り。それを踏まえたうえで、ルドウイークは首を傾げた。

 

「しかし、だ」

「はい?」

「もしエリー殿にヴァオー殿を打ち倒せるような魔法があったとて、そもそも使ってもいいのかね? 二人は同じファミリアの所属なのだろう? 命を落としてしまっては興行になるまい」

「……はぁ」

 

 突然につぶやいたルドウイークの言葉を聞いて、エリスは思わず聞き返した。そして、呆れかえったような顔をして見せつけるように溜息を吐いた。それを見て、らしくなくきょとんとした顔で彼女を見返すルドウイーク。一方エリスは再び彼の顔を見て、再び溜息を吐き肩を落とした。

 

「ああ……そうですねルドウイーク、私が説明してあげてる時も居眠りしてるんだか考え事してるんだかでちっとも聞いてませんでしたね……」

「それは……」

「『すまなかった』、以外で頼みますよ」

「……返す言葉もない」

「………………はぁ」

 

 エリスは頭が痛いと言わんばかりに額を抑え、またしても溜息を吐く。そして肩をすくめてから、ルドウイークに向けて試合のルール説明をしようとした。

 

「いいですか、この試合にはですね……」

「ルールなんて全然ないよ! 武器も魔法もスキルも何でもあり!」

 

 しかしそれはいつの間にかこちらに向き直り、手すりに寄りかかっていたアテナの言葉に遮られた。彼女の言葉に、説明をし損ねたエリスはむくれたような顔をして食って掛かろうとしたが、それは慌てたようなルドウイークの言葉にかき消された。

 

「それは、本当なのですか?」

「うん、本当!」

「大丈夫なのですか?」

「大丈夫!」

「……いや、武器や魔法、スキルまで使用可能なのでしょう? 度を越えた戦いになるのは目に見えている」

「うん、なるよ? 互いのすべてを尽くした強者同士の全力のバトル! それがウチの売りだからね!!」

「ほら言ったじゃないですか。やべー奴なんですよこいつ」

 

 自身の眷属が全力でぶつかり合うというのにけろりとした顔で話すアテナに、驚きを隠せぬルドウイーク。その横からエリスがぼそりと囁いたが、ルドウイークはそれに反応を返さぬほどに驚愕していた。見世物はあくまで見世物。そのために同じファミリアに所属する仲間が全力で戦うなどとは、微塵も想像していなかったからだ。彼は問いただすように、真剣な顔でアテナへと問いかける。

 

「しかし……そのような戦いで興行など続けられるはずも無い。万一の事があったらどうなさるつもりか――――あるいは、それも興行の一環だと?」

「それはないよ! そのために審判がいるの! いざとなったら、彼らが止めてくれるから大丈夫!」

 

 しかし深刻なルドウイークの問いにも、アテナはにこやかに返すばかり。彼女は楽し気に小さく笑うと、歓声と戦の音が響き渡る再び闘技場へと目を向けた。その背を複雑な顔で一瞥したのち、ルドウイークは少々うつむき思索を巡らせる。

 

 ――――確かに、先日の【ロキ・ファミリア】で行われた【ティオナ・ヒリュテ】との戦いにおいても実力者である【フィン・ディムナ】が審判として参加し決定的な瞬間には戦闘への介入を行っていた。今現在闘技場で行われている戦いでも同様なのかもしれぬ。あの時用意されていたという【万能薬(エリクサー)】、あるいはそれに匹敵する道具も大ファミリアと呼ばれる【アテナ・ファミリア】であれば所有していてもおかしくないし、治癒師(ヒーラー)の準備もされているかもしれん。

 

 だが、彼はどうにも納得できなかった。人同士が争い、それを見て楽しむ。例え命の保証があるといっても、そこには傷も痛みも存在する。彼らは、どうしてそんな事をしなければいけないのだろう? 娯楽のために、何故命を賭けねばならないのだろう? 闘技を売りとするのなら、それこそモンスターを相手にすればいい。人同士が戦うことに道理など無いはずだ。<獣>と言う敵が存在していたが為とは言え、<狩人>という者たちが団結していたヤーナムでは考えられなかった光景であり、故に彼には理解しがたかった。

 それほど多くの人数が存在しなかった狩人達が全力の戦いを行うなど、道を外れし『血に酔った』狩人達に対してのみ。修練の一環として手合わせを行うことがあっても、その全てを尽くして戦うなどわずかな例外を除いて無い。彼らの対峙するべき敵は、どこまでも獣だったのだから。

 

 ……しかし。ルドウイークもまた、かつては<最後の狩人>に対してその全てを振るい、オラリオにおいても人であるティオナとの戦いを経てロキとの同盟を勝ち取ったことに変わりはない。今眼下で拳をぶつけ合う闘士たちと、何の違いもない。

 

 彼ら彼女らとて、戦わねばならぬ事情があるのやもしれぬ。だとすれば、私に何を口出しする権利があろうか。

 

 ルドウイークは膝の上に置いた拳を強く握った。響く歓声も、アテナの応援も、今や曇った窓の外の景色のように虚ろで朧気だった。

 

「……あの、ルドウイーク、大丈夫ですか……?」

 

