第一言語 作:臆病なバンドリーマーX
バサッと。図書館の机に何枚か、プリントが置かれる。授業の課題みたいだ。
生物、化学。あと現代数学。
「何、これ」
「何って、課題だよ? チヤ、理系得意でしょ」
「じゃ、これ。……こっちも」
「まっかせなさーい!」
図書室ではお喋りは厳禁……って訳じゃないけど、声を抑えるくらいのことは知っている様子で、腕まくりをして、そうして珠のような肌に力こぶを作ってみせる。
国語Ⅱと世界史。
身軽になった私はさっそく得意教科に取り掛かる。と、言っても用語も覚えているし解法もすぐにわかる。頭の中がそのまま印刷されればいいのに、と思った。
「ねぇ、今日暇?」
「…………勉強中だけど」
「今じゃなくてこの後。どうせすぐ終わるっしょ?」
「どうかな」
「もし、早く終わるとして。
──で、どうする?」
「部活、行きたくない」
フッ、と笑う気配がした。
「アタシもそれ考えてた」
私も負けずにフフフと笑う。二人でフフフフフとした。
部活、いきたくない。我ながらとっても恥ずかしがり屋なセリフで、余計に恥ずかしい。遠回しなようで私たちの間ではそうではないからだ。
でも、その恥ずかしさは意味がなかった。
だって、もし早く終わるとして、なんて、そんなことはない。
私はずっとこうして、図書室の席に腰を掛けている。
ずっと。
「あ、そこ名前間違えてる」
と、そうだった。私のプリントじゃなかった。
「そっちこそね」
見比べて、笑い合う。二人消しゴムで自分の名前を消した。
私の名前は、妹尾 茶屋町(セノオ チャヤマチ)。彼女の名前は、大宮 朱火(アケビ)。私たちはそれぞれの名前の欄に、逆の名前を書く。
――――――――――――――――――
朝は基本的に早く起きる。それこそ6時くらいに。軽く顔を洗って、寝癖を直し(いつも面倒になって途中でやめる)、朝食をもそもそとして、ふと時計を見ると7時とかそれくらい。部活の朝練はもう30分も前に始まっているし、登校にしては早すぎる。
私が所属する吹奏楽部では毎朝に練習時間があって、合奏とかは朝練ではやらないが、パート練自体は当然としてある。
部屋の中央にあるローテーブルを見た。昨日と変わらない定位置においてある黒い楽器ケースに入っているのはフルート。吹奏楽部と言えば、ではなくもない。人気が高く、人数の多い楽器だ。当然、パート練で見る顔も多い。
苦手だった。放課後の合奏も。だから、一年間だけ我慢して、其れ以来部活には顔を出していない。
つまるところは。そのころからの癖で早起きをしてしまうということだった。健康的だし、目覚まし時計の時間を変えるのも億劫で。
私は自転車に乗って家を出た。
両親は共働きで既に出ている。鍵はカードキーのオートロックと回すタイプの鍵の二つ。しまった(家の扉もしまったし、鍵もポケットにちゃんとしまった)ことを確認し、歩き出す。ウサギと星のキーホルダーはアケビがお揃いで買ってくれた。小学校の修学旅行で、お土産屋で一番に選んだ。ご当地限定品とかは買わなかったみたいで、なんでだろうか?
