【4月9日 午後12時53分 人里へとつづく道】
博麗神社を出て、再び桜並木に入る。
霊夢さんに見せてもらった地図によると、人里まではこの桜並木の一番端まで歩き、そこから舗装されていない荒い獣道を一キロ半ほど進むとたどり着くとのことだった。
普段からあまり運動をしていないぼくだが、真宵ちゃんを一刻も早く見つけなけなければならないという使命感のせいだろうか。合計二キロ以上にも及ぶ長い道のりを歩くことに、特に抵抗は無かった。
辺りに咲き誇る桜並木の景色を楽しみつつ、人里へ向けて歩みを速める。
霊夢さんとの雑談の最中で聞いた話だが、この辺りに咲いている桜は、“墨染桜”と呼ばれる品種らしい。
何でも、博麗神社の先代が溺愛した桜だそうで、そのせいでこんなにも大量の墨染桜が咲いているのだとか。
「おかげで、神社のお金はすっからかんよ。後の代のことも考えて欲しいわ」と、会話の中で霊夢さんがぼやいていたことを思い出した。
神社に来た時に、お賽銭箱に書かれている“奉納”の文字が、なんだかお賽銭を入れてくれ、と懇願するように見えたが、きっとあの文字は霊夢さんが書いたんだろう、と今さらながら思う。
優雅に咲く墨染桜は今が丁度見ごろのようだ。風に揺られるたびに桜の花びらが魔法の絨毯のように飛び交い、わずかではあるものの、辺りにどこか気品と清潔感がただよう、ヒヤシンスの花のような香りを辺りに振りまいた。
すると、その花の香りに誘われるかのように、小鳥が桜の枝に止まった。
小鳥は、近くにあった花弁に顔を近づけると、口ばしをその中に入れ目を細めながら、嬉しそうに花の蜜を吸った。
一つだけでは足りなかったのか、小鳥はそのまま別の花びらへと顔を近づける。
少し低い位置に花弁があったので蜜を吸うのは難しそうに思われたが、鳥は桜の枝をがっしりと掴むと、枝を掴んだ足を軸に、宙づりの状態になり蜜を吸い始めた。
大鷲などの大きな鳥の握力がかなり強いということは、テレビ番組の特集で知っていたが、小さな鳥でも意外に握力があるということを知り、少し意外だと思う。
小鳥は、その後もいくつかの花から蜜を吸うとお腹が膨れたのだろうか、満足げな顔をしながらどこかへ飛んで行った。
あの鳥が蜜を吸った時に着いた花粉が、やがてほかの桜の元にたどり着き、受粉して、新たな代へと種を受け継ぐ。そんな自然の神秘を感じながら、ぼくは桜並木を歩き続ける。
歩き始めてから十五分ほど経っただろうか、それまで綺麗に舗装されていた石畳の道が終わり、今度は、荒い獣道に差し掛かった。獣道に入ってすぐに、分かれ道に当たる。
……ええと、確か右に曲がるんだったな。
霊夢さんに教えてもらった通りに右に曲がる。何でも左側には大きな湖があるらしく、そこには、妖怪や、妖精などの
この世界の妖怪の姿をあらかじめ知っていなければ、ぼくは恐怖で湖に入ることすらできなかっただろう。だが、妖怪達の容姿が人間そのものだと知った今では、湖に入っても何ら問題ないのではとも思えた。
だがしかし、寄り道をするわけにはいかない。迷うことなく、分かれ道を右に曲がった。
今もなお野生の動物たちなどが行き来する獣道は、石畳とは明らかに踏んだ時の感触が違い、靴越しにでも分かるくらいに凹凸が激しかった。きっと、この道を車で走ったら、車は地震にでもあったかのように激しく上下左右に揺れるのだろう。
先ほどまでの石畳の道には桜の木が生え、きれいな花を見ることが出来たが、こちらの獣道には桜の木が生えておらず、極々普通の木があちらこちらに生え散らかると言っても過言ではないほどに生い茂っており、時折、その木々の隙間を縫うように、猪や狐といった野生動物が駆け抜けて行く。
辺りを駆け回る野生の動物を刺激しないように注意を払いつつ、凹凸の激しい獣道を転ばないように、しっかりと体重をかけながら歩く。
石畳の道を歩いているときは、ずっと桜の花しか見ることが出来なかったので、少し物足りなさを感じたが、獣道にある木々は、実に多くの種類が点在しており、歩くたびに目の前に広がる景色が変わるので、歩いていて退屈はしなかった。
獣道に差し掛かってからおよそ十五分、博麗神社を出てから、実に三十分の時間が経過した。
徐々に人里が近づいて来たのだろうか、奥の方からにぎやかな雰囲気を感じ取った。
それに伴い、人との往来の回数も増えてゆく。人里が近づいている証拠だろう。
それから、五分も立たないうちに、人里にたどり着いた。
どうも、タイホくんです。
先週、先々週と投稿できていなかったため、その分を本日まとめて投稿しました。
それだけです。
では。