 その時、横合いからかけられた声に彼は顔を上げて振り返った。そこには心配そうな表情を浮かべたエリスが、気遣うような視線をルドウイークへと向けている。その翡翠色の瞳の奥にルドウイークへの憂いと申し訳なさを見て取った彼は一度顔を前に向けると、一呼吸おいてエリスに小さく笑いかけた。

 

「大丈夫だ。気にしないでくれ」

「……でも」

「いいさ。今は、目の前の興行を楽しもう。折角貴女が用意してくれた機会なのだから」

「………………嘘つき」

 

 取り繕ったルドウイークの言葉を神の眼でもって看破したのだろう。エリスは不満の言葉を漏らすと、闘技場ではなく手に持ったグラスに入った葡萄ジュースの液面に目を向けて、それきり黙り込んでしまう。ルドウイークもそんな彼女の様子に申し訳なさを感じながらも、今は闘技場へと、観客たちへと、アテナ神の背へと、そしてぶつかり合う二人の闘士へと目を向けた。その導きを見出す瞳と超思索の啓蒙でもってその全てを見定め、見極めるために。

 

 

 

 

 

「ハッハ――――!!!!! まだまだいけるぜ、メルツェェェェエエエエエエエエエエエエエル!!!!!!!!」

 

 エリーとヴァオーの戦いは、ついに佳境へと差し掛かっていた。前進を続けるヴァオーの拳が、少しずつエリーの体を捉えはじめている。空を切るばかりだった拳は今や逸らされ、弾かれることで対処せねばならぬほどに彼女の体へと肉薄している。その一撃一撃の破壊力は遠目に見ているルドウイークからしても凄まじい。嘗てのヤーナム最強の拳の持ち主、<ガラシャ>のそれにも迫っているのではないかと思えるほどだ。

 

 だが、何よりも恐ろしいのはその連続攻撃の間隔の短さ。スタミナの限界など無いかのように間断なく繰り出される連撃が一種の盾となり、正面からのエリーの攻撃チャンスをことごとく奪っている。故に、エリーはヴァオーの背後へとどうにか回り込もうとしているのだが……それをヴァオーが許すことはなかった。前進を続けている彼だが、エリーの動きに合わせて速度に緩急をつけ、彼女の移動先に拳を見舞うことで左右への揺さぶりに的確に対応している。

 

 歓声。また一撃、ヴァオーの拳がエリーの肩を掠めた。時間を追うごとに彼女に肉薄していくヴァオー。特等席からそれを見下ろすルドウイークはその要因のいくつかを見出していた。

 

 まず一つは疲労。縦横無尽に動き回るエリーのスタミナ消費は前進し続けるばかりのヴァオーと比べれば重いものであるのは想像に難くない。最初の内は重装備のヴァオーの方がより消耗は激しいのでは無いかとも疑ったが、そのような様子は微塵も感じさせぬ。戦いの経過を見ても、ヴァオーのスタミナはエリーを大きく上回っているだろうというのがルドウイークの所見だ。

 

 次に彼が見抜いたのは、ヴァオーの慣れ。彼は徐々にエリーの動きに対応し、左右に回り込もうとする彼女の行動先に向けて拳を放ちその動きを封殺する場面が増えてきている。例え有効な手段であれ、幾度となく用いれば学習され対応されるのは必定。対人戦の訓練を多少なりとも積んでいるであろうオラリオの冒険者であればなおさらだろう。

 

 再び、ヴァオーの拳が放たれる。胸を打つかと思われたそれを、エリーは小跳躍しつつ両手を重ね、腹の高さで受け止めた。そしてその衝撃を利用して吹き飛び、着地。仕切り直しだ。彼女は迫るヴァオーの速度と同じ速度で後退しつつ、今の一撃で痺れたのか腕を振って感覚を取り戻さんとする。

 対するヴァオーは笑いながらも前進を止めぬ。彼自身も優位を感じ取っているのだろう、エリーが地に伏すまでこのやり取りを続けるつもりのようであった。

 

 それもまた、ルドウイークの見抜いた要因であった。微妙な違いはあれど、この戦いは一貫して迫るヴァオーと逃げるエリーという(パターン)にはまってしまっている。何度挑んでも途切れない拳撃によって阻まれ、追い返され、跳ね返されている。その中で幾度か見られる受けや弾きもヴァオーの態勢(体幹)を崩すには足りぬようだ。これでは、エリーの逆転は望めない。

 

 だが、ルドウイークは少々、そこに不自然さを感じていた。

 

 幾度となく繰り返されるエリーの突撃。それは、あくまでエリー自身の意思によって行われているものだ。勝ちの目がない勝負を続ける者はいない。実際、彼女の眼は死んでおらず、勝利への希望も途絶えていないように見える。

 

 ――――ならば、彼女にはあるのだろう。この状況を覆し、勝利を手にするための切り札が。

 

 ルドウイークは今まで以上に二人の戦いを注視した。例え人同士の戦いを好いていないと言えど、それから目を逸らす理由になるかと問われればルドウイークにとっては弱い。他者の戦いから学ぶべき部分はいくらでもある。むしろ、他者より学ばなかった狩人など早々に獣によって(たお)れていくのが常であったヤーナムにあって、強者とされた狩人たちは例外なく優秀な学び手であった。

