月光に導きを求めたのは間違っていたのだろうか   作:いくらう

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お待たせしました、26000字です。

幕間なのでルドたちの出番はないです。

感想、評価、お気に入り、閲覧、誤字誤用報告をしてくださる皆さまいつもありがとうございます。
今話も楽しんでいただければ幸いです。


31.5:その頃彼らは

 

 

『勝負あった!! 両者相打ち!!! 審判役の介入を()って、この試合は終了とする!!!!』

 

 闘技場(コロッセオ)に【メルツェル】の声が響き渡った次の瞬間。俺の隣で手に汗握っていた【エイ=プール】が、文字通りすべてを失ったかのような残酷なうめきを上げてどさりと椅子に崩れ落ちた。

 

「……だから賭けに賭けすぎるなって言ったでしょう。ギャンブルは楽しめてるうちが華ですよ」

 

 俺は手にした蜂蜜酒の瓶に口をつけて飲み干し、ほうと酒臭い息を吐いた。まぁ確かにこの結果はがっくり来るのはわかる。なんでも彼女、先日の【クリスタル・リザード】捕獲依頼でどうにか溜まった家賃を払える程度の額を稼ぎ、その余りを元手にして今回の賭けに臨んだらしいが…………まさか相打ちになるとは。この結果を予想できた奴は少ないだろう。

 

「あの、【霧影(フォグシャドウ)】。頼みが……」

「申し訳ない、金の貸し借りはしない主義です」

 

 俺のその言葉を聞いてエイ=プールはまた崩れ落ちる。そんなに金に余裕がないなら、もっと手堅く稼げばいいだろうにと思わざるを得ない。エイ=プールの扱う特別製の矢がどれだけの出費を彼女にもたらすかは知っている。だが、そもそもとして彼女は【リヴィラ(第18階層)】への到達経験者だ。それだけの実力があるのであれば、手堅い食い扶持(ぶち)ぐらい探せばいくらでもある。

 

「俺は行きますね。【ギルド】でいい【冒険者依頼(クエスト)】でも探すのをお勧めしますよ」

「………………」

 

 ダウンしたままのエイ=プールを放って俺は席を立った。偶然闘技場で顔を合わせただけの相手に、そこまで付き合う義理もない。あんまり話したことも無いし。とりあえず、俺は彼女の飲み干したジュースの瓶を拾い上げて道すがらにゴミ箱へと片づけてやって、人の流れに乗りさっさと【闘技場(コロッセオ)】を後にする。そして、行く当てもなく無計画に歩きながら、何の依頼もない今日一日は次にどこで時間をつぶそうか少しばかり頭をひねった。

 

 ――――【止り木】でだらだらするのもいいかと思ったが、しばらくあそこは休みだ。なら【摩天楼(バベル)】にでも行って【ヘファイストス・ファミリア】の店舗でお宝探しでもするか。いや、今はちと肉が食いたい気分だ。【象牙亭】の厚切り豚にかじりつくのもいい。【夕暮れ亭】のステーキも悪くない……真昼間からステーキは流石に重いか。昼は厚切り豚にして、夜はステーキにしよう。そう決めて、東へと向かっていた俺は回れ右し、西の大通り(メインストリート)を目指して歩きはじめる。だが。

 

「探したぞ【霧影(フォグシャドウ)】。ここにいたか」

「ん?」

 

 突然声を掛けられ振り返れば、そこに居たのは見知った女。夜空みたいな黒い髪を腰まで伸ばし、刃みたいにぎらついた瞳で笑う奴。俺が良く知るのは仕事用の黒い服に刀を()き、その他最低限の装備だけを身に着けた姿ばかりであったが、今日の奴は珍しく背に大きな荷物――――随分と、衣類やら何やらを雑多に詰め込んだ大型の背嚢(バックパック)を背負っている。俺はその背嚢からはみ出た色気のない下着に一瞬視線を吸われて、すぐに奴の顔へと目を逸らして白々しく肩をすくめた。

 

「【アンジェ】か、珍しい……いや、どうした。何かあったか?」

「ああ」

 

 アンジェは力みのない、自然な様子で俺の問いに首を縦に振った。任務の協働や戦闘以外でこいつと会話するなんていつ以来だったか。今まで、目の前の強敵に殺意を漲らせているか、どうすれば剣士としての高みに登れるかばかりを考えている所しか見たことのなかった女の『普段』の姿を見て、俺はなんとなく得をした気分になっていた。奴の次の言葉を聞くまでは。

 

「頼みがある。しばらく泊めてくれ。家を失った」

「…………何だって?」

「聞こえなかったか? 家を失ったんだ、私は」

 

 ふ、と。まるで誇らしい事であるかのように口角を上げて笑えない冗談を言うアンジェの顔に、どうやら気楽にダラダラできる休みはもうどこかに行ってしまったようだと、俺は思わず頭を抱えるのだった。

 

 

 

<◎>

 

 

 

 

「で、何があったんだ? 説明してくれないか」

「さっきも言っただろう。家を失ったんだ」

「そうじゃなくてさ、俺はどうしてそんな事になってるかが聞きたいんだよ」

 

 真昼間からエールのジョッキを傾けているにもかかわらず、俺の機嫌は良くなかった。それも全て、テーブルの向かいに座って分厚い肉の塊を手際よく切り分ける女のせいだ。

 

 【アンジェ】。現在のオラリオにおける事実上の最強格たるレベル6の一人であり、かつて【黒い鳥】と同格だった時代にはその剣技剣速でもってあのバケモノ野郎をズタズタにして勝ちをもぎ取ったという危険な女。その興味は常に強くなることに向けられ、格上相手だろうと自身の糧となると判断すれば躊躇(ちゅうちょ)なく戦いに向かうその姿勢から一時は【仮面巨人】の中身かと疑われたこともあるネジの外れた人間(ヒューマン)だ。

 

 【黒い鳥】程ではないが、悪い冗談のような逸話もいくつか聞いたことがある。だが彼女は俺の知る限り、無為な冗談を言うタイプじゃない。それゆえに、俺はアンジェの放った家を失ったという言葉自体を疑ってかかっていた。

 

 ……俺たち冒険者と言うのは、強ければ強いほど金を稼げる職業だ。強ければ危険な場所へも踏み込める。危険な場所であればあるほど手に入る素材や魔石は希少なものである。故に、強さと危険性、稼ぎには相関関係があるというのが俺の持論だ。そして目の前のアンジェはレベル6。腰に吊るした刀だって、あれ一本で豪邸の一つ二つは手に入るほどの価値があるのは間違いない。

 

 そんな強さに裏打ちされた経済力を持つはずの女が、家を失う? 俺には意味が分からなかった。わからなかったが故にもう一度、改めてアンジェに向けて問いを投げる。

 

「なあ、アンジェ。よくわからないんだが、そもそも突然家を失うなんて事があり得るのか? お前、レベル6だろう? どんな豪邸に住んでたのかは知らないが、家の一軒維持するくらいの金は普通にあるんじゃないのか?」

「むぐむぐ……この肉、うまいな」

「聞いてくれよ」

 

 問いを無視して、奢ってやった肉をいつもの鋭い表情で頬張りながらどこか感嘆したかのような声を漏らすアンジェに俺は思わず溜息を吐いた。無駄に苛立つ。店の隅で見慣れぬ灰髪の詩人が奏でる陰鬱な音色も、俺の機嫌を損ねるのに一役買っていた。

 

「……と言うかだ、お前が今持ってる武器でも売れば家の維持くらいどうにでもなるんじゃないか? そんな安っぽい武器じゃあないだろ」

「バカな。これと家を比べて何故家の方を優先する発想が出る? 理解に苦しむぞ」

「ああそうだ、お前はそういう奴だ」

 

 思わず額を抑えて、俺はアンジェに呆れつつ眉間に皺を寄せる。そうだった。こいつは本物の戦闘狂だ。剣と家で迷わず剣を取るあたり筋金入り。俺のように金を目的とした傭兵ではなく、己を鍛え上げるために戦いの道を歩む求道者の一種だ。話がかみ合うはずも無い。

 

 だが同時に、俺は何となくアンジェが家を失った理由に見当がついて、ますます陰鬱な気分になってその戦闘狂とは思えないほど整った顔を睨みつけた。

 

「なぁアンジェ、まさかとは思うが…………家、売ったりしたか?」

「売った」

「……剣のためだな?」

「そうだ」

「それで失ったなんて不幸があったような言い方をするんじゃあない。心配して損したよ」

 

 あんまりな返答に呆れ果てて、俺は目の前に置かれた皿からパンを手に取るとちぎって口の中に放り込む。ついでに、アンジェの切り分けた肉も素早く摘み取って口の中に放り込んだ。

 

「おい、私の肉だぞ」

「俺の金で頼んだ、な」

 

 彼女の不機嫌そうな視線を無視して、噛み締めた肉とパンの味に舌鼓を打つ。昼間っから美人とうまい飯を食う。これがまさか、これほどいい気分にならないことがあるなんてのは俺の生涯でも初めての経験だった。

