──坂柳有栖は、綾小路清隆との対決を経て、自分の気持ちを再確認していた。

 自分は、彼に何を求めているのか。それは、彼女だけが知っている。

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坂柳有栖の慕情

 

 ──私は、彼に……綾小路くんに、敗北した。

 

 私は、かねてより綾小路くんと戦う事を願っていた。

 

 その願いは他のどんな欲望よりも強く、私の心を占めている感情だった。

 

 彼、綾小路くんは()()()()()()()()()()()()()特筆すべきところのない生徒である。

 

 けれど、私は……私だけは、彼の本当の力を知っている。

 

 彼の実力に、気付いている者は幾人かいるだろう。

 

 彼の隠れ蓑になっている堀北さん、彼と直接対決をしたと思われる龍園くん等は彼の実力が額面通りのものではないと気付いている筈だ。

 

 しかし、その実力の()()まで知っているのは私だけだ。

 

 ──『ホワイトルーム』、そう呼ばれていた場所に幼い私は父に連れられて訪れた事がある。

 

 そこは、人工的な天才を作り出す場所だった。

 

 名前通り白一色で染め上げられた施設の中で、多くの子供達が()()()にかけられ育てられる、ある種の実験施設。

 

 普通であれば存在を知る事すらないであろうその場所に、私は父の手で連れられ見学に訪れた。

 

 何故、父がわざわざあの場所に私を連れて行ったのかはわからない。

 

 けれど、私はそのことを今でも父に感謝している。

 

 何故なら、そこで……彼と、綾小路くんと出会う事が出来たのだから。

 

 出会ったと言っても、私が一方的に硝子越しに彼を見たというだけの事だ。

 

 ……しかし、私にはそれだけで充分だった。

 

 成果を挙げる事に躍起になっている他の子供達と違い、彼は……彼だけは何を気負う事もなく、自然体で結果を出していた。

 

 私はその光景に……その超然とした彼の姿に、見惚れたのだ。

 

 その時の胸の高鳴りを、私は今でも覚えている。

 

 彼の仕草が、表情が、その振る舞いの全てが……私にとって、鮮烈で忘れ難い記憶となったのだ。

 

 確かに、彼にただならぬものを感じたのは本当だ。

 

 他の子供達より図抜けた才能を持っていたのも、また事実だろう。

 

 けれど、何より私を惹き付けたのは……彼の、瞳だった。

 

 あの、一切揺れる事なく淡々と物事を処理していく彼の瞳……そのともすれば暗い輝きが、私にはなにより魅力的に映ったのだ。

 

 何に興味を持つでもなく、難なく全てをそつなくこなす彼の瞳……あの瞳に自分の姿を釘付けに出来れば、どれほど心地よいだろう。

 

 私は、彼の瞳を見た瞬間、彼の虜となってしまったのだ。

 

 チェスを覚えたのも、いつか彼と対局出来る日を夢見ての事だ。

 

 彼に対し対等以上の戦いが出来るように、チェスは特に念入りに技術を磨いて行った。

 

 私は、チェスで負けた事など一度もなかった。

 

 あの日見た彼に比べれば、どんな人間だろうと凡愚に過ぎない。

 

 ならば、凡愚如きに天才である私が負ける事などあってはならない。

 

 そうでなければ、彼と戦う資格はない。

 

 そう考えて、私は彼と戦うまで無敗を貫き続けた。

 

 ……あの日から今まで、彼の事を考えなかった日はない。

 

 普通に考えれば、あんな秘匿施設にいた彼が表に出て来る事は有り得ない。

 

 だけど、私は知っていた。

 

 父が、自分の学園に彼を招けるよう、手を回している事を。

 

 別に、直接それを伝えられたワケではない。

 

 けれど、なによりも父の態度が、それを雄弁に語っていた。

 

 ──そして遂に、彼がこの学園にやって来た。

 

 この学校で彼の姿を眼にした時の感動は、今でも忘れ難い。

 

 ようやく、硝子越しではない……手の届く場所に、彼が来てくれた。

 

 その事を実感し、興奮し過ぎてその日の夜は眠れなかった程だ。

 

 ……けれど、どうやら彼はこの学校では自分の能力を隠す事にしたらしかった。

 

 私が最高位のAクラスに所属したのに対し、彼は最底辺のDクラス……彼が自分の実力をひた隠しにし、目立つ事を嫌った結果だった。

 

 その事を知った時、正直私は落胆したものだが……考えを、変える事にした。

 

 この学校は、クラス単位で競い合うシステムを採用している。

 

 その争いの結果如何によっては、クラスの序列が入れ替わる事も有り得るし、実質的な金銭と同じ価値のあるポイントの獲得数も違って来る。

 