 

 仕掛け武器の扱いを、狩人の体技を、獣の習性を、暗がりに潜む悪意を、秘匿の破り方を。<夜>を生き延び、獣を狩るために必要なものは何であれ身に着けてきた。それはルドウイークも例外ではない。<最初の狩人>から教えを授かり、そして数多の狩人らを率いるに至った狩人の英雄。それは同時に、彼が高い学習能力と意欲を持ち合わせた、狩りと言う道の学徒であることの証明であった。

 

 そしてルドウイークの直観は、このまま戦いが何も波乱なしに終わる――――その様な事は無いのだと告げている。故に彼はその瞳をより鋭くして、戦いの趨勢の変化を見逃すまいとしていた。

 

 

 

「どおしたァアアア!!!! そんなもんかよエリィィィィイイイイイ!!!!!!!!!!」

 

 その、彼の視線の先で再びエリーとヴァオーがぶつかり合う。例に漏れず回り込もうと挑んだエリーの前に放たれた拳が壁となってその前進を阻み、無慈悲にも弾き返す。もはやこの戦いの中で何度も繰り返されたその光景に、一部の観客は焦れ始め、早急の決着を望むようにより大きな歓声を上げる。

 

 彼らの声に答えるように、ヴァオーはエリーへの攻勢をさらに強めた。戦いの喜びに満面の笑みを浮かべながら踏み込み、拳を振るい、更に一歩踏み込んで、逆の拳を振るう。そして、ついに痛烈な一撃がエリーの脇腹を捉えた。

 

 次の瞬間、ルドウイークは目を見開いた。受けた一撃によって吹き飛ばされるかに見えたエリーはその場で不自然によろめいただけだ。堪えたのか。顔は苦痛に歪み、しかし目ははっきりとヴァオーへ向けられている。

 

 彼女はそのまま、引き戻される拳を追いかけるように踏み出してヴァオーの間合い、その内側へとついに入り込んだ。長らく一定の動作を続けていたヴァオーの両腕は突然の事態に対応できず、僅かにもつれエリーに隙を与えてしまう。だが、ヴァオーもそれを許す事は無い。腕がダメならば足と言わんばかりに、密着に等しい位置に踏み込んだエリーに向け膝蹴りが繰り出される。彼の選択しうる最速最善、最短の攻撃。

 

 だが、それよりもエリーの方が速かった。突き上げるような掌底――――炎を纏った右腕が、ヴァオーの下顎を突き上げる方が。

 

 炸裂。直撃したその瞬間、エリーの右掌から爆発的な炎があふれ出した。何らかの火炎系の魔法。それを掌底と共に叩き込んだのだ。ヴァオーの頭は炎に巻かれ大きくのけ反る。白く輝いた兜は焼け焦げ、目や口元の隙間から黒い煙を吐き出した。そうして生まれた隙に、エリーの連続攻撃が叩き込まれる。審判の二人は動かない。

 

 あれが切り札と言うわけか。睨みつけるような視線を二人に向けながらルドウイークは思索を巡らせた。炎による目くらまし。それはかつてのヤーナムでも良く用いられた手段だ。火は熱によって呼吸を奪い、光によって視界を奪い、さらには痛みによって判断力を奪う。当然、獣だけでなくそれは人であっても同じ事。

 

 右拳、左拳、右拳、左拳。がら空きになったヴァオーの胴体、そこを守る鎧ごと打ち砕かんばかりにエリーの連続攻撃が叩き込まれる。この戦いが始まって以降初めてヴァオーが一歩後ずさった。歓声が響き渡る。

 今までひたすら攻撃を耐えてきたエリーがようやく手にした一発逆転の大チャンス。それは観客の眼には明らかだった。今までひたすら布石を積み重ねてきたエリーがようやく手にした最初で最後のチャンス。ルドウイークの瞳にはそれが明らかだった。

 

 次瞬、視界を断たれたヴァオーの中段蹴りが間合いの中のエリーへと放たれた。顔を焼かれながらも受ける拳の感触から敵の位置を判断したのだろう。その軌跡は正確にエリーの横っ腹へと向けられている。だが彼女はそれを誘っていたのだとでもいうようにふわりと跳躍、自身の真下を通過するヴァオーの足を踏み台にしてさらに一段跳躍した。

 

 蹴りを空振ったヴァオーが致命的な隙を晒す間に空中のエリーが態勢を変化させる。体を捩じり、回転を加える。狙うはヴァオーの頭部。空中での後ろ回し蹴りをこめかみに受ければ、さしものヴァオーもひとたまりもない。だがそこでヴァオーは咄嗟に甲虫を模した兜の角めいた部分をつかみ取って空中のエリーに向けて放り投げた。

 

 全力での投擲とは言えないその攻撃は、緩い放物線を描いてエリーに向かう。しかし彼女は迫る兜をあしらうかのように腕を振るい弾き飛ばした。一瞬の時間が生まれた。

 

「オォォォラァァァァアアアアアッッ!!!!!!!!!!!」

 