 

「……ああ、うまい。一人で食ったなら、もっとうまかったろうに」

「なんだそれは。私が一緒だとまずいみたいな言い方はやめろ」

「半分正解だよ」

 

 先ほどより一段と不機嫌になったアンジェの視線をぞんざいに扱いながら俺はもう一枚アンジェの肉をかすめ取った。流石に俺の金で頼んだ肉だからか、アンジェも妨害してくる事は無い。まぁ、それはいいんだが……まだ気になることがある。

 

 アンジェが剣に狂っ(イカレ)ているのは周知の事実だが、今までそこまで突飛な行動に出るような事は地上では無かった。時折喧嘩騒ぎや器物損壊を起こしはするが、数多の危険人物達を()()してきた実績もあってかギルドに特別問題視されるでもない。

 その上で考えるに、彼女がやらかしそうな行為と言えば…………まさか【ロキ】の遠征の邪魔でもしたか? ……いや、それと、家を売るという行為ではあまりにも方向性が違う。何があったのだろう? そんな事をしたくなるような、何が。うまい肉で口直しをしつつ、俺は心中に沸いた本題ともいえる疑問をアンジェへとぶつけてみることにした。

 

「……話は分かった。で、お前突然どうしてそんなことした? 家を売らなくても剣の修行は出来るだろ?」

「ああ、話せば長くなるが……私は見たんだ」

「……何を?」

「うむ」

 

 アンジェは持ち前の鋭い視線をらしくなく伏せて、深刻ぶって何やら口にする。見た? 何を? 言葉の意味を理解しかねて俺は訝しんだが、アンジェはこちらの困惑など気にした様子もなく逆に俺に問いかけてきた。

 

「……その前に聞かせてくれフォグシャドウ。お前、『究極の剣技』とはどんな物だと思う?」

「究極の? 意味が解らないが」

「いいから」

「……うーん」

 

 突然突飛なことを言い出したな。反射的に俺はそう考えたが、同時にあまりに真剣な目をしたアンジェの質問を無視することは出来ず、腕を組んで頭をひねる。

 

 ————『究極の剣技』、か。それはおそらく、アンジェのような剣士が生涯をかけて追い求めるものだ。しかし、それがどんなものかというのを、考えたことは全くなかった。このオラリオにも腕のある剣士は無数に存在するし、それぞれが半端じゃない腕前の持ち主であることに疑いはない。速さで知られるこいつや【剣姫】、馬鹿げた威力を振るう【黒鉄】や【大切断】……こいつらは剣士とは言えないか? いや、純粋な剣士でなくともふざけたレベルの剣技を使う奴は【黒い鳥(フギン)】や【フリュネ】の奴、都市最強たる【オッタル】みたいにゴマンと居る。だが、その中でも究極とまで称された奴は聞いたことが無い…………嘗ての、【ゼウス】や【ヘラ】の全盛時代にまで(さかのぼ)っても。

 

 結局のところ、頭をひねった所でわからない。だから俺は、とりあえず思いついたままを口にすることにした。

 

「……『どんなものでも斬れる』とかじゃあないか?」

「それも究極の一つだな」

 

 その場しのぎの答え故にきっと馬鹿らしいと嘲笑されると思っていた俺は、神妙なアンジェの頷きにむしろ首をひねった。

 

「なんだ。違うとか言われると思ったんだが」

「違わんさ。むしろ、究極の剣技の最たるものがそれだろう」

 

 そこでアンジェは水の入ったグラスを手にとって一度口をつけると、どこか満足げに小さく息をついた。そして目を閉じ、何かを夢想しているかのように天を仰いだ後、薄く(まぶた)を開き、顔をこちらに向けて語りだす。

 

「……究極の剣。それは究極でありながら――――いや、()()()()()()、無数に存在するものだ。お前の言ったどんなものでも斬れると言うものだけではない。例えば『避ける事がかなわない』とか、『カタチの無いものを切る』とかな。そして本来、剣士という生き物は自分自身の究極を追い求める生物。究極の剣技とはつまるところ、剣士の数だけ存在すると言っていい。そして同時に、幾人もの剣士が結果的に同様の究極に至ることもあり得る…………今考えてみれば、究極と言うのは正確ではないな……形容しがたい……」

「……待ってくれ、よくわからん。剣の道ッてのは、哲学か何かなのか?」

「答えを常に問い続けるという点では、そう大した違いはない……そうだな、到達点だ。剣士の終着、その技の極限。生涯をかけて到達する者もいれば、早々に踏み越えて、次の究極に挑む者もいるかもしれん」

「よくわかんないが、じゃあ、お前もまだ考え中……究極への旅の途中か?」

「ああ、下手をすれば辿り着くどころか見出すことも出来んだろう」

 

 そう皮肉気に、あるいは自嘲するかのようにアンジェは口元を歪めた。しかしその裏には後悔は見えない。自身は最善を尽くしているのだと、問えば胸を張って断言しそうでさえある。

 

 ————ただ、それでも届くか分からぬ領域なのだろう。この剣に恋した女が夢見る、究極と言う領域は。

 

 わずかな間、俺たちの間に沈黙が流れる。アンジェは口を開くこともなく、手を伸ばすこともない皿の上の肉へと視線を落としたまま。普段のアンジェからは想像もできない姿だ。どうにもむずかゆい。良く知っているはずなのに見たことのない様子の女と詩人のかき鳴らす陰鬱な曲が妙に俺の心をざわつかせる。

 

 ……そう、ざわつくのだ。この女がそんな突拍子もない話をした理由と、家を売り払うことを決心させた理由。そこに因果関係を見出すのは、そう難しい事ではなかったから。

 

「…………話はわかった、大体。きっとだ、アンジェお前、その『究極の剣技』とやらの手がかりをつかんだんだろ? それで勇み足踏んで、手持ちの財産きれいさっぱり吹ッ飛ばしたんだな?」

「……フォグシャドウ。お前、まるで私が無駄遣いの究極に至ったような言い方はやめろ。まだ失敗したと決まったわけじゃない。失礼だぞ」

「そいつは悪いね。でもお前の事だ、訓練に必要な環境……いや剣だな、【真改】の奴か。究極を目指すにふさわしい武器を見繕うために、全財産はたいてアイツに投資した……そんなとこだろ。違うか?」

「………………フォグシャドウ、私をストーキングでもしていたのか? あまりにも推測が正確すぎるぞ」

「失礼はどっちだよ。つか、流石にそろそろお前の考え方も分かってきてるんだ。それなりに長い付き合いだからな」

 

 溜息一つつき、凝視(ぎょうし)でもって俺の問いを肯定したアンジェの不機嫌な表情に思わず額に手をやる。

 

 そう、俺もこいつとはそれなりに長い付き合いだ。駆け出しのころから別格扱いされたこいつに戦々恐々としていた時代もあったし、<闇派閥>の残党を共に討伐して回った時期もあった。時には迷宮で殺し合ったことだってあったし、揃って死にかけて、治癒師達にこっぴどく言われたことだってある。

 

 だから、わかる。何かがあったのが。故にわからない。着実に剣士としての位階を上げてきたこいつが、今になって賭けに出るほどのその理由が。

 

「…………アンジェ。お前何を見た?」

 

 究極への手がかり。アンジェはそれを見た。それは一体いかなるものなのか。俺もこの街で生きる冒険者の一人。興味がないと言えば嘘になる。だが、それ以上にあったのは危惧と恐怖。【ゼウス】と【ヘラ】が姿を消し、【古き王】が追いやられ、【闇派閥】との大抗争を経たのち【アストレア】を始めとする多くの犠牲によって<暗黒期>が過ぎ去り、【猛者(おうじゃ)】が君臨し【黒い鳥】が駆けずり回る安定と混沌を併せ持った、次代の嵐を予感させるこの<潜伏期>。一体()が現れたのか。俺はアンジェを睨みつけるように見据える。問い詰めるように。

 

 だが、当のアンジェは穏やかな顔で肉のひと切れを摘まんで口に放り、それを咀嚼して飲み込んだ後、良く冷えた水で喉を潤してようやく、何やら妙に穏やかな顔をして笑って云った。

 

「……()()()()()を知っているか?」

「……いや。誰だ、それ。俺の知ってる奴か?」

「老いと若さを同居させた、奇妙な男だった。まるで月を映す水面(みなも)の如き、透明な剣気の持ち主。私は、そいつが剣を振るうのを一度だけ見たんだ。剣の……斬ることにおける、究極の一つを」

 

 そう語るアンジェの眼は、ここではないどこかを見ているような遠いものだった。同時に、抜き身の刀のようにぎらついている。俺は心の中でそれが自分に向けられていないことに安堵した。同時に、今まさにそんな目をした女のわがままに巻き込まれそうになっていることを思い出して頭を抱えたくもなったが。

 