一車線に、路側帯だけの道路に縁石はなく、車がいない時は道の真ん中を自転車が通る。当然私も通る。アケビは自転車を持っていないので、この先一生自力で歩道から出ることはない。フフフと笑った。でも、二人乗りには丁度いい言い訳だ。
歩道の更に脇には所狭しとばかりに家やらアパートやらが立っている。庭の木か街路樹か、緑のモジャモジャした葉っぱがよく見える。明るいと言えば明るいけど薄暗いと言えばそんな気もする時間、草木も寝起きらしく、葉がさざめく音もどこか重い。
勿論、そんな時間から学校には向かわない。
ウチは住宅地の中にある。そこそこ大きな住宅街で、学校・駅・繁華街などに近いので、若者や子供も多く閑静とはいいがたい。そのおかげで同年代や同級生は団地の中でかなり多いが、正直アケビ以外覚えていない。話すこともないので、向こうからもそんなもんだと思う。
50メートルほど走らせて右に曲がる。
そうしたら公園にでる。タコの形の滑り台と、いまだに苦手な鉄棒、そしていつも山にトンネルのある砂場だけの小さな公園。一応、ベンチは二つ。あとは自販機。生茶がうまい。
公園には大きな桜の木が植えてあり、春にはそれはもう立派な姿になる。満開の桜と舞い散る花びらを空中でつかもうとぴょんぴょんする子供たちはこの住宅地における春の風物詩と言える。当然花見に集まる人も多い。ウチも毎年ここだ。私と、アケビと、父と、母、後アケビのママ。
公園のそばに立つアパート群は中々広い。大きな敷地にアパートが四棟入っている。部屋は家族向けに大きめで2K~3LDK。大家さんは知り合い。空き部屋は20くらい。いい物件のわりにお安い値段。ただ、駐車場が狭いためとても割高だ。
と、ブレーキ。
三階、一番端の部屋を見る。
……。
電気がついていないのを確認し、私は駐輪場の、いつもの定位置に自転車を止める。水色のママチャリを残して、横長のアパートを二等分する、段の低い階段を上っていく。途中、何人かすれ違ったり声をかけられたりして、愛想笑いで会釈したりなんかする。
301号。
大宮 と、表札がかけられていた。
ピンポンは押す意味がない。
「お邪魔します」
固鍵を使って侵入する。
綺麗な玄関。
2LDKだ。結構広い。
廊下を抜け、目的の部屋へ向かう。
いつも通りの朝が過ぎると、いつも通り学校に行き、授業も終わり、放課後。
荷物(教科書)をカバンに詰め終わったアタシは、静かに席を立った。喧噪も、人(ひと)気も多く残る教室で、周りのヤツらなんかは、この後部活だとかなんだとか、どうでもいいことをだらだらとしゃべっている。
苛立ち気味に、強く扉を開けた。
床を鳴らして歩く。担ぐように持った鞄は軽いようで重い。女生徒らしくしとやかに持つ、というわけにいかない。アタシの性(しょう)には合わん。まあ、どうせ携帯ゲーム機と漫画くらいしか入っていない。多少雑に扱っても構わん。
階段を降りながら財布の中身を思い出す。確か、今月残りの日のことを考えても、2,3000円は余裕があるはず。クーポン券とかも何枚か心当たりがある。適当に、駅前でフラフラするくらいの余裕はあるか。
今日はどこに行こうか、夢想する。ゲーセンでもいいし、海に行ってみてもいいと思う。無難にカラオケでもいいし。動物園、水族館とかでもいいかも。
どうしよっかな。
ま、とりあえず。
どうでもいいやと投げ出す。
どこに行くかは、アタシの足に任せよう。いつも通り、行きたい場所に勝手に運んでくれる。
一回の廊下を抜け、正面玄関へ。オキニのスニーカーが鳴らす床の音は意外と大きくて、でもそれが何となくやめられない。周囲の音がすべてなくなるわけではないけど、ある程度消してくれる。
音の原因になっているスニーカーを見る。規則正しく、ハイセンスに打たれた鋲。夜空色の、星々がきらめくチョーオシャレな靴。去年、運命の出会いを果たしてから、毎日履いてる。
……かわいい。キラキラした、雄大な星のキュートさで少し気持ちが和らぐ。常にあるイライラが和らいでいく気がした。
どこからともなく湧いてくる、イライラが徐々にやすらいで――。
ピチャ。
「あ……」
「……」
ニコイチ
の
片割れ。
「……たしかに、アタシこんなカッコだけどさ。なにもクラスメイトから突然水鉄砲で撃たれる筋合いはないはずなんだけどな」
「…………ごめんなさい」
ようやく口が動いた様子の、腰まである黒髪が特徴的な女生徒(妹尾)はそう、小さな声で呟いた。……相変わらず声が小せぇ。
と、そこにもう一人(大宮)も後からかけてくる。
「やー、ごめんごめん、もしかして、引っ掛けられちゃった?」
そんな犬の便所みたいに。
「や。まー、そこまででもねぇ。いいよ」
イラッと湧き上がるけれども、私はそれを堪えて冷静に話す。水はおそらく水道水だ。セーラー服が濡れたくらいどおってことない。
さすがに、これがカバンならマジでキレていたけれども。
「ほんと? 大丈夫? けっこーもろにかかってなかった?」
「大したメイクもしてねぇし大丈夫だよ。んな事より早く帰りてぇ」
寄り道はなしだな……
考えつつ、ショートカット(大宮)の隣で頭を下げる妹尾に声を掛けて頭を上げさせる。
むかっ腹が立って仕方がないが、こうも謝られたら許してやらない訳には行かない。アタシもずいぶん丸くなったな、と一つ自重して、帰り道へ振り返ろうとする。
「ま、待って待って。ほら、顔とかさ、大丈夫? 冷たかったでしょ。氷水だったから…………」
いいつつ、帰路をたどり始めた私の目の前に回り込んでくる(勿論、大宮)。確かに、顔にも水が飛んだが、そこまで過剰に心配するほどか?