 その、僅かに勝ち取った時間を使ってヴァオーは叫び態勢を立て直す。そして自身が攻撃を受けることを承知でエリーへと拳を打ち放った。

 

 直撃。エリーの踵がヴァオーのこめかみに突き刺さり、嫌な音を立てて彼の首を120度回転させた。命中。体勢を崩しながらもヴァオーの拳はエリーの脇腹へと突き刺さり、彼女を大きく吹き飛ばした。

 

 二人の審判、【レオ】と【アリエス】が動く。白目をむき、倒れこむヴァオーの巨体と地面の間にレオが滑り込み、受け止める。地面に頭から激突するかと思われたエリーの体をアリエスが受け止めて、そのまま地面を転がった。

 

『勝負あった!! 両者相打ち!!! 審判役の介入を以って、この試合は終了とする!!!!』

 

 爆発する歓声を抑え込まんかとするようにメルツェルの拡張された音声が会場を駆け巡った。しかし観客の熱狂が収まる事は無く、両闘士の名がまるで競い合うかのように叫ばれる。その歓声の中で闘士たちと審判役はすぐに東西の門へと消えていったが、彼らの健闘を称える声と勝敗の明白な決着を望む声はその後しばらくしても止む事は無かった。

 

 

 

<◎>

 

 

 

「いやー、いい戦い(バトル)だったね! 後でほめてあげなくちゃ!」

 

 にっこりと、会心の笑みで振り返ったアテナはそう言って、闘技場を沸かせに沸かせた二人の功労者をこの後どのように労うかを考えながらルドウイークとエリスに目を向けた。

 

 だが彼女の満足感とは裏腹に、エリスはどうしようもないと言いたげな顔で苛立ちに顔を歪ませており、アテナの視線に気づくとさりげなく視線を逸らした。一方ルドウイークは何やら難しい顔で考えを巡らせているようで、アテナの声に応える様子がない。自身の自慢の眷属の戦いを褒めたたえて貰えるとばかり考えていたアテナは二人がその様な様子になる理由がわからず少し焦った。すると、いつの間にか笑顔になったエリスがパチパチと拍手をして見せる。

 

「ホント凄かったですねアテナ! いやー素晴らしい! とにかく凄かったです!」

「だ、だよね! うん、だよね!? もう、二人とも暗い顔してるから楽しめなかったのかなって心配になっちゃった!」

「ルドウイークもそんな事は無いって言ってますよ」

「よかった~……」

 

 エリスの発言にほっと一息ついて見せるアテナ。彼女は一度心配そうにルドウイークの顔色を窺うと、そっと、不安げに彼に何か話しかけようとした。しかし。

 

「アテナ様」

「はいっ!?」

「本日の対戦は終了しました。アテナ様のお言葉を皆がお待ちです」

「あ、うん、ごめんアンジー。今行くよ」

「お急ぎを。失礼します」

 

 いつの間にか部屋に入ってきていたアンジーに声を掛けられ、驚いたアテナは彼女の知らせにうなずくと、部屋を後にするアンジーの背を小走りに追いかけて退出する。が、すぐに戻ってきて廊下から顔だけをのぞかせると、少し慌てながら二人に向け手を振って笑いかけた。

 

「あ、ごめん二人とも、あたし行かないと! また来てね! 来る前に教えてくれれば特等席開けとくから! じゃ!!」

 

 そう言い残して部屋を後にするアテナ。一方で、その姿を見送ったエリスはルドウイークを見やる。彼は未だに何かを考えているようで、エリスはその姿に、どう声をかけようか思いつかなかった。

 

 しばらくの間二人の間に会話は無く、ただ観客の歓声が、続いてメルツェルの声に続き、催しの終わりを告げるアテナの声が響き渡る。それが終わりしばらくして観客たちの叫びが帰宅の途につくざわめきへと変化したころ。未だに口を開かず沈思黙考しているばかりのルドウイークに、エリスは恐る恐る声をかけた。

 

「ル、ルドウイーク? そろそろ、私達も帰るとしましょう。催しも終わってしまいましたし……」

「………………そうだな」

 

 短く答えるとルドウイークは立ち上がって、自身の荷を手に取り外へと向け歩き出した。それを一瞬呆然と見送ってから、エリスは慌ててその後を追う。ルドウイークは未だに何かを考えているのか、何一つ言葉を口にすることもなく淡々と外へ向かう道を歩んでいく。エリスは彼が、人同士の戦いをまじまじと見せられてそれで機嫌を悪くしているのだと考えた。

 

「あの……ごめんなさい、ルドウイーク」

「……何がかね?」

「思えば、貴方は人と戦うのを嫌っていました。ロキの眷属と戦った時もそうです。なのに、あんな人同士の戦いを楽しんでもらおうだなんて…………あー、デリカシーないのは私の方じゃないですかぁ……!!」

 

 一般の来訪者たちの人込みと合流し、闘技場の外に足を踏み出したころ。エリスはルドウイークに自らの浅慮を詫びると、自己嫌悪に陥って頭を抱えた。

 

 ルドウイークが人との戦いを好まないというのは、彼女自身すでに察しがついていた。彼女のわかる限り、ティオナとの戦いでも吹っ切れるまで本気になることが出来ていなかったし、目立たぬようにしていたのもそういう思いからだろうし、自らが獣の相手に忙しかったとは言え、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 だったら、先にわかるべきであったとエリスは思う。人と戦うのが嫌いなものが、人同士が戦うのも嫌いなど自然な事ではないか。いくらマギーに譲ってもらえたからと言って、ルドウイークをそれに誘うなど……いや、そもそももらったもので眷属への褒美を済まそうなどと……主神として誠意にかけるのではないだろうか?