「あの日から、私の目的は変わった。あの剣を、あの技を身に着ける。そして、そのさらに先へ行く。そのためならば、なんだってやって見せるとな」

「究極はそれぞれにあるんじゃあないのかよ。他人のそれを追う事に意味あるのか?」

「あるさ。何せ、人類史において模倣以上の研鑽は存在しない」

「猿真似で終わるかもしれないぜ?」

「終わらせるつもりなどない。そのために私は今、ここにいる」

 

 言い切って、毅然(きぜん)とした真っ直ぐな目でこちらを見据えるアンジェ。その瞳の中には、確固たる怜悧さと、情熱と、自身の出した答えへの自信が見て取れる。それに相対する俺は漠然と、彼女の回答が剣の道に生きるものとしては満点のものなのだろうなんて他人事のように思いながら、机の上に置きっぱなしのグラスを手に取りまだ冷えた水を飲み干して、冷めた視線をアンジェの顔に向けて見せた。

 

「それが家を売った挙句全財産使い果たして、人の家に転がり込もうとしてる奴のセリフじゃなけりゃなぁ…………」

「な、なんだその言い草は……まるで私が考え無しに思い付きを実行しているような」

「『まるで』じゃあない、そう言ってるんだよ。せめて他人を巻き込むのはやめてくれ」

「他に手が思いつかなかったんだ」

「相談する相手とかいなかったのか?」

「しているだろう! 今お前に!」

「事を起こしてから頼まれても困る」

「むむ、それを言うなら私も非常に困っているぞ……!」

「だから、俺を巻き込ないでくれよ……それこそ真改にでも頼めばいいんじゃないか?」

「それは出来ない」

「どうして?」

「剣の製造の邪魔になってはいかん」

「そういう配慮、俺にはしてくれないのか?」

「お前は鍛冶師ではないだろう?」

「そーゆー問題じゃなくてさ…………」

「つまり何かね!? 君たち二人は今後同じ屋根の下に住むという事か!?!?」

 

 くすぶるかのように熱量で言葉を交わしていた俺達の会話を、突然爆発するような男の大声量が吹き飛ばした。俺と、アンジェまでもが驚いた顔でそちらを振り向けばそこに佇むのは玉葱鎧の戦士。彼はまるで祝杯でも挙げるかのように、手にしたビール入りのタンカードを高々と掲げて見せた。

 

「『太陽あれ!(Long may the sun shine!)』 ガハハハハッ! 少々驚いたが、いやはや結構結構!! では二人の新たな門出をこの【ジークバルト】に祝わせていただきたい!!! 店主殿、ありったけの酒を頼む!!!! 当然私のおごりでだ!!!!!」

「バルトさん。何か勘違いしているようですが、俺とこいつは……」

「うむ、聞いていたとも。アンジェ嬢が家を引き払って、フォグシャドウ君の家で同棲を始めるのだろう!? なんという! であれば、家具も必要になるはずだ、ぜひ私に任せてくれたまえ!! なぁに心配はいらんさ、君たちのような若い者らに世話を焼くのは私のような年寄りの仕事だからな!!!」

「話聞いてないっすよねバルトさん、つか、そこまで歳いってないでしょうに」

「何? 君ほどの子が居てもおかしくない歳だとは思うが……まあよい! 今はただ、君たちのために飲もうではないか!!!」

 

 ガハハハと人の話も聞かずに、しかし他人の事を自分の事のように喜ぶバルトさんの姿に、俺は呆れた顔をしながらもこの人のこういう所にいろいろと世話になった経験もあって誤解を解こうと言う意欲を失っていた。アンジェも同様にか、彼にどのように声をかけるか決めかねているのが明らかな顔でバルトさんを見つめている。

 

 そうこうしている間に店にはバルトさんと同様の鎧を着こんだ――――しかしあまりにも統一性のない武具で武装した一団が続々と足を踏み入れ、続々と席についていく……はずが、先頭切って入店した大剣と車輪めいた武具を背にした玉葱鎧が武器を机に引っ掛けて足を止めると、後続の玉葱鎧たちもそれにせき止められるように足を止め、そしてすぐに先頭の玉葱鎧を非難するように不満の声を上げ始めた。

 

「すいませぇ~ん! な~にンなトコで引っかかっちゃってんですかねえ~?」

「横っ腹がでけェからそうなんだよ」

「せめて車輪どうにかしたほうがよくね?」

「えっなんですかそれ僕のアイデンティティを否定するんですか」

「してないけど時と場合わきまえたら? 屋内に持ち込む必要ないでしょ」

「思いっきり否定してるじゃないですか」

「いや入口で降ろしたらどうかって話だと俺思うんですけど」

「そうそうそーだよ」

「それじゃあ僕が僕でなくなっちゃうんですけど」

「別に構わねえ」

「いやそれは流石に無慈悲すぎでしょ」

「あのすいませんすいませんあの後ろが(つか)えてるんで早くどうにかしてもらえませんか中途半端な位置で止まってつらいんですがああこれはつらいですね」

「ガハハハッ! 全く愉快な者達だ! どれ、ここはひとつ私が手を貸してやるか!!」

 

 ひとしきり玉葱鎧たちの口論を愉快そうに聞き届けると、バルトさんは俺たちのテーブルにタンカードを勢いよく置いて椅子の背もたれの間に奇麗に特大剣をひっかけた先頭の玉葱鎧に助け船を出す。しかし彼は僅かな足元の段差につま先をひっかけると派手に転倒し、眼前の武器をひっかけ身動きのとれぬ玉葱鎧へと突っ込んだ。

 

「「「「「「グワーッ!!!!」」」」」」

 

 その勢いで押し倒された先頭の玉葱は後ろにつっかえていた同胞たちにそのまま突っ込んで、まるで青果店の店先に並べられた野菜の山が崩れるかのように盛大な音と気まずさを響かせながら店の入り口周辺を倒れた机と鎧と散らばった武器と埃まみれにして見せる。最後尾にいた者に至っては衝撃で店の外にまで転がり出てしまったようで、あけ放たれた扉から吹き込んだ風が舞った埃を大いに散らし、店主も食材や用意していた酒を守るのに必死なようであった。

 

「まぁ、なんだ、フォグシャドウ」

「……なんだよ」

 

 その、入店から僅かな間に巻き起こされた騒ぎを目の当たりにして顔を引きつらせていた俺にアンジェが気を取り直したかのように声をかける。それに対して気が抜けたように俺が応じると、彼女は椅子を引いて立ち上がり、そして平時の姿からは想像できぬほどに礼儀正しく、整った作法で深々と頭を下げて見せた。

 

「よろしく頼む」

「………………クソッ」

 

 悪態一つついて俺はグラスを手に取るが、中はすでに空になっており喉を潤すことは出来ない。

 

 ――――ああ、もう。折角の暇な日だってのに、まるで呪われるみたいじゃあないか。最悪って程でないのは確かだが、十分に。

 

 俺はこのように不運に見舞われたことの自身のツキの無さを恨むと、グラスを机の上に戻して思わず盛大に溜息を吐こうとしたが、その際に漂ってきた埃を思いっきり吸い込んでアンジェの前で盛大にむせるのだった。

 

 

 

 

 

 

 一方。玉葱鎧の男たちがフォグシャドウとアンジェを中心に騒ぎ立てる喧噪の外。いつの間にか去った詩人が座っていた席の背中合わせになる位置。

 

「ハァ……ファットマンよりうっさい…………」

 

 そこで手紙をしたためていたマギーは苛立ちを隠さぬ表情でつぶやき、そして眉間に皺を寄せたまま、カップに注がれたコーヒーに埃が浮いていないのを一瞥して口をつけた。

 

 

 

<◎>

 

 

 

 同時刻。ダンジョン【上層】12階層深部、13階層への昇降路付近の小規模部屋(ルーム)。幾度もの戦いを乗り越えそこまで辿り着いた三人、【ベル・クラネル】、【リリルカ・アーデ】、そして【ヴェルフ】の三人パーティは、この部屋に存在したモンスターたちを一掃すると、魔石の回収や装備の点検を終え、ついに13階層――――【中層】へと挑むための最終確認を行っていた。

 

 草の途切れ途切れに生えた地面に置かれたいくつかのアイテムと13層の地図を囲んで、顔を突き合わせる三人。部屋の壁にはベルとヴェルフによって付けられた傷が幾つも走り、その修復を迷宮が終えるまでのしばらくの間、モンスターが出現する事は無いだろう。

 

 故に、彼らは別の部屋と繋がる通路、そこからモンスターが現れるかどうかに注意を振り向けている。当然、会議に支障が出ない程度ではあるが……決してそれは緩い物ではない。このような休息中に襲われる冒険者の話など、オラリオにおいてありふれたものだ。徘徊するモンスターへの対策としてリリルカは常にクロスボウを手に取れるよう脇に置いて、ベルとヴェルフは腰を下ろすことなく、しゃがんだままの姿勢で目を光らせている。

