第一言語 作:臆病なバンドリーマーX
あの有名なRoseliaの耳にもラッパの音が響いていたらしい、というのは、私にとってかなり凄いことだった。活動の拠点としているライブハウスだって違うし、一~二駅は離れていて、しかも世情に疎い私が、それでも噂をよく耳にするバンドがRoseliaだからだ。そのRoseliaのドラマー、大魔姫はテンションが上がった様子で、マイクを手に持って記者のように質問をされるのは桜だけど、正直照れる。
「多分、
「へー…………
「そ、そうかな…………」
おだらてられ、ポリポリと頭の、サイドテールの辺りを掻く、漫画みたいなリアクションで照れる桜。かく言う私も、座ったまま照れたように視線を外し、中空を眺める。リンリン──さんだけが、呆然と、よく分からないような顔をしていた。
「あこちゃん…………ごめん、《ラッパッパ》って…………?」
「あー、説明してなかったもんね。
ほら、この前のRoseliaの練習で、新しい練習曲にってあこがみんなに音楽聞かせてあげたことがあったでしょ?」
「うん……。とっても綺麗だった」
「
──あのっ! あこ、初めてラッパッパを聞いた時、感動して涙が出ちゃって! さ、サイン下さい!!」
「サイン…………?」
大魔姫は机に両手をついて、興奮した様子で前のめりになってサインを求めていた。流石の桜もこれにはタジタジだ。私たちラッパッパはプロのお誘いこそあるけれども、サインを作った覚えはないし、ましてやもとめられたことすらない。つまり、桜がここで頷けば、サイン第一号は大魔姫になる訳だ。
「ん、まあ…………いいよ? その代わり、Roseliaのサインと交換ね。全員分を、色紙二枚だよ」
「やったあ! それくらいおやすい御用だよ! なら、そっちも五人分の色紙をあことりんりんの分ね!」
「いいよ! 次に遊ぶ時に交換しよっか。あ、連絡先知らないや。聞いていい? メッセージアプリでグループ作ろー!」
「…………あの、たまに、四人で遊んだりとか…………して、みたいです」
と、そんな運びになった。サイン色紙なんて今は持っていないし、他のメンバーもいないから後日向こうのサインと交換するらしい。ただ、私はRoseliaの音を聞いたことがないし、向こうも私たちを見たことがないのにサインが欲しいのだろうか。
ともかく、私のメッセージアプリに二人の名前が入ってくる。《リンリン》と《あこ》。こっちは大魔姫じゃないらしい。グループにも誘われる。《NFO好きの会》という名前らしい。もともと、そういう集まりだと思い出した
「じゃ! 連絡先交換も終わったところで、歌いましょうか! カラオケだしね」
その日はライブの日だった。なんだか丸っこいような名前のライブハウスで、ライブだ。ただ、その日はいつものライブとは違う、ツーマンライブ。正しくはツーウーマンライブ。お相手は勿論Roseliaだった。アレから、あこや燐子と連絡を取り合い、Roseliaの全員をメッセージアプリ上でだけど知ることが出来た。サインについては、あこが大層怒られたらしい。
Roseliaは5人編成のガールズバンドだ。ドラムの宇田川あこ、ベース今井リサ、キーボード白金燐子、ギター氷川紗夜、そしてボーカルの湊友希那。なんと、ギターの氷川紗夜は今をときめくアイドルバンド、バステルパレットのギター担当氷川陽菜の姉らしい。私としてはそれよりも、Roseliaの中でも一際名前の大きな湊友希那が気になる。噂によれば、プロの誘いを断ったとか言うけど。
「ライブ前って皆さんいつもこんなに静かなんですか?」
「んー? ま、大体ね〜☆練習量から言えば緊張する事じゃないんだろうけど、でも、ほら、やっぱりなんか違うじゃん? 普段の練習では私たちいがいに音を聞いてる人は居ないんだし♪」
「そんなもんですかね〜」
楽屋にはウチのリーダーの桜とRoseliaベースの今井リサの声が響いている。あとはBGMになる、厳かな低音くらい。Roseliaは、リーダーは湊友希那なのに何故か今井リサが顔役をやっている。まあ、湊友希那は見るからに人付き合いが苦手そうだ。今はだいぶマシになったけど、
「リサ、そんなんじゃ──」