 

 エリスはそう考えると、さらなる自己嫌悪に陥りそうになった。恩を理由に自身の言葉に粛々と従う男を無理やりに休ませ、好かぬ娯楽で時間を取らせたという事実。しかしルドウイークはうつむく彼女の頭に手をやり軽くなでると、どこか諦観を含んだ笑みを浮かべて歩き出した。エリスもそのペースに合わせて、彼の後を追って歩きだす。

 

「……あの、ルドウイーク」

「エリス神。すまない」

「すまないって……私の方が……」

「そもそもとして、おかしいのは私だ。あれは、オラリオの者にとっては良き娯楽なのだろう?」

「それはそうなんですけど……」

 

 エリスが見上げても、隣を歩くルドウイークは淡々と前を見ているばかりだ。エリスに視線をやることもなく帰路を歩んでゆく。そうして少しばかり闘技場から離れたところにまで足を進めた彼は後ろを振り向いた。見上げる先には闘技場の輪郭。それを立ち止まって共に見上げるエリスに気遣うように、ルドウイークは口を開いた。

 

「私は、そもそも異邦人だ。この街の娯楽を楽しめないのは私が異常だから、それ以外の何でもない」

「ルドウイークはおかしくないですよ!!」

「だが。普通でないことを、世は異常というのだろう?」

「それは……そうですけど……」

 

 ルドウイークの言葉にエリスは思わず言葉に詰まった。ルドウイークが異常なのは事実だ。彼は異世界の人間であり、【恩恵(ファルナ)】を受けずとも凄まじい力を持つ、<狩人>なる存在。更には<月光>と言う異界の武具を携え、<狩りの業>なるこの世界にない戦闘技術の使い手でもある。

 彼が異常か否かと言われればそれは論じるまでもないだろう。だが、それだけではない。彼が自身を異常と称するのには、またもう一つの根拠があった。

 

「……私はな。ヤーナムの外に出たことがなかったんだ」

「ヤーナムの外……ですか?」

「ああ。それこそ、一度たりともな」

「でも、それが何の関係が……」

「あるとも」

 

 ルドウイークは肩をすくめた。今まで見落としていたことに、今更ながら気づいた自身を自嘲するように笑いながら。

 

「私にとってはヤーナムこそが普通だった。だがこの街と、ここで聞き及ぶ世界の話。そして、嘗ての友の一人(<烏>)がヤーナムに来てからしばらくの事を思い出して、気づいたんだ」

「それって……?」

「ヤーナムは、異常な街だった」

 

 エリスはぽかんと、口を開けてそれを聞いていた。確かに、血を医療に使うだの、人が獣と変じるだの、明けぬ夜が訪れるだの……予想外な事が日々巻き起こるこのオラリオから比べても、ヤーナムは異常と言える街だ。だがルドウイークは。その街を故郷であると常々語っていた彼には。その街へと帰るために日々を生きる彼には――――例え、戻ってほしくはないというのがエリスの本心だとしても――――主神たるエリスの事を幾度となく救ってきた自分自身の事を異常だなどと、語ってほしくはなかった。

 

「だから、ヤーナムの外の街では、あのような娯楽もあったかもしれない。だというのに、私は狭い視点ばかりで……」

「そんな事言わないで下さいよ……貴方は別におかしくとも何ともない! むしろ、私が見てきた人の中ではかなり真っ当ですよ!? 確かに常識無いし、料理は下手だし、ナメクジも放し飼いにしますが……!」

「いや、あれはナメクジではなく精霊……」

「そうやっていちいち訂正せずにいられないバカ真面目なところもどうかと思いますがね!!!」

「むう」

「……でも」

 

 エリスは一旦、そこで言葉を切った。そして普段ルドウイークがエリスに対してそうであるように、彼に対してなんと言うべきかを永延に等しい数呼吸の間に必死に考えつくして、どうにか形にした言葉をはっきりと彼に向け言い放った。

 

「貴方は私の眷属として、周りに誇れる存在です。そんなあなたが自分の事をおかしい奴だなんて、言わないでください! それは、貴方を眷属として選んだ私の沽券にもかかわりますから……いいですね!?」

 

 ルドウイークを指さし叫んだエリスは勢いのままに言い切ると、腕を組んで思いっきりそっぽを向いた。その様子を、ルドウイークは茫然としたように、目を見開いて、見つめていたが…………しばらくすると肩を揺らして、らしく無く笑いだした。

 

「…………何がおかしいんですか?」

「ヒッ、ヒハッ、ふふふ、いや、可笑しいというわけでは無い……」

 

