【同日 午後八時七分 いっぷく堂】
金物屋の鉄を叩く音、材木屋が鉋で木を削る音、陶器を焼くための窯から漂う、汗の臭いが混じった熱気。晩御飯時を過ぎたにもかかわらず、職人たちがせっせと働く下町エリアの端の方に、その茶屋はあった。
現場は小さな平屋だった。それなりに古いのか、外壁に使われている木には染みや小さな亀裂が目立つ。一周して観察してみたところ、窓は木の格子がはめられており、ここからの出入りは不可能のようだ。
「なんだか辛気臭い建物だね。看板もかなりボロイよ」
真宵ちゃんは、少し上の方を見ながらそう言った。
同じようにぼくも上を見てみる。茶屋の屋根は
また真宵ちゃんが言ったように、屋根につけられている看板は、そこらの流木を拾ってそのまま使っていると言っても分からないほどに朽ちている。肝心の店の名前も、少ない墨汁で書いたのか、文字が掠れて何が書かれているか読めない。
店の奥の方に目をやると、徒歩一分もかからない場所に小さな小屋が立てられていた。あれが薪小屋なのだろう。
「よし、早速突撃だよ!」
扉に手をかけて、真宵ちゃんがそう言った。それに続いてぼくも店内に入る。
「あら、お客様かしら~?」
店に入ってすぐ、おっとりとした感じの女性がぼくたちの前に現れた。薄い緑色の手拭いを頭に巻き、桜色の着物を身に着けている。この店の店員だろうか。
「申し訳ございません、今日は臨時休業なんです~」
店員と思しき女性は、深々とお辞儀をした。
「いえ、ぼくは弁護士の成歩堂と言うもので……」
「弁護士?」
「はい。ここで起こった事件の弁護士です」
「あら、そうでしたか~。調査にいらっしゃったのですか~?」
「ええ、まあそんな所です」
「そうですか~。でも残念~。昨日の晩から警察の人が捜査して、ほとんど何も残っていませんよ~」
「そう、ですか……」
分かってはいたが、やはり証拠はあまり残っていないようだ。裁判の前に来れていればと思う。まあ、どう足掻いても無理なのだが。
「何も残っていなくてもいいのなら、好きなだけ調査しちゃってください~」
「そうさせていただきます」
店員の女性に軽く頭を下げた。
「分かりました~。ではご自由に~」
店員はそういうと、奥に行こうとした。が、何かを思い出したような顔をすると、再びこちらにやって来た。
「いけない~。私ったらまだ挨拶もしていませんでしたね~。私は、ここで働いている、餅田桜(もちだ さくら)と言います~。何かあったらお声かけください~」
「分かりました」
この人が餅田さんか。咲夜さんと親しい人だから、てっきり餅田さんも似たような雰囲気の人だと思っていたが……どうやら、咲夜さんとは真逆で天然系の人だな。
「ところで、他の従業員の方は?」
店内をざっと見渡してみたところ、餅田さん以外の従業員は見受けられなかった。事件が起こったから出払っているのだろうか……いや、仮にそうだとすると、餅田さん一人だけがこの店にいるのも少しおかしい気もする。
ぼくが質問を投げかけると、餅田さんは少しだけ申し訳なさそうな表情になった。
「いえ、この店は茶太郎さんと私の二人だけなので~」
「そうでしたか」
二人だけで切り盛りしていたのか。まあ、この店の大きさからすれば妥当か。
「よし、なるほどくん。早速始めちゃう?」
真宵ちゃんがそう言った。
「そうだね。裁判までもう時間が無い。手早く終わらせよう」
早速現場の調査に入った。
改めて店内をざっと見渡す。
店内は、十二、三畳ほどの広さがあり、机が左右それぞれ二つずつ置かれている。
店の奥の方を見ると、他の部屋への出入り口が二つある。一つは厨房。この場所からは死角の位置にあるせいで中の様子を確認することは出来ないが。入口の上に“厨房”と書かれているのですぐに分かった。
もう一つは何の部屋かはわからないが、恐らく被害者の自室だろう。裁判で店内に被害者の自室があると説明されているから、間違いないと思う。
さて、どこから調べようか……やっぱり、最初は被害者が倒れていたところを見るべきだな。
被害者の遺体は、店内の右側。二つある机の間にあった。
目印代わりに置かれた白いロープの側に近寄る。ロープのかかっているところを見ると、被害者は証拠品の写真の通りに、壁に寄り掛かるようにして倒れている。押し当てるようにして刺したのだろうか……。
「それにしても、このお店の床、足跡だらけだね」
被害者が倒れていた辺りを調べていると、不意に真宵ちゃんが口を開いた。
この店の床は、土間、つまり床が土でできている。
普通、土間というと固いのが一般的だが、この店の土間はやけに柔らかい。そのせいか、この店の土間はやけに足跡だらけだった。