いや、一般的な女子高生だとメイクとかを気にして心配するのかもしれない。アタシは、そんなにメイクというメイクはせず、ちょっとのせる程度なのでそこまで問題は無いし、最悪メイクが崩れたところで、家に帰るまでだ。どうだっていい。
そう言おうとしたが、大宮は既にスカートのポッケからハンカチを取り出している。いや、なんでだ。それを拭くのは分かるが、せめてこちらに渡して欲しく――、
「ごめんね、つい夢中になっちゃって…………」
「――っ、触んな!」
パチッとその手を叩いて弾いた。
――。
いくら女同士とはいえ、顔を触るのはさすがに無理。
「あ、ごめん。これ、使う?」
「…………ありがと」
ハンカチを受け取る。
水気を拭き取りつつ、目の前でふにぇらと笑う女(大宮)を睨み続ける。肩口で切りそろえたショートカットに長いもみあげの似合う女は、そんな私の視線に晒されつつもなおも笑顔を崩さない。
……何だ、こいつ。
変なやつだ。こいつら二人とも。
妹尾は大宮の少し後ろに立ってこちらを怪訝な目で見つめている。こいつも変だ。最初にごめんと謝られた以降は何も喋っていない。当事者はコイツのはずなんだけどな。
そんな私の視線など素知らぬ顔で、黒髪ロング(小さな三つ編みを二つ作って、首の後ろの方で纏めている、どっかのお嬢みたいなヘアースタイル)は何も変わらず、こちらを心配するように視線をやっている。細身のヘッドホンを被って、まるで「どうしたの?」とでも言いそうな、とぼけた顔。殴ってやりたい。
普段の学校生活でも、コイツは余り喋らない。喋るのは、もっぱら隣にいるショートカットの背の高い女(160のあたしより高い)。
てめーは自分で喋れねーのかっ……!!
クソっ、腹が立つ。
みんなだ。あたし以外の全部があたしの障害になっている。イライラさせてくれる。
大きく舌打ちを一つして、二人の肩を片手ずつ掴んで、扉を開けるように退かす。鞄を担ぎ直し、大袈裟な靴音を立てながら岐路につく。
イライラする。
「ねぇ〜」
「……」
「ねぇ〜〜」
「…………」
「ねぇ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜」
暇だった。
「……何?」
「暇。なにかすることない?」
。
アケビの家。つまりは、朝にも行ったあのマンション。学校が終わって、図書館で課題を済ませた私達は、部活には行かずにそのままに真っ直ぐ帰宅したのだった。制服を着替えもせず、居間の畳に転がっている。シワがつくから、嫌だけど。アケビも寝てるし、共犯だからオッケーだ。
「楽器、取ってこようか」
「その間私は暇なの〜!」
知らない。
「…………」
「うぇっ、いや〜なんか、暇になったな〜と思ってさ。ほら、去年は今頃お互い部活だったじゃん」
アケビは元演劇部。私と同じタイミングで同じように幽霊部員になったけど。本人は、特に気にしていない。もともと、そこまで本気でやってるというわけでもなさそうだった。結局、私と一緒に部活をやめた。
「にゃ〜ん」
「……?????」
ゴロゴロ床を転がっていた