 眼だけをルドウイークに向け、疑うような声で確認するエリス。対してルドウイークは笑いをどうにか抑えようと努力しつつも、それを成しきれずに笑顔を見せる。そんな彼に多少毒気を抜かれつつも、口調だけは苛立ったまま問いただすようにエリスはルドウイークに視線を向けた。

 

「じゃあ、バカにされてます?」

「いや、いや。していないとも。ぜひまた、休日を心優しい主神殿と共に過ごさせて戴きたいものだと思っただけさ」

「っ…………はぁ。もう、この際です。また機会があったら休みはあげますので、それまでに、休みをどこで、どんなふうに過ごしたいかよく考えといてください!」

「…………次も闘技で構わないが?」

「人同士が戦うのを見るのは好きじゃないんでしょう? だったら、別に我慢しなくていいんですよ」

「いや。貴女が私のために休息と娯楽をくれたこと自体は、とてもとても嬉しいんだよ。だから次は、()()あの闘技を正しく楽しめるよう、もう少しこの世界について学んでおくよ。人同士の戦いから得られる経験は、私としてもとても興味があるからね」

 

 そう言って、ルドウイークはどこか納得したように口元に笑みを浮かべながらで歩き出した。そうして遠ざかるルドウイークの背中。その、遠く感じる背中に届かぬように、エリスはぽつりとつぶやいた。

 

「――――()()、楽しくない。……貴方が楽しくないなら、私も楽しくありませんよ」

 

 絞り出すような言葉。うつむきながらそれを吐き出したエリスは、遠ざかってゆくルドウイークの背中、その距離に感じた寂しさを埋めるべく、彼の後を小走りに追いかけだすのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おうおう、ちょーっと待ちぃそこん二人!!」

 

 それぞれの内を語り終えて帰路についた一人と一柱を呼び止める、訛りの利いた言葉が街路に木霊した。揃って彼らが振り返ると、そこには息を切らせ、肌を僅かに汗ばませた赤髪の小柄な女神が一柱。彼女は――――エリスの同盟相手である【ロキ・ファミリア】主神の【ロキ】は、膝に手を置き中腰めいた態勢でしばらく息を整えると、未だに多少息を切らせながら二人の下に歩み寄った。

 

「おうおう、探したで…………まっさかウチ自身が鉢合わせるとは思いもせんかったが」

「……ロキ。何か用ですか?」

「なんやエリス、最初(ハナ)っからんな怖い顔せんといてや。チビってまう」

「私今、すっごくデリケートな気分なんです。言動には気を付けていただきたい」

「…………なんやあったみたいやな……けど、こっちもそこまで配慮してられんのや」

 

 軽薄な普段のロキの姿を知るがゆえに、これ以上なくうっとおしそうに凄んで睨みを利かせるエリス。だが、ロキはそれを意に介さず、二人の前に仁王立ちすると親指でもって人気のない裏路地へと続く道を指し示した。

 

「とりあえず、場所移そか。込み入った話あんねや」

「……ロキ。世間話とかなら今は――――」

「込み入った話言うとるやろ」

 

 あしらうように手を振ったエリスに、今度はロキが凄んで見せる。『巨人殺し』のファミリア、現オラリオの最大勢力の一つたる【ロキ・ファミリア】を率いる彼女の威圧は、エリスの感情的なそれとはまた全く異なる類のものだ。しばらくの間政治の場から離れていたがゆえにそういう圧への耐性が欠けていたエリスは思わずぎょっとして一歩後ずさったが、入れ替わるようにルドウイークが前に出た。しかし、ロキは彼のともすれば威圧的な見下ろすように視線にも一歩たりとも引くことなく自身の事情を(つまび)らかにする。

 

「ええか? 今ウチはロキ個神(こじん)やない。『【エリス・ファミリア】の同盟相手である【ロキ・ファミリア】の主神』として自分らと話がしたいんや。……マジマジのマジやで?」

 

 真剣極まりない、それでいて平坦な声色でエリスとルドウイークを射抜くように見ながら口にするロキ。対して、エリスとルドウイークは一度互いに確認するように目を合わせて、そしてロキに向けて了承の頷きを返すと彼女の後について路地裏へと足を踏み入れていった。

 

 

 

<◎>

 

 

 

「で。なんです話って。私たちに可能な事なんでしょうね?」

 

 細い路地の真ん中、そこで腕を組んだエリスは苛立たし気に問いかけた。対するロキは積んであった頑丈な木箱の一つに腰かけ、思案するかのようにもともと開いているのか閉じているのかわからぬ目をより細めている。ルドウイークはと言うと、路地の壁に背中を預けながら周囲を警戒しつつ、彼女たち二柱の女神の会話に耳を傾けていた。

 

「……ああ、実はな。明日明後日(あすあさって)……や、明々後日(しあさって)くらいまでか。ちょいと、ルドウイークには家で待機してほしいんよ」

「ふむ?」

「えっ?」

 

 そんな緊張感の溢れる緊急会談。そこでロキがエリス達に提示した『込み入った話』と言うのは、彼と彼女が想定したものとは多少のズレがあった。故に、すぐさまエリスが口をはさみ、その真意を問いただす。

 