「はーいはい分かってるって〜。練習は本番通り、本番は練習通り、でしょっ♪」
「分かってるならいいわ」
「リサ姉その言葉、カッコイイ!! 練習は本番通り、本番は練習通り…………うん、あこ、緊張溶けてきた!」
「そうなの? いや〜、困っちゃうな〜☆話すこと全部名言になっちゃうな〜☆」
「でもそれ…………小学校とか中学校で、よく聞きませんでした…………?」
「あ、あれ~、そうだっけ。よく思い出せないな〜?」
「リサ姉…………」
とまあ、こんな感じで、上手くメンバーを纏めている。といっても、本人が一番の緊張屋らしいが。因みに、湊友希那と今井リサは幼馴染みだそうだ。湊友希那は音楽にしか興味ないと公言するほどの人なのに、どう間違えたら隣の家からギャルが生まれるんだろうかと、少し気になった。
「よし」
ガタッと立ち上がったリサは、己の頬をパチリ、叩いて、席に座った友希那の隣まで歩いてゆく。なんとなく、雰囲気が変わったのを感じる。「友希那、トイレ行っとかない?」と聞くリサ。集中していた友希那はそれに気付かず、二回目に言われてようやく気付いて、少し考えたあと、「ええ」と一言だけ発する。そのまま席を立って二人で楽屋を出ていった。
「本人が相当緊張してるんだね」
「ええっ、友希那さんが!?」
「ううん、今井さんの方」
「もっと有り得ないですよ! リサ姉、緊張とかしませんし、今日も合同ライブってことでテンション上がってるくらいで──」
「ま、近い位置だと分かんないよね」
星は近いとその等級に気付けない。当たり前には感謝できない。《そういうもの》だと受け入れた世界に、感謝などないから。だからこそ、手放す物には過敏なわけだけれども。
「…………今井さんがいないと一気に静かになるんだね」
「リサ姉はムードメーカーですからね。特にライブ前は……。いっつもこんな感じなんです」
つまり、リサはお話をして、燐子はイメージトレーニング、紗夜はイヤホンをして苦手なフレーズを繰り返す。ライブ前ってこんな感じで音楽に集中するんだ、と感心する。私と桜は話をしてばっかりだ。他のメンバーは、練習をしていたりゲームをしていたりする。
「ラッパッパの方はどうなんですか〜?」
「こっちもいつも通りだよ。アタシとイトがずっと話してる。トモはずっと練習してて、マナとアスカはゲームしてんだ」
「それでライブできるの凄いですよね…………」
「さすがにチューニングくらいするけど」
桜、それは大前提だと思うけど。私は隣をちらりを見た。メイクがなくても恐ろしい程に整った桜の顔とぶつかる。どうやら彼女も私のツッコミに気づいて隣を向いたらしく、口角をふわり釣りあげてフフっとわらう。「そりゃそうだ」と声を上げて再び笑った。私も笑う。
「そろそろ、出番ですね」
あこが静かに言う。時計を見れば、本当だ、そろそろRoseliaの出番だ。私たちはその後。Roseliaの次になる。
心地よい重低音が聞こえる。
トモの音だ。ボー、ボー、と安心する音を奏でている。タイミングを見て、マナがゲームをやめて舞台へと上がって行った。一定のリズムの中、迷いなくなく歩いていく。そして、自分の椅子に座り、楽器の準備を始めた。吹き口と組み立て部を軽く拭き、口元も拭い、静かに楽器を構える。楽譜を取り出して、開く。
演奏が始まる。二人は掛け合うようにメロディーを奏でていく。低音の二人では曲を演奏できないが、リズムがあればそこに曲は生まれる。観客の中で、今、おもいおもいに曲の推測が成り立っているはずだ。
アスカが舞台へ上がった。同じようにして歩いてゆき、椅子に座る。音に厚みが生まれた。いや、生まれたじゃなく、音の厚みに気付いたのだ。観客が一瞬で魅了の深みにハマった。その、唾を嚥下する音でさえ私は聞き取れる。こういう時に人は大抵、息か唾を飲むものだった。
最後、私と桜が同時に舞台へと上がった。私が右手側、桜が左側。同じ歩幅、同じ足音のリズムで。桜の足音は好きだ。だからこそ、私は彼女に合わせられる。リズムが同じだからって、同じ足音って訳じゃないけど。それでも私は、桜と同じ歩幅で歩きたい。隣について行きたい。
椅子に座る。同じようにして、楽器を構えて、楽譜を開いた。