 

「では、最後の打ち合わせを始めましょう」

 

 そんな緊張に満ちた雰囲気の中で、地面に置かれた地図(マップ)を指差してリリルカがまずヴェルフに視線を向け、すぐにベルの方へと視線をやってそのまま話し出した。

 

「中層からは、定石通り隊列を組みます。前衛はヴェルフ様、お願いします」

「ああ。でもいいのか、俺で?」

「はい。というか、その、言い方はあまりよくないのですが、他にヴェルフ様に務まる位置(ポジション)はありませんので……」

 

 ちらと申し訳なさそうにリリルカが視線を向けたヴェルフの背には片刃の大刀。鍛冶師(スミス)が本職である彼自身の手によって打ち鍛えられたそれは上層では十二分すぎるほどの品質の武具であり、その体格も相まって繰り出される斬撃の威力はレベルが一つ上であるベルのそれにも迫るものがある。

 逆に言えば、そのように明らかな体格差がありながらもベルの方が攻撃力自体は上だ。故にリリルカは自身らの中で最高の戦力であるベルを前衛に置かず、体格に秀で、防御力に重きを置いた防具を着流しの上から身に着けた彼こそ前衛――――盾役(タンク)としてふさわしいと考えた。

 

 ヴェルフに求められる役割は露払い、そして、未知のひしめく中層においてパーティ唯一のレベル2であるベルが十全に動けるよう敵を引きつけることだ。それはヴェルフ自身もベルも同様の結論に至っていたようで、特に異論なく、申し訳なさそうなままのリリルカに対して問題ないと小さくうなずく。

 

「ありがとうございます、続けます。次に中衛をベル様、よろしくお願いします。攻撃はもちろん、ヴェルフ様の支援にいざという時の位置交代(スイッチ)……負担がかかりますが……」

「うん、大丈夫。パーティで一番速いの、僕だしね」

 

 ヴェルフの時よりもさらに申し訳なさそうに肩身を狭くしたリリルカに対して、ベルは駆け出しであったころとは同一人物とは思えぬような力強さで頷くと、そっと自身の腰に身に着けた二本の短刀(ナイフ)――――紫紺(しこん)の【ヘスティア・ナイフ】とヴェルフの手による紅緋(べにひ)の【牛若丸(うしわかまる)】の鞘にそっと触れた。

 

 ベルに求められるのはその速度と高威力の武具による攻撃、更には無詠唱魔法である【ファイアボルト】を駆使する遊撃手、攻撃役(アタッカー)だ。リリルカの言う通り、この位置は最も負担が大きい。ヴェルフが引き受けた敵に対して迅速に、かつ的確に攻撃を加えるためには彼自身のレベル2としても特筆すべきほどに優れた敏捷はもちろんのこと、自身の持つナイフ、リリルカに預けた大剣、更には魔法といった攻撃手段を咄嗟に選択する為の高い判断力が必要となる。

 

 何せ、これから向かう中層は本来レベル2の領域だ。今回は半ば様子見であり、更に如何に鍛えていると言っても、盾役がレベル1のヴェルフでは()()が起こる可能性はどうしても高くなる。その様な条件下で、ベルには敵と味方の位置、敵モンスターの能力といった数多の情報を処理し、一瞬の選択を求められる場面が幾度となく訪れるだろう。

 

 だがベルはそれでも大丈夫だと首を縦に振った。それは、これ以外に選択の取り様がないという諦めにも似た判断があったが……それ以上に、アイズやルドウイークとの特訓と今までの経験の積み重ねが、彼の判断にある程度の根拠を与えていた。リリルカはそんなベルの幼げな顔に似合わぬ精悍(せいかん)な眼に一瞬視線を奪われたが、すぐに気を取り直して説明の続きに戻るべく咳払いをする。

 

「ごほん……ありがとうございます。それでリリですが……まぁ、はい。消去法で後衛です」

「ま、仕方ねえわな。サポーターを前に出すわけにはいかねえし」

 

 そう首を縦に振るヴェルフに同調するようにベルもまた小さくうなずいた。この中で、戦闘員としての能力はリリルカが一線を画して低い。元来サポーターでありそもそも戦闘員でないのだから当然であるが、怪物(モンスター)達にはそのような事情は一切関係ない。元よりベル以上に体格も小柄なうえ大きな背嚢(バックパック)を背負い鈍重なのだ、レベル2相当のモンスターに狙われればそれだけで取り返しのつかぬ負傷を負いかねない。

 

 更にはその能力の低さからくる危険性以上に、回復薬や予備の武具を(たずさ)え、加えて戦利品(ドロップアイテム)や魔石の回収――――モンスターの死体処理などの役目を負った彼女が倒れるようなことになれば、レベル2を擁するとはいえこのパーティの戦力は大幅に低下するだろう。

 

 当然彼女もそれは理解しており、援護も兼ね、遠距離からの攻撃を行うためのクロスボウを装備している。だが、それでも不安要素はあるし、それを少しでも減らすためのこの配置であることを全員が理解していた。

 

「僕もこれが最善だと思う、ヴェルフは?」

「異論ナシだ。むしろ他に選択肢がねえだろ」

「ええ、ヴェルフ様のおっしゃる通り、このパーティは非常に不安定です。飛び道具があるとはいえ、火力不足は否めませんし」

「それぞれ役割がキッチリしてる分、余裕ないしね」

「何かあったら全滅に直結しちまうって訳か。厳しいな……」

 

 顎に手をやって唸るヴェルフ。その姿を見て、リリルカが至極真面目な顔で別の選択肢を提示する。

 

「一応、尻尾を巻いて逃げ帰るという選択肢もありますよ。今なら十分に間に合いますが」

「バカ言え、()()()踏むのは鍛冶場だけで十分だ。上級鍛冶師(ハイ・スミス)が遠くなっちまう」

「【戻らぬ者に儲け無し】と言いますよ?」

「【挑まぬ者にも儲け無し】だぜ」

「…………ふふっ」

 

 そう長い付き合いではないが、それでも既に幾度となく目にした二人の言い合いを見てベルが小さく笑った。それに気づくと、ヴェルフとリリルカは揃って怪訝(けげん)そうな視線をベルへと向ける。

 

「お前、これから中層に挑むってのに何笑ってるんだ?」

「余裕があるのは良い事ですが、程々にしておいてくださいませ、ベル様」

「あ、うん、ごめんごめん」

 

 指摘を受けたベルは照れ隠しをするように目を逸らしたが、二人からの視線の圧力は弱まる事は無い。それに耐えかねてか、彼はまた恥ずかしそうに、地面に広げられた地図に目を向けて口を開く。

 

「えっとさ……その、今まで僕、こう、ちゃんとした、対等な仲間、って感じの人と組むことってなかったし……それでこうしてみんなと一緒にいると何だかわくわくするっていうか、楽しいなって…………」

 

 先ほど力強く自身の役割を引き受けていた時とはまるで別人のような表情でつぶやいたその言葉を聞いて、ヴェルフとリリルカはどこか面食らったかのように一度目を合わせた。そしてヴェルフは歯を見せてくつくつと笑い、対照的にリリはどこか困ったように、しかし穏やかに口元を歪ませる。一方、そんな二人の様子を見たベルは少し困惑したかのように二人に交互に視線をやった。

 

「な、何かおかしい事言ったかな?」

「いいやわかるぜ、こういう時、何かに挑戦するって時には、やっぱワクワクするもんだよな!!」

「緊張感が足りない、とリリは言いたいところではありますが……そのお気持ちは、ちょっとだけわかります」

 

 言ってヴェルフは豪快に笑いだし、リリは控えめに、しかし喜ばし気な笑顔を浮かべる。ベルもまた二人の笑顔を見て、心の底から楽し気に笑みを浮かべた。

 

「うん、ありがとう、二人とも」

「礼を言われるほどの事じゃねーよ」

「ですね、寧ろ冒険はここからなのですから」

「そうだね、頑張ろう!」

 

 未知なる冒険への高揚感、共に道を行く仲間たちへの信頼感を胸にして、ベルは発破をかけるように右拳を左掌に打ち合わせた。それを見てヴェルフは不敵に笑い、リリも小さくうなずく。そして、それぞれが自身の荷を片付けてその場を発とうとした。

 

 

 

 じゃり。

 

 

 

 響いた音に、それまでの雰囲気が嘘のように三人は警戒を露わにする。見据えるのは部屋に二つある通路の片方、本流となる13層への階段のある側とは逆の、行き止まりになっているはずの通路の方向だ。

 

 何かいる。意見を交わさずとも当然その判断に至った三人はすぐさまそれぞれの武器を抜き通路へと向き直って隊列を組みなおした。先の打ち合わせ通り先頭にヴェルフ、最後尾にリリルカ、そしてベルは二人の間で鋭く目を光らせる。

 