「どういうことですか? オラリオ最強の一角である貴方が、自前の戦力じゃなく外様(とざま)のルドウイークに頼るなんて」

「ああ、実はウチの今回の遠征に際してキナ臭い動きをしとる(ヤツ)がおってなぁ……場合によっちゃ、近い内に戦力として動いてもらう事になるかも知れへん。今、信用できる何人かで情報をかき集めて裏を取っとるとこや」

「……【ファミリア】同士の抗争かね?」

「まだ(やっこ)さんの考えはよくわかっとらん。でも今回は、めんどっちい事になりそうな予感すんねや」

「えっと……それで、その裏が取れたらどうなるんです?」

「ルドウイークにはダンジョン潜ってもらうことになるわ。多分、18階層――――リヴィラを目指してもらうことになる」

「………………18階層ですか」

 

 エリスはその目標階層を示された瞬間、苦虫を噛んだかのように眉間に皺を寄せた。18階層と言えば先日の【動乱】の現場であり、ルドウイークと【ロキ・ファミリア】の因縁が決定的になった場所だ。【黒い鳥】への依頼の云々(うんぬん)を含めても、エリスにはいい思い出がない。

 一方で、ロキの考えにも納得のいく部分があった。今現在、ロキは戦力のほとんどを遠征につぎ込んでいる。そして遠征に行かず、地上に残った『居残り組』――――その彼らよりも、ルドウイークの方が戦闘力は間違いなく上だろう。

 

「せや。そんでまぁ、裏が取れたって時にルドウイークに別ん用事あったら困るやん? だから今日から数日、ちょっと本拠(ホーム)で待機しといてほしいんや。で、必要ってなったらダンジョン潜ってもろうて、そろそろ戻って来とるはずの遠征隊にウチからの伝令を届けてもらいたいってワケ」

「しょーじき、あんまりうれしい話じゃないですけど」

「『同盟ファミリアとして』の『お願い』や。頼むわエリス! このとーり!」

「…………ハァ」

 

 要するに、ロキはルドウイークをメッセンジャーに使うつもりなのだ。『お願い』と言いつつ『同盟ファミリア』と言う不平等な立場を掲げてまで。圧倒的にファミリアとしての地力が劣るエリスからすれば、これは命令にも等しいお願いだ。断れば同盟の不履行を理由にどのようなしっぺ返しが来るかわからない。当然ロキもそれを理解した上での『お願い』だろう。

 

 だが、エリスは嘗て幾度となく争いの火種を撒いた不和の女神としての頭脳をフル回転させてその状況から自身の利益を何とか見出した。逆に言えば、今回の出来事は後でロキに対する大きな『貸し』として機能する可能性がある。もはや抗いようのない組織としての力の差を、ひっくり返す目が僅かにでもある手札(カード)だ。当然、ロキもそれを視野に入れているであろうことは気に食わなかったが、エリスにそれを拒否する余地も理由もありはしなかった。

 

「…………わかりました。ロキ。埋め合わせはして貰いますからね」

「おおきに! いやー助かった! ウチ、今腕立つんが皆して出払っとるやん? どないしよかーって困っとったんよ! 持つべきものは、やっぱトモダチやな!」

 

 エリスの返答を聞いたロキは木箱から飛び降りて大喜びで彼女へのハグを敢行した。しかし、それはエリスが迫る彼女の顔の前へと突き出した右掌によって無残にも阻まれる。そうして半ばエリスの張り手を自分から顔面に食らう形になったロキは反動と痛みによってその場に尻もちをつき、そして涙目でエリスを睨みつけた。

 

「な、何すんねん自分! 折角ウチが友情アッピールしとこ思うたんに!」

「やったら殴りますよ」

 

 それにエリスはなるたけマギーが良くやるように拳を握って示すことで返した。ロキは一瞬怪訝な顔をしたものの、もともと冗談だったのかすぐに尻についたほこりを払いながら立ち上がる。

 

「ったく、冗談の通じんやっちゃなー……」

「冗談はいいです。それと、こちらから要求を一ついいですか?」

「……なんや?」

 

 二人の間の空気がエリスの言葉でどろりと濁った。永き年を経た神同士の取引特有の、神威(しんい)の滲んだ異様な雰囲気。半端な冒険者であれば震え上がり、下手をすれば卒倒する者もあらわれてもおかしくない。

 しかし、政治のとんと分からぬ蚊帳の外のルドウイークは、周囲を警戒しながらも彼女たちの醸し出す威圧的な雰囲気に息苦しさを覚えながら何事もなくこの会談が終わることを願うばかり。そしてそんなことなど露知らず、エリスはロキに対して自らの要求を平坦な口調で突き付けた。

 

「……いいですか、こっちの条件は一つです。ルドウイークを家に待機させてる間、そして彼がダンジョンに向かっている間……彼の代わりになる者を一名、誰か寄越してください」

 

 その要求にロキは目を丸くした。そして、それは無茶だと言わんばかりにエリスへと食って掛かる。

 

