【同日 午前11時7分 地方裁判所 被告人第2控室】
「いやー、何とか乗り切れたね。無罪が無事に取れて良かったよ」
「本当に良かったよ。最初から最後までヒヤヒヤしっぱなしで……寿命がいくらあっても足りないや」
ソファに座り、ぼくはそう言った。裁判で疲れたせいか、力の無い声しか出せなかった。
「本当にそうだね。私が弁護しているわけじゃないのに、隣にいるだけで、寿命が十年くらい縮みそうだよ」
そんなにぼくの弁護って、ヒヤヒヤするものなのだろうか……まあいいや。
真宵ちゃんと二人で談笑していると、控室の扉が開かれた。瑠波さんと、紫さんだ。
一時的に身柄の拘束を解かれた瑠波さんが、紫さんと一緒に来たのだろう。
「あ、瑠波ちゃん。無罪判決おめでとう、よかったね!」
真宵ちゃんが瑠波さんの元に駆け寄り、そのまま抱きついた。瑠波さんは「ひゃあ」と声を上げたが、すぐに笑顔になると、そのまま真宵ちゃんを抱き寄せた。
……本当に同級生みたいだな。
しばらくの間、真宵ちゃんと話していた瑠波さんだったが、しばらくすると、ぼくの元にやってきた。
「あ、あの……」
瑠波さんは、少しはにかみながら、ぼくに話しかけてきた。
「きょ、今日はありがとうございました!」
物凄い勢いで、瑠波さんがお辞儀をする。ぴったり九十度の角度で、深々とお辞儀をしている。
「そ、そんな頭を下げなくていいですよ」
「いえ、私に出来るのは、お辞儀ぐらいです! だからせめて頭を下げるだけでも!」
お互いに遠慮され、遠慮する関係が続き、同じような会話が続いた。
五分ほど経つと、ようやく瑠波さんが頭を上げた。瑠波さんは晴れやかな表情をしている。心から喜んでいる何よりの証拠だ。
「改めて、無罪判決おめでとうございます」
「はい!」
その後瑠波さんは、裁判の後の諸々の手続きのために、控室を後にした。
真宵ちゃんは、瑠波さんに、落ち着いたら一緒にどこかに行こうと約束をしていた。
この短い時間に、相当親密になったようだ。
瑠波さんが部屋を去ると、今度は紫さんが話しかけてきた。
「弁護士先生、いえ、成歩堂龍一さん。この度は、瑠波のために闘ってくださって、本当にありがとうございました」
彼女は、開廷前と同じようなお姫様お辞儀をした。
「傍聴席からあなたの雄姿は拝見させていただきました。とても勇ましかったですよ」
紫さんがいわゆる大人の微笑みを作って、ぼくのことを褒めてくれた。
うーむ。こういう大人のお姉さんにあまり褒められたことが無いから、どうにも恥ずかしいな……。
そんなぼくの気持ちもつゆ知らず、紫さんは、その後数十分に渡り、ぼくのことを褒めに褒めまくった。ぼくはそんな紫さんのお褒めの言葉を、ただただ棒立ちになって聞くことしかできなかった。
……褒め殺されるかと思った。
「あら。もうこんな時間なのね」
ぼくのことを褒めまくっていた紫さん。たまたま時計が目に入ったのか、我に返り、会話が中断された。
た、助かった……。
「では、私はこれで、瑠波を迎えに行かなければならないので」
紫さんは、そう言って身をひるがえした。ロングスカートが、静かな音を立てて、小さな風を起こす。その風に乗って、何とも言えない、大人の女性のいい香りが漂った。
「それでは、ご機嫌麗しゅう……」
扉の前で、紫さんは、またお嬢様お辞儀をして、部屋から去って行った。
部屋には、ぼくと真宵ちゃんだけが残された。
「さて、これで片付いたことだし……事務所に帰ろうか」
ぼくと真宵ちゃんも、部屋を後にした。
「ねえねえ、なるほどくん、私、帰りにミソラーメンが食べたいな」
法廷の廊下を歩きながら、真宵ちゃんがお昼のおねだりをして来る。
「仕方がないな。今日だけだぞ」
「やった!」
うう、またやってしまった。