 ひゅうと吹いた風がヴェルフの着流しの(すそ)を、次いでリリルカのローブの裾を揺らした。ベルは自身の肌も撫でていったその風に違和感を覚える。この先は行き止まりだ。なのに、向こうから風が流れてくるのはおかしい。同時に、彼の背筋に嫌な寒気が走る。最初は風のせいかとも思ったが、そうではない。

 

 じゃり、じゃり。

 

 音が迫るとともに、悪寒は強くなる。何かが来る。それを理解したのは、ベルだけではなかった。ヴェルフは大刀の柄を強すぎるほどに握りしめ、リリルカはさらなる万全を期して、無意識にベルとヴェルフの影になるように立ち位置を調整した。

 

 じゃり、じゃり、じゃり。

 

 音が大きくなってゆく。もはやここに来てはその音の正体が足音であることはすでに明白であった。ベルたちがこの場所にたどり着いて以降、通過した冒険者は存在しない。その前に通った者がいるとも思えない。すでに12階層の地図は冒険者たちの間に出回っており、この先に行く理由がある者はまずいないし、ベルたちがこの部屋に来た時にはそれなりの数のモンスターが徘徊していて、誰かが通るのにモンスターを倒していった痕跡もなかったからだ。

 

 故に、ベルたちは判断する。高い確率で、迫ってくるのはモンスターだ。奥の行き止まり付近で生まれたモンスターが、獲物を求めて姿を現したのだろう。状況からして、もっともそれがあり得る可能性だ。

 

 この部屋を制圧する際の戦闘で、レベル2であるベルを要するこの三人が12階層のモンスターに対して優位に立っているという事実はすでに証明されている。聞こえる足音は一つ。単独ともなれば、常識的に考えてベルに勝てる可能性はほぼないと言っていい。実際、『上層最強』たる【インファント・ドラゴン】を彼は単独で討伐しているのだから。

 

 だがそれでも彼らの緊張感は高まるばかりであった。全身の細胞が警鐘を鳴らしている。今より(きた)る存在が危険なものであると、根拠のない感覚ばかりが(つの)ってゆく。

 

 じゃり、じゃり……じゃり。

 

 そうして、全身を戦闘態勢へと切り替えた三人の前に、暗闇を抜けてそいつは現れた。

 

 ヴェルフすら問題にならぬ長身。背にはその体躯に相応しい大きさの背嚢を背負い、顔を露出なく、布で隠したサポーターと思しき大男。そして、その肩に担がれた、外套を纏い、さらに全身くまなく血のにじんだ包帯を巻かれた一人のヒト。尾も持たず、その平均的体格からおそらくエルフか人間(ヒューマン)か。

 

 明らかに場違いともいえる重苦しい雰囲気と、真っ当な冒険者とは到底思えぬその容姿。更には両者とも、目立った武器を身に着けていない。今まで緊張に緊張を強いられていたベルたちはそれらの要素を受けて、僅かに困惑し、いかに反応すべきか決めあぐねた。それに今更気づいたように、肩に担がれた人間らしき者が首をもたげ、彼ら三人を一瞥する。

 

「あン? 珍しいな、こんなところで……」

 

 半ばミイラかと見まごうほどの包帯に包まれた存在は、男の声でどこか物珍しそうにつぶやいた。そして、ベルたちがそれに反応する間もなく周囲に目をやって、自身を担ぐ大男に声をかける。

 

「なぁ、休憩中だかなんかみたいだし、俺らもちょっと休もうぜ、疲れた」

「それがずっと担いできてやった奴に対する言葉か、相棒。せめて自分の足で歩いて言え」

「無茶言うなよ。折れてんだぜ俺の足はしかも両方。いいからここで休もうって」

「……お前の世話の方がよっぽど苦労するぜ」

 

 何やら言い合った後大男は壁際に移動すると包帯男をその粗暴な口調とは裏腹に丁寧にその場に降ろして自身もどかりと腰を下ろした。そして背の背嚢(バックパック)を下ろし、中身を何やら漁りだす。

 

「…………モンスターじゃ」

「なかったな…………」

 

 一方で、相手がモンスターではなく、さらに敵対的なそぶりを見せないことを受けてヴェルフとベルは剣を下ろした。自分たちの側からすれば、同業と思しき相手と殺し合う必要はない。むしろ、これから13層に挑もうという時に無意味に小競り合いなど起こしては消耗を招き、自分の首を絞める事態ともなりかねない。それゆえに二人は戦闘状態を解いたのだが、一人リリルカだけはクロスボウをいつでも放つことが出来るよう両手に抱えて油断ならぬ視線を現れた二人組へと向けていた。

 

 一方で、目の前の二人組に緊張感とか、危機感とか、そういったものは見られなかった。一応、大男の方は目だけでこちらの様子を(うかが)ってはいたようだが……包帯まみれのミイラ男の方は、まるでそんな思考など存在しないかのようにその場に横たわって、包帯に包まれた手をぶらぶらと揺らした。

 

「なぁ、俺腹減ったなぁ~。なんか無いか?」

「…………」

「…………ん、もしかして聞こえてない?」

「聞いてるが」

「じゃあ返事してくれよ。何かないか?」

「………………少し待ってろ」

 

 重苦しい雰囲気のまま大男は答えると、そのまま背嚢漁りを再開した。確かに、冒険者が帰り道の途中で保存期限の迫った保存食を自らの胃袋を用いて処理することはままあることだ。彼らはいかなる冒険を経てか、この階層まで戻ってきた冒険者なのかもしれない。リリルカはクロスボウを担いでいた腕の力をようやく抜いた。しかし、すぐに力を籠めなおした。

 

 おかしい、おかしいのだ。行き止まりのルートから姿を現したこと、武器も持っていないこと、そもそもとしてパーティの人数が少なすぎること、あれだけの怖気(おぞけ)を感じさせながらその正体に全く心当たりがないこと。あらゆる要素が彼らを警戒すべきだと告げていた。

 既にヴェルフとベルの精神は戦闘の緊張から離れつつある。だが、目の前の不審者たちを刺激するわけにもいかぬとベルたちに声もかけられない。

 その中で、サポーターと思しき大男の眼がリリルカを凝視した。その目からは何らかの感情を感じることが出来ない。だが、自身の行っている威嚇が敵対の意志ありと判断される可能性に思い至って、リリルカはようやく戦闘態勢を解除した。だがそれは彼らを受け入れたことを意味していない。

 

 先ほどの打ち合わせの際。更には今回迷宮へと突入してからずっと、リリルカはこのパーティの指揮役として重要な判断を下していた。戦闘の際の咄嗟(とっさ)の判断はベルも行ってきたものの、もっと大局的な判断は彼女が担っていたのである。それは基本的に冒険者よりも格下とみられがちなサポーターとしては極めて異例の事だ。だが、ベルもヴェルフも意見することこそあれ、その事実に異を唱える事は無かった。

 

 故に今回もリリルカは自身が状況を見極めねばと思考を回し、仲間たちのためにも眼前の相手の行動に警戒感をあらわにする。さらに言えばリリルカは、リリルカ・アーデという小人(パルゥム)は本質的にベルたち以外の冒険者を信頼していない。それもあっての警戒であったが――――そんなものなど関係ないとでも言わんばかりに、横たわった包帯男はベルたちに向けて腕をゆらゆらと振って気の抜けた声で話しかけてきた。

 

「ハロー・ハロー・ハロー。やあこんにちわ。いや、今地上は夜だったか? まあいいや。こんな行き止まり前で、お三方はどうなさったんで?」

「……えっと、これから中層に挑むんで、その前に打ち合わせを……」

「中層だって? …………もしかして、初挑戦か?」

「そうですけど……」

 

 男の言葉に戦闘の緊張感が抜けた、しかし胡散臭いとでも言いたげな顔でベルが返答を送った。すると、今までのけだるさが嘘のように男は目を輝かせ、上体を起こしてこちらに身を乗り出しながら笑って見せる。

 

「そっかそっかあ! そりゃめでたい! いいねぇ~、俺も初めて中層に行くときはビビり散らしてたよ」

「そ、そうなんですか?」

「ああ滅茶苦茶怖かった、実際死にかけたしな。ホント、ひと階層変わるだけで難易度変わりすぎてビックリする。【ヘルハウンド】対策は出来てんのかい?」

「あ、はい。一応皆に【火精霊の護符(サラマンダー・ウール)】製の装備を付けてもらってます」

 

 包帯男の問いに、困惑が抜けないながらもベルが答える。【火精霊の護符(サラマンダー・ウール)】は火や炎と言った攻撃に対しては上級鍛冶師(ハイ・スミス)の手による防具以上の耐性を持ち、更には防寒性にも優れた代物だ。だが、包帯男はそれを聞いて一度考え込むような仕草をして、それから小さく首を横に振った。

 

「悪くねえし、よくンなもん揃えられたな、って褒めてやりたいとこだけど……まだ足りねえな」

 