「いや〜、凄かったわ〜☆お客さんもみんな聞き入っちゃってたよ」
「そうね。Roseliaの世界観とも上手く共存できていたし、文句なしね。次は、そっちのライブに出たいくらい」
「それはいいですね。私も、特にお二人の表現力に――感服致しました。これを機に、Roseliaとラッパッパでお互い高めあえる関係になれば良いと思います」
「また一緒にやろーね、ラッパッパ! 次は対バンで!」
などと、私はカルピスウォーターを飲み飲み聞いていた。Roseliaがライブの反省会によく利用するファミリーレストランでのこと。確かに私も今回はなかなかいいパフォーマンスができたと思ったところ。見れば、桜も同じような感想のようで、得意気な顔をしていた。因みに、その他メンバーは自主練だと言ってさっさと帰ってしまった。
「プロの打診、なんていう噂も…………納得です…………」
「あ、それ聞きたかったやつ!! ねね、実際どうなの?」
「あ〜はは。気になるよね〜…………やっぱ。
──うん、メジャーデビューの話は来たことあるよ。ウチでどうか──って」
今日もRoseliaの反省会が終わったところ。料理も五割方食べ終わって、後は女子会を思う存分楽しむ──と、そんな訳にもいかずに、ラッパッパのリーダー、桜は質問攻めにあっていた。
「うっひゃー、そりゃ凄いよ。あの演奏も納得だね〜☆」
「ええ、それ程に素晴らしい演奏でしたから」
「あこたちも、いつかお誘いがバンバンきちゃうようなバンドに…………」
今井リサは机に肘をついて、ポテトをフリフリ言う。
氷川紗夜はポテトの皿を、若干自分よりに引き寄せつつ、一気に三本もつまんでいる。
宇田川あこは手に持ったスプーンの柄を握りしめ、机の上でガッツポーズをするように勇ましい表情で決意する。
湊友希那は、なんだか複雑そうな顔で、感想を聞いて、ドリンクバーを追加デ注ぎに行った。
「……………………」
そんな、おもいおもいの感想をただ口にする中、Roseliaメンバーの一人、白金燐子だけが黙々とメニューを、パスタの皿をパクついていたのが気にかかった。見れば、そんなに美味しいそうな表情でも、お腹が減ったような表情でもない。暫く眺めていると、私の目線に気づいたのか上げた顔を再びうつむける。なにか悩んでいることがあったのか、首をぷるぷると振り、決心したような表情で発言する。
「あのっ。デビューをどう考えてらっしゃるのか…………聞いてもいいですか……!?」
「……うん、いいよ?」
誰にでも分かるような深刻な表情で、白金燐子は言った。ドリンクを飲み干し
なんにせよ、不敵な笑みを浮かべる桜の答えは決まっている。
「――って言ってみても、まだよく分かんないんだけどね。保留だよ」
「プロになるつもりは無い、という……ことでしょうか…………?」
と、白金燐子はまたしても深く突っ込んでくる。何が彼女を突き動かすのか知らないけど、こういったことに首を突っ込みたがる人は嫌いだ。私達のことは、私たちの間で完結させたい。まあ、桜はこういうことに関して他人を容認するタイプだから、私もそうする。気分はあまり良くないけど。
「そんなんじゃないよ? 全然。アタシたちの音が、そのままお仕事になるなら…………ううん、仕事で音出せるって最高だよ」
「──なら、なればいいじゃないですか、プロに。ラッパッパなら、簡単ですよね」
「ちょっとりんりん、そんな言い方ないよ」
白金燐子のちょっと──いや、明らかに挑発している言葉を聞いて、最初に口を開いたのは宇田川あこだった。燐子とあこ、この二人はお互いの暴走を止める制御装置になっている。普段から暴走しがちなあこを窘めるのは燐子、頻度は高くないがその代わり方向と度合いが見当違いな燐子の爆発を止めるあこ。面白い関係だと思う。私はまだ彼女たちと知り合ってばかりだが、それくらいのことがよみとれる程度の仲ではあるように自負していた。
「あこたち、初めて一緒にライブしたんだよ!? まだ、そんなにお互いのこと知らない」
白金燐子が、はっとした顔になる。
