南海諸島共和国物語   作:あさかぜ

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4話 近代における東南アジア世界の変化とヨーロッパ列強との付き合い

 海上交易の隆盛、海賊討伐などで名を上げた南海だが、スペインやオランダなどヨーロッパ諸国との関係が深い事、彼らからの依頼で海賊討伐や敵対国への攻撃を行う事もあった。その為、「ヨーロッパの犬」や「ヨーロッパの侵略の尖兵」として蔑まれる事もあった。

 尤も、海賊に悩まされている周辺国からは、自国だけでは対処が難しかった海賊を討伐してくれる手助けをしている事もあり、南海の存在を重視している面もあった。

 

 特にブルネイ王国は、東のスールー王国、西の内紛を抑えてくれた事でボルネオ島北部の支配権を確固たるものにしてくれた事に感謝していた(最終的に、史実のブルネイ、マレーシアのサバ州・サラワク州、インドネシアの北カリマンタン州が、この世界のブルネイの領土となる)。その為、交易の優先権や国内の共同開発など、幾つかの特権を獲得した。また、海賊討伐の為のノウハウや海軍の運用をブルネイに教えるなどして、単体では難しくなった海賊討伐を肩代わりさせる事となった。

 それ以外の地域でも海賊の出現が減少し、マラッカ海峡やジャワ海に面した国からは礼を受けている。

 

 しかし、海賊の減少は一時的なもので、海賊が消滅する事は無かった。その為、その後も何度が海賊討伐の依頼を受けており、実際に討伐しているが、その時はブルネイと共同して討伐に当たった。

 

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 清への冊封、ブルネイと共同しての海賊討伐、スペインやオランダなどとの協調によって、南海は順調だった。時折、海賊の襲撃を受けたり、台風の直撃や豪雨、高波で大きな被害を受けるなどの被害があったが、概ね順調だった。

 

 しかし、それも19世紀に入ると東南アジア世界はヨーロッパ列強の植民地化によって終焉を迎える。ナポレオン戦争の最中、フランスにオランダ植民地を通じて協力を求められたり、それをイギリスが阻止しようとするなどした、その余波で、近海でイギリス海軍とフランス海軍が戦闘を行うなど、徐々に列強が近い存在になりつつあった。

 これまでも沿岸部が列強の勢力圏となっていたが、19世紀以降は商品作物(コーヒー、サトウキビ、ゴムなど)の栽培や資源(スズ、石油など)を求めて内陸部に進出する様になった。また、産業革命に伴う近代化これにより、マレー半島とインドシナ半島の東側(ミャンマー)はイギリスの、インドシナ半島の西側(ベトナム、カンボジア、ラオス)はフランスの植民地となった。また、既に一部の植民地化を進めていたオランダとスペインは、それぞれスンダ列島とモルッカ諸島(インドネシア)、フィリピン南部の進出を強めて植民地を拡大した。

 

 列強による植民地化の流れの中で、タイとブルネイ、南海は植民地化される事は無かった。しかし、列強の影響力の強化は避けられなかった。

 タイは史実通り、イギリスとフランスと外交による交渉によって、領土の割譲はあったものの独立を維持した。

 ブルネイは、タイと同様に外交による交渉で独立を維持したが、相手がイギリスとオランダという違いがあった。最終的に、先述した史実ブルネイ、サバ州、サラワク州、北カリマンタン州を領土として確立する事に成功するも、両国のコントロール下に置かれる様になった。

 

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 南海は、列強との繋がりが深い事、土地が広くない事(=資源が少ない、商品作物の栽培面積も狭い)から、どの列強も進んで植民地化しようとはしなかった。また、南海の交渉が上手い事もあり、列強とやや不平等ながら通商条約を結んで独立を維持した。

 

 しかし、南海の領土内である西沙諸島と南沙諸島の幾つかの島でグアノ、つまりリンが採取出来る事が判明すると、列強が挙って採掘しようとしてきた。リンは化学肥料や産業用の触媒などに活用される為、需要は高まる一方だったのである。無許可で採掘しようとするものは居なかったが、列強が集団で採掘しようとした為、為すすべも無く認める他無かった。最終的に、1885年に西沙諸島はフランスとイギリスに、南沙諸島はオランダとイギリスに採掘権を付与した。

 だが、南海もただでは転ばず、列強との合弁会社を設立させて、その会社に採掘権を譲渡させた。これにより設立されたのが、西沙諸島を担当する「パラセル諸島開発会社」と南沙諸島を担当する「スプラトリー諸島開発会社」となる。前者は仏:英:南海が9:8:3、後者は蘭:英:南海が10:7:3の割合で株式を保有しており、南海は僅かながら利権を残して貴重な外貨獲得源となった。

 

 グアノ以外でも、サトウキビやココヤシの栽培の拡大も行われた。共に以前から栽培が行われていたが、開発会社を経由して栽培面積が拡大され、特にココヤシの方が重視された(ココヤシから採れるコプラは、マーガリンの原料となる)。

 この時、朱印島・遠南島でも拡大が行われたが、食糧用の畑も部潰して拡大が行われた為、3か国に抗議している。これに対しては、「各種食糧をタダ同然で輸出するから、それで我慢しろ」とあり、これ以上抗議すると国を潰されかねないので素直に従った。また、国内で問題となっていた人口増加に対しても、「リンの採掘に優先的に雇用する」、「植民地に移住させる事も条件に加える」とされた為、尚更従った。

 

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 グアノやサトウキビ、ココヤシなどを列強に安価に取られた事は、南海にとってショックだった。前から人種差別を感じていたが、長年の付き合いがある事もあり、もう少し手加減してくれるのではと見ていたが、認識が甘かったと実感させられた。

 これでも大分甘い方なのだが、やはり長年付き合いがある関係でこの結果というのがショックだった。

 

 その為、現行の法の根拠となっている律令と慣習法を基に、成文法の整備が1887年から進められた。整備と言っても、律令と慣習法を基に成文化し、足りない部分をヨーロッパの法を導入する形で作成された。

 その為、1895年3月までに六法(憲法、民法、商法、刑法、民事訴訟法、刑事訴訟法)の施行が完了した。憲法の制定は最後になったが、それでも東アジアでは日本に次ぐ早さで憲法を持つ国家となった。

 この法整備によって、南海は共和制国家である事、「南海諸島共和国」を国号とする事、国家元首は今まで通り「南海統裁(英訳にPresidentが充てられる)」とする事、三権分立と法の下の平等を定めている事など、国家の根幹に関わる事が決められた。

 議会制度についても取り入れられたが、人口の少なさや民衆への政治参加に対する不信感から、制限選挙(一定額以上の納税者)が導入された。今まで存在した南海合議会を拡張する事で対応した為、自然と一院制となった。

 

 法整備が進み浸透も早かった事から、列強も南海との付き合いを正常なものにしていった。1910年までに、ヨーロッパ列強との条約改正が完了し、少なくとも不平等な条約は解消された。

 それでも、合弁企業による資源の安価な買取はそのまま残り、列強の国内での優位な状況は資金力の差からどうしても埋められなかった。流石にこれは法整備でどうにかなる問題では無い為、止む無くそのままとなった。


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