「ごめんなさいね~。ここの土間、軽い人がのっても足跡が残るぐらいに柔らかくて~。歩き辛かったらすみません~」
餅田さんが後ろから話しかけてきた。
軽い人がのっても足跡が残るくらいに柔らかいのか。重いものを置いたら、床が抜ける……なんてことはさすがにないか。
あまり意味はないかもしれないが、このことについて、メモを取っておこう。
胸ポケットからメモ帳を取出し、土間についての情報をざっと書き留めておいた。
・現場の土間について
現場の土間は、かなり柔らかく、軽い人がのっただけでも痕が残る。
被害者の周りで調べられることはこれくらいだろう。さて、次は何を調べようか。
……駄目だ。他にめぼしい場所が見当たらない。警察の捜査の後だから、調べられる場所が限られているのは仕方がないことなのだが。
……念のため、被害者の自室も見ておこうかな。
「あの、餅田さん。被害者……八ッ時さんの自室って、入っても大丈夫ですか?」
「ええ~。どうぞご自由に~。ただ、物をあんまり動かすと警察の人に怒られるかもしれませんよ~」
「ありがとうございます」
許可をもらい、被害者の自室に入る。
部屋は四畳半ほどの広さがある畳張りの部屋で、店内とは暖簾一枚を介しているだけになっている。土足禁止のようで、履物を置くための長方形の石が、部屋の入り口前に置かれていた。
靴を脱いで部屋に上がると、ややかび臭いにおいが鼻を突いた。建物がかなり古いようだし、この畳も相当古いものなのだろう。よく見ると黄ばんでいる。確定だな、こりゃ。
部屋には、入ってすぐの左手に長机と座布団がある程度で、あとは部屋の右奥のほうに布団と、左手に押入れがある程度だった。
うーむ……思ったよりも物が少ないな。ひとまず、押入れでも漁るか。
やや申し訳ない気持ちを抱えながら、押入れを開ける。
埃がたまっているのではと覚悟していたが、思っていたよりも埃はなかった。
どうやらここはきちんと掃除されているようだ。
押入れの上段には予備のものであろう布団一式と、着替えと思しき着物が数着置いてある。
「おお、この下の段に入っているのって、全部写真かな?」
「うん。そうだと思う……って、真宵ちゃん。いたの?」
いつの間にか、背後には真宵ちゃんがいた。ぼくといっしょに入ってこなかったから、てっきり外で待っているものかと思っていたからだ。
「いたのって……ひどいなあ、なるほどくん。私だって色々見てみたいもん」
「ご、ごめん」
「謝らなくていいよ。それよりも、私その写真が見てみたい!」
「あ、ああ。分かったよ」
真宵ちゃんに促されてコルクボードをいくつか取り出す。
「おお、随分と黄ばんでいるね」
「結構前に撮られた写真なんだろう。写っている被害者も若干若いみたいだし」
一つ目のコルクボードに貼られていた写真は、すべて店の前で撮られた写真のようだ。記念撮影か何かだろう。
「こっちは……いろんな人が写っているね」
次に真宵ちゃんが指さしたコルクボードには、多種多様な人々……正確には働いている人たちの写真が貼られていた。ねじり鉢巻きを巻いて鉄を叩く鍛冶職人や、こちらを向いてニコリと笑った八百屋の主人など、とにかく盛りだくさんだ。
恐らく、今日の法廷で提出されたあのコルクボードも、この写真シリーズの一つだったのだろう……咲夜さんのものだけ貼っているのは誤解を招きかねないと思うけど。
「茶太郎さん、きっと写真好きだったんだろうね」
「そうだろうね。さ、真宵ちゃん。あんまり見ると失礼だからそろそろ片付けるぞ」
「は~い」
まだ物足りないのか、真宵ちゃんは少しだけ頬を膨らませながら、コルクボードを押し入れに元あったようにしまった。
さて、ここの捜索はこんなもんか……ただ押入れを漁っただけだったな。
真宵ちゃんを先に部屋から出して、ぼくもそれに続く……と思ったのだが、ふと机のほうを見ると、写真立てが壁のほうを向いて置いてあるのが見えた。
ひっくり返してみてみると、餅田さんと被害者の二人がこの店の前で撮ったツーショット写真が飾られていた。二人ともペアのネックレスをつけている。押入れに入っていた写真よりもさらに黄ばんでいること、さらに被害者が今よりも十五、六歳ほど若いことから、この写真は恐らく彼の写真の中で最も古いものだと考えられる。
……ただ、少し気になるのが……餅田さんの姿が今とそんなに変わらないんだよな。
写真に写った餅田さんは、今の彼女と瓜二つの見た目をしている。
被害者は年を重ねた分、容姿も変わっているのに、彼女は変わっていない……なんでだろうか?