 男は楽し気な声色を残しながらも深刻ぶって言って、そして自身の外套の懐を漁ると、取り出した指輪をヴェルフに向かって投げ渡した。

 

「これは……?」

「【炎方石の指輪】。付けてるだけで火属性に対する加護がある。微々たるもんだけど」

 

 指輪をキャッチしたヴェルフが首をひねると、包帯男は指輪を指さして言った。それを聞いた三人は揃ってヴェルフの手の上にある指輪へと目を向ける。少ない装飾の、シンプルな指輪であったが、そこにはめ込まれた緋色の石は僅かにその光沢を揺らめかせているようにも見える。

 

「おい相棒。何しれっとくれちまってやがる。一応貴重品だぞ」

「いいだろ別に。未来の英雄たちに対する餞別(せんべつ)だよ」

 

 背嚢から鍋と、何かの袋を取り出していた大男が苦言を呈するが、包帯男はどこ吹く風と言わんばかりに肩をすくめた。そして視線をヴェルフに戻すと彼の姿を一度まじまじと見つめて、それから満足したようにうなずいて見せる。

 

「うん。それ、(にぃ)ちゃんが身に着けるといいぜ。見たとこ、アンタが前衛だろ?」

「あ、ああ。間違っちゃ無えが」

「ヘルハウンド相手に一番危ねえのはさあ、やっぱり身を張る前衛なわけ。本当なら断熱性の高い金属製の、あるいはヘルハウンド自身の皮を張った盾とか用意するべきなんだけど、見たとこそういう用意してねえっぽいしなあ。ま、それがありゃ何とかなるでしょ。頑張ってくれよ。ところで……」

 

 手の内の指輪に目をやるヴェルフに声をかけ終えた後、男はベルに視線を向けた。包帯の間から除くその黒一色の瞳に、ベルはわずかに気圧される。しかしその姿を見てか、包帯に隠されながらも男は確かに笑顔を浮かべて、そしてまるで友人にするように親し気な口調でベルへと右手を差し出した。

 

「そこの白い髪の、もしかして噂のルーキーじゃあねえかい? 一度拝んでおきたかったんだ! 握手いいか?」

「あ、はい、どうも……」

「へへへ、ヨロシク、ヨロシク。噂はかねがね伺ってるぜ、応援してる」

 

 リリルカが緊張に体をピクリと反応させる傍らで、緊張感のない座ったままの包帯男は握手に応じたベルの腕を軽く振り回しながら楽しそうに笑った。しばらくベルはされるがままに腕を振り回されていたが……そのうち男から手を離して、下からベルを見上げながらに首を傾げた。

 

「一つ質問があるんだが、いいか?」

「えっと……なんですか?」

 

 声をかけられたベルは未だに困惑が抜けないながらも、苦笑いしながらそれに応じる。それを見た包帯男は、まるで本気で疑問に思っているかのような声色で問いかけた。

 

「下でこんなザマになってる俺だからこそ聞くが、どうして中層に行くなんて危険犯すんだ? 中層はここまで(上層)とは段違いだ。見たとこレベル2になってるみたいだし、もう、上層でのんびりモンスター狩ってるだけでも普通に食ってけるぜ?」

「それは……」

 

 彼の問いにベルはしばし言葉に詰まった。確かに彼の言う通り、そういった選択をした冒険者も少なからず存在するだろう。目に見えた危険に踏み込まず、常人では手に届かない力で安定した生涯を送ることが。それが、正しい選択なのかもしれない――――生きていく。それだけならば。

 

「…………強く、なりたいんです」

 

 だが、ベル・クラネルには理由があった。聞く人によっては幼稚だと笑うような、あるいは自身にもそんな気持ちがあったと共感するような。

 

「――憧れてる人たちみたいな、今までお世話になった人たちみたいな、すごい冒険者に……おとぎ話に出てくるような、英雄みたいになりたくて。今の僕じゃ、そんなものは夢物語みたいなもので、とても遠い目標だと思います。でもそれは、目指さない理由にはならないかな、って」

「ふーん………………」

 

 絞り出すような、あるいは自身でも再確認するような、そんな口調でつぶやくように口を開いたベル。しばらくその場に、サポーターの男が背嚢から調理用具を取り出すカチャカチャという音だけが響いていたが……その内、包帯姿の男が重々しく声を上げた。

 

「なぁ、坊主」

「はい?」

「話は変わるんだけど好きなヤツっている?」

「えっ……えっ!?」

「男でも、女でも、それ以外でもいいぞ」

 

 まるで何でもない事だと言うように肩をすくめて男は笑った。だが、ベルにとってはどうでもいい事ではない。あからさまに、顔も赤くし目に見えて動揺して男に返答ともいえぬ声を返す。

 

「な、な、な、突然何言ってるんですか!?」

「いるのかいないのか聞いてんだが」

「言えませんよ!!」

「言えねえのかよ、ハァ…………ま、その反応で居るかいないかくらいはわかるけどな」

 

 どこか呆れたように、しかし楽しげに肩を揺らして男は頷いた。そして肩で息をするベルと、自身も考えているかのように腕を組むヴェルフと、先ほどまで包帯男たちに送っていたそれ以上に鋭い視線をベルに向けるリリルカを一通り見やって、それて頷いて笑った。

 

「強くなれるぜ、愛は負けない……ガンバレよ」

 

 ひらひらと手を揺らすと、男は満足したかのように再びその場に寝っ転がった。対してベルは、その言葉になんと返答を返すべきかしばらく戸惑っていたが……先ほどの鋭い視線を潜めさせて普段通りの表情に戻ったリリルカに服の裾を引っ張られると、思い出したかのように頭を下げた。

 

「……ベル様、そろそろ」

「あ、うん、ごめん」

 

 ベルが見れば、リリルカとヴェルフは既に荷を背に負って出立の準備を済ませている。残るは自身だけ。ベルもあわてて、整理の途中だった装備を確かな位置にすぐさま身に着けると、既に部屋(ルーム)の出口に立つ二人の元へ駆け寄ろうとして――――思い出したかのように、包帯男に視線を向けた。

 

「……あ、そうだ。あの、すみません……お名前を、教えていただいても?」

「俺? なんで?」

「えっ、いや……あの、貴重そうなアイテムもいただいちゃいましたし、なんかためになった気がしますし、何か、機会があればお礼とかしたいなって……」

「いらねえよ、いらねえけど俺、俺の名前なぁ……」

 

 男はまるで、今考えているかのように腕を組みながら首を傾げる。そのまま十秒、二十秒ほど経ち、そして三十秒が過ぎたころに一度頷いて、包帯の間から覗く目を歪めて肩を揺らした。

 

「俺は…………うん、【ヒュトロダエウス】だ。【ムーンレイカー】のヒュトロダエウス」

「ヒュトロダエウスさん、ですか」

「おう、いい名前だろ」

 

 ニッと笑って自身を親指で指した包帯男。それに対して、苦笑いするでも眉を(ひそ)めるでもなく、生来の素直さで以ってベルは深々と頭を下げた。

 

「ありがとうございました、ヒュトロダエウスさん」

「いーってことよ、気にすんな。中層での冒険、気をつけてな」

「はい……じゃあみんな、お待たせ」

「応、気合い入れてこうぜ」

「ですね、それでは失礼いたします」

 

 ベルが声をかけるとヴェルフはそれに応じ、リリルカも背嚢を背負いあげて一礼した後、ベルたちと共に出発しその場を後にしていった。それを見送る包帯男は彼らの姿が暗がりの中に見えなくなるまで手を振っていたが……しばらくして手を下ろすと退屈そうに大きく伸びをして見せる。すると、鍋の中に水を注ぎ、発熱する魔石の破片の上で揺らしていた大男が、彼にあざ笑うかのような視線だけをやって口を開いた。

 

「…………【ムーンレイカー(バカ野郎)】の【ヒュトロダエウス(大ぼら吹き)】か、お似合いの名前だな、相棒」

「どういう意味だこら」

「そのままの意味だ」

 

 呆れかえったかのように、あるいは愚かな友を諭すかのように皮肉るサポーターめいた大男。それに対して、包帯男はじゃれ合うような怒気を一瞬見せたが、すぐに鼻を鳴らして興味を失うと両手を頭の後ろで組み、そのままその場に寝転がって笑った。

 

「ヘッ……にしてもさ。いいよなぁ~若いって! 特にあの白い坊主!」

「お前も十分若いだろ、相棒」

「そうだけどな? でも、マジできらきらしてたじゃんか。眼球とか。俺、きらきらぴかぴか好きなんだよ」

「言うほどだったか? 確かに珍しいソウルの持ち主ではあるが……」

「無色透明きらきら、ってか」

「……それでどうだったんだ、実際。お前の()にはどう映った?」

「ああ」

 

 問われるも、そのまま柔らかな光を放つ天井を眺めたまま返答する包帯男。彼はしばらくそうしていたが……突然上半身を勢いよく起こして、楽し気に、そして推理するかのようにところどころ言葉を途切らせながらベル・クラネルという少年について話し始めた。