真宵ちゃんは、裁判が終わるたびにミソラーメンが食べたいとせがんでくる。今月はピンチなのだが、真宵ちゃんが頼んでくるとなぜか断れない。祖父母が孫にいろいろ買ってあげたくなるのもこんな感じなのだろうか。
などと考えながら、廊下を歩いているうちに、中央のエントランスに出た。そのまま、
今度は階段の反対側にある出口から外に出る。
燦々と輝く太陽が、ぼくたちのことを照らす。何時間も法廷に閉じこもって、裁判をした後の体に、太陽の光はエネルギーを与えてくれるかのように思えた。
【同日 午前11時37分 繁華街】
裁判所を後にしてしばらくすると、繁華街に出た。もうすぐランチタイムになる繁華街では、多くの飲食店の店員たちが忙しそうにお客を呼び込もうと声を上げる。辺りからは、色々な料理のいいにおいがあふれ、鼻孔をくすぐる。
しかし、真宵ちゃんはそんな店員の呼び込みや、料理のいい匂いには目もくれず、ただひたすらに、いつものラーメン屋の屋台に向けて歩みを進める。
……本当にあの店のラーメンが好きなんだな。
真宵ちゃん曰く、いつものラーメン屋のミソラーメンは、天下一らしい。事実、その屋台のラーメンは頬が落ちるほどおいしいのだが、ここまで他の物には目もくれないとは……真宵ちゃんのミソラーメンへの愛は凄まじいと言える。
そんなことを改めて実感しながら、ぼくたちは歩みを進める。広い繁華街を十分ほど歩くと、辺りの景色は住宅街へと姿を変えた。
【同日 午前11時52分 住宅街】
いつものラーメン屋の屋台は、住宅街のさらに奥の路地にある。
正直、あまり人が寄り付かないような場所にあるが、そういう場所にある屋台だからこそおいしいと、真宵ちゃんは豪語する。
住宅街に入ってから、さらに数十分。目的のラーメン屋台の近くまでやってきた。
この辺りに来ると、真宵ちゃんの気分は、一気に跳ね上がる。気づけば、真宵ちゃんとの距離はかなり開いていた。ずっと同じ速度で歩いていると思っていたのに……恐るべし真宵ちゃん。
「あんまり遠くに行ったらダメだぞ!」
遠く離れた真宵ちゃんに声をかける。
やれやれ、二十メートルは引き離されているぞ。
「分かっているって! それよりも早く、屋台が閉まっちゃうよ!」
……まだ十二時にすらなっていないんだけどな……まあ、善は急げ、か。少しだけ歩く速度を上げよう。
歩みを早くし、真宵ちゃんに追いつこうとした、その瞬間だった。
「ひゃあ!」
真宵ちゃんの悲鳴が聞こえた。見ると、真宵ちゃんの姿はどこにもなかった。
「ど、どこに行ったんだ?」
辺りを見回す。よく見てみると、地面に穴が開いているように見えた。恐らくマンホールか何かだろう。
ぼくは、その穴の元まで駆け寄り穴の中を覗き込む。
マンホールに落ちたぐらいなら、打ちどころさえ悪くなければ大丈夫だろう。すぐに助けられる。そう思っていた。
……しかし、ぼくが覗き込んだ穴は、底の見えない、深い穴だった。
「な、なんだこれ……」
思わず声が出る。
とてもマンホールとは言い難い謎の穴は、どこまでも続いていて、一度吸い込まれたら帰ってこられないようにも感じられた。
も、もしも真宵ちゃんがこの穴に落ちていたら……。
最悪のケースが頭をよぎった。
「真宵ちゃん! 無事なら返事をしてくれ!」
気づけば、無意識のうちに叫んでいた。本能がきっとそうさせたのだろう。どこまで続くかもわからない穴に向かって、ありったけの声で叫ぶ。しかし、返事はない。それでもぼくは叫び続ける。返事はいつまでたっても返って来ないのに。
「ま、真宵ちゃん……」
……こうなったら、ぼくがこの穴の中に入って直接助けに行くしかない。
正直、高いところは怖いけれど、真宵ちゃんが下で怪我をしているかもしれない。早くいかないと!
