【同日 午後8時17分 人里へとつづく道】
香霖堂を出る頃にはあたりはすっかり暗くなっていた。
空は、墨汁を紙の上にぶちまけたように真っ黒に染まっている。もしも空に浮かんでいる月明かりが無ければ、今頃この辺は暗闇に包まれていたことだろう。
ぼくは空を仰いだ。
夜空には満天の星空が広がっている。幻想郷には電気を使って明かりをともす家が少ない影響だろうか、都会で見上げる星空よりも幻想郷の夜空はより多くの星々が輝いており、普段は見られないような光景に心を奪われそうになる。
しかし、そんな綺麗な星空とは対照的に地上はひっそりとした暗い雰囲気が漂っていた。森の木々や動物たちは寝静まり、この周辺からはぼくと真宵ちゃん以外の気配を一切感じ取れない。
暗い闇夜の中で何者かの気配がするのはそれはそれで不気味かもしれない。でも、なぜか今のぼくには周りにぼく達以外の気配がしないことの方が怖く思えた。
「……あれ? なるほどくん。あそこに誰かいるよ」
しばらく歩いていると、真宵ちゃんが少し遠くの方を指さした方を目を凝らしてよく見てみる。
ついさっきかかった雲が月明かりを覆ってしまったので見つけるのには苦労したが、やがて人影を一つ発見した。
恐らく、あの人影は霊夢さんだ。人影は特徴的な大きなリボンを結び、これまた特徴的な袖の巫女服を身に着けているから間違いないだろう。
しばらくぼくが霊夢さんの方を見ていたせいか、向こうもこちらに気づいたようだ。振り返ると手を振って合図してくれた。
「手を振ってくれたみたいだけど、なるほどくんあの人のこと知ってる?」
「たぶん霊夢さんだと思うよ」
裁判所で再会した時に、お互いの情報を交換していたので、真宵ちゃんはすぐにピンと来たようだ。先ほどまでの不安げな様子が消えている。
「私、ちょっと会って来るね」
真宵ちゃんはそう言って、霊夢さんの方へ駆けていった。暗い森の中で走るのは危険だと思い、一応後ろから声をかけておいたが、真宵ちゃんの耳には届いていないようだ。
ぼくも真宵ちゃんに続いて、霊夢さんの元に行く。
「また会ったわね。龍一さん」
霊夢さんはそういうと、微笑を浮かべた。
「もう夜も遅いのに、一体何をしているんですか?」
霊夢さんに問いかける。真宵ちゃんほどの年の女の子が、こんな時間に外にいることには少々疑問を覚えたからだ。
「夜の散歩をしていたの。こんな時間くらいしか散歩ができないもんだから」
「そうですか。ところで、足元のその穴は?」
ふと霊夢さんの足元を見ると、大人一人がすっぽりと入れそうな大きさの穴が開いていた。落とし穴ぐらいの大きさの穴と言えば分かりやすいだろう。
「見ての通り落とし穴よ。覗いてみる?」
霊夢さんに促され、落とし穴を覗く。中には桃色で裾に赤い縫い目のある半袖のワンピースを着た、癖っ毛の短めな黒髪の少女がいた。……いや、この子を普通の少女と形容するのは少し違うかもしれない。
先ほど挙げた特長のみならばこの子はいたって普通の少女だが、この子は少し違う。
落とし穴に落ちた少女には、白い兎の耳が生えているのだ。さらに、腰のあたりにふわふわとした尻尾のようなものが生えている。
恐らく、この少女は亜人系の妖怪なのだろう。現にぼくは、人里で羽の生えた少女を見ている。
「霊夢さん、この子は?」
「竹林の奥に住んでいる妖怪兎よ。たまたまこの辺りに来ていたみたい」
「助けてあげなくていいんですか? 気絶しているみたいですが」
落とし穴の中の少女は、うつぶせになって気絶していた。落とし穴に落ちた時に、当たり所が悪くて気絶してしまったのだろう。
「心配しなくても大丈夫よ。この子、他人に助けられることをあまり好まない性格だから、自分で出てくると思うわ」
「ならいいのですが」
少し心配ではあるが、霊夢さんが言うのならば問題ないだろう。少し良心が痛むが、霊夢さんの言う通り、そっとしておくことにした。
それから五分もしないうちに、少女は目を覚ました。まだ状況を飲み込めていないのか、目を覚ました少女はボーっとして焦点が定まっていないようだ。
「おはよう。イタズラ兎さん」
目を覚ました少女に、霊夢さんが声をかけた。
「おお、博麗の巫女か」
少女はそう言って立ち上がると、その小さな体からは想像もできないような跳躍力で跳ねると、いとも簡単に落とし穴から脱出してみせた、兎の妖怪であるからこそできる芸当なのだろう。
「よっと。やれやれ、私としたことがドジを踏んでしまったよ」
服に付いた土埃を払うと少女は兎耳をピンとさせた。
「自分で掘った落とし穴にかかるなんてあなたらしくないわね」
「うるさいやい。誰にだって失敗することはあるさ」
霊夢さんが投げかけた言葉を、少女は少しむきになって反論した。
「そういえば……あんた、見ない顏だね?」
少女はこちらに向き直った。改めて近くで見ると、少女はかなり小柄で、身長は精々百三十センチほどしかない。
「ぼくは、成歩堂龍一と言います。外の世界で弁護士をしています」
「へえ、外来人か。私は、因幡てゐ(いなば てい)よろしく頼むよ」
てゐさんは、そう言うと、ぼくの顔をじっと見つめた。何かゴミでもついているだろうか?
「あんた、弁護士だって言ったね?」
「ええ」
「ということは、昨日人里で起こった事件を担当しているのか?」
「はい。ぼくが担当弁護人です」
「だったら丁度いいや。私、事件の日の夜この辺りにいたんだ。その日の話聞きたくはないかい?」
「話、ですか」
どうしたものか。正直、この子の昨日の行動を聞いたところで、事件解決の手がかりが得られるとは思えないが……。
しかし、この道は、香霖堂から人里へ移動するための唯一の道だ。事件の夜にここにいたということは、もしかしたら何か知っているかもしれない。……聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥ともいう。頼むだけ頼んでみるのもありか。
「てゐさんが宜しいなら。お話、聞かせてください」
「よし来た。一度しか言わないから聞き逃すなよ」
ぼくは念のため胸ポケットからメモを取り出した、もしかしたら意外な情報が出るかもしれない。
「ええと、あの日は夜中の内に、落とし穴を掘っておこうと思って、午前零時くらいに、霧の湖に行ったんだ。そうしたら、偶然知り合いを見かけてさ。悪戯してやろうと思ったんだけど、いろいろあって失敗に終わったってわけさ。まあ、久々に静かな環境で落とし穴が掘れたし、別に私は構わないんだけどさ」
そこまで言うと、てゐさんは口を閉じた。
「……これで、終わりですか?」
「ああ、終わりさ」
「事件について何も言っていないじゃないですか。話が違いますよ」
「おっと、私は事件に関する話をするとは一度も言っていないよ?」
「そんな屁理屈を……」
正直、落胆の思いでいっぱいだ。
「まあ、いいじゃないか。この因幡てゐが悪戯に失敗した話なんて早々聞けないものだぞ」
悪戯っぽい笑みをてゐさんは浮かべた。期待を裏切られたこともあって、少し苛立ちを覚える。
ここにいても仕方がない、さっさと現場に向かうことにしよう。と、思った時だった。
突如、ぼくの視界がてゐさんを残して真っ暗になった。黒い画用紙の上に、てゐさんを切りぬいた写真を置いたと言えば分かるだろうか。
視界が暗くなると、続けてガコン、という音が鳴り、どこからともなく鎖が四方八方からぼくとてゐさんを隔てるように伸びてくる。やがて、鎖が伸びきると、中央の部分に赤い大きな錠前が一つ取り付けられた。
……まさかここでも発動するとは。
ちょっと投稿遅れました。
サイコロステーキっておいしいですよね。