 だから、彼と戦う機会が出来たのだと、前向きに考える事にしたのだ。

 

 彼が本来の実力を発揮すれば、恐らく私と同じAクラスとなっただろう。

 

 それでは、彼と戦えない。

 

 クラス内の小さな小競り合いで戦っても、意味はない。

 

 彼とは正式な場で、正々堂々決着を付けたかった。

 

 だから、私はその機会を待ち続けた。

 

 彼と接触を持ち、ホワイトルームの事を匂わせ、彼に興味を持って貰う事には成功した。

 

 けれど、それだけでは足りない。

 

 現状では、彼が私の挑戦を受けてくれる可能性は限りなく低いと言わざる負えなかった。

 

 だから、事あるごとにしつこいくらい彼に絡み続けた。

 

 超えてはならない一線は見極めながら、このまま対決を避け続けるより対決に応じた方が良いと思わせる為に、手を尽くした。

 

 それまでの暇潰しとして一之瀬さんを追い込んだりしたが、結果として彼が応じてくれたのだから問題はない。

 

 Bクラスには随分と恨まれてしまったが、まあ必要経費だろう。

 

 少なくとも、彼に嫌われたワケではないのだから気にする程の事でもない。

 

 今後の暇潰しがやり易くなった、程度の事だ。

 

 ……そして今回、とうとう彼との対決に持ち込む事に成功した。

 

 今回の試験はクラス対抗で幾つかの種目で対決するものだが、彼は私との対決に応じてクラスの司令塔の役職になってくれた。

 

 前哨戦と言える他の種目でもある程度楽しめたが、何よりも嬉しかったのは……最終戦に、『チェス』が選ばれた事だった。

 

 私は内心、小躍りしたい気分だった。

 

 彼との直接対決で、あの日夢見た彼との対局が実現出来る。

 

 その事を、私は何より歓喜した。

 

 運命の女神とやらが本当にいるなら、感謝しても良いくらいに。

 

 私は橋本くんと堀北さんの対局を見ながら、一刻も早く彼との対局に移りたいという本心を必死に抑え込んでいた。

 

 橋本くんはそれなりに健闘していたが、今の私は恐らく彼が無様な対局を見せても笑って許しただろう。

 

 そんなことよりも、彼と対局が出来るという一点の方がよほど重要だったのだから。

 

 ──そして、彼との対局が始まった。

 

 彼の腕前は予想以上……いや、予想を遥かに上回る代物だった。

 

 けれど、私も今まで漫然と過ごしていたワケではない。

 

 彼との対局を夢見て磨いたチェスの腕前は、彼と拮抗する程のものとなっていた。

 

 私は、この時間がいつまでも続くようにと本気で願った。

 

 今この場で、彼は私だけを見てくれる。

 

 私の事だけを考えて、駒を動かしている。

 

 それが、彼を私に夢中にさせているように思えて、気を抜けば絶頂しそうな程の幸福感に包まれていた。

 

 ……けれど、そんな楽しい時間にも終わりの時はやって来る。

 

 息もつかせぬ戦いの末、勝利を手にしたのは私だった。

 

 その時の感情は、筆舌に尽くし難い。

 

 彼と対局出来た歓喜、楽しい時間が終わった事による虚脱感、彼に勝利した事による達成感。

 

 それらがない交ぜになって、私は夢見心地だった。

 

 ──あの月城理事代行から、その勝負に水を差したと明かされる時までは。

 

 私は、生まれて初めて本気の殺意を覚えた。

 

 あの最高の時間を、大人の身勝手な都合で邪魔された。

 

 私の心は、目の前の愚かな男への憎悪一色に染まっていた。

 

 ……けれど、理事代行であるあの男をどうにかする事は現状では難しい。

 

 だが、その時の私はそんな冷静な判断が難しくなる程、怒り狂っていた。

 

 恐らく、()()()()()()()()()姿()()()()()()()()という想いがなければ何か取り返しのつかない事をしていたであろう自覚がある。

 

 そういう意味でも、綾小路くんが同席してくれていて良かったと思えた。

 

 ……月城理事代行(あの愚者)が退室した後、私は駄目元で彼に再戦を要求した。

 

 彼がこの要求を受ける筋合いは何もない。それを分かった上での、心からの懇願だった。

 

 もし、この要求が受け入れられないのであれば……恐らく私は自身のアイデンティティを喪失していただろう。

 

 余計な邪魔の入らない、彼との真剣勝負……それが実現出来ないのであれば、私が生きる意味などないも同然だからだ。

 

 ……けれど、彼は私の勝負を受けてくれた。

 

 自分に利などないと理解した上で、私の願いを聞いてくれたのだ。

 

 ──あの時間は、何にも替え難い至福の時だった。

 

 図書室での、決して長くはない対局の時間。

 