そう思って、穴の中に飛び込もうとしたときだった。背後から気配がした。
……誰だ?
振り返って確認しようとした、が。
つ、突き飛ばされた……!
ぼくが振り返るよりも早く、誰かがぼくのことを突き飛ばす。
「どわっ……!」
突き飛ばされた勢いで、バランスを崩してしまう。
「だ、駄目……耐えきれない!」
正直、バランス力には自信がない。ちょっと突き飛ばされただけなのにもう倒れてしまいそうだ。
バランスを崩した先にあるのは、底の見えない不気味な穴。ぼくの目の前に、その入り口が広がっているのだ。
ちょっと待ってくれ…まだ心の準備が出来ていないのに!
自分のタイミングで飛ぼうとしていたところを、いきなり押されてしまったために、ぼくはまだ心の準備が出来ていなかった。
落ちないように、体をのけぞらせ、何とかバランスがとれてきた。これなら何とか…!
と、思った矢先。もう一度背中を押された、しかもさっきよりも、かなり強めに。
「え……?」
バランスがとれかけていたところを再び押されたぼく。その後どうなってしまうか、誰にだって分かる。
「う……うわ!」
落ちる、落ちる。
ただひたすらに、どこまでも続く縦穴を。
底知れぬ恐怖という言葉があるが、まさに、今この時にふさわしい言葉だと、こんな状況で思う。
上を見上げてみる。先ほどまで自分が立っていたはずの地面が、空が、太陽が、どんどんと遠のいていく。
時間が経つにつれ、それらはどんどんと遠くなりやがて一つの小さな点になり、すぐに虚空へと消えた。ぼくは、真っ暗になった縦穴を、抗う事も出来ず、落ちてゆく。
……ああ、なぜだろう。眠くなってきた……。
不意に、眠気に襲われる。
……駄目だ、もう限界。
穴に落ちてから数十秒。真っ暗な虚空の中で、ぼくの記憶は途絶えた。
【同日 午前11時52分 住宅街】
「うわぁぁぁぁぁぁ!」
落ちる、落ちる。ただひたすらに落ちてゆく男を、一人の女が見ている。やがて、男の声は聞こえなくなり、穴の中に広がる闇に消えた。
「手荒な真似をしてごめんなさいね」
女性は、申し訳なさそうな声色で、穴に語りかけた。
やがて、女性は立ち上がると、手を前に突き出した。そして、空を割いた。突きだした手で何かを切るかのように、横に素早く動かして。
その瞬間、空間に裂け目が現れる。
しばらくすると、その裂け目は大きくなり、人が通れるほどの大きさになった。裂け目の中は、不気味な紫色の霧のような物で覆われ、その霧のような物に纏わりつくように、沢山の瞳が穴の外を凝視していた。
女性は、その穴に躊躇することなく足を踏み入れる。
女性が穴の中に入り切ると、穴はひとりでに閉じはじめる。
「……あなたの力、少しだけ貸していただきます」
そんな、独り言をも飲み込みながら、裂け目は完全に消失した。
誰もいなくなり、閑静な住宅街を、風に乗って運ばれてきた、ミソラーメンの香りが静かに包み込んだ。
□第1話 境界を越える逆転
以下、作者後書き
どうも、タイホくんです。
お待たせいたしました。ようやくチュートリアルが終わり、なるほどくんたちを幻想入りさせることが出来ました。本当は、いきなり幻想入りさせてもよかったのですが、逆転裁判を知らない方からすれば、いきなり弁護士とその助手が幻想郷に放り込まれても、二人がどんなキャラクターなのかわからなくなるかな、と思い、キャラクター性格の説明の意味もかねて、一話は外の世界での裁判にしました。一話目から幻想入りを期待していた方がいらっしゃいましたら、申し訳ありません。
さて、第二話は、一週間後から二週間後を目安に投稿する予定です。
どうか待っていただければ幸いです。
感想などお待ちしています。
では。