 

正直(しょーじき)、ビックリした! 冒険者になってわずかな間でレベル2、更には希少技能(レアスキル)も複数持ってるし、魔法もいいし、あと発展アビリティが『幸運』と来てやがる。あれ持ってる奴久々に()()ぜ。【至福(マイブリス)】以来じゃないか?」

「奴の名を出すな。嫌いなんだよ」

「あ、そうだったな。悪い悪い。でもま、将来有望ってレベルじゃないだろ。その内、いい遊び相手になるかもわからんね」

「そうか」

 

 包帯男の所見を聞いて、サポーターめいた大男は短く返答すると鍋の水が煮立ち始めたのを見て、脇に置いてあった干からびた麺をへし折り鍋の中に投入した、そしてゆらゆらと鍋を揺らし、放り込んだ麺を均等になるように広げ始める。

 

「……ところで相棒」

「ん? 何? 面白い話か? それは俺大歓迎……」

「お前、奴らに何をした?」

「………………えっ何の話?」

「とぼけるなよ。あの指輪、()()()()ろう」

「…………知らねえなぁ」

「……………………」

「………………わかったわかった俺の負けだ負け」

 

 沈黙による追及に耐えきれなかったか、包帯男は諸手を上げて降参したかのように肩を揺らして笑った。しかし、その様子をサポーターの男に無感情な視線でとがめられると、そのうちまたそれに耐えきれなくなって、包帯男は言い訳でもするかのように早口にまくしたてた。

 

「……いやさぁ! あいつら準備万端って感じだっただろ? 装備から見ても、生きて帰れる可能性濃厚って感じだったし、そんだけの実力、有りそうだったしな。だからちょーっとばかし、指輪にな。あの石に、ちょっと塗りつけてやった訳よ。ヘルハウンドの血を」

「お前、いつの間に……」

「【迷宮外縁(アウトサイド)】でも通常ルートにも出てくるなんて珍しいよなぁヘルハウンド。ぴょんぴょん走り回るから嫌いなんだけど、まぁさかこんなところで役立つとは」

 

 包帯男は自身の包帯に染み込んだ、まだ乾いていない血を指先で拭って見せると、それを舐めとって、すぐにその場に吐き出してから笑って見せた。サポーターの男は火にかけた鍋の沸騰を続ける湯の中へ沈んだ麺を眺めながら、その様子に呆れたように溜息を吐く。だが、包帯男はそれに気が付かなかったようで、未だに楽し気に、自らの行った仕込みによって起こるであろう事象に心を躍らせていた。

 

「へへへ! 嗅ぎ付けてめちゃくちゃ集まるぜーヘルハウンドが。あいつら死ななきゃいいけど、どうなっかな」

「……フレイヤとの約束だったんじゃねえのか? ベル・クラネルには手を出さないというのは」

「そのつもりだったんだけど、思ったより有望そうだったからさ。これ乗り越えられるようならマジでモノになるかもしれんぜ。それに、手を出したのはあの白髪坊主じゃあなくて、あっちのガタイのいい兄ちゃん! ついでに言えば、加害者も俺じゃあなくて、ヒュトロダエウス! つまり、何の、問題も、なぁーい! ヒッヒヒ!」

「クソみたいな詭弁だな」

「メシ作りながらクソなんて言うなよ」

 

 呆れ果て、溜息を吐く大男に包帯男は機嫌を損ねたかのように目を細める。だが、大男がそれに何ら反応を示さないのを見て、包帯男は期待を外したかのように天を仰ぎ、また寝っ転がった。彼はその内、沸騰した湯の奏でる泡の音を聞きながら自身のもたらした少年たちの不幸とそれによる結果を推理し始める。

 

 彼ら三人の、万全とは言えぬまでも最善を尽くそうとする姿勢。ヘルハウンドの火力と【火精霊の護符(サラマンダー・ウール)】の防火性能、そこに自身の与えた炎方石の指輪が加わった場合の生存確率。そして、中層13階層という『最初の死線(ファースト・ライン)』の危険性。どれほどの苦難が彼らの身に降りかかるのか。嘗て自身が13階層へと初挑戦した時の事を昨日の事のように反芻しながら、誰にともなく包帯男は笑顔になって、そのくせ自身の行いを悔いるかのように溜息を吐いた。

 

「あーあ。やっといてアレだけど今更になって申し訳なくなってきた! 自己嫌悪に陥っちまうぜ」

「俺から言えるのは一つ。お前はそんなナイーブな人間じゃあねえ」

辛辣(しんらぁつ)!」

 

 視線を煮立った鍋に向けたまま吐き捨てたサポーターの男の言に、天を仰いだまま楽し気に指さして応じる包帯男。その様子を見て、ますます疲れたふうな雰囲気をにじませたサポーターめいた大男は面倒くさそうに、だが興味は失っていないような口調で包帯男へと声を向ける。

 

「しかしだ。あれほど沈み切ってたくせに、急に元気を取り戻したな相棒」

「そりゃ後輩たちが中層に挑むってのを前にしたらなぁ。俺も、そこまで昔じゃあねえ筈なのに懐かしくて」

「フン。【奴ら】に派手に負けた割にもう立ち直ったのか?」

「…………実際、今は勝てる相手じゃあねえし、それでクヨクヨするのも違うかなって思うぜ」

「ほれ見ろ、ナイーブさなんかとは無縁だろうが」

「まだ言うかこの――――」

「それよりもだ、麺の味付けは任せてもらっていいな? どっちにしろロクなもんはねえが」

「マジ? 何入れんの?」

「塩と香辛料と水で戻す肉」

「絶対美味い奴だ。俺も料理勉強すっかなぁ」

 

 茹で上がりも近くなった麺をサポーターめいた大男は箸で混ぜる。麺は既に先ほどの干からびた麺とは別物のようにつややかさと柔らかさを取り戻し始めていた。その、麺の数分後の姿を想像した包帯男は満足げに頷くと、腕を組み、真剣に悩むかのように唸りだす……が、ふと、何かに気づいたかのように自身らのいる部屋へと続く通路へと目を向け、今までにない少し緊張したかのような声色で声を上げた。

 

「……誰か来るな。お客さんか?」

「殺し屋かもな。お前は数え切れんほどの恨みを買ってる」

「お前ほどじゃあねえよ」

「俺が誰だかバレてれば、その通りだ」

「ファットマンのジジイに感謝しろよ」

「フン」

 

 上半身を起き上がらせて通路へと体を向ける包帯男に鼻息一つ返しながらも、今まで鍋に向けていた視線を通路の先に広がる光景へと大男もまた向けなおす。すると、すぐに土とも、あるいは石ともつかぬ迷宮(ダンジョン)の床を踏み鳴らして、両手両足の指の数を超えるほどの冒険者の一団が姿を現した。

 

 先頭に立つのは、精悍な顔つきの男性。冒険者として一般的な革製の防具を身に着け、その上にファミリアのものと思しき娼婦のエンブレムの施された外套を纏っている。そして、彼を除き、その冒険者集団は女性ばかりによって構成されていた。彼女らは、一部のサポーターと思しき人員を除き、相対する彼ら二人の肌を見せぬ服装とは全く真逆の装い。それはまるで娼婦の如き――――否。正しく娼婦()()()()彼女たちは、本来露出を好まぬエルフである者も含め、皆が皆扇情的な衣装を身にまとっていた。

 

「あのエンブレム……あ、【イシュタル】のとこのか…………何の用だろうな」

 

 しかし、その見る者によっては鼻の下を伸ばしてしまいそうな姿に興味を示すそぶりも示さず、先頭に立つ精悍な男性の外套を一瞥した包帯男は首を傾げた。

 

 ――――【イシュタル・ファミリア】。このオラリオに存在するファミリアの中でも特に高名なファミリアの一つで、所属する冒険者たちの個々の実力、迷宮探索の実績などはもちろんの事、オラリオ南東部にある歓楽街を牛耳り、それによって生まれる利益からくる資金力はオラリオでも随一。更には娼婦たちによって築かれたファミリア外の有力者、権力者たちとの繋がりから保有する戦力以上の力を保持しており、過去にあったいざこざからギルドでさえもおいそれと手が出せない文字通りの大ファミリア。そこに所属する娼婦たちの多くは冒険者としての技量にも秀でており、戦闘娼婦(バーベラ)と呼ばれ外部から畏怖されている。

 

 そんな彼女たちが、何故この場に大挙して現れたのか。包帯男は相変わらず首をひねっていたが……サポーターの大男は彼女らが鋭い視線を包帯男に向けるのを見て、相手方の要求を大体察して溜息を吐く。一方、彼ら二人の出方を伺うようにそれぞれ端正な顔をこわばらせていた彼女たちだが、その内、見かねたかのような仕草をして、先頭に立っていた男の冒険者が前に一歩踏み出した。

 