数秒、見詰めあっていた。あこは何も表情を変えず、白金燐子は、口元だけをもにょもにょとうごかしていた。それが何を意味していたのかは分からない。Roseliaの間でどんなことがあったのか、私は知らない。分かるのは、白金燐子はプロという言葉にトラウマみたいなものがあって、今の数秒で何か複雑な気持ちが幾つ巴かでせめぎ合っていたという事だけ。
「…………ごめんなさい、私、過去のことで少し…………。その、カッとなっちゃって」
「頭、冷やしてきます……………………」
ゆらりと立ち上がる白金燐子は女子高生なのに幽鬼かと思うオーラを放っていた。これが、彼女本来のネガティブオーラなんだろう。そしてそれを癒すのが、宇田川さんという訳だ。
「……………………」
桜は何も言わない。目にかからない程度に流される前髪も、揺れ動くサイドテールも、瞳の輝きにも一切変化はない。そういう人だからだ。最近知り合ったばかりの人には特にそういう態度をとる。私が他人と込み入った話をするのを嫌う理由の一つだ。こうなった桜は何より怖い。本人にそのつもりは無いし、実際桜はこれっぽっちも怒っていないけれど。私には一回も取ったことがないこの姿勢が、私に向けられたら…………それを嫌でも想像してしまう。ぜったいに楽器を持たせたくない状況。
「あ、あこも!」
続くようにして、あこも店の外へと出ていった。残ったのは、お通夜のような空気だけ。
「──おっ待たせー☆あれ、なーんか、下げてるかんじ~?
あこ、とりんこ……がいないか。ま、それは一旦忘れてさ。自己紹介でもやらない? 確か、あことりんことはもうやったんだよね?
じゃあ、アタシから──☆」
それと、タイミングを見計らうように戻ってきたRoseliaの緩衝材だけだった。
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子供の頃から、自分の世界というものは明確にあった。ひょっとしたらその場所でしか生きてこなかったかもしれない。兎に角、幼稚園で鈴を鳴らしたあの日から、自我というものが見え始めたと思う。鈴の鳴らしかた一つで周りの声が幾つにも変わる。何より、明確に色を変えるその音に魅了されたのだった。
自分自身、音楽が好きだったから、その分野で世界でひとつだけとも言えなくなもない(はずの)才能があることは誇らしく思う。そのせいで、大きく人生が狂ったとしても。
幼稚園の頃はまだ良かった。楽器を鳴らして、周りが凄い! と言って、それで終わりだからだ。自分もその時は周りの反応を嬉しく思っていた。思えば、あの時から既に遠巻きに見ていた人たちはいたのだ。多少なりとも音楽的教養があり、自分のの音楽に《異質さ》を認めた人たち。そんなこと気にもせず、元気な子供はもっと褒めて欲しくて、楽器の練習を続けていたが。
小学校時代で事件は起こる。──「なんか、気持ち悪い」。初めて言われた言葉だった。自分の音楽は二つとないものだ。特別だから、みんな褒めてくれると思っていたのに。ああ、その時の少年は、ただ自分の音楽の《異質さ》とは違う場所に生きていただけだったろう。しかし、その時の自分はかなりショックを受けて、泣いてしまったのだ。小学校時代でのこと、喧嘩なんて泣いたもん勝ちだ。喧嘩ですらなかったが、その男子は徹底的に責められ、自分も、口出しはすれども接することは無かった。その時は、戸惑っていたんだと思う。自分の音楽が受け入れられないことなんて初めてだったから。マイナスの評価は初めてだったから。そうして音楽を初めて拒絶され、ようやく遠巻きに眺める人たちに気づく。ずっとそこにいたの、そこで何をしてたの、自分は頑張ってたのに。頑張れば頑張るほど、《異質さ》を磨けば磨くほどに自分との距離を開けてゆくその人間たちが許せなかった。他の人たちは手放しで褒めるのに。
こと《音楽》という分野に関して、頑張っても認められないという事実が受け入れられかった。自分の大好きなものが、他の人からすればどうでもいいのか。
グルグル、頭が回って腹が減って、よく分からないまま泣いた。
なんで、なんで、なんで。
頑張ってるのに。練習、してるのに。
なんで遠ざかるの。音楽、嫌いじゃないんでしょ。
気持ち悪いってなに、分からないよ。
どういうこと。
なんで…………。
──自分が一番好きなものが嫌いなの。