 余分な音も無用なギャラリーもいない、静かな戦い。

 

 私は、今でもあの時間こそが人生で最高の時間だったと考えている。

 

 互いだけを認識して、勝つ為に全力を注ぐ神聖な一時。

 

 それは、私が今までやって来たどんなゲームよりも、私の神経を昂らせた。

 

 あれほどの興奮は、今まで体験した事がなかった。

 

 対局が終わった時、私は()()()という感情よりも、最高の時間を楽しめた事による()()が心の大部分を占めていた事に気が付いた。

 

 負けてしまった事は、勿論悔しい。

 

 けれど同時に、()()()()()()()()()()()()という喜びがあった事も、また事実だった。

 

 その後、彼と共に歩いた帰り道での会話もまた、私の忘れ難い思い出となった。

 

 目立つ事を嫌う彼にAクラスの代表である私が絡み続けていれば、不要なトラブルを生むだろう。

 

 彼の事を思うのであれば、私は彼と距離を取る事が最善だ。

 

 そう口に出した以上ある程度は我慢するつもりだったが、残念に思う自分がいるのも事実だった。

 

 ──だって、私が彼に抱いていた気持ちが()()であると知ってしまったのだから。

 

 彼への憧憬はいつしか異性としての恋心に変わり、あの一局で私は彼への好意を改めて自覚した。

 

 彼の事しか、考えられない。

 

 彼と何を話すか、彼がどんな話をしてくれるのか、そして……彼に、私の身体をどう触れて貰うか、そんな事ばかり考えていた。

 

 恐らく、彼が求めるのならば私は喜んで自分の身体を差し出しただろう。

 

 彼と話す事を、望んでいる自分がいる。

 

 彼の手を握る事を、期待している自分がいる。

 

 彼に抱かれる事を、心から願っている自分がいる。

 

 それを自覚してしまったのだから、今の状況は生殺しもいい所だ。

 

 ──けれど、私は彼を諦めたつもりはない。

 

 ()()は宣言通り様子を見るが、彼を退学させようとする月城理事代行(あの男)がまた理不尽な手段を使うようであれば、彼への支援は惜しまないつもりだ。

 

 彼が退学する事など、あってはならない。

 

 どんな手段を使ってでも、彼をこの学校に繋ぎとめてみせる。

 

 その為に必要なら、どんな手でも用いる覚悟はある。

 

 その代償としてAクラスの代表を退く事になったとしても、後悔はない。

 

 私は、Aクラスの代表である以前に……彼に恋する、一人の女の子なのだから。

 

 自分の恋心を優先するのは、女の子として当然の事だ。

 

 その結果周囲にどれだけ迷惑をかけようが、知った事ではない。

 

 必要なら、龍園でも、一之瀬さんでも、あの会長だって利用してやろう。

 

 それが、彼への恋心を自覚した、私に出来る最善なのだから。

 

 ……そして、面倒ごとが全て片付いたら、私は彼に告白しよう。

 

 彼に想いを寄せる女性は、割と多い。

 

 彼にチョコを渡していたという軽井沢さんもそうだし、Cクラスの佐倉さんも彼に好意を抱いているという。

 

 彼が隠れ蓑にしている堀北さんも恐らくそうだし、同じクラスの櫛田さんやDクラスの椎名さんも怪しい。

 

 一之瀬さんも私が追い詰めた時に彼に助けられて以来、彼に好意を持っているようだった。

 

 だから、恋敵に勝つ為には、最高の状況で告白に漕ぎ付けなければならない。

 

 私の身体は彼女達に比べれば貧相で、女性的魅力に溢れているとは言い難い。

 

 けれど、彼はそんな事で私を低く見る事はないだろうという信頼はある。

 

 それはそれとして、体型的に劣っている事を気にするのは当然の事なのだが。

 

 ともあれ、腹は決まった。

 

 私は私らしく、私の取れる最善を以て、彼の力となろう。

 

 そして、最高のタイミングで告白して彼の度肝を抜いてやろう。

 

 その時の彼の反応を想像すると、笑みが零れそうになる。

 

 ──今度は負けませんからね、綾小路くん。

 

 チェスでは負けてしまったが、恋愛という勝負ならどうだろうか。

 

 そんな益体もない事を考えながら、私は彼への告白の台詞をどうするか、想いを巡らせた。

 

 ……きっと、彼の心を射止めてみせる。

 

 何よりもまず私自身に、そう誓いながら。





 というわけでよう実最新刊を見て突発的に書いたポエムのようなものです。

 勢いだけで書いたので、大分暴走してた自覚があります。

 最新刊の坂柳さんが恋する乙女にしか見えませんでした。その結果出来上がったのがこれになります。

 楽しんで頂けたならなによりです。


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