【同日 午後3時40分 警察署内・実験室】
真宵ちゃんに押されるがままに、三階に上がる。階段を上り切ると、薬品の匂いが漂ってきた。小学校の理科室に入った気分だ。
「お薬の匂いがするよ、なるほどくん」
「実験室、なんて呼ばれるくらいだからな」
廊下を進みつつ、部屋の中を伺いながらぼく達は会話を交わす。この階には、四つの部屋があり、すべてガラス張りになっている。問題が発生したとき、部屋の外から見えていないと危ないからだろうか。
廊下を歩いていると、やがて一番奥の部屋ににとりさんの姿が見えた。彼女以外にはだれもおらず、一人で黙々と実験をしているようだ。
実験の邪魔にならないように、小さくノックをする。すると、こちらに気づいたのか、かけていた透明のゴーグルを外すと、向こうから扉を開けてくれた。
「おお! 盟友じゃないか! わざわざどうしたんだい?」
にとりさんは嬉しそうに笑って、ぼく達を部屋に招き入れる。
「ちょっと、事件のことで」
「ああ、了解了解。答えられる範囲でよければ、いくらでも」
にとりさんは、近くにあった背もたれのない丸椅子を引っ張ってきて、そこに座った。
「それにしても、立派な研究室ですねー」
真宵ちゃんは、ぐるりと室内を見回す。壁に備え付けられた棚には、アルコールランプやら、顕微鏡やらの実験道具に加え、茶色や紫色の小瓶が無数に並んでいる。この手のものには詳しくないが、設備が充実していることは素人でも簡単に見て取れる。
「ああ、四季様が作ってくれたんだよ、ここ」
「四季検事が……。意外ですね」
「あの人、優秀な者には支援を惜しまないからね。この実験室は、我々河童の技術力を認めてくれた何よりの証拠ってわけさ。私たちの誇りだよ」
にとりさんは胸を張る。
……正直、少し違和感を覚える。先ほどの紫さんの話どおりならば、四季検事は妖怪のことを忌み嫌っているはずだ。なのにどうか。彼女は、妖怪である河童たちを登用するばかりか、こんな実験施設まで作ってあげているではないか。
朝霧さんもそうだ。彼も妖怪のはずなのにそれなりのポストについている。優秀な者は人妖問わずに起用する、ということなのだろうか……。でも、その行動は妖怪を忌み嫌う彼女の思考とムジュンしている……。うむむ。彼女のことが、余計にわからなくなってきた。
「んで? 要件は何だい?」
考えにふけっていると、にとりさんが用件を尋ねてきた。おっと、このことは後にして、今は目の前の調査に集中しなければ。
「ええと、今日の法廷に出ていなかった事件の関係者に話を聞きたいのですが……。居場所が分からないもので。どこにいるのかな、と」
「ああ。そんなことか。この地区にある居酒屋にいるよ」
「い、居酒屋ですか?」
「ああ。この地区内から出なければいい、って話したら、ほとんどが居酒屋に行っちゃったよ。ま、鬼の方々ばかりだから、当然なんだけれどね」
「分かりました。ありがとうございます」
「いいってことよ!」
にとりさんは、鼻の下を人差し指でこする。
「あ。ただ、この地区には居酒屋が二店舗あるから気を付けて。全員同じ所にいるとは限らないから」
「了解です」
同じ所にいない可能性があるのか……。移動が少し面倒だな。
「よし。真宵ちゃん、ひとまずその居酒屋に……って、何やってるの?!」
真宵ちゃんは、ぼくが少し目を離していた隙に、にとりさんの実験机に近づいていた。
「何って、どんな実験をしてるのかな、って」
「近づいちゃだめだよ! 危険な薬品を使ってるかもしれないぞ!」
慌てて真宵ちゃんを机から遠ざける。なんか、今日の真宵ちゃんはやけに好奇心旺盛な気がする。
「まあまあ、盟友。落ち着いて。人間に害のあるものは使ってないから」
にとりさんは慌てるぼくをなだめる。
「人間に害のあるものは使ってないとは?」
ふと、にとりさんの発した言葉が気になった。人間には害がない……つい今日、似たようなフレーズを聞いたな。
「ん? ああ。ちょうど今、鬼殺の秘薬を使った実験をしているんだよ」
「ええ? 毒物の実験ですか!?」
「ああそうさ。安心して。私たちには害はないから」
「そ、そりゃそうですけれど……」
鬼以外には害がないとはいえ、毒物を使った実験と聞くと、どうしても身構えてしまう。
にとりさんは、「盟友は心配性だなー」と言いながら実験机に向かう。