「……そこの包帯男、【黒い鳥】か?」

「そういうアンタは……悪い、分からん。イシュタルのとこの…………ああ、副団長だっけ? いや、ご足労してもらったとこ悪いが、俺は【黒い鳥】じゃなくてヒュトロ――――」

「こいつが【黒い鳥】だ、何の用だ?」

「……なんで言っちゃうかなぁ、面白くねえ」

「時間の無駄だ。で、何の用だ」

 

 男の問いに、平然とすっとぼけようとした包帯男――――【黒い鳥】は、サポーターの大男による容赦ない暴露に口をとがらせる。だが大男は喚く彼を完全に無視して問い返した。しかし、目の前のイシュタル・ファミリア副団長が困ったように眉間に皺を寄せるのを見て、不思議そうに副団長へと重ねて問う。

 

「……おい、黙りこくってどうした?」

「……いや、【黒い鳥】――――あの、数多のデタラメな逸話を持つ男が、随分と手酷い怪我をしているのが信じられなくてね」

「おいおい。人を何だと思ってやがんだ? 俺だって人間だぞ。怪我だってするし、死にもする! ……あ、包帯に染みてるこれ、全部モンスターの返り血ね。俺のケガはほれ、足が折れてるだけ。いや十分大ケガか! ほら見ろよぐえええ!」

 

 副団長の男の言に憤慨したかのようにアピールした【黒い鳥】は、自身の足を指さすと、それをさらに示すためにか小突いて痛みに悶絶して転げまわった。そのあんまりな姿に今まで緊張に身をこわばらせていたイシュタルの娼婦たちの幾人かがこらえきれずにくすくすと笑いを零す。一方で副団長の男は弛緩しかけた場の雰囲気を疎むように首を横に振ると、溜息一つ吐き自身らの目的を二人に向けて開示した。

 

「……………………【黒い鳥】。団長がお前の身柄をお望みだ。我々と来てもらおう」

「いててて……【フリュネ】の奴がねえ。ああそうだ。アイツにレベル6へのランクアップおめでとうって伝えといてくれ。俺が言うのも何だけど」

 

 先ほどの痛みも忘れ、包帯の下で笑顔でのたまう黒い鳥に副団長の男は疲れたように溜息を吐く。

 

「団長のランクアップは半年以上前の話だぞ」

「そうだっけ? あっそうだ、ストーキング止めろって言っといて欲しいんだよな。確かに【止り木】には近づくなって言ったけどさ……」

「それはお前と団長の問題だ。直接言え」

「あー…………ま、いいや。それよりも聞いていいか?」

「なんだ?」

「いやさ。よくこの無駄に広いダンジョンで俺の事見つけられたな、って思ったんだけど」

「タレコミがあった」

「あのハゲ……」

 

 自身の問いにあっさりと答えた副団長の男の言葉に、【黒い鳥】は思わず額を抑えた。間髪入れず脳裏に浮かぶのは、嫌らしい笑みを浮かべる禿頭鷲鼻の男。あの男なら、自身の利益になるのならばそうする。絶対に間違いない。そんな確信じみた結論に至った彼は今まで周囲の皆にそうさせていたように自身も溜息を吐くと天を仰いで呟いた。

 

「先に帰すんじゃあなかったかぁ……」

「お前、そろそろ奴に甘い顔をするのを止めたらどうだ? ナメられてるんだよ」

「ん、いや、もう慣れっこだからいいんだけどさ……そういう奴だし」

「そうか。だが、せめて殺しておくべきだと俺は思うぜ」

「へいへい。後で文句の一つくらい言っとくか」

 

 【黒い鳥】は、自身を相棒と呼ぶ男の諫言を話半分に受け取って肩をすくめた。そして、副団長の男に向け、小さく笑顔を見せる。

 

「とりあえずイシュタルの兄ちゃん、話は分かった。とりあえず今飯食うから少し待ってくれよ。そしたら行くからさ」

「…………何だと?」

「なんだよその顔……なんか変な事言ったか、俺」

「いや…………我々の命令にそうも素直に従うとはな。命令されるのを何より嫌うお前が」

「はははっ、俺が? 命令を? 嫌うって? 何だそりゃ……」

 

 驚きに眉を顰める副団長の男の言を、【黒い鳥】は一笑に付した。

 

 副団長の男が困惑するのも当然だ。【黒い鳥】が他者に命令されるのを嫌うというのは、オラリオの神々、更には上位の冒険者たちの間ではもはや常識とすらされている話である。

 

「別に俺、命令されるのが嫌いって訳じゃないんだよな…………大事なのは利益だよ」

 

 しかし、男の内心の困惑に無関心なように言って、【黒い鳥】は親指と人差し指を合わせて輪を作り示す。彼は次にその手を握り締めると、指を一本ずつ立て、そのたびに自身が重要視する要素を示し明かしていった。

 

「損得、合理性、気分、後はその他もろもろ…………それで問題なさそうなら、俺はどんな命令にだって従うよ」

「相棒。『気分』と『その他』の比重がデカすぎるぜ」

「黙ってろお前」

 

 自身の言葉の曖昧さを指摘された【黒い鳥】はまた発言者たる大男に向けて口を尖らせた。

 

 確かに彼に命令して、その結果として彼の逆鱗に触れた者は数多く存在する。だがそれは彼にとって納得のいかない命令だった場合の話だ。彼の言う通り、それが必要であるのなら、彼自身の利となりうるなら、最適であるのなら、十分な理由があるのなら……【黒い鳥】は意外なほどに寛容だ。それは幾度となく【黒い鳥】を使()()()きた神々でさえも見落としがちな事であった。

 

 ――――それほどまでに、彼の気を害したものへの『対応』が壮絶極まりなかった事もその要因なのだが。

 

 一方で【黒い鳥】が自身に従ったという事実に肩透かしを受けたような気分を陥りながらも、目の前の男がどのような存在であるかを思い返して副団長の男は気を引き締め、【黒い鳥】を凝視する。しかし、その視線を気にした風もなく弛み切ったようにだらけた【黒い鳥】はイシュタルの面々から目を逸らして、大男が皿に盛った麺に香辛料と油、そして煮汁で戻した干し肉の欠片を乗せるのを眺めていた。

 

「ま、ともかくちょっと待ってくれ。今から俺ご飯なわけ、飯の邪魔はしないでくれよ」

 

 言って【黒い鳥】はひらひらと手を振ると、大男から差し出された皿とフォークを手を伸ばして受け取って、迷宮の床に置いて食し始める。その様子を見守るイシュタルの面々。しかし、彼が食事に集中し始めると彼女らも気が抜けたように緊張を解き、それぞれ談笑し始めたり、触発されてか自身たちの持ち込んだ携行食を口にしたりし始める。

 

 その様子を横目に見ながら、大男は背嚢から取り出した水を器に注いで【黒い鳥】へと手渡し……そのまま彼に顔を寄せ、懸念するかのように目を細めて問いただした。

 

「…………大丈夫なのか?」

「大丈夫! 地上でたらうまいこと逃げっから」

「足はどうするつもりだ?」

「あんだけ居るし誰かにおぶってもらうさ。お前も楽でいいだろ?」

「フリュネが来たら面倒だぞ」

「フリュネか……うん、昔ならいざ知らず、今のアイツが来たら流石にマズいかも。昔と今のアイツ、ビックリするほど別人だもんなぁ」

 

 【黒い鳥】は嘗て『ガマガエル』などと揶揄され、内外問わず(うと)まれたイシュタル・ファミリア団長の現在の姿を脳裏に描く。その表情は朗らかであったが、それを見咎めた大男の方は呆れ果てたかのように眉間に皺を寄せる。

 

「奴の変わり様も、元を正せばお前が全身の骨を砕いたのが原因だろう」

「だからってカエルからゴリラになるか? ありえないでしょ」

「恋は女を変えるぜ、相棒」

「ボコられた相手に惚れるとかアマゾネスマジわかんねえし、お前も分かったみてえに言いやがって」

「年季が違うんだよ…………それより、本当に大丈夫か? いくらお前でも両足折れてるんじゃ面倒だぞ」

「大丈夫大丈夫。俺、実は戦うより逃げる方が得意だったりするんだ。多分な……ま、なんとかなるだろ」

 

 そう、大男の心配もよそに楽観的に口にすると、【黒い鳥】はこれから起こることに期待するかのような満面の笑みでフォークに巻いた麺を口にして、その味に舌鼓を打つ。対して大男は自身の言葉もどこ吹く風、といった様子の【黒い鳥】に呆れつつ、背嚢の中身を弄る――――フリをして、【迷宮外縁(アウトサイド)】から迷宮の通常階層へと戻るのに用いた淡く光る【楔石の欠片】を布に包んで背嚢の奥に押し込んだ。

 

 

 




滅茶苦茶お待たせしました。

登場人物一覧等も随時追加していきます。

次回から5巻分の話に入れればいいかなと思います。

今話も読んで下さって、ありがとうございました。

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