「か、代わりってルドウイークの!? そんな奴おらへんから頼んどるんやし、しかもその言い方まさか『改宗(コンバージョン)』せえっちゅうんか!?」

「そこまでじゃありませんよ! でもですね、ルドウイークにも本来予定があるんです。その埋め合わせに、彼の代わりの労働力を用意してほしいってだけですよ」

「じゃ、じゃあレベル1とかでもかまへんの?」

「……ええ。ただ、ちょっとばっかり私の手伝いをしてもらうだけですから。それに、そちらとしてもちゃんと待機しているかを確認する監視役がいたほうがいいでしょう?」

「むっ……確かにせやけど、ウチかて大勢出払っとるんや。そんな腕の立つ奴は送れんで」

「構いませんよ。ほんとに単純な荷物持ちとか手伝いですから」

「…………わーった。なら、せやな……さっさと済ました方がええか」

「こちらとしても、早々に話をはっきりさせてくれると助かります」

 

 交渉成立だ。大筋の条件を二人は合意して一度握手を交わした。そして、それぞれ細かい条件の調整を始めて行く。

 

「ならせやな。そっちへの監視……んにゃ、目付役は明日の朝に送るわ。今はみんな、情報集めに奔走しとるからな」

「わかりました。こっちの本拠(ホーム)の場所はわかりますか?」

「教えてもらってもええ?」

「はいはい……どうぞ」

「おおきに。そんでとりあえず、裏が取れたら別に伝令寄越させてもらうで。それまでルドウイーク、悪いんやけど……」

「ええ、いつでも動けるよう、準備しておきますよ」

「助かるわ。まさか、こんな形で同盟が役立つとは思っとらんかった」

「…………しかし、そのきな臭い動き、というのは何です? フレイヤですか?」

「ジジイや」

 

 『ジジイ』? ルドウイークはその、個人の名前とは思えぬ名にピクリと眉を動かした。『ジジイ』。神々の神話に疎いルドウイークには、その正体など及びもつかない。だがエリスはその呼称をロキから聞いた瞬間、あからさまに驚きに満ちた顔を周囲にさらした。

 

「ジジイ? ジジイって……えっ、あの、帰ってきてるんですか? マジですか」

「マジや。つか、なんや自分知らんかったんか?」

「知りませんよ! えーっ、うわ、なんですかそれ、だから【止り木】が休みに……?」

「その辺もはっきりしたら教えたるわ」

 

 狼狽するエリスに対しなぜか自慢げな顔で肩をすくめると、ロキは踵を返し、手をひらひらと振りながら大通りへと歩いてゆく。

 

「そんじゃ、ウチはこの辺で失礼するわ。二人とも、頼むで」

「承知しました」

「……変な子送んないでくださいよ?」

「安心せえ。うちに変な子なんておらへん」

「……だといいんですが」

「んじゃさいなら! 今度はゆっくり『茶』でも飲もうや!」

 

 そう言い残して大通りへと姿を消すロキ。その背中を見送ったルドウイークは、最後に彼女が残した言葉にどこか懐かしい記憶を想起し、そして小さく笑ってエリスへと話題を振った。

 

「…………茶か。神ともなれば、なかなか風流な趣味を持っているのだな」

「ルドウイーク。多分勘違いしてるでしょうから言っておきますが、彼女の言ってた茶ってお酒の事ですよ」

「なんと」

 

 どこか微笑ましいような顔をして、嘗て自身の師や同輩たちと共に茶を飲んだ記憶をかみしめるルドウイークだったが、それに対してぶっきらぼうに指摘したエリスの言葉を受けて、彼は予想もつかぬ驚きに目を丸くする。それを見たエリスはどうにも何かを口走ろうとしたようだったが、寸での所で口を閉じて、小さくため息をついてから彼の驚愕に対して口を開いた。

 

「という、か彼女が飲み物の話するときは大抵お酒の事ですから。覚えといて損はありませんよ」

「そうか……」

「さ、それより早く戻りますよ。どんなのが来るか知りませんけど、とりあえず一人分部屋用意しなくちゃですから…………休憩明けいきなりですけど、ちょっと掃除と行きましょう」

「そうだな…………何、一応部屋としての体裁は取り戻しているんだ。夜までにはどうとでもなるだろう」

「ええ、では急ぎましょう! 私は夕飯の支度もありますし、貴方には待機の準備もあるでしょうからね! 行きますよ!」

 

 言うと、エリスもまた路地裏を抜け、自宅へと向け大通りを歩きだした。その背を追いながらにルドウイークは思案する。ロキ神がそれほどまでに警戒する神とは、一体何者なのか。そして、自分を18階層にまで送って遠征隊へと知らせたい情報とは何なのか。

 

 ……いざとなれば、開示されるときも来るか。

 

 エリスやロキの間で行われる情報戦には、どうにも自身の居場所はない。それを改めて思い知った彼は、ならば自分の出来ることでエリスの役に立とうと、空き部屋の片付き具合を記憶の隅から引っ張り出しながら先を行くエリスを見失わぬようその後を追って帰路につくのだった。

 

 

 

 




PC破損とか全編書き直しとかでずいぶんかかりました。
お待たせして本当に申し訳ない。
全体的にアテナのキャラがぶれっぶれになったのが一番の難所でした。
随時書き直すかもしれません。

キャラ紹介の方はまた後で追加します。

次話は幕間になると思います。またお待ちいただければ幸いです。


今話も読んで下さって、ありがとうございました。

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