南海諸島共和国物語   作:あさかぜ

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5話 列強との新たな関係と新たな列強との関係

 何とか独立を維持した南海だが、ヨーロッパ列強の影響力が高まる事は避けられなかった。英仏蘭の企業の進出が強まり、製品の多くも三国のモノに取って代わられた。また、資源開発も三国主導で行われ、南海が意見を出せる状況では無かった。

 それでも、資源開発で得られた利益の一部は南海の国庫に入る事、今まで手作業だった水産加工品の生産工程の一部が機械化されて効率が上がった事による生産量の拡大とそれに伴う輸出量の増加などから、不満はあっても表に出る事は無かった。実際、収入の拡大に伴う港湾や道路などのインフラ整備はゆっくりとだが進んでおり、首都・南江の統裁官邸や中央省庁庁舎の建て替えの計画が立てられていた(1912年に全ての工事が完了)。

 また、周辺に三国の植民地がある事も幸いした。19世紀末まで、北は香港(英)、東はフィリピン(西)、南はブルネイ(独立国だが英蘭の影響下)と東インド(蘭)、西はインドシナ(仏)に囲まれており、積極的に南海を利用する必要は薄かった。

 その為、三国の影響力下には置かれたが、内政まで口を出してくる事は殆ど無かった。三国が南海に求めた事は、周辺地域における緩衝地帯としての役割であった。

 

 また、日本との関係も強化された。江戸時代初期の幕府の政策が原因で南海が成立したので、明治維新によって幕府が消滅して新しい政府が樹立した事で、関係の改善が可能と判断された。

 日本としても、列強以外で国交を樹立する事は重要であると認識しており、旧政権とは違う事をアピールする為にも南海との関係改善は重要であった。また、可能であるならば、沖縄県の様に併合する事も念頭に入れていた。

 交渉は1880年代から行われた。途中、朝鮮や清国との関係が拗れた事で交渉は滞ったが、1891年に「日南修好条規」が締結された。これは対等な通商条約であったが、国力差から日本に有利な内容となった。また、国内の食品加工産業に日本資本が入ったり、日用品の輸入の多くが日本になるなど、日本の影響力は拡大した。

 しかし、日本人移民が無かった事(南海そのものが移民を送り出す側で、受け入れる余地が無かった)、併合や保護国化しない事を明記した事、法を順守して一線を守っていた事もあり、大きな不満とはならなかった。

 

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 ヨーロッパ列強との関係を再確認し、日本とも新たな関係を築いた南海は、南シナ海における列強の緩衝地帯として独立が確認された。日本及びヨーロッパ列強は、南海での戦闘を避ける為、紳士協定で何処か1国が影響力を拡大させて独占する事、軍事力派遣は行わない事とした。

 

 しかし、そこに口を出してきた国があった。アメリカとドイツである。

 アメリカは、1898年の米西戦争とその講和条約であるパリ条約でフィリピンを獲得した。これにより、南海の東でアメリカと隣接する様になった。中国への進出拠点の獲得及びアジアでの影響力拡大の為、南海へ経済進出を行おうとした。

 ドイツは、植民地獲得競争で英仏に遅れを取っていた。その為、植民地獲得を「やや強引な方法」で行っており(英仏目線でという意味)、他のヨーロッパ列強が手を出していなかった地域(サモア、ニューギニア島北東部、タンガニーカなど)を獲得した。また、中国への進出拠点として青島を獲得したが、そこまでの補給拠点と東南アジアでの影響力拡大を狙って南海に進出しようとした。

 

 これに対し、南海は勿論、現状維持を望んでいた日英仏蘭が猛反対した。特にアメリカに対しては、今まで関係を持っていたスペインを追い出した関係から悪く、数年間はフィリピンとの関係を縮小した(その代わり、日英仏蘭との関係を強固にした)。アメリカとの国交樹立こそ1903年に実現したが、通商関係については1912年まで構築されなかった。

 ドイツも、この時点で英仏と事を構えるのは危険だと考えており、無理してまで欲しい場所でも無かった為、1901年には南海と国交を樹立して保護国化する考えは放棄した。しかし、交易の拡大による市場化の考えは捨てていなかった為、無理を承知で商品を輸出したり、醸造所や加工工場など合弁会社を設立するなどして影響力拡大を狙った。これらは南海の法に則って行われた為、表立って批判される事は無かったが、他国から警戒される事となった。

 

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 南海は、列強間のパワーバランスに巻き込まれながらも、何とか独立を維持していた。

 そんな中、1904年の日露戦争では微妙な立ち位置に置かれた。南海は日英仏蘭の影響下にあるが、当事者である日本とその同盟国であるイギリス、日本と戦争状態になったロシアの同盟国のフランスと3国が戦争当事国及び同盟国であり、この3国からの工作が懸念された。

 しかし、各国は工作を行う事で中立状態が崩れる事は避けたかった為、3国間で話し合いが行われた結果、以下の事が決定した。

 

・3国はこの戦争中、南海が中立状態である事を確認する。

・フランスは南海でロシアに支援しない。

・3国は南海で情報活動を行わない。電信も同様とする。

 

 これらは現状の確認程度でしか無かった。ロシアに対する支援もインドシナで行った方が効率が良く監視もされ難い、また不要な軋轢を生む事も少なかった。日英としても、監視ならマラッカ海峡や台湾海峡で行える為、わざわざ南海を使う必要が薄かった。

 利用価値が微妙だからこそ、現状維持が再確認された。その為、日露戦争中は南海は何事も無く過ごした。その後も、南海は列強の間で何とか生き残った。


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