「なに。ちょっと、この毒について知っておきたいと思ってね。うちの資料保管庫を漁ってみたんだけれど、この毒に関する情報がほぼ無いもんで。分からないってんなら、自分で調べるしかないだろう、ってわけさ」
にとりさんは、フラスコを振ったりして様子を見ながら話す。
「それで、結果はどうだったんですか?」
「ああ。概ね成功したよ」
フラスコを置いたにとりさんは、今度はノートを手に取って、こちらを振り返る。ノートには、何やら数値だったり、化学記号だったりが書かれている。芸術学部出身のぼくには、何が何だかちんぷんかんぷんだ。
「鬼殺の秘薬が、ある物質……物質Xと物質Yとおこうか。この毒は、これら二つの物質が主成分だってことの裏付けは取れたんだ。興味深いことに、物質Xっていうのは、偶然にも今回の事件現場にあった“鬼殺し”ってお酒の主成分でね。これと物質Yが合わさることで、毒の基礎となる部分が出来上がるんだけれど、ここからが面白くて! この二つが合わさった後、この物質が入ることで……」
立て板に水のごとく、にとりさんは話す。気づけば、専門的なことまで話し出しているようで、何を言っているのかまったく理解できない。
「え、えっと! ざっくり言うと、鬼殺の秘薬は二種類の物質を合わせると出来上がるってことですね!」
専門用語の応酬に目を回した真宵ちゃんが、たまらず叫んだ。
それに驚いたにとりさんは、我に返って話すのをやめた。ナイス、真宵ちゃん。
「そ、そうだね。……すまない。つい熱くなってしまったよ」
にとりさんは、しょんぼりとする。
「……少し、気になることがあるんですが」
にとりさんに尋ねる。さらりと今、割と重要な情報を、彼女はしゃべった気がする。
「ん、なんだい?」
「毒の主成分である、物質Xのことなんですが。その物質Xが鬼殺しの主成分でもある、って本当ですか?」
ぼくがそう聞くと、にとりさんは再び目を輝かせる。
「そうなんだよ! ほら、これを見てほしいんだけどさ! これは、鬼殺しの成分分析の結果なんだけれど、アルコールを除いたとき、この物質Xがこのお酒で一番多い成分なんだよ! いやあー、同じような名前のこの二つに同じ成分が入っているとは! 名前を付けた人はこれを知ってて付けたのかな? あ、ほかにも興味深いことがあって! この……」
「わ、分かりました! もう大丈夫です!」
再びにとりさんを制止する。好きなことの話題になると、歯止めが利かなくなるみたいだ。
驚いた様子を見せたにとりさんは、同じ過ちを二回犯したことを恥じたのか、少し顔が赤くなる。
「い、いやあ……。わ、悪い癖が出ちゃったね。自分の得意分野となると、つい熱中しちゃって」
にとりさんは、恥ずかしそうに頬をかく。その恥ずかしさをごまかすためか、机の上の小さな引き出しのほうに走ると、中から紙の束を一束引っ張り出してきて、ぼくに手渡した。
「これ、鬼殺の秘薬の新しい情報。常に最新のものを持っていたほうがいいだろう?」
「あ、そうですね。ありがたく受け取っておきます」
思わぬ場面で情報をゲットした。……といっても、ほとんどなにが書いてあるかわからないんだけど。
手渡された紙には、先程にとりさんが説明したことと、ほぼ同じことが書かれている。文章で読めばまだわかるかと思ったが、やはりわからない。……ぼくにでも理解できる情報だけを、元の紙に書き加えておくか。
―証拠品「鬼殺の秘薬」の情報を更新した―
・鬼殺の秘薬
被害者を死に至らしめた毒物。鬼族の血の濃さに応じて毒性が変化する。
鬼族以外の種族には一切反応を示さない。物質Xと物質Yを化合することで精製できる。
―証拠品「鬼殺し」の情報を更新した―
・鬼殺し
宴会の場にあった酒の一つ。物質Xを主成分とする。
強い辛みが特徴。
「さて、私はそろそろ実験に戻ろうかな。まだ少しやりたいことが残っているし」
にとりさんはフン、と鼻息を鳴らすと、こちらに背を向ける。ちらりと覗く横顔は、まだ少し赤い。
「それじゃあ、ぼく達もお暇しようか」
「そうだね」
真宵ちゃんは、素直に応じると、部屋を後にした。
「では。失礼します」
「おう! またな、盟友!」
ぼくが部屋を去る直前、にとりさんはグッドサインをしてこちらに笑いかけてくれた。
さて、次はこの地区内にある居酒屋を探さなければ。……調査で、居酒屋を探すってなんだか変な感じがするけれど。
妙な気持ちを抱えたまま、警察署を後にした。……居酒屋、近くにあればいいのだけれど。