直接餅田さんに聞く……いやいや、女性に年齢の話をするのは野暮だ。きっと、彼女が年をとってもあまり見た目が変わらないだけなんだろう。うん、そうだ。
自分に自分で言い聞かせて、疑問を飲み込んだ。
・黄ばんだ写真
茶太郎の自室に置かれていた黄ばんだ写真。
茶太郎の見た目が若いのに対し、
桜の見た目には変化がない。
写真立てを壁に向けて置きなおして、部屋をでる。
さて、この後はどうするか……よし、餅田さんに話を聞こう。何か知っているかもしれない。
「餅田さん、少しいいでしょうか?」
「はい、なんでしょう~?」
「今回の事件で何かご存知のことはありませんか?」
「ご存知も何も~。私、この事件の目撃者なんです~」
そういえば……冒頭陳述で、目撃者は二人いると言っていたな。
「ちなみに、どこから事件を目撃したのですか?」
「奥の厨房です~」
そう言って、彼女は厨房の方を指さした。
「お茶の用意をしていたら、呻き声が聞こえて~厨房から覗いてみたら、茶太郎さんが倒れていまして~。そこに咲夜さんが立っていました~」
「なるほど……」
咲夜さんが遺体の前に立っていた……話を聞く限りでは、大ちゃんの証言と一致している。目撃者が二人……裁判では、餅田さんの証言も崩さなければいけなくなる。……今のうちに、作戦を練っておくべきだな。
さて、他に聞いておくべきことは……被害者の茶太郎さんについてだな。茶太郎さんと一緒に働いていた彼女なら、彼の素性を知っているかもしれない。上手くいけば、そこから真犯人の殺害動機も割り出せる。
餅田さんに質問を投げかけた。
「被害者の茶太郎さんについて教えていただけませんか?」
「茶太郎さんですか~。そうですね~一言で言うならば“温厚”と“強欲”ですかね~」
温厚と強欲、か。正反対な気もするが……どういう事なのだろう?
「茶太郎さんは基本的には温厚な方でした~。私がお金に困っていた時に拾ってくださって~。何とかこのお店で働いて、今を生きているって感じです~」
拾ってもらって、その人の元で働く……咲夜さんの境遇と似ている。性格こそ正反対の二人だけれど、生い立ちは結構似ているんだな。
「でも少しだけ強欲で、店の値段を高くしたり~。給料を減らされることもあって、迷惑していました~」
「なるほど……」
温厚で強欲な茶太郎さんか……普段は優しいけど、お金のことになるとものすごく執着してくる人なのだろう。場合によっては他人に恨まれることもある性格だ。真犯人の動機は、恐らく金銭関係のトラブルだろう。
よし。聞きたいことはこれぐらいかな。
そう思い、餅田さんにお礼を言おうとしたその時だった。不意に餅田さんが口を開いた。
「……だから、今回の事件でちょっとだけ清々したしたんです~」
「えっ?」
清々した、だって?
「拾ってもらったことは感謝していますけど、茶太郎さんに対して不満もあったので~なんだか清々したんです~」
餅田さんは、混乱して頭の処理が追いつかないぼくのことも気にせず、淡々としゃべり続ける。
口調こそ元の穏やかな雰囲気だが、そう言った餅田さんの目には、茶太郎さんに対する恨みの念がわずかではあるが感じ取れた。
茶太郎さんへの不満……殺されて清々した……。この人は、茶太郎さんを殺害するだけの動機を持っている可能性がある。餅田桜……少しだけ